Missiology

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旧約時代の宣教



 表舞台にこそ出てきませんが、宣教の理念は、旧約時代においても、枯れることのない地下水のように流れ続けていました。それが、新約時代になって豊かな泉となって涌き出たのです。

A.神の民イスラエル

 神は、イスラエル民族を、祝福の民としてお選びになりました。しかし、神の目的はイスラエルを祝福する事自体にあったのではなく、イスラエルを通して全民族を祝福することにありました。旧約時代の神ヤーウエは、あたかも、ユダヤ教という小さな民族宗教の神であるかのように考えられていますが、イスラエルを選民と定めたときから、全民族の祝福を目的とした、普遍的視野を持つ大きな神であったのです。(創12:1〜3,18:18,2:18,26:4,28:14)

 神の祝福の普遍性は、新約時代になってはじめて、明確な主題として提示されるのですが、旧約時代においても、神は預言者を通して、祝福の普遍性をはっきりと示しておられます。(イザヤ42:6、49:6、51:4,60:3)神は、まずアブラハムの子孫を祝福し、その祝福が全民族に及ぶ事をお望みになりました。偶像の神々ではなく、創造主である神を礼拝するイスラエル民族の繁栄を見て、あらゆる民族は創造主の下に来るべきだったのです。すなわち祝福は、他民族がイスラエルに来ると言う事で「求心的」に及ぶべきでした。旧約聖書が、偶像を持ち込む周囲の民族に対しては非常に厳しい態度を取ることを命じながら、イスラエルの神を自分の神としてイスラエルに留まる異邦人に対しては、非常に丁重な扱いを命じているのはそのためです。実際、ヤーウエを自分の神と認める他国人に対するイスラエルの取り扱いは、現代日本の外国人に対する取り扱いなどよりも、はるかに人道的です。

 とはいえイスラエル人たちは、基本的には、彼らをお選びになった神のご計画を理解せず、自分たちに与えられた崇高な使命も把握出来ず、いたずらに祝福を独占するだけでした。また、神の命令に背いて、周辺諸民族の偶像礼拝を持ち込むことによって祝福をも失い、到底、すべての民族の祝福とはなれなくなってしまいました。神の目的にそぐわなくなってしまったイスラエルは、結局、神から見捨てられてしまうことになるのですが、そのあたりのいきさつは、キリストの喩え話に生き生きと描写されています。(マルコ12:@~12、マタイ21:33~46、ルカ20:9〜19)

 パウロはむしろ、イスラエルが一時的にせよ捨てられたのは、祝福が異邦人に及ぶためであり、またそれによって、イスラエルが覚醒されて、結局、救いに至るためであると教えています。そして、もし教会が神の慈しみに留まらず、自らに与えられた使命を軽んじるならば、イスラエルよりもたやすく切り落とされてしまうと警告しています。(ローマ9〜11章)

B.求心的宣教

 そういうわけで旧約時代の宣教は、一言で言うと「求心的宣教」でした。本来宣教とは出て行くというところに強調点があり、その意味では、旧約の求心的宣教という言葉自体に矛盾があるのですが、旧約の宣教は、いわばまだ生まれていない宣教、宣教の胚芽期であったと考えれば理解出来ます。

 確かにイスラエルは、神の選民としての使命を理解出来ず、ついには、その使命が「他の民」に与えられてしまう事になるのですが、使命を果たすことがまったく出来なかったと言うわけではありません。イスラエルが意識しての事ではなく、むしろ例外的ではありましたが、イスラエルの祝福を見て、ヤーウエの神を礼拝するようになった者たちがいたことを、旧約聖書は記録しています。遊女ラハブやナアマン将軍、あるいはシエバの女王などが良い例です。中でもシエバの女王は、その後長く続いたエチオピア皇族のヤーウエ信仰のきっかけとなり、使徒の働きに記録されているエチオピアの宦官の物語に発展し、そこから、エチオピア独特のキリスト教、コプト教の発展と存続に繋がり、さらには、およそ6万人のエチオピア人が、イスラエル政府によって正式にイスラエル人と認められ、イスラエルへの移住が認められたという、最近の事に繋がります。[1] このような歴史の大河ドラマとは別に、名のない人々もかなりの数に登ったことでしょう。

C. 新約的宣教の先駆け

 さらに、旧約時代の神の御心を教える大変興味深い事は、神が異邦人の町ニネベを滅ぼさずにおくために、ヨナを派遣したと言う事です。この旧約の事に、祝福が民族の壁を越える新約の宣教の精神を、垣間見ることが出来ます。また、いやいやながらも従わざるを得なかったヨナの派遣に、心ならずとも、全世界の宣教に駆り立てられて行った教会の姿が重なります。

 時代はさらに遡りますが、モアブの地に移住して嫁を取り、その嫁を徹底したヤーウエ信仰に導き入れたナオミの姿に、エルサレムに住むことが出来なくなって異邦人の地にまで散り、行く先々で福音を語って異邦人を信仰に導いた、初代教会の名もない信徒たちの姿が重なります。彼らは、決して、伝道を目的として外国に派遣されたのではありませんが、祝福の器として、この世に派遣されていたのです。

 ユダヤ教は、非常に狭い民族意識の中に閉じ込められた宗教であると、一般的には考えられています。しかし、捕囚以後のユダヤ教はかなり宣教的な面を持ち、世界各地に布教の手を広げていたことが明らかで、キリストのみ言葉にも語られている通りです。(マタイ23:25) キリストの時代や初代教会の時代には、当時の世界の各地にユダヤ教の会堂があり、改宗者、あるいは「神を敬う人」と呼ばれる人たちが、かなりの数で存在したと考えられます。改宗者とは、もともと異邦人で異教徒だった者が、ヤーウエの神を信じ、正式にユダヤ教の戒律を守ることを表明し、割礼を受け(男性の場合)、ユダヤ教徒となった者です(ユダヤ教徒となると、ユダヤ人になることは同じ意味です)。神を敬う人というのは、正式にユダヤ教に改宗はしていないが、ヤーウエを礼拝している人のことです。

 このような宣教的なユダヤ教の活動が、使徒時代の教会の宣教の足がかりを築き上げることになって行きました。使徒時代の教会は、明らかにユダヤ教の会堂を模倣し、その組織形態や役割の名称さえ、会堂から取り入れたと思われます。パウロは行く先々で会堂に入って福音を語り、ユダヤ教の指導者たちを「その道」に引き入れ、彼らを新たな指導者に仕立て上げています。また、改宗者や神を敬う人々の救いが、異邦人伝道の弾みとなっていたことは明らかです。旧約時代にも、新約時代の先駆けのような宣教がされていたのです。実際のところ、それがなければ、初代教会の宣教は非常に困難なものになっていた事でしょう。



[1] 史上最も長く続いたエチオピアの皇室の記録によると、シエバの女王はソロモンの子を宿していました

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