How to Be a Missionary

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文化を理解する


17.石橋を叩いて渡らない 

 慎重に物事を進めることを、日本では昔から「石橋を叩いて渡る」と言って、多くの場合はよい意味で語られます。確かに、日本での物事の進め方は非常に慎重です。入念な状況調査、分析、評価、予算、人員、多数の選択肢を含めたプログラムなどなど、たくさんの事柄が幾度も会議に乗せられ、議論され、大変な努力と労力、費用と時間を注いだ後に、やっと決定が下されます。その決定が「実行」というものならばまだしも、「保留」だとか、「破棄」などとなると、もはや、「石橋を叩いて渡らない」というのがふさわしくなってしまいます。

 このようにして、一旦物事が決定されると、日本においてはこれを途中で変更したり、止めたりすることは非常に困難になります。そのようなことをしなくてもよいように、入念な計画を作成したのですから、変更などということは、すでに一種の失敗と考えられてしまうのです。ですから日本のやり方は、一躍、融通の利かない、堅苦しいもの、柔軟性や適応性に欠けるものになってしまいます。途中で実情がどのように変化しようが、新しい発見や想定していなかった要素が加わって来ようが、それらを取り入れてプランを練り直すと言うことが、ほとんどあり得ないことなのです。そういうわけで、勢い、現場の意見というものが無視され、オフイスの机の上で作成された想定上の計画が、どうでもこうでも推し進められるということになります。

 これに比べると、「走りながら考える」と言われるアメリカ人や、「走って転んでから考えると」言われるイタリアなどでは、調査や計画段階にそれほど莫大の経費や時間や労力を費やしません。まず、手を着けてみる。そして実情に応じて柔軟に対応して行くという方法が好まれるということです。もしそういう言い方をするならば、フィリピンなどは、「何も考えずに走り出して、何回も転んで怪我をして、やっと少し考え出す」とでも言えば良いでしょう。フィリピン人はアジア唯一の「ラテン人」なのです。この性格をフィリピン人たちは「わらぶ藁葺き屋根の火事」と言って自嘲しますが、決して直そうとしません。つまり、パッと燃え上がってすぐ消えるということです。とにかく、燃え上がるのは早いのです。思い立ったが吉日。明日に伸ばすことはしません。

 ですから、たとえば新しい村長さんが選ばれると、たちまち新しいプロジェクトが始まります。地域公衆衛生システムだとか、地域産業興隆機構なんぞという華々しい名前を打ち出しては、そこここに本部だの支所だの出張所だのという建物を建て、知名氏を招いて盛大な開所祝賀パーティーをやらかします。豚を何頭も殺し、たくさんの酒と食べ物と、歌とダンスで祝います。こうして始まったプログラムは、最初の一週間こそ、それぞれの本部や支所あるいは出張所には、数人の者が出張っているのですが、次の週にはもういなくなります。一ヶ月もすれば、建物は荒れ果て始めます。やがてドアは破られ、机は盗まれ、床にはヤギが日差しを避けて寝転がるようになります。そしてやがて忘れられて行きます。誰もそのようなものが長続きするとは期待していなかったし、長続きさせようと考えてもいなかったかのようです。ただ、みんなで飲んで食べて踊って楽しむ場が提供されただけです。

 そして数年後にまた選挙があり、再選されるか新しい人間が選ばれるかして、また同じようなことが繰り返されます。このようなことが、長い間続けられて来たのです。もっとも、日本においてももっともっと大規模に、似たようなことが繰り返されています。多くの浅瀬が埋め立てられて、もの凄い金が使われて、必要も無い田んぼがたくさん作られています。年金がいつの間にかホテルや行楽施設に費やされ、ほとんどが赤字経営です。高速道路は返せる当ても無いまま借金で作られ続けています。そして、そう言うことをやっている人間は、必ず私腹を肥やしています。ですから、決してフィリピン人を笑うことは出来ません。違う点は、フィリピンでは猫も杓子もそれをやって、猫も杓子もその恩恵に浴するという点でしょうか。

 とにかく、フィリピン人は計画ということを余り大切にしません。何でも、良いと思ったらすぐに飛び付きます。あの話にも、この話にも飛び付きます。ですからいつも騙されています。そして性懲りも無くまた騙されます。ただ、それが騙されない福音を信じることに繋がるということでは、大いに結構です。伝道の計画、開拓の計画、何でもすぐに実行に移されます。「困ったことはそれが起こった時に考えたらいい。はじめからそんなことを考え、あれこれ悩むのは馬鹿げているし、信仰的ではない」となってしまいます。ですから、何事においても、まず実行ありです。イエス様がおっしゃった、「資金不足で途中で投げ出されてしまい、建たなくなった家」のような実例は、枚挙に暇がありません。

 フィリピンが極端なのかと思っていると、インドネシアでも、マレーシアでも、シンガポールでも、日本と比べると殆どすべての国が「転んでから考える」部類に入れられます。ですから、これらの国の人々と一緒に何かを行おうとすると、日本とのギャップの大きさに大変苦労することになります。たとえば、海外伝道部が他の国と協力して何かをしようとすると、他の国ではすべてが高速道路並みのスピードで進みます。日本では一般道路の渋滞のように、まず委員会を設ける話が出され、それから実際に委員会が設けられ、委員会が召集され、事情の説明がされ、検討の時間が与えられ、次の委員会にそれぞれの意見が持ち寄られ、話し合いがされ・・・・・と、延々と続きます。そして委員会の意見が理事会に上程され、それが再び検討され、他の重要案件のために少し棚上げされ、やっと早くて一年、遅ければ数年後に結論が出されます。その結論を海外伝道部が他の国に伝えると、他の国の代表たちは言います。「今頃何をおっしゃってるんですか。それはもうずっと前にやってみて、上手く行かなかったので中止になっていますよ。今は新しい計画を進めているところです。」

 日本の私たちの教会は高々200を少し超える数で、信徒も一万人を少し超えるだけで、この有様です。日本よりも何倍も何十倍も規模の大きい他の国々の方が、ずっと小回りが利き、融通が利き、柔軟性と適応性を持っていると思われることが良くあります。少なくても、急速に変化をする現代世界で、他の国の人々と協力して物事を進めなければならないときには、日本的な物事の進め方を変えて行かなければならないことだけは確かです。北国の人々は南方の国の人々より何事においても慎重で、準備に努力を注ぐのはよく知られていますが、日本の場合は、少々異常とさえ思われます。

 日本人がどうして準備のためにあれほどの労力を注ぐのか、文化的に考えて見る必要がありそうです。これは単なる思い付きに過ぎませんが、多分、徳川の時代のお家を守る「こと無かれ主義に」何らかの起因があるのではないかと考えます。徳川家はもとより、すべての藩が自分たちの家を守ることに全力を傾けました。守るということはすぐさま保守的であることに繋がりました。狭い領土に閉じ込められ、厳しい幕府の規律に縛られて暮らしていた徳川の時代に、新しい物事を求めることには、何の益も無かったからです。同じことを同じように遺漏なく勤め上げるのが最善でした。同じことを行ってさえいれば、たとえそれが良い結果をもたらさなくても、責任者たちは言い訳が出来たのです。しかし、何か新しいことを行うということは、非常に危険であり、大きな責任を負うことになり、失敗は許されないことだったのです。たとえ僅かでも失敗を犯すと、たちまちその座を狙う者たちや、疎ましく思う人々によって追及され、追い落とされるのが仕組みでした。そのような中では、権力のあるものは自分の失敗を他に転嫁することも普通でした。ですから、何か失敗や不都合があると、その直接の責任者を処罰し、いわゆる「トカゲの尻尾切り」をするのが慣わしでした。処罰はされたくないが、高い地位には着きたいという者たちが取れた行動は、保守的にすべてを遺漏なきように継承し、さらに高い権威に癒着すること、「大樹の陰に身を寄せる」ことでした。日本は、まさに伝統が生まれやすい国だったのです。

 このような風潮が、今の私たちにも流れ伝わって来ているのです。指導者たちは新しいことを試みて失敗するよりは、今まで通りのことを今まで通りにして、無事に勤め上げることを願います。新しい試みに対しては常に懐疑的になります。新しいことを試みようとする人間が現れると、存在している「和」を乱す人間、すなわちそれだけで疑わしい人間とされてしまいます。そして、大多数の者は傍観者となり、新しいことを行おうとする人のあら探しに熱心になります。新しいことが失敗すると、みんなで追求して、追い落とそうとするのです。自分がより高くなる絶好の機会だからです。教職たちの集まりである教団運営の場でさえも、このような風潮が、聖書の教えより強く残っているのではないかと、考えたくなる時さえあります。同じ主に、同じ血潮によって贖われ、同じ命によって生かされ、同じみ国の民になったなどという事実は、自分の権力欲や名誉欲のために、あるいは実利や面子のためにどこかにかき消されてしまうのです。互いの失敗を喜んで許し合えない、互いの欠点を喜んで補い合えない、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド藩となっていると言っては、言いすぎでしょうか。

 その点、非常に激しい争いも憎みあいも日常茶飯事のフィリピンで、何か新しいことを試みて失敗した人間に対して、寛容であるという風潮は非常に大切だと考えます。これがあるから、フィリピンでは、物事が、曲がりなりにも進むのです。日本のように失敗を責め、追及し、責任を取らせていては何事も進まなくなるでしょう。ですから、フィリピンでは伝道の意欲を駆り立て、まずやらせてみることです。そして失敗を繰り返しながら、失敗を糧として実践的に学ばせることです。はじめから、空想上の失敗を想定してそれを恐れるのは、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」です。少なくても私が宣教師として進めた働きは、そんな、行き当たりばったりの働きばかりでした。  

18.同情と養子

 まだマニラの神学校で学んでいた頃、同級生にオーストラリア人の学生がいました。彼自身はスコットランドからの移民で、純粋なオーストラリア人の奥さんと、まだ幼い二人の女の子を連れて来ていました。「いつかは、フィリピンへの宣教師になりたい」などと言っていたものですが、「少々厳格なキリスト教」で育ってきた私は、どうも、何と言うか、・・・・彼らを好きになることが出来ませんでした。特に、奥さんの方に、許し難さを感じていたのです。足が長く背が高い奥さんでしたが、当時の流行にならって、そしてまた、オーストラリア人の「だらしなさ」に従って、非常に短いスカートをはいていました。私の家を訪ねて来て、フィリピン人用の椅子に腰を掛けると、どうしても長い足が高くなり、スカートの奥が見えてしまうのですが、彼女は平気な様子なのです。

 ある時、いい加減我慢が出来なくなっていた私は、同じくオーストラリアから来ていた同級生の奥さんで、元々ドイツ人だった女性に、彼女に注意をしてくれるように話したことがありました。すると彼女こう言うのです。「確かに、日本人の目から見ると彼女はだらしなく見えるかもしれないけれど、オーストラリア人のあの年代の女性としては、彼女はとてもおしとやかで、きちっとしている方なのよ。ドイツから来た私も始めは本当に驚いたけれど・・・・・。」

 この「だらしない」女性のご主人、つまり、私の同級生が、わたしにフィリピン人学生に対する不満を吐き出したことがありました。彼によると、フィイリピン人学生夫婦が住んでいる小屋を訪ねたところ、入り口の昆虫よけ網戸越しに話をさせてもらっただけで、最後まで中に入れてもらえなかったというのです。これは、彼にとっては自分が拒絶されていることであり、非常に不愉快な思いをしたらしいのです。

 そこで私は言いました。「君はフィリピンで宣教師をしたいなどと言っているくらいだから、アジア人の心を知らなければならないよ。あのフィリピン人は、君を拒絶するために網戸を開かなかったんじゃないよ。彼は、西洋人である君を自分の家に入れる価値が無いと思って、西洋人に、汚く散らかっている貧しい家に入っていただく資格は、自分には無いと思って、網戸を開かなかったんだよ。それがわからなければ、フィリピンへの宣教師になるのは止めにするんだね。」私の説明を聞いてもなお憤慨している彼に、私は言いました。「ローマの百卒長が、イエス様を自分の家に迎え入れる資格はないと言って、イエス様を迎えなかったのを学んでくることです。彼は自分でイエス様に会うことさえ恐れ多いと感じていたんですよ。」

 私は、人格的にはなかなか優れていた、このオーストラリアからの留学生夫婦をどうしても好きになれませんでした。しかし、間もなく、そのような自分を強烈に反省しなければならないような話を、こともあろうにその奥さんから聞いたのです。

 彼女は、いつものように7、8km離れた所にある市場に食料品を買いに出かけました。その市場の雑踏と汚さは、目を覆う有様です。目を覆って歩くとたちまち人にぶつかり、ぬるぬるの床に滑って転んでしまいますから、それは出来ませんが、少なくても、鼻はつまんで歩いた方が良いと思います。魚や肉や野菜がどろどろの床の上に並べられ、近くにはトイレがないために、立小便をしている女性がいるといった塩梅です。そのようなところにこの奥さんが買い物に行っていたのだというだけで、私は「ほーッ」と見直したほどです。

 ところがその日、市場に入ると間もなく、小さな女の子、多分4歳か5歳の目の真っ黒な可愛い女の子が、彼女の後を追いまわし始めたというのです。目的は薄いビニールの袋を買ってもらうためです。日本とは違って、当時のフィリピンでは、買い物をしても袋に入れてくれるのは高級なお店だけでしたから、市場には必ずこのように袋を売る子供たちがたくさんいました。一枚一円くらいのものでした。その女の子は破れたままの汚い服を着て、断っても、断っても、裸足でどこまでも付いて来たそうです。その女の子を見ていると、急にいじらしくなり、神様にお祈りをしたというのです。「神様、もしこの女の子が、私が買い物を終えて市場を出る時まで、後を付いて来たなら、私にこの子を引き取らせてください。」

 日本人男性である私には、このような感覚を理解することが出来ません。私の家内も同じような体験はたくさんしているはずですし、もっともっと貧しい子供たちをたくさん見て来ています。しかし、「養子にしよう」と考えたことがあるとは、聞いたことがありません。私たちは、それほどの同情や愛情を感じたことはないのです。遠方を車で旅行していた時には、道端で、「女の子を売ります。$30」の張り紙の横に座っている女の子も見たことがあります。でも、養子にしようなどという発想をしたことがありません。ところが、私が嫌っていたあの奥さんは、素直に純粋に一人の汚い女の子の姿に心を痛め、養子にしようかと考えて、「市場の外に出るまで祈り続けた」というのです。幸か不幸か、その女の子はずいぶん長い間後を付いて来たけれど、やがてどこかに行ってしまったそうです。そう言えば彼女のふたりの子供たちも、養子だったことを思い出しました。愛というのは理屈ではなく、このような純粋な感情ではないかと思うことが良くあります。

 私の知り合いのアメリカ人宣教師は、5人の子供を持っていましたが、すべて養子でした。しかもすべて異なった民族で、肌の色も髪の毛の色も、何もかも、見事に違う子供たちでした。はじめから、「お前たちは養子だぞ。しかし、俺たちは血の通った親よりもお前たちを愛しているんだ。」と言って育てているのだそうです。そして子供たちは、そのような両親をとても自慢にしていましたし、すべてが異なる子供たち同士にも、殆ど差別や分け隔ては感じられませんでした。血縁を大切にする文化では考えられないことです。日本においては血縁ではなく、「家」を大切にするための養子が、昔から行われていました。しかし、子供が出来ないための養子や、孤児を引き取るという形の養子は、社会の中で一般的にはあまり認められず、常に、秘密にしておかなければならないというのが現状です。聖書の中に見るイスラエルは血縁と「家」を大切にする社会ですが、養子というのはあまり行われていなかったようです。

 フィリピンの貧しい人々の間では、親戚たちの子供を引き取って、あるいはあずかって、自分の子供と同じように育てている例が、ごく普通に見られます。家、血縁、親族、家族、子供、親というような、私たちにとっては常識と思われている事柄にも、文化の違いによって大きな差があり、感覚や感情、取り扱いにも様々な違いがあることを知らなければなりません。

19.プライバシー

 文化の中で面白い差異を見せるものの一つに、プライバシーに対する感覚があります。多くの先進国ではプライバシーの感覚が鋭くなって、個々人の私生活の権利が主張されます。これには、民主主義的な個人を大切にするものの考え方、住居の広さや形、さらには家族や親族についての考え方、共同体の生活様式などが大きく影響しています。

 また、プライバシーを重んじる文化と言っても、何をプライバシーと感じるかと言うことにも、大きな違いがあります。ある国では結婚をしているかどうか尋ねたり、子供が何人いるかと聞くのは、大変失礼なことになりますが、他の国では初対面でそれを聞かないことが失礼になります。初対面のフィリピン人と話し出すと、男女を問わず必ず、お前は日本人か韓国人か中国人かと尋ねられます。続いて結婚はしているか、奥さんは日本人かフィリピン人か、どうしてフィリピン人の奥さんを持たなかったのか、子供は何人か。これからもっと持つ予定はあるかと、根堀り葉堀り尋問を受けることになります。相手がクリスチャンではないときには、フィリピン人のセカンドワイフを持つように勧められ、紹介までしてくれます。

 ある金鉱山の労働者たちの中で、開拓伝道をした時のことです。木造4階建ての社宅が立ち並ぶ中で、聖書研究をはじめ、ひとつひとつのドアを叩いて訪問したことがあります。驚いたことに、ひとつのユニット、すなわちひとつのドアがある一区切りの部屋、おおよそ20畳ほどの空間に、ふたつの家族が同居しているというのが、当たり前のようになっているのです。それぞれ数人の子供たちがいて「正常に」生活をしているのです。牧師として思わず「夫婦を取り違えることはありませんか?」と、真剣に尋ねてしまったほどです。そのような、プライバシーがまったく無いと思われる状況の中で、彼らは生活が出来るのです。それぞれ20世帯にひとつほどの共同便所とシャワー室。隣の部屋との区切りは薄いトタン板一枚の壁で、すべての物音は筒抜け。少なくても、ごく普通の日本人の感覚を持っていると思っていた私には、驚きの一言でした。同室に住むことになった相手も、特別に親しかったわけでもなく、この鉱山に来て知り合った、と言うより、同室になって知り合ったといったほうが良いくらいの関係です。そこで、彼らは同じストーブを使い、同じ道具を貸し合い、同じ入れ物の塩を使い、同じ壜の醤油を用い、同じつぼの砂糖を分け合って食事を作るのです。この生き方を見たとき、私には、絶対にフィリピン人と同じようには生きられないと思ったものです。しかし、その一方で、やれば出来ないこともないなとも感じました。要するに感覚の違いなのです。

 アフリカのある部族の伝道に入った、イギリス人独身女性宣教師の体験談を読んだことがあります。彼女は赴任早々、ある親切な家族と同居をする事になるのですが、親子6人が、たったひとつの部屋しかない、泥で固めた丸い家で生活をしていました。早速困ったのは、着替えをする事です。どこで着替えたら良いのか分からないために、汗臭くなるのを気遣いながら見ていると、小さな子供が部屋の真ん中に来て裸になると、さっさと着替えて行きました。その間、家族はまったく無関心を装っていました。しばらくすると、「もう女性になりかけている」女の子が部屋の真ん中に来て、着替えました。その間、誰も関心を示さず、それぞれ自分のことをしていました。そして、父親が部屋の真ん中に来て、着替えて行きました。次には母親が部屋の真ん中に来て着替えていきました。だれも、自分のことだけに関心を払っているようでした。とうとうこの独身女性の宣教師は、教会堂の尖塔から飛び降りるような決意をして、自分も部屋の真ん中に行って着替えを始めたそうです。彼女が着替えている間、誰も何の関心も示さず、何事も起こらなかったように振舞ったということです。部屋の真ん中はプライベートな場所だったのです。たとえ肉体の目は見えていても、精神の目は瞑られていたのです。

 昔の日本の家屋も、プライバシーと言う面では、必ずしも優れたものではありませんでした。特に熊さんや八つぁんが住んでいたような貧乏長屋では、すべてが筒抜けの共同生活だったようです。そこに行くと、西欧諸国ではプライバシーの感覚が進んでいたようです。家族の中でも、それぞれの部屋に鍵が掛かるようになっていて、たとえ親でも、子供の部屋に入る時は許可を得なければならないなどと言うことも、一般的だったようです。そのような生活環境で育った者には、東南アジアの諸部族の中で見られる、集団生活家屋、すなわち何十もの家族がひとつの大きな家に暮らすなどと言う習慣は、想像も出来ないものです。しかし、そのような集団生活をしている人々には、プライバシーの感覚が無いと考えるのは誤っています。彼らなりの、鋭いプライバシー感覚を持っていることが多いのです。

 たとえば、江戸時代の江戸の銭湯のことを考えて見ましょう。日本人の女性は貞操観念が強く、他人に肌を見せないなどと教えられて、その通り信じている日本人はもういないとは思いますが、江戸時代の銭湯は殆ど男女混浴でした。これは、現代の日本人にさえ、いささか理解が出来ない情景ではありますが、事実なのです。現代の女性は銭湯に三助と呼ばれる男が出入りするのに、眉をひそめるかどうかは知りませんが、つい数十年前まではどこの銭湯にもいたものです。多くの女性が、番台に男が座っている銭湯に平気で通います。今でも混浴の温泉はそこここに存在します。

 日本の男性は、文字通り裸の付き合いで、大きな公衆風呂に一緒に入ることを、ひとつの大切な付き合い、人間関係の構築と考えています。多くの外国人には非常に抵抗感が強いものですが、お風呂に一緒に入れない宣教師は、まだ青い宣教師だと思ってしまいます。

20.嘘

 クリスチャンは一般的に、正直であることを非常に大切にします。それはそれでよいのですが、ややもすると、クリスチャンたちは単純に、正直は善で嘘は悪であると考えがちです。しかし、嘘と言うものの定義あるいは嘘についての考え方は、文化によってずいぶん異なっていることを理解しなければなりません。嘘は悪であり罪であると、聖書を用いて主張するクリスチャンたちの多くは、嘘とは何であるかと言うことも、聖書が嘘をどのように取り扱っているかも、良く調べたことがないのでしょう。

 確かに聖書は正直であることを勧め、偽りを言わないように戒めています。私たちは基本的にその精神を大切にしなければなりません。しかし、では嘘とは一体何なのかが問題なのです。また、本当にすべての嘘が悪であり罪なのでしょうか。クリスチャンたちの中にも、いわゆる「ホワイト・ライ」、すなわち善意の嘘は良いのだと考える人もいます。あるいは、ぎりぎりの場合のホワイト・ライならば認めるという人もいます。つまり、戦争などで逃亡している者をかくまい、「ここには居ません」と言ったり、陽動作戦で敵を欺いたりするような場合なら、たとえ偽りを言っても罪ではないというのです。

 そこでまず、嘘とは何かということを考えて見ましょう。普通、嘘とは事実に反したことを言うことと考えられていますが、そんな単純な定義で大丈夫でしょうか。いろいろな場合を想定してみましょう、まず、事実に反していると知っていながら、事実に反したことを語る場合。次に、事実に反していると知らないで、事実に反したことを語った結果、それを聞いたものが信じてしまい大きな損失や痛手をこうむった場合。さらに、事実に反しているとは知らないで、事実に反したたことを語ったために、それを聞いた人から、うそつきと非難されるよう場合。さらに、語ったときには事実であったのに、状況が変わったために、事実ではなくなってしまった場合。それから、事実でないと知りながら語ったにも拘わらず、状況が変わって事実となってしまった場合。その上、言葉足らずのため考えていることを上手に説明できず、誤って理解され、結果として事実に反したことを語ってしまったことになった場合。あるいは、すべての人々に公の事実と認められているような事柄を語ったにも拘わらず後代になって、それが誤りであるとされた場合。つまり、日本は神国であり絶対に戦争に負けないと言ったり、天皇陛下は現人神であると語ったりした場合です。このように、いろいろ場面を想定するときりがありません。

 結局、「嘘とは事実に反したことを語ることである」という定義に。問題があるのがわかります。真実である、正直であるというというのが、何に対して真実であり正直であるかということではないでしょうか。このあたりに、文化の相違が大きく影響しているのです。

 ヨーロッパ文化は、農耕文化であり定着文化であると言われても、それは羊と麦の文化であり、水牛と米の文化と言われる東アジアの定着性とはまったく異なっています。簡単に耕作できる麦に比べ、稲作は何世代もの積み重ねが必要であり、非常に定着性が高いのです。定着性が高いということは、生まれてから死ぬまでほとんど同じ人々と付き合い、知らない人々に出会う確立は非常に低いということです。牧畜と麦の文化の人々はしばしば移動をしました。民族全体の移動さえ、歴史の上では何回も繰り返されています。

 一生のうちに幾度も、知らない人々、知らない言葉の人々、違う習慣を持った人々と付き合わなければならなかった、移動生活の人々の倫理と、一生の間、いつも同じ人々としか付き合うことのない定着生活の人々の倫理は、おのずと異なってきます。極端に言うと、砂漠地帯のキャラバンを生活の糧と人々と、四方を海に囲まれて一生の間同じ人々と生活する小島の人々では、まったく倫理が異なる場合が多いということです。

 小さな共同体の中で一生を生きる人々は、当然、非常に密接な付き合いをすることになります。互いに気心も知り合い、思いやったり、相手の立場に立って考えたりすることが、自然に出来るようになります。付き合い方が、瞬間々々の付き合いではなく、長い一生の付き合いを前提としたものになります。そのような場合、商売をするにしても、今日のところは損をしても、将来のために恩を売って信用を築こうという発想が生まれます。すべての面において人間関係を重視した付き合いと、互いの合意に基づいたかなり事細かな倫理が生まれます。しかし、いま会っている人間は、初めて会う人間であり、今後再び出会うことがあるかどうかわからないというような場合、しかも、言葉が良く通じないとなると、将来のことを考えて付き合うなどということは稀になり、ことこまかな感情の彩を表現する言葉も生まれてきません。ことごとく、その場限りの付き合いです。商売にしても、その場その場で、絶対に損をしない商売となります。

 このように、互いに良く知り合った者同士が共に生きる、定着性の文化の中で発達するのは、人間関係を大切にした生き方です。暖かく円滑な人間関係を保つために、人々は最大の努力を払います。そのためには、しばしば事実を曲げ、事実を隠して語ること、いうなれば善意の嘘も大切なものになります。人々は互いの親切と思いやりを期待し、互いに頼りあい、互いに甘え合って生きていきます。ですから、たとえば日本では未だに癌の告知をすべきかどうかと悩むのです。事実を告げるのは残酷である。だから、善意の嘘をついて、みんなで苦しむのです。こうして日本人の多くは、一人の人間としての自立が出来ないままで大人になり、死んでいきます。共同体として大人になることが大切で、個々人は甘えん坊の子供のままで良いのです。

 ところが移動性の高い生活をしている人々は、人間関係よりも事実を先に置いた倫理を作り上げます。一生に一度しか会わない人々、めったに会わない人々との間で大切なこと、気心も何も知りえない者同士の付き合いでは、互いに認め合うことが出来る「事実」以上に大切なものはありません。この刀は良く切れて丈夫であるかどうか、この布は良く織れていて品が良いかという、事実が大切なのであり、互いに折り合えるその商品の価値という事実が大切なのです。人々は騙されないように商品を吟味し、交渉をします。そこではすべてが事実と事実で取引されるのです。そこにそれを造るためにどれほど努力したとか、売り手がどれほど金に困っているかなどということは、あまり問題になりません。人々は事実を基本にして生活し、事実を見極め、事実を認めて生きることを土台にします。そのような中では、事実を隠したり事実を曲げたりすることが最も嫌われ、悪となり罪とされるのです。

 日本人は人間関係を大切にする倫理を持っています。ですから、思いやりの嘘を平気でつきますし、しばしば身勝手な嘘もつきます。自分は嘘つきであると、平気で言う人も出てきます。嘘は社会の円滑湯であると考える人がたくさんいます。ところが移動性の高い社会を基本とした欧米の多くの国では、嘘というのは事実を曲げることで、絶対に悪いと考えられる場合が多いのです。そういうわけで、より移動性の高いヨーロッパ文化のなかで発展したキリスト教は、共通認識の基盤になる「事実」というものを最も大切だと考えます。事実と真実を同じものであると考えている人々もいるほどです。しかし、より定住性の高い社会で生きている人々は、人間関係を最優先にした倫理を発展させてきました。そこに、ずれがあるのです。

 この、事実を基盤としてその上に人間関係を築く倫理社会、いうならば「Fact oriented community」と、人間関係そのものを基盤とし築く倫理社会、「Human relation oriented community」の相違というものを、宣教師たるもの、しっかりと理解しておかないと、さまざまな困難に直面します。これを理解すると、定着生活を基本とした東アジアの人々、しかも、小さな共同体を中心とした田舎育ちの人々が、なぜ容易に嘘をつくのか、理解しなければなりませんし、アメリカ人宣教師たちが、なぜ、徹底して嘘を嫌い、聖書を利用してまで、嘘は罪であるといおうとするのかも理解できます。

 とにかく、事実を事実と語らなければならないと考える文化的背景があり、事実よりも人間関係が大切だから、嘘も用いるべきだと考える文化があるのです。聖書はどうやら折衷的な立場のようで、右から左に簡単に嘘をつくことは認めておらず、偽りの証言は硬く禁じられている一方、嘘が用いられている場合もあることを知らなければなりません。イスラエルの人々は移動性の激しい生活を営んでいたために、基本的に事実を事実として生きる生き方が強かったと言えそうですが、一方、共同体生活であったというところから、「嘘も方便」という感覚もあったと言えます。聖書の中には、嘘が神に祝福されて用いられた例があります。モーセを取り上げた産婆たちの嘘や、イスラエルを助けた遊女ラハブの嘘がその例ですし、エリシャは嘘を告げるように指導していますし、エレミヤはゼデキア王に従って嘘をついています。イエス様さえ、エルサレムには行かないとおっしゃっておきながら、後でそっと出かけておられます。このほかにも、探せばいくつも見つかることでしょう。 

 ただ、たとえばアメリカ人宣教師たちにも、彼らは毎日嘘をついていることを、お教えして差し上げるのも、良いかもしれません。アメリカ人は、どういうわけか、人生は幸せでなければならないという、哲学を持っているようで、常に、幸せを装っています。映画や劇は必ずハッピーエンドで終わります。フランス映画の反対です。ですから、どんなに嵐でも、気分が優れなくても、朝は「グッド モーニング」です。「ハウ アー ユーウ」と尋ねられたら、どんなに歯痛で苦しんでいても、離婚訴訟で悩んでいても、「アイ アム フアイン サンキュウ」といわなければなりません。厳密には嘘です。でも、「今朝は歯が痛くてどうしょうもないんです」なんて訴えても、「そんなことは聞いていないよ。マインド ユア オウン ビジネス」となってしまいます。

 嘘にきついアメリカ人宣教師には、このようにして、アメリカ文化の中にさえ、嘘が円滑油として機能していることを認めさせるのが良いかも知れません。特に彼らが嘘を受け入れている文化で働く場合は、それが必要だと考えます。同じように、アメリカにはリップ・サービスというのがあります。宣教師たちはこのリップ・サービスを良く用いるようですが、多くの東アジア人にとって、宣教師の語るリップ・サービスは「堅い約束」として受け取られるために、注意を要します。しばしば安易なリップ・サービスが宣教師を嘘つきにしてしまいます。とにかく、宣教師として赴いた土地の文化を知り、倫理感覚を理解することは、無用な軋轢を回避し、不要なストレスを貯めないために、非常に大切です。

 アメリカを始めとする西欧キリスト教国から来た宣教師は、ともすれば「Fact oriented」の考え方に捕らわれて、必要以上に事実を語ることに執着します。東アジアや開発途上国の田舎から出てくる人々は、必要以上に「Human oriented」のやり方をしてしまいます。具体的に、何が嘘で何が嘘でないのか、厳密な定義は、やはり文化に影響されて困難なことでしょう。しかし、「Fact oriented」も「Human oriented」も共に欠点のある人間の倫理観であって、私たちクリスチャンは、「God oriented」な生き方、神に喜ばれる生き方をするということを再認識するならば、異なった文化の者同士でも、互いに責め合ったり軽蔑しあったりして距離をおかず、もっともっと近づくこと出来るはずです。私たちは事実に対して偽りを言わないように努力するよりも、神に対して偽りを言わないように努力すべきです。また、人間に対して気を使う以上に、神に対して心を用いたいものです。神のみ前に、「はい」ははい、「いいえ」はいいえの生き方をしたいものです。私たちが正直であるべき相手は「事実」でも「人間関係」でもありません。神こそが、私たちの正直の対象です。

21.約束 

 ひとつの言語から他の言語に翻訳する場合、まったく同じ意味の言葉を捜しだすことは、ほとんど不可能です。たとえば、英語の「you」とまったく同じ意味の言葉は、今のところ、日本語にはありません。日本語の「あなた」にしても「きみ」にしても「you」とは異なり、「you」プラス何かが入っているのです。英語の「you」を文学的に表現しようとすると、日本語では、方言も加えると、直ちに50ほどは思い浮かべることが出来ます。そしてそれらすべてが「you」プラス何かの人間関係であって、無色透明な二人称単数ではないのです。

 同じように、約束という言葉の意味も重みも、その言語と、それを用いている文化によって、ずいぶん異なります。ですから、宣教師が不用意に約束をすると、あるいは約束らしきことをすると、大変なことになりかねないのです。実際、不用意に約束をしたために、宣教師を止めなければならなくなる、瀬戸際まで追い込まれた同僚を知っています。また、不用意に宣教師の「約束」を信じたために、とんでもない被害をこうむった教会をたくさん知っています。

 同じ文化で同じ言葉を用いる人々の間でも、それぞれの言葉の定義は個々人によってことなるのですから、ましてや、「約束」といかなり社会的・文化的要素の強い言葉の意味、概念は、言葉や民族によってずいぶんと異なって当たり前なのです。これは単なる表面的な観察からの推測ですが、筆者が働いていた山岳奥地では現代文明の利器は一切ありませんでした。交通手段といえば、急な山道を自分の足で何時間も歩く以外にありませんでしたし、通信手段といえば、自分で歩いていって必要な人に会うか、他の人に文を託したり、言伝をしたりする以外にはありませんでした。このような状況のなかでは、約束というか、言葉の意味が非常に重かったと感じました。後になってからの言い換えや、変更は非常に困難であるために、しっかりとし確認し、それに立って行動するのです。交通手段が発達し、通信も容易な環境では、しばしば約束が変更され、計画が作り変えられました。たくさんの言葉があって、一つ一つの言葉が軽いのです。

 山岳奥地では、取り交わしたひとつの言葉のために長時間働き、何ヶ月も後になって、約束の場所で落ち合うのです。この場合、たとえ朝から晩まで到着を待つようなことがあっても、ただひたすら、約束を信じて待つのです。このような背景を持った山岳地のクリスチャンたちが、電話一本で約束を変更し、計画を保護に出来る文化の宣教師が、不用意に口にした言葉を約束と受け取り、何ヶ月も、あるいは何年も待ち続けるということが起こるのです。何年も前に訪れてきた宣教師が、約束してくれた屋根の波板トタンを待ち続けている屋根のない教会堂を、私は長い間見続けました。あるとき、その宣教師本人に会う機会がありましたので、この話を持ち出して見たのですが、ご本人はまったくあずかり知らないということでした。

 ちなみに、数年前のことですが、私たちの教会に出入りしていた米軍基地の10名の若者と、彼らと英会話を楽しんでいた7人の日本人とに質問をしてみました。「あなたたち数人が、今週の金曜日の夜一緒にレストランに集まって食事をしようと、約束をしました。ところが直前になって金曜日の夜は、大切な聖書研究会があることを思い出してしまいました。都合が悪いことに、電話連絡もうまく行きません。さあ、あなたたちはこの場合どうする?」日本人の全員が、「聖書研究会はとても大切だけど、約束はもっと大切だから、まずレストランへ行き、そこで約束した相手と会って断りを入れてから、聖書研究会には遅れてでも行ききます」と答えました。ところが面白いことに、アメリカ人の若者たち全員が、「聖書研究はもっと大切だから、聖書研究会にそのまま行って、後で、約束した相手に謝ったらいい。」と応えたのです。アメリカ人同士なら、それでお互いに了解できるというのです。質問した当の私も、これほど明白に答えが分かれるとは思っていませんでしたが、彼らはみんな、日本人もアメリカ人も、「中途半端なクリスチャン」でしたので、信仰態度という点でことさら差が出たとは思えません。こんな単純な約束の感覚の違いが、大問題に発展することがあるのです。
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