Missiology

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日本の宣教

 私たちにとって、今、最大の関心事のひとつが日本の宣教です。どのようにしたら、この日本により効果的に福音を伝え、より多くの人々を救いに導き入れ、堅固な教会を建て上げて行くことが出来るでしょうか。そのことに的を絞って、少しばかり考察してみましょう。

A.伝えられた福音から文化的要素を峻別する

 すでに述べてきたことではありますが、日本の宣教ということを真剣に考えるとき、もう一度しっかりと確認しておかなければならないのが、私たちに伝えられた福音は必ずしも聖書が教える福音ではなく、伝えた国の人々の文化と織り合わせられた、混ぜ物入りの福音であるということです。そして、これから私たちが日本において効果的に宣教を推し進めていくためには、外国の文化と混同した福音ではなく、聖書が教える福音を語って行かなければならないのです。てんぷらにされた海老が本当の海老だと思っている人は、本当の海老を知りません。海老とは衣の部分だと思っているかもしれません。衣の中の部分だと知っていても、あのように揚げられてしまったものが、海老だと思っているかも知れません。本当の海老を教えるためには、裸の海老が必要です、料理されていない海老、できたらまだ水の中で生きている海老を見せるのが一番良いかも知れません。日本に伝えられた福音の海老は、西欧の好みに合わせて西欧流に料理された海老です。しかも、海老の中にまで、しっかりと西欧のスパイスがしみこんだ海老です。多くの日本人は海老が大好きなのですが、西欧流に料理され、西欧好みのスパイスがたっぷりと浸み込んだ海老は、どうしてもいただけない人が多いのです。

1.日本人が福音を受け入れない理由

 日本人がなかなか福音を受け入れないわけは単純ではなく、いろいろな理由があることでしょう。しかし、少なくても、その最も大きなものの一つが、福音が外国の文化と一緒に、あるいは「より優れた外国の文化」として語られているからだと考えられます。宣教師たちは、福音と自分たちの「キリスト教国の文化」とを区別できないままに、すなわち海老と衣とを区別できないまま、西洋てんぷらをもち込み、日本の宣教を進めて来ました。日本人たちは宣教師たちによって語られた福音の、どの部分が本物の福音でありどの部分が文化なのか、識別出来ないまま聞き、見分けがつかないまま拒絶し、あるいは区別をつけることなく、丸ごと受け入れて来たのです。日本人の伝道者たちは、自分たちが受け入れたままの福音、つまり、西欧キリスト教文化の衣をまとった福音を、衣を着せたまま、これが福音であると語ってきたのです。一般的な日本人は、当然、より優れた文化を持ってきたと思い込んでいる宣教師には、西欧人の思い上がりとずうずうしさを感じます。それに追従する日本人の牧師たちには、日本の文化を自ら卑しめている貞操感の喪失を見るのです。

a.福音を宗教もしくは文化と考えている

 ですから一般の日本人は、福音を「キリスト教文化」というひとつの文化と考えています。良くても精々、ひとつの宗教であると理解しているのです。人々は、救い主であるキリストという人格を持ったお方、愛と憐れみと恵みに満ちたひとりのお方を見ず、キリスト教という宗教、あるいはキリスト教文化というものを見ているのです。ですからクリスチャンになるということも、キリスト教の信者になるということであり、キリストというお方を信頼し、そのお方に従うのとはまったく別のことなのです。それでは、たとえキリスト教文化を受け入れ、キリスト教を信奉したとしても、本当の救いには与っていませんし、聖霊の力も体験しないままになっているのです。知的に福音を理解することがあったとしても、神の愛を自ら体験して感動に涙することもありません。そのようなキリスト教の信奉者には、自らの生活を変える力も、神が意図されたような形で社会を変える力もありません。人々を救いに導く力などなおのことです。

b.自分の文化に誇りを持っている

  宣教の歴史で明らかにされていることですが、世界中のどこにおいても、しっかりした自分たちの文化、あるいは宗教というものを持ち、それを誇りとしている人々の間では、宣教は困難を極めています。

 インドは長いプロテスタントの宣教の歴史にも拘わらず、一部の例外を除いては、まだまだキリスト教は弱小宗教です。それが高度に発達した宗教であり哲学であるかは別として、ヒンズー教という宗教と、その世界観や価値観があり、そこに住む人々はそれを深く信奉し、誇りとして生きているからです。イスラム教の世界では、福音が拒絶されたままです。多くの場合、イスラム教が国教とされキリスト教の伝道は禁止されていますし、禁止されていない場合でも、イスラム教徒は自分たちの信仰と文化に強い誇りを持ち、イスラム教徒であるということに自分たちのアイデンティティーを見出しています。仏教の影響が強いインドシナ半島の国々においても、キリスト教はなかなか受け入れられないままです。彼らの仏教は、日本の「葬式仏教」と陰口を叩かれるような仏教ではなく、日常生活の中で生きている仏教であり、国民の大部分が仏教徒なのです。日本もまた、宗教的には仏教国であるか神道の国であるか、はたまた唯物論の国なのかはっきりしませんが、それらが渾然と一体化した、「日本の文化」と言われるかなり特殊で明白な文化を持っていて、キリスト教文化を拒み続けているのです。

 一方、文化的にも宗教的にも混乱している状態、あるいは未発達な状態にある土地では、キリスト教は非常な勢いを持って勢力を伸ばしてきました。信仰形態が基本的に土着のアニミズムの域を出ていない、まだ信仰の体系が整っていない土地、また、文明もまだ発達しておらず、自分たちの文化に強い誇りを持てないでいる土地では、人々は容易に他の文化を受け入れ、大挙して文化的移転をします。自分たちの文化に意義を見出せない人々、自分たちの文化に疑問を感じている人々、西欧の文化を自分たちの文化よりも優れたものとして、憧れを持ち、受け入れようとする人々の間では、キリスト教文化は歓迎されるのです。アフリカ諸国のキリスト教宣教にそのような例が多く見られます。イスラム教の中でも、たとえばインドネシアなどは、イスラムの教え一点張りではなく、国家もまた柔軟な立場を取っているために、人々の多くはイスラムと土地のアニミズムとの混合信仰を持っていますが、このような中では、宣教はかなりの成功を収めています。人々が、自分たちの宗教と文化に対して強い誇りを持たず、自分たちの宗教と文化を自らのアイデンティティーとする度合いが低いからです。

 これはまた、スペインやポルトガルの植民地政策と共に進められたカトリックの宣教によって、カトリック国となった多くの国々でも同様です。もともとカトリックの宣教では、土地の宗教の要素を取り入れていく方法が用いられていたために、多くの植民地では、土着の信仰がそのままカトリックの習慣や儀式、あるいは民間信仰に取り入れられ、土着の迷信がカトリックの名前を与えられてそのまま残っているという場合も少なくありません。[1] これらのカトリック国の人々は、カトリックであるということに誇りを感じているのは事実のようですが、自分たちの信仰に確実な理解をもっているわけでも、自分たちの文化に誇りを持っているのでもありません。多くの場合は、土着の迷信の中に留まっていて、政治的には混乱し、経済的には衰退し、文化的には廃頽していると感じている人々が少なくありません。ですから、このような国々にあっては、もうひとつの絶対主義の共産主義が猛威を振るった時期がありました。人々は、自分たちの宗教と文化に疲れていたのです。

 そのようなところに、福音が入っていくと、たとえその福音が欧米文化とまぜこぜになった福音であっても、福音は文化と共に受け入れられていくのです。絶対主義、全体主義、権威主義のカトリック思想に比べ、プロテスタント宣教がもたらしたものは、民主主義であり、自由主義であり、人権であり、より進んだ経済、工業、技術だったからです。中南米諸国やフィリピンでの宣教が非常な成功を収めているのには充分な理由があります。ましてや、カトリック国では、一応、神、キリスト、聖霊、聖書、教会などというものに対す拒絶反応がなくなっているのです。福音宣教が容易であるのは当然です。

 しかしながら、人々が自分たちの文化に誇りを持ち、自分たちの宗教に自信を持っている土地では、キリスト教の宣教は苦戦を強いられているのです。生まれてからずっと日本国内に留まっている人には、思いも及ばないことではありますが、日本人は非常に強い「日本文化」という特殊な共通文化を持ち、それを誇りにし、まさに日本人であることを非常に大切にして生きています。これは海外生活をしてみるとすぐに気づくことです。たとえ日本国内にいたときは日の丸反対、君が代反対、戦争責任の追及などと声高に叫ぶ、いわゆる自虐的日本人であっても、あるいはお茶にもお花にも、書道にも俳句にも興味がなく、日本的なものなど爪の垢ほども持っていないと自認していても、海外に出てみると、あまりにも多様な、あるいは自分たちとはひどく異なる世界観や価値観、人間観、歴史観などを持った人々に遭遇し続けると、日本人全体が異常なほど類似した、というよりむしろ共通の文化を持ち、これを密かに誇りとしながら生きて来たことに、改めて気づかされ驚くのです。それは日本という国が、海によって孤立し、外部の人間や文化とは最小限の交わりしか持たず、もっぱら国内での地域共同体作りに励んできたという、歴史的背景によるものであると言えますが、結構、南北に長い国土でありながら、日本人ならばだれもが、俳句の季語に共感出来るほどの共通文化を形成し、そこに日本人としての自分のアイデンティティーを見出してきたのです。多くの日本人にとって、そのアイデンティティーを失うことは自分を失うことにつながり、耐えられないことなのです。

 だいたい、世界中のあらゆる民族は、たとえそれがどんなに小さく弱いものであっても、ある程度自分の民族を誇りにし、自分の国を誇りにし、自分の文化を誇りにしています。そこに自己のアイデンティティーを持とうとしているのです。それを失うと、自己を見失い、自分の存在が危うくなるのです。ましてや、世界の中でもいろいろな意味において特殊で、また多くの優れた面を有する日本の文化の中に生きて来た日本人は、普段は自覚していなくても、自分の文化に強烈な誇りと愛着を持っているのです。民族的にも、かつての総理大臣のひとりが誤って、「日本は単一民族国家だ」と発言したほどに、多くの人々が同一民族としての自覚とアイデンティティーを持っているのです。そしてこの誇りが蔑まれたり、同一民族としてのアイデンティティーが脅かされたりすると、非常に憤り、防御的になり、また攻撃的になるのです。福音が、「日本文化より優れた」西欧キリスト教文化として輸入されたために、日本人全体としてはこれを日本文化への挑戦と理解し、憤り、防御的になり、また攻撃的になるのです。

c.西欧のキリスト教文化に疑いを持っている

 多くの日本人は、日本の文化に誇りを持っているだけではなく、西欧キリスト教文化に対しては疑惑の目を向けています。しばらく前までは日本社会党が勢力を持ち、盛んに日本の戦争犯罪を糾弾し、それを天皇制と結びつけて非難し続けていました。しかしいまやその社会党は惨憺たる有様です。戦後の多くのキリスト教の指導者たちは、あたかも社会党のような主張を繰り返し、その上にさらに加えて、神道こそが、それらの背後にある諸悪の根源であると主張して、神道とそれにかかわるすべてを敵視して来たところがあります。そのためかどうか、最近の日本人は私がクリスチャンになった頃、社会党が力を持っていた頃に比べると、非常にクリスチャンになりにくくなっているようにすら感じるのです。

 確かに、歴史を見ると、日本という国は戦いに明け暮れ、血で血を洗うような年月を重ねてきました。とは言え、四方を荒海で囲まれた日本は、二度にわたるモンゴルの来襲を除いては、外国の脅威に晒されたことがなく、海外からの侵略を受けたことがありません。陸続きの諸外国諸民族の歴史に比べると、もっぱら国内の、「たらいの中の嵐」のような戦しか経験しませんでした。モンゴルの来襲のときには、「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは何の誰平・・・・・」と、「たらいの中の国内の戦」と同じようにのんびりと名乗りを上げようとして、たちまちモンゴル弓で射殺され、半月剣で切り殺されてしまったという話が残っています。陸続きの異民族国家と戦い続けていたモンゴル軍には、そのような日本国内の戦の甘い常識や倫理は通用しませんでした。ただこのときには「神風」が吹いて、本格的戦いを戦わずに勝利したために、日本は民族の存亡にかかわるような戦争を一度も経験しないで済みました。太平洋戦争の末期に、日本人が一億総玉砕を叫んでいた頃でさえ、連合国は日本を侵略して滅ぼしつくそうなどとはまったく考えず、いかにして日本を壊滅させずに、近代民主主義国家の仲間入りをさせようかと、戦後処理のことを計画していたのです。

 また反対に、日本が他民族や他国を滅ぼし尽くしてしまうような戦いを挑むこともありませんでした。確かにアイヌ民族はいまや民族としては消滅しかかっていますし、ギリヤーク民族は消滅してしまいました。これらはまさに悲劇ですが、日本政府が率先して彼らを滅ぼそうとしたというものではありません。日露戦争にしろ、日清戦争にしろ、日本側からするならば、相手国の存亡につながる戦争をしたのではありませんでした。朝鮮の侵略と統治にしても満州国設立にしても、また中国大陸の侵略にしても、さらには南太平洋諸島やフィリピンの統治、あるいはインドシナ半島への侵攻にしても、国家や民族を根絶やしにするような戦争ではありませんでした。日本がやったことが、現代の国際倫理からするならば重大な犯罪であることは明白だとしても、また、数々の日本軍の残虐行為に対して、人道的にまったく言い訳は出来ないとしても、さらに日本の第一目的は日本の国益であったとしても、当時の世界の国際倫理の中では、アジア共栄圏を謳った国策はことさら極悪ではなく、むしろ良心的でさえあったのです。その頃は世界中が西欧キリスト教国の植民地とされ、拉致と略奪と搾取と殺戮が繰り返されていたからです。アジアでも、植民地化されていなかったのは、日本とタイだけだったのです。ですから日本の侵略には、たしかに、白人による植民地支配からアジアを開放という意図もあったのです。

 これに比べると、白人キリスト教国によるアジア支配、あるいはアフリカ支配、中南米の支配は、まさに残忍非道なもので、「鬼畜」と呼んでも良いほどのものでした。ポルトガルやスペイン、フランス、イタリア、あるいはベルギーなどのカトリック国だけではなく、正教のロシア、そして、プロテスタント国であるイギリスやオランダ、ドイツ、アメリカが、世界で犯した植民地化の犯罪、拉致の犯罪、殺戮の犯罪、民族壊滅の犯罪に比べると、日本の数々の戦争犯罪はおとなしいものです。イギリスの大英博物館は、国家的略奪、詐欺、強盗の倉庫です。イギリス国民が自慢するようなものではなく、恥じ入るべきものです。世界中で国力をかさに着て抑圧し、略奪し、虐殺した証拠です。本来ならば、イギリスは大英博物館に展示されている大量の略奪品のすべてを、強い懺悔と共にそれぞれの国や民族に返還すべきです。また、戦後独立した多くの植民地で犯した人道的犯罪を悔い改め、賠償をすべきです。[2] 古代エジプト研究で有名な、フランスのルーブル博物館に収められている数々のエジプト遺品も、フランスの国家的犯罪の歴史を示すものに他なりません。カンボジアのアンコール・ワットを始めとする多くの遺跡を幾度も見てきた筆者は、この遺跡が深いジャングルに覆われて発見されなかったために、宗主国フランスの略奪から逃れたことを喜んだものです。もっとも、数多くのワットの遺跡には、自然の破壊やポルポト時代の人為的破壊が進んでおり、フランスに奪われていたほうがよく保存されていたかなと、思わないでもありませんでしたが。

 20世紀の始めには、アフリカで白人キリスト教国の支配を受けていなかった国は、エチオピアとリベリアの二カ国に過ぎなかったのです。現在は、60数億の世界の人口のうち10億人以上が、いわゆる限界を超えた極貧の状態にいますが、そのうちの半分はアフリカにいます。アフリカの総人口8億人の実に半分以上です。彼らは、1人1日1ドル以下で生活をしています。そして、彼らがこのような貧困の中に取り残され、日々多くの餓死者を出している原因のほとんどは、5世紀以上にわたる白人キリスト教国の、犯罪のためだと言えるのです。

 象牙海岸を中心に狩り集められた黒人たちが、奴隷として白人キリスト教国に売られるようになったのは、15世紀のことだったと記憶していますが、それは、およそ300年間も続けられ、1000万人とも1500万人とも言われる働き盛りの若者たちが、狩られ、捉えられ、枷に嵌められ、白人キリスト教社会に連れて行かれました。実際はさらに惨めで、多くの黒人たちは閉じ込められた船の極悪条件の中で、死んでしまったと言われていますが、生きのびた者たちも、奴隷として牛馬よりも過酷な労働の中で死んで行きました。残されたアフリカは、働き手を失い、生産が落ち、徐々に貧しくなって行かざるを得ませんでした。それだけではなく、白人キリスト教国はアフリカ諸国を植民地化し、搾取し続けました。豊かな土地は、アフリカ人のために必要なものを作ることが許されず、白人たちの強制によって、コーヒーなどの役に立たない作物を作らせられました。その上収穫されたものは、白人たちの言い値で買い取ってもらわなければならないありさまでした。非常に豊かに産出された、ダイヤモンドを始めとするさまざまな貴重な鉱物も、まったくアフリカ人たちの手から奪い取られ、もっぱら白人たちを富ませることになりました。それが、20世紀の後半まで続いたのです。

 第二次大戦の後、しばらくしてから、アフリカの多くの国は独立を勝ち取りましたが、過酷な条件はなくなりませんでした。およそ5世紀にわたる白人キリスト教国の支配下にあったアフリカでは、きわめてわずかな人々以外には、最低の教育さえ与えられず、読み書きもできず、何の技能も持てないままに捨て置かれたのです。独立を勝ち取ったとしても、彼らが国を運営し、繁栄させることは至難の業でした。

 教育から遠ざけられた彼らの中には、企業を起こして経営する手腕のある者もいません。大概の者はまともな農業さえ出来ないのです。外国の支援者たちが工場を作って、しばらくの間その管理と運営を教えたとしても、支援者が帰国するとたちまち工場は止まり、やがて潰れてしまいます。多くの国では国家としての体裁を整えることが出来ないまま、内戦につぐ内戦で、数え切れない人々が命を落としました。子供たちが略奪され、兵士に育てられ、理由も解らないまま武器を与えられ、戦わされました。白人キリスト教国は武器を提供し、ここでも利潤を稼ぎました。贈収賄、流用、私腹が当たり前となり、支援金が目的のために使われることはまれであり、多くの独裁者たちが出現しました。最近は、彼らの間にエイズが物すごい勢いで広まっています。白人キリスト教国の人々はエイズをコントロールする薬を開発し、自分たちの国では誰でもそれを手に入れることが出来るようにしました。しかし、アフリカ諸国などの貧しい国々では、貧しさのためにそれを手に入れることが出来ません。製薬会社の経営者たちが自分たちの利潤のためにそのようにしただけではなく、知的財産を守るという先進資本主義国家の大儀が、貧しい国々の人々の数千万の命を、平気で犠牲にしようとしたためです。

 現在でも、アフリカ諸国は国際社会から、すなわち豊かなキリスト教諸国が主要国として力を振るう社会から、忘れ去られたままです。ビアフラやエチオピアでの飢饉も、シエラレオネやルワンダで、部族と部族の抗争のために数百万人が死んでも、国際社会は申し訳程度のことをしただけです。スーダンでは、今でもアラブ系の人々による虐殺が続いたままです。何百万人という避難民が、餓死寸前です。アフリカ全体では、現在でも、1日3万人に及ぶ人々が餓死しているのです。日本では、北朝鮮による数十人に昇る拉致被害者が、世界で最も非人道的な犯罪の被害者であるかのようなことが言われています。パレスチナ紛争やアフガニスタン、イラクによるクエート侵略とクルト民族などの虐殺、そして9.11のテロなどがマスメディアで大きく取り上げられます。しかし、同時に進行しているアフリカの悲惨な状態は、それらのどれよりも、あるいはそれらすべてを一緒にしたものよりも残酷で非人道的でありながら、まったくと言って過言ではないほど、取り上げられることはありません。国際社会はまったく無関心です。

 アフリカの人々が怠け者だから貧しいのでも、能力がないから貧しいのでもありません。植民地化した白人キリスト教国が、気が遠くなるほど長期間にわたって拉致し、虐殺し、搾取し、弾圧し、無教育のままで放り出して来たために、そのようになったのです。両手両足を切り取って投げ出し、「さあ、自由にしてやるから、自分で働き、豊かになれ」と言っても不可能です。そしてこれは、アフリカ諸国だけではなく、インドでもミャンマーでも、マレーシアでも、スリランカでも、バングラディッシュでも同じでした。中国で犯したアヘン戦争は時効になっているのでしょうか。ドイツもオランダも、新興国のアメリカも、植民地政策と領土拡張の犯罪と、それに伴う数々の非人道的罪を、恥じることなく犯し続けてきました。

 日本人は、太平洋戦争とそこにいたる過程で、日本が侵した犯罪について、被害国から謝罪するように求め続けられています。そして日本に苦しめられた周辺国の人々が謝罪を求めるのは、ごく当然な感情であると言えます。日本は村山政権になる前に、もっと早く、国家として素直に謝罪をすべきでした。今も戦争の体験のために苦しむ人々が実際に生存しているのですから、彼らに対し、いち早く何らかの手当てをするのが人道というものだとも考えます。国家的保障はもう済んでいるだけでは済まないと思うのです。しかし一方では、日本人としてはなんとなく腑に落ちない、釈然としない気持ちになるのです。「日本が侵した戦争とそれに伴う犯罪は、国際社会の中で、それほど酷い犯罪だったのだろうか。日本だけが犯罪者なのだろうか。他の国々はもっと酷いことをやって来たのではないか。日本の犯罪の被害国の歴史を見ると、彼らの多くも、自分たちの隣国、あるいは異なった部族に対して、同様なことをやって来たし、現在でさえやっているではないか。東京裁判で日本を裁いた連合国は、むしろ日本より大きな犯罪を、その時点でさえ積み重ねていたし、その後も犯し続けたではないか。彼らが、自分たちの植民地の多くに独立を認めたのは、戦後数十年もたってからではなかったか。だから東京裁判では、唯一植民地の有色人種だったインド人の判事は、戦勝国に日本を裁く権利はないと言ったのではないか。それらの白人キリスト教国の中で、一体どの国が、自分たちが犯し続けた国家的罪を、公に謝罪をしているだろうか。まったく口をぬぐっているだけではないか。ドイツが自らの犯罪を認め謝罪しているのは、有色人種に対する犯罪ではなく、白人社会に対しての犯罪だったからではないか。」世界の有色人種の国々のほとんどが、白人キリスト教国に植民地化され、非人道的統治が行われていたのは、消し去ることが出来ない歴史的事実なのです。

 日本は、占領した朝鮮や台湾、あるいは南方諸島やフィリピンで、インフラストラクチャーを整え、教育を与え、生活を改善しようと努力し、日本国民に「してやろう」とさえしました。それらはみな押し付けであり、不充分で、差別や蔑視はいたるところにあったことでしょう。しかし、そのような努力をしたことは事実なのです。そのような日本の侵略を、南方諸島の人々の多くは「よき時代」として振り返ります。台湾の人々の多くは現在でも日本の統治を懐かしみ、多くの国々が日本について悪感情を持つ中でも、まさに例外的に、日本に対して好意的な感情を持ってくださっています。残虐行為をしたことで有名なフィリピンでも、一般のお年寄りの中には日本軍の規律を賞賛し、懐かしむ人々がたくさんいました。

 このような努力は、白人キリスト教諸国の植民地政策ではほとんど見られないものです。先年、インドネシアで日本軍の捕虜になり苦しめられた、オランダ人やその子孫たちが日本を訪れ、日本軍の犯罪に触れ、それを赦すと語っていましたが、ありがたいことです。しかしよく考えると、彼らこそ、インドネシアを侵略し、軍事力と圧制によってこれを長期に渡って支配し、植民地政策の中でもまれに見る残虐性を発揮した、犯罪者ではなかったのかと疑問に思うのです。日本人を赦す前に、インドネシア人に赦してもらわなければならないはずです。インドネシア政府は、オランダに対して幾度も謝罪を求めているのですが、オランダはまったく応じる気配を見せていません。許すのは簡単ですが、許されるのは難しいことです。極端な人種差別政策のアパルトヘイトを続け、黒人たちに対する非人道的取り扱いが国際社会から非難され続けて、嫌々ながらもやっとそれを変えた南アフリカは、長い間オランダ人に支配されてきた国家です。プロテスタントの華である改革派が基盤であるオランダは、このような醜態に対し、国家としてどれほど恥手いるのでしょう。どれほど謝罪をし、償いをしているのでしょうか。

 もちろん、日本は戦争犯罪に関係がなかったと言おうとしているのでも、日本の犯罪が小さなものだったと言おうとしているのでもありません。第二次世界大戦において、日本は310万人の命を犠牲にしたと言うことですが、それらの犠牲者の多くは、日本の軍国主義の犠牲者であって、外国人の犠牲になったものではありません。しかも、日本が周辺国で直接間接に殺した人々の数はそれを遥かに上回り、1000万とも1500>万とも言われ、2000万以上と言う人々さえいるのです。誰でも自分の犯罪は隠し、受けた被害は大げさに表現したいものです。日本人は、「広島と長崎で、原爆のために何の罪もない何十万人が殺された」と主張して、アメリカを非難しますが、当時の日本はアメリカの上陸に備え、一億総玉砕を叫んで、歳行かない子供たちまで労働に駆り出され、軍事工場で働いていたのです。何の罪もない人など、幼子や乳飲み子ならばいざ知らず、日本にはいなかったのです。[3] 

 朝鮮半島の人々や中国の人々が、日本から受けた苦難は想像に絶します。彼らは広島や長崎の人々が被害者だった以上に、被害者だったのです。ただし、韓国や中国の人々が未だに日本に恨みを抱き続けているのは、彼らの国家的教育、国家的事情によるところも多いと考えなければなりません。特に、韓国とおおよそ同じ国策によって取り扱われた台湾は、日本に対して非常に良い感情を抱いているにも拘わらず、韓国がまったく反対の感情を抱いていると言うのは、韓国の意図的な教育を除いては理解できない事柄です。

 新興国アメリカは、プロテスタントキリスト教の倫理を最もしっかりと持っている国家です。しかしそれでも、アメリカの歴史を見ると、これがキリスト教文化か、これがキリスト教倫理か、こんなものを彼らは日本に輸入しようとしていたのかと、仰天してしまいます。彼らのアメリカインディアンに対する残虐さは、日本のアイヌ民族に対する非人道的取り扱いを、むしろ非常に善良なものに変えてしまいます。アフリカから拉致されて来た黒人たちに対する、無慈悲な奴隷政策と差別、その残忍性は、日本の歴史にはまったくあり得ないことです。メキシコやハワイ、あるいはフィリピンで行った人権無視の侵略と統治は、旧大陸のキリスト教国のやったことに比べると、まだまだ良心的であったと言えたとしても、日本が行った侵略や統治とそれに伴う数々の犯罪に比べると、非常にむごたらしい犯罪でした。

 私たち日本人は、遅れて近代社会に参入し、遅れて民主主義を取り入れたために、あらゆる面において西欧文明を吸収し、彼らを見本とし、手本として国造りを行ってきました。そのために、彼らの見方や考え方、あるいは彼らの基準に従って、自分の国の文化や文明を判断するという、誤りを犯してきました。しかも西欧の文明国は、たとえば、200年前の西欧の倫理観をもって200年前の日本を判断するのではなく、現在の彼らの基準をもって、200年前の日本を裁くやり方を行ってきました。それで、日本はどんなに野蛮な国であるかと述べ立てるのです。日本の歴史と文化を年代ごとに見て、それと呼応する西欧キリスト教諸国の歴史と文化を比べ合わせると、日本の文化、あるいは文明程度というものは、決して彼らに劣ってはいなかったということです。[4] 日本は満州を侵略したということで国際社会から糾弾されましたが、その侵略と植民地化こそ、まさに西欧キリスト教国から学んだことなのです。近代日本の先覚者のひとり、吉田松陰は当時の国際社会から学び、現代の国際倫理からすればとんでもないことですが、富国強兵を唱え、朝鮮の侵略と併合を唱えました。彼の弟子たちが明治になって、それを実行しようとしたのです。

 しばしば言われる日本人の基本的人権にしても、女性の地位にしても、現代西欧文化の水準に照らし合わせると、200年前の日本は劣っていたし、100年前の日本も劣っていました。しかし、200年前の西欧キリスト教国に比較して見ると、果たして日本の基本的人権や女性の地位が、劣っていたと言えるでしょうか。しかも彼らが言う人権とは、あくまでも現代の西欧諸国が理解する西欧個人主義の原則にのっとった人権であって、女性を大切にしてきた日本の共同体文化の中での人権ではありません。日本文化という異なった社会構造の中にあるものを、西欧文化のはかりで計るという間違いを犯してまで、西欧キリスト教国は、日本を、時代遅れの劣った国にしておきたかったのであり、西欧かぶれした日本の学者の多く、特にキリスト教信者の学者たちの大部分は、何の疑問もなくそれを受け入れてきたのです。

 西欧民主主義の理念による基本的人権というような考え方は、戦後に至るまで日本人は知りませんでした。そういう意味では、たしかに「女性には参政権もなく抑圧され」云々と言われるとおりです。しかし、これは自信を持って言えることですが、歴史上、日本ほど女性が大切にされてきた文化は少ないのです。少なくても、西欧キリスト教国の文化では、聖書の明確な教えにも拘わらず、女性の地位は驚くほど低かったのです。現代のアメリカにおいてさえ、女性の地位は、私たち日本人が無邪気に想像しているようなものではありません。アメリカの女性たちは、まさに、自分たちの権利のために戦わなければならなかったのです。それに比べ、日本の女性の多くは戦う必要を感じませんでした。自分たちの権利と地位の高さを肌で感じていたからです。

 共同体社会の日本では、たしかに一面、女性は弱者として支配され、権利を剥奪され、抑圧されて来たと言えるでしょう。しかし、共同体の中で、和と協調を作り上げ、全体が幸せに暮らせるように、互いに気遣い、助け合い、保護し合い、喜びも悲しみも分け合いながら生きる生活の中で、女性たちは、自分に適した持ち場で役割を受け持ち、それを男性にも認めてもらい、全体のために尽くしたのです。しばしば引き合いに出される「みくだりはん」にしても、むしろ、女性の権利を守るために存在したもので、夫が妻に愛想を尽かしたら、いつでも自由に書けるというものではなかったのです。まず、当時の町人レベルでは、きちっと三行半を書ける者は多くなく、文字をしっかり書くことが出来る人物に相談しなければなりませんでした。ですから、身勝手な離婚など許されなかったのです。さらに重要なことは、江戸時代の、町人の女性の地位はかなり高く、三行半を持っているならば、つまり正式な離婚の証書を持っているならば、何回でも結婚できたのです。そこで、愛想を着かされた宿六が、女房から三行半を要求されたというほうが、真実に近かったのです。さらに戦国時代末期から江戸時代の日本では、まだまだ危険であったとは言え、女性の一人旅ができたのです。これは当時のヨーロッパ諸国に比べると、まさに画期的なことでした。紳士の国イギリスでも、淑女の国フランスでも、女性が男性のエスコートなしに一人で旅をすることが出来たのは、わずか数キロメートルの範囲に過ぎなかったのです。

 基本的人権を謳い、男女同権を合衆国憲法で謳い、あらゆる関連律法でそれを擁護するアメリカ社会では、女性も男性と同等の立場を割り振られ、平等な機会を与えられ、公平な競争をさせられます。平等ということは、平等の機会を与えられるということであり、男性と平等の、差別なし区別なしの競争をさせられるということです。社会も法律も彼女たちを守ってくれないのです。ですから女性は、自分自身を守るために戦わなければなりません。そこで彼女たちは、法律で戦い、能力で戦おうとします。男性と同じ肉体労働に進出させられるだけではなく、戦闘機のパイロットになったり、潜水艦の乗組員になったり、そこまでしなければならないのです。しかし、女性は女性であり男性ではないことは明白です。肉体的にも精神的にも異なっているのです。そのことを無視して、公平な競争をすることは、女性にとって不幸なことです。パウロは「神のみ前に男も女もない」と語っていますが、それは基本的人権についての言及であって、男女の区別がないと言っているのではありません。

 さて、基本的人権を錦の御旗のように振りかざすアメリカですが、ジェファーソン大統領が人権宣言を出した後も、アメリカ国内では先住民族であるインディアンが、容赦なく狩立てられ押し込められていたのは、間違いのない事実でした。大統領自身が百人以上の黒人奴隷を抱え続けたのも事実ですし、そのうちの何人かを妾にしていたとさえいわれています。この人権宣言は、あくまでも白人の中における人権宣言であり、有色人種、特に黒人たちは、つい最近まで、すなわち、善良なアメリカ人女性が日本の憲法に男女平等の精神を植えつけたときからずっと後になるまで、過酷な差別の中に置かれ、人間として取り扱われていなかったのです。

 とは言え日本人は、西欧キリスト教文化には素晴らしいところがたくさんあると知っています。たとえば敗戦後、かつての敵国日本を、さまざまな支援物資や食料や医薬品、あるいは留学制度などで助け続けたアメリカの寛大さに、「負けたら皆殺しにされる」とか、「女はみんな犯される」などという意図的なデマに恐れ慄いていた多くの日本人が、親切な占領軍のアメリカにキリスト教文化の素晴らしさを見、感激したのは事実です。マッカーサーはしばしば揶揄され批判もされますが、もし、彼が農地改革と財閥解体を強行しなかったならば、現在の日本の、比較的公平に富が分配され、国民全体がなんとなく自分は平均的だと感じるような社会は、決して出現しなかったでしょう。[5] 日本は現在でも大地主と財閥に牛耳られる、貧しい国のひとつだったに違いありません。どれほど日本人が優秀で、勤勉であったとしても、大地主制度と財閥が残っていたのでは、今ほどの繁栄と平等は望むべくもなかったのです。マッカーサーが帰国するときは、彼をたたえて見送る一般日本人の群集が、街道を埋め尽くしたといわれています、たとえこのようなことを知らなくても、平たく言って、ほとんどの日本人はアメリカが大好きです。

 しかしながら、現代のアメリカにも、多くの醜い間違いや犯罪もあることを知っています。アメリカがいま国際社会でやっていることも、イスラム文化の国々や、多くの開発途上国の倫理に比べると「まだまし」と言えたとしても、非常に欺瞞に満ちたものに見えてしょうがないのです。どれほどアメリカが自己弁護をしても、あくまでも自国の利益が最優先であり、自国の利益のためには、他国を犠牲にしてもかまわないという態度が見え見えなのです。ベトナム戦争も、湾岸戦争も、イラク戦争も、パレスチナ問題も同じです。彼らが国際社会で結ぶさまざまな経済協定も、あくまでも自国の利益を第一とした、欺瞞だらけのものです。自国の利益に反するならば、たとえ倫理的には問題のない事柄に対しても、経済制裁を行います。それでいて、自国の損になるようなことには、たとえそれが国際社会にとってはどれほど大切であっても、無視してしまいます。コンピュータ技術では自国の産業に不利と見るとトロンに難癖をつけ、環境問題では、いまだに京都議定書にサインをしていません。それなのに正義を主張し、国際社会の警察を自認しているのですから、安物の西部劇の独りよがりな保安官といったところに見えるのです。

 ですから、このような西欧キリスト教文化に対して、多くの日本人は、自国の文化のほうが優れているのではないかと感じているのです。一般の日本人がどれだけ良く理解しているか、あるいはその判断が正しいかどうかは別にして、日本人はそのように感じ、急激なアメリカ化や西欧化は、日本にとって益にならないと感じているのだけは確かです。理論付けをもってそのように理解し判断しているのではなく、感じている、嗅ぎ取っているのです。したがって、西欧キリスト教文化として入ってくる福音を、日本人は胡散臭いものとして退けるのです。

 大切なのは自国の歴史に卑屈になったり、自虐的になったりすることではありません。また、反対に尊大になったり、自画自賛したりすることでもありません。日本人クリスチャンとして、事実をしっかりと見つめる目を持ち、宣教のために役立てることです。

2. 日本人が福音を理解しない理由 

 それにしても、日本人はどうして福音を理解しないのでしょうか。日本人に福音を語り、それを理解させるのは至難の業です。外国で宣教師として働いてきた者として、またさまざまな国の人々とお付き合いをする機会があった者として、日本人の福音理解の遅さは異常であると、感じるのです。たとえ理論体系としては理解したとしても、腑に落ちるというか、ストンと心に届くことがないように見えるのです。

a.まったく異なった世界観

 日本人が福音を理解できない理由のひとつは、日本人の特殊な世界観によるのではないかと考えます。よく言われることですが、日本人は世界で最も強固に、唯物的世界観を持った人々なのだそうです。唯物史観によって国を建て、政治や社会の仕組みや教育を支配してきた、共産主義国や社会主義国の人々に比べても、日本人は圧倒的に唯物的だと言われています。それらの国々においては、国家の権力によって唯物的教育が行われてきたにも拘わらず、国民は霊的存在を認め、あるいは創造者を認め、善悪の判断にしても、単なる人間同士の決め事以上の、本源的なものを認めてきたのです。ですから、体制崩壊後の共産主義国家の人々の、宗教回帰現象は強烈でした。社会主義の中国においても、文化大革命においてすべての宗教施設の没収と、宣教師たちの国外追放、そして信徒たちの迫害が組織的に行われたにも拘わらず、文化大革命の嵐がひとまず過ぎ去った後には、強烈な宗教回帰現象が起こり、現在、世界で最もクリスチャンの多い国は、中国だといわれるほどなのです。

 日本では、国家が唯物史観を薦めたことは一度もありません。しかし多くの学者や有名人がこれを「最も進んだ科学的な」考え方として宣伝しました。日本ではもともと、神道の創造物語はあまりにも幼稚なものとして、だれもまともに史実として信じることはなく、むしろ原始仏教的な唯物的宇宙観に同調するものが多かったと言えます。それは宇宙の法則とか、ダルマとか言われる観念で理解され、虚無的な思想や「侘び」「さび」にもつながって行きました。これが、西欧啓蒙思想から発展した合理主義、近代科学至上主義に触れると、たちまち、その無神論的、唯物論的考え方と、実利主義によって、それらと同調することが出来たのです。

 日本人は、端的に、生活の改善をもたらした科学を信奉し、科学的であることをとても誇りにしています。そして、科学的であることと唯物論者であることは、ほとんど同じであると考えられているのです。ですから、少なくても第二次世界大戦を経て、あるいはもっと早く19世紀の終わり頃には、すでに科学に失望し始めていた、西欧社会で育った生物学者や物理学者の多くが、同時に創造者である神を信じているなどということは、まだポストモダンを実感していない一般の日本人には、考えられないことなのです。そういうわけで、日本人一般は、「科学的な人間」として、すなわち現代文明を担うものとして、神の存在を否定し、一切の超自然的出来事を否定するのが、自分の使命であるかのように振舞うのです。彼らは、天地創造も人間の創造も、奇跡の物語も信じることが出来なくなっているのです。

 このように、日本人の世界観は唯物的なものです。そこに仏教的な法やヒンズー教の輪廻の思想を織り交ぜるのが精々です。ですから、「死んだら終わり、その後はわからない」という虚無的世界観や、日本人的な現世的実利主義が生まれてくるのです。このような日本人の心に、神の存在を認めさせるのは容易ではありません。ある人が言った、「日本人に創造神の存在さえ認めさせれば、95%、伝道は成功したも同然である」という言葉は、真実に近いものです。まさに、「愚かなものは、心の中で、神は無いと言う」、と語る聖書の言葉がぴったりです。日本人以外の人々は、大概、それほど強烈な唯物論者ではありませんし、科学至上主義者でもありません。特に、ポストモダンと言われる現在においては、単に開発途上国だけではなく、いわゆる先進国と言われる国々にいても、科学至上主義は少数者の考え方になっています。彼らの心の中には、創造神を受け入れ、そのみ子キリストの贖いのみ業を受け入れる余地が、まだまだ充分に残されているのです。

b.まったく異なった宗教観を持っている

 日本の歴史を見ると、日本の為政者たちはこぞって、宗教を政治の道具として使ってきたことがわかります。日本においてはわずかな小さな例外を除いては、宗教が政治の表に出、政治を決定するようなことはありませんでした。宗教はあくまでも天下国家の事柄に仕えるために用いられ、あるときは神道が、あるときは仏教が、あるいは儒教がと、為政者の思惑によって、便宜上、取捨選択されていたのです。これは、多くの国家の歴史と比べると著しい対比を見せています。多くの国家では宗教が戦争の原因となり、宗教が国家建設の原動力となり、国家の基盤となり、国家のあり方を決めてきたのです。日本においての宗教は、あくまでも人間に仕え、国家に仕えるものだったのです。

  日本人ほど現世実利主義的な民族はいないのではないでしょうか。多くの民族が恐れを持って仕える神を、日本人は自分の利益のために利用してきたのです。実利があれば取り入れ、不要になれば捨てたのです。人間に対して、自分に仕えることを要求する神を、本能的に嫌い、「神かもうな、仏ほっとけ」と言い、「触らぬ神にたたりなし」と伝えてきたのです。先の項で述べたように、日本人は頭脳的には、唯物主義者であり、宗教は、人間が自分たちの利益のために創作したもので、人間に仕えるためにあると理解しているのです。その宗教に人間が仕え、振り回されることを、日本人は嫌うのです。

 本来人間に仕えるべき宗教が、仕えることを人間に要求することに対して、日本の為政者たちは、非常な恐れを持っていました。それは秀吉や家康によるカトリックの迫害にも繫がって行きました。現代でもしばしば、厳しい倫理をもって仕えることを要求するキリスト教の神は、砂漠の民族の厳しい生活から造り上げられた「厳しい父なる神」であると言われ、やさしく穏やかな自然の中で育まれてきた日本民族に必要なのは、そのような厳しい神ではなく、すべてのものを包み込む「優しい母なる神」であると言われています。日本人は、あくまでも自分たちに都合の良い神を要求しているのです。それは和魂洋才をもって明治の日本を建て上げた、日本人の実利主義なのです。民族や国家の存亡に関わる戦争をしたことがない、穏やかな国家である日本は、[6] 自分たちの穏やかな和の文化と協調できる、穏やかな神を探しているのです。このような国家に、寛容の精神を欠き、民族の根絶やしさえ躊躇しなかったことがある西欧キリスト教文化が、そのまま受け入れられることはありません。西欧キリスト教文化の真髄であるキリストの教えもまた、寛容を欠く教えとして理解され、キリスト教文化と共に拒絶されてしまうのです。

 日本人の宗教観として、もうひとつ取り上げておかなければならないのは、宗教的二重構造意識とも言えるものです。日本人が実利主義者であり、唯物論者であり、西欧合理主義と相合傘で歩けるものであるということは、すでに述べたとおりです。

 西欧合理主義的考え方もまた、実利主義のゆえに取り入れられたものです。合理主義は近代科学を発展させ、近代科学は近代国家にとって欠くことが出来ないものだったからです。ところがその一方で、たとえ日本人であり、唯物主義者であったとしても、どうしても解決できない問題がありました。それはすべての人間の中に存在する宗教的本能です。どのように唯物論を振りかざし、合理主義の論陣を張り、科学的論証を進めたとしても、自分たちの心の中に現存する宗教意識を否定することは出来ません。神が人間をご自分に似せたものとしてお造りになったときから、人間は、神を求め、神に祈り、神と交わりを持たないでは、満足できない存在とされているのです。唯物史観によると、宗教は低級な人間のものですが、実際は、人間という「最も進化した」動物だけが、本能として宗教意識を持ち、人間と呼ばれるすべての正常な個体は、間違いなくその宗教意識を共有しているのです。

 したがって、理屈の上では唯物主義者であり、無神論者である多くの日本人も、実生活の上では立派な宗教者なのです。正月には神社が初詣の人々であふれます。さまざまな新興宗教があります。日本の宗教人口は、国民総人口の2倍ほどになるとは、昔から不思議に思われて語られてきた事実です。日本人は無心論者でありながら宗教者でいることが出来る不思議な人間なのです。まさに国民全体が宗教的二重構造を持っているのです。そして大方の日本人は、この点を鋭く追及されることを好みません。曖昧なままで残しておきたいのです。それぞれの宗教心を納得させることが出来るならば、それで充分であり、鋭く論理立てることは、宗教問題には不要な努力なのです。ですから、通常の判断をもって考えると、まさにばかばかしいにも程があるほどの、でたらめな新興宗教が次々と現れてきては、大いにはやるのです。多くの日本人は、もともと宗教をばかばかしいものと見做し、善良でさえあればそれで良いと考えているのです。そしてその一方で、日本では、実に多くの有名人たちが「私個人としては、無宗教ですが」と断りを入れた後で、宗教というものは必要であり、素晴らしいものであるとさえ語るのです。それが日本人の寛容の精神に合致するのです。

 ところがキリスト教は恐ろしく理論的な宗教で、徹底的に論争的な宗教なのです。キリスト教は、人間が神に仕えることを旨とし、人間が仕えるにふさわしい神であることを、立証しなければならないと考えます。しかし日本人はそっとしておいて欲しいのです。曖昧模糊のままがいいのです。死んだら誰でもみんな仏になるのかと思えば、49日間は成仏できないでそこいらを彷徨っているのであり、お盆には地獄の釜のふたを開けてもらって出てくる亡者になっていると、なんとも理解できない矛盾した考えも、それなりに受け入れられているのです。その上、「死んだらそれでおしまいさ」と考えている者が大多数なのです。宗教とは、要するに、人間の欲求を満足さえさせれば、それでよいのです。

 このような二重構造の宗教観を持っている日本人にとって、三位一体の創造神を伝え、罪を厳しく糾弾して悔い改めを迫り、人間が神に仕えることを主張するキリスト教は、恐ろしく寛容性を欠く宗教と映り、なかなか理解されることも受け入れられることもないのです。

B.日本人の文化を理解して福音を語る

 文化というものは大変複雑で、理解するといっても一筋縄では行かないものです。ましてや、長い間日本を離れて暮らしていた著者が、日本文化について語るのはふさわしくないところがあります。しかし一方では、日本を離れて見て始めてわかる日本ということもありますので、あえて、少しばかり触れてみたいと思います。

1.日本文化は反聖書的か

 日本の宣教に関する論を読むと、日本人であるか外国人であるかを問わず、「日本の文化は非常に反聖書的であり、日本人の救いの妨げになっている。ゆえに、まず、日本文化をより聖書的なものにしなければならない。そのためには、すべての側面において、すべからくアメリカ化、西欧化を図らなければならない」という論調のものが大部分です。特に、神道の文化がまず攻撃の矢面に立たされます。天皇制も神道と戦争との関わりで否定されてしまいます。

 日本古来の宗教である神道は、教義を持ちません。あえて言うなら、素朴な信仰心を大切にした宗教です。神道は、稲作というきわめて定住性の高い地域共同体を中心に、共有の信仰として守られてきました。神道では個々人の信仰が求められることは、願掛けに見られる程度で、他にはほとんどありません。あくまでも個々人の信仰が基本であると考える、西欧キリスト教とはまったく異なります。この地域共同体の信仰としての形態は、氏神や鎮守として現代に伝えられ、お祭りとして残っていますが、祭りは共同体で執り行う事が大切と考えられ、そこに参加するひとりひとりの信仰自体が問われることはないのです。また神道には、俗に八百万の神といわれるほど実にさまざまな神があり、さまざまな口伝の信仰形態がありながら、基本的に、神とは誰であるかという点に関しては、ほとんど無関心なのです。むしろ大切なのは、敬い感謝する心です。客観的な礼拝の対象が重大なのではなく、主観的な礼拝の心が重大なのです。[7] 「何者がおわしますかは知らねども、ありがたさにぞ涙こぼるる」とうたわれている通りです。しかも、先に触れたように、個人の信仰が問われることはなく、ただ、おおらかに、みんなで一緒になって感謝の表現としてお祭りをすることが重要なのです。このような日本的な観念論が仏教に触れると、本来の仏教の姿さえ作り変え、日本仏教と呼ばれる独特の仏教大系を発展させることになりました。しかしある意味で、日本人大衆の観念論は日本仏教を創始した偉大な仏僧たちよりも、さらに強烈だったのです。

 実際の話、日本人の大多数は、仏教の教え自体には関心を持っていません。神も仏も信じればあるし、信じなければないものなのです。死後の世界もまた、あると思えばあり、ないと思えばないのです。「鰯の頭も信心から」です。教え自体はどうでも良いのです。大切なのは感謝をし、ありがたいと思う心なのです。もうひとつ、日本古来の神道を語るときに欠かせないことに、神道には原則として偶像が存在しないという事実があります。現在の神道には仏教との融合と混乱のために、偶像が紛れ込んでいることもありますが、本来の神道には偶像がないのです。これは特筆すべきことです。ロマ章1章で言うパウロの偶像と人間の愚かさの罪が、日本の神道一般には当てはまらないのです。以前、アフリカで宣教師として働いてこられた先生にお伺いすると、先生が働いておられた土地の土着の信仰にも、偶像というものが存在しないということでした。彼らの信仰を偶像礼拝と決め付けたのは、宣教師だったということですが、日本の神道にも、正当な評価がされなければなりません。このような日本人の宗教心は、もちろん正しいものとは言えませんが、だからと言って、反聖書と言うほどのものでもないと思うのです。

 日本の文化は、先に述べたように定着性の強い居住地共同体文化です。多分、日本の黎明期においては、家族を中心とした血族共同体より、むしろ、居住地共同体が、基本であったと思われます。家族は、あくまでも居住地共同体を構成する一単位であって、その血の絆がどれほど強烈であったとしても、居住地共同体全体の益と比べられると、優先順位は明らかでした。そのようにしなければ当時の居住地共同体は維持出来ず、居住地共同体がなくては、人々は生きていくことが出来なかったからです。そしてその居住地共同体をまとめ、引き締める役割を、産土神や氏神を中心にした祭事が受け持っていたのでしょう。

 稲作は牧畜や麦の文化と比べて、多大の年月をかけた準備と、共同作業が必要であるために、非常に定着性が強く、大多数の人々は一生の間、ひとつの土地に縛り付けられているようなものでした。文字通り一生の間、同じ人々と生活を共にしたのです。そのような中であったればこそ、人々は共通の利害を持ち、共通の感覚を発展させ、何も言わないでも互いに理解し合えるような、共通意識を構築することが出来たのです。ですから、日本人は明確な定義づけが必要な言葉を、多くする必要はありませんでした。阿吽の呼吸で理解し合うのが大切で、言葉は少ないほうが尊敬されたのです。しかしその一方で、共同生活の奥行きを深める、情緒や情景を表現する言葉は数多く生み出され、敬語が発達し、和歌が詠まれ、俳句がたしなまれるような、豊かな言語が生み出されるようになったのです。和歌も俳句も、定義付けが出来るような言葉を避けていながら、互いに情を理解しあえるということが前提になっています。それは、定着文化において初めて可能だったのです。[8]

 このような文化の中で発達するのは、和の精神です。共に協調して生きるためには、互いに相手を理解し、受け入れ、譲り合い、寛容な態度を持つことが何よりも大切です。一生の間同じ人々と付き合うのですから、その場限りの事は通用しません。事実を事実として語ることよりも、思いやりを先立たせて、善意の嘘を言うことも美徳とされます。その場で直ちに儲けることよりも、将来を見越して親切を売り、信用を売ります。そのような中では、真実と事実はまったく別のものなのです。ところが、砂漠の中のキャラバンの民のように、いつ再び会えるかわからない人々と交易をする場合に大切なのは、今の事実です。この品物は良いか悪いか。どれだけの値打ちがあるかです。そこでは、「事実と真実との差」はほとんど無くなってしまいます。真実とは事実であると考えられるのです。何よりも重要なのは事実をはっきりさせ、その事実に立って商売をすることです。事実に反することを言うのは嘘であり、真実に反することであり、最も嫌われる犯罪です。その品物を作るために、どれほどの苦労をしたかなどということは問題になりません。今は思いやりをもって安くして、品物と共に恩を売っておこう、あるいは信用を売っておこうなどという発想も出てきません。その品物の現在の価値がすべてなのです。少々荒っぽい商売をしても、和を乱す心配はありません。そのような和はもともと存在していないからです。

 この定着文化が少しばかり移動性も持つようになると、人々は居住地共同体から血縁共同体へと重要性を移して行ったかのように思えます。砂漠のキャラバンほどでなくても、居住地を離れて生活するためには、家族という血の絆で結ばれた、信頼できる者たちの共同体が必要だったのです。もともと居住地共同体の中でも、血縁関係は強い絆であったのですから、移動性を持つようになった時点で、家族親族といった血縁共同体が強くなるのは自然でした。このように、日本社会において強力な拘束力を持つのは、まず地域共同体であり、次に家族でした。しかし、日本人の移動性が増すごとに、居住地域共同体の感覚は弱まり、現代では、表面的には土地の氏神を祭るお祭りや、町内会などの中にその姿を見ることが出来るだけですが、日本人は今でも、本人が望もうが望むまいが、生まれたときからその土地の氏神の氏子であり、新しい土地に移ったならば、基本的にその新しい土地の氏神の氏子と認められているのです。自分が知らない間に、「おおらかに」氏子にされているのです。このおおらかさと曖昧さが、日本文化なのです。

 とはいえ、移動性の激しい都会に住み、近所付き合いの希薄になる社会に生きる人々の中では、職場がひとつの共同体となってきました。もともと、居住地域共同体と血縁共同体を拡大し、儒教の忠孝の精神で絆を強めた「お家」という共同体感覚が、会社、あるいは職場の中に流れ込んで来たものと理解されています。ここ20年ほどは、アメリカ流の個人主義競争社会のやり方が日本の企業の中にも持ち込まれ、実力主義や効率主義がもてはやされて、終身雇用制度は見直しを迫られるようになって来ました。しかしそれが定着する前に、早くも、日本にはなじまないと感じてか、元の終身雇用制度に戻ろうという兆しが見えています。日本においての企業は、個人主義の利潤追求第一主義ではなく、力を合わせ、喜びと苦しみを共にして生きる、共同体なのです。

 個人主義が発展しているアメリカなどでは、個人主義文化に適応した法律が作られます。株式に関する法律も、国際企業に関する法律も、まったく個人主義であり、雇用システムも個人主義です。そしてアメリカ社会では、この個人主義を命を賭けても固守しようとします。自由競争主義は、個人主義の目玉です。そして能率主義は自由競争主義の目玉です。アメリカの社会はあくまでも能率主義で、ことごとく能率によって決められる傾向があります。そのような中では、能力のないものは脱落していく以外にはありません。ですから逆に、アメリカでは、ハンディキャップを負った人々に対する福祉や、自立支援の仕組みなどが進んでいるのです。彼らの人権も認められているからです。日本のような共同体社会ではそうは行きません。能力のない者も、能力のないまま共同体で養われて行くからです。たとえ、邪魔な存在であっても、いささか共同体の恥部とさえ考えられ、差別を受けながらでも、共同体の中で何とか生きのびられるようにされていたのです。ですからこの共同体から投げ出されてしてしまう状態になると、大変惨めになりました。ライ患者の問題がそれです。アメリカでは、個人の人権に反するような行動やシステムは、犯罪として槍玉に挙げられます。そういう訳で、共同体感覚が強い日本の法律やシステムが、激しく非難されるのです。日本のようにまだまだ個人主義が中途半端で、民主主義も完全にはなじまず、共同体感覚が幅を利かせ、封建的な物事の進め方が伝統的に継承されているような社会では、そのような混乱した社会観念に応じて混乱した法律が作られ、それにのっとって、人々の生活が営まれて行きます。贈収賄は罪である、談合も罪であると、個人主義を旨とした民主主義社会の良心は語ります。しかし、共同体社会を残している日本では、それはまだ完全に悪とは言い切れないという部分が残っているのです。

 共同体社会である日本においては、個人の良心だとか信念というものは、共同体全体の益という目的のために、閉じ込められ押し殺されてしまいます。そういうわけで、日本においては、内部告発は共同体社会の和を乱すことであり、絶対に悪なのです。臭いものには蓋、長いものには巻かれろ、見ざる聞かざる言わざるで過ごし、もっぱら寄らば大樹の陰となり、自分たちの社会や国家の犯罪に、個人として良心の声を上げることはめったに見られないことなのです。しかし、個人主義が発達し、個人の信念と良心が最も重んじられなければならないと考える文化の中では、会社だとか政府だとか地域社会などの共同体の利益を犠牲にしてでも、必ず内部告発をする者が現れるのです。アメリカには、必ず政権の犯罪や国家の犯罪に対して、声をあげ、行動を起こす人々が出現します。そうすることは基本的人権で保障された権利であり、また義務でさえあるのです。アメリカという国がいかに腐敗していようとも、必ず、内部から良心の声を上げる個人たちがいて、社会はそれを許し評価するのです。

 そこで、当初の問題に戻って見ましょう。このような日本の文化は、聖書に反するものでしょうか。聖書がないままに形成された文化ですから、聖書的な文化ではあり得ません。しかし、日本の文化のすべてが反聖書的なのではありません。反する面を取り上げて糾弾し、それによって嫌われ、憎まれ、排除されるよりは、聖書がないままに作り上げられた文化の中にも、聖書と共通するところを見つけ出し、それを高く評価し、賞賛することによって、受け入れられる方がよほど賢いのです。私たちは日本人の罪を語るとき、伝統的に日本の文化の醜いところを取り上げて追求し、悔い改めを求める伝道を重ねてきましたが、それが間違いだったのではないでしょうか。パウロのアテネにおける伝道説教を注意深く読むと、彼が偶像に満ち溢れているという事実に憤りを感じたのは確かですが、アテネの人々の愚かな宗教心、あるいは宗教感覚を攻めたり、嘲笑したり、揶揄したりせずに、かえって、その宗教心の強さを認めて賞賛し、彼らとの共通感覚を形成した上で、彼らの宗教心を橋渡しとしてまことの神を伝えようとしているのです。

 日本の共同体文化の麗しい点、聖書の教えに共通する面はたくさんあります。つまり、日本宣教のための共通の感覚、あるいは橋渡しを作ることが出来る側面が、たくさんあるのです。日本人は何よりも和を求めるために、基本的に謙遜で語るに遅く聞くに早いのです。寛容の精神をもって、常に赦そうと努力し、他人の罪や失敗をあまり言い立てず、思いやりをもって取り扱うことが出来ます。自分たちの間で起こる犯罪を共に恥じ、規則を遵守し、犯罪の起こらない社会を作ろうと努力します。互いに思いやる社会であるために、犯罪自体が非常に少ないのです。一方、思いやりの心は、人の心の中に土足で踏み込むようなことはしません。自然を愛し、これに親しみ、大切にします。

 これらの日本文化の麗しい面は、聖書の高度な倫理に比べると、非常に見劣りがします。しかし、聖書の教えを基盤に作り上げたといわれる欧米の文化に比べると、とても輝いて見えるのです。たしかに、日本国憲法において男女の同権が歌われたのは、高いキリスト教倫理を持ったアメリカの若い女性の、崇高な理念によるものです。彼女はそれまでの日本の女性を見、参政権もなく、常に男に仕える低い身分に甘んじなければならなかったことを憤り、この条項を加えたのです。彼女の功績は確かに立派です。しかし、日本の女性がまったく人権を無視され、虐げられてきたと判断したのは、アメリカの個人主義者の目をもって日本の女性を見たからです。先にも述べたように、日本の女性はたとえ参政権を持っていなくても、あるいは「三歩下がって影をも踏まず」であっても、決してヨーロッパの女性ほど虐げられていなかったのです。私たちは日本文化の優れた面を大いに評価し、賞賛し、聖書のより高い教えを持って、これを積極的に昇華させるべきではないでしょうか。

 そこで大切と思われるのは、日本の共同体を前提とした和の精神、和の文化を、聖書をもって評価しなおし、私たちの神もまた、争いの神、戦いの神であるよりも、むしろ和の神であることを、積極的に語って行くべきだということです。もちろん、日本的な和の精神の中では、しばしば抑圧され搾取されがちな弱い立場の者の権利をしっかりと認め、これを擁護しながら。和の麗しさを高揚すべきです。西欧個人主義の個人の権利の主張は、ともすれば日本の和の精神と真っ向から対立するものであるかのように聞こえますが、聖書の教えから導き出されるすべての人の基本的な権利の主張は、決して和を破壊する性質のものではないということを、明確にすべきです。

 具体的な、また卑近な例を取ると、自分のクリスチャン信仰を守るために、家族の和や地域の協力を犠牲にしてまで、日曜礼拝会に出席するように指導するのは止めにしたいものです。イエス様も祭壇に犠牲を捧げに行く途中、仲たがいしている友人のことを思い出したならば、犠牲をそこに残したまま、まず、友人と仲直りをしに行きなさいとお教えになりました。家族全員が稲刈りをしている日曜日に、自分だけ礼拝会に出るのは、家族の側から見るならば、信仰という名のわがままに過ぎないのではないでしょうか。めったに揃うことがない家族親族が、一緒に温泉に行こうと言うときに、クリスチャン信仰を貫いて、家族を放ったままにしてひとり礼拝会にでることは、家族の中に怒りを引き起こすだけではないでしょうか。

 信徒たちは、会社の忘年会や親睦会には酒が出され、淫らな会話や歌も飛び出すから、何とかそのような汚れた場所から遠ざかるようにと指導されてきました。それはその信徒の逃避型信仰には勝利に見えることでしょう。しかし、宣教という面から考えると、人々の反感と反発を買い、キリスト教信仰に対する嫌悪感を増大させます。クリスチャンはそのような場所から遠ざかり、そのような所に行く人々を軽蔑して見るのではなく、彼らと共に生きる者、彼らとの和の中に生きる者とならなければならないのです。それは共に酒を飲み交わし酔いつぶれろということではありません。酒の席に出ても、心を通じ合わせるために乾杯は共にするけれど、その後は飲まないという方法がいくらでもあります。淫らな話に加わらないで、下働きで和を盛り上げることもできます。確かに具体的には困難な場面もたくさんあることでしょう。しかし、その場に出ないという逃避と軽蔑の態度よりは、共にいる態度のほうがよほど受け入れられ、証になるのです。イエス様も、結婚式に出席なさり、事もあろうにぶどう酒までもお造りになって奉仕されたのです。地域共同体が生きているところでの、当たり前の行動をされているのです。

 クリスチャンが何事においても共同体の和を大切に生きながら、日本の和の共同体の欠点や悪い点を覆いながら生きて行くならば、日本社会は、キリスト教をもっと好意的に見てくれるようになるでしょう。

2.日本の文化は非聖書的か

 私たちは、聖書が書かれたイスラエルの文化やグレコローマンの文化が、日本の文化からはよほどかけ離れた文化であるように考えています。キリスト教が西欧から日本にもたらされたために、ついつい、聖書も西欧文化の中で書かれたものであるかのように思い違いをしています。アメリカなどで製作された聖書を題材とした映画などが、まったくアメリカ的な表現をしているために、それを見る私たちは、いよいよ、聖書の文化は西欧の文化なのだと思い込んでしまいます。しかし、聖書が書かれた社会は、現在の西欧社会よりは、よほど日本などのアジアの文化に近いのです。聖書の大部分は、アジアで書かれているのです。

 特に大切な点は、何度も言うようですが、聖書の文化が共同体社会を背景としたものであったということです。したがって聖書の教えも、共同体社会に適応された神の御心の提示として、記されているのです。フランス革命を経て形成された、近代個人主義の理念にのっとった、民主主義社会に適応されて与えられたのではありません。聖書の教えの中には、確かに近代個人主義と民主主義の土台となる、人権についての基本的理念が含まれています。しかし聖書の教えは、共同体社会に生きる人間に与えられたものであるというのが、きわめて大切な原則です。聖書の倫理は個人主義社会の倫理ではなく、共同体社会の倫理だということです。共同体社会がよりよい社会であるとか、個人主義社会がより発達した社会であるというような、議論をしようとしているのではありません。ただ事実を述べて、宣教に役立てたいと願っているのです。

 またよく言われるように、たしかに聖書の文化背景は、荒野の文化、羊と牛に駱駝がまじる遊牧文化、パレスチナに定着した後でさえ、定着性の低い羊と麦の文化でした。キリスト教は、敵対する多くの民族と抗争を繰り返し、幾たびも民族の存亡を賭けて戦わなければならなかった、イスラエルという猛々しい民族の宗教を母体として生まれたものです。四方を荒海に囲まれて、他民族の侵略を心配する必要はほとんどなく、国家の黎明期から、平和を前提とする稲作を生業とし、豊かな雨と森林に恵まれ、仲良く生きることを理想とする日本民族の社会とは、ずいぶんと異なった背景で形成されたものです。そこで、キリスト教の神は、厳しく荒々しい神であり、穏やかな自然と文化の中で育まれてきた日本人には、馴染まないと言いたくもなります。しかし、キリスト教の神を本当に荒々しい神にしてしまったのは、むしろ常に近隣の民族と抗争を繰り返し、時には遥か彼方から大挙して押し寄せる凶暴な民族や国家と、民族の存亡、国家の存亡をかけて戦わなければならなかった、陸続き西欧社会の、神の理解の仕方にあると言えるでしょう。

 聖書に記されている神の姿は、たしかに厳しい社会背景の中で、厳しい姿で描写されていますが、少しでも注意をして読むならば、この神が、実は非常に穏やかで、慈しみと恵みに富む神であることがわかります。もし、・・・・もちろん、もしという仮定は危険ですが、もし、イスラエルの民に与えられた約束の地が、民族のハイウエイに位置して常に闘いが繰り返された、パレスチナのような土地ではなく、またあのように荒々しい自然条件の重なる土地ではなく、穏やかなものであったならば、神はご自分をどのように啓示なさったことでしょうか。キリスト教の神は、厳しい自然と社会状況の中で形成された宗教の神だから厳しいのではなく、厳しい条件に対応してご自分を現してくださったために、表面的には厳しさが際立って見えるのです。ですから、穏やかで、和を最大の価値とする日本文化の中では、私たちの神は、慈しみに富み、寛容と忍耐に富む神として、ご自分を現してくださることが出来る神であるはずです。

 このように、日本の文化は、必ずしも非キリスト教文化として見るべきものではなく、むしろ、神の慈しみや寛容、おおらかな善意などが、豊かに示される可能性のある文化と見るべきなのです。日本において福音を宣べ伝えようとする者は、日本文化を反聖書的、あるいは非聖書的として糾弾し、退けるのではなく、ともすれば一面的に厳しい姿で理解される神が、さらに全体的に現される可能性のある文化として、これを受け入れるべきです。そうするならば日本人もまた、キリスト教の神を、荒々しい神、猛々しい神、日本には相応しくない神という考えを捨て、むしろ、寛容と慈しみに富む恵みの神、自分たちの共同体社会に有益な神として、歓迎することでしょう。

 先に述べたように、日本人は非常に実利主義な人々です。自分たちに益があるならば何でも受け入れ、自分たちに益がなければ無視して受け入れません。そして、自分たちに害があると判断されるならば、真実がどうであれ、正義がどうであれ、それを激しく拒絶するのです。秀吉や家康が、カトリック教徒を迫害したのは、彼らが憎かったからでも、個人的に恨みを持っていたからでもありません。あるいはカトリック教が邪教だと判断したから、これを撲滅しようとしたのでもありません。日本のために、あるいは自分の国家統一の志に、妨げになると判断したためなのです。同じように信長は、自分の野望の遂行のためには門徒宗の活動は益にならないと判断したためにこれを壊滅させ、比叡山は邪魔になると見切ったために滅ぼそうとしたのです。彼の場合、カトリックは反対に何らかの益があると判断したために、これを優遇したのです。

 鎖国に終止符を打ち、いよいよ開国するに当たっても、日本人の実利主義は徹底していました。当時の指導者たちは先を争うかのように西欧諸国を回り、国の運営の仕方、憲法を始めとするさまざまな法律、軍事、裁判制度、教育、技術など、あらゆるものを貪欲に学び、取り入れてきました。しかし、西欧諸国の立国の基となっていたキリスト教だけは、日本にはそぐわないと判断してこれを退け、代わりに、神道に新しい肉付けをして取り入れ、キリスト教に代わるもの、あるいは対抗するものとしたのです。まさに、和魂洋才そのものなのです。

 とは言っても、完全にキリスト教を拒絶したのではありません。日本では明治の時代から、キリスト教はより進んだ西欧の文明をもたらしてくれるものとして、歓迎される一面があり、特に、教育や福祉の面におけるキリスト教の影響は、クリスチャンの人口に対して非常に大きなものです。しかし、そのようなキリスト教への期待は主に一部の民間、あるいは個人のレベルであり、国家としてあるいは大衆としてキリスト教が期待されたのは、第二次大戦敗戦の直後の、短い間にただ一度あっただけです。連合軍最高司令官として敗戦後の日本の統治を任せられたマッカーサーは、母国アメリカの教会に1000人の宣教師を要請し、日本のアメリカ化を試みました。[9] 日本の大衆は、現人神であった天皇の人間宣言により、精神的空白の中に陥っていたために、キリスト教は一時、アメリカの人道主義と混同されて、あるいは民主主義の基盤と理解され、大歓迎されたのです。しかし、朝鮮戦争を契機に経済的回復をなしとげ、更なる発展を期待できる頃になると、日本は自信を取り戻し、自分たちの文化へ回帰し、再び、キリスト教を自分たちには相応しくないものと考えるようになったのです。ただ、このころ、かつての敵国であり、鬼畜として蔑まれ恐れられていた、戦勝国アメリカの人道主義的取り扱いに、多くの日本国民が驚き、また感激して、アメリカの文化の底にあるキリスト教を、ある意味で好ましいものと感じ出したのは事実です。

 日本人は、自分たちにとってキリスト教が、本当に良いものであると判断するならば、躊躇せずにキリスト教を受け入れるのです。ただ現状では、日本人一般は、あるいは国家としての日本は、キリスト教を悪いものだとは言わないまでも、自分たちにはさらに優れた日本文化があり、それを壊すような形で入ってくるキリスト教は、歓迎できない迷惑な存在なのです。アメリカ人が、日本文化の欠点や短所を指摘すると、日本人は必ず、「まず、自分の目から梁を取り除け」と叫びたくなるのです。

  私たち日本のクリスチャンは、自分たちの文化が非聖書的なものであるという、言われもない劣等感から抜け出すべきです。イスラエルとグレコローマンの文化以外は、みな、非聖書的文化なのです。イスラエルとグレコローマンの文化にしても、現在のイスラエル文化ではなく、2,000年から4000年も昔のイスラエル文化であり、グレコローマンなどという文化圏は、いまや、存在さえしていないのです。さらに元をただせば、聖書的文化などというものは始めから存在しないのです。あの不従順と反逆を繰り返したイスラエルの民の文化が、聖書的であるはずは無く、グレコローマンの異教と非聖書的哲学に満ちた人々の文化が、聖書的ではありえません。ただ、神はそのような文化の中に、それらの文化という媒体を通して、超文化の福音を提示されたというだけのことなのです。私たちの神は文化を超越した神であり、異なった文化に対して、異なった自己顕示をなさる方です。聖書に自己を顕示なさった神は、イスラエル文化あるいはグレコローマン文化という媒体を通して、そのようになさったために、ともすれば、私たちはイスラエル化された超文化の神の啓示、グレコローマン化された超文化の神の啓示を、超文化の啓示そのものと勘違いしてしまうのです。したがって私たちは、イスラエルとグレコローマンの文化の中に啓示された神のみ姿から、神の本当の超文化的み姿を探り出し、そのみ姿を、現在の日本文化に映し出さなければならないのです。

 わかりやすくするために、物すごく卑近な例でそのことを説明してみましょう。律法が与えられたとき、70万人とも言われるイスラエルの民は、荒野でテントを張りながら移動生活をしていました。そのような中では、当然のことながら便所が大問題だったようです。あるいは、要所々々に幕を張り、公衆の便所としていたのかもしれませんが、律法の中には脱糞の仕方と事後処理の仕方が定められています。簡単で、要するに地面に穴を掘って脱糞をし、その後はきちっと土をかぶせるというものです。この律法の精神は、現代流に言うならば公衆衛生であり、他人に迷惑がかからないようにという配慮です。現在でもそのまま、適用できそうな国や土地がたくさんあります。[10]

 しかしこの同じ精神を、たっぷりと水があり、木々が豊かに生い茂って材木に事欠かず、稲作という最も定住性の高い農業を中心に、小さな集落を形成していた日本に適応させると、一体どういうことになるでしょう。たぶん、まったく異なった定め事となったはずです。島々の間の浅瀬に杭を打ち、その上に家を建てて海上生活をしているフィリピンの海洋部族には、この律法はあまり意味を持ちません。ゆっくり流れる海が天然の水洗便所だからです。このようなことを、いちいちひとつずつ検証するのは大変な作業です。しかし、律法そのものがすでに環境と文化への適応の産物であるということだけは、明確に理解できると思います。私たちはその律法から、超文化の精神を探り出さなければならないのです。したがって、私たちが住んでいる現代日本の文化と、聖書が与えられた時代のその土地の文化を、常に比較してみながら考える癖をつけるのが肝要です。どちらかというと、違いを探すより、共通点を探すことから始めたほうが良いと思われます。私たちは違うということを、教えられ続けてきたからです。まず最大の共通点のひとつは、聖書の文化が共同体文化であり、日本の文化も共同体文化だということでしょう。

C.回心の伝道と底上げの伝道

 福音派に属している私たちは、ひとりの人間が、キリストを信じる決心をするまで導くことを、最も大切な事柄と考え、そこに力を注ぎます。それはそれとして良いのですが、その人間の社会的立場だとか教育だとか、あるいは世界観や価値観というものが、決心に至る多くの選択の過程にいかに影響しているかということには、あまり関心を払いません。

1.一本釣りの伝道

 福音派の宣教において常に強調されてきたことは、明確な回心を迫る伝道です。一般には、ひとりひとりの人間が福音を理解し、責任をもってキリストを信じるという告白をし、罪を悔い改めて、初めて伝道が成功したとみなされるのです。どのような文化で伝道していようと、社会条件がどのようなものであろうと、福音派の伝道はこのようなものでしたし、このようなものです。福音派と呼ばれる教会は、アメリカ文化の産物であり、アメリカ文化という衣を着た海老のてんぷらであるために、このような個人的決断を迫る伝道の方法も、ある程度、個人主義文化を前提とした伝道法であると言えます。これもすでに触れたことではありますが、すべてのことにおいて個人の自由が認められ、個人の決断が重要視され、尊重される文化では、そのような個人の決心を強調して迫る伝道、言うならば一本釣りの伝道は有効でしょう。しかし、個人の存在はあらゆる意味で自分が属する共同体に繫がっている文化では、果たしてどうでしょうか。

 個人が個人の自由意志で、決定できることは非常に限られています。確かに共同体社会に生きる日本人でも、個人で決心できる事柄はたくさんあります。しかし宗教を選択するという決断は、多くの場合、共同体の同意と理解が必要とされることがらなのです。日本人の中で、宗教の選択をまったく個人の意思で出来る者は、非常に限られています。親族付き合いをあまりしていない家庭の夫、個人の自由を重んじる教育で育てられた子供、さらには放任主義で育てられた人間、どのような共同体にも属さない人間、共同体からあまり大切に思われていない人間、あるいは共同体からはみ出て誰にも相手にされない人間、そして非常に意志が強い一匹オオカミ的な人間など、すなわち、社会全体のごくわずかの部分がこれに属するでしょう。これ以外の人々は、必ず、共同体の理解と同意を必要とするのです。

 したがって大切なことは、私たちが空白の中の個人に伝道をするのではなく、共同体の中で育ち、共同体の中で生きている人間に伝道するのだということを、しっかりと理解することです。個人への伝道を重んじながら、その人物の属する共同体社会に働きかけなければなりません。日本でもフィリピンでも、あるいはタイやインドネシアでも、結構多くの人々がキリストを信じる決心はするのだけれど、生活に結びつかないと言われています。それは彼らがアジア人一般として、その場の対人関係を重んじる文化を持っているからでしょう。彼らは、その場の成り行きを重んじ、対面している人に恥をかかせないという倫理が発達しているために、間違って伝道会などに出席してしまい、説教の後、強く決心を迫られてしまうと、説教者に恥をかかせないために、彼の面子のために、キリストを信じるという意思表示をしてしまいます。しかしこのような「決心」は、当然その場限りで、彼の共同体である職場でも、家庭でも、町内会の中でも、まったく秘密のままとされ、本人もやがて忘れ去ってしまうのです。また、たとえ一人の個人として重大な決定をすることが出来る環境にいて、キリストを信じるという決心をしたとしても、ひとたび環境が変わり、いわゆる社会的責任のある環境にもどると、たちまち、決心が曖昧になり、崩れて行くことが多いのです。たとえば、故郷の人間関係というしがらみのない都会でクリスチャンになっても、田舎に戻ってしまうとなかなか信仰を継続することが出来ません。海外に留学したり、数年暮らしたりしてクリスチャンなったという人たちも、多くは、帰国をして元の人間関係の中に戻ると、信仰の継続が困難になります。

 日本社会は、キリスト教を受け入れる準備が出来ていません。したがってその社会の中で生きている日本人の大多数は、キリスト教を受け入れず、キリストを救い主として信じることもありません。日本でキリストを信じた人の多くは、共同体に縛られずに決心が出来る立場にいた、少数派の人間なのです。要するに、日本の社会全体が、キリストを信じる決心ラインから、遥かかなたの低いところにあるということなのです。キリスト信じるという決心が出来るラインを100とすると、キリスト教文化と言われたりするアメリカ全体では、人々は80か90くらいの心理状態にいるのでしょう。カトリックの背景があるフィリピンでは、60から70くらいかも知れません。彼らは、ちょっと力をこめてジャンプをすれば、すなわち、ちょっと大き目の決心をすれば、クリスチャンになることが出来、社会もそれを受け入れることが出来るのです。しかし、社会全体がキリスト教に疑惑を持ち、世界観も、価値観も、宗教観もまったく違う日本の人々の心理状態は、ブースター付のロケットにでも乗らなければ、キリストを救い主と信じる決心には行き着きません。日本人は、たぶん、せいぜい10くらいの心理状態にいるのではないでしょうか。

 アメリカ人と結婚して渡米した女性が、夫やその家族たちと教会に行き始め、やがて洗礼を受けようかと考えたとき、周囲の者すべてが大喜びで祝福し、パーティーまで開いてくれました。洗礼を受けると固い決心をしていたわけでもないのに、周囲の人々のこのような喜びと祝福を受けては、もう思い留まることができなかったということです。ところが、彼女のお姉さんが彼女の影響を受け、日本で教会に行きだし、やがて洗礼を受けようかと考え出したとき、夫はもとより、夫の親兄弟、実家の両親と兄弟たちすべてに反対され、親族会議まで開かれ、離婚話まで持ち上がったのです。日本社会では、一本釣りの伝道は困難に直面するのです。

2.底上げの伝道

 日本という、共同体文化がまだ根強く残っている社会で伝道する私たちが、いま考えなければならないのは、社会全体の底上げをする伝道です。キリストを信じる準備の心理状態がせめて、50か60に・・・・・望みすぎならば30か40にまで上がって欲しいのです。福音派の伝道は、この点にはほとんど目を向けないままに来ました。そして、一本釣りの伝道に精出してきました。ここで私たちが考えなければならないのは、日本の社会の底上げの伝道です。

 ところが一方では非常に面白い統計があります。古いことで、詳しい出典は記憶していないのですが、1970年代の初めに行ったNHKの調査では、「あなたが自分の宗教を選択するとしたら、どの宗教にしますか」という問いに対して、何と、36%の日本人が「キリスト教」と答えているというのです。これは、他のあらゆる宗教を上回っている数字です。つまり、この調査を見ると、キリスト教受容の社会的底上げは、かなり進んでいると言えるのです。しかしながら、現実は、その100分の1の人々さえ、クリスチャンにはなれていないのです。そこに大きなギャップがあるのです。それから30年ほども経った現在の日本人は、果たして36%に至るかどうか定かではありませんが、たぶん、それに近い答えが出るのではないでしょうか。いったいこの大きなギャップは、何を原因としているのでしょう。

 日本人は、ある一面でキリスト教の素晴らしさを認め、好ましいものと認めているのは明白な事実のようです。ここに、キリスト教に対する日本人の、二重精神構造があるのです。ある面においては、キリスト教を最も好ましい宗教と考えていながら、他の面ではその好ましさを無力にするほど、強い嫌悪感を持っているということです。著者は心理学者ではありませんし、このような分析や考察は不慣れな者ですが、なんとなく感じるところがあります。

 まず、日本人が好感を持っているキリスト教は、ピユリータン精神に満ちた、高い倫理観を持ったキリスト教ではないかと思います。それは、立派な宣教師や高潔な牧師、そして彼らに倣う清らかなクリスチャンに見られる、愛と寛容と奉仕の精神にあふれたキリスト教です。日本の福祉事業の多くはこのような人々によって建て上げられました。日本の教育もまた、これらのクリスチャン先駆者によって土台を据えられました。キリスト教は現代民主主義の母体であり、日本を近代化する大きな力になっただけでなく、弱い者や小さな者の見方となり、人権を高揚し擁護する力となったのです。日本の近代化と生活改善に、キリスト教ほど大きな影響を与え、力となった宗教は他にないのです。日本人は、このようなキリスト教とクリスチャンたちを尊敬し、憧れさえ抱いています。多くの女性たちが・・・・・最近は男性もですが・・・・、十字架のアクセサリーを付けているのは、紛れもなくその表れです。単なるアクセサリーですが、悪いイメージでは付けるはずがないのです。

 しかしその一方で、同じ日本人が、キリスト教を頑なに拒絶し続けているのです。かなり強烈な警戒感を抱いているのです。それはまず、彼らが、キリスト教の倫理は自分には高すぎると感じている点です。日本で語られている福音が、恐ろしく倫理的で、「立派な人間にならなければならない」と、思わせるものだからではないでしょうか。「でなければならない」、「であらねばならない」のキリスト教は、福音ではなく律法のキリスト教です。また、高潔なクリスチャンたちの姿に感動はするけれど、反面、彼らの姿にパリサイ人のような態度を見ているのではないでしょうか。「できる」、「なれる」が福音です。「キリストにしていただける」、「キリストに助けてもらって可能になる」が福音です。そして、なれたこと、出来たことを自慢せず、感謝するのが本物のクリスチャンの生き方です。しかし高潔で尊敬に値するクリスチャンの姿に、日本人は、同時に拒絶も感じているのではないかと思うのです。

 また、彼らが高尚なクリスチャン倫理に従って、また個人主義の原則にしたがって、社会の中で自分の信仰のあり方を貫き通し、会社がどれほど忙しく、あるいは窮地に陥っていたとしても、日曜日には絶対出勤しようとしない、忘年会にも社員旅行にも一緒に飲み歩くのにも加わらないという態度に、あるいは普通だったら、見て見ぬふりをする上役の不正にあえて忠告を試みたり、会社の不正を告発したりする態度に、ある種の畏敬の念は抱いたとしても、自分がそのようにならなければならないとするならば、とてもクリスチャンにはなれないと感じるのです。町を挙げてのお祭りにも参加しない、仏式の葬式にも参列しない、ひな祭りは行わない、七夕の飾りつけも無視するという生き方には、徹底した信仰の高潔さは認めたとしても、和を最優先とする日本人の大部分は、社会的寛容性が欠けていると感じ、自分たちの近くにおられると迷惑だと恐れ、自分もそのようにしなければならないというなら、自分は絶対にクリスチャンにならないと思うのです。和の精神の共同体では、互いの欠点や弱点あるいは失敗をあるていど寛容に見逃し、受け入れ、なじんで行こうとする努力が求められるのですが、キリスト教にはそれが欠けているのです。

 自分の宗教としてキリスト教を選ぶ36%の人々のうち、実際にクリスチャンになるのはそのまた1%にも満たない現状の理由は、さらにいろいろあることでしょう。たとえば教会の活動が日曜日だけに限られているとか、福音は教会堂という建物の中でしか語られないとか、牧師や宣教師以外は福音を語ることがまれであるとか、説教という方法以外に福音が語られていないというような問題も、非常に大きなものです。この複雑化した社会の中で、日曜日に教会に行く時間を取れる人は多くはいません。教会堂に入って行くのはとても勇気のいることです。牧師の説教は浮世離れしている上、権威主義的です。大体、説教などは、小学生のときから嫌いな人が多いのです。わざわざ、日曜日に時間を作って、入り辛い教会堂に入り、よくわからない専門用語の多い牧師の説教を聴くなど、考えただけでぞっとする人が多いのです。

 一方では、キリスト教に対する評価は非常に高く、受け入れられています。しかしもう一方では、キリスト教は迷惑な付き合い難い人間を作る宗教として、厳しく警戒されているのです。この日本人のキリスト教に対する二重構造の軋轢を理解し、それは、欧米型キリスト教の個人主義的信仰と、日本人一般の共同体主義的生き方が、奥深いところでぶつかり合い、擦れあっていることだと知らなければなりません。私たちは日本人として聖書を読み直し、共同体の倫理を学ばなければありません。キリストを信じる者たちの共同体である教会についてもさることながら、宣教という面では、ぜひとも、異教の共同体文化の中に生きるクリスチャンの倫理、生き方を学ばなければなりません。たとえば、ナアマアンとエリシャの会話、あるいはルツ記、さらにはダニエル書などが、光を当ててくれるでしょう。恐ろしいほど厳しいエリシャでしたが、ナアマンがイスラエルの神を信じた後も、主君と共に偶像の前に出てひれ伏すのを許しました。ルツ記のナオミと夫のエリメレクは、故郷を捨てて異邦人の世界に行っただけではなく、息子たちに異邦人の女と結婚させるという、律法に反することをしましたが、神の憐れみから落ちることなく、共同体社会の中で生きていきました。ダニエル書では、偶像に膝をかがめない勇ましい物語が記されていますが、一般の、数十万に及ぶイスラエル人たちは、そのとき、どのように生きていたのでしょうか。シャデラク、メシャク、アベデネゴと行動を共にしなかったことだけは確かです。

 ともあれ、NHKの調査が示すことは、日本人の多くが、ある面においてキリスト教を高く評価しているという事実です。たしかに、お寺の坊主が争い合って互いに訴えたり、金に汚くて着服を繰り返したりしていても、あまり話題にはなりません。しかし、キリスト教の牧師が同じ事をすると、三面記事のトップになりかねません。クリスチャンであるということが、あたかも勲章でもあるように、新聞の人物紹介などでも、この人はクリスチャンですという一言が加えられます。しかし、キリスト教全般を考えると、日本人はまだまだキリスト教を遠い存在、遥かかなたの宗教、自分には関係のない宗教と感じているのです。

 福音的キリスト教は、個人の信仰を絶対必要条件と考えて、いわゆる集団回心に対しては疑いの目を向けてきました。しかし今、私たちは集団回心と言われる集団行動、あるいは共同体の行動を、もっと真剣に学ばなければなりません。すでに個人主義的な考え方、民主主義の原則がかなりの度合いで理解されている日本では、封建的な家族制度や共同体文化が残っている土地のような、集団回心はまずありえないことです。しかし、日本人全体のキリスト教に対するイメージが変わり、距離感が縮まるならば、それに近い現象も起こってくることでしょう。和の文化、集団の文化の日本です。「赤信号。みんなで渡れば怖くない」の社会です。ひとつの地域で大部分とは行かないまでも、多くの人々が教会に行くような文化になれば、日本人は、みんな教会に行くようになるのです。それは、真実の意味での回心ではないかも知れません。しかし真実の意味の回心をもたらす可能性を大きく開き、正しい決心のための底上げをし、ジャンプの距離を短くするものです。

D.日本文化の中で教会を築く

 日本の宣教について語るとき、絶対に避けることが出来ないのが、日本の教会という問題です。これまで、私たちの信じてきた福音が、実は聖書の教える純粋な福音ではなく、欧米文化という混じり物と一緒になって、見分けがつかなくなった福音であることについて、語ってきましたが、実は、私たちが受け入れてきた教会もまた、必ずしも聖書が教える真実の教会ではなく、欧米文化の産物としての教会であることを、知らなければなりません。

 本来教会は福音と共に普遍的なものであり、すべての国民、すべての部族の間に、分け隔てなく建てられるものです。しかし教会が普遍的であるということは、教会がどこの国、どこの文化に建てられても画一的で、同様の形態と組織と活動を持つということではありません。むしろその本質においては、教会は時代を超えまた文化を超え、変わらない存在ですが、本質の適応としての形態や組織また活動というものは、時代や文化に適応して、すなわち必要に応じて変わっていかなければならないものです。(拙文・「教会について」を参照)ですから、イギリスとブラジルの文化が違い、生活様式が異なり、人々の必要が別のものであるならば、当然、教会の姿も変わって行くものです。日本とアメリカの教会は、その外的形態や組織や活動という面においては、大いに異なっていて良いのであり、異なっていなければならないのです。

 確かに、日本の教会とアメリカの教会は驚くほど異なっています。ところが良く観察するとその違いの多くは、文化や必要の違いから積極的に異なった形態を作り出したというよりは、日本のキリスト教の勢力が弱く、クリスチャンの数が少なく、経済的にも非常に弱いために、アメリカの立派な教会のようになろうとしてもなれないで、しかたなく現状に留まっているというのが本当のところです。また、アメリカ的な福音宣教によって救われた、もともと西欧志向、アメリカ嗜好の強い日本人が、アメリカ型のクリスチャン教育を受けた上に、牧師になっている場合が多いために、現在の日本の教会はますますアメリカの教会のミニチュアになりつつあります。幸か不幸か、日本文化はその表層面においてはかなりアメリカナイズされ、若者を中心とした都市生活者はアメリカ文化にあまり違和感を持たないようになってきているために、そのようなミニ・アメリカ教会でも、都会型教会としてある程度の成長を見ることは出来ます。しかしそのような教会が日本の教会の主流だとすると、日本全体の宣教はおぼつかなくなります。今、日本の教会がしなければならないことは、福音と教会を正しく理解し、それらを日本の文化と実情に正しく適応させることなのです。

1.日本文化と衝突しない教会の形態

 もうずいぶん昔のことですが、勉学のために都会に出ている間にクリスチャンとなったひとりの青年が、刷新的情熱を燃やして故郷にもどり、実家の稲作農業を継ぐことになりました。彼は吸収した知識をもって積極的に農業の改善改良に取り組み、自分の家の稲作の実績を上げただけではなく、だれかれとなく教えまた支援したために、やがて多くの人々に歓迎され、尊敬さえ集めるようになりました。それと平行して、彼はクリスチャン信仰の証も大胆に続け、やがて、彼を尊敬する若者たちを中心に、小さな教会らしいものさえ出来るようになりました。

 しかし、まもなく非常に困った問題が持ち上がりました。何人かの者たちが洗礼を受けたいと言い出したのですが、彼は単なる信徒であり、洗礼を授けることが出来ませんでした。彼が知っている牧師を呼ぶにも遠すぎてままなりません。近くの町の教会の牧師は、彼が教会に似た集まりを持っていることに、反感さえ持っている様子でお話になりませんでした。洗礼について学んだのに洗礼を受けられない人々は、中途半端な状態に置かれて、とても落胆してしまいました。さらに困った事が農繁期に起こりました。もともと猫の手も借りたい農繁期には土曜も日曜もなく、村の者全員が田んぼに出て、一緒に農作業をしていたものですが、この青年は、日曜日には仕事をしないと言って、田んぼに出て行かないだけでなく、集会に集まっていた何人かも彼に倣って、日曜日には仕事に出なくなってしまったのです。

 彼だけが、日曜日の共同作業に出なくなったのならば、その功績に免じて、村人たちは彼を許すことが出来たでしょう。また、村の若者たちが彼のところに集まって外国の宗教を学ぶのにも、まあ、目を瞑っていることも出来ました。しかし、持ち回りの共同作業で農繁期を乗り切ってきた村の人々は、数人の若者たちが日曜日だからと言って出てこないのには我慢が出来なかったのです。それだけではありません。盆踊りの太鼓叩きを得意としていた青年が、もう太鼓は叩かないと言い出しました。秋祭りの神輿の担ぎ手だった青年が、今年から神輿は担がないと言い出しました。お神酒を配る巫女の役をしていた若い娘が、その役を降りると言い出しました。

 とうとう村の長老たちは、集まって相談し、息子や娘たちをあの青年のところには行かせないようにしてしまったのです。洗礼を受けることができないままで、少々落胆していた村の青年たちは、これでぱったりと集いに来なくなってしまいました。彼らは、地域共同体においては農繁期の共同作業がどれほど大切であるかを知っていたのです。本当のところ太鼓も叩きたかったし、神輿も担ぎたかったのです。若い娘にとって、真っ赤なはかまと純白の着物は憧れでもあったのです。革新的な青年の教会は、せっかく目を出しかけたのに枯れてしまいました。外国から入ってきた教会の形は、日本の文化の土壌では育つことさえ出来なかったのです。

 大切なことは、日本の文化と無駄な衝突をしない教会のあり方を探すことです。日本人の生活習慣と、無駄な軋轢を生み出さない教会の形態を考え出すことです。たとえその文化や生活習慣が、日本の宗教に通じるものであっても、それをいたずらに嫌悪したり排斥したりしてはなりません。日本の黎明期から今まで、日本人はほとんど聖書の教えを知らないまま、本能に従って神と思えるものを拝み、良心に従って良いと思われることをやってきたのです。彼らは聖書の教えに反対しようとしているのではなく、自分たちの良い生活習慣を守ろうとしているだけなのです。あるいはその中にたくさん悪いことが含まれ、淫らなことが混在していたとしても、早々と裁いて断罪してはなりません。長い間の生活習慣には、それが長い間継続してきた理由があるのです。たとえば、日本では一夫多妻こそ一般的ではありませんでしたが、足入れ婚はつい先ごろまで多くの土地に残っていました。それらのものには、多くの場合、長い歴史的背景と社会的機能と必要性があったのです。それらのことを解明し、その必要性にきちっとした手当てをしないまま排斥したのでは解決にはならず、教会は存在している和を乱す、好ましくないものとなってしまうのです。和を最も大切にしている日本の中で、和を乱すあり方ややり方は出来るだけ避けなければなりません。

 福音派の教会は、旗色を鮮明にするのが好きです。アメリカ的な白黒で物事を判断するところまでは行かないとしても、旗色がはっきりとしなければ潔しとしないのです。ですから日本文化や習慣に対しても、「坊主にくけりゃ袈裟までも」の態度を取りがちです。そして、あえて反社会的になっているようなところさえあるのです。信徒が仏式の葬儀に参列することを認める教会は、いまだに少数派というより、非常にまれな存在でしょう。親しかった者の葬儀に列席しないということは、日本の社会では大変な非礼であり、重大な反社会的行為となります。それは家族を悲しませ、親族を怒らせ、知人たちとの交わりを壊してしまいます。そのようなことでは、共同体社会の中で宣教を行うことは不可能です。自ら、村八分にされているかのように振舞って、あなた方とはお付き合いはいたしませんと、行いをもって一方的に宣言していることになるのです。友好的交わりをあえて遮断し、不要に敵愾心を起こさせ、仲良く話し合う機会さえ投げ出しているのですから、伝道以前の問題です。[11]

 日本の教会の多くは小さく、大抵の牧師たちは、教会堂兼牧師館という建物に住んでいます。ところが、牧師たちが地域の行事に参加することはめったにありません。地域の行事が日曜日に行われることが多いということだけではなく、牧師は地域社会を「異教社会」とみなして、そのような付き合いを快く思っていないのです。教会堂のある教会は、日曜日以外は案外会堂が空いているのですから、地域の行事にどんどん使ってもらってはどうでしょう。現在の私たちの会堂は神殿ではなく、御聖堂でもないのです。地域に根ざし地域に溶け込み地域に奉仕する教会なら、当然、会堂を役立てるでしょう。もし、会堂を持っていない教会なら、会堂を持つために努力するのも結構ですが、この日本で、会堂を持たないで教会を存続させ、成長させ、発展させることが出来ないか、真剣に考えてみることです。50人に信徒が土地と建物を合わせて5000万円の会堂を建てるのは容易なことではありません。

 簡単ではありませんが、教会の集まりに使うことが出来る施設を見つけ出すのは、不可能ではありません。信徒の中に責任感が強く、社会的にもしっかりとした立場を持ち、ものをわきまえた人物がいるならば、必ずといってよいほど、教会が礼拝会などの集会を持つことが出来る場所を確保することが出来ます。そのような場所をいくつも持っていると、教会の活動は非常に多彩になって行きます。同時に2箇所で礼拝会を持つことも可能でしょう。1週間に5回の礼拝会だって不可能ではありません。それぞれの礼拝会に特色を持たせることも出来ます。私たちにそのようなことが出来ないのはそのような発想がないからです。そのような手本もないからです。もし、初代のエルサレム教会が、いま、私たちの町の中にあったならば、最良の手本となったことでしょう。まさにそのような教会だったからです。

 日曜日以外に礼拝会を持つということは、私がやり始めてお叱りを受けた40年近く前とは違って、かなり受け入れられるようになって来ました。現代の複雑化した社会に対応しようとするならば、日曜日だけに礼拝会を制限するのはまったく間違っています。もしすべてのクリスチャンが、日曜日の礼拝会を厳守するために日曜日に勤務することを拒否したとするならば、社会は機能しなくなります。クリスチャンになるということは、反社会的人間になるということになるのです。したがって教会は、日曜日以外にも礼拝会を行い、聖餐を執り行い、み言葉を語るべきです。そして、日曜日以外を休日としている人々に、積極的に伝道し、教会に取り込むべきです。

 教会が現代の日本に適応しようとするならば、もっともっと多彩な変化を期待すべきです。考えられる変化のひとつは、一教会一牧師という形です。というより、牧師がすべての仕事をしてしまう今のあり方です。牧師の最も大切な働きは、信徒たちを主の御用に役立つものに仕立て上げることであることは、すでに学びました、信徒たちの多くは、いろいろな面で牧師より優れた賜物を持っています。たとえ総合的には牧師の賜物が一番大きくても、信徒たちにはそれぞれ優れた賜物を持っている者がたくさんいるのです。彼らに牧師としての働きをどんどんやってもらってはどうでしょう。説教も、聖書の教えも、訪問も、教会の活動計画作成も、みんな信徒にやってもらってはどうでしょう。ペンテコステ教会の爆発的成長の理由のひとつは、信徒が賜物を生かして働いたことです。

 ともかく、日本の教会は、日本の文化、日本の社会の形態と軋轢を起こさない形で存在し、活動を行うべきなのです。

2.日本文化を取り入れた教会の形態

 プロテスタントキリスト教は、4~500年も前の北ヨーロッパの文化を背景に形成されたものです。現代の日本、アジアの極東北部にある島国で、恐ろしく特異な文化を持つ、誇り高く、和を重んじ、常に他人の目を気にしながら生きている人々の国で、発展したものではありません。いかに素晴らしい伝統があり、いかに深い意義があったところで、400年以上も前の地球の反対側の文化で生まれたものが、今の日本に意義を持って存在し得ると考えるほうが間違っています。

 たとえばプロテスタントキリスト教は、当時のカトリックの「教会の権威」に対抗して、「聖書」の権威を強調しました。ですからその伝統が引き継がれ、どうしても、聖書を説く「説教」がすべての集まりの中心になりがちです。しかも、いわゆる「講解説教」の優先性が謳われます。また、聖書研究会の重要性が繰り返して教えられます。それはそれで間違っているというわけではないのですが、結果として、私たちの信仰はいかんともし難いほど思弁的な、主知主義の信仰になってしまいます。信仰は全人格的なものですから、全人格的な取り組みが必要です。知識と感情と意思をことごとく活用する信仰が大切であり、そのためにはその知情意を取り込み、奮い立たせる場も必要です。

 たとえば、日本人も根っからのお祭り好きです。最近では、昔のような鎮守の祭りだとか、氏神の祭りだとかを通り越した、青年会だとか、観光協会だとか、町役場だとかの企画としてのお祭りも各地で盛り上がっているようです。九州のお祭りに、北海道から踊りに駆けつける人たちがいます。そこにはだんだん宗教性が薄くなっているということも考えられますが、宗教性の強い祭りも残っています。もともと日本の宗教では、集団としての宗教性、宗教的意義が問われるのであって、そこに参加する一人ひとりの信仰が問われることがなかったのですから、たいした問題ではありません。個人的にはどのような宗教を信じていようが、集団としての宗教行事である祭りには、問題なく参加できるのです。

 ともかく、この祭りというのは、まったく「反プロテスタント信仰」なのです。カトリックにはまだまだたくさん祭りが残っていますが、聖書を理解しこれを信じることを旨とするプロテスタント信仰に、お祭りは場違いなのです。しかし、人間は知識と意思だけで生きるのではありません。意思は知識だけによって動かされるものでもありません。そこには感情が必要であり、感情が重要な役割を果たしているのです。もともとペンテコステ信仰は、感情的な信仰として、他の教会の嘲笑を買ってきたものですから、私たちにはある程度感情を認めるところがあります。確かに、現代でも、感情的な歌、感情的な楽器の使用、感情的なステージのパーフオーマンスなどいろいろあって、少々行きすぎと思わないでもありません。時にはまったく「み言葉が語られない」まま、激しいリズムを伴った歌が続いたかと思うと、非常に静寂な、自らの心を見透かすかのような内省的な歌が織り込まれ、さらには非常に感情的というより扇情的な旋律と歌詞によって、神に語りかける歌が歌われる・・・・・ただそれだけで2時間も3時間も続く集会もあります。私たちはこのような集会を、本能的に、プロテスタント信仰の基本から外れると感じて、批判し、排除しがちですが、信仰の感情の発露としてのお祭りのひとつと理解すると、許容することが出来ますし、必要性を認めることが出来ます。

 数年前のことになりますが、黒人系のペンテコステ教団の集会に、「アメリカからビショップ様がおいでになるので」と、通訳を頼まれたことがあります。説教は非常に感情のこもったもので、聞く者を教えることよりも、まさに鼓舞することを目的とした、アジテーションに近い感じがしたのですが、言い方によると、難しいことは何も言わない単純明快な説教でもありました。ところが説教が佳境に入ると、ビショップ様は突然説教をメロディーに乗せだしたのです。説教そのものが即興の歌になっているのです。すると一緒に来ていた奏楽者が、ビショップ様の歌に合わせてピアノを引き出しました。黒人独特の声で、黒人独特のリズム、黒人独特のアドリブです。「面白いなァ」と思いながら通訳をしていると、説教者が、「メロディーに乗せて通訳しろ」とおっしゃるのです。いくらなんでもそれは出来ません。それで、「出来ない」と申し上げると、御霊に満たされたら出来るとおっしゃるのです。それで、そのくらい御霊に満たされてみたいものだと思いながらも、とうとう普通の通訳で遣り通したのですが、本当に、彼らの団体にはメロディーに乗せて通訳する人がいるのだろうかと、今も興味深々です。それにしても、日本語にメロディーを付けて即興で歌うことの難しさを、御霊は克服してくださるのでしょうか。英語なら、比較的簡単なのですが、日本語は困難です。ともあれ、非常に感情的な集会ではありました。黒人たちの歌には、魂をゆすぶるものがあるようです。

 歌だけではなく、踊りも大いに結構だと思います。神道には「奉納」という言葉があり、奉納踊り、奉納相撲などと使われますが、私たちのプロテスタント信仰にも、奉納踊りがあって良く、奉納運動会があっても良いはずです。むしろ、あるべきだと思うのです。神様の祝福を感謝し、健康で生きていることを感謝し、収入があったことを感謝する、お祭りが行われるべきです。具体的に、私たちの小さな教会でのお祭りには、何をしても盛り上がりが欠けるかも知れませんが、合同のお祭りにするとか、何か工夫をすべきだと思うのです。お祭りの信仰は、それだけでは内容のない、空っぽの信仰になってしまいます。キリスト教が、神道のように個人の信仰を問わない宗教ならば話は別ですが、ある意味で、徹底的に個人の信仰を問い詰めて行くキリスト教信仰では、個人の理解と同意と受容が求められるのが普通なのです。しかし、「私たちの信仰は正しい聖書の理解の上にのみ成り立つ」と言い切る考え方は、断じて受け入れることは出来ません。私たちは知り得ないゆえに信じ、また、知るために信じるのです。先にも書きましたが、筆者の次男は今年31才になろうとして、体だけは立派ですが、年々知能が低くなっているのかなと感じることがあるほどで、今は、3歳から5歳くらいの子供たちと一緒にいるのが一番楽しそうです。この息子に、聖書の教えを理解させるのは困難この上ないことです。しかし、彼は、幼子が親を信頼しているように、イエス様を信頼しているのです。

 この息子のような信仰は、説教や聖書研究によって知的に養われ、知的な決断をもって持つことが出来たものではありません。家族と一緒に祈り、礼拝し、生活する中で培われたものです。お祭りは、自分たちがまさに神様のみ前で生きていること、神様の恵みによって生かされていることを、みんなで喜び、祝い、感謝することであり、共同体の信仰を表現するものだと思います。クリスチャン子弟たちは、そのような環境でこそ、しっかりと生活に根ざした信仰を育てることが出来るのではないかと考えます。海外での働きをしていると、私たちの仲間たちは、礼拝会をセレブレーション(お祝い)と表現することがありますが、まさに、そのようなお祭り感覚を礼拝会に持ち込んでいるのです。ともすれば、プロテスタントの伝統である「説教」が失われ、お祭り騒ぎがそれに取って変わるところがあるために、「聖書的プロテスタント教育」を受けた牧師たちの批判の的になりますが、しっかりした聖書教育をする場が他に整えられているならば、セレブレーションも大いに結構だと思うのです。

 旧約聖書も新約聖書も、イスラエルのお祭りについて記しています。そのお祭りが、民族共同体としてのイスラエルの信仰を維持していくために、非常に重要であったことは説明の必要もないほどです。お祭りの意義、お祭りの機能、お祭りの大切さは、聖書から論証できるのです。そして、・・・・たとえばの話ですが、お祭り好きの日本人の中にある教会として、お祭りを作ってみてはどうでしょうか。クリスマスも祭りといえば言えないこともないのですが、どうも、感覚が合いません。むしろ、日本人にはなじみの薄い、イースターを祭りにするとか、ペンテコステの日を祭りにするとかは出来ないものでしょうか。あるいは収穫感謝際を本当に祭りにして、日本の秋祭りの要素を取り入れるというのも、面白いのではないでしょうか。これには収穫物を積み重ねて共に飲み食いすることが欠かせないでしょう。また、歌を歌い、踊りを踊る場が必要でしょうね。みな、神様の御前に、奉納として行うのです。

 お祭り好きの日本人の間にある教会が、お祭りに目を向けていないところは、やはり、私たちの教会が地域の文化に無頓着な、プロテスタントの教会であるということだと判断されます。しかも、祭りは、基本的に共同体感覚で行うものです。日本の教会が日本の文化土壌の中で発展して行くために、さまざまな可能性が考えられることと思いますが、お祭りもその中のひとつに違いありません。

 もう少し手近なことを考えてみると、キリスト教式の通過儀礼が考えられます。カトリックには通過儀礼とは言えないまでも7つの秘蹟がありますが、「み言葉主義の儀式嫌い」であるプロテスタントには、日常に関わる儀式と言われるものは非常に少ないのです。しかし、人生の節目々々に神様の祝福と導きを願い、また感謝し、それを祝い、公に喜びを表現する場があるべきだと考えます。日本の文化の中にもいろいろな通過儀礼がありますが、それらを取り入れて聖書的な意義を与えることも可能でしょう。あるいは新たに作ることも難しくはありません。またこの程度ならば、それぞれの地域教会で行うことが出来ます。例えば、日本の先祖や死者に関わる感覚から、死者に関わる通過儀礼・・・・とも言えそうな、何回忌というものを、キリスト教式に作り変え、親戚一同を集めて、死者の信仰の姿や業績などを振り返り、思い出し、死者を中心とした話題に花を咲かせ、死者を偲ぶことが出来るのではないでしょうか。そして、神様に、その死者を与えてくださったことを感謝し、彼と共に生きることが出来た喜びを感謝し、今生きている家族親族が、みな永遠の命を得て、彼と共に神のみ国に生きることが出来るようにという、祝福の祈りで結ぶことが出来るのではないでしょうか。キリスト教式の3回忌だ、キリスト教式の7回忌だ、キリスト教式の13回忌だと家族親族を集めて、良い伝道の機会にもなるはずです。ただし、「忌」とは「忌む」「忌まわし」の意味ですから、私たちの信仰にはふさわしくありません。適当な言い換えが必要になります。

 数年前のことになりますが、本家の長男という立場のために、家族親族を集めて亡くなった親父の13回忌をしなければならなくなり、弱り果てていた隣町の教会のクリスチャンのために、助け舟を出したことがあります。場所や料理は習慣通り普通にやって良いけれど、お寺の坊主ではなく、キリスト教の坊主を呼び、「キリスト教式」にやって見るように励ましたところ、このクリスチャンは大いに喜び、「じゃ、先生をお呼びしたいと思います」と、私に役回りを依頼してきました。彼の教会の牧師は筆者と親しい宣教師で、日本の文化や習慣のことをあまり理解していないことから、一応牧師の承諾を得ることを条件に、お引き受けしたものです。

 町でも指折りの料亭の大広間を借り切っての会で、年寄りから子供たちまで、50人ほども集まっていました。大人だけでなく、子供も集めるように指導したのです。料理が出され、酒も運ばれていました。まず、長男であるクリスチャンが挨拶をし、それから、キリスト教の坊主として筆者を紹介してくれました。そこでこのように言ったのです。「今日は、○○○○さんがなくなってから、ちょうど13年目に当たる記念の日です。そこで、家族、親戚の皆様にお集まりを願い、このような座を設けていただきました。今日は、料理をいただきながら、なき○○○○さんを思い出し、○○○○さんの思い出話に花を咲かせていただきたいと思います。○○○○さんをご存知の方は、ぜひ、○○○○さんの素晴らしかったこと、良かったことについてお話していただきたいと思います。○○○○さんはとても出来たお方であったと伺っております。もちろん人間ですから、悪かったところもあったこととは思いますが、今日は○○○○さんには一度も会ったことがない、お孫さんやひ孫さんたちも見えておられます。お爺ちゃん、ひいお爺ちゃんの、良いところ素晴らしいところをたくさん聞いて、誇りにすることが出来るように、そしてそのよいところ、素晴らしいところを模範にしていくことができるようにと願うものです。」

 話はずいぶん弾みました。いろいろな思い出が語られ、笑いがあり、涙もありました。みな故人をしのび、懐かしみ、次々と語り、ついに2>時間以上に及びましたので、筆者は「○○○○さんという素晴らしい夫を、兄弟を、父を、叔父をそしてお爺ちゃんを与えてくださって感謝します。」というお祈りを捧げて先に失礼したのですが、後で長男のクリスチャンに聞いたところによると、参会者は異口同音に、「こんなにいい集まりは初めてだ」、「キリスト教は先祖を大切にしないなどというのは、まったくの間違いだ」と言いながら帰って行ったということです。たくさんの親族にまったく気兼ねせず、堂々と証ができと、彼も非常に喜んでいました。実は彼は、7回忌の時には福音派のクリスチャンの慣わしに従って、仏教的な習慣を嫌って何も行わず、親戚一同からひどくひんしゅくを買って、まったく証の機会を失ってしまっていたというのです。

 少なくても、キリスト教は死者を大切にしないという、汚名はそそぐべきです。死者や先祖を大切にすること自体に、反聖書的なところはまったくないはずです。少なくても、日本の文化、社会通念の中にあっては、どのような形であっても先祖を大切にしているように振舞わなければ、良好な社会関係を築くことはできなくなるのです。社会、すなわち自分が生きている共同体を敵に回して、その共同体に対して福音を伝達することは不可能です。

E.日本の宣教の妨げとなってきた衣

 ではここで、日本の宣教の妨げとなってきたと思われる、さまざまな衣を具体的に指摘し、少しばかり検証を加えて見ましょう。多くのものについては、すでに幾度か部分的に言及していますが、あらためて掘り下げてみるのが良いと思います。

1.文化的優越感

 使徒の時代を例外として、ローマ帝国の時代からつい最近に至るまで、宣教師たちはより進んだ豊かな経済と、強烈な軍事力という「進んだ文明」を背負って、より未開の状態にある人々のところに出かけて行きました。実際には出かけた土地の人々の方が、宣教師たちの母国の人々よりも、さまざまな面において高度な文明を持っていたということもありましたが、実際のところ宣教師たちのほとんどは、自分たちはよりすぐれた高度な文明の使者であると、考えていました。少なくても、宣教師の大多数は圧倒的な経済力と軍事力とを背景に、より強いもの、より優れたものの一員として宣教地に入ることができましたし、そのようなものとは無縁の活動をしていたときでさえ、自分たちの国と自分たちの文化は、圧倒的に優れているという自覚と誇りを持っていたのです。

 反宗教改革運動としてのイエズス会の宣教師たちと、彼らに触発された大航海時代のカトリックの宣教師たちの多くは、当時の大国スペインやポルトガルの、軍事力と経済力をかさに着て働きました。スペインの無敵艦隊が敗れて力が大英帝国に移り、さらに、オランダやアメリカといったプロテスタント諸国が力を持つようになると、カトリックに比べると遅ればせながら、おずおずとではありましたが、自国のあるいは西欧の文明を背景に、軍事力と経済力を盾に、文明の先覚者としての自覚を持った宣教師たちが、世界中に出て行きました。イギリスやオランダからは、それぞれの東インド会社と手を組み、植民地主義の手先のように働いた宣教師たちも数多くおりました。[12] そして19世紀に入ると、アメリカが台頭して、旧大陸の列強をしのぎ、また、宣教師の数においても旧大陸の諸国を圧倒するようになって来ました。

 そういうわけで、使徒時代の宣教を例外として、つい最近の第三諸国の宣教師の興隆に至るまで、宣教師といえば、より強い経済力と軍事力を持った文明国から、経済的にも軍事的にも弱小で、未開の文明に取り残されていた国々へ出て行くものと、相場がきまっていました。そのような中で宣教師たちは、自分たちが伝道の対象とした国々や人々に対して、強烈な優越感を抱くようになったというのは、ごく当然のことであったと言えます。中には、その優越感のために暴君のように振舞った宣教師たちもたくさんいましたし、反対にその優越感のゆえに善意と慈愛に満ちて働くことが出来た宣教師たちも大勢いました。これは近代民主主義が広く受け入れられ、基本的人権が擁護され、人種の差別を撤廃することが当然と考えられ、文化的相対論が一般的になった現在でさえ、アメリカやヨーロッパの白人宣教師の間に、しばしば見受けられるものであり、時には、韓国や日本、あるいはシンガポールのような発展した国々の宣教師たちにも、かいま見られるものです。明治以後日本にやってきたプロテスタントの宣教師のほとんどは、あからさまか密かにかは別として、このような優越感を抱きながら宣教の働きを進めたのです。

 宣教師が優越感をもって働くと、当然、どこであっても思わしくない反応というか、状況が出現します。日本においても、それはかなり露骨な形で現れて来ました。まず指摘しなければならないのは、優越感を持った宣教師たちは、現地人である日本人と共に働くとき、日本人の意見を聞かないということです。彼らは、自分たちが日本より優れた文化を背景に育ち、進んだ考え方、進んだ教育、進んだ方策、進んだ神学をもって教えに来たと信じているために、何をするにしても、日本人に相談するということ自体を思い浮かべることができないのです。伝道を企画するときも、働き場を選択するときも、教会の働きを計画するときも、まず、自分たちだけでほとんどのことを決定してしまいます。その上で、あたかも自分たちは現地の人々を無視していないと言おうとしているかのように、自分の計画を日本人のところに持ち込むのです。計画がまだできていな段階から日本人と話し合い、日本人の考え方や方策を真剣に検討しようという宣教師はまれですし、計画の前の発想の段階から、日本人の考え方や見方、独創性あるいはオリジナリティを励まし、取り入れようとする宣教師はなおさら希少です。

 彼らは、「自分たちの理解した日本人」に、最も相応しいと思う計画を立てます。そして経済力を背景に、日本人に自分たちの計画の実行を迫ります。日本人協力者が首を縦に振ればそれでよし、そうでなければあえて協力を頼まず、自分たちだけで実行するだけのことです。いわゆる、「テイク イット オア リーブ イット」です。このようなことでは、宣教師は日本人に相応しい計画や企画を作成することはできませんし、日本人に対して効果的な宣教もできません。また、本物の日本人協力者を得ることもできません。精々、雇い人を得るだけです。

 さらに、優越感を持った宣教師たちは、現地において現地から学ぼうとしません。特に現地人から学ぶなどということは、よほどのことがない限りしないものです。彼らは、自国の進んだ文明の中で充分に学びを積んできていますので、現地では教えるだけなのです。自分たちより文明程度の低い人々の、文化や生活習慣など、あえて学ぶ意欲も出てきません。彼らにとって現地の文化とは、せいぜい良くても改善され、よりすぐれたものに取り替えられるべきものであり、ほとんどは破壊されるべきものなのです。いまさら苦労して学ぶ価値のないものです。

 こうして多くの宣教師は、日本人の文化や歴史を知ろうともせず、日本人のものの見方や考え方、物事の進め方や人間付き合い、日常生活などを無視したまま、働きを進めようとするのです。あるいは、一方的に理解したつもりで、日本人の神経を逆なでするようなことをしでかすのです。そうかと思うと、一方では、実際の宣教の働きのためではなく、博士になったり教授になったりするために、宣教学とか人類学、あるいは社会学という学びで学位を取り、もっぱら西欧的な学問の方策をもって、日本人と日本の文化を観察して、日本を理解したつもりになっている宣教師も出てきます。彼らの多くは、西欧で作られた杓子定規で日本を測る誤りを犯し、真の日本を測りきれないでいるのです。ですから、「三尺下がって影をも踏まず」などという慣わしが合ったというだけで、日本の女性は差別され抑圧されていたと結論付けてしまうのです。三尺下がったところにいながら、西洋の女性などとは比べ物にならないくらい、強い立場を持っていた日本の女性など、想像も出来ないのです。

 彼らの多くは、天真爛漫な優越感を抱いて自分たちの文化をより優れたものと考え、その土台はキリスト教であると信じて疑わないために、日本の神道の文化、仏教の文化、儒教の文化、共同体の文化、和の文化、家族を大切にする文化、人間関係を重視する文化、相対的なものの考え方をする文化、謙遜を旨として控えめに行動する文化などを、ことごとく、演繹法的にキリストの福音の敵とみなして、これに戦いを挑み、「キリスト教文化」である自分たちの国の文化を、日本に持ち込もうとするのです。このようなやり方は、自分のたちの文化に強固な誇りを持っていない人々の間では、かなりの効果を期待できました。人々は「野蛮で遅れた」自分たちの生活習慣や倫理、あるいは産業や技術を恥じて、喜んで進んだ文明を取り入れようとします。そしてキリスト教も、進んだ文明文化の一部として一緒に受け入れるのです。しかし日本は、かなり欧米諸外国に遅れを取っていた明治の初期にさえ、和魂洋才といって、西欧の法律、産業技術、教育などを取り入れましたが、日本的なものの見方、考え方、倫理、などを変えようとはせず、かえって神道をもってそれを強化しようとした国です。日本人はあくまでも誇りの高い国民です。日本人は、日本の文化が軽んじられたりけなされたりすることに、寛容ではおれないのです。

 宣教師たちは、当然、自国のキリスト教文化を誇りにしています。そしてその誇りはある程度正しいのです。キリストの福音があったればこそ、あそこまで人権や自由、あるいは福祉や平等、腐敗のない政治などが可能になったのです。しかし日本人は、日本が世界で最も犯罪の少ない国のひとつであることを知っています。どのようなキリスト教国も、日本に及びません。犯罪の温床のような多くのカトリック国だけではなく、イギリスやアメリカのようプロテスタント国でさえも、日本の犯罪の少なさには到底及ばないのです。たしかに、高度に発展したプロテスタント諸国には、日本が手本とするべきところがたくさんあります。開国150年の日本はまだまだ遅れています。しかし日本は、たとえキリスト教を取り入れなくても、それらの手本に到達し、それを超えることができると感じているのです。アメリカがキリスト教をもってそれを達成したというならば、我々はキリスト教なしにそれを達成して見せようというわけです。西欧キリスト教諸国は、キリストの教えと神の助けがあっても、あの程度にしかなれなかったのです。日本は、キリストの教えも神の助けも拒絶しながら、ここまで来たのです。

 宣教師たちが自分の育った国の文化を誇りにすることは、別に悪いことではありません。しかし、優越感を持つことが悪なのです。実際のところ、これは著者の独りよがりであることを願うのですが、ほとんどの白人宣教師たちは、有色人種に対して優越感を持っているように見えるのです。その多くは、ちびくろサンボの著者のような、善意に溢れた人々であることは充分に理解するのですが、差別に根ざした同情と憐憫は、誰も望んではいません。望んでいるのは、人間としての対等の取り扱いであり、人間としての尊厳を認めてくれることなのです。白人同士の約束であったならば、必ず守られたであろう約束も、相手が有色人種であるならば、破られてしまうことがあります。白人同士ならば謝罪するべきところも、有色人種が相手だと無視されてしまうこともあります。幸い、昔のようなあからさまな人種差別は、少なくても、新しい宣教師の中にはあまり見ることができなくなって来ました。しかし、時として顔を出すそれに出っくわすと、宣教地の人々は痛く傷つくのです。

 宣教論上、宣教師の優越感が及ぼす害の中で最も深刻なのは、人々を傷つけることだといえます。宣教師の態度や言葉、あるいはものの考え方のなかに優越感を見出すと、たとえそれが善意と慈愛に満ちたものであっても、現地の人々は怒り、悲しみ、憎み、嫌い、軽蔑し、その宣教師からだけではなく、福音からも身を引いてしまうことになります。優越感と劣等感は、非常に厄介な感覚で、ふたつの別の感情ではなく、ひとつの感情の表と裏です。ですから、不当とも思える優越感に満ちた取り扱いを受けると、とても激しい反発を起こし、決定的に人間関係を破壊してしまうのです。日本人の多くが、優しく親切な宣教師たちの顔の裏に張り付いている優越感に触れ、激しい嫌悪感を持ってしまいました。また、そのような日本人の話を聞いたり書物を読んだりした日本人は、宣教師とキリスト教に対する、違和感、異質感を膨らませたのです。本当のところ、日本に来た宣教師たちの大多数は、愛と清さを備えた立派な人たちだったのです。しかし、この優越感だけは拭い去ることができないものだったようです。また、劣等感にさいなまれている日本人は、白人宣教師たちの密かな優越感を、敏感に嗅ぎだしていたのです。

 たとえそれが人種的なものであろうと、経済的なものであろうと、なんであろうと、優越感を持つ人々とお付き合いしたいなどと望む者は、どこの国にもいません。その人の話を聞きたいとも思いません。たとえその優越感が正当なものであったとしても、それは変わりません。ましてや多くの宣教師の優越感のほとんどは、誤解や先入観や誤った情報や無知に根ざすものであるために、強烈な反発を招くのです。福音を伝達するということが、必然的に教えるという行為につながり、教会を建てるという働きがそのまま指導するという立場に繫がるために、宣教師たちは、ついつい優越感を膨らませてしまうのかも知れません。もし、日本に来ていた宣教師たちが、優越感というものをまったく持っていなかったとしたら、あるいはそれを上手に制御するすべを心得ていたとするならば、日本人はもっと素直に福音を聞きまた受け入れることができたことでしょう。日本人は、「比較的」高度な文明と特異な文化を持つ有色人種であるために、しばしば、開発途上国や他の有色人種の人々に対しては、不当不要な優越感を抱く反面、発展国の白人に対しては卑屈なほどの劣等感を持っています。ですから、白人宣教師が時折みせるわずかな優越感に対しては、ことさら敏感なのです。

2.偶像問題 

 日本にやって来た宣教師たちの、多分99.9%以上は、日本人は偶像礼拝の罪を犯していると、考えていることでしょう。日本が祝福されていないのは、この偶像礼拝のためであるという宣教師がたくさんいますし、そのような宣教師に教育されて、同じようなことを主張する日本人伝道者や信徒もずいぶんいて、いまだに、偶像を攻撃することと伝道とを、同じことと捕らえている団体さえ存在します。実際のところ、いわゆる単純な目に見える偶像というものがあまりない、「キリスト教文化」の中で育ってきた宣教師たちの多くは、いたるところに偶像が目に付く日本に来ると、ひどく衝撃を受けるのです。そしてこれらの宣教師は、偶像に対する極めて厳しい旧約聖書の律法を、日本の偶像にそのまま適応するのです。残念ながら、聖書の釈義と解釈という学びが、かなり高度に進められてきている現在に至っても、そのような、偶像に対する旧約聖書の厳しい律法を、そのまま現在の日本のような宣教地に適応するのは、間違いだということに気づいている宣教師には、まだ会ったことがありません。

 現在私たちが遭遇している問題に対して、聖書の教えとして正しい答えを出すためには、普通、ふたつの大きな手順を踏まなければなりません。まず始めに、聖書が書かれた時点で、それがどのような意味を持っていたかを、厳密に理解する作業で、釈義と呼ばれています。このためには、その言語、当時の社会的状況、書いた人物の意図、想定された読者の環境などあらゆることを調べだして、現在の私たちの考え方や必要性などをその中に読み込まないようにしなければなりません。そのように、聖書が書かれた当初の意味を探り出した次の作業は、その意味を現在の私たちの状況と必要に対して適応することです。その場合、聖書が当初意味した原則を損なわないように、現在の状況に生かすということがされなければなりません。もし、偶像問題に関してこのような注意深い学びがされると、日本の偶像問題について、あるいは多くの宣教地における偶像問題についてどのようなことが言えるでしょう。

 釈義の結論として、大きくふたつのことが言えます。第一は、偶像を拝んではならないと厳しく戒められているのは、イスラエル民族であるということです。神はイスラエル民族に対してご自分を現し、多くの奇跡と力ある業とによって彼らを奴隷の身分から救い出してくださいました。多くの民族や国家の中から特別にイスラエルを選び出し、彼らと契約を結んでくださった神は、ご自分とイスラエルの関係を非常に身近な「婚姻関係」にたとえておられます。すなわち神は、男性が多くの女性たちの中から妻を選び出すようにイスラエルを選び、これと特別な契約関係に入ったというのです。神に選び出されて、婚姻関係で説明されるような特別な契約関係に入れられたイスラエルは、その契約関係の保持の条件として、妻が夫だけに身を任せて忠誠を保つように、ただ神だけを礼拝して忠誠を保つようにと命じられているのです。ですから旧約聖書では、偶像礼拝の罪がしばしば姦淫の罪として糾弾されているばかりではなく、神ご自身が「ねたむ神」としてご自分を現しておられるのです。偶像礼拝禁止の戒めが明確に示された十戒は、出エジプト記の20章に記されていますが、出エジプト記20章は、第2節から読んではなりません。きちっと1節から読んでこそ、始めてその意味がはっきりするのです。

 イスラエルはまず、一方的な神の自己顕現と明確な救いを体験しました。神は、イスラエル民族をエジプトの奴隷の状態から救い出した神なのです。イスラエルの民が求められたのは、この神以外に神はいないこと、すなわち唯一の神であることを理解し、それを信じることではありませんでした。多くの神々の存在とその神々の力とを信じていても良かったのです。ただ必要なのは、イスラエルを救い出してくださったこの神のみを礼拝し、この神のみを恐れ、この神のみに仕えることでした。神は、「私こそあなたを救った神である、あなたは私が選んだ妻である。あなたが私の妻となる前は、どのような男に目を向けようがあなたの自由であった、しかしいまやあなたは私の妻となったのだから、妻として私に忠誠を尽くしなさい」とおっしゃっているのです。そして救いを与え妻としてくださった神に対して、忠誠を守り通すことが出来なかったイスラエルは、いくたびも非常に厳しい処罰を受け、多くの苦しみを体験したにも拘わらずその姦淫の罪を続け、ついには国家分裂と北朝の消滅と南朝の捕囚という憂き目にさえ遭ったのです。

 聖書を不注意に読むと、ただ、偶像礼拝に対する神の取り扱いが非常に厳しいという印象だけを持ってしまいがちです。しかし注意深く読むと、神は非常に忍耐深く寛容であられたことがわかります。神がイスラエルに対して最初にご自分を現してくださったのは、イスラエルの祖父アブラハムに対してであり、創世記12章でのことです。私たちはこのときから、アブラハムもその子イサクも、孫のヤコブすなわちイスラエルも、ただ唯一の真の神である神に忠実に生き、一切の偶像礼拝とそれに関わる習慣と、手を切ってしまったかのように考えがちですが、聖書に書かれているのは少しばかり、というより大いに異なっています。まず、アブラハムの生涯と数々の行いには、異教の影響が色濃くうかがわれます。たとえ神の自己顕現を受けたとしても、それまでの人生を異教社会で過ごし、偶像礼拝に浸かってきたアブラハムが、異教的色彩をことごとく捨てて、直ちに純粋な神礼拝をすることは困難だったでしょう。大切なのは、たとえ観念と礼拝習慣には異教的色彩が色濃く残っていたとしても、ただ、ご自分を現してくださった神にのみ仕えるという、アブラハムの確固たる姿勢だったのです。アブラハムは、神がどのようなお方であるかという神学的な知識はまだあいまいなまま、ご自分を現してくださった神に従いました。彼が救われたのは知識を持つという行為によるのでもなく、信仰によるのです。

 イサクに関してはあまり明確ではありませんが、聖書を読む限り、彼と妻のリベカが、周囲の異教的習慣とはまったく異なった宗教感覚で生きていたようには思えません。結婚までのリベカは、アブラハムが生まれ育った異教環境で生きて来ました。ですから夫イサクの神は、知らない神だったことでしょう。ただイサクが、父アブラハムに現れてくださった神のみを礼拝するという一点においては、しっかりしていたと読み取れます。ヤコブにいたると、彼の妻たちはまったく異教の中で育ち、その影響のなかで生活していますし、ラケルは父の偶像を盗んで持参したことが記されています。また、ヤコブの家にはたくさんの偶像があったことが記されています。ヤコブが祖父アブラハムの神にのみ仕えることを改めて決意し、それらの偶像をことごとく始末してある種の宗教改革をするのは、神がアブラハムに現れてくださってから、実に、およそ130年から150年ほども経ってからのことなのです。これらのことから判るように、当時、神は、偶像に関してはかなり寛容で忍耐深いお方だったのです。さらに考えると、エジプトでのイスラエルも、決してアブラハムの神のみを神としていたのではありません。そのような意識さえなかったように読み取れます。ヨセフの妻はエジプトの偶像教の祭司の娘でした。モーセの妻ミリアムにしてからが、ミデアンの異教の祭司の娘だったのです。

 神はアブラハムにご自分を現し、ご自分に仕えるようにお命じになりましたが、先に示したように、偶像に関して非常に厳しい態度をお取りになったのは、イスラエルが明確な神の救いを体験し、エジプトを出立した後のことです。つまり、偶像の禁止の前に救いがあったのです。そこから当然のように導き出されるひとつの結論は、神の救いを体験していない民族に対しては、神は偶像礼拝の罪をお責めにならないということです。事実、旧約聖書全体を見ても、神の救いを体験していない異邦人が、偶像礼拝の罪を責められたり、そのために神の処罰を受けたりしている例はないのです。それが、第二の重要な点です。確かに、異邦の民であってもイスラエルに偶像礼拝を持ち込む危険性のある民は、その危険性のために厳しい取り扱いを受けています。また、偶像礼拝をすることがいかに空しく、愚かなことであるかと言う事実をイスラエルに教えるために、彼ら異邦人の偶像礼拝が嘲笑されているところもあります。しかし、彼らが偶像礼拝の罪のために責められているところはないのです。以上のことから、旧約聖書によると、偶像礼拝の罪は神の救いを体験したイスラエルと、イスラエルに寄留する人々、あるいはイスラエルの偶像礼拝を持ち込む危険性のある民族に、適応されるということが明白です。

 新約聖書においては、パウロの神学的著書であるローマ人への手紙に、偶像問題が最も明確に論じられています。ここにおいてパウロは、人間の一般的罪としての偶像礼拝と、それに対する神の処罰を取り上げて論じてはいますが、それは旧約聖書に記されているような、イスラエル民族が偶像礼拝に陥ったときの神の処罰とは、まったく性質の異なったものでした。偶像礼拝が罪であることにはなんら変わりはありません。しかし、ローマ人への手紙ではむしろ、神の「慈愛と忍耐と寛容」(ローマ2:4) が強調され、偶像礼拝をしている異邦人も、偶像礼拝をしていなかったイスラエル人も、同じ信仰によって救われることが教えられているのです。また新約聖書においても、偶像礼拝は、当然、罪として避けるべきことが教えられています。ただしそれは、神の救いを体験した者への教えとして語られていることに、注意しなければなりません。

 ローマ人への手紙で、偶像問題に関して神学的に厳しい見解を示したパウロではありましたが、実際伝道の場においての彼の偶像問題への接触の仕方は、かなり異なっています。先に触れたように、彼は、偶像で満ち溢れているアテネの状況に対しては憤りを覚えながらも、偶像礼拝をしている人々に対しては非常に忍耐深く、寛容な語りかけをしています。偶像礼拝を褒めてこそいませんが、神を礼拝しようとする人間の本能的欲求を認め、彼らが宗教に熱心であることは褒め、偶像礼拝の罪を攻め立ててはいないのです。パウロにとっての伝道は、偶像礼拝を責めることではなく、真の神とその救いを伝えることだったのです。異邦人が、異教の文化の中で異なった神を崇め偶像を礼拝していたとしても、パウロにとって問題ではありませんでした。彼らが、まず、パウロの述べ伝えていた神を信じ、その救いを体験することが大切だったのです。そしてその救いを体験した者は、救いを与えてくださった神のみに仕えるようになり、この神こそ唯一の神であると知るようになればよかったのです。救われる前に唯一神教の信徒にならなくても良かったのです。

 ところが欧米の宣教師たちのすべてがと言いたいくらい、ほとんどの宣教師たちは聖書を読み違え、適応の仕方も誤って、頭ごなしに、偶像礼拝はすべてイスラエルの偶像礼拝と同じように、神が最も忌み嫌われる罪であると断定して、宣教地の人々が救いを体験する前に、まず偶像礼拝を止めなければならないかのように教えてきたのです。そればかりか、キリストの福音がもたらされる以前の非常に長い間、文化に浸透し、日常のあらゆる習慣や伝統に取り入れられて来た、宣教地の宗教を敵とみなして戦い、非難し、嘲笑し、揶揄してきたのです。それはとりもなおさず、宣教地の人々の生活様式や習慣を嘲笑うことであり、長く続いてきた伝統や様式を軽蔑することであり、現地の人々の寄って立つアイデンティティーを否定することなのです。

 日本においても、神道を敵視し、揶揄し、軽蔑する宣教師がたくさんいます。仏教を憎み、侮蔑し、毛嫌いする宣教師がたくさんいます。まずこれらを取り除かなければ、日本の宣教はおぼつかないと信じている宣教師がたくさんいます。彼らは神道や仏教が、いかに日本の文化を形成し、日本人の生活や精神構造と切っても切れない関わりをもっているかを理解しようともせず、これらの宗教が社会的にどのような役割を果たしてきたか、考えてみようともしません。これらの宗教があったればこそ、福音がなかった時代でさえ、日本という国は、西欧キリスト教諸国よりはよほど高度な社会倫理を形成することが出来たのです。[13] 多くの西欧プロテスタント諸国では、キリスト教哲学の影響もあって個人主義がもてはやされ、家庭というものが消滅しそうになり、犯罪が激増しています。日本においても西欧個人主義が、日本の社会に少なからぬ影響を与え、悪い影響としては、やはり家庭の崩壊や犯罪の増加が上げられます。日本の伝統的な家庭は、たとえその中に多くの欠点があったにせよ、神道や仏教あるいは儒教の観念や哲学に影響を受けて、保たれてきたところが大きいのです。家とイエの感覚の中にある神道や仏教あるいは儒教の影響が、日本の犯罪を抑制してきたのです。それらのことを正当に評価しないで、いきなり神道は偶像礼拝であり罪である、仏壇は悪魔の棲家であるという態度では、日本人を傷つけ、敵にしてしまうだけです。敵に回した人々に伝道することは、並大抵ではありません。

 日本人は神の救いを体験していません。神の救いを体験していない人々に対して、聖書は偶像礼拝の罪を責め立ててはいないのです。むしろパウロがしたように、神と呼ばれるものを礼拝したいという人間の本性を大切にし、神の寛容と忍耐とを持って、彼らを救いに導くことこそ肝要なのです。偶像を攻めるあまり、神が人間に備えてくださった宗教的本能、神を礼拝したいという根源的欲まで否定してしまうようなやり方は、ふさわしくありません。その本能があるからこそ伝道も可能なのです。宗教心があるから、伝道ができるのです。坊主にくけりゃ袈裟までもというわけで、仏教的な習慣やことばまでも敵視する西欧かぶれの伝道者もいます。では、いっそうのこと、「神」という「異教的言葉」も使わないのが良いでしょう。神という言葉と概念があるからこそ、私たちは神という言葉を用いて伝道できるのです。

 もし、日本に来た宣教師たちが聖書を正しく読み、偶像問題を正しく理解していたならば、日本の神道や仏教、あるいは儒教その他の宗教に対して、あるいはそれらを信奉している人々に対して、もっと友好的で効果的な接触ができ、宣教の働きもまた変わっていたことでしょう。残念ながら、多くの宣教師は偶像のない「キリスト教文化社会」からやってきましたので、自分たちの文化を「キリスト教文化」と定義し、そこで行われていることの多くを、何の問題も提起せずに受け入れる一方、宣教地の文化を「異教文化」「偶像文化」と定義し、そこで行われていることすべてに疑惑の目を向けてしまうことによって、宣教地の文化を軽蔑し侮蔑し、そこに住む人々を、憐憫の情を交えて差別してしまうことになるのです。ある老人が宣教師に語った言葉を忘れることができません。「キリストも素晴らしい。聖書も素晴らしい。しかしあなた方のもたらしたキリスト教文化は、そのような素晴らしいものをもってしても、その程度にしか至らなかった文化だ。私たちはキリストも聖書も知らなかった。しかし、日本の文化はそれらがなくてもここまで来た文化なのだ。あなたたちは自分の文化を語らずに、キリストを語りなさい」。西欧の宣教師たち、特に現代のアメリカ人宣教師たちは、物体としての偶像に対しては異常なほど厳しい態度を取りますが、異なった形の偶像礼拝には非常に寛容で、自分たちのキリスト教が偶像教であることに気づいていません。アメリカのキリスト教のほとんどは、物と金を偶像にしています。学位と名声を偶像にしています。聖書はそのような偶像をも、厳しく戒めているのですが。  

 もちろん、異教文化のすべてが素晴らしいものであるはずはありませんし、それらを無批判に受け入れなさいと言っているのでもありません。ただ、宣教の働きは文化を移入する働きではないということを明確にしたいのです。偶像を容認し、それを受け入れよと言うのでもありません。偶像礼拝は罪です。しかし、神は日本人が偶像礼拝をしていることを、厳しく糾弾なさってはおらず、かえって、慈愛と寛容と忍耐を持って、日本人がまず救いに与ることを願っておられるということを、明らかにしたいのです。

 偶像問題で最も深刻なもののひとつが、クリスチャンは仏教式の葬儀に参列すべきではないという教えです。これは地域共同体と家族親族に対する大きな躓きです。葬儀というのは、少なくても日本においては非常に重要な儀式です。そこに地域と親族の人間関係が凝縮されています。これを軽々しく扱うと、地域と親族から白い目で見られ、爪弾きにされてしまいます。仏式の葬儀に参列することがどうして偶像礼拝なのか、どう考えてもわかりませんが、私たちはそのように教えられて育ってきました。友人知人や親族の者の死を悲しみ、共に痛むことのどこが偶像礼拝なのでしょうか。仏式で行うからだと言うならば、何も葬儀だけではなく、日本のほとんどの習慣や行事は、多かれ少なかれ仏教や神道の影響を残しているのです。クリスチャンたちは、身近な者の死の悲しみさえ共有することを拒否するように教えられた結果、地域の人々にも家族や親族にも胡散臭く見られ、伝道することができなくなってしまいました。地域や親族の交わり、和を乱す宗教であるキリスト教は、望まれない宗教となったのです。

 同じように、クリスチャンとなったならば、できるだけ早く仏壇を始末しなければならないという教えがあります。極端な場合は、仏壇を直ちに焼却処分にしなさいと教えられます。仏壇は悪魔の棲家であるとさえ聞かされます。仏壇は多くの場合、先祖から伝わってきたものであり、また本家から分かれた直後の家にとっては、これからの家系を明確にしていく決意の象徴です。そこに先祖とのつながりのイエが象徴されているために、仏壇を軽々しく扱うことは、現在の自分たちと先祖とのつながりを軽視することになり、日本の文化ではやってはならないことなのです。さらに仏壇は、先祖の繋がりを通して現在の親族関係を強め、自分たちのアイデンティティーを確認する象徴であり、道具なのです。何かの日に親戚たちみんなが仏壇の周りに集まり、改めて、自分たちはひとつの親族という絆で結ばれていることを確認するのです。このような習慣は、都会においてはだんだん廃れているとは言え、地方においてはまだまだ強く残っていますし、都会に出ている者たちも、いったん、故郷に戻れば仏壇を象徴としまた要とした、親族関係の中に入るのです。ですから、仏壇を焼いたり破壊したりすることは、仏教という「偶像教」に対する戦いではなく、家族親族の繋がりを大切にする日本文化に対する挑戦であり、しいては日本人への宣戦布告となるのです。これから伝道しようとしている相手を、まず敵にして戦わなければならないのですから、日本の伝道が困難な理由がわかります。一度でも、そのように仏壇を軽々しく扱ったり敵対したりするクリスチャンに出会った日本人は、自分は絶対にクリスチャンにはならないし、自分の周りにもクリスチャンは作らないぞと思ってしまうのです。

 日本人はまた、先祖を想う民族です。先祖を大切にするかどうかはわかりませんが、想うことは確かです。そしてこの想うという曖昧な行為が、先祖を大切にしている印なのです。死んだらみんな仏になると言われるかと思うと、死者はみな神になるとも言われています。その一方で死者の霊は、49日はあたりを彷徨うということですし、お盆には地獄の釜の蓋が開いて、死者の霊が家に戻って来ると考えられ、迎え火を焚き、送り火を焚きます。死者についての考えも、死後の世界についてもまったく不確かなのです。しかし、死者を想う心があるのは確かです。西欧のプロテスタントは、死者に対しての想いを理解しません。聖書によると、死者は神のみ手にあり、神にお任せする以外には手立てがないと考えるため、死者に対する行事というものが少ないのです。そして、死者に対する想いが、死者に対する話しかけなどによって表現されると、たちまち、霊媒や口寄せと同じように、神に忌み嫌われるものと断言してしまうのです。

 しかし、たとえ西欧プロテスタント諸国においてさえ、死者に対する想いをそれぞれの形で表現することは許されています。墓地に花を持っていくのはなぜでしょう。写真を飾っておくのはなぜでしょう。それらは偶像礼拝とは言われません。では、日本式の死者に対する想いの表現は、罪なのでしょうか。日本では、死者を象徴する位牌に向かって毎日手を合わせ、線香をあげ、水やご飯、あるいは果物を捧げます。そのようにする人たちの誰も、実際に死者がその供え物を食べるなどとは考えていません。彼らは死者に対する想いを、そのような形で表現しているだけです。仏教や神道の環境の中で育って、そのほかの表現の仕方を知らないからです。もし私たちが、お供え物を供えたり、線香を上げ、鐘を鳴らしたりすることが限りなく偶像礼拝に近いと考えたとしても、その心の美しさは理解してあげなければなりません。旧約聖書の偉大な人々も、死者を弔い記念しました。アブラハムは妻サラと同じところに葬られ、ヤコブとヨセフは、自分たちの遺体がエジプトにではなく先祖の地に葬られるようにと、遺言を残したのです。イスラエル人は先祖というものを非常に大切にし、さまざまな機会に、先祖を思い起こす行事を行っていました。もし、位牌に手を合わせ、花を飾り、水をあげ、ご飯をささげることが罪だというならば、私たちは、クリスチャンたちが先祖を想う心を充分に表現できる、クリスチャン的な手立て、方法を準備してあげなければなりません。いつまでも、「クリスチャンは先祖を大切にしない」と言わせておいてはならないのです。

3.個人主義

 西欧の宣教師たちが、何の疑いもなく正しいと信じている、あるいは信じていることさえ気づかずに、当然の前提として持ち続け、それによって考え、判断し、行動する哲学に個人主義があります。これが宣教に、あるいは教会形成にそして伝道に、どのような影響を与えるかについては、すでにそれぞれの場で触れてきた通りです。

 現代の個人主義には、確かに聖書の基本的考え方から導き出されたところがあって、さまざまな良いところがあります。基本的人権、自由、民主主義、平等、人間の尊厳、自己の確認などの現代社会の原則は、個人主義によってまた個人主義と共に発達してきたものです。しかしながら、個人主義はまた、さまざまな社会の軋轢を生み出して来ました。行き過ぎた自由と無責任、地域社会と家庭の崩壊、自己の所属すべきところを見出せないことから来る孤立と不安、犯罪の増加、過熱した資本主義経済などが、直ちに思い浮かびます。

 日本は、戦後の民主主義に触れるまで、身勝手や自分勝手こそはいたるところに見出すことができましたが、個人主義というものの考え方を知らず、基本的に共同体社会としての文化を形成してきました。その中に突然個人主義の原則を持ち込もうとすると、当然激しい軋轢を生じます。戦後の日本社会は、この共同体社会と輸入された個人主義との戦いの場でした。多くの宣教師の間違いは、この個人主義を聖書的な原則であるかのように勘違いして、彼らが福音に生きることと同じくらい、個人主義に生きることを大切にし、福音を宣べ伝えるときと同じくらいの情熱をもって、個人主義を伝えようとしてしまったところにあります。彼らが徹底して福音に生きようとすると、ますます徹底して個人主義になるのです。彼らが一個の人間として個人主義に生きるのであったならば、まだ問題は小さかったことでしょう。しかし彼らは、その個人主義の色眼鏡を持って日本社会を見、個人主義の先入観で日本文化を判断し、断罪してきたのです。しかも悪いことに、多くの宣教師は無意識の内に、個人主義の宣伝者になっていたのです。

 家族の関係や親族の関係、あるいは地域社会の関係が、どれほど日本社会と深くつながり、土台ともいえるほどの重要さを持ってきたかなどと言う事を考える先に、彼らは、自分たちのもたらした個人主義的キリスト教が共同体社会の日本では受け入れられないのを見て、日本を個人主義的社会に変えなければならないとさえ言い出すのです。本来、福音はどのような社会形態の中でも福音としての力を持つものです。ペテロやパウロが活躍し、教会が飛躍的に成長した社会は、決して現在の西欧個人主義社会のようなものではありませんでした。基本的に共同体社会であり、しかも共同体社会の悪い面がたくさん出ていた時代で、個人の人権だとか自由などというものが、極端に抑圧されていたのです。そのような中でも福音は浸透し、教会は成長して行きました。パウロもペテロも、そのような個人の人権が無視されていた社会に、戦いを挑むようなことはしませんでした。かえってその中で福音を語ったのです。そしてその福音が受け入れられ、クリスチャンの共同体の中で、また社会の中で成熟していく過程で、共同体社会の弱さや欠点あるいは悪などがあからさまになり、それらが徐々に排除されて行くようになったのです。

 現在の一般的日本人は、多くの事柄についてはきわめて自分勝手な考えを持ち、わがままな行動をすることが出来るようになっています。それぞれの地方を離れて都会に出てきている人々の中には、日常の大部分の事柄について、まったく自由な判断と決断をすることが出来ると思われる人々がたくさんいます。それにも拘わらず、多くの日本人は、自分が所属するなんらかの共同体を持っていて、その中で「みんなと同じ」ように生きようとしています。それは家庭であったり、職場であったり、何かのサークルであったり、隣近所であったりして、昔ほどの強い拘束力は持たない緩やかな共同体であっても、その中で、みんなと同じでいることによって、自分の所属をはっきりさせ、自分のアイデンティティーを見出して安心することが出来るのです。これは、近年の日本の生活環境が著しく変わってしまったのにも拘わらず、日本人の精神構造があまり変わっていないこと示すものです。日本人は、そのような中にいてこそ、初めて落ち着いて生活ができるのです。そこから、何事についても自分の意見をしっかり持つことができずに付和雷同し、見ざる聞かざる言わざるで長いものに巻かれる、精神的に自立出来ない日本人、甘えの中にいて自己の確立が出来ない日本人が出現するのです。アメリカ人のように幼い頃か自分は自分であり、他の誰でもないこと、すなわち自分は他の人々と異なっていることを当たり前と捕らえ、互いに異なっていることを理解し、異なっていることに価値を見出し、しっかりと自分を主張することを教えられて育った人々とは、まったく異なった感覚と思考、判断と決断、そして行動の仕方を持っているのです。

 明治以降のキリスト教宣教は、この個人主義の押し付けと一緒に行われて来たのです。ですから、たとえキリストの教えに感動し、神の力を認めたとしても、個人主義を受け入れられなかったために、クリスチャンになれなかった人々がたくさんいるのです。また幸いクリスチャンになれたとしても、日本人が、日本の共同体主義の社会の中で生きようとすると、西欧的な個人主義を持ち続けることは困難なのです。キリストの教えが悪いから、神の救いに力がないからキリストを離れるのではなく、キリスト教が西欧個人主義とひとつになって伝えられたために、個人主義を放棄するとき、キリスト教も放棄せざるを得なかったのです。キリストと個人主義文化が、ふたつの別のものとして入ってきたならば、個人主義文化を捨ててキリストを持ち続けることも可能であったと思われますが、キリスト教は、より進んだ文化として入ってきたのであり、より進んだ文化の一面として受け入れられたのです。

 日本を西欧的な民主主義社会にし、西欧的な個人主義社会に作り変えなければ日本の福音化は達成できないと、声高に叫ぶ宣教師や伝道者が多数を占めている、現在の日本のキリスト教界が変わらなければ、日本の福音化は達成できないでしょう。日本人は日本の文化を愛し、そこに自分たちの存在を認めて生きているからです。その文化を変えようとする外国人は、たとえ無意識の中にあっても、多くの日本人にとっては「敵」であり、その文化を変えようとする日本人は「売国奴」なのです。文化はゆっくりと変わればよいのです。宣教師が文化を変える働きを担う必要は、まったくないのです。

4.白黒の問題

 日本人が文化と福音を混同するために起きる、もうひとつの大きな躓きは、というより、宣教師たちが文化と福音の区別をつけられないままで働くために起き、もうひとつの大きな躓きは、白黒の判断、善悪の判断の問題です。物事をすべて善か悪かで判断し、区別しようとするのは、アメリカ人宣教師の一般的特徴かと考えていた時期もありましたが、どうやら多くの西欧の宣教師が、このような考え方をする傾向を持っているようです。そして、これらの宣教師に教育された、比較的文明程度の低い文化でクリスチャンになった人々の間でも、このような傾向を強く感じることがあります。

 またこのような傾向は、聖書の絶対的権威を信じている福音派や、根本主義者と言われるクリスチャンたちの中に多く見られます。注意したいのは、私たちはそのようなクリスチャンに含まれているという事実です。聖書の権威の絶対性を信じられない人々は、すべて相対性の世界で生き考える傾向を持っていますので、善悪という問題についても、完全な白や完全な黒は存在しないと言い、「キリスト教も完全な善ではないし、仏教も完全な悪ではありえない。したがって、互いにその存在を認め合い、学び合うべきだ」と主張するのです。そしてそのような考え方は、相対的な物事の考え方をする日本人には非常に受け入れやすいものです。ところが、聖書の絶対性を信じている者は、神は善であり悪魔は悪であって、完全な白黒だと主張するのです。それは誤って、キリスト教は二元論であると言われるほどのものです。そしてしばしば、実にしばしば、その神と悪魔の白黒が、直接、人間社会にまで適応され、彼は正しい、奴は間違っている、あの考え方は善であり、この考え方は悪であると、単純明快に結論付けられてしまうのです。

 確かに多くの福音派の宣教師は、物事を単純化し、すぐに善悪で判断し、決め付けてしまいます。物事の複雑性、その入り組んだ背景、経緯、文化的環境などというものを一切無視して、どちらかに偏って味方してしまいます。それだけではなく、「自分の考え方は聖書に則っているのだから正しい。聖書を良く知らないお前の考え方は間違っている」と、むちゃくちゃな自己義を主張するのです。このような単純な自己義の主張を、日本人の多くは愚かで頑なな人間のすることと考えます。しばらく前のことですが、内村鑑三の「余はいかにしてキリスト信徒となりしや」という著書をパロディにした、「余はいかにしてキリスト信徒とならざりしや」という本が出版されたことがあります。多くの著名人が、一度はキリスト信徒になりかけたのに、結局止めてしまった理由を書いているのですが、その中で最も多かった理由が、宣教師たちの、あるいはキリスト信徒たちの、「白か黒か、善か悪か」の考え方に着いて行けなかったというものでした。多くの宣教師たちが、聖書を知っていることをかさに着て、自分の主張を聖書によって弁護し、他の主張に耳を傾けない姿に、彼らは痛く失望したのです。

 宣教師たちが、「この人以外に救いはない。天下を救い得る名は、この人以外に与えられていない」という確信を持つのは当然です。しかし世の中の複雑な出来事すべてについて、同じような確信を持って言うことは出来ないのです。すでに述べたように、教会は世の中の出来事すべてに対して、善悪を判断する能力を与えられてはいないのです。宣教師が自分の主張が正しいと言い張るのは、多くの場合、醜いことです。聖書に書いていると言っても、それは聖書に書かれていることを、そのように理解したというだけのことが多いのです。つまり、聖書の教えではなく、「私が理解した聖書の教え」であり、あくまでも彼が理解しただけのものなのであり、他の理解の仕方もあり得ることに気づいていないのです。ただ、アメリカなどのいわゆるキリスト教の盛んな国では、大多数の者が同様に考えているため、勢い、宣教師たちは、それがみんなの理解している正しい考え方であり、聖書の教えであると判断してしまうのです。同じ国民は、どうしても同一な考え方を持つようになります。単純な白黒善悪の考え方が、単に宣教師だけではなく、アメリカ国民に一般的な傾向であり、アメリカ政府の一般的傾向であることも、国際問題に対処するアメリカのやり方を見ていると、非常によくわかります。

 多くの日本人はアメリカ人を尊敬し、アメリカが大好きです。多分、今でも日本人が一番好きな国でしょう。しかし、アメリカのこのような善悪の判断の仕方、独りよがりな態度、独善的な態度には辟易しているのです。それが、宣教師たちの姿に見つかると、非常に失望してしまいます。良識のある宣教師にはそのような態度を見たくないのです。これは大好きなアメリカの嫌いな面なのです。日本のクリスチャンたちにも、アメリカのような一方的な押し付けの態度、独善的な態度は持って欲しくないのです。 



[1]    たとえばフィリピンでのカトリックは、正式な信仰という意味ではとてもカトリックと言えないもので、土着の宗教にカトリックの服を着せただけであるといわれています。

[2]   イギリスは、ここ10数年、アフリカで植民地化の犯罪を重ね続けた国家としての、謝罪の意味を込めてか、アフリカ諸国の貧困問題解決のために、いろいろな努力を重ねて来ましたがまさに焼け石に水の状態です。それで最近は国際社会に訴えて、多くの先進国の協力を求めているのは、メディアで伝えられている通りです。また、国際ボランティア活動家たちのアフリカ支援も、華々しく行われていますが、あまりにも過酷な実情と膨大な人数のために、成果は非常に限られています。一撃の攻撃で人を傷つけ不具にすることは出来ますが、その人を癒すための治療とリハビリは非常な努力と費用、そして時間を必要とするのと同じです。

[3]   もちろん、アメリカの原爆投下を正当化しようというのではありません。原爆投下自体は、やはり人類に対する罪であったと考えますが、もし当時日本が原爆を完成させていたら、間違いなくそれを用いたはずですし、原爆投下によって日本人の死者の数が少なくなったという考え方にも、一理あると言わねばなりません。

[4]   16世紀のカトリックの宣教師ルイス・フロイスは、日本の文化を非常に高く評価し、当時のヨーロッパ社会に勝るとも劣らないことを認めています。 

[5]   マッカーサーは日本に来る前、フィリピンにおいて農地改革と財閥解体を行おうとして、その計画を作り上げていましたが、進駐軍司令官として日本に派遣されて機会を失ったために、これを日本で実行に移したものです。もしも、マッカーサーがフィリピンでこの計画を実行していたら、現在のフィリピンはもっともっと進んだ国になっていた可能性がある一方、日本はまだ貧しさと富の不平等さの中に取り残されていた可能性が高いのです。

[6]   第二次世界大戦の敗戦も、アメリカを筆頭にする連合国の寛大さに、日本は亡国の危機を感じることはありませんでした。アメリカは東洋の弱小新興国日本が、イタリアとドイツという西欧の同盟国が早々と敗退してしまった後も、徹底して抵抗し続けたことに、ある種の畏敬を感じたのかもしれません。母親と子供が森の中で熊に遭遇したとき、アメリカ人の母親は、勝てないまでも徹底して最後まで熊に立ち向かい、戦って死ぬ道を選ぶそうです。それに比べると日本の母親は、後ろ向きになって子供のうえに覆いかぶさって、子供よりさきに死んで子供を守ろうとするそうです。しかし第二次大戦では、徹底的に立ち向かい戦おうとした日本に、アメリカは自分たちの文化を見て、勝利者のゆとりで感動したのかも知れません。

[7]   普通日本人は、どこの神社へ行こうがほとんど同様に礼拝し、そこで奉られている神がどのような神であろうと、まず、頓着しません。神道は多神教あるいは汎神教でありながら、礼拝する者の気持ちは、あたかも一神教であるかのようであり、奉られている異なった神々は、背後にある唯一の神の仮りの姿であるとでも言うかのような感覚なのです。

[8]   オノマトペ、すなわち擬音語・擬態語が非常に多いことも、感情や情緒を表現することを大切にした日本語の特徴です。

[9]   3,000人という説も5,000人という説もあり、きちっと調査する必要がありますが、とりあえず。

[10]   1618世紀の発展した町であるロンドンやパリにおいてさえ、便所というものの存在はまれで、一般民衆はおまるで用を足していました。何階もあるアパートにさえ便所がなかったために、夜になると、溜まったおまるの内容物を「天水」という声と共に、窓から道にばらまいたというのです。ビクトリア女王がテームズ川に流れるおびただしいトイレットペーパーを見て、匂いに顔をしかめながら、「あれは何か」と問いただしたところ、侍従のものが「あれは遊泳禁止のお触書です」と答えたという話です。モーセの律法をもう少し厳しく理解していれば、もう少し、何とかなったかも知れません。

[11]   村八分とは、火事と葬式以外は付き合いをしないという共同体社会の懲罰ですが、葬式に出ないことは、自分から進んで、村八分の身分であることを主張するようなものです。

[12]   東インド会社とは、インドの東という意味ではありません。当時、ヨーロッパより東はみなインドと考えられていたところから来た命名で、インドも、インドネシアも、日本もみなインドでした。私たち日本人が普通インディアンというのはインド人ではなく、アメリカン・インディアンですが、この場合はインドのインデイアンではなく、西方のアメリカに住むインディアンという意味なのです。

[13]   同じように、キリスト教伝播以前のアメリカン・インディアンの間にも、当時のキリスト教文化よりももっともっと優れた、平等と平和の社会制度があったことが知られています。現代の西欧民主主義の思想は、このアメリカン・インディアンの文化から学んだものであるという考え方もあるほどです。また、たとえば、現在のタイの家族を大切にする文化も、キリスト教文化のアメリカにおける家族意識より、はるかに聖書の教えに近いものでしょう。

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