Missiology

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福音と文化

 宣教について論じる上で、極めて重要なのが福音と文化の問題です。この問題を正しく把握して活動する事が、宣教の絶対必要条件です。実際のところ、この問題を理解しなかったり、ないがしろにしたりしていたために起こった悲劇は、枚挙のいとまがありません。

 英語圏において、宣教の働きに関わる文化の問題について論じる場合、「コンテクスチャライゼーション」という言葉が盛んに用いられてきました。この言葉は、普通、「文脈化」と訳され、日本の宣教に関する文書にもしばしば登場します。しかし、私たち日本人には英語の意味が良くわからない上に、「文脈化」などという翻訳日本語では、ますますわからなくなってしまいます。要するに、福音の本質を、ある特定の文化の中で、意義あるものとして適用することであって、「福音の文化的適用」とでも訳せば、少しはわかりやすくなると思います。とはいえ、そのように訳したのでは、本来の意味が少しばかり変わってしまうところもあるらしく、そのままカタカナ語で言ってしまったり、「文脈化」などと言う、わけのわからない、おかしな日本語にしてしまったりしたわけです。

 ここでは、言葉の翻訳の問題はさておき、福音の文化的適用についてしばらく考えて見ましょう。

A.福音の本質を理解する。

 福音を語る者は、福音を正しく語らなければなりません。福音を正しく語るためには、福音を正しく理解する事が必要です。新しい部分でも2千年前、古い部分では3千5百年ほども前という期間に、いま私たちが生きている環境とはおおよそ異なった文化の中に、まったく違った言語で啓示された福音を、私たちが正しく理解することは非常に困難であり、厳密な意味では不可能でしょう。しかし、困難にし、不可能にしている要因を可能な限り探り出し、それらを一つずつ取り除いて、出来るだけ正しく理解するように務め、福音理解の歪みや捻じれを正して行く作業が不可欠です。

1.自分たちが受け容れた福音を理解する

 私たちは、自分が受け容れ信じている福音に対し、どれだけ真剣なまなざしを向けているでしょうか。ほとんどのクリスチャンは、聞かされたとおり信じ続けているだけで、その福音が、本当に神が伝えようと意図された福音なのかどうか、考えたこともないのが実情でしょう。神が私たちに伝えようと意図された福音は、文化というものと接触しなければ人間に到達出来ないという宿命を負っており、いちど文化と接触した福音は、神がお考えになったものとは、異なったものになって行かざるを得ないのです。

a.文化を通して与えられた福音

 まず、第一に知っておかなければならないのは、福音はある特定の文化を通して掲示されているということです。福音の啓示はそれが幻であろうと夢であろうと、あるいは歴史であろうと命令であろうと、聖書という書物を通して与えられています。その聖書自体が、文化の制約を受けていることを、私たちは最初に理解しなければなりません。旧約聖書原典はヘブル語とアラム語、新約聖書原典はギリシヤ語で書かれたということは誰でも知っていますが、その言葉が文化そのものなのです。ヘブル語もギリシヤ語も、神が御心の啓示のために特別にお造りになった、無色透明の神聖な言葉ではなく、それぞれの文化を持った人間たちが、実際に日常生活の中で用いていた言葉であり、決定的にヘブル文化、あるいはギリシヤ文化の中で育まれ発展し、ヘブル色、ギリシヤ色をしているのです。従って、聖書の啓示は神の御心の完全な啓示ではあり得なく、あくまでもヘブル文化のヘブル語、あるいはギリシヤ文化のギリシヤ語という枠、制約、限定の中での啓示なのです。

 たとえば、「神は聖であると」ヘブル語で言われた場合、神の本当の聖なる性質は、ヘブル語の「聖」と言う言葉の定義より、もっと広く、深く、高かった可能性、あるいは、「ずれ」があった可能性もあり、ヘブル語の聖という言葉と同じではあり得なかったはずです。しかし、神の御心の啓示がヘブル語で行われた以上、人間はヘブルの文化の中に制約されたヘブル語の、「聖」という言葉の定義で神の性質を理解しなければならず、ここで、神の本当の姿がヘブル語という言葉の中に閉じ込められる現象が起きているのです。神の本質の大きさ深さ高さが、限りある人間の日常の言葉で表現されるはずはなく、御心の深遠さを説明することも不可能だからです。

b.文化の中に与えられた福音

 旧約時代の啓示はヘブル語を通して与えられただけではなく、ヘブル文化の中に生きるヘブル人に対して、すなわち、ある特定の文化の中に与えられたのです。新約聖書も同じことです。その福音は、すでに、神の本来の御心がヘブル文化、あるいはグレコローマン文化に適応された形で与えられていると言うことです。旧約聖書の命令も教えも、数千年も前に、荒野の牧畜をおもな生業とするかたわら、常に周辺諸民族の侵略の危険にさらされ、短時間で耕作出来る麦やぶどうを栽培する、移動性の強い生活をしていた人々を想定して与えられているのです。他民族の侵略も少なく、水と森に囲まれて何代にもわたって治水と田んぼの造成をくり返した、極めて定住性が強いインドシナ半島の人々に与えられたのでも、短い夏にありったけの漁と農作を営み、厳しい寒さに閉じ込められる長い冬には、ただ保存と倹約を美徳として生きていた北欧民族、または豊かな土地に恵まれ、1年中おいしい野生の果実に囲まれて、のんびりと生きるフィリピンの人々に与えられたものでもないと言うことです。

 ちなみに、旧約聖書の物語にも教えにも、馬、牛、羊、山羊、麦、ぶどう、無花果などが随所に出てきますが、水牛も米も、たくさんの南方の果物も、数多くの海の魚も美しい花もまったく出てきません。生活というものはそのような自然環境に大きく左右され、文化というものはその日常生活から切り離せないものです。人間関係や倫理道徳もまた、その自然をもとに築かれます。旧約聖書の教えも戒めも、励ましも慰めも、基本的にヘブル人の文化に合わせて与えられたものであり、与えられたときから、決定的にヘブル文化の色彩を持っているのです。もしヘブル民族が、美しい花が咲き乱れ果物が豊に実る土地に生きていたとするならば、多分、創世記の中のアダムとエバが住んでいた園の描写も、異なっていたことでしょう。荒野を旅するヘブル民族には、花と果物は馴染みのないもので、そのような描写自体が意味のないものであったからです。もし当時のヘブル民族が、仏教伝来前の日本のように、偶像を持たない文化であり、しかも荒々しい海によって隔てられて、他の民族から孤立していたならば、はたして、偶像を拝んではならないという戒めが、あのような形で与えられたでしょうか。

 そういうわけで、聖書の啓示であっても、そのままでは神の御心の普遍的提示ではあり得ないことが多いのです。そのような文化に制約された御心の提示、あるいは特定の文化に適応された御心の提示の、わかり易い例はたくさんあります。たとえば、旧約時代の一夫多妻是認の例、新約の奴隷制度是認の例などがそれに当るでしょう。私たちに託されている役割は、そのような、ある特定の文化の中で掲示されている福音から、文化の特異性を取り除き、神の普遍的な御心を探ることです。福音はある特定の文化を通して啓示されていますが、あくまでも普遍的なものだからです。

 一般に、聖書を読む者は、いま述べたような事を一切無視して、あたかも現在自分が生きている文化の中に与えられた書物であるかのように、あるいは、まさに自分に直接与えられた啓示であるかのように、単純に読み進みます。その場合、読む者は自分の文化を当然の前提として、その文化の色を通して理解し、判断し、取捨選択をします。つまり、自分の文化に合致するところ、自分の文化で意義深く解釈出来るところを取り入れて、そこから、「聖書的意見」を構築して行きます。すると、本来聖書が意味していたところとはかなり異なったことが、聖書的な意見となり、見解となり、それが、より多くの人々に受け容れられると、一つの「聖書的な文化」となって行きます。これが、福音の正しい理解を妨げている最も大きな、また、深刻な問題の一つです。

c.文化を通して理解された福音

 啓示がヘブル語やギリシヤ語を通して与えられたということは、それらの言葉を話していた人々の言葉の定義、言葉の理解を通して理解されたということです。言いかえると、神が意図してお選びになった言葉が、神の意図された通りの意味で、人々に理解されたという保証はなかったということです。言葉はすべての者に同じ定義で理解されているのではなく、個人個人の体験や経験によって微妙に異なるのです。同じ言葉を話す人々に、同じ文章が渡されても、百人百様の理解が生まれるのです。しかも、ヘブル語やギリシヤ語が多くの異なった言語に翻訳され、本来の意味からわずかずつ異なった意味にされてから、さらに、異なった言葉の定義を持つ個人個人に解釈されるのです。神が意図されたとまったく同じ意味に理解されることは、非常に少ないと言わざるを得ません。

 たとえば、愛という言葉を考えて見ましょう。愛という言葉がヘブル文化に与えられたとき、その言葉はあくまでも大家族、族長家系のヘブル文化の中で理解されました。現代個人主義文化のアメリカの「Love」ではあり得ませんし、明治時代になってから、西洋の文章の翻訳語として作り出された「愛」という言葉で、初めて愛という観念に接した日本人の理解する愛でもありませんでした。「隣人」という言葉も、青草を求めて常に移動して歩くテント生活の遊牧民族と、長年にわたって水を治め、田んぼを築き上げ、収穫を待つ定住民族の理解は相当異なるでしょう。遊牧民の隣人は「すれ違い」の隣人であり、定住民の隣人は「生まれたときから死ぬときまで同じ」隣人です。ともかく、「愛」にしても「隣人」にしても、私たちは自分の言葉の定義でそれを理解し、聖書が意図した「愛」、あるいは「隣人」という意味を、寸分の狂いもなく受け取っているのではないのです。

 とはいえ、類似の文化に生きている者たちは、類似の理解と解釈をする傾向があるため、類似の文化の中ではその理解と解釈が互いに確認し合うことによって、たとえ誤っていても正しいと勘違いされ、文化を通して理解された、誤った福音が固定してしまうのです。

d.文化の中で理解され受け容れられた福音

 聖書の教えというものが、ある特定の文化の中で一般的に受け容れられるには、その文化の中で「受け容れられるだけの意義」があるからです。たとえば、魚のうろこを剥がすことに関しての命令があり、その命令の基本は清潔であったとしましょう。この命令を聞いた人々が、そこに何らかの意味と意義を感じるのは、魚というものを知っている人々であり、それを捕獲し、扱い、食べる文化を持つ者です。魚を知らない人々、魚を食べない人々には、恐らく何の意味も意義もないことでしょう。魚に関する命令は、魚を食べるという受け皿の文化があって理解され、それが自分たちにとって、何がしかの益があると判断されて受け容れられるのです。また、魚を大量に扱う人々の間では、最初の命令から、いろいろと事細かなさだめ事も作り出され、始めの命令と変わらないほどの力を持つようになるでしょう。そのような文化の発展の過程において、しばしば価値の入れ換えが起こります。つまり、最初の命令は清潔という概念から与えられたものであるにも拘わらず、それが理解されないまま、いつの間にか、美観だとか、取り扱いやすさだとか、経済的価値などというものが優先されて行くようになります。

 これと同様なことが、神の啓示とユダヤ文化の、あるいはグレコローマン文化の中でたくさん起こったことでしょう。例を挙げると、旧約聖書の家長に対する教え、新約聖書の父にたいする教えは、あくまでもそれぞれの族長社会、父系家族の中で理解され、受け容れられ、発展させられたことでしょう。そのような中で「父なる神」という大切な概念も理解されているのです。あるいは、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」という、あの有名なみ言葉も、原則的には、当時のグレコローマン文化の家族制度、父親の権威や立場というものがあって、はじめて与えられた約束なのです。ところがこの聖書の言葉が、たとえば現代の日本の核家族文化に持ち込まれると、まったく異なったことになります。ちょうど、魚を知らない社会に魚についての命令が与えられるようなものです。それを理解する受け皿の文化がないために、その重要さに気付かず、無視されるか軽視されてしまいます。また、聖書の本来の意味から、遠く隔たった解釈が施されてしまうことさえあります。たとえば、伝統的家族制度を知らず、家長の権威にもなじみのない核家族文化の中で、「約束に立って」家族の救いを信じているのは、「信仰」としては否定出来ませんが、み言葉の解釈と適用としてはふさわしくありません。神の啓示は、文化の中でふるいにかけられ、たとえその文化に反するものであっても、あるいは間違った解釈であっても、何らかの意義があると認められ、はじめて受け容れられ、発展させられて行くのです。聖書の啓示すべてが公平に、また正しく受け容れられるのではないのです。

e.文化に適用された福音

 神の啓示が与えられ、その啓示が自分たちの文化のなかで何らかの意義があると認められ、受け容れられると、次に、その啓示の文化的な適用が起こります。啓示を自分たちの生活文化に都合良く理解し、都合良く発展させたいわゆる「聖書的な」文化を作り上げて行くわけです。

 徹底した近代個人主義の理念に立つアメリカでは、聖書の教えの中から、自分たちの個人主義に合致し、それを擁護し、強化し、発展させるような教えや表現を見つけ出そうとします。そして、それらをつなぎ合わせて、あたかも、聖書は個人の尊厳を説き、個人主義を教えているかのように主張し、キリスト教は個人主義の宗教であるかのように語ります。さらに個人主義の一つの頂点である民主主義が、聖書的な制度であるかのように考えられるようになります。そのような思想的な発展の過程で、聖書が教えている多くの「反個人主義的教え」や「反民主主義的教え」は、最善の場合でも軽視され、ほとんどは気付かれもせず、無視されて行くのです。同様なことが資本主義経済という文化についても起こります。資本主義経済文化の中で聖書を適用すると、繁栄の福音などという化け物まで、「聖書を用いて」正当化されてしまうことすら起こるのです。

f.文化と混同された福音

 聖書の啓示あるいは福音が、特定の文化に適用され、その適用の中で発展させられて行くと、必ず、福音と文化の混同が起こります。何が本来の聖書の教えであり何がその適用なのか、一般庶民にはわからなくなってしまうのです。

 東京のキリスト教系大学の学長が、あるとき講演会の講師として招かれ、「先生はクリスチャンでいらっしゃいますから、当然、ヒューマニストであられるわけですが」と紹介され、愕然としたということです。日本では、クリスチャンとは博愛主義者であると、一般的に考えられているようです。博愛主義をヒューマニズムと理解してのことだと思いますが、ヒューマニズムは人本主義であり、基本的に、クリスチャンの考え方と真っ向から対立するものです。それにも拘わらず、戦後の日本を圧倒した民主主義と平和主義、あるいは博愛主義などが、クリスチャンたちの間でも「聖書的」思想として受け容れられ、一般日本人たちの間でも、クリスチャンがもたらした考え方という認識があったために、こうした誤解が起こったと考えられます。そして、このような文化と福音の混同と誤解は、他にも実に様々な形で存在しています。

 たとえば、西欧のクリスチャン、特にアメリカのクリスチャンは、物事の白黒をはっきりさせたがります。神は絶対の善であり、悪魔は絶対の悪であることは私たちも認めますが、それを相対的人間世界にまで持ち込んで、「ハイはハイ。いいえはいいえ」というみ言葉を引用して正当化しようとするのには、ちょっと着いて行けない気がします。

 これは、基本的に、移動性の激しい生活をしている人々の文化です。互いに見ず知らずの人々と公平に商売をし、短い期間だけ共に生活しなければならない彼らにとって、一番大切なのは「事実」であり、事実を認め、事実に立って判断する正直さであり、事実にのっとって行動することです。事実が「正」なら「はい」で、「反」なら「いいえ」です。そのような単純な事実に立ったやり取りでこそ、初対面の人間とも交渉が出来るのです。ですから、アメリカ人にとって最大の侮辱は、「嘘つき」といわれることです。(アメリカ人には絶対に言ってはならない言葉です)

 ところが、定住生活者の間で大切なのは事実ではなく、「人間関係」です。生まれたときから死ぬときまで、いつも一緒に生活して行く人々の仲では、みんなお互いに良く知っています。生活に大きな変化も多くは起こりません。事実などというものは「周知の事実」であり、いまさら、ことさらに取り上げるべきものではありません。大切なのは、複雑な社会で良い人間関係を作り上げる優しさ、親切さ、思いやり、強さ、忍耐深さなどです。ですから、「事実」は「優しさ」や「思いやり」に譲ります。優しさのゆえの嘘は、真実を告げるだけの正直より良いのです。たとえば、アメリカの病院では患者に癌の宣告をします。事実が大切で、人間は事実に対面して生きるべきだからです。日本の病院ではそこまで割りきれません。優しさと思いやりが表に出てきて、嘘の病名を告げることになります。ですから日本では、「嘘つき」という言葉はアメリカほどの侮辱にはなりません。たとえ冗談交じりであっても、平気で「俺は嘘吐きだ」などと言ってはばからないのです。アメリカでそんなことを言っては、社会的に自滅します。

 ですからアメリカ人は、クリスチャンは事実を告げるべきだといいます。表面的には、確かにそれが聖書の教えのように聞えるでしょう。しかし、それは生活環境が生み出した価値観による、聖書の解釈の一つにすぎません。それが自分たちの生活環境に適合するものであり、大多数の人々がその解釈を認めて生きるようになると、それが社会の常識となり、聖書的文化となり、聖書そのもの、福音そのものと混同されてしまうのです。

 このように白黒善悪をはっきりさせ、善が勝ち悪が負けると考える単純さが、平均的アメリカ人の精神構造です。アメリカが作り出すエンターテイメントは、ことごとく単純な善悪の世界です。プロレスから、映画、コミックまで、さらには政治まで勧善懲悪です。恐ろしいのは、多くの一般的アメリカ人が、自分を善の方に入れていることです。福音の宣教も、この勧善懲悪の単純な精神で行われている可能性が強いのです。キリスト教は善。その他の宗教は悪。打ち叩かれ、こらしめられるべきものです。

g.文化と癒着した福音

 福音が文化と混同されてしばらくたつと、福音と文化の同一化、癒着現象が起こります。例えば、日本にもたらされた福音は、多くの場合、アメリカを回って来たものです。その福音は、決定的にピューリタニズムとメソジスト主義の影響を受けていました。さらに、ホーリネス運動の影響を受けていた場合も少なくありません。これらはみな、大いに素晴らしいものではありましたが、福音そのものではなく、あくまでも、ある特定の時代にある特定の文化の中で、福音の種が蒔かれ、それがその文化の中で育ち花を咲かせたもので、アメリカ文化の枠内で、アメリカのキリスト教文化と呼ばれる小型の文化なのです。

 これらのキリスト教文化は、それがキリスト教文化であると言うことを理解されないまま、キリスト教そのものとして受け容れられて行きました。多くのアメリカ人宣教師に取っては、ピューリタン的考え方、メソジストの厳しい生きかた、ホーリネスの聖い生活が、「すなわちクリスチャン」であったわけです。彼らはそのような考え方と生き方を、熱心に、すべての人間に広めようとしました。福音宣教の情熱と献身を持って、自分の価値観を他の者にも強制したのです。彼らには、それが間違ったことであるとは思いも及びませんでした。彼らにとっては、それが、福音の宣教そのものであったからです。ここに福音と文化の癒着があります。

 かなり前のことになりますが、南太平洋の小島に宣教師として住んでいたアメリカ人が、「感動的レポート」を送りました。「とうとう、トップレスの女性たちに、ブラウスを着せる事に成功しました。」極端な言い方をすると、福音は、ブラウスを着る文化的だったのです。   

h.文化的侵略と福音

 日本に入って来たアメリカ回りの福音は、このようにアメリカ文化と癒着した福音でした。その癒着は、おおよそ人間の生活に関するすべての面に及んでいます。文化と癒着した福音が、癒着した文化の中にとどまる限り、文化と福音の間に「平和共存」が存在し、人々にとって好ましい状態が持続して行きます。しかし、その癒着した福音がひとたび異なった文化に遭遇すると、その文化と摩擦を起こし、軋轢を生じ、衝突を生み出してしまいます。福音が衝突する前に、福音と癒着した文化が衝突を起こしてしまうのです。

 戦後の日本では、それまでの軍国主義や滅私奉公が間違いであったと公に宣言され、教育基本法が導入され、「個の尊重」が叫ばれ、表面的には民主主義教育が広く受け容れられるようになりました。そのような中で、それまでは徹底して退けられていた、アメリカ型の、すなわち個の尊重の思想や民主主義と癒着したキリスト教は、新鮮な新しい文化として、少なくても表面的には歓迎されました。しかし、日本人の集団主義、共同体主義、個よりも公を尊重する文化は、簡単にはなくなりませんでした。教育の場や理念の問題としての個人の尊重は、一定の承認を得たと思われますが、日常生活の中、意識の深いところでの集団主義は、まだまだしっかりと根を張っています。事実、いまも、個よりも公を大切にしようという考え方の人たちが、教育基本法を改定しようと意気込んでいます。

 このような現在の日本において、個人主義と癒着した福音を宣教すると、個人の大切さを強調したアメリカ型教育の影響を受けた、理念に走る傾向のある人間には受け容れられるでしょう。しかし、個人の尊厳よりも共同体、公共性を重んじる傾向のある大多数の実際的な日本人には、なかなか受け容れられません。たとえ、個人主義的福音を受け容れることが出来たとしても、日本の社会構造自体が、個の尊厳からは程遠いところで築かれているため、日本の社会で生きる限り、大変大きな社会的軋轢を感じ、終には信仰を放棄することにさえなるのです。

 つまり文化と癒着した福音は、その癒着した文化が宣教地の文化と類似しているならば、違和感なく受け容れられ、取り入れられて行くことになるでしょうが、まったく異なった文化にある宣教地では、付着した文化が文化間軋轢、文化間衝突を起こし、拒絶されてしまうことになります。それにも拘わらずその福音が、ほかの要素、例えば経済力や技術力を背景に、力を持って侵入してくると、福音宣教が文化的侵略と受け取られ、非常に強い反発を呼び起こし、福音の妨げとなってしまいます。

 個人の自由、個人の信仰を重んじるあまり、家庭の和をほとんど省みないキリスト教、共同で行う地域の活動を敵対視するキリスト教、日曜日の学校活動を信教の自由を妨げると言って裁判に訴えるキリスト教が、日本において、どれほど大きな福音の妨げになっていることでしょう。これらのキリスト教は、文化と癒着した福音を本物の福音と間違って信じているキリスト教です。私たちに届けられた福音が、個人主義のアメリカではなく、もっと集団、社会、共同体などというものが重要とされている文化の中で、受け容れられ、適用され、発展させられていたならば、日本人も、福音に対して随分異なった対応をしていたのではないかと考えます。聖書の中には、たしかに個人主義の土台となる思想があります。しかしまた、集団や共同体の大切さをも示しています。本当のところ、聖書は個人の品性に関する倫理よりも、集団生活者としての倫理に重点を置いているのです。

 以上のような、文化の問題の深刻さに、最初に遭遇したのが使徒パウロです。パウロの時代のクリスチャンたちは、大部分がユダヤ人であり、ユダヤ文化の中で、ユダヤ文化を前提として福音を理解した人々です。福音自体が、ヘブル語というユダヤ文化の「乗り物」を通して提示されていました。彼らが、その福音を、徹底的にユダヤ的な感覚で理解して行ったのも無理からぬことでした。自分たちの文化に都合良く解釈し、理解し、納得し、都合の悪い点には気付かないか、気付いても、自分たちにとってはあまり大切な事ではないと、無視してしまったのです。こうして、ユダヤ的福音理解が固まって行きました。このユダヤ的福音の理解、ユダヤ化した福音、ユダヤ文化と癒着した福音は、ユダヤの文化圏にとどまっていた限り、問題は表面化しませんでしたが、ひとたびユダヤ文化圏を越えて異邦人に及んだとき、まさに危機的な問題として浮上し、教会全体を大混乱の中に陥れたのです。

 パウロも、ユダヤ化した福音がユダヤの文化に留まる限り、それに反対はしませんでした。具体的には、ユダヤ人が自らの文化習慣として神殿礼拝を続けること、髪を剃ること、あるいは律法を守ることにも反対しませんでした。(使徒21:20−26) そればかりか、救いとは関係なく、純粋に文化的なアイデンティフィケーションの問題としてならば、弟子のテモテに割礼を受けさせることさえしています。福音がある特定の文化の中で、意味のある物として取り入れられ、吸収されて行くことを否定しなかったのです。ところが、このユダヤ化した福音が異邦人にまで適用される、あるいは強要されることには、決然として抵抗しました。パウロの福音は、神殿礼拝も割礼もユダヤ人優位主義も、排除して行ったのです。それは、ユダヤ的福音の理解をもって満足していた者たち、それに納得していた者たちの間に騒動を起しはしましたが、より深い、新しい、正しい福音理解へと導き、ユダヤ教と言う民族宗教の一派に過ぎなかった「この道」の教えを、民族を超えた普遍的宗教へと生まれ変わらせたのです。

 ユダヤ人たちは、自分たちの民族的な伝統と福音を混同し、癒着させてしまい、その福音を異邦人にも強要したのですが、パウロはこの民族的伝統を、福音の本体、福音そのものから識別し、これを剥ぎ取り、削ぎ落とし、裸の福音、福音の本質を、異邦人たちに提示しようと奮闘したのです。つまりパウロは、福音と文化とを峻別していたのです。それが彼の割礼と無割礼、律法と恵、行いと信仰の神学的戦いとなって現れたわけです。現代の私たちに必要なのは、この、パウロの努力です。すなわち福音の本質と文化的付随物とを峻別し、本物の福音が何であるかをしっかりと理解する事です。

2.神が与えてくださった福音を理解する 

 これまで述べて来たことで、私たちが受け容れ、それによって救われ、それによって生きて来た福音が、必ずしも神がお与え下さった福音と同じものではないばかりか、実はかなり異なっていた、文化と癒着した福音であったと言うことがわかりました。この福音から、パウロが行ったように癒着している文化を剥ぎ取り、神が与えて下さった福音そのものを理解するためには、どうしたら良いのでしょうか。

a.危機感を持つ

 自分たちが信じ、それに立って来た福音が、はたして本当に神がお与えになった福音そのものであるか、常に考え吟味する、危機感がまず必要です。すでに学びましたように、厳密な意味においては、福音が文化に影響されないまま私たちに伝えられることは、あり得ないのです。聖書の啓示は常に文化を通して与えられ、文化を通して伝播されているのです。自分たちが聞かされたとおりの福音を、ただそのまま信じ受け容れるだけではいけません。常に聖書に帰り、はたしてそのとおりであるかどうか、聞いたことについてしっかりと調べなければならないのです。

b.文化というものに洞察をもつ

 聖書の啓示、解釈、適用のすべてに、文化が決定的にかかわっていることを厳粛に認め、その文化に深い理解と洞察を持つことが必要です。自分の国あるいは民族や地域の文化を良く理解すること、さらには、福音が通過して来た土地と時代の文化についても、洞察が必要です。自分の文化を理解するためには、その文化を外側から眺める客観性が必要です。つまり、日本人ならば日本という国を離れ、異なった文化の中で生活しながら、改めて日本を見つめ直すことが必要です。物理的に日本を離れるのが不可能ならば、少なくても精神と理念において日本を離れて見るべきです。森の中にいては、森は見えません。見えるのは木だけです。森の外に出て初めて森が見えるといいます。様々な文化を体験し実感することにより、文化を相対的に学び、客観的に見ることが出来るようになります。

 特に日本と言う国は、地理的に他の文化から隔離されたまま、押しなべて日本全土に共通な文化を築き上げてきました。様々な事柄に対する感じ方や受け取り方、あるいは対処の仕方が、日本の中では共通と言えるほど類似しているために、日本人はそれを自分たちの共通認識、いわゆる「常識」として大切にして来ただけではなく、それが、世界中どこででも通じる常識だと、何となく、当然のように思い込んで来ました。そしてそれが、実は、世界の中では非常識であることに気付くことはまずないのです。日本人に必要なのは、日本以外の文化があるという事実に目を開き、国際的な文化感覚を養うことです。

 そのように、文化に対して客観的な目を養い、それを持って伝えられた福音を見なおし、聖書を読み直すことが大切です。そのために非常に有益なのは、つい最近まで宣教地と言われていた、様々な国から発信されているクリスチャンたちのメッセージに、耳を傾けることです。実に多種多様な文化背景を代表するクリスチャンたちが、欧米一辺倒の福音解釈、福音理解、福音の適用に納得出来ずに声を上げはじめています。それらのほとんどが、まだまだ欧米キリスト教思考の殻を破るほどの力を身に着けていない意見です。しかしその中にも、民族的な、あるいは文化的な目覚めが読み取れる場合が少なくありません。彼らの言っている事が皆正しいのでも、聞くに値するのでもありません。しかし、確実にキリスト教世界は変わりつつあります。彼らの意見に広く心を開いておくことによって、すなわち、普遍的福音に対する、より幅広い世界的意見を聞く態度を持つことによって、正しい福音理解に少しでも近づくことが出来るはずです。私たちはどのように努力しても、自分の文化から離れてものごとを考えることが出来ないために、より広く多くの異なった文化の人々の感じ方、見方、考え方を参考にし、多角的な視野を得ることが不可欠なのです。

c.伝えられた福音から文化的解釈や適用を剥ぎ取る

 私たちに伝えられた福音から、聖書そのものの教えと、福音が通過して来た国や地域の文化の中で理解され、解釈され、適応され、構築されて来たものとを識別し、峻別する作業が必要です。

 たとえば、クリスチャンは酒を飲まないということは、悪いことではありません。というより、良いクリスチャン文化と言えるでしょう。しかし、それが福音の一部として語られてはいけないのです。それは、聖書の原則の文化的適用に過ぎないからです。聖書の原則をその適用から一度切り離して、切り離された原則を語ることが大切なのです。酒をたしなまないというのは、あくまでも、神と人の前により良い生活を目指すという、クリスチャン倫理の適用の一つなのです。そして酒を飲まないというのが原則ではなく適用であるとわかれば、その適用のし方には幾つもの異なった方法があり得ることもわかります。

 聖書は、酒に酔うと言うことは「原則的に」禁じています。それは文化を越えたクリスチャン倫理となるべきものです。しかし、ひとたび酒に酔ってしまったならば、大罪を犯したのであり、もう、クリスチャンと呼ばれる資格がないなどと考えられるほどの罪ではありません。カナの結婚式での事を公平に読み取ると、キリストはやはり、きちっとアルコールの入った本物のぶどう酒を準備してくださったと考えるべきですし、すでに相当に酔いの回った者たちがいたであろうこと、その者たちがさらに、キリストが準備なさった最高のぶどう酒を呑んで、もっと酔っ払ったであろうことも想像出来ます。結婚の宴のような、社会的に大切な場においての酒に対しては、キリストもおおらかであったことがわかります。パウロの記述を読んでも、わかることは、食事の一部として酒をたしなむこと自体は、教会においてさえ許されていたと言うことです。(Iコリ11:21) ただ彼はおもに、ユダヤ人社会ではあまり見られなかったような、異邦人社会における酔っ払いとそれに伴う騒動の問題に、具体的な対処を試みていたように考えられます。

 ともあれ、飲酒に関する聖書の教えは、ピューリタン主義、メソジスト主義、ホーリネス主義のキリスト教文化とは、少しばかり異なっていると言わざるを得ません。アメリカ経由の福音的キリスト教の多くが、個人主義の厳格なピューリタン的立場を強調し、社会生活を無視する傾向を持っていることが、社会生活を大切にする文化における宣教を困難なものにしている事実は、深刻な問題として認識されなければなりません。[1]

 多分、飲酒のような生活習慣の問題よりもっと深刻な問題に、神学の分野があります。神学というものは、聖書の文化的な理解、解釈、適応、構築の集積です。たとえば、私たちが非常に大切にしている組織神学は、決定的にギリシヤ思考の影響を受けています。現在私たちに伝承されている組織神学は、「聖書は私たちに何を伝えようとしているか探り出す」学問ではなく、「自分の知りたいことを聖書の中から探し出す」、いわば興味本位な学問だからです。ですから、組織神学の中の神論において、私たちは知性の欲求に基づいて、神の性質、その本質だとか属性について長々と学びます。しかし、聖書が本当に強調しているのは、贖いの愛を実行なさる神、救いをもたらす神、宣教の神なのです。

 神学の多くは、聖書が伝えようとしていることを正確に学ぼうとする態度より、その時々の世界状況、哲学、思想、経済などの環境に誘発され、それぞれの状況の必要に応じて発展させられて来たものです。ですから、西欧で発展させられて来た神学が、経済的にも、政治的にも、社会機構の上でも、とにかく文化的にまったく異なった実情にあり、まったく異なった必要を抱えている多くの、アジア、アフリカ、あるいはラテンアメリカ諸国の人々への答えにはなり得ないばかりか、多くの場合、異なった文化への適用としての神学的枠組みの中で福音が語られることになるために、その神学が、福音の妨げになってしまうのです。

 また問題は、単に福音が地理的に異なった文化に伝えられるときに、限られるものではありません。時間的に異なった文化に持ちこまれるときも同じです。現在、かつての西欧で発展され構築された神学は、その同じ西欧諸国においてさえ受け容れられないものになっています。いわゆる時代遅れになっているのです。現在西欧諸国で語られている福音は、現代西欧諸国の文化に馴染まない、時代錯誤の神学的適応と、実際的適応を伝統として抱え続けている福音なのです。ですから、大多数の人々は福音を受け容れられずにいるわけです。

 文化は絶えず変化し続けるものであり、福音の適応もまた、文化に応じて変化し続けるものでなければなりません。しかし、ひとたび適応が順調に行われ、それが定着し、伝統となると、それを変えることは至難の業となります。特に宗教的伝統というものは、変わらない事に価値があるようにさえ言われます。明確にしておかなければならないのは、適応で不変なものはないと言うことです。不変なのは福音の本質なのです。

 カニという動物は、よろいのような硬い殻をまとっています。ひとたび殻が形成されると、それは硬化して変化出来ないものになります。時間がたってカニ自身が成長すると、かつてはちょうど良かったその殻が、小さくなってしまいます。それで、カニは常に殻を脱ぎ捨てながら成長するのです。それをしなければ、カニは死んでしまいます。教会も常に自らが作った殻を破って行かなければ、身動きが取れなくなり、遂には死んでしまうのです。

d.聖書の文化的適応の中から原則を見出す

 聖書が文化的に無色透明な中に与えられたのではなく、色彩豊かなそれぞれの文化に適応された形で与えられているという事実から、私たちはその中でどれが文化的適応の部分であり、どれが本質的で、普遍的な部分か、つまり、本当に神が意図しておられる部分か識別して行かなければなりません。あるいは文化的適応の中に隠されている本質的な部分、原則を探り出さなければなりません。

 アメリカでは、車は道路の右側を走行し、イギリスでは左側になります。正反対の法律です。しかしこれは、同じ原則に立った法律です。法律は同じ「安全」という原則に立っていながら、その適用において異なっているだけです。同じ原則でありながら、正反対の適応があるのです。複雑な人間生活の中には同様な、あるいは類似した事柄がたくさんあります。表面的にはまったく異なっており、相反するように見えていながら、実は同じ原則にのっとっているのです。いま聖書を読む私たちは、聖書の文化的適用の部分を読んで、その中の原則を見出す努力をしなければならないのです。このような作業をするために、文化的洞察を養っておく必要があるのです。 

 また、この作業をより厳密かつ正確に行うには、当然、聖書の原語と聖書が与えられた文化を理解することが不可欠になります。また、これらのことを一人の人間がすることは到底不可能です。教会全体の働き、普遍的教会の働きとして行って行かねばならないのです。宣教という課題に取り組む私たち個々人に必要なのは、常にここで学んだ事柄にたいして目を開き、心を開いていることであり、その中の一つでも二つでも、自ら実行することです。

 たとえば、すでに述べた事ではありますが、初代の教会を理想の教会と考えて、初代の教会に帰ろうと言う人たちがいます。彼らは初代の教会こそが、神が意図された教会であると信じて、あらゆる意味で、初代の教会の姿を模倣しようとします。しかし、初代の教会は決して理想の教会ではなく、当時のグレコローマンの世界、それぞれの土地の状況に応じて建てられた教会であり、間違いも弱さもかかえ持った教会です。私たちは、それらの教会の姿を、当時の文化状況と照らし合わせながら注意深く学び、その中から、神の御心の中にある教会の姿、普遍的教会の姿を学びとって行くべきであって、単純に模倣すれば良いというものではないのです。

 良く知られているように、聖書の中には、子供は鞭で叩いて訓練するべきであるとか、女は髪を長くしなければならないとか、ベールをかぶるとか、髪を編まないとか、教会では発言しないとか、奴隷は主人に従うとか、聖書が書かれた時代の状況へ適応した教えというものが数多くあります。それらの適応を注意深く比較検討して学び、その中から原則を理解して行かなければならないのです。

B.福音の本質を語る 

 私たちが福音と文化の関わりを正しく理解し、細心の注意をもって、福音に癒着した文化を剥ぎ取り、福音の本質を把握出来たならば、次に必要なことは福音の本質を正しく語り伝える努力です。もちろん、私たちが厳密な意味で福音正しく把握することは不可能であると、すでに学びました。同じように、厳密な意味で、福音を正しく語り伝えることもまた不可能でしょう。私たちは、人間の言葉という不完全な媒体を通し、文化という乗り物に乗せなければ福音を伝えることが出来ないうえに、それを聞く者たちも、自分たちの言葉の定義という文化の「ふるい」を通して聞き、また理解するのです。しかし、神はその不可能な働きを敢えて人間にお任せになったのですから、ある程度の曖昧さが残ることを、はじめから認めていてくださるのでしょう。とはいえ、出来るだけ正確に福音の本質を伝え、不要な文化的躓きを作らないように心がけるのは、私たちの務めです。    

1.福音の本質と適用の違いをわきまえて語る

 福音を正しく語り伝えるための第一歩は、福音の本質と適用の違いをはっきりわきまえた上で、それを明確にして語ることです。

 福音の未開地、あるいは福音を聞いたことのない人たちに福音を語るときは、どうしても具体的な日常生活に密接した問題、あるいは福音の力の具体的な現れから始めることが多くなります。つまり、人生の問題に悩む人には、その問題から解放して下さるキリストを語り、病の人には癒し主なるキリストを紹介します。あるいは証をするならば、キリストがどのようなすばらしいことをしてくださったか、出来るだけ日常の具体的生活に密着したお話をします。そのようにしなければ、福音は単なる観念的な形而上学の問題にすり変えられてしまい、ほとんど力を持たなくなってしまうからです。

 そういうわけで、私たちの福音の伝達においては、特にその初期段階においては、福音の本質よりも適用部分のほうが多くなってしまうのです。福音を語る者は、常に、ここに危険性を感じていなければなりません。福音の適用ばかりを語っていると、福音の本質が隠され、ないがしろにされ、やがては無視されてしまうようになると言うことです。たとえば、タバコを吸わないというクリスチャン倫理は、神に与えられた身体を大切にする、あるいは、聖霊の宮をきよく保つという福音的信念に立った良い習慣ですが、タバコを吸わないことに強調点を置いて教えて行くと、タバコを吸わないことがクリスチャンであり、タバコを吸う者はクリスチャンでないと言う、単略的な律法主義に陥って、教会の中に分裂と差別を生み出してしまいます。タバコを吸わないことは、簡単に腹を立てない、他人を見下さない、あるいは噂話を撒き散らさないのと同じように、クリスチャンにとって良いことです。だからといって、それが出来ないからクリスチャンではないという代物でもありません。そういうわけで、たとえ福音の導入部として、まず、適用を多く語らなければならないとしても、そこに、いつまでも留まり続けてはなりません。出来るだけ早く本質に至り、本質を明確に提示しなければならないのです。

 さらに、福音の本質よりも適用について多く語ると、どうしてもある特定の状況と環境の中で解釈された解釈、あるいは適用された適用が、異なった状況と環境の中に持ち込まれることになってしまいます。厳密に言うと、すべての人間が異なっており、異なった背景と経験と環境をもっているのですから、福音の適用もまた、微妙に異なるはずです。ある人にとっては、日曜日の礼拝会に出席するために仕事をも休むということが、神に対する信仰の行為として素晴らしいものであり得ますが、他の人にとっては、仕事を休んで日曜日の礼拝会に出席するという同じ行為が、とんでもない反社会的行為であり、クリスチャンとして絶対に行ってはならないことでもあり得るのです。しかし、本質をないがしろにして適応が多く語られると、個々人の違いが無視され、同じ適用が押しつけられることになるのです。

 個人の問題として捕えてさえもそうなのですから、文化の違いと言うことを考えると、問題はさらに大きくなります。パウロは、異邦人の宣教を推進して行く中で、意識して福音の本質だけを伝える努力をしていたようです。その結果、彼が語り伝えた福音は、エルサレム教会のユダヤ人クリスチャンたちが、当たり前のこととして理解していた福音とは異なっていたのです。ユダヤ人たちは自分たちの文化の中で、自分たちの文化を当然の前提として生きながら、その文化の中に与えられた福音を理解しました。福音の文化的適応があまりにも円滑に行われた、というより、彼らの場合、福音そのものがユダヤ文化に適応された形で与えられたために、福音の本質とそのユダヤ的適応の相異などには気付くこともなかったのです。

 ところがパウロは、癒着していたユダヤ文化を福音から切り離して、福音だけを語ったのです。割礼は神から命令されたことであり、ユダヤ人の誇りとする文化でした。ユダヤ人がそれを守ることは当然であり、ユダヤ人になろうとするすべての異邦人男性が、まず受けなければならない儀式でもありました。しかしその割礼を、救われようとするすべての異邦人に強要するということは、異邦人は、まずユダヤ人にならなければ救われないと、主張していることであり、ユダヤの文化と癒着した福音を語ることでした。

 パウロは、ユダヤ人も異邦人も、同じ一つの原則でクリスチャンになれること、救いに関してはユダヤ人異邦人の差がないことを、すなわち福音の本質を、言葉と行いで示したのです。多くの一般的ユダヤ人クリスチャンは、パウロのように鋭く物事の本質を見抜く力を持っていなかったでしょう。そのために、知らず知らずの内に、福音以外のものを含んだ福音、不純な福音、パウロの福音とは異なった福音、そのような福音を語る者は人間だろうが天使だろうが呪われるべき福音、文化と癒着した福音を語ることになってしまったのです。(ガラテヤ1:8〜9)

 福音の本質を語るという原則は、聖書の教えそのものと、その教えの適用を、よくわきまえて語ると言うことに繋がります。私たちの教会で、仲間たちの説教を聴いていると、聖書の教えをしっかり解釈し、理解し、それをきちっと語ることをないがしろにしたまま、日常生活のこまごました問題への具体的適用ばかりを話している場合が少なくありません。このような説教では、聞く者は自分で考える必要もなく、抱えている問題への手短な対応と解決法を入手することが出来、安易な助けになります。ですから、受けも良いことでしょう。しかし聞いている者は、適用が聖書の教えであるかのように考え、それが福音であるかのような錯覚を起こしてしまいます。いつまでたっても聖書の教え自体に触れることがないまま、終わってしまうのです。このような錯覚の中にいる信徒が福音を語ると、パウロが呪われよと言わねばならなかった種類の者、すなわち、文化と癒着したままの福音を語る者になってしまいます。

 福音は文化を通して与えられ、文化の中に与えられ、文化を通して伝えられているために、それを聞く者もまた文化を通して聞きます。つまり、聞く者には福音よりも文化の方が先に届くのです、福音そのものより、文化的適応の方が先に聞かれ、福音そのものとし理解されることのほうが多いのです。ですから、福音を拒絶していると思われている多くの人々は、実際には、福音を拒絶する前に、福音と癒着している文化を拒絶することによって、福音をも拒絶してしまっているのです。福音を聞いた者が、伝えられた福音から文化的な要素を識別するのはまず不可能な事です。ですから、まず、福音を語る者が文化に洞察を持たなければならないのです。

2.異文化の中での適用は最低限に抑えて語る

 日本人の説教者が日本で福音を語る場合には、たとえ講壇から適用を語ったとしても、福音そのものと福音の適用の違いを明確に示しながら語ることによって、ある程度危険性も排除出来、それなりの正当性があります。しかし、異なった文化の宣教地で、たとえば宣教師がそれを行うことにはかなりの問題があり、細心の注意が必要です。宣教師たちは、異なった文化にある現地の生活、人間関係、社会機構などを知らぬまま、自分の育った文化を前提にして語ることが、非常に多いからです。そのような場合、良くて的外れ、悪い場合には文化の衝突を起こし、文化と共に福音までもが拒絶されてしまうのです。

 著者がフィリピンの聖書学校で寮生活をしていた頃、舎監をしていたアメリカ人宣教師が、「盗みをしてはいけない」と言い続けていました。寮生たちの歯磨き粉だとか、石鹸だとか、便箋だとか、こまごましたものがしばしばなくなり、欧米系の学生たちから不平が出ていたからです。貧しい東南アジアの学生たちが、失敬していたわけです。

 しかしこれは、これを「盗み」と考えて厳しく取り締まろうとした欧米系のクリスチャンのたち間違いです。彼らは、東南アジアの貧しい国に来ていたのですから、東南アジアの貧しい国の一般的な人々の生活文化を知り、それに馴染むのが人としての仁義であったのですが、自分たちの個人主義の生活感覚と倫理を、無意識の文化的優越感によって持ち込んでしまったのです。

 貧しい東南アジア諸国では、普通、個人の所有物は非常に限られています。ほとんどの物は、家族の共有、あるいは同じ集落の者たちの共有とされています。同じ屋根の下に住む者が、所有物の多くを共有するのは当然であり、いちいち許可を得て、断ってから使うなどと言うことはしません。そんな事をすると、かえって叱られてしまいます。「俺をそんなケチとおもうのか」と言うことです。田舎に行くと、同じ集落にある他人の家の庭の木から、果物を取って食べるのも自由です。わざわざ断ってはなりません。その木の所有者は、心の広い親切な人で、決して駄目だなどとは言わないことになっているからです。

 さらに、東南アジアの多くの国では、少しでも余裕のある人は、貧困にあえいでいる人を助けるのが当然で、蓄えがあるのに、貧しい者がいることに気付かずにいることのほうが悪なのです。このような文化背景から聖書学校の寮に入って来た、大多数の東南アジア系の学生は、自分たちの生活様式を守って、幾分余裕のある西欧系の学生の所有物を断りもなしに使って、彼らの悪をそれとなく正していたのです。

 舎監のアメリカ人に、著者はその事を指摘してあげたのですが、舎監は、「盗みは盗み」と言って譲りません。「白は白、黒は黒」というわけです。それで、舎監の盗みの定義を聞いてみました。彼によると、盗みとは、「他人のものを断りなしに取ること」でした。もしその定義が正しいのならば、東南アジア系の学生は皆泥棒です。しかし、少なくても聖書の盗みの定義は違います。共同体社会を前提とした聖書の定義は、盗みとは「取る権利のないものを取ること」です。断りなしに、キリストの弟子たちは他人の畑から麦の穂を摘んで食べましたが、それは罪になりませんでした。旧訳聖書によって許されている行為だからです。このことを指摘したとき、著者はアメリカ人の舎監を深く傷つけたものと思いますが、彼は、常日頃「神学には西洋の神学も東洋の神学もない」といい続けているような人でしたので、自分の主張を曲げることはありませんでした。

 とはいえ、なまじこのような文化的背景を知って、欧米の人間が東南アジアの人々と同じようにやってやろうと、軽軽しく試して見ると、とんでもないことになります。共有社会にも、明確に個人的所有の感覚があり、その感覚を無視してはいけないのです。どの程度のものならば黙って使っても良いか、どの程度のものならば断りを入れて借用するか、また、どの程度のものならば借りても返さなくて良いか、どの程度ならば返すべきか、どの程度の付き合いの者からは黙って借用して良いか、結構複雑に発達した、無断借用と貸し借りの倫理があるからです。ともかく、そのような倫理の存在を一切知らず、自分たちの個人主義の文化で「盗み」と断定するのは、良くない事なのです。

 盗みと言うような、単純明快と思われる事柄でさえ、文化によって定義が違うのです。宣教師たちは、自分の文化に根差した善悪の判断、価値観などを、不注意に持ち込まないように、慎重の上にも慎重に行動しなければなりません。ただ、宣教師たちの多くは、母国において高度な教育と訓練を積んで、充分な経験を経てから宣教地へ赴きます。それは、とりもなおさず、自分の文化の中で適応された福音を「たっぷりと」学び、吸収したことであり、それと同時に、新しい文化を学び吸収して行くには、年をくらって、遅くなり過ぎてしまったということでもあります。さらに、宣教師たちには「教えに行く」のであって、「学びに行く」のではないという意識が強いために、新しい文化に対しては極めて無感覚、冷淡、批判的になってしまいがちです。自分たちの進んだ文明文化を誇りにして、宣教地の遅れを軽蔑し、猛々しい優越感をもって裁いてしまうことも珍しくありません。じっくりと腰を据えて宣教地の文化に馴染み、体験と感覚を持ってそれを吸収し、その上に、学問的にも理解しようという心がけを持って、活動している宣教師に出会うことはめったにありません。

 このような宣教師たちが、福音を現地の文化に対して意義深く適用することは、おおよそ不可能です。自分たちの母国での福音の適用をそのまま、「専制君主」のような態度で押しつけてしまうことになります。多くの場合、宣教師は進んだ文明国から、高度な学問と技術と、非常に強い経済力を盾にやってきますから、宣教地の新米クリスチャンにとっては、ほとんどたちうち不可能な相手なのです。

 そういうわけですから、宣教地の文化を理解出来ない宣教師たちは、福音の適用の部分や実生活の指導を、現地の伝道者や信徒に任せるのが無難です。たとえ宣教師がやらなければならないような場合でも、出来るだけ現地の者の考えや意見を聞き、現地の者たちの判断に委ねるべきです。たとえば、「この福音原則は、みなさんの土地ではどのように適用されるべきだと思いますか」と問いかけるのです。そして、現地の人々と共にそれぞれの文化の中で考える努力をし、分析し、幾つかの適応の選択肢を探し出し、それぞれの長所短所を明らかにして行き、現地の人々の選択決定に任せるのです。そのような共同の作業の中で、「たとえば、日本ではこのように適用し、アメリカではこのように適用しています」と、参考として語るのならば、害が少ないことでしょう。しかし、それもあくまでも参考として、聞かれたときのみ控えめに持ち出すべきです。宣教師がどうしても現地での具体的適用をやりたいと願うなら、まず、現地の人たちと寝食を共にし、ともに働き、共に苦しむ、いわゆるアイデンティフィケーションを作り上げる生活を、徹底的に、しかも長い間にわたってすべきです。それが出来ていなければ、適用も止めるべきです。

 頑固な宣教師たちが、( 宣教師の大部分は頑固な人たちです )「福音にアメリカの福音もアジアの福音もない。ただ一つの福音があるだけだ」と言いながら福音を自国の文明と同一化して、無理やりに押しつけているのを目にします。そのような福音を聞くアジア人の多くは、語られる福音が馴染みのない文化の中で解釈され、馴染みのない文化に適用させられ、馴染みのない文化の中で構築された福音であるため、理解する事も、受け容れる事も出来ません。自分の文化の中に適用する事も、自分の文化の中で福音的生き方を考え出すことも、福音的社会などというものを構築して行くことも出来ないばかりか、存在している社会的秩序と価値観を破壊してしまう事になります。

 少々長くなりますが、一つの例を挙げましょう。西欧個人主義とピューリタニズムの洗礼を受けた、現代アメリカの「聖書的文化」には、家庭はありますが家族はほとんど存在しません。このように言われるとアメリカ人は大いに反発するでしょうが、家族親族を大切にする大多数のアジア人の目で見ると、そのように見えるのです。子供は18才になると親から独立します。親は独立出来るように子供を育てます。子供は18才になると法律的に独立し、親の言うことを聞く義務はなく、すべて自分の意思で行動出来る事が保証されています。親の世話をみる義務などないばかりか、親を裁判所に訴えて出る例も随分あります。年上の兄弟や姉妹が、年下の弟や妹たちのために犠牲になって働くなどというのは、非常に珍しいこととなっています。アメリカでは「独立」と言う言葉が、最も大切で美しい言葉のとされているのです。  

 当然、個人の独立独歩と自由が尊重されます。個人の自由を妨げるものは、すべて悪とされてしまいがちです。ですから銃の規制がうまくいきません。銃を持ち歩くことは個人の自由であり、自分で自分を守るのも基本的な権利です。それを規制することは人権侵害に繋がるのです。このような考え方を背景に聖書を読むと、当然、個人主義を強調出来る部分、個人の尊厳を謳い上げることが出来る部分に注意が向き、その中に自分たちの考え方を読み込み、拡大解釈をし、個人主義と癒着した「聖書的文化」を構築して行くことになります。ですからアメリカには、個人の自由意思で参加する組織としてのクラブや教会はありますが、自然発生的な共同体、自分の意思とは関りなく自分がその中に生まれ育つ共同体と言うものは、それが家族であれ地域共同体であれ、あるいは教会であれ、非常に存在しにくくなっています。[2]  

 それに比べると、フィリピン文化は共同体文化と呼ぶことが可能でしょう。現在フィリピンでは、欧米型の個人主義もあらゆる所に見ることが出来ますが、基本的には血族共同体、地縁共同体、部族共同体、すなわち、個人の意思とは関係なく自分がその中に生まれ育つ共同体文化の上に、社会全体が構築されています。それらの中でも、特に、親子親戚の血縁関係が最も重要なものです。一般的フィリピン人にとって、人生でもっとも大切なものは家族です。彼らはそのような価値観を基本に行動しているのです。

 ですから、年老いた親を老人施設に入れるなどと言うことは、一般のフィリピン人にはまず考えられません。実際、そのような施設の存在はフィリピンでは聞いたことがありません。子は自分が食べられなくても親を養います。親も、どんなに貧しくても子と共に暮らす事を喜びとします。子供はたとえ60才になっても、親がいる限り子供です。年上の兄弟は家計のために学校に行かずに働きます。女の子も、たとえ日本に来て売春をしてでも家計を助けます。売春は良くない事ですが、「家族を助けるという善」は「売春という悪」を帳消しにします。高い役職に着いた者は、例外なく自分の親族を取り立てて、一族による職権乱用と汚職が進みます。職権乱用の悪も汚職の罪も、親族を大切にするという最も大切な善の前には、許される事であるという社会通念があるのです。親族を無視して、彼らに良い働き場を与えないほうがより大きな悪なのですから、新聞で叩かれ、辞任に追い込まれ、裁判で有罪になったとしても、親族の間では英雄であり、社会も彼を認めます。しかし、親族を無視して自分の親族を取り立てなかったとするなら、親族の中では最も悪い人間となり、社会でも物笑いの種になります。

 このように、家族親族を何よりも大切と考えるフィリピン人は、その基本的価値観と倫理観によって生活をしています。そこに、アメリカ文化で解釈され構築されたキリスト教、アメリカ文化と癒着した福音が入ってくると、大きな葛藤が起きるのです。愛、社会、助け合い、物の貸し借り、盗み、性道徳などに関する聖書の教えを、フィリピン人はまず自分たちの文化の中で理解しようとします。しかし、そのような理解は、ただちにアメリカで構築されたキリスト教の教え、癒着した福音によって、覆され、否定されてしまいます。家庭の倫理も、地域社会の倫理も、仕事の倫理も、時間の倫理も、経済の倫理も、労使間の倫理も、親族間の倫理も、すべて、アメリカ文化で構築された倫理によって仕切られてしまいます。それが、フィリピン人の家族を中心とした共同体文化には、なかなか馴染まないだけではなく、共同体文化の円滑な仕組みを破壊してしまうことにさえなるのです。

 フィリピンは、アジアの中で最もアメリカ化した国です。しかし、たとえ表面的には非常にアメリカ化していても、日常生活の基本となっているのは彼らの伝統的文化です。このような状態の中に、何もかもアメリカ的な福音の適用を、それこそ福音であると誤解しているアメリカ人宣教師によって、それが押しつけられると、大多数のフィリピン人は、その福音の適用が自分たちの生活文化に合わないために福音もろとも拒絶してしまうのです。

 そういうわけで、私たちは、福音そのものを伝えなければなません。それが、私たちの使命です。幸い私たちは今、先に述べたように、複数の文化を比較する事が出来る時代に生きています。聖書に啓示された福音を、ただの文化で解釈するだけでなく、いろいろな文化的背景から解釈し、それらを比較して、より客観的な立場で聖書を解釈しようという試みも可能です。そのような努力によって、文化のしがらみから解放された福音そのもの、福音の本体を、より良く理解出来るようになっているのです。ですから、癒着した文化から分離された福音を確実に理解し、その福音を出来るだけ自分の文化と混同することなく語りつづける努力が、私たちには必要なのです。特に私たち日本の教会は、小さく弱く、世界宣教の分野においての貢献も微々たるものですが、この、福音と文化との関わりに対して敏感な感覚を持つことによって、福音の本質を明示する分野において、大切な役割を果たすべきだと考えます。

3.福音の文化的適用を行われる聖霊の働きを妨げない 

 英語で宣教論を取り扱い、「コンテクスチャライズ」すると言った場合、コンテクスチュアライズするのは、すなわち、福音の文化的適用を行うのは、当然、福音を語る者であるという前提があるようです。この文章においても、ここまではそのような意味で「福音の文化的適用」という表現を用いてきました。適用するのは私たち人間であると言う意識で、そのように語って来たのです。しかし、論議がここにいたって、もう少し問題点を掘り下げなければなりません。福音とは適用されるべきものなのか、それとも、福音自身が「適応」するものなのかと言うことです。

 福音というものは本来普遍的なものであり、すべての文化を超越し、あらゆる異なった文化の中に住む者に、公平に与えられたものです。特定の文化的解釈や適用に縛られるものではありません。あらゆる文化に住む者に意義のある解釈と適用があるはずです。しかし、その解釈と適用は福音を語る者が行うという、これまでの暗黙の了解は果たして正しいのでしょうか。福音を語る者は、すでに自分の文化の中での福音理解と、自分の文化に対する福音の適用を行ってしまっており、福音を語ると言っていながら、その実、自分の文化の福音理解と福音の適用を語っているに過ぎない場合が多いことを、すでに学びました。宣教師が異なった文化を深く学び、その文化の中での理解とその文化に意義のある適用をすることは、非常に困難であると言う現実についてもすでに学びました。また、宣教師は福音の本質を語るだけで出来るだけ適用を避け、それは現地の人々に任せるべきだと言うことも学びました。

 ところで、福音の本質を語り、その適用を現地の人々に任せると言うことは、福音を現地の人々の無知に委ねると言うことではありません。むしろ、福音を聞いた現地の人々の中にお働きになる、聖霊にお任せすると言うことなのです。外部の者たちが外部の理解と適用を持ち込むのではなく、あくまでも内部の者たちに任せ、内部の者たちの中にみ言葉を通してお働きになる、聖霊にお委ねすると言うことです。つまり、私たちが福音の「文化的適用」を行うのではなく、福音自身が現地の人々を通して「文化的適応」を進めて行くことを期待し、聖霊の導きと助けにお任せすることなのです。コンテクスチュアライズするのは私たちではなく、聖霊と福音それ自体だと言うことです。

 もちろん聖霊は、福音の文化的適応を導くにあたって、文化の外部の者、すなわち宣教師や彼らが持ち込む教えも、内部の者、すなわち現地の信徒や伝道者とその考えを、共にお用いになることでしょう。ただ問題は、今までのところ圧倒的に外部の者によって、「聖霊の助けを拒絶した状態で」それが行われて来たという事実です。たとえ表面的には内部の者が行ったとしても、実際は宣教師に教えを受けた「欧米指向の現地人」、あるいは欧米で教育を受け、たっぷりと「欧米思考を植えつけられてしまった現地人」によって行われ、実質においては現地の実情を考えようと心がける宣教師たちが行うよりも、さらに欧米指向、欧米思考の適用を行っている例が少なくないのです。

 私たちが本当に必要としているのは、私たち人間による、人為的な福音の文化的適用ではなく、聖霊による福音の文化的適応です。私たちは、福音の文化的適応をお進めになる聖霊のお働きに信頼し、またそれを尊重し、これを妨げたり拒絶したりすることがないように、細心の注意を払わなければなりません。それは福音を聞いた現地の人々が、現地の実情に最もふさわしい理解と適応を得るために、聖霊の導きと教えをいただくように、励ましてあげることによって可能となるでしょう。

 聖霊は、欧米諸国のクリスチャンたちが聖霊の助けと導きを得ていながら、なおも神学の分野においても、倫理の面においても、教会の組織や政治の面においても、あるいは宣教の分野においても、長年にわたって多くの間違いを犯し続けるのを、忍耐深く許し通してくださいました。聖霊は、今も同じように忍耐深く、宣教地の人々が誤りを繰り返しながらも、正しい理解と適用に到達出来るように助けてくださるはずです。私たちはついつい「理解の遅い」現地の信徒や伝道者たちに忍耐が出来なくなり、自分たちでものごとを決定し、推し進めてしまいます。福音の文化的適用においても、現地の人々の頼りなさに、つい、あせって先走ってしまいます。彼らの中に忍耐深く働き続けておられる聖霊を認め、その聖霊に信頼すべきなのです。現地の人々が、現地の真の姿、実情を考慮して、彼ら自身が最もふさわしいと考える適用が出来るように、整えてあげることこそ重要なのです。それこそが、福音の文化的適用を進める聖霊を妨げないことです。

 福音は普遍的なものです。地上のすべての民族、あらゆる文化の中に生きている人々に対して、公平に与えられたものです。したがって、すべての民族、どのような文化の中に生きている人々にも、自分の母国語で、自分の文化で理解出来る形で、福音を聞くことが出来る権利があるのです。福音宣教の使命を与えられた教会は、普遍的福音を普遍的福音として、地上のすべての人々に理解出来るように語る責任があるのです。

C.躓かせずに福音を伝える

 私たちは無意識の内に、文化と混同し、癒着してしまった福音を語ることによって、しばしば、聞く者を不用意に躓かせてしまうことがあります。聞く者は、福音にではなく文化に躓いてしまうのです。文化に深い洞察を持ちながら語ると言うことは、聞く者に躓きを与えないように福音を伝える努力をするということです。このことを、パウロのアテネでの宣教を手本に、学んでみましょう。

 まず私たちは、アテネにおけるパウロの宣教が、失敗ではなく、非常に効果的な素晴らしいのであったという前提をからはじめましょう。なぜなら、かなり多くの人々が、アテネにおけるパウロの宣教を失敗と決め付けているからです。その理由は、回心者が少ない事です。パウロの失敗は、単純に福音を語らず、哲学的なことを語ったからであると言うことです。

 このような論議は、文化というものをまったく無視した論議で、現代で言うと、日本の教会が成長しないのは、伝道が足りないからだ、祈りが足りないからだ、熱心さが欠乏しているからだというのと同じ認識です。日本の教会が成長しない理由は、確かに伝道も祈りも熱心さも足りないところがあるでしょうが、むしろ文化的な問題が大きいのです。

 パウロは、異邦人社会の中であっても、ユダヤ人の交わりがあり会堂が設立されているところでは、それらの会堂を訪ね、単純にキリストを伝え、多くの回心者を得ました。第一宣教旅行の場合がそれです。彼の得た回心者の多くはユダヤ人であり、異邦人であっても改宗して割礼を受け、正式にユダヤ人となった者たちが殆どでした。中にはまだ改宗までいたらずに躊躇していた者もいたことでしょう。しかし彼らとて、旧約聖書の教える神についてしっかりとした知識を持ち、倫理的にもユダヤの律法に忠実に従っていた者たちでした。まったくの異邦人、つまり旧約聖書の神について少しの知識もなく、迷信と低い倫理観の中に混沌とした生活を続け、会堂の教育と秩序について何も知らない人々が救われた例は、ごく僅かだったのです。

 福音を聞く者の心は、その文化と知識と感情の状態によって、大いに支配されています。同じ福音を同じ場所で同じように聞いたとしても、聞く者の状態によって、まったく別の反応が起こるのです。一般に、ユダヤ人はキリストの福音を受け容れる事が出来る、「直前」の状態にいました。神について充分な理解を持ち、イスラエルの望みであるメシヤを待ち望んでいたのです。極端に言えば、メシヤの到来を告げるだけで、人々は信じようとしていたのです。しかし、ユダヤ教に触れた事のない異邦人は、キリストを受け容れる準備はまったく出来ていませんでした。神についての認識さえあまりにも異教的、あまりにも幼稚で、正しい神について基本的な事を理解するだけでも、大変な時間と努力が必要だったのです。その上、罪を自覚させ、救いの必要性を理解させ、救い主についての神の約束を学ばせ、いま信奉している宗教の誤りと悪習慣に気付かせと、気が遠くなるような手順を踏まなければならない事が多かったのです。

 ですから、パウロでさえも、エペソのような異邦の神の町で、ユダヤ人共同体が存在しなかったか、あるいはしたとしても非常に弱かった土地においては、かなりの長期にわたって留まって、はじめて、確実な実を得る事が出来ました。コリントでも同じです。アテネは異邦の神々とギリシヤ哲学の中心でした。そのような場所で、たった一度の説教で、あれだけの反応を得ただけでなく、僅かながらですが、回心者さえ得ているのです。それは、まさに大変な成功と言うべきものだったのです。

1.福音を聞く者と自分の間に共通の基盤を築く

 パウロはまず、自分と福音を聞く者たちとの間に、共通の基盤を築くことによって、文化的躓きを取り除こうと努力しています。まず何よりも先に、聞く者が語る者に対して、「私たちは同じである」という意識を持たなければ、語られている言葉を受け容れることが出来ません。語る者に必要なことは、私たちは同じであるという意識を作り上げることです。パウロは、聴衆が自分に対して違和感を持たないように、同じ人間であり、同じ宗教心と理解力を持つ者であるということを、注意深く語っています。言いかえれば、語るパウロは聞く異邦人と同じ土俵に立とうと努力しているのです。自他ともに、異なった国から来て、異なった神について語る、異なった人間として立っていることを認めていながら、それでも、同じ文化に生きている者であるという共通意識を作り上げようと、努力しているのです。幸いパウロはデイアスポラのユダヤ人として、複数の文化の中に生まれ育ったことにより、そのようなことが出来る基盤を、自分では気付かない内に作り上げていたと言えます。

 パウロが共通意識を作り出そうと努力した形跡は、彼がアレオパゴスに集まった者たちを、「宗教心にあつい方々」と賞賛した事実、異なった神、ほかの神、関係のなかった神についてではなく、「あなた方が拝んでいる」神について語った事実、ギリシヤの詩人の言葉を引用することによってギリシヤ文化を認めた事実、ギリシ人の神意識の中から、自分の神意識と共通する正しい部分を探し出し、それを通して語っている事実などに現れています。

2.福音を聞く者の善い点を認めて賞賛する

 パウロは「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなた方を宗教心にあつい方々だと見ております。」と語りかけています。これは皮肉であると見る人々もいますが、むしろパウロの素直な気持ちと考えるのが自然でしょう。確かにパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じましたが、それはあくまでもそのような状態に対して、またそのような状態の背後にある悪の力に対してであり、人々に憤りを感じたのではないはずです。

 パウロは、アテネの人々が宗教心にあつかったという点を積極的に評価し、それを口に出して、聴衆の心を和らげようとしたのです。偶像礼拝を嫌い、排斥し、攻撃するあまり、純真な宗教心までも傷つけ、聞く者の心を閉じさせてしまいがちな、「私たちの宣教師」とは随分異なります。確かにパウロは、神学的な取り扱いの中では、偶像問題に対して非常に厳しい態度を取っています。しかし実際の伝道の場では、その厳しさを内に秘めて、まず、聞く者との心の通い合いを大切にしているのです。特に、気を付けたいのは、パウロは人間の宗教心というものを、当然のものというか、善いものというか、人間性として認めているということです。偶像礼拝の罪とは神でもないものを神としていることであり、あつい宗教心を持っていることではありません。

 宗教心は、本来、人間が神に似せられて造られた証拠であり、まさに人間が人間である印であり、人間が霊的な存在である証です。人間だけが神に似せて造られ、神と交わることが出来るための、また、神との交わりを求めてやまないための特質として持っている、本能的能力なのです。もし、この能力が人間に備わっておらず、神を求める心をまったく持ち合わせていなかったとすると、一体どのようにして、伝道するのでしょう。神認識のまったくない人間に、神という概念を認識させ、神の存在を認めさせ、その神を礼拝する必要性を教え、神の救いを理解させることが果たして可能でしょうか。まさに、気の遠くなるような努力が必要です。私たちが福音の未開地に行き、曲がりなりにも神について語り、救いについて語ることが出来るのは、人間に神認識がある、宗教心がある、神を求めてやまない心があるという事実によるのです。たとえ、神ではないものを神としていたとしても、神を認識出来る宗教心が必要なのです。ですからパウロは、いかに町中が偶像に満ちていたとしても、また、そのために町が迷信と不道徳に腐敗していたとしても、人々の宗教心までも攻撃せず、かえって、その宗教心の厚いことを賞賛し、その宗教心のあつさに訴えているのです。

 アテネに集まっていた人々の多くは、知的な好奇心に溢れていました。彼らの中に統一した宗教観などがあるはずもありませんでした。しかし、そういう環境の中にあっても、パウロは彼らの一般的感覚として認められている神観念に目を止め、それを、たとえ部分的にではあっても正しいものとして認め、語る自分と聞く者との間の共通観念として取り上げ、話の橋渡しに用いています(v.28)。パウロは、少なくても実際伝道の場においては、異教のすべてをひっくるめて「悪」「誤り」と断定せず、混沌とした異教の教えの中に僅かながらの正しい部分を探し出し、公に認め、賞賛し、それを手がかり足がかりにして話しを進めているのです。

3.異邦人の礼拝しているものが真の神である可能性を認めている

 パウロは、何とかして福音を語る自分と福音を聞く者との間の溝を埋めようと努め、彼ら邦人の礼拝していた神が、真の神である可能性を指摘しています。これは画期的なことです。異邦人が正しい神を礼拝していた可能性を認めているのです。単なる言葉のあやでも、歓心を買うための言葉でもありません。この言葉を語ったとき、パウロは極めて神学的な考察を行っていたに違いありません。無意識に、不注意に語ることが出来るような言葉ではありません。

 パウロがこのように言い得た、語り得たというのは、この、知られざる神には祭壇があったのみで、偶像がなかったという事実にも関係すると考えられます。まさに知られざる神であった故に、偶像の作りようがなかったわけです。もちろん、この知られざる神についての人々の意識を、厳しく問い詰めて行くならば、必ず、真の神観念とは似ても似つかないものが出て来たことでしょう。しかし、パウロはこれを共通の足がかりとして、まことの神に話をつなげて行こうと努力したのです。

 日本での福音宣教を使命と感じている人たちには、一つ面白い事実があります。それは、日本古来の宗教である神社神道には、祭壇はあっても偶像がないということです。神道は、いまだに西欧の宣教師たちに眼の敵にされ、多神教であるとか、汎神論であるとか、アニミズムであるとか、国家主義であるとか、不道徳であるとか、さげすまれ、非難され、日本宣教の最大の妨げであると挑発され続けていますが、はたしてそれだけで良いのでしょうか。「なにものがおわしますかはしらねども、ありがたさにぞ涙こぼるる」という歌に、その真髄が最も明白に現されていると言われている神道に、もし、パウロが接したとしたら、「あなたがたが、知らないながらも、ありがたさに涙を流しておいでになる、神についてお話し申し上げましょう」と、語ったのではないでしょうか。ありがたさに涙を流す宗教心、その素直な信心をパウロは責めるようなことを語ったことでしょうか。元々の神道は、本来、パウロがロ-マ書一章で神学的に述べている偶像宗教には当らないものです。[3]

4.偶像について賢い取り扱いをしている

 アテネの人々は、間違いなく偶像礼拝者でした。パウロはあまりにも偶像礼拝がはびこっているのに、憤りを感じていました。しかし彼は、偶像礼拝を直接非難したり、排斥したりしませんでした。アテネの人々が知らないで礼拝していた神こそが真の神であると、彼らの宗教心のあつさを持ち上げて語る中で、偶像のむなしさに触れて語ったのです。これは、ただちに偶像を主題に語りだし、直接非難し排斥し、揶揄し、嘲笑するのとは随分異なっています。パウロにとって、福音を語るということと、偶像を非難するということは、ただちに繋がるものではなかったのです。ここに、神学問題として語るときと、伝道の中で語るときの違いがあり、パウロの賢さがあるのです。事実、このときのパウロの説教は、偶像礼拝者たちの怒りや反対を引き起こしていません。彼らは、キリストの復活のことであざ笑ったのです。

 パウロの伝道で気付くことは、どこにおいても、彼の反偶像礼拝の説教を聴いたという理由で、異邦人の反対や迫害が起こってはいないということです。エペソでの騒動は、パウロの説教が直接の原因ではなく、パウロの説教や教えによって真の神を見出し、偶像礼拝を止め、偶像を納める神殿の模型も必要としなくなった人々が、あまりにも多くなって、神殿の模型を作っていた職人たちの商売が「あがったり」になってしまったという、経済的理由によります。これは、偶像礼拝者たちが自分たちの偶像及び偶像礼拝を叱責され、非難されたからと言って起こした暴動ではないのです。むしろ偶像礼拝者が暴動を起こさず、素直に偶像を廃棄した結果なのです。偶像文化の中におけるパウロの宣教の形は、彼らがルステラにおいては、こともあろうに、ゼウスとヘルメスに間違えられてしまったという逸話にも、あるいは、ローマへの途上の海難とマルタ島での事などにも、あらわれていると考えられます。パウロは、不要な躓きを与えないように気遣いながら、福音を語ったのです。

D.福音の文化的適応と教会の土着化

 福音が正しい意味で特定の文化に適応すると、そこに建てられる教会は、当然、福音をより正しく理解し、より正しく適応している教会となって行きます。

1.インデイジネス・セオリー

 1870年代に、イギリスとアメリカで、それぞれの宣教団体において大切な役割を果たしていた二人の人物が、ほとんど同時に、しかも互いに何の関わりもなく、「インデイジネス・セオリー」と言われる考え方を提唱しました。この考え方が、その後100年以上にわたって、多くの宣教団体に広く受け容れられ、実際の宣教の場においても、非常に大きな影響力を持ち、また、それにふさわしい効果も上げて来たと言えます。インデイジネス・セオリーは、セルフ・サポーテイング、セルフ・ガバーニング、セルフ・プロパゲイテイングというみっつのセルフを推進するものです。すなわち宣教地の教会は、自主経済、自主政治、自主伝道を目標として育てられるべきだと言う考え方を基盤としたものです。私たちのアッセンブリー教団においても、この3つのセルフは、メルビン・ホッジス[4] などの活動を通して、大いに広められ、用いられてきました。

 とはいえ、このインデイジネス・セオリーは、もっと早い時期に厳しく見なおされるべきだったと考えられます。それはまず、これはあくまでも方法論に過ぎず、聖書の示す原則あるいは教えではないと言うことが、第一の理由です。この考え方が最初に提唱されたアメリカやイギリスは、西欧個人主義が最も発達していた国でした。子供は自立するために教育し、独立するために育てるという、欧米の個人主義が、この考え方の基本原則であることは明白です。アメリカやイギリスにおいては、独立や自立と言う言葉は最も美しい言葉です。宣教地の「子教会」を、独立独歩出来るまで育て上げるのが、母であるアメリカやイギリスの宣教団体の明確な目標となるには時間がかかりませんでした。それをまた、多くの国の宣教団体が取り入れ、まったくの方法論に過ぎないにも拘わらず、あたかも原則であるかのように、高々と掲げられ、実践されるようになったのです。

 インデイジネス・セオリーが聖書の定める原則でも教えでもなく、個人主義文化の産物であるとすると、それを異なる文化の中に適用することは、おおいに考え物なのです。事実、この考え方は多くの良い結果をもたらした一方、非常に深刻な宣教上の弊害をももたらして来たのです。宣教地における宣教師と現地人伝道者との抗争、宣教師間の競争心と不和、教会間の不一致と不調和、宣教師たちの唯我独尊的態度、それを学んだ現地伝道者たちの利己主義などは、氷山の一角に過ぎません。日本においても、宣教師によってこのセオリーを容赦なく適用されて、苦しんだ教会や伝道者はかなりの数にのぼることでしょう。聖書は、非常に共同体意識の強い文化の中に与えられた書物です。少なくても聖書は自己、すなわちセルフを高々と持ち上げて、ふりかざすようなことはしていません。自己はあくまでも抑制されるものなのです。聖書が大切にするのは個人の自由とか権利よりも、むしろ、協力、協調、調和、一致、自己犠牲であり、インデペンデンス、すなわち独立よりも、インターデイペンデンス、すなわち相互依存です。

 ただしこのインデイジネス・セオリーが、日本語で「土着化」と訳されたとき、その意味がいささか変化したように思います。日本人の間で福音の土着化と言うことが論議されたとき、3つのセルフはあまり問題にならず、むしろ、コンテキスチュライゼーション、すなわち、福音の文化的適用という意味で用いられて来たいきさつがあります。ただ、現在のこの議論においては、インデイジネス・セオリーを、3つのセルフでも福音の文化的適用でもなく、「教会の文化的適応」と考えて進めたいと思います。まず、福音が文化的適応をして、その結果、文化的適応をした教会が誕生するのです。

2.普遍的教会

 福音が普遍的であるのと同じく、教会もまた普遍的です。文化を超越し、どのような文化の中においても、その文化に最もふさわしい形で、自己を表現すべきものです。教会は、外国からあるいは異なった文化から、輸入されるものであってはなりません。その土地で福音の本質が語られ、聖霊の導きによってその福音が文化的適応を行い、その結果、聖霊の導きによって土地の実情にもっとも適合した形の教会が、姿を現すべきなのです。普遍的教会は普遍的であるが故に、いかなる人種、政治形態、社会機構、文化の中にも、もっともふさわしい形を選んで、存在出来るのです。

 ところが現実は、西欧で建てられた教会、西欧の文化の中で形成された教会が、ほとんどそのまま、アジアやアフリカの中に持ち込まれているのです。教会の建物も西欧的、教会の組織も西欧的、教会の活動も西欧的、教会の歌も西欧的、教会のプログラムも西欧的、教会の時間帯も西欧的、何もかも、西欧的なのです。これでは、アジア人の感覚、アジア人の価値観、アジア人の生活様式、アジア人の社会構造、アジア人の行動形態、アジア人の感情表現に合わないのは当然です。たとえアジア人が、幸いにもその西欧的福音によってでさえ救われたとしても、そのような教会では、充分に活動をすることが出来ず、充分に自己の信仰を表現することも出来ません。結果として、個々のクリスチャンの信仰成長を望むことは困難となり、教会の発展にも希望が持てなくなります。

 たとえば、アメリカのアッセンブリー教団は、その創立当時のいきさつから、かなり会衆制に近い長老形態を取ってきました。多くの者が誤って会衆制度であると考えているほど、個々の教会の独立性が強調されています。それは、それぞれの教会の政治にも影響を与え、ほとんどの教会は、数年毎に役員の選挙を行います。ある教会は牧師の選挙と招聘も行います。クリスチャン的なものの考え方が、一般にもある程度浸透し、民主主義の原則がかなり力を持っているアメリカ社会においては、このようなこともそれなりにうまく行くのでしょう。これはアメリカのアッセンブリー教団の文化であり、彼らの教会形態です。しかし、民主主義国家とは名ばかりで、部族主義、親族主義、家族主義、あるいは植民地の名残である大地主制度時代の小作農根性がまだまだ根強いフィリピンに、この形態がそのまま輸入されてしまったのは、まさに悲劇です。

 実際にあった話をしましょう。一人の青年が聖書学校を卒業して、地方の町で開拓伝道を始めました。カトリックの背景があって比較的伝道が容易な土地柄でもあり、数年後には、100人を超える人々が集まるアッセンブリー教会が建てられました。その教会は大家族制度が巾をきかすフィリピンの田舎の御多分にもれず、集まる者の90%以上が一つの大家族に属していました。(フィリピンの田舎の平均的形)やがて、はじめの内は青年伝道者の情熱的説教と、それに伴う聖霊のみ業に感動していた信徒たちの間に、牧師の厳しい倫理的立場について行けないと感じる者が現れてきました。特に、農作業の後の一杯の酒を懐かしむ声が、あちこちで聞かれました。女たちは僅かの稼ぎから什一献金をしなければならないのに、少しばかり疲れを感じ始めていました。しかし、一番の難問は、お妾さんを2人ばかり「公に」隠し持っていた男でした。

 この男は、教会に集っていた大家族の構成員の中で最も有力な人物で、あらゆる面で力を振るっていましたが、はっきりとした悔い改めをしてクリスチャンになったと言うよりは、大家族の有力者として教会に顔を出しているというのが、本当のところでした。彼は、若い牧師が妻以外の女性と褥を共にするのはよろしくないと説教したために、何とか、この牧師を追い出して、自分の意思にかなう牧師を迎えたいと考えるようになっていました。ちょうどそのようなときに、牧師は、聖書学校でアメリカ人宣教師に教えられたように、選挙を行って、教会役員の選出をし、会衆制度に立つ、教会の組織造りをはじめようとしたのです。

 妾を持っていた有力者は、この機会を利用しました。幾人か残っていた忠実な信徒たちを脅し付け、役員選挙を牧師の信任投票にした上、金品で票をまとめてしまったのです。フィリピン人の選挙好きと選挙にまつわる腐敗は、まさに伝統的に度を越していて、国政選挙では必ず100人前後の人間が殺されるほどです。そのような腐敗選挙の感覚が、教会の中にも普通に持ち込まれるのです。そういうわけで、開拓をした若い牧師は不信任となり、教会を追い出されてしまいました。しばらくして、この有力者の気に入った後任の牧師が選ばれて着任しましたが、その教会はアッセンブリー教会ではなくなりましたし、命もなくなってしまいました。

 これは、教会が宣教地の文化、社会構造に合わない形を取ろうとしたため、すなわち土着化しなかったために起こった悲劇です。輸入された教会の形は、かならずこのような悲劇を生み出すのです。私たちは自分たちの教会の形態、組織、プログラム、政治、その他どのようなものであっても、本来の教会ではないものを輸出しないように、細心の注意をしなければなりません。しかし本当の土着教会とは、単に外側の形の問題だけではなく、その礼拝の方法と形式、祈りの方法、賛美の種類、集会のあり方など、教会のいのちのあらゆる部分が外側から持ち込まれたものではなく、その土地の信徒たちの心が産みだし、作り出したものであるべきなのです。言い方を変えると、すべての地方教会は、普遍的教会の、その土地における自由な自己表現として存在すべきであり、他の土地での表現を移しかえるだけであってはならないのです。聖霊が、土地の信徒たちの中に働いて、彼らの自由な信仰の表現と活動のあり方として、教会を建て上げさせてくださることを期待すべきです。

 すべての地域教会は、普遍的な教会の地域的適応、文化的適応として存在するものです。普遍的教会とは、世界中のすべての教会が有機的に集まることによって形成される、世界的規模の教会のことではありません。神がお定めになった、こうあるべきという教会の本質を備えた教会であり、唯一の教会であり、理想的な教会です。それは目に見えない教会ですが、地域教会という形で自己を表現します。すなわち、個々の地域教会は、普遍的教会の一部分ではなく、神が備えられた本質を持つ普遍的教会の地域的顕現であり、本来普遍的教会の持つすべての本質を、その中に秘めて持ちながら、それを、活発に表現して行く日が来ることを待っているのです。そして、普遍的教会の特質を、たとえ不完全な形ではあっても、成長の段階と、それぞれに与えられた文化的条件に合わせて表現し、開花させていくのです。地域教会は、普遍的教会そのものなのです。ですから、私たちの教会は伝道の教会であるとか、祈りの教会であるとか、交わりの教会であるとかと言って、教会の特質の現れの一つや二つだけで、納得し、満足していてはならないのです。

 地域教会は、普遍的教会の特質を顕現していく中で、しばしば人間的な裁断に影響されて、誤った適応や表現をして行きます。たとえば、東南アジアには中国人教会という教会が、至る所にあります。もちろん、一般の東南アジア人は、普通この教会に出入り出来ませんし、会員になることなどおおよそ不可能です。複数民族、複数原語の文化では、その背後にある人種差別などから、このような民族教会が存在するようになるのですが、これは、本来の普遍的教会の本質に反する教会のあり方であり、理念的には絶対に、絶対に、あってはならない教会です。パウロが教会の本質を述べている中で、敵意という隔ての壁が十字架によって取り除かれ、になったのが教会であると述べている通りです。もし、地域教会は普遍的教会の一部分であり、すべての地域教会が集合して普遍的教会が形成されると言うのであれば、排他的な民族教会も許されるでしょう。それぞれの民族教会が存在すればそれで良いことなのです。しかし、和解の福音に立つ普遍的な教会は、和解の事実とその精神を、どのような土地にあっても表現して行かなければならないのです。

 しかしながら、普遍的教会が自由に自己を表現することが出来るようにすると言うことは、ただ単に、土地の信徒の自由に任せると言うことではありません。土地の信徒たちが、教会というものの本来の姿を良くわきまえていなければならないからです。宣教師たちの役割は、自分の母国で文化的適応を行った教会の姿を持ち込み、教え、それを模倣するように導くことではありません。また、現地人の牧師伝道者たちは、どこかの外国の教会が大成功をおさめ、急激に成長しているからと言って、その教会の形態を自分の国に輸入してはなりません。また、現地の信徒たちの勝手きままに任せてもなりません。本来の教会の姿、神の御心の中にある教会とはどのようなものかという基本原則を徹底的に教え、その上で、適用は、出来るだけ現地の信徒たちに任せるべきなのです。そうすることによって宣教地の教会は、真実な意味で、より土地の文化になじみ、土地の信徒たちの心情に合致した姿となり、教会としての使命をより高々と掲げ、遂行していくことが出来るようになるのです。

3.教会の本質

 そういうわけで、問題は再び教会論に移ります。教会とは何かという基本的な問です。教会論のない宣教論は本当の宣教論ではあり得ないのです。教会とはなにかというとき、もっとも手っ取り早いのが、私たちの周囲の教会を見て教会とはこんなものだと言うことです。もう少し賢いやり方は、世界中の様々な教会や、歴史上のいろいろな教会を調べて、教会とはこのようなものだと言うことでしょう。しかしそれは、単なる一般人のレポーターや、社会学者のやることです。少なくても、聖書に学ぶ私たちは、聖書の中の教会に目を向けます。

 すでに見て来たように、どのような教会であっても、それは教会の本質的姿の地域的な表現、あるいは不完全な適応に過ぎないのですから、そこから教会の本質を学ぶのは容易ではありません。というより、不可能なのです。それがたとえ聖書の中の教会、すなわち、使徒の働きの中に記録されている教会、あるいは、書簡の中かで垣間見る教会からであっても、非常に困難です。確かに、あのような文化社会にあっては、このような適応も可能であったという、事実は学ぶ事が出来ますが、それが本質の正しい適応であったかどうかの判断は、非常にむずかしいことです。それもまた、普遍的教会の文化的適応の具体例にすぎず、私たちがそのまま模倣すべきものであるとは言えないからです。

 そこで私たちは、新約聖書の記述で教会にかかわる部分を徹底的に学ぶ必要があります。その結果、聖書に記述されている教会の全体像を描き、その中から、社会的適応としての教会ではなく、適応前の教会、すなわち教会の本質、神の御心の中にある普遍的教会の姿を学び取るべきなのです。それは極めて神学的な努力であり、宣教を推し進めて行く実践的行動派の人間の得意とする分野ではありません。それにも拘わらず、これは宣教に関わる人間が、徹底して行わなければならない事柄です。現在に至るまで多くの偉大な神学者が現れました。しかし、残念ながら、教会論は置き去りにされた分野です。[5] 誰もあまり関心を払わなかったのです。しかし、本当の宣教においては、教会論こそ必要不可欠であり、実際、最近の教会論の強調は、宣教論との繋がりの中で行われてきているのです。

 たんてきに言って宣教とは、「教会を建て上げていく教会を建て上げる仕事」です。もし、その宣教に携わる人間が、自分が建て上げようとしている教会とは何かと言うことを、わきまえていないとしたら、どうでしょう。これまでの宣教論は、少々極端に言うと、魂の救いや、救われた人たちの集会を作り上げると言った程度の、単純な理解と情熱に基づいていました。現在まで存在した教会のほとんどは、教会を良く理解していなかった人々によって建てられて来たというのが、現実なのです。ただただ、聖霊の憐れみと助けと導きがあったゆえに、曲がりなりにも教会が建てられて来たと言う他はありません。私たちは、宣教の働きが基本的に聖霊の働きであり、人間は聖霊に用いられているに過ぎないと理解しているために、このような自分たちの弱さ、足りなさ、不完全さにも拘わらず、楽観的でいることが出来、働きを継続する事が出来るのです。とはいえ、教会設立に携わった者たちが、教会とは何かと言うことを、しっかりわきまえていなかったために起こった悲劇は、あまりにも多くまた大きく、少なくても私たちの間では、これ以上くり返し続けてはならないものです。これからの宣教は、しっかりとした聖書的な教会論に基づいて推進されて行かねばなりません。

 普遍的な教会はまた不変の教会です。普遍的とは時と場所を越えたものだからです。ですから、普遍的教会を理解するためには、まず、聖書に記述されている教会の形とか、あり方、姿、活動などから、場所と時に制限されている部分を取り除き、時と場所に制限されていない部分を探し出すことです。また、時と場所に制限されている適応部分から遡って、適応前の姿を見出すことです。たとえば、日本復帰前の沖縄では、右側運転でした。それが、時が変わり日本に復帰すると左側運転になりました。この場合左側あるいは右側と言うのは、時と場所に制限された適応部分です。そして、そこから遡ってたどれるのは交通の安全原則であり、さらにそのもとの原則は、平安で幸せな生活のための社会造りという考え方であり、もっと遡ると、人間の生きる権利と義務と言うようなことが出てくるでしょう。同じように、教会に関する聖書の記述や教え、あるいは命令などを詳しく調べ、それらの原則をたどると、教会の基本的姿、普遍的教会の姿が見えてくるのです。

 現在この学びの中で、普遍的教会の姿を完全に描き出す作業は不可能ですが、せめて、簡単な輪郭だけは描き出してみましょう。

a.神に召された者によって構成される有機体

 まず、教会とは神に召された者によって構成される有機体です。教会とは組織ではありません。構造物でもありません。教会とは人間たちです。人間たちの組織ではなく、人間たちの交わりです。その教会は誰でも自由意思で参加出来るものではありません。神に召された者だけが、救いにあずかって、キリストと共に死にまた甦り、神の国に入れられた者だけが加わることが出来るものです。また、教会は神の国に入れられた者が自由意思で、任意に参加するものでも、誰か他の人間の力や委員会などの組織の権威によって許可されたり、強制的に参加させられたりするものでもありません。すべての召された者は、聖霊によってこの教会にバプタイズされることによって、すなわち神のご意志によって加えられるのです。教会に所属しないクリスチャンなどというものは、本来あり得ないものです。

 教会とは、現在のこの世、すなわちこの代とこの世における、神の国の共同体です。悪魔の支配するこの世から、神の支配する神の国に招き入れられ、悪魔の支配からの自由と、新しい神の支配を喜ぶ共同体です。そこにおいてこそ、この代この世にあっても神の支配が具体的に現され、神のシャロームが出現するのです。それはまだ不完全ではあっても、まちがいなく、やがて現される完全な神の国の前味であり、保証であり、手形なのです。

 また、教会は「キリストの体」という表現で表される有機体です。それは、同じキリストの命にあずかり、同じキリストの愛に生かされている、運命共同体であり、頭であるキリストのみ心を行うものです。そしてこの有機体は、自らの有機体としての命を表現し、それを保ち、その活動をよりよく継続するために、組織構造という無機的なものを身に着けます。この場合、組織構造を身に着けるのは有機体の特徴であり本質です。そうしなければ自分を表現出来ず、必ずそのようになるものですが、いかなる組織を選び、構造を取るかと言うことは、基本的に社会学的な状況、実情への適応なのです。

b.和解させられた共同体

 教会は、キリストの贖いによって神と和解させられた者の共同体です。神と和解させられたことによって、和解させられた者たち同士もまた和解させられた者です。人種、文化、貧富、教育、男女、世代、その他どのような自然の差異、あるいは人為的な違いも、差別も、神がもたらしてくださった和解によって、取り去られたのです。

 私たちが現実に見る教会は、まだまだ差別の教会であり、分裂の教会であり、裁き合いの教会であり、とても和解の教会とは言えないところがありますが、教会は、原則的に和解の共同体であり、神が赦してくださったように互いに赦し合い、受け容れあって行くべきものです。私たちの教会は、この和解に反するいかなる行為も、教えも、考え方にも、断固逆らって生きるのです。排他的な、日本人教会、中国人教会、韓国人教会などというものはあってはならないのです。もちろん文化の狭間で、日本語教会、中国語教会、あるいは韓国語教会というものの存在は、正当化出来ると思います。当然、教会成長主義者たちが、成長する教会として提言する均一質教会、すなわち、文化人の教会、金持ちの教会、貧乏人の教会などという教会も、自然発生的な成り行きとしては、容認しなければならない場合もあるとしても、理念的には許してはならず、絶対に排他主義になってはならないのです。

 また、教会は単に有機体であるだけではなく、共同体です。つまり、有機体としての教会は、現実の共同体を形成し、形ある姿で自分を現すのです。目に見えない普遍的教会は、必ず、目に見える地域教会として自分を表現せずにはいないのです。クリスチャンであると言い、普遍的教会に連なっていると言いながら、共同体としての教会には加入しないなどということは、あってはならないことです。地域教会がなくしては普遍的教会もあり得ないのです。

c.愛し合う共同体

 キリストが愛して下さったように互いに愛し合うと言うのが、教会の憲法です。これは、自分を愛するように隣人を愛するという、普遍的人類愛の古い戒めではなく、キリストに従おうとしている人々だけを対象とし、キリストの贖いの愛を体験した者たちの共同体の中でのみ可能な、新しい戒めです。教会は、キリストの愛を体験し、その愛に生かされ、力づけられ、愛することが出来るようにされているのです。

 またこの愛は、単なる観念的な愛ではなく、真心と行いとを持って愛する具体的な相互愛です。それは必然的に、共同体としての交わり、集いを形成します。教会が集会を持つと言うのは、教会の本質に関ることなのです。具体的に集まり、顔を合わせ、交わることなくして、キリストが愛してくださったように互いに愛し合うことは出来ません。また、キリストが愛してくださったような愛がなくては、真の共同体は存在しません。そしてその愛は、単に地域教会としての共同体を超えた、普遍的な有機体をも形作るものです。

 しかし、その相互愛をどのように具体化して行くかは、多くの場合文化的な表現であり、実情への対応なのです。使徒の働きの中に記されているように、持ち物を共有することも、貧しい者に財産を分けることも、また、パウロが命を賭けた、教会間における金品による助け合いも、実情に応じた具体的な対応の一つです。共同農場を経営したり組合を組織したりするのも、また一つのやりかたでしょう。

d.キリストの姿に似て行く共同体

 教会とはキリストの姿に似る者となるように、日々成長するものです。個々人のクリスチャンの成長もさる事ながら、共同体として、交わりとして、あるいは全体として、すなわち教会内の人間関係において、あるいは教会外の人々への働きかけにおいて、成長するものです。個々のクリスチャンが互いに無関係に、ただ神との関係において高潔な人間となるという、西欧個人主義的な、あるいはホーリネス運動の成長ではなく、全員が助け合い、痛みを負い合い、あるときは他のクリスチャンのために自分の成長さえ犠牲にしながら、全体として成長するのです。

 そのためには、教会の中には色々な種類の指導者がなければなりませんし、奉仕者がいなければなりません。教える人も、訓練する人も、助ける人も、慰める人も必要です。教会全体を治めていく人も必要です。そして教会には、それらの指導者や奉仕者の機能をより効果的する組織も必要です。教会とは指導者や奉仕者ではなく組織でもありませんが、指導者や奉仕者を必要とし、組織も必要とするものです。それらを必要とするという点は本質であり基本ですが、どのよう指導者、どのような奉仕者、そしてどのような組織にするかと言うのは、状況や文化に応じて変化するものであり、本質ではなく対応なのです。新約聖書時代の教会の指導者や奉仕者の役割や名前を、現在の教会にもそのまま持ち込もうとするのは、適応を本質にしてしまう間違いです。

e.宣教の共同体

 すでに述べたように、教会の存在目的、すなわち使命は宣教です。宣教を忘れ、ないがしろにしている教会は、自らの存在の意義を失っている教会です。教会がこの世に遣わされていることを自覚し、遣わされている使命を遂行してこそ、教会としての役割を果たしているのです。しかも、教会の中の個人としての宣教ではなく、あくまでも、共同体としての教会の宣教であり、共同体として携わるのです。

 教会が具体的に出て行って福音を述べ伝えることも、洗礼を授け、キリストがお教えになったすべてのことを守るように教え、全世界のすべての部族を弟子とすることも教会の本質に関る基本です。教会は、さらに教会を産み出して行く教会を生み出さなければ、本来の教会ではないのです。教会が、キリストの姿を模倣しながら宣教を行う、すなわち、自己犠牲とアイデンティフィケーションをその姿としながら、宣教の働きをすると言うのも基本です。しかし教会がどのように出て行き、どのように福音を語り、どのように自分を犠牲にして行くか、あるいは自らが福音を伝える対象の人々との共通意識を作り上げていくかは、状況に応じた対応なのです。

 また教会は、和解の共同体であると同時に、和解の福音を任せられている共同体であり、和解への招きを任務としています。同じように教会は相互愛の共同体ですが、この相互愛へ加わるように招く共同体です。シャロームの共同体でありながら、シャロームへ招き入れる共同体です。そういう意味で、宣教は単に言葉だけで行われるものではなく、教会の存在、その生活によっても行われるものです。

f.神を礼拝する共同体

 教会は神を礼拝する共同体です。教会の究極的な存在理由は、神を礼拝し、神の栄光をほめたたえることです。互いに愛し合うのも、共にキリストのみ姿に成長しようと励むのも、全世界に福音を宣べ伝えるためのあらゆる努力も、すべて、究極的には神の栄光のためであり、神を礼拝する行為として行うのです。そうすることによって、教会のすべての活動はその純粋さを保ち、堕落の危険から身を守るのです。たとえば、伝道の働きから礼拝の意識が消えると、伝道は単なる事業と化し、ショービジネスとなり、名声を得、金を儲ける手段となってしまいます。それを留めるのが、聖なる神のみ前で礼拝をしているという自覚、意識なのです。

 また教会は、ここでも共同体として礼拝をささげます。個々人が、自分の人生のあらゆる局面に神の存在とその力、また、恵と祝福を認め、厳かに礼拝するだけでは足りないのです。神に召され神の贖いの愛と命をいただいた者すべてが、その愛と命によって結び合わされ、繋がり、融合し、一つの民となって礼拝することを、神は喜んでくださるのです。キリスト教の礼拝は、公同の礼拝を旨とするのです。

 教会は礼拝の民であり、公同の礼拝を旨とするのは本質です。個人の信徒として礼拝するのは当然ですが、必ず、民として、一つとなって礼拝をします。しかし、その礼拝をどのような形や様式で行うかは、ほとんど文化的な適応です。儀式的な礼拝会であるべきか、自由な形の礼拝会にすべきか、立つか座るかひれ伏すか、どのような旋律とリズムで歌うかも、踊りが含まれるべきか含まれるべきではないか、いくぶん神学的な議論の余地があるとは言え、大抵は文化的なものに過ぎません。すべての地域教会は、常に公同の礼拝をしようとします。それは本質です。しかしそれらの地域教会は、それぞれ異なった礼拝様式を持っています。それは本質の適応です。

g.賜物の活用による共同体

 教会には、様々な賜物が与えられています。聖霊が教会の活動のために与えてくださったものです。ですから、教会はこれらの賜物の活用によって、活動が保たれて行くべきものです。

 教会は、その誕生の時から、指導者や奉仕者を持っていました。他にも、さまざまな働きをする人たちがいました。長い教会の歴史の中で、彼らは聖職者と、教職、司祭、牧師、監督、執事、長老などと、それぞれの教会の伝統に従って、様々な名前で呼ばれてきました。ある教会ではかなり厳格な官僚機構を備えていますし、他の教会では随分自由な形で活動しています。しかし大多数の教会に共通して言える事は、教会は、これらの役職とか聖職と言われる立場の人たちによって管理され、教えられ、指導され、機能して来たと言うことです。

 しかし、聖書が教える教会の原則は、職や立場による機能ではなく、賜物の活用による機能です。牧師として認証を受けたから牧師なのではなく、賜物を活用して牧師としての活動をし、牧師としての機能を果たしているから牧師なのです。新約聖書の時代の使徒職にしても、使徒職という職、あるいは役職がまず儲けられて、そこに人を組み入れたのではなく、初期の教会の全体的指導者としてふさわしい者が、キリストご自身によって選ばれて、彼らに、使徒という名が与えられたのです。預言者という賜物もまた、預言者職というものがあって、そこに誰かが誰かを任命すると言ったたぐいのものではなく、預言の賜物を与えられた者が、その賜物を活用して奉仕をしていたのが認められて、預言者と呼ばれるようになったのです。旧約時代には存在した祭司という職制も、新約時代には不要となり、廃止されてしまいました。職制は失われたのです。そのかわり、賜物の活用による、もっと自由な活動が期待されているのです。

 この、賜物の活用による教会の機能と活動は、教会の本質です。その本質をどのように効果的に適応出来るかが、地域教会の生死に関わっていると言えます。多くの教会が、厳格な職制によって賜物の自由な活用を不可能にしている現状は、教会を不活発にし、動脈硬化に陥らせています。賜物はすべての信徒に与えられているのですから、すべての信徒がそれぞれの賜物を用いて、活発に活動することが出来るような組織形態を作り出すのが、現在の教会の急務です。教会の組織形態というものは、本来教会の本質の文化的適応に過ぎません。しかしそれは、教会の本質である賜物による活動を妨げるものではなく、最大限に生かすものでなければならないのです。本質を充分に表現することを妨げる形態は、ダビデが着たサウロの鎧のようなものです。

 また、賜物はすべての信徒に与えられているのですから、教会は本来、信徒の活動による共同体です。一握りの特別な役職を持った人々による、管理された共同体ではありません。信徒たちがもっともっと自由に教会のあらゆる奉仕に活躍出来なければならないのです。聖職者と言われ教職者と言われるような指導者たちの役割は、信徒たちがその賜物を用いて、より活発に活動出来るように整えてあげることです。そういう意味で私たちの教会の多くは、いまだに聖職者と信徒を峻別するカトリック教会の卵の殻を、尻にくっつけたままであると言わざるを得ません。

 教会というのは、単なる個人の集合体ではなく、有機体であり、共同体ですが、日本的な、全体のために個人が犠牲にされる共同体ではありません。日本の共同体文化は、決して聖書的な共同体文化ではないのです。日本の共同体だけではなく、ほとんどの共同体文化の中では、全体の中に個人が埋もれ、犠牲にされて行く共同体です。共同体の中の強い者たちだけが生き、彼らが生きるために弱い者が利用され、搾取され、殺されていく共同体です。聖書が教える、キリストの贖いの血潮によって作り出される共同体は、その共同体を形成しているすべての個人が、みな、最善に生かされるべき共同体であり、すべての個人が生かされる事によって、全体が生きる共同体です。たとえ、全体のために個人が犠牲になるようなことがあっても、それは個人の意思に反して、強制される犠牲ではありません。愛によって、喜んで犠牲になって行く犠牲であり、もはや犠牲ではなく生きることです。賜物の活用による共同体とは、すべての信徒が生かされる事を前提とする共同体です。

h.聖霊の力によって活動する共同体

 キリスト教の教えが、律法の押し付けではなく福音であるというのは、聖霊の力が、信じる者の内に働いて、「出来る者」にして下さるからです。聖霊によって、律法は死守しなければならない呪いの元ではなく、私たちが歩む事が出来る道しるべとなります。教会は、人間本来の力や人為的な方策によって、神の御心にかなった生き方をするのではありません。聖霊がそのようにさせて下さるのです。それは教会の日常生活から、使命である世界宣教の遂行にまで及びます。 

 ですから、教会活動のすべての局面で聖霊のお働きを認め、その聖霊のお働きに信頼し、生きる事自体を信仰の業としていく事が、教会の本質です。いま私たちの教会に最も必要とされている改革は、私たちの信仰の改革です。それは人為的な組織、教育訓練などに対する信頼、言いかえれば、訓練された教職者、指導者にたいする信頼を、聖霊のお働きに対する信頼に変える事です。もし私たちが、すべての信徒の中にお働きになる聖霊を認めるならば、頼りにならない信徒、信頼を置けない信徒、どうしょうもない信徒たちを、もう少し信用して、様々な活動をしてもらうべきです。信徒たちを信用するのではなく、彼らの中にお働きになる聖霊を信用して、そうするのです。最高最善の学問と訓練を受けていながら、聖霊に信頼しない教職者を信頼するよりは、たとえ、学問はなく訓練も受けていなくても、聖霊に信頼している信徒を信頼する方が良いのです。教会の活動は信徒によるというのが基本であり本質です。牧師も伝道者も、基本的には信徒であることも認識しなければなりません。認証や立場が牧師や伝道者という教職者にするのではありません。あくまでも賜物の活用が牧師という信徒を作り、伝道者という信徒を生み出し、宣教師という信徒を育てて行くのです。

 以上、普遍的教会の本質的姿の素描を試みて来ました。あまりにも簡単に過ぎるとも言えますが、大体の輪郭は見えて来た事と思います。私たちが教会を建てあげようとするならば、教会の本質と適応をわきまえ、出来るかぎり本質に忠実な教会を建てるべきです。私たちが異なった文化に出て行って教会を建てる活動に従事するならば、出来る限り、教会の本質について語り、適用は、現地の人々に任せる事です。

 とは言え現実の問題として、宣教師が適応をしないで済ませる事は不可能です。福音の文化的適応においても、教会の文化的適応においても、実際は、宣教師たちが指導しなければならない場合が多いのです。あるいは宣教師たちだけでそれをするのではなく、賢く、現地の人々の声を聞き意見をくみ上げるようにしても、宣教師たちの意見は、ほとんど絶対に近い権威を持って聞かれるために、あまり効果を期待出来ません。宣教師たちは、現地の人々の間でアンケートを取ったり、会議に出席してもらって意見を述べてもらったりするような簡単な事で、本当に現地の人々の声を聞いたと考えない事です。

 実際のところ、現在、曲がりなりにも宣教学を学んだ宣教師が多く、社会学や文化人類学を修めた宣教師も少なくありません。ですから、用紙を配布して意見を書いてもらったり、聞き込み調査を行ったりするくらいの事は、誰でもやっています。しかし文化の問題は、そのような方法で充分に取り扱う事が出来るほど、単純でも浅薄でもありません。そのような、お茶を濁すようなことでは、教会の本当の文化的適応を期待するのは無理というものです。

 ここに、宣教師がキリストのみ姿を真剣に追及しなければならない理由があるのです。キリストはご自分の位を捨て、人間の姿を取り、人間と共に住み、仕える者となってくださいました。キリストのアイデンティフィケーションです。宣教師とは、キリストが遣わされたと同じように遣わされている教会の、遣わされている姿を最も先鋭的に示す働きです。キリストのアイデンティフィケーションを、最も真剣な意味で自らの模範とすべき働きです。少なくても、異文化の中で直接福音を語り、教会を建て上げる活動に携わる宣教師は、この点を深く慎重に考えなければなりません。

 キリストは、ご自分が捨てて来た栄光と権威がどれほど大きなものであったかなどという事を、懐かしげに語ることはありませんでした。ですから、今でも私たちは「イエス様お誕生日おめでとうございます」などと、的外れな事を言ってしまうほどなのです。虫にも等しい人間の姿を取ったことを、後悔がましくお話になったこともありません。人間と共に住むことがどれほど苦渋に満ち、恥に溢れていたかなどという事を、恩着せがましく述懐された事もありません。それだけではなく、虫にも等しい人間の中でもまた、さらに仕える者となってくださいました。仕えてもらう者は、わがままを言って、好きなように暮らせます。しかし仕える者はわがままを言えません。徹底して、その文化の底辺で生きなければならないのです。キリストはそのようにして、人間の弱さと痛みに配慮してくださったのです。

 宣教師は、本来このキリストと同じ心構えで生きる者です。キリストのように現地で現地の人々と同じ姿となり、共に住み、具体的に仕える者となって、すなわち同じ物を食べ、同じ所に寝泊りし、同じ「程度の低い仕事」に汗を流し、仲間のために進んで食事を作り、喜んで給仕をし、気を回して使い走りをして、はじめて現地の人々を理解する事も可能になり、現地の文化に対しても理解を持ち、共感する事も出来るようになるのです。そのような理解と共感があってはじめて、本物のインデイジネスに近づく事が出来、文化的適応をした教会を目指す事が出来るのです。アンケートにも聞き込み調査にも心を明かさなかった現地の人々も、そのような宣教師の姿を見続ける事によって、心を開き、真実を語るようになります。そうすると宣教師たちは、最初に自分たちがアイデアを出して、プログラムを作成して、それから現地の人々の意見を聞くような愚かな事は止めて、まず、現地人の気持ちを汲み取り、生の声帯から出る声を聞き、考えを引き出し、現地人のアイデアから始め、現地人のプログラムを優先させる、自らは補佐役になり、励まし、示唆を与え、間違いを回避させる役に回る事が出来るのです。そうあってこそ、本物の文化的適応を遂げた教会を見る事が出来るのです。

 一般に、短期間の効果を追及しがちなのが宣教師ですが、少なくても、インデイジナス教会を建てあげることを目標とする宣教師は、キリストが実際に公の働きを始めるまで、30年もの間、人間としてお暮らしになったという事実を思い浮かべるべきです。


[1] しばらく前に、アメリカのペンテコステ系の人々が協力して、Full Life Study Bibleという聖書を出版しましたが、この中に、酒は絶対にたしなまないという自分たちの倫理的立場を擁護するため、キリストがカナの結婚式でお造りになったぶどう酒も、聖餐式を制定された最後の晩餐でお飲みになったぶどう酒も、共に、アルコールが入っていない「ぶどう液」であったという説明が入れられています。ペンテコステ系の教会の多くは、ピューリタン、ホーリネスの流れを汲む教会ですから、無理からぬことですが、この聖書の編集委員の一人であるウイリアム・メンジーズ先生は、著者との会談の中で、「この説明が加えられたことに、学者として恥じている。出来れば、編集者の一人としての自分の名前を、消してしまいたいとお語りになっています。「神学的な意見の違いは学者として当然のことであるが、事実を曲げることは、学者として認めることが出来ないためだ」とのことです。ちなみに、Full Life Study Bibleはフランス語にも翻訳されましたが、ぶどう酒を常習的に飲む習慣のあるフランス人を考慮して、この説明は省かれているそうです。

[2]  著名なアメリカ人宣教学者であったD.マクギャバランは、長い学者生活の最後に、「自分はこれまでピープルと言う言葉を限りなく使用してきたけれど、今になってはじめて、その本当の意味がわかった。ピープルとは多くの個人が集まって形成する集団だと理解してきたが、実はピープルとは、人がその中に生まれ、育ち、人格として形成されて行くものであったのだ」と、述べています。

[3]仏教が渡来するまでの神道は、偶像とは関係のない宗教であり、現在神道の祭壇に偶像があるとすれば、それは仏教の影響の中で形成されたものであり、本来の姿ではありません。

[4]元アメリカ・アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団海外伝道部の中南米地域の長を務めていた方で、教団屈指の宣教論の学者でもありました。

[5]ちなみに、図書館で組織神学の本をかき集めて、その中に教会論がどれほど取り扱われているか調べて見てくだされば、これは明白な事実とわかります。

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