Missiology

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             世界宣教に対する日本の教会の基本的あり方

  教会がこの世に存在する目的は宣教です。日本の教会も、自らの存在理由をしっかりと見極めるならば、当然、積極的に世界宣教に乗り出すようになります。しかし、そのとき日本の教会はどのような意識と理解をもって、世界宣教に乗り出すかが大きな問題なのです。

A.福音宣教のみを目的とした宣教

 教会が世界宣教を目的として存在するという事実は、時代と場所、国家と民族と文化を超えて変わりません。しかし、その宣教の意欲の色付けにはいろいろあります。中世の教会は、ローマ帝国や中世ヨーロッパの民族国家主義と癒着した宣教を考えました。宗教改革以後のカトリックは、スペインやポルトガルといった、カトリック国の植民地政策とひとつになった宣教を行いました。プロテスタントには当初宣教の理念がまったく欠けていましたが、やがて敬虔派などの中に純粋な宣教の思いが現れ、しばらくするとイギリスからウイリアム・カーレーや、デビッド・リビングストン、ハドソン・テーラーなどの、近代宣教の先駆けとなった宣教師が出現しました。この時代の特徴は、これらの宣教師の願いや望みとは関わりなく、彼らはイギリスの植民地政策に利用されていたということです。オランダやベルギーからの宣教師たちも、同じでした。アメリカからの宣教師は、アメリカの国力の増大との間に時代的ずれがあったために、植民地政策とはあまり関わりを持たなかったと言えますが、アメリカのアイデオロジーの拡張政策、アメリカ流の民主主義と人権思想の販売には一役も二役も買っていました。戦後の日本に、マッカーサーが5千人の宣教師を呼び寄せようとしたというのも、その一例です。

 こうしてみると、キリスト教の宣教というものは、決して純粋な福音的思いからだけで行われたのではなく、福音以外の動機や力が背後にあったことがわかります。日本の教会の世界宣教においても、あるいは同様のことが言われるようになるのかも知れません。たとえば、1965年頃になると、日本の経済は著しい発展を見せ、日本が作り出す製品は優秀であると、いたるところで認められるようになり、世界中に日本の製品が輸出されるようになって来ました。敗戦で打ちのめされた日本人が、自信を取り戻し始めた頃です。当時、私たちの周辺で聞かれた言い方は、「日本の優秀な製品が世界中に送り出されている。今こそ、日本の教会から優秀な宣教師が世界中に送り出されるべき時である」というようなものでした。西欧の植民地主義の手先になった宣教師たちよりはまだましとはいえ、なんとなく、しっくりしません。日本人は優秀民族だというような感覚が、顔をのぞかせているからです。

 福音宣教に当たって、福音以外のものも動機の一部になったり、力になったりすることは、それ自体、悪と決め付けることは出来ません。私自身、フィリピンの山岳地に入り込んだのは、第二次世界大戦で日本軍が犯した残虐行為を、日本人の一人として身をもって償うという気持ちもあったためです。実際、教育、技術、医療、農業その他のノウハウをもって、それを手がかりにして福音宣教の道を探るということも普通に行われています。自国の経済発展が、宣教師を送りやすい環境にしているということも、大いにありえます。問題は、福音宣教という第一目的、あるいは最終目的をしっかり確認し、それを堅持しているかどうかであり、他の動機や力が、福音と相反する性質のものではないかどうか、見極めた上で取り入れればよいことです。

 日本の宣教師たちが、かつての西欧の宣教師たちのように、文明先進国から文明後進国へ出て行く、文明の使者のような感覚を持っていてはなりません。たとえ事実は、医療技術を持って入り、土木技術を持って奉仕し、農業技術をもって指導し、機械技術をもって教える立場にあったとしても、自分たちは福音宣教を第一目的とし、最終目的としていることを、常に反芻し続けなければなりません。自分たちが努力して作り上げ、完成したものを憐憫によって分け与えるのではなく、神の哀れみによって、ただで自分たちに与えられたものを、ただで与えるだけであることを常に確認し続けるのです。福音伝道は自分たちに与えられたものの余剰分を、貧しい人々にも分け与えるというものではありません。福音は始めから普遍的福音として与えられている、すなわち始めから彼らにも与えられている、自分たちはただ、それを配布する役割を与えられているに過ぎないという事実を、くりかえし、くりかえし確認しなおすことです。

 ましてや日本の文化、日本人の習慣、日本人の考え方やものの進め方などを、押し付けてはなりません。宣教師は文化使節団員ではないのです。文化を変えるために派遣されているのではないのです。福音を伝え、人々を救いに入れ、キリストのみ体を具現化するために遣わされているのです。極端な言い方をするならば、文化はどうでもいいのです。キリストの福音はどのような文化の中でも力を発揮し、人々を神の国に招きいれるのです。神の国は、どのような文化の中にも侵略していくものです。数少ない日本人宣教師は、宣教の目的を明確にし、それを先鋭化して行かなければ、非常に多くの外国人宣教師の間にうずもれて、存在意義を失ってしまうことでしょう。

B.和の共同体感覚を生かした宣教

 日本人宣教師は、日本の文化や習慣を現地に持ち込むことを目的としてはなりません。それは明白な理念とされるべきです。しかし一方では、たとえどのように文化と福音を切り離そうとしても、日本人の文化、あるいは感覚、習慣というものが、日本人の宣教のありかたに影響を与えるという事実を、しっかりと理解していなければなりません。それならば、日本文化の弱点、聖書に反する面を慎重に避ける一方で、日本文化のよいところ、聖書の教えと合致するところを上手に生かしていくことを考えるべきです。

 そのようなことを前提として、ここでひとつ、日本人の非常にユニークな発想に注目したいと思います。それは、日本の長い歴史の中で培ってきた和の共同体の発想です。日本人にはごく当たり前の発想であり、日本人の多くは、無邪気に、世界中の人々も自分たちと同じように考えていると思い込んでいるかのようですが、実のところ、まったくユニークな和の考え方です。いわく、「世界中の人々が、ひとつになって平和に暮らす」。いわく、「国連の力を強め、世界中が協力して平和を作り出す」。世界中の人々が主義主張を超えて、宗教やイデオロギーを超えてひとつになり、平和に暮らすなどということを、まともに、しかもある程度の常識がある人々でさえ、まじめに言うことが出来るのは、まさに国内の「たらいの中の嵐」程度の戦争しか経験したことがなく、民族の滅亡や国家の消滅などの危機に直面したことのない民族だからです。

 自分の国の自然が、人間に優しく協力的でる上に、その自然が天然の要塞となって、他民族の侵入を妨げて来たとあれば、人間は楽観的になり、性善説に傾きがちです。日本人は自分たちがそうであるから、ついつい他の国の人々、他の民族もそうであるかのように、無邪気に思い込んでいるのです。ですから、「国連の力を強め」などと夢想しているのです。国連を良識の府であると考えているのは、多分、日本だけでしょう。国連は戦いの場なのです。確かに、一般の日本人の国連に対する期待は異常です。世界中の大部分の国や民族は、陸続きで隣接する国家や民族と、存亡を賭けて戦い続けてきたのです。ちょっとでも隙を見せると、民族自体が抹消されてしまう中で、生き抜いてきたのです。彼らの中には、他民族、他国家、他宗教に対する徹底した不信感があるのです。ですから、たとえ国連の役割を強調し、世界の平和、民族の共存を謳ったとしても、多くの人々にとって、それは単なる建前、うたい文句に過ぎないのです。

 また、日本という国家が常に宗教やイデオロギーをすべて自由に取捨選択して利用し、実利主義を追及して来たという歴史的背景が、国民性の中に浸み込んでいるのも、無邪気な平和主義の原因のひとつでしょう。一般の日本人の常識としては、宗教もイデオロギーも人間に仕えるもので、人間が宗教やイデオロギーのために戦い、そのために犠牲になるなどということは、あってはならないことなのです。日本人にはいわゆるイデオロギー戦争や宗教戦争は理解できません。人間に幸せをもたらすのがイデオロギーの役割であり、宗教の目的だと信じて疑わないからです。イデオロギーにしても宗教にしても、原理主義は嫌いなのです。日本人の実利主義は、普通もっとも実利主義的だといわれるアメリカ人よりも、はるかに強烈なのです。すべて自分たちにとって益になり役に立つものは善であり、益にならないもの役に立たないものは悪とされるのです。原理主義は、自分たちの信念に反するものはすべて悪として退けるために、相対的に物事を考え、実利的に判断する日本人には合わないのです。

 この日本人の「やわ」な平和主義は、朝鮮や台湾を併合し、満州国を建国し、アジア諸国に侵略した、軍国主義華やかなりし頃でさえ健在でした。統合した朝鮮民族や台湾の人々には、基本的に日本人としての同等の身分を与えようとしました。台湾においては、一般の台湾人からも差別されて未開の状態に残され、高砂族と呼ばれていた山岳地の先住民族をも、無差別に日本国民になることを許し、仲良く一緒にやって行きましょうというその政策を、「強制的」に進めたのです。一般の日本人には、当然、彼らに対する差別意識もあったことでしょう。朝鮮の人々や台湾の人々にも、屈辱的な気持ちがあったことでしょう。しかし日本国の政策としては、そのように行われたのです。日本の無邪気な独りよがりの善意は、「八紘一宇」や「アジア共栄圏」という言葉で高らかに謳われ、理念として掲げられていたのです。

 ただし、そのような日本人のナイーブな理想は、当然、侵略される側の人々に理解されることはありませんでした。日本人が「アジアを開放してやる」のだから、少しくらいの犠牲を忍んでもらうと考えたか、アジアの国々にずいぶん無理を押し付けたことも災いしたことでしょう。アジアの人々が、日本を新たな侵略国、隙あらば民族自体をさえ滅ぼしかねない、凶暴な侵略者として見たのは、彼らの歴史的経験から見るとこれまた当然なのです。彼らはすでにいくたびも、陸続きの近隣諸国や民族との存亡を賭けた、過酷な戦いを経験して来ただけではなく、そのときは、遠いヨーロッパのキリスト教諸国の凶暴な植民地化政策に、痛めつけられて来ていたのです。そのようなところに勝手に侵略しておいてよくも言えたものですが、少なくても日本は、まじめに「アジア共栄圏」の構想を抱いていた節があるのです。しかし、この日本の「善意」が拒絶されたとき、日本人は、「てめーら、人間じゃねえや」とばかり、犬畜生のように殺戮を繰り返したのです。

 和の共同体の感覚を持っている日本人は、ひとたび、自分たちが常識としている共同体感覚を理解せず、自分たちの「善意」を踏みにじる者に出合うと、驚き戸惑い、彼らを自分たちとは違う者として差別し、よそ者とし拒絶し、外人とし敵視し、さらには人間以外の動物として無慈悲に振舞うことが出来るのです。本来柔和な日本人が、戦争中外国で犯した残虐行為は、彼らが周囲の外国人を人間としての基本的常識さえわきまえていない、人間以外の動物であると判断したからこそ出来たところがあるのです。ですから、中国人を「ちんころ」と呼び、アメリカやイギリスを「鬼畜」と呼んだのです。

 今、同じような感覚で「世界がひとつとなって」とか、「国連の力を増して」などと言っている日本人たちが、自分たちの共同体感覚の発想がまったく受け入れられないということが明らかになったとき、一体、どのような反応をするのでしょうか。宇宙船地球号に乗り合わせた運命共同体なのだから、すべての違いを乗り越えて手をつなごうなどと、美しい空言を並べているその同じ人たちが、今度は、「あいつら人間じゃねーや」とばかりにたけり狂い、凶暴な行動に出たりはしないでしょうか。国連の常任理事国に入れなかったとき、日本の国民感情はどのようになるのでしょう。

 この日本人の共同体感覚が、たとえ良いものであろうと悪いものであろうと、日本人のほとんどが、自覚しないまま身につけていているものであることは確かです。日本の教会が世界の宣教に本格的に参画するとき、この感覚はどのように働くのでしょうか。大切なことは、日本の教会から宣教師として出て行く者は、このような日本人の共同体感覚を理解し、その良い点を最大限に生かし、悪い点を殺していくことだと思います。

 まず、世界の民族や国家の中には、日本人とまったく感覚を異にする人々が多いというより、日本人とその共同体感覚を共有する人々は、むしろ少ないということを知らなければなりません。たとえ、共同体文化であっても、その内容は非常に異なっているのです。共同体感覚をほとんど持ち合わせていない人々もたくさんいます。そのような中にあっても、自分たちは地球という宇宙船に乗っている、運命共同体であるという自覚は大切です。そしてその宇宙船が、「罪号」であり、「滅び号」であるというしっかりとした認識が必要です。たとえその民族や国家、あるいは集団や個人が、自分とはまったく異なった宗教やイデオロギーを持っていようとも、またどのように憎むべき者であったとしても。彼らは神が救いをお与えになろうとしておられる者、神の愛の対象であると、しっかりと認めることが重要です。彼らも、自分と同じ救いを必要としている罪人共同体の一部なのだと知るのです。

 さらに、共同体に生きるものとして、私たちはある程度の個々人の間の相違を認めてきました。共に生きるものとして、個々人の特徴を受け入れ、その弱さや足りなさや、短所欠点と言われるものを、互いに寛容な態度を持って許し、受け入れ、助け合ってきました。この共同体感覚の優れた点を最大限に生かすべきです。ところが日本人は、自分たちがあまりにも共通事項の多い共同体に生きてきたために、いささかの相違、すなわち、自分たちの許容範囲を超えると判断される相違があると、慌てふためいて、「貴様それでも人間か」と言って拒絶し、差別し、爪弾きし、敵対視する過ちを犯してきました。私たちは、世界の民族や国家の間には、非常に大きな文化の相違があることを認め、許容度を最大限に上げなければなりません。そうすることによって、私たちは寛容性に富む宣教の働きをすることが出来るようになるのです。

 さらに、宣教師や伝道者たちとの交わりの中においても、この共同体感覚は大変大切な役割を担っています。日本人の共同体感覚がすべて聖書の教えている共同体の倫理と合致しているとは思いませんし、かえって、とんでもないところが多々あることでしょう。しかし、共同体感覚を持ち合わせているということ自体が大切なのです。1990年に始められた私たちのカンボジア宣教は、現在、8カ国の宣教師の協力によって推し進められています。そしてこの働きは、当初から、唯一のカンボジア・アッセンブリー教団を建てるために、すべての宣教師はひとつの交わりの中で活動するという、キリストのみ体という聖書的理念で始められました。現在、この理念を嫌ってか、これを無視して活動しているアッセンブリーの宣教師は、韓国から来ている一人だけです。これは完全な形ではありませんが、より良い目標を掲げた、聖書的共同体感覚を実現したものと言えるでしょう。もちろん、このような試みはなにしろ始めてのことですから、果たしてうまく行くかどうか、興味津々と言うところですが、より良い協力体制と愛の交わりが可能になっているということだけは確かです。形の上ではどうであっても、自分たちはキリストのみ体という、有機的かつ普遍的共同体として宣教を進めているという自覚と、その自覚に基づいた行動が大切なのです。

 日本人の共同体感覚を、聖書が教えるキリストのみ体である教会の共同体と比較検討し、聖書の基本的理念に合わない共同体感覚、たとえば個人の価値を埋没させるような感覚を排除する一方、聖書の教える共同体感覚と同質のものを大いに生かして行くことが、これからの日本の教会の、宣教に対する基本的姿勢として肝要であり、それこそが経済的にも弱く、人数的にも絶対的に少ない日本の教会の、世界宣教における有意義な参画を可能にさせるものではないかと考えます。特に、宣教の働きにおいて、共同体の宣教という一面は、西欧の宣教師たちの働きに大きく欠けていたものであることから、日本の教会の役割が期待されます。日本の教会は、この共同体の宣教という理念を理解した上で、共同体の一部として、自分には何が出来、何をすべきかと考え判断すべきなのです。そうすると競争ではなく協調の宣教が可能になります。自分たちだけの栄光を追求する、成功志向の宣教ではなく、共同体全体の働きとして、喜びを分かち合える働きとなります。

 そして、すでに述べたことではありますが、私たちが宣教地で建てる教会は、単なるキリスト教徒のクラブではなく、真の意味の共同体であるキリストのみ体といえる教会であるべきですが、日本的共同体の感覚を身につけているものは、聖書の共同体をよりよく理解し、それを築き上げることが出来ると信じるのです。とはいえ、本当のところは悲観的にならざるを得ません。なぜなら、この日本的共同体感覚がまだいたるところで息づいているこの日本の社会で、この感覚をしっかりと理解し、取り入れ、生かして教会形成をしている教会を、まだ見たことがないからです。日本の教会はまだまだ、日本の文化を敵視した教会なのです。このような背景から、宣教師だけは日本的共同体感覚を生かした教会形成をすることが出来ると考えるのは、いささか甘すぎると思うのです。しかし、ただ一人だけであっても、そのような宣教師に出現して欲しいのです。

 宣教は教会という共同体に任せられた使命であり、教会という共同体を全世界に形成していくことを目的としているのです。教会こそ、和の共同体の理想的姿です。たとえそれが理想に過ぎず、この世において実現することは決してありえないとしても、それを追い求めて行くのです。日本の教会の宣教に対する基本的なあり方は、聖書的な教会論に立って、すなわちキリストのみ体としての有機的共同体という教会の理念に立って、宣教を推し進め、聖書的な教会を建てるべく働くことです。

C.アイデンティフィケーションの宣教

 昔から日本では、郷に入らば郷に従えと言われて来ました。新しい土地に入ったならば、その土地の文化と習慣に従って生きるべきことを教えたものです。日本人はあくまでも、和の共同体を大切にするのです。ですから、新しい土地に入ったならば、自分が育った文化や習慣を捨てて、新しい文化や習慣を身につけ、周囲の人々と出来るだけ滑らかに付き合い、存在している和を壊さないように、和の中に入り込めるようにと教えられたのです。

 ですから日本人は、常に周囲の人々を気にします。いつも人の話や意見に左右されます。自分の考えを述べる前に、周囲の人々の言うことに耳を傾けようとします。ともすれば付和雷同となり、おもねりにつながり、日和見主義に陥ります。長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰、臭いものには蓋、見ざる聞かざる言わざるなどという、日本人の悪い体質の元ともなります。そこでは個人の確立が難しく、常に他人の顔色を伺って生きる、卑怯な生き方が当然とされ、波風さえ立てなければ、和の中にあって共同体に守られて生きるという甘えも許されます。和の文化のすべてが良いのではありませんし、郷に従って生きることすべてが正しいのでもありません。しかし、日本の教会が世界の宣教に参画するとき、たとえその経済力や動員人数が少なくても意義ある働きをするためには、この郷に従う哲学を取り入れた、宣教のあり方を進めるべきです。それは、現地の人々の生き方を重んじる宣教団体を建て上げ、現地の人々の生き方を尊重しその生き方を取り入れる宣教師を育て上げることです。

 大多数の日本人は、日本国内の異なった地方に行った場合には、その土地の文化に溶け込もうと努力をします。しかし、海外に行き、異民族国家の中に入ると、その文化や生活習慣のあまりの違いに驚いて、とてもその中に入ることは出来ないと感じてしまいます。ですから海外に行った日本人の多くは、現地の人々と交わらずに日本人ゲットーを作り、日本語を話し、日本食を食べ、日本人学校を建て、出来るだけ早く本物の日本に帰りたいと願いながら生きることになるのです。しかしこのような日本人の中にも、わずかながら、現地の文化に溶け込もうとする者がいます。事実、自覚はしていなくても、日本人には溶け込む能力を持っている者が以外に多いのです。日本人宣教師はこのような意欲と能力を持った者であるべきです。これは、日本人の文化的能力とも言えるものです。これが出来て、初めて、キリストのようにアイデンティフィケーションを持った宣教師となれるのです。もちろん、これは日本人に限られた能力ではありません。多くのアジア・アフリカ・ラテンアメリカの人々も、かなりの度合いで持ち合わせていることでしょう。個人的には、フィリピン人の能力は日本人のそれを凌ぐのではないかとさえ感じています。ヨーロッパの人々も持ち合わせているかも知れません。しかし、個人主義が発達し、どのような環境に入っても自己の主張、自己の生き方を変えようとしない、「自己確立の出来た」アメリカ人には大変難しいのです。

 現在の私たちの教会の宣教は、どのように言い訳をしようと、アメリカ型の宣教です。アジアのアッセンブリー教会も、アフリカのアッセンブリー教会も、ラテンアメリカのアッセンブリー教会も、そしてヨーロッパのアッセンブリー教会でさえ、非常にアメリカ的です。それぞれその国の文化的特長は残しているとは言え、アッセンブリーのペンテコステ信仰は主にアメリカから伝えられたのです。強烈な信仰と確信に満ちた宣教師たちは、福音だけではなく、アメリカの文化をも同じような確信と情熱を持って伝えたのです。そこには共同体がありませんでした。共同体への理解がなく、共同体の神学がないのです。教会論さえ、共同体の側面を欠いているのです。ましてや宣教の働きの中に、共同体感覚を生かし用いる発想は出てこないのです。つまり、現地の人々と同じ生活様式を取り入れて生きるという発想は、現在のアメリカ人の宣教では真剣に取り上げられることはないのです。精々、「それは考えてみたけれど、不可能である」と言った程度で終わってしまいます。「肌の色も、顔かたちも、背丈も違う。同じになるのは無理だ」で落ちなのです。努力するまで行かないのです。

 アイデンティフィケーションの大切さは、他の場所でもっと深く取り扱いますが、本当の宣教は、アイデンティフィケーションなしにはあり得ないのです。キリストはまさにこれをしてくださったのです。そして、郷に入れば郷に従えの日本人には、この意味がわかり、それをすることが出来るのです。アイデンティフィケーションとは、現地の人々とまったく同じになることではないかもしれません。しかし、少なくても、現地の人々の文化や生活習慣を理解し、それが罪でない限り受け入れ、むやみに批判せず、軽蔑せず、あざけらず、同情を持って一緒に生きることだと思います。

D.貧しい者としての宣教

 現在の日本は豊かな国です。最近は貧富の差が広がっているとはいえ、日本人は平均して豊かな生活を送っています。しかしひとたび教会の実情を見ると、教会としての豊かさは見えてきません。何しろ、本当の意味でのクリスチャン人口は、国民の0.3パーセントもあれば「御の字」というところなのです。多くの教会はぎりぎりの経済でやりくりしています。牧師の多くが、生活保護を受けている人たちよりも少ない収入で暮らしているはずです。このような教会が集まって宣教師を送り出しているのです。私たちの教団でも、三分の一の教会が比較的豊かで他の教会を支援できる状態にあり、三分の一の教会がやっと経済的自立が可能な状態、残りの三分の一は他の教会の支援、すなわち教団の支援がなければやって行けない状態なのです。

 いくら日本という国が豊かだとはいえ、このような教会の状態では、世界の宣教のために充分な献金が出来るものではありません。たとえ日本よりは貧しい国であっても、クリスチャンの数が絶対的に多く、教会の力が強ければ、かなりの金額を宣教に回すことも可能になるのです。もちろん、たとえばフィリピンやミャンマーのように、[1] 教会の力がかなり強くなっても国家があまりにも貧しいのでは、やはり宣教に回せる金額は小さなものになりますが、韓国やシンガポール、あるいはマレーシアなどはかなりの金額を宣教に用いることが出来るのです。しかし日本の教会は、アメリカ人などに代表される豊かな宣教師を送り出す必要はありません。

 宣教師が、その働きのために多額の金を費やすことが出来ること自体は、決して悪いことではありません。実際のところ、宣教はお金のかかる働きです。しかし、宣教師の経済的な豊かさが、そのなかでも特に宣教師の生活費の豊かさは、しばしば宣教活動の躓きとなり、障害となってきたという側面を見逃してはなりません。宣教師の経済的豊かさは、多くの場合、現地の人々とのアイデンティフィケーションの妨げとなり、心のコミュニケーションの妨害となってきたのです。また、宣教師たちの豊かな経済を背景にした働きは、確かに、土地を買い会堂を建て、大きなプログラムを建て上げるには、非常な力として現地の教会の助けになってきました。しかし、豊かな経済力を生かした働きの多くは、現地の人々が学び模倣することの出来る働きではなく、宣教師がいなくなれば出来なくなる働き、すなわち継続性のない働きとなってしまうという、大きな負の側面があるのです。

 宣教師の働きのもっとも大切な部分は、現地の人々が継続し、発展させ続けていくことが出来る働きをするということです。あるいは、現地の教会が等身大の働きを自ら始める手助けをする、それを励まし支援するということです。その宣教師だけにしかできない大きな働きをすることも、必ずしも否定されるべきではありませんが、大切なのはやはり、現地の人々が模倣していくことができる、手本を残すことです。そういう意味で、日本から遣わされていく宣教師は、すべからく貧しい宣教師であるべきなのです。しかし、宣教師に大切なことは貧しいことではなく、貧しく生きる人々と心をひとつにし、貧しい生き方をし、貧しい中で働きを進めていくことが出来るということなのです。むかし、賀川豊彦という偉大なクリスチャンがいました。彼の偉大さのひとつは、非常に大きなお金を動かすことが出来る実力を持っていながら、自らは常に清貧に甘んじ、貧しい人々の感じ方、考え方、生き方を理解して働くことが出来たということであると、何かの本で読んだことがあります。残念ながら、私たちが送り出す宣教師に、賀川豊彦ほどの偉大さを要求することは出来ないでしょう。しかし、アメリカ人宣教師のような豊かな経済支援を持たなくても、充分に活動できる、持たないほうがより良く働けるという、宣教師を送り出すことは出来るでしょう。

 もちろんそのような場合、送り出す団体は、送り出した宣教師の福利厚生のためには最大の努力をすべきです。宣教師の心身両方の健康管理、子供の教育などには、細心の注意を払わなければなりません。保険、医療費、緊急費などの確保も必要です。そのようなことで宣教師に心配の種を増やしてはならないのです。そうであってこそ、宣教師は、現地において心置きなく働きに専念できるのです。自分で富を溜め込む必要もなく、また、けち臭い宣教師と言われることもなくなるのです。現地の人々は宣教師が「贅沢な」生活をしていながら、もちろん、現地の人々の感覚の贅沢ですが、贅沢に暮らしていながら現地の人々の困窮を助けることが出来ないときに、けち臭いと判断するのであって、宣教師がつつましい暮らしをしながら現地の人々と共に暮らし、共に働いている場合は、たとえ彼らの困窮を助けることが出来なくても、けち臭いとは言わないのです。

 宣教師が、より豊かな土地から貧しい土地へ行くようになってから久しくなりますが、パウロやペテロの時代はそうではなかったのです。また、現在においても多くの開発途上国の宣教師たちは、非常な貧しさの中から遣わされているのです。日本人宣教師は、たとえ豊かな国に育ったとしても、その豊かさを自分のために用いず、主のために犠牲にして行くものであってほしいのです。そうすることによって、豊かなキリスト教国からの宣教師には出来なかった働きをすることが出来、彼らの足りなさを補い、彼らが知らず知らずのうちに現地の人々の心に残した傷を、たとえ僅かでも癒すことが出来ると思うのです。そして、本当に貧しい国の貧しい教会から、ただただ愛と信仰と従順によって宣教師になってくる人々とも、共に働くことができるようになり、彼らの励ましとなり、模範ともなれるのです。

E.地道な宣教

 日本は伝道が困難な国です。法律的には信教の自由が保障され、実際の伝道にも何の妨害もありません。それなのにクリスチャンの数は、わずかな例外を除いては、さまざまな理由で信教の自由が保障されず、伝道も出来ない国々、たとえばイスラム教や仏教を国教としている国々、あるいは社会主義を掲げている国々、長い間共産主義政策を採っていた国々よりも遥かに少ないのです。日本の教会で育った宣教師たちの多くは、「キリスト教国」の大教会や大集会に見られるような、「勝利者主義」の信仰を持っていません。困難な中で闘い、長い時間をかけて地道に伝道し、わずかな人数の教会を建て上げ、それを大切に育てて行く働きを見ているのです。伝道とは忍耐の働きであることを前提として、宣教師になって行くのです。

 一方、クリスチャンの人数が非常に多い国から来た宣教師たちは、どうしても伝道に対して楽観的です。また、短期間の成果を求め、大々的な働きを好みます。宣教地がたまたまフィリピンや中南米のように、カトリックの背景を持っていたり、パプアニューギニアのように、生ぬるいプロテスタントの信仰を維持していたりした場合には、「熱く激しい」ペンテコステ信仰を持った宣教師として、短期間に大きな成果をあげる働きも不可能ではありません。しかし仏教やヒンズー教、あるいはイスラム教などの宗教を背景にした土地に行くと、事情はまったく異なります。多くの場合、日本ほどではないかもしれませんが、非常に長い時間をかけた、忍耐深い地道な働きが必要となります。そのような場合、伝道が容易な国から来た宣教師たちは、困難な伝道にフラストレーションを起こしてしまいがちなのです。ひどい場合には、失望と落胆の末に自己イメージを失って、宣教師を止めてしまうことさえ無いとは言えません。

 単に異文化の中で福音のために働くという意味での、広義の「宣教師」ではなく、福音の未開地に赴いて福音を伝え、そこに普遍的な教会の地域的表現としての土着教会を建てようとする宣教師、すなわち使徒的な働きをする宣教師になろうとするならば、まず間違いなく、長期間にわたって非常な忍耐を要する働きに就くことになります。そのような働きに対する宣教師自身の自覚が必要であり、宣教師を送り出す宣教団体、あるいは教会の理解も必要になります。大きな教会がたくさんあり、大勢のクリスチャンがいる土地から宣教師になった者は、自分の忍耐だけではなく、支援団体の理解と支援教会の理解まで必要になります。日本に来ているアメリカ人宣教師たちの多くは、そのような困難と闘っているのです。たとえば、伝道が比較的容易な土地に赴任した宣教師は、毎年、何百人が救われた、いくつ教会を建てたと報告するのですが、日本に来た宣教師は、毎年、精々数人の救いを見るだけです。教会設立となると、10年にひとつあれば良いほうで、ふたつあればたいしたものです。

 1985年頃のことですが、私はフィリピンのバギオ市の公園で、ベンチに腰を下ろしていた初老の白人婦人と、ふとしたきっかけから、おしゃべりをしました。やわらかく微笑みながら、「暖かい日差しの中で傷をいやしているのよ」と言いながら、私にも座るように進めてくださったのです。実際、彼女は心の傷を負って、バギオ市の友人のところに来ていたのです。私が日本から来ている宣教師だと知って、彼女は非常に驚き喜び、「日本人の宣教師がいるなんて知らなかった」と言いながら、心を開いて話してくださいました。彼女は、日本のある都市で、宣教師として24年間も働いたそうです。そして、やっと小さいながら教会をひとつ形成して、会堂も建て上げることが出来ました。ところが忠実な役員に後を任せてアメリカに戻り、1年少々の休暇を取って帰ってみると、信徒たちのほとんどが教会を離れていただけでなく、教会の土地も建物も、後を任せた役員の名義に書き換えられていて、彼女は会堂であるはずの建物に立ち入ることさえ出来なかったというのです。宣教師としての彼女の知恵のなさに、聞いているうちに歯軋りする思いに駆られたのは事実です。しかしそれよりもまず、彼女の痛みがまっすぐに伝わってきて、涙をこらえることが出来ませんでした。ただ黙って、彼女の24年間にわたる苦労のお話を聞き終えてから、彼女の肩に手を置いて祈りました。「神様。このような忠実な聖徒を日本のために送ってくださったことを感謝します。どうか彼女の尊い犠牲と労苦に報い、その働きを無駄に終わらせることなく、実り多いものにしてください。そして、彼女の心の痛みを和らげ、さらに、日本のために働き続けることが出来るようにしてください。また、アメリカにある支援教会の人々にも、日本の霊的実情と彼女の痛みを理解させ、彼女の働きを支援させ続けてください。」

 日本から出て行く宣教師は、日本の伝道の困難さを知っているために、宣教地での少々の困難さに音を上げることはありません。成長の遅い教会にも失望することがありません。地道にそして忠実に、働きを継続することが出来るのです。いま最も必要とされている働きは、福音の未開地に福音を伝え、教会を建て上げる働きです。そこで必要とされるのは、地道な宣教なのです。そしてまた幸いなことに、日本の教会は、自分たちが送り出した宣教師に、華々しい働きを要求しませんし期待もしません。かえって、あまり華々しい働きには不信感さえ抱いてしまうかもしれません。

 私は「伝道の易しい」フィリピンで働いた宣教師でした。しかし、私が働いたのはカトリックの背景がある人々ではなく、インカ帝国を滅ぼしつくしたスペイン軍が、埋蔵する大量の金を狙って侵略してくるのを、勇敢な戦いで阻止して、自分たちの文化と宗教と独立を守り通した山岳民族の人々です。当然、フィリピンの中では伝道が困難な場所であり、多くの宣教師が手をつけたがらないで、空白のまま残されていた地域です。本当のところ、手をつけた宣教師もかなりいたのですが、カトリックの人々の間での伝道に比べて、思うように成果が上がらないために投げ出されていたのです。しかし、日本の伝道の困難さを知っている私にとって、山岳地の人々の伝道は、まだまだ楽なものでした。たくさんの人々が救われるのを見、教会も設立できたのです。そして働きについては、支援教会に対してありのままの報告をしています。しかしもっともっと伝道の容易な、カトリック地域での成果については、常に控えめに報告をしたものです。集会出席者の数も、洗礼を受けた者の数も、伝道所の数も控えめに伝えて、日本の支援教会に、疑惑を起こさせないためでした。だからと言って、虚偽の報告をしたわけではありません。主席者が200人から250人と推定されたときは、200人と報告し、洗礼を受けた者も、合せて40人か50人だろうなと思ったときは40人と報告し、集会をしている場所が50あっても、その中で確実に定期的な集会になっている35だけを報告すると言った具合です。ある国から来ていた宣教師たちのように、200人の出席者の耳を数えて400と報告する必要がなかったことを、心から喜んでいます。

 現在、ひと昔ふた昔前までは宣教地だった国々からも、たくさんの宣教師が送り出されています。もう宣教師とは西欧人であるという時代ではありません。その上、旅行が簡単になり、宣教地は、いろいろな国のいろいろな種類の「宣教師たち」で溢れています。数十人の外国の高校生たちが、学校の休みを利用してやってきて、かなりの奥地にまで入り込んで宣教師を自称して働いています。数人のおじ様信徒たちが金を貯めてやってきて、トラクトを配り、路傍伝道をしながら、宣教師を名乗っています。そうかと思うと、ドラッグをやって受刑している間に救われ、釈放されると一人で勝手に「バックパックの宣教師」となって、きわめて初歩的な知識しか持たないまま、怪しげな伝道をしながら回り歩いている者もいます。神学的な訓練は愚か、ほとんど聖書知識もないまま、送り出されている宣教師たちがうろついています。「お前たちいい加減にしろよ!」と言いたくもなりますが、必ずしも悪いことではありません。彼らのような「宣教師」たちがたくさん出て来るということは、それだけ福音が語られているということだからです。彼らがいなければ、初歩的な福音さえ聞かずに一生を終える人々がいるということなのです。しかし、彼らのような働きばかりでは、あるいは大きな働きや目立つ働きを求める宣教師ばかりではいけないのです。彼らの働きをしっかりとまとめる宣教師が必要です。重石となり、けじめとなり、要となる宣教師が必要なのです。その働きを、私は日本の宣教師に期待できると考えているのです。


[1]   ミャンマーは、政府が海外にお金を持ち出したり送ったりすることを厳しく制限していますので、今のところは、国外の宣教のために金銭的支援をすることは出来ません。

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