Missiology

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ペンテコステ運動と宣教


 現代の宣教を考えるとき、ペンテコステ運動を含めないわけには行きません。20世紀の初頭に始まったペンテコステ運動は、その誕生のいきさつから非常に強い宣教の活動でもあり、1世紀を経過した現在でも宣教の活動として継続して、いまや、20世紀における最も強力なキリスト教宣教であっただけではなく、人類史上最も急速に発展した宗教運動として、現在も進展しつつあると、歴史家や社会学者あるいは宗教学者たちにまで認められています。

A.ペンテコステ運動の歴史

 19世紀のアメリカでは、メソジスト教会の停滞に対する一種のリバイバルとして、ホーリネス運動が起こりました。この運動はやがて、バプテスト派、改革派その他の人々を巻き込み、さらにはディスペンセーションやレストレーション的な流れまでも取り込み、聖霊の働きに対する渇望と、再臨に対する期待、そして世界宣教に対する情熱などを、いやが上にも高めて行きました。そして19世紀後半もなかばを過ぎると、それまで盛んに強調していたクリスチャン生活の「聖めのための聖霊のバプテスマ」が、宣教の「力のための聖霊のバプテスマ」へと変わり始めました。

 このような中で、宣教師たちが異言の賜物を与えられて、知らなかった宣教地の言葉を、超自然的に語る事が出来るようになったというレポートが流布され、宣教のための賜物としての異言に対する期待が高まります。[1] こうして、宣教のための力としての聖霊のバプテスマと、宣教の賜物としての異言が期待の中で結び付き、さらには使徒の働きの学びを通して、「異言の伴う聖霊のバプテスマ」の理解が生まれます。そしてこの理解は、実際に異言を伴う聖霊のバプテスマという現象を経験した人々を通して、瞬く間に広められて行きました。1901年の事です。

 この異言を伴う聖霊のバプテスマという現象は、凄まじい勢いで、当時の社会的に低い人々の教会に広まり、それからおよそ20年から30年の間には、非常に多くの「ペンテコステ教団」が誕生します。私たちのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド強団もその内の代表的なものの一つで、1914年に創立されています。それぞれの教団には様々な特色がありますが、まず、当初のホーリネス運動の性質を強く引き継いでいる、ホーリネス系の教団と、バプテストや改革派の神学と人脈を受け容れた教団があります。次に、聖霊のバプテスマには必ず証拠としての異言が伴うと考える教団と、異言は聖霊のバプテスマに伴うが、それだけが証拠ではなく、他にも証拠があると考えたり、異言が伴わない聖霊のバプテスマもあり得ると考えたりする教団があります。あるいは、三位一体の教理を掲げることが出来ない、ワンネスもしくはジーザスオンリーとよばれる教団と、伝統的な三位一体の教理に堅く立つ教団があります。

 私たちの教団は、ホーリネスの伝統を受け継ぎながらも、基本的にはバプテストや改革派の流れを汲み、ホーリネスの第二の恵の神学を受け容れません。また、聖霊のバプテスマには必ず異言が伴い、それが証拠の役割をすると信じています。また、伝統的な三位一体の教理を堅く信じています。

 ホーリネス系の教団には、ペンテコスタル・ホーリネス、チャーチ・オブ・ゴッド、その他ほとんどのペンテコステ教団が含まれます。バプテストや改革派の流れを汲む教団は、他に国際フオースクエア教団が知られています。また、黒人系の多くの教団はほとんどがホーリネス系であり、聖霊のバプテスマに異言が伴うかもしれないし、伴わないかも知れないと考えています。三位一体に完全に納得出来ないでいる教団の中では、ユナイテド・ペンテコステ教団が最も大きな団体となっています。これらの人々は、聖霊のバプテスマを救いの経験の一部と考えますので、聖霊のバプテスマを受けていなければ救われないと教えます。また、聖霊のバプテスマは、異言を語る事によって認められると考えているために、異言を語らなければ救われないと言うことにもなりますが、この辺りには変化が見られます。[2]

 ペンテコステ運動にはこのように実に様々な流れと教団がありますが、当初ペンテコステ経験をしたときに、それぞれが属していた教団や教会から排斥されたいきさつから、教団あるいは教会という組織に対する恐れと嫌悪があり、組織に属さない単立の傾向を強く持つ一方、ひとたび教団を作ると、それに固執する傾向が混在しています。そのような中で、私たちの教団は常に人数においても、教えにおいても最も影響力の大きな団体として成長してきました。[3] さまざまな小さな教団、あるいは単立の教会が異端や極端な教えに流されず、正当な信仰を維持してくる事が出来たのには、私たちの団体の良い影響があったことも見逃せません。

 とは言え、ペンテコステ運動全体としては、1945年の第二次世界大戦終結のころまでは、良くても極端な誤り、ともすれば、異端と同等の扱いを受ける憂き目を味わっていました。これが変わるのは、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が、大戦中、アメリカ軍の兵士のために無料で配っていた、文書の効果が大きかったと言われています。これが、チャプレンや兵士たちに内容の良い手ごろな資料として広く用いられたのですが、多くの者は終戦後になってはじめて、それが異端視されていた教団のものである事を知り、教団とペンテコステ運動の健全さを認めるようになったということです。

 そういうわけで、ペンテコステ運動は1945年を境に、拒絶から認知の時代に入り、1960年代の半ばに大きな契機を迎えます。それは第二バチカン会議において、カトリックが方向転換をはかり、プロテスタント教会をはじめて「兄弟」と呼び、[4]さらに、聖書を読む事を一般信徒に推奨するようになったことです。これによって、教派を越えて交わりの手を広める傾向のあったペンテコステの人々は、カトリックおよびアングリカンの人々の中でもペンテコステの信仰を分け合い、広めて行く事になります。この頃は、ペンテコステ体験をしたために、自分たちの教会を追放される事もすでになくなり、それぞれの教会の中で、ペンテコステ信仰を維持する事が出来るようになっていましたので、彼らはそれぞれの基本的信仰と神学の枠内で、ペンテコステ信仰を理解して行くようになりました。これを一般にカリスマ運動と呼んでいます。

 さらに1980年代になると、それまでのカトリックとアングリカンというサクラメンタルな神学を持った教会を中心に起こっていた事が、改革派、バプテスト派などという福音主義の人々にも、大きく広がって行くようになります。もちろん、カリスマ運動の中にも福音的な人々が混じっていましたが、大きな広がりを見せたのは、ここに至ってからです。彼らもまた、自分たちの教会に留まり、ペンテコステ経験を自分たちの神学の枠内で理解して行きました。この運動は普通第三の波運動と呼ばれています。

 また最近は、伝統的なペンテコステ運動ともカリスマ運動とも第三の波運動とも、直接の関わりがないペンテコステ運動が世界中に興っています。これまで私たちが学んで来たペンテコステ運動は、アメリカを発祥の地とするペンテコステ運動に限られていました。しかし、最近の学びによって明らかにされて来たことは、このアメリカに起こったペンテコステ運動とは直接に関わりのない、いわゆる土着のペンテコステ運動が世界中の各地にあったと言うことです。それがまた、最近のグローバル化によってアメリカ・ヨーロッパ型のペンテコステ運動と交じり合い、非常に複雑な様相になっています。

 伝統的なペンテコステの信仰を持っている人々の間でも、神学的な理解にはかなり異なったものがありますし、カリスマ運動や第三の波運動の人々、さらにはこれらとは直接の関わりがない世界中のペンテコステ運動の神学的理解を加えると、いわゆる現在のペンテコステ運動はあまりにも幅広く、神学的に一つにまとめる事は不可能だと言わねばなりません。それだけペンテコステ運動の広がりが大きくなり、多様化していると言うことです。しかし、信仰体験的にはかなりの共通点を持ち、信仰と体験という事を前面に出すと、大きなエキュメニカル運動となります。共通体験とは、現在も私たちの間で活動しておられる神、聖霊の圧倒的な取り扱いを受け、癒し、奇跡、異言、預言、悪霊追放その他の聖霊の賜物が強調され、実際に用いられ、さらにクリスチャン成長に著しい飛躍を見せ、教会としても大きく成長することです。

 現在、いわゆるペンテコステ運動と呼ばれる、これらの人々の総数は5億を越え、6億、あるいはそれ以上と言われ、カトリックに次ぐ第二の勢力となっています。したがって、このペンテコステ運動を取り扱わないまま、20世紀の世界宣教を論じるたことは出来ません。また、21世紀の世界宣教を語ろうとするなら、必ず、現在も発展のさなかであるペンテコステ運動を、中心主題の一つとして据えなければなりません。

B.ペンテコステ運動の特徴

 ペンテコステ運動には様々な特徴があります。しかしここでは、宣教論的な意味での特徴を取り上げ、考察して見たいと思います。もちろん、それらすべてがペンテコステ運動固有の特徴と言うものではなく、すべての本物の教会運動には共通するところが多いと思いますが、それでも、全体的に、ペンテコステの運動を形成している特徴と言えると思います。

1.宣教の運動

 ペンテコステ運動は、その胎動期から、宣教の運動でした。個人的にペンテコステを体験した者は、さらに激しく宣教の情熱に燃やされて、国内外を問わず宣教の働きに打ち込んで行きました。何の保証も後ろ盾もなく、ただ神がすべてを満たしてくださると信じて、伝道者として立ち、宣教師として献身して行った者もかなりの数に昇ります。また教会には、彼らを支援する事を最大の喜びとする信徒たちが溢れていました。特に、海外へ出て行く宣教師たちを継続的に支援するためには、数多くのボランテイア支援グループが発生しました。

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、そのような支援グループを強化し、効率を高め、世界の宣教に貢献して行くために創設されたものです。もともと、ペンテコステ体験をしたために、帰属していた教会から排斥された苦い経験を持つこれらの人々は、組織とか団体とか言うものを嫌い、地域教会も非常に緩やかな交わりという感じが強かったのですが、世界の宣教のためには力を結集しようとしたのです。もし、世界宣教の情熱がなかったならば、私たちの教団は誕生しなかったのです。誕生後も、海外伝道は教団の中心的働きとされ、青年部、壮年部、婦人部、あるいは少年少女部などは、基本的に海外伝道部の支援をする部となっています。

 他の白人系のペンテコステ教団の多くも、規模こそ小さくても、同じような歴史を持っています。黒人系のペンテコステ教団は、経済的社会的要因もあって、最近まで、主にアメリカ国内で活動を続けていました。とはいえ、ペンテコステ教団の中には、たとえ白人系の教団であっても、アフロアメリカン的要素が多く、それが世界宣教において、大きな助けになった場合がたくさんありました。

 またこの運動は、特定の教団が自分たちの教会を建てる宣教の働きを超え、教団教派を超えて宣教に貢献する運動であったことを知らなければなりません。たとえば、私たちの教団は、いわゆるインデイジネス・セオリーを掲げて、それなりにしっかりと、教会を建て上げる明確な目標を持って活動する一方、教団教派に関わらない働きを推進し続けて来ました。出版事業、ラジオ・テレビのメデイアの働きは、国境をも越えて行きました。中でも、1960年代から継続されている、ICI(国際通信教育学院)は、始めから超教派の働きを目指したものであり、ユニークな活動を継続しています。

2.再臨の運動

ペンテコステ運動は、その神学的な深さや正しさの議論はさておいて、19世紀に隆盛を見たディスペンセーション神学を取り入れた運動です。その結果、「キリストがまもなく来て下さる。世の終わりは近い」という、切羽つまった信仰を特徴としています。ほとんどすべてのペンテコステ教団は、千年期前再臨説をとり、キリストの地上再臨を信じています。そのために、再臨の前に、すべての国民に御国の福音が宣べ伝えられなければならないと、世界の宣教に力を入れて来ました。極端な例を除いては、再臨の日時などに関心は示していませんでしたが、一般的には、自分たちの宣教活動が再臨を早めることに関わっていると信じていました。また、その千年期前再臨説のために、地上に平和な理想的な社会を建設する事によって、キリストをお迎えしようとする多くの福音派の人々とは違って、社会事業や政治や平和運動などには手を染めず、もっぱら福音宣教に尽くして来たものです。ペンテコステ信仰は、宣教こそ教会に与えられた最も大切な働きであると信じて疑いません。

 この再臨信仰は、一方では体験を重んじる現世指向のペンテコステ信仰、すなわち御利益信仰的要が強く、いわゆる繁栄の福音などのアメリカ資本主義とのシンクレチズムさえ、疑いもなくいとも容易に受け容れて行く、見境のなさを内に隠し持っているペンテコステ信仰が、完全な世俗主義の穴に陥らないように歯止めの役割を果たして来ました。

3.異言の運動

 ペンテコステ運動は異言に端を発した、異言の運動です。はじめの内は、ゼノラリアを求め、それを信じて、言語の学びをしないまま、またする計画もなしに、宣教地に着いたならばただちに異言の賜物が与えられ、現地の言葉で宣教出来ると考えて旅だった宣教師たちも、少なくありませんでした。しかし、そのような信仰はまもなく失望の内に消滅し、グロッソラリアの理解に変わって行きました。

 とは言え、グロッソラリアが宣教に無関係だったのではありません。かえって、このグロッソラリアの伴う聖霊のバプテスマは、それまで知られていなかったような、神との深く高く親密な交わりを可能にし、その交わりを体験した者は、強烈な神の臨在感に捕えられ、感動と喜びと平安と感謝に満ち、愛されている確信から恐れも惑いもなくなり、より高度な献身をするようになって行きました。ペンテコステの信仰は非常に感情的な信仰であり、その宣教はこれまた非常に感情的です。それは神学体系の、知的な宣伝や教育ではなく、神との交わりの体験の宣教だからです。

 この宣教に触れた者は、また同じ体験を繰り返して行きました。宣教地の回心者たちも、宣教師たちに負けず劣らず、神との感動の交わりを体験し、知識による神理解ではなく、体験による神理解を持ち、その体験した神を、生ける神として紹介して行ったのです。それは、知的な理解と確信をもって、知的な福音伝達を行う福音派の宣教に比べると、非常な速度をもって広がって行く宣教でした。

 それはまた、福音化による人間の変化、家庭の変化、社会の変化さらには政治の変化などと言う、非常に時間のかかる体験ではなく、自分と言う個人の中に、比較的短い期間に、あるときはまさに瞬間的に起こる強烈な体験でした。それは、いわゆる教化や改革という、能力と資金と時間のある裕福な人々の事業ではなく、社会の底辺に生きる大多数の貧しい人々が直接体験出来る、神の介入として受け容れられ期待されて行きました。

4.聖霊信仰の運動

  ペンテコステ運動の宣教は、聖霊を強調する宣教です。まず、聖霊のバプテスマという強烈な神体験から力を得、常に共にいてくださる聖霊に信頼し、聖霊に導かれ、聖霊に励まされ、聖霊に教えられ、聖霊に助けられ、聖霊に押し出され、聖霊に力を与えられ、聖霊に賜物を与えられ、聖霊によって語ることを、常に確認しながら進める宣教です。ペンテコステの宣教は、すべての面で聖霊の臨在を強烈に感じ、自分が働きを進めるのではなく、聖霊に用いられているに過ぎないと感じて進める宣教です。常に御言葉に伴うしるしを期待する宣教です。

 また、回心した者にただちに聖霊に信頼して生きることを教える宣教です。ペンテコステの宣教は、キリストが天にお帰りになった事を喜ぶ信仰の宣教です。2千年前のキリストを懐かしむことを教える宣教ではなく、今生きておられるキリストと、聖霊によって交わるように励ます宣教です。聖霊によって生き、聖霊によって歩み、聖霊によって満たされる事を期待させる宣教です。

 その信仰は、聖書の物語と教えと神学によって、かつて生きていたキリストについて知る事ではなく、いま、自分の内にお住みになっている聖霊を直接体験し、それを通してキリストを知る信仰です。たとえば、2000年前キリストがお歩きになったパレスチナの道を歩き、キリストがご覧になったガリラヤ湖を見て、キリストを間近に感じるような、バーチャルリアリチイの信仰ではなく、毎日の生活の中で、自分の中に住み、生き、働いていて下さるキリストの霊を、強烈に感じる信仰です。

5.回復の運動

 ペンテコステ運動は、ディスペンセーション神学の影響をかなり強く受け、終わりのときに対する危機感を抱くと共に、レストレーション運動と類似した考え方を内包して来ました。それはこの終末にあって、初代の教会の姿を回復したいという、強い願いを抱き続けて来たということです。初代教会の姿を回復したいという願いは、常に、自分たちの姿を聖書によって反省する信仰態度に現れて来ました。現在私たちは、極端なディスペンセーション神学の誤りや、レストレーション運動の神学的な間違いを理解し、これらに流されるべきではないとは考えますが、[5] その一方で、ペンテコステ教会はこれらの神学と類似した志向性、すなわち、聖書の字義通りの解釈を基にしたその強い回帰志向によって、時代の流れや、社会環境に迎合して、本来の姿を急速に変えて行ってしまう教会が多かった20世紀にあって、しっかりと自らに歯止めをかけて来たという事実を認めないわけには行きません。ペンテコステ信仰は、聖書を素直にまた単純に読み、そこから学び取れる信仰範囲に留まって来たのです。これが教会を世俗化や堕落から守り、常に宣教を前面に押し立てていく基盤となっていたのです。

 確かに私たちの中には、その強い回帰志向のために、誤って、初代の教会の姿を理想と考え、信仰だけではなく、教会の形態や組織あるいは活動までも、まさに何から何まで模倣しようというような試みもありましたが、それさえも、常に原点に立ち帰ろう、出発点に戻ろうとする真摯な態度のもたらした益に比べると、帳消しに出来るほどのものでした。ペンテコステ運動は、啓蒙主義、合理主義、自然科学主義、進化論などが教会にもたらした、最新の変化の悪影響に対して常に警鐘を鳴らし、教会を聖書の教える教会に近いものに留めて来たのです。

6.力の運動

 ペンテコステ運動は、力を高く掲げる運動です。ホーリネス運動が「聖めの聖霊のバプテスマ」を強調したのに対し、ペンテコステ運動は「力の聖霊のバプテスマ」を強調し、これを宣教のための力、キリストの証人となるための力を付与される体験として高揚しました。聖霊のバプテスマが必ずしも力に結びつかない事もあり得る事は、私たちの体験でもわかりますが、一般的に言って、確かに聖霊のバプテスマは、宣教のための力となり、恐れを取り除き大胆にしてくれました。ルカが記している通りです。聖霊のバプテスマを体験した者は、愛である神の臨在を強烈に感じ、その臨在感を持って宣教の業を進めて行きました。自分たちの無力さや、足りなさを知りつつも、それに打ちのめされる事はなく、かえって聖霊の力に信頼して、大胆になって働きました。

 また彼らは、福音に対する単なる知的な合意や納得や賛同をえるだけでは満足せず、少々せっかちなところはありましたが、信じた者の内に聖霊の力が現されることを期待し、具体的な結果を期待して行きました。宣教は知恵ある言葉によらず、神の力によることを身をもって示して行ったのです。その結果、彼らは、福音が語られるところどこでも、しるしと不思議をもって、その福音が確かなものである事を証明なさる方を、指し示す事が出来たのです。

 ですから、ペンテコステ運動の宣教は、人間の計画や企画を超えるものでした。人間の力や努力では不可能、無理と考えられる事をやらせ、とんでもないと思われる所に、向こう見ずな、無茶な、鉄砲玉のような伝道をさせて来たのです。いわゆる「片道切符の宣教師」になる勇気を持っている者が多数現れ、それをまた送り出す勇気を持つ者もたくさん出て来たのです。未開の文明に生きる人々の中に、共産主義の国々の中に、特定の宗教を国境としている文化の中に、計画もプログラムも作成出来ないような中に、ペンテコステの人々は、聖霊の力を信頼して入り込んで行ったのです。

7.体験の運動

 ですから、ペンテコステ運動は常に体験を重視してきました。それは時として、反知的信仰態度になって現れる事もありましたが、主知主義的な多くのプロテスタント教会の中にあって、あるいは主知主義的な福音派諸教会の宣教の中にあって、それは、特異な存在でした。日本語でも「百聞は一見にしかず」といわれているように、洋の東西を問わず、体験ほど強いものはありません。多くの宣教学者たちが誤解している事ですが、世界には仏教国もキリスト教国も、回教国も、ヒンズー教国もありません。あるのはアニミズムの国です。それぞれの宗教の顔をしたアニミズムです。それは日本のように「科学教」が浸透している国でも同じです。癒しや奇跡や悪霊追放、いわゆるパワーエンカウンタリングは、どこにおいても宣教の強力な力となってきました。

 現在、カリスマ運動や第三の波運動と呼ばれるネオペンテコステ運動が盛んになったのも、伝統的ペンテコステ運動の中に、この体験運動が含まれていたからです。福音派に所属していた多くの宣教師たちが、ペンテコステ運動を吸収して行くようになった大きな理由は、彼らが宣教地で、その主知的宣教方法では太刀打ち出来なかった、悪霊や、病気、精神問題あるいは家庭や社会の問題までも、ペンテコステの「愚かな」信仰が、聖霊の力によって勝利して行くのを見たためです。高度な教育を受け、冷静にものごとを判断するように訓練された彼らも、体験には勝てなかったのです。

 本当のところ、多くの人々は異言を語る聖霊のバプテスマには、あまり興味を示しませんでした。しかし、しるしや不思議、いわゆる癒しや奇跡には非常な興味を示しました。また実際、異言は語らないが聖霊のバプテスマを受けていると主張する人々がたくさん現れ、癒しや悪霊追い出しをする事が出来るのがその証拠であると言っていますが、彼らも、大きな意味でペンテコステ運動の一部です。このような、体験を重んじる信仰のあり方がペンテコステの信仰なのです。

8.証拠の伝道

  体験の運動はまた、証拠の運動でもありました。それは、癒された者を目の前にして反論する事が出来なくなった、パリサイ派やサドカイ派の人々に対するのと、同じ力をもたらしました。また、癒された者たちを見、その噂を聞いた人々が、群集となってキリストのもとに押し寄せて来たのと、同じ効果を現しました。人々は反論する事も言い逃れすることも出来ず、イエスかノーかの答えを迫られたのです。

  ヨハネをはじめ、福音書の著者たちが「しるし」とい言葉で表現した、宣教上の事、主が伴って、共に働いて下さっている証拠としてマルコがあげた事を、現在も継続させているのがペンテコステ運動です。しるしは、福音を聞いている者に対する証拠となったのはもちろんですが、福音を語る者にたいする強烈な励ましとなり、自分は主と共に働いているのであるという確信を、いやがうえにも高めて行きました。それがまた、大胆さと熱心さにつながり、つぎの一歩への力になって行ったのです。

  このような信仰はまた、特にアニミズム信仰の強い地域においては、格別な強さを現して行きました。そのような土地では、人々は先祖代々、様々な霊や神々の力を信じ、事実、そのような霊や神々の力を体験して来ました。多くの主知主義的福音主義の宣教では、そのような信仰自体がばかばかしい非科学的な事で、必要な事は、そのような非科学的頭脳を科学的にすることであって、福音宣教役割ではないと考えています。あるいは科学的考え方をさせるようにするのが、福音宣教であるかのように思い違いをしています。しかし、それが非科学的であり、迷信であり、錯覚であり、思い違いであろうがなかろうが、土地の人々にとっては、霊の力や神々の力は現実のものとして存在しているのです。そのようなものに対する恐れと畏れは本物であり、現実のものです。非科学的と嘲笑したり、そのような事はあり得ないと否定したりしても、人々の助けにも慰めにもならないのです。

  そのような中で、ペンテコステの信仰は、モーセがエジプトの魔術師と戦ったように、エリシャがバアルの預言者と戦ったように、あるいはパウロがバルイエスを叱り飛ばしたように、現実の戦いをもって神の存在とその力を、証拠をもって示して行くのです。

  啓蒙主義と合理主義と科学万能主義を経験していない多くの文化に住む人々にとって、難しい理屈の信仰はわかりません。クリスチャンになる前に、アニミズム信仰の間違いを理解してその信仰を捨てる事も出来ません。クリスチャンになる前に、唯一神教になることも出来ません。またそのような必要もありません。まず、アニミズムの中で、多神教の世界の中で真の神の力を体験し、「このお方こそ神である」と信じれば、それで良いのです。ペンテコステ運動はそのようなことを理解していたかどうかは別として、実質的にそのように行って来たのです。

9.無学の運動

  ペンテコステ運動は学問的な運動ではありません。むしろ無学の徒の運動です。偉大な学者や指導者によってはじめられた運動ではなく、大勢の無学な人々が、聖霊に励まされて起こした運動です。神学校を出た人が珍しかっただけでなく、聖書学校さえまともに出ている人が少なかったのです。ですから、学問的にはあまり取り上げられる功績も残していません。ただ、福音主義の基本的な信仰の上に、聖霊のバプテスマの教理を乗せたにすぎません。ですから、その歴史には、今から思うと狂信的な要素もありましたし、ばかばかしく思うような事もありました。しかし全体的には、福音主義の信仰から大きく外れる事はありませんでした。大きな間違いを犯すことが出来るほど、偉大な学者はいなかったわけです。言いかえると、聖書はすべて誤りのない神の言葉であるという、単純な信仰から、単純に、素直に聖書を読み、素直に信じ従う運動だったと言えます。この単純さと素直さが、難解な神学をかざして聖書の教えから離れて行く人々との、距離を保ったと言えるでしょう。

  この単純な信仰は、また、信じる人を単純な信仰に導き、短期間に信仰の成長を見る事が出来るようにして行きました。多くの福音派の教会がやるような、信仰告白やカテキズムの学びも訓練会も飛び越えて、洗礼に至る者が少なくありませんでした。彼らは頭で神を理解するのではなく、体験と心で神を知ったのです。それはまた、ただちに生活に直結する信仰へと育ち、周囲の人々に影響を与えないではおかない信仰へ、成長して行きました。

10.信徒の運動

  信徒の活発な活動、自由な活動は、ペンテコステ運動の大きな特徴です。ペンテコステ体験の発端は、聖書学校とはいえ、現在ではお情けにも聖書学校とは呼べない、塾より程度の低い者でした。初期のペンテコステ体験者は、大多数が、社会的地位の低い、貧しい人々でした。さらに、彼らの多くは、その体験のゆえに、既成の教会から追い出されたり、締め出されたりした者で、まともな神学校はおろか、聖書学校にさえ入る機会がありませんでした。というより、ほとんどの者は聖霊に満たされて、ただちに証をしたい、宣教に出て行きたいと願う人々でした。ですから、彼らは信徒のまま、伝道に、宣教に献身して行ったのです。次々と形成され、創立されて行った教会や交わり、あるいは教団も、彼らを教育するほどの力を持っていませんでした。ですから、ペンテコステ運動初期の宣教師たちの多くは、信徒たちでした。私たちの教団の土台を据えたC.F.ジュルゲンセンも、何の訓練も教育も受けていない洋服の仕立屋でした。

  ペンテコステの運動は、神学や教会の伝統や組織あるいは管理体制といったものを知らない人たちの運動でしたから、それらに捕らわれない、柔軟性と適応性を備えた即興的な宣教の運動でした。それはまた高度な教育と訓練疎積んだ、聖職者といわれる特別な者だけに限られた、細い流れの運動ではなく、圧倒的多数の「平信徒」と呼ばれる人々を実際の伝道と宣教に参画させる、太い流れの運動でした。また彼らの語る福音には、その教育の不足から、しばしば間違いが含まれていたとは言え、一般人にコミュニケートされ易い、単純なわかり易い福音で、日常生活に直結したものでした。

11.賜物の運動

  ペンテコステ運動は、賜物という主題を発見しなおし、それをおおいに活用した運動です。この運動が起こるまで、賜物が取り上げられる事はまずありませんでした。またその当時は、あくまでも教育訓練された人々が中心となって、教会の働きの大部分が進められていました。確かに、神学校が高度になり過ぎて、一般大衆の求めるものから隔たってしまったという反省から、聖書学校運動というものが起こり、もっと単純な、実際的な伝道と牧会の働きを目指す訓練が行われ始めていましたが、信徒一人一人に与えられた賜物に応じた訓練と実践という観点からは、まだ、程遠いものでした。

  しかしペンテコステ運動は、信徒たちの献身、信徒たちの積極的な参画を励ましました。それは決して組織的な動員や、教育による動機付けではなく、聖霊体験から来る内なる動機によるものでした。この主にお仕えしたいという衝動が、彼らを動かしたのです。彼らに出来た事は、彼らに出来る事をするという、単純なことです。そして信徒たちは、自分も主にお仕えする事が出来るのだという発見に、この上ない喜びを感じたのです。それが、それぞれの賜物に目を注がせる事になりました。信徒たちの単純な動機による自主的な活動は、しばしば教会の形式や伝統の枠を超えて行きました。このようにして、組織管理の行き届いた教会、教職の官僚機構が整った教会では見る事も考えることも出来なかったような、自由な発想に基づいた奉仕が生まれ、活動が興って来ました。すると、教会に与えられた賜物のより多くが実際に活用されるようになり、それだけ運動は活発になり、いやがうえにも成長を遂げて行きました。

12.柔軟と適応の運動

  信徒の運動であり、賜物の運動であると言うことは、それまでの堅い組織と管理のもとで行われていた多くの働きに比べると、抜群に柔軟性に富み、旺盛な適応力を持つものであったということでした。異なった土地、異なった人々、異なった習慣、異なった文化など、どのような環境に対しても、あまり軋轢を起こさず、抵抗も少なく入って行くことが出来ました。また、その環境に最も適した伝道の方法、教会の形態、組織、活動を選んで行くことが出来ました。それは救われる者の数だけではなく、建てられた教会の成長に非常に良い影響を与えて行くことになりました。それはまた、時間の経過に伴う変化にも柔軟に対応して行くと言うことです。つまり、時代遅れにならないと言うことです。

  運動というものは、一定の期間が経過し、一定の成果を上げて組織化されて行くにしたがって、最初の運動としての活力を失い、組織の維持継続に関心と力が奪われてしまうものです。教会の歴史の中でも同じことが言えます。多くのリバイバルといわれる運動も、同じ経過をたどりました。現在は、形骸化した巨大な組織だけが残り、その維持存続に勢力のほとんどを裂かれているという例も、少なくありません。アメリカのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、そのような危険性を早くから察知し、自分たちを呼ぶときは常に意識して、「教団」という組織性の強い言葉を避け、もっと自由な、自主性や協調性を重んじた、「フエローシップ」という言葉を用いています。(私たちは日本語でこそ「教団」と呼んでいますが) さらに、たしか創立70周年の頃、アメリカのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、自らの形骸化の危険性を強く感じ、改めて、自分たちは組織としてではなく、運動として残るということを宣言しています。組織は柔軟性を失い、適応力をなくしてしまいます。私たちの働きが運動として残ることが出来るかどうか、その多くは、信徒の参画、賜物の自由な行使にかかっていると言えるでしょう。

13.一致の運動

  ペンテコステ運動は御霊による一致、同じ体験を土台とした一致運動でもあります。初期のペンテコステ運動も、ホーリネス系の人々を中心として興りましたが、たちまちの内に教会や教団の枠を超えて広がりました。聖霊のバプテスマを体験した者の大部分が、所属教会や教団を追放された経験を持っていたため、初期のペンテコステ運動には非常に強い反組織的な感情がありましたが、異言を伴う聖霊のバプテスマという強烈な共通体験が、互いに引き合う磁石のような役割を果たし、組織を越えた、あるいは組織によらない、仲間意識を作り上げて行きました。

  現在のペンテコステ運動はカリスマ運動や第三の波などの要素、さらにはそれらのどこにも当てはまらない、多くの人々を巻き込み広がっていますが、やはり「聖霊のバプテスマ」と呼ばれる、強烈な聖霊体験を共通要因として、人為的な組織を越えた交わりの意識を作り上げています。もちろん初期のペンテコステ運動とは異なり、現在は、「異言を伴わない聖霊のバプテスマ」なるものを体験した多くの人々も加えて、より枠の広い運動となっていますが、聖霊に対する新たな発見、体験、親密な交わり、あるいは奇跡や癒し預言などの賜物の行使を共通要因としています。

  かつてWCC関係を中心とした教会一致運動が、世界の教会の傾向として理解された時代がありました。大きな流れとして捕えるならば、啓蒙主義、合理主義、人本主義のキリスト教版のこの運動は、いまや、力を失いつつあります。教会を一致させるということは、キリストの悲願でもありますが、人為的な組織や運動、あるいは聖書に反する思想に立った運動によって教会を一致させる事は、到底不可能であったわけです。

  そのような中で、教派、教団、伝統、あるいは神学を越えた、聖霊の共通体験による仲間意識、あるいは兄弟感覚と言うものが、いま、形成されつつあります。体験を神学的に理論づけようとすると、一致は困難ですが、共通体験をしていると言う事実が、枠を超えた共通意識を作り上げているのです。たとえ、この共通意識を持って、一気に教会一致に至ると言うことはまずあり得ないとしても、これは、かつてのエキュメニカル運動よりも、強力な一致運動となって行く可能性を秘めています。そこから生まれる宣教協力の可能性は、将来の宣教にとって重要な要素となることでしょう。

14.メデイアの伝道

  ペンテコステ運動は、強い柔軟性、適応性をもって、世界の変化に対応しています。それが、メデイア伝道という分野への積極的取り組みとなって現れています。初期からの出版の重視、ラジオ番組とネットワーク、続いてテレビ番組とネットワーク、そして現在あらゆるメデイア手段を用いての宣教となっています。確かに、メデイア伝道には決定的な弱さがあります。しかし、その一方で非常な強さをも持っています。メデイア伝道だけでは、教会は出来ませんし、クリスチャンの成長もあり得ません。つまり、本当の宣教にはなり得ません。しかし、これをトータルな宣教の一分野として有効に用いる事は、多いに可能です。

  たとえば、現在アメリカで行われているテレビの伝道番組のほとんどが、ペンテコステ系のものです。少々「えげつない」番組も、好戦的な右翼の臭いの漂う番組さえもあります。倫理的に大いに問題のあった番組もありましたし、これからもあるでしょう。これはアメリカだけではなく、このようなメデイアの使用法が可能な国では、おおよそ同じ傾向です。拘束されずに大胆に仕事が出来るというのが、ペンテコステ運動の特徴です。神様のみ声を聞いたら、ただちに働きをはじめるのです。そのような素直さがペンテコステ運動の特徴です。ただし、神様のみ声は聞くが、教会の声、あるいは教会の声を通して、神様のみ声を聞くと言うことにかけては、ペンテコステ運動の人々は苦手のようです。ですから、彼らは設立解体、発生消滅をくり返し、合同分離、一致分裂を果てしなくくり返す事になります。

15. 女性の伝道

  最後になりましたが、決して一番小さな事柄ではないといえる特徴に、女性の活躍があります。近代世界宣教の歴史を見ると、およそ3対2の割合で、女性の宣教師の数が男性の宣教師の数に勝っていることがわりますが、特にペンテコステ運動が起こってからの宣教師の数から見ると、プロテスタント全体の女性宣教師のおよそ半分が、ペンテコステ系とホーリネス系の宣教師となっています。女性の運動と言う意味でも、ペンテコステ運動はホーリネス運動を革新継承していると言えます。

  ともあれ、ペンテコステ運動初期のころは、女性の活躍が当然のごとく受け容れられていました。事実、当時の女性の働き人が果たした役割はことのほか大きく、それは、ただ補佐的な働きだけに止まらず、牧師、伝道者、聖書学校教師、宣教師は言うに及ばず、大衆伝道、著作、出版、開拓伝道、聖書学校創立、教団創立などの働きにまで及んでいます。

  中でもアッセンブリー教団は、女性の按手礼も認め、あらゆる分野において女性の活動を許して来ました。ところが、教団が創立されて組織がまとまるに連れて、女性の役割が、補佐的な分野に回される傾向がはっきりし、按手礼を受ける者の数も目に見えて減少しています。特に、教団が女性の働きを正式に承認したという事実と、向きが逆になっているのは不思議な事です。現在では、日曜日の礼拝会で女性牧師が講壇で奉仕するのは、むしろ、珍しい現象になっています。また、現在でも女性宣教師の数が男性を上回っているのは確かですが、その働きの分野は、やはり、どちらかと言うと補佐的なものに終わっているのは、残念な傾向というべきです。

  このような傾向の理由には、まず、キリスト教会全体の、女性たちの意識の低さがあるように思います。ペンテコステ運動の中の女性たち、あるいは強烈な神体験を主張するホーリネス運動の女性たちも、自分たちの聖書理解からくる女性像、あるいは女性の働きや役割と言うことより、むしろ、自分の強烈な神体験からの献身を大切にしていました。ほとんどの者が、誰がなんと言おうと・・・・・たとえ聖書がどう言おうと、自分は神に召されているのだという、体験主義的信仰を持っていました。そのような主観的な献身は、非常に強い個人的神体験が一般的であったときには多く見られたことでしたが、運動がある程度の落ち着きを見せると、当然、減少してきます。そうすると、ペンテコステ運動の女性たちの自己認識も、いわゆる福音派の女性理解と同じようになってしまいました。福音派の女性理解では、女性は男性に仕える者であり、弱い器であり、教会では黙っているべきであるというのが、一般的だったのです。

  ペンテコステ運動の初期に活躍した女性たちは、自分たちを使徒の働き2:18に記されている、霊を注がれ預言をする「はしため」と捕え、そこから、自分たちの働きや立場を強烈に主張していましたが、Iコリ11:2−16の引用はあまりしていません。彼女たちはパウロのこの教えを、むしろ女性の立場を弱め、働きを狭めるものと理解していたようです。本当のところ、もしこのパウロの言葉を正しく理解していたならば、女性の立場と働きに対する強力な聖書的裏付けとなっていたはずです。パウロは女性と男性が平等である事と、当時女性も預言をしていた事実、すなわち、神のみ言葉を預かりそれを語ると言う、極めて宣教的働きに携わっていたという事実をはっきり認め、それをまた容認しているのです。ここでパウロが制限しているのは、女性の身だしなみについてであって、働きについてではないからです。また、現在でも、女性の立場と働きに関して、聖書を誤って理解し、自らの働きの場を狭めている女性が多いことは残念であり、立場と働きの上で女性を差別している男性クリスチャンが多いことを、残念に思うものです。初期のペンテコステ運動の活力を取り戻すためにも、私たちは、女性の働きの重要性を認めるべきです。

  また、ここしばらくの一般世界の女性運動と、自分たちとが同じように見られたくないという、クリスチャン女性の考えもあったことでしょう。しかし、人種差別や女性差別がまだまだ盛んであった当時(現在もそうですが)、女性の働きとそれに伴う権威をまず認めたのが、ペンテコステ運動であったことを、私たちは誇りにすべきであって、正しい聖書的な女性の立場を、堂々と擁護出来るようになるべきです。とはいえ、宣教地の文化背景を無視せよと言うのではありません。パウロも、文化的背景の中で女性の立ち振舞いについて語っているのです。

C. ペンテコステ運動と今後の宣教

  教会史的視野から見ると、20世紀の教会を彩ったペンテコステ運動が、はたしてそのまま21世紀の教会の彩りとなることが出来るか、大変興味深いものです。特に、ペンテコステ運動の真中にいる私たちにとっては、単に興味の問題ではなく、生死の問題です。

 私たちは、この運動が、「主の来たりたもうその日」まで、ますます盛んになって持続する事を望みますが、はたしてこの運動は、それを期待出来る資質を備えているでしょうか。教会史を見ると、いわゆる信仰覚醒、あるいは信仰復興とでも言うべき事がくり返し起こっていますが、その多くは比較的短い期間に限られています。その事に端を発した運動や団体も数多くありますが、その殆どはやがて形骸化してしまいます。私たちのペンテコステ運動もまた、永続的なものではないかも知れません。とはいえ、私たちは歴史から学び、ペンテコステ運動がより長期にわたって持続する事を期待しまた努力をします。そのためにも、私たちはペンテコステ運動を分析評価しなければなりません。私たちはすでにペンテコステ運動の特徴を学んで来ましたが、もう少し掘り下げて見ましょう。

1.三つのペンテコステ運動

  ペンテコステ運動の歴史の項目で学んだように、現在のペンテコステ運動は、大きくに分けられます。@19世紀末から20世紀初頭にアメリカで興った伝統的なペンテコステ運動、A1960年代と1980年代に伝統的ペンテコステ運動に触発されて興ったカリスマ・第三の波運動、Bアメリカに興ったペンテコステ運動とは関係の薄い、世界各地の土着のペンテコステ運動です。

a.伝統的ペンテコステ運動

  この運動を特徴付けているのは、@反啓蒙主義・反合理主義的聖書理解。すなわち、神は今も聖書の時代と同じように生きて働いておいでになるという信仰、A異言を伴う聖霊のバプテスマは聖書的な信仰体験であり、その目的は宣教のための力の付与にあるという理解、B主の再臨は近いという終末観に根差した緊迫感、C伝統的な教会の教職と信徒の枠を超えた活動などです。

@反啓蒙主義・反合理主義的聖書理解

  ペンテコステ運動は奇跡を信じる信仰の運動です。神は今も生きて働いておいでになる。私たちの生活に直接介入してくださり、祈りに応えてくださるという信仰の運動です。それは当然、多くのプロテスタント教会の主知主義的な信仰に対して、体験的な信仰になります。理解して信じる信仰ではなく、体験して信じる信仰になります。ペンテコステ運動においても理解を否定はしませんし、実際大切なものと考えますが、しばしば体験が理解に先行するのです。

 これが、宣教と言う面においては非常な力となります。長いあいだ病院通いをしていた人が瞬間的に癒された、医者も見離した不治の病から解放された、松葉杖がいらなくなったなどという証から、アルコールや麻薬の中毒から立ち直ることが出来た、生活が変わった、家庭が変わった、人生が変わったという証まで、実に様々な体験が、ペンテコステ運動では普通に聞かれることなのです。ペンテコステ運動では、神は全知全能偏在不変のお方であるというような知的理解の先に、そのような証を通して、同じ真理を学ぶことが多いのです。このような事の伝播力の強さは、福音書にも記されています。人々はこのようなニュースに群がるのです。

  合理的・知的文化の中でさえも、「百聞は一見にしかず」と言う諺が生きているわけですから、西欧啓蒙思想の洗礼を受けていないアジア、アフリカ、ラテンアメリカの大多数の国々ではなおさらのことです。もともと病院も医者も遠い存在で薬も満足にない土地で生きていた人々に、癒しのニュースは瞬く間に広がります。医者や薬よりもまじない師や祈祷に頼って生きて来た人々に、祈って癒されることに違和感はありません。彼らは、「より多く癒してくだる神」に来るのです。

 後にも触れることですが、このようなペンテコステ運動では、必ず、他の宗教あるいは信仰との混合、主に、世界中に普遍的に存在しているアニミズムとの宗教混合が問題となります。しかし伝統的ペンテコステ運動の強みは、その強烈な福音主義的信仰にあります。個々の事例では宗教混合の傾向が見られる場合があったとしても、運動の中心が宗教混合に流されることはありえないことです。

  ペンテコステ運動の信仰は、啓蒙主義的な唯一神信仰ではありません。むしろ、アニミズムの世界観の中に生きる唯一神信仰です。それはまた、聖書の世界観です。聖書は、神々と呼ばれるものや悪霊などの存在、そしてそれらの力を認めています。私たちがそれを否定しなければならないとは教えていません。私たちに必要なのはそれらを否定することではなく、それらを怖れず、それらに仕えず、ただ主なる神だけを怖れ仕えることです。ペンテコステ信仰は世界中のアニミズムの信仰者と、類似した世界観、類似した信仰観を持っているため、彼らと心を通じ合わせて伝道が出来るのです。たとえば、福音主義の教会から派遣された宣教師の多くは、アニミズム世界の幽霊に悩まされている人々、悪霊に苦しめられている人々、呪いをかけられて喘いでいる人々に遭遇しても、適切な働きかけをすることが出来ません。「それは迷信です」と言うだけでは、何の解決にもなりません。迷信かどうかは別にして、悩んでいる人々にとって、その問題は現実の問題なのです。そのような場合、ペンテコステの信仰者は唯一絶対の神の権威を持って、幽霊や悪霊を追い出し、呪いと戦うのです。

  ポストモダンの時代に入ってかなりの時間が過ぎた現在も、西欧諸国では脱啓蒙主義・脱合理主義の傾向が続いています。西欧諸国の多くの人々も、合理的な考え方、科学万能主義の生き方に耐えられなくなって、東洋神秘主義などの極めてアニミズムに近いものに、興味を持つようになっています。唯一神信仰を基盤とした聖書的アニミズムのペンテコステ信仰は、今後も世界中で力を発揮して行く可能性を秘めています。

A異言を伴う聖霊のバプテスマ

  伝統的ペンテコステ運動の理解では、聖霊のバプテスマは宣教の力の付与でした。そして実際のところ、聖霊のバプテスマは宣教の力となってきました。聖霊のバプテスマを受けたときの感動、十字架によって回復された神との交わりの素晴らしさ、その高さ広さ深さ、清らかさ、甘美さを体験した者は、多くの場合、神の臨在の現実感に酔い、恐れを忘れ、宣教へとかりたてられて行きました。

  聖霊のバプテスマが、宣教の力の付与を目的としたものであるか、力は聖霊のバプテスマの一つの顕著な結果であるか、議論の余地はありますが、それが宣教のための大きな力となって来た事実は否定出来ません。この力は、単なる「力」という贈り物ではなく、むしろ、神との親密な交わりから湧きあがる勇気と情熱、愛と確信によるものであると考えると、聖霊のバプテスマに伴う異言の重要性が明らかになります。異言は、人間の言葉では表現出来ない心の奥底の思いを、聖霊がうめきを持って表現させ、とりなしてくださるものです。人間がその小さな理性を飛び越えて、しかし多くの場合、その理性を犠牲にせずに明確な自己認識を持ちながら、自分の知らない言葉で胸の内を話すのです。聖霊のバプテスマという神との交わりの体験は、理性的な人間の言葉という限界を超えた交わり、有限な人間の言葉に妨げられてはならない体験なのです。そのような神との密接な交わり、神秘的体験がペンテコステ運動の力、すなわち宣教の力となって来たのです。

  この神との神秘的な交わりの体験は、多くの擬似体験を産み出して来ました。キリスト教会の中でも、多くの霊的体験が聖霊のバプテスマと呼ばれましたが、「聖霊が語らせてくださるままに語る異言」を伴わなければ、本物の聖霊のバプテスマではありえず、本物の聖霊のバプテスマと同様の結果を期待することは出来ません。ですからペンテコステ運動の力は、ごく一般的な力と同質なものと言えます。愛されていると強く自覚している者は孤独を感じません。少々の困難も乗り越えます。人を愛することも出来るようになります。また愛してくださっている方に喜ばれたいと願い、喜ばれることをします。誰かとても強い方が味方であると知っていると、勇気が出ます。どんな人間の脅しも怖くはありません。誰の前に出ても大胆になれます。聖霊のバプテスマの力は、愛してくださる神の強烈な臨在感なのです。ペンテコステが奇跡的なのは力ではなく、この神との親密な交わりから来る強烈な臨在感です。

  この聖霊のバプテスマの体験の高揚もまた、主知的な信仰に陥ってしまった18世紀から20世紀の、福音派教会の傾向に対する反動でもあったでしょう。聖霊のバプテスマは、遠く離れていた神を「非常に非常に」近づけたのです。表現が誤っているなら、神が、私たちを、限りなくご自分に近づくことが出来るようにしてくださった、とでも言うべきでしょうか。十字架をもって敵意を取り除き、和解を実現させ、交わりを回復してくださった神が、さらに一歩踏み込んで、異言という神与の賜物をもって、私たちをみそば近くに引き寄せてくださったのです。十字架を通しての和解の喜びを、非常にリアルな実感として得ることが出来るように、神は、聖霊のバプテスマという親密な交わりの体験を私たちに与え、私たちが、喜びと感動と勇気をもって福音宣教に当ることが出来るようにしてくださったのです。伝統的ペンテコステ運動における福音宣教の動機と力は、不思議としるしよりも、この聖霊のバプテスマにあるというべきでしょう。

B緊迫した終末観

  伝統的ペンテコステ運動の人々は、一般に、緊迫した千年期前再臨説を奉じ、空中再臨、すなわち携挙を信じています。この信仰が、異言を通して可能となる神との深遠な交わりに触れ、さらには、今もしるしと奇跡を持って私たちの必要にお応え下さる神を体験し、熱烈な宣教の情熱になるのです。

 18世紀から20世紀にかけてのアメリカでは、キリスト教界内外に様々な終末思想が広がりました。そのような中からエホバの証人などの、終末論を中心にした異端も生まれて来たわけです。正統的福音に立っていた教会の中にも、スコフイールド・バイブルに代表されるような時代真理神学に基づく考え方が、広く浸透しました。ペンテコステ運動はそのような宗教社会を背景に生まれ、発展してきました。ですから、伝統的ペンテコステ運動の人々は多かれ少なかれ時代真理的な世界観を持ち、いわゆる根本主義という商標を貼られて来たのです。私たちアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの交わりの歴史を見ても、かなり極端な時代真理に立つ人々から、終末論的世界観を持ちながらも穏健に時代真理の教えを取捨選択していた人たちまで、実に様々でした。ただ最近は、聖書解釈学的に、時代真理神学を受け容れられない人が増えているようです。

  しかし、伝統的ペンテコステ運動全体に共通する要因である、この世界はやがて終わりを迎え、人手によらない神の国が来るという信仰、キリストが突如としておいでになるという切迫感、そのとき、この世での教会の宣教の役割は終わり、キリストと共に携え上げられるという期待は変わらずに続いています。これらは、当然のこととして、今のこの時における熱烈な伝道を生み出して来ました。多くの福音派教会が、教会の活動によってこの世に神の国が作り出され、そこにキリストが王としておいでになるという緊迫感のない終末論から、社会活動に熱心になり、宣教をないがしろにしてしまったこととは対照的です。終末論を宣教の力として来た中には、かなり右よりの時代真理の立場を取る、南バプテストやホーリネスの人々なども含まれることでしょうが、ペンテコステ運動は、聖霊のバプテスマそのものを「後の雨」と考えて、キリストがおいでになる「収穫の時」の直前の、神の恵みの業、週末における宣教のための神の特別な力の付与と理解し、聖霊のバプテスマと終末とを結び付けて働きを進めて来たのです。そこに特徴があります。聖霊のバプテスマと後の雨とをこのように結び付ける考え方が正しいかどうか、議論のあるところですが、ともかく、そのような形でペンテコステ運動は進められて来たのです。

C教職・信徒の枠を越えた活動

  伝統的ペンテコステ運動の顕著な特徴の一つに、信徒の運動という面があると言うことはすでに述べたとおりです。それは特に、初期の運動において際立っていました。これはもともと、福音派の有名な神学校が軒並みにモダニズムに影響されながら、高度な専門教育を積んだ教職者を産み出そうとしていた事に反対して興った、聖書学校運動に端を発するものでした。

  数多く創立された聖書学校の中でも、ムーデイー聖書学校などは現在も大学として継続していますが、これらは、いわゆる教職者ではなく、訓練された信徒を生み出すために建てられたものです。教会と宣教の働きを教職者という一握りの人々に任せてしまわずに、信徒の手に取り戻そうとする努力だったのです。初期のペンテコステ運動に加わった多くの者たちは、このような聖書学校運動に育てられたのです。このような人々が、終末の宣教のための力の付与と定義された、聖霊のバプテスマを受けたのです。ですから、伝統的ペンテコステ運動は、聖職者と言う特定の人種に限られた狭い枠と、聖職者の働きという固定観念の堅い枠を打ち破った運動であり、いきおい、非常に柔軟性と適応性に富んだ、多様な働きを持つ運動になったのです。

  またこの運動は、その柔軟性のゆえに、今や特定の国家や人種、言語、文化、あるいは階層という隔てを超えた運動となり、世界のあらゆる地域に住むあらゆる階層の人々に対する運動となってきました。それらの多様な人々が、伝統的教会に見られるような伝統や固定観念に捕らわれずに、地域の状況に応じて自由に活動して行くのですから、この運動はますます多様になって行きます。とはいえ、この信徒活動による柔軟性、適応性は、非常に脆く、壊れやすい性質のものです。というのは、自由な運動を継続させるためには何らかの組織が必要だからです。そして、ひとたび組織が出来ると、組織の母体となった運動そのものより、組織の継続、存続のためにより多くの力が注がれると言うのが、人間の歴史に限りなくくりかえされて来た事実であり、創立時の周囲の状況が変化して組織の意義が失われ、組織自体の変化が求められるとき、それを最も頑なに拒み続けるのが組織そのものであるというのも事実なのです。

 ペンテコステ運動も、人間に与えられた運動であるために、同じ傾向を持っています。多くのペンテコステ団体が、その傾向に流され、組織の形骸化に陥り、あるものは消滅しあるものは存続の危機にあります。信徒による柔軟性、適応性の強い働きは、奔放な活動ともなりやすく、それに対する強い引き締め運動も起こって来ます。初期のペンテコステ運動を引き継ぐ多くの小さな団体が、かなり厳格な監督制をとって、それが成長の妨げになって来たという一方の事実は、単に彼らが、メソジスト−ホーリネスの監督制を引き継いだためだけで起こったことではないようです。[6]また、どのように柔軟性のある運動でも、新しい文化に入って行くと、すなわち、宣教を進めて外国などに出て行くと、自らの発生した文化を当然の前提として、新しい文化に対する柔軟性、すなわち適応性を失ってしまいがちです。そのような中で、驚異的な柔軟性、適応力を見せて来たのがアッセンブリーズ・オブ・ゴッドです。宣教地で生まれ育った私たちから見ると、まだまだ非常にアメリカ的ではありますが、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの柔軟性は群を抜いています。それが、わずか一世紀の間に、世界中の百七十を越える国々に、およそ3千7百万人以上の信徒を抱えるようになった理由のです。

  とはいえ、巨大な運動は巨大な組織を必要とし、組織となった運動は組織の持続のためにエネルギーを消費します。アッセンブリーズ・オブ・ゴッドも、歩みは遅いとはいえ、同じ道をたどっています。組織はかなり堅くなり、教職中心主義も至るところに見られます。しかし救いは、先に述べたように、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドがこの組織の形骸化を警戒し、常に自らを運動として残す努力を重ねていることです。アッセンブリーズ・オブ・ゴッドというとき、日本語では普通、習慣上「教団」という言葉をつけますが、英語では、組織の意味合いの薄い「交わり」という言葉で自らを呼び、あえて「教団」と呼ばずにいるのも、その努力の現れの一つです。

  もしペンテコステ運動が、今後も組織の形骸化という罠に落ち込まず、この多様性、柔軟性、適応性というものを失わずに保ち続け、基本的に信徒の運動として生きて行くならば、21世紀におけるペンテコステ運動は、非常に明るい未来を持っていると言えるでしょう。しかし、もしペンテコステ運動が教団や教派と言う、人為的な組織に足を取られて動けなくなってしまったなら、その時、この運動の将来は無くなってしまいます。

b.カリスマ・第三の波運動

  カリスマ・第三の波運動の特徴は、賜物の行使です。伝統的ペンテコステ運動の、反合理主義的信仰を受け継ぎ、神は現在でも、奇跡をもって人間生活に関与して下さると信じ、そのような奇跡的な神の関与は、多くの場合、教会に与えられた賜物の行使によって実現されると理解するのです。この賜物の行使も伝統的ペンテコステ運動の理解を引き継ぎ、幾分、独自の理解を加味したものですが、彼らの多くは、このような奇跡的賜物を行使している者は、聖霊のバプテスマを与えられているのだと考えます。

 いつどこで聖霊のバプテスマを与えられたかと言う理解については、それぞれの神学的背景によって異なります。改革派神学から来た者は洗礼の時、あるいは堅信礼の時に、バプテストの神学を背景にする者は新生の時点で、すべての信徒が聖霊のバプテスマを受けているのだと言いますし、ホーリネス系の神学を持っている者は、第二の恵みとして、聖めのときに与えられたのであると主張します。またサクラメンタルな神学を持っている者は、それぞれのサクラメントの中で聖霊のバプテスマを受けているのだと考えます。彼らは、いつどこで、どのようにして与えられたかと言うこと、また、異言を語ったか語らなかったかと言うことなどは、あまり重要だと考えません。彼らが大切にするのは、聖霊のバプテスマを与えられたと信じることであり、聖霊の賜物を生かして活動することです。

  従って彼らの運動は、多くの場合、伝統的ペンテコステ運動の人々が大切にする、「異言を伴う聖霊のバプテスマ」と言う圧倒的な体験を欠きます。奇跡が起こった、癒された、自分の祈りが聞かれた、悪霊が追放されたという、可視的体験を通しての感動は残りますが、溢れるような神の臨在の中に憩うという、伝統的ペンテコステ運動が最も大切にする内的神体験が有りません。ですから、カリスマ・第三の波運動の場合、伝統的ペンテコステ運動よりもさらに、現象主義的傾向を強くします。現象による感動は、神との交わりという内的感動に比べると、底の浅いものです。神との高度な交わりの体験という要因を欠く運動が、どれほど長い間持続出来るかは、疑わしいところがあります。

  伝統的ペンテコステ運動は、自らの体験を、聖書の記述に照らし合わせて深く考える性質を持っていました。ですから、素人神学の誤りをくり返しながらも、全体として、聖書の教えにしっかりと留まることが出来ました。しかし、カリスマ・第三の波運動では、それぞれが、それまで所属していた教会の「確立された神学」の枠内で、ペンテコステ体験を解釈するという傾向を持っています。安易に聖書を飛び越えてしまうわけです。もともと、現代における神の奇跡的顕現を信じていなかった、言うなれば、その方面の神学を持っていなかった人々がそれをするのですから、そこにはかなり非聖書的な要因が入ってくる余地があります。特に現象的な働きを推し進めていくと、アニミズムとの宗教混合が深刻な現象となります。やがて、アニミズムの底知れぬ泥沼の中に、吸い込まれて行ってしまう危険を内包しています。グローバル化が進み、アニミズムの傾向を強くする世界で、現象主義のカリスマ・第三の波運動は、ここしばらく隆盛を極めることでしょう。しかしそれが星霜を越えて存続するかは、かなり疑問です。

  さらにカリスマ・第三の波運動は、伝統的ペンテコステ運動のような緊迫した終末観を持っていません。個々の例外はあったとしても、一般的に千年期後再臨説や無千年期説、あるいは再臨はすでに済んでしまったという説や、再臨そのものを神話として片付けてしまう説などを奉じている方たちが多いのです。彼らも、今生きておられる神の力の顕現を見て興奮することでしょう。それが、しばらくの間の宣教の動機、あるいは力にもなることでしょう。それはまた、教会を大きくする要因にもなることでしょう。しかし、それが伝統的ペンテコステ運動と同じように、失われた魂を尋ね出して救いに導き入れる動機となり、宣教の力になるかは、疑わしいと言わざるを得ません。

  聖霊のバプテスマを宣教の力の付与と位置付けた伝統的ペンテコステ運動は、「宣教運動」と呼ぶことが出来ます。これに対し、カリスマ・第三の波運動は、基本的に教会の刷新運動であり、宣教運動ではありません。伝統的ペンテコステ運動が、ある程度、広いキリスト教界に受け容れられたことによって、ペンテコステ運動に触れることが出来たカリスマ・第三の波運動の人々は、ペンテコステ運動をはじめから刷新運動と理解する傾向があったのです。現在、ペンテコステ運動の成長は、伝統的ペンテコステ運動の宣教による成長よりも、カリスマ・第三の波運動の教会刷新による成長の方が、圧倒的に多いはずです。つまり他のキリスト教信仰からカリスマ・第三の波運動に加わった者の方が、救われて神の国に加えられた者より、遥かに多いと言うことです。問題は、そのような増加がどこまで継続するかということです。

  カリスマ・第三の波運動には、自分たちの教会や神学の伝統を固持したまま、この運動を続けられるという、ある意味での利点がありました。そしで、ペンテコステ体験をしたと言う共通意識によって、教派や教団を越えて交わりを広げられるという、すばらしい一面があります。しかし、彼らのペンテコステ体験が、それぞれの伝統的神学と形式と組織の中で、どれほど命を永らえることが出来るかと言うことが問題です。すでに述べたように、伝統的ペンテコステ運動は組織への特別な警戒心を持ち続けていました。組織が運動を殺してしまうという一般的傾向を、非常に良く知っていたからです。伝統的ペンテコステ運動が、留まることを知らずに成長し続けた理由のは、間違いなく、この運動の中心を担う人々が、運動を組織に変えることをせず運動のまま残し続けたことです。そのような側面から考察すると、あくまでも、それまでの伝統的神学と教会の組織形態の中に、ペンテコステ運動を取り入れたカリスマ・第三の波運動は、運動が若々しい今のところは組織を越え、形に捕らわれずに活動しているかのように見えますが、組織の中に形骸化していく、大きな危険を孕んでいると言わざるを得ません。

c.アメリカなどのペンテコステ運動と関係の薄い土着のペンテコステ運動

 土着のペンテコステ運動が、今後どのような経過をたどり、世界の宣教にどの様に貢献するかと言うことを予測するのはかなり困難です。まず、現時点では土着のペンテコステ運動に関する資料があまりにも少ないことです。次に、かなりの数に上るこれらの運動が、それぞれ異なる文化的神学的背景を持っていて、非常に巾が広いと言うことです。しかもそのような中で、伝統的ペンテコステ運動やカリスマ・第三の波運動と接触して、さらに複雑化していると言うことです。ただ総合的に言えることは、どちらかというと、カリスマ・第三の波運動に近い考え方を持つ運動が多く、かなりの者が、土着の宗教の影響と思われる習慣や伝統を取り入れていることです。

  カリスマ・第三の波に近い考え方といっても、異言の伴う聖霊のバプテスマを強烈に主張したり、異言は救いのしるしだとまで強弁する者がある一方、異言と聖霊のバプテスマを切り離したり、異言そのものを否定したりする者もありますので、一概に一まとめにするのは躊躇されます。ただ、それぞれが持っていたキリスト教神学、教会の伝統などに影響されていて、その意味でカリスマ・第三の波に近いといえるでしょう。幸い、現在世界で最も急激に成長している土着のペンテコステ運動のいくつかは、神学的にかなり健全で、むしろ伝統的ペンテコステ運動に近いとさえいえるものです。[7]

 このような土着のペンテコステ運動の強みは、土地の文化習慣により良く適応しているということです。また、多くは信徒の活発な活動を強調していることです。西欧のキリスト教、西欧の教会形態、西欧の教職制度に縛られない自由を得て、より効果的に伝道している場合が多いという事です。その反面、適応の範囲を越えて妥協してしまったり、宗教混合に陥ったりしている場合も少なくありません。聖霊のバプテスマの体験にしても、異言の体験にしても、擬似クリスチャン体験である怖れが多分にあります。

 そういうわけで、この土着のペンテコステ運動は、信仰の形、神学においては伝統的ペンテコステ運動に近く、少なくても、異言の伴う聖霊のバプテスマの体験を強調し、教会の形態や形式においては、西欧のものに捕らわれずに自分たちの文化の中で最も適したものを選び、信徒たちの自由闊達な活動をうながし、注意深く宗教混合を避けて行くならば、今後さらに大きな成長発展を望むことが出来るでしょう。現在の世界的なペンテコステ運動の中で、そのような種類の運動が、最も活力に満ちたものとして存続する可能性があります。ただし、それらが自らの発生した地域においては、つまり類似の文化背景の中ではそのような発展を望むことが出来ますが、他の土地に宣教を進めていく過程で、たとえば、ブラジルの神の教会がアジアやヨーロッパに宣教を開始したとき、特質である文化的適応性を、その新しい土地で発揮出来るかどうかが問題です。それを解決しなくては、普遍的なペンテコステ運動に成長することは出来ないからです。

2.宣教と超教派・国際協力

 ペンテコステ運動の活力の一つに、超教派性があります。ペンテコステ運動は教派を超えて起こったものであることが一つ、また、初期のペンテコステ体験をした者たちは、それぞれの属していた教派教会を追放され、独立の働きをするか新しい交わりに移らなければならなかったという事も、影響しているでしょう。彼らは多くの教会に誤解されていた一方で、自分達の経験をもっと多くの人達にも体験して欲しいと望み、積極的に他教派他教会に働きかけていました。それがある意味ではますます誤解を広め、孤立化を促したと言える一方、効をそうして、カリスマ・第三の波運動へとも繋がって来たとも考えられます。

「神は現在も聖霊を通して働いておられる」という事実を認めるペンテコステ運動は、いまや、カトリックやオーソドックス、あるいは高教会といったサクラメンタルな教会から、伝統的福音主義教会、あるいはWCC系の教会に至るまで、広く受け容れられています。しばらく前のエキュメニカル運動は下火になりましたが、そのような人為的な努力によらない、霊的な推進力を得た、ごく自然の教会一致の動きが、ペンテコステ運動の「副産物」として発生しているのです。現代においても働きたもう神である聖霊の力を体験したという素朴な共通意識が、伝統、教派、教団、あるいは言語、文化、民族、国家という人為的な枠を打ち破って、新たな感覚の交わりの環を広げていると言えます。すでに、世界の至るところで、ほとんどの場合小規模ながら、非常に多くの具体的交わりと協力関係が作られています。とはいえ、祈り、学び、友好関係の構築というような面における働きは、比較的容易に可能ですが、これを宣教のための具体的な協力関係に発展させて行くには、さらなる聖霊の後押しによる努力が必要とされるでしょう。

 その一方で、近年の宣教の国際協力は、ペンテコステ運動とは直接関わりがない要因、すなわち交通・情報・経済などの発達によるグローバル化に伴う、自然の発展としても拡大されてきました。グローバル化の急激な進展は、世界に幸をもたらすか不幸をもたらすか不明ですが、グローバル化自体は避けることが出来ない方向です。世界はますます狭くなり、瞬時に結ばれ、瞬時に動かされるようになります。そのような中での宣教の国際協力は、これまた絶対に避けられない方向です。

 このような形での国際的宣教協力の多くは、例えば福音派という枠内、あるいは特定の伝統や教派の中でのものに限られますが、幾つかの大きな利点が考えられます。それは@人的資源、A経済的資源、B知的資源に分けて考えられます。

@人的資源

 ある地域、ある国においてはキリスト教が盛んで、多くの優秀な人材がありますが、他の地域では優秀な人材を欠いているために、充分な働きが出来ないでいます。宣教協力の国際化は、この問題を和らげる事が出来ます。

A経済的資源

 一般世界における貧富の差は急激な拡大方向にあります。しかし、教会においては富める国の教会は貧しい国の教会に、積極的に経済協力を進めることが出来ます。短に、貧しい国での宣教を支援するだけではなく、貧しい国が宣教師などの人材を国外に送り出す支援も進める事が出来ます。

B知的資源

 人材が国境や文化を超えると、当然知的資源もそれに伴います。また、教会の知的財産、神学や伝統というものも流動的になり、互いに摩擦をおこしながらも、不足を補い合い欠点を被い合うことになります。たとえば、個人主義に彩られた西欧型神学は、徹底した共同体である教会についての洞察を欠いています。これは共同体文化が息づいているアジア、アフリカあるいはラテンアメリカなどの教会の神学的参画によって、補足されて行かねばなりません。

 こうして教会は、国際協力を通して普遍的教会としての「あるべき姿」に近づき、より強力に世界宣教を推し進めることが出来るようになりますが、ペンテコステ運動は、これに聖霊の働きに対する共通認識と、枠にとらわれない積極的な宣教活動という特性を加えて、さらにその働きを先鋭化して行く事でしょう。

3.ポストモダンとペンテコステ運動

 ポストモダンという概念は、日本においては比較的新しく、巷ではせいぜいここ十数年に理解され始めたものです。その少し前は「不確実性の時代」などと言う言葉で、同じ意味の事が語られていたと思います。要するに、国家だとか、教会に代表される既成の権力組織、あるいは倫理だとか道徳、さらには政治理念、科学的な定理といった、当然の前提、確実なものとして受け容れられていた事柄に対する不信感、虚無感、反発、抵抗を増す一方で、不可思議なもの、不可解なもの、主観的な体験、それまでの道徳や倫理あるいは社会常識にとらわれない自由な行動に対する憧れのようなものを持つようになった世代、あるいは時代をそのように呼んでいたものです。

 これは、啓蒙主義、合理主義、自然科学主義、そして自然科学主義の社会科学への適応としての共産主義の発展と、それらに対する幻滅に端を発するものです。したがって、啓蒙主義や合理主義への反発として興って来たペンテコステ運動自体が、ポストモダンと言う言葉が使われ始める四分の三世紀紀以上も前に興った、ポストモダンの運動であったと言えるでしょう。西欧一般社会においては、1920年代後半の世界恐慌とそれを挟んで起こった世界大戦、中でも特に科学の粋を集めて作り上げられた原爆が、それまでの安易な自然科学主義(啓蒙・合理主義の頂点としての)によるユートピアの幻想を打ち砕いてしまいました。そのような体験が確実なものに対する不信を招き、確実なものの象徴として存在していた伝統的キリスト教会への不信を増長させて行きました。さらに60年代になると、ベトナム戦争の泥沼化が、当事国のアメリカにおいて、不動の権威の象徴であった国家という理念と、組織への不信に繋がって行きました。ヒッピーたちの出現にそれが現れています。多くの人々の心は、キリスト教などの確立された神学を持つ既成の宗教から、個人的な内面体験を重視するオカルトや東洋の神秘主義などへ移って行きました。キリスト教信仰に留まる者たちの中にも、教会の権威や特定の神学に属さない、個人の自由な信仰体験を重視する運動が起こりました。ジーザスムーブメントなどは、その象徴的なものです。

 ポストモダンという言葉が欧米で用いられ始めたのはこの頃です。その発生当時からポストモダンの要素を強く持っていたペンテコステ運動は、一般社会のポストモダンの傾向と、教会内に現れたポストモダン的動きに乗って、多くの伝統的教会が衰退する中、大きく発展し続けていました。教会内のポストモダン傾向として最も強い影響力を持ったのが、カトリック教会の第二バチカン会議です。聖書の権威を改めて高揚し、プロテスタントのクリスチャンたちを、「迷える」という修飾語が付けられていたとは言え、「兄弟」と呼んだこの会議は、それまでの不動のカトリック教会の権威に水を差すものでした。ペンテコステ運動の中でも一段とポストモダンの傾向を持つ、カリスマ運動が起こって来たのは、そのような背景からでした。

 またこの頃になると、自然科学を社会科学に応用し、国家や政治体制に応用した共産主義国、あるいは社会主義国の試みが、ことごとく行き詰まりを見せていました。人々は、まさに確実なものなどはないと、それこそ「ぼんやりとした不安」として痛感していたのです。一方では、それまでの自らの神学を堅持していた福音派の人々が、その「絶対の神学」に疑問を差し挟みながら、伝統的なペンテコステの神学にも同調しきれないまま、ペンテコステ運動に加わって来ました。第三の波運動の人々です。

 既成の権威、組織、理念、定理と言われるようなものに対して背を向けて、個人の主観的体験や超自然現象を重んじるポストモダンの傾向は、主観的体験や奇跡を強調するペンテコステ運動と、波長を同じにします。それは、とりもなおさずペンテコステ的宣教による福音が、より幅広く支持され、受け容れられる可能性が大きいと言うことです。しかし、伝統的ペンテコステ教会は伝統的であるために、伝統を嫌うポストモダンの人々の支持を得られない可能性もあります。いかに伝統の古臭いイメージを脱ぎ捨てて、新しい自由を示す事が出来るかに、伝統的ペンテコステ教会の未来がかかっていると言えるでしょう。確かに伝統的ペンテコステ教会は音楽や礼拝形式、あるいは教会のあり方、伝道の方策において、驚くべき柔軟性と適応性を示して来ました。今後の可能性に期待を持たせるに充分です。ただし、神学的考察においては必ずしも充分とは言えません。努力の姿も垣間見ることが出来ますが、ポストモダンの人々の不安、恐れ、空しさ、必要に応える神学、あるいは後に述べるグローバル化の傾向に応える神学が、形成されつつあるとはいい難く、まだまだ、20世紀初頭の社会の欲求に応えた、極めて基礎的な神学に留まっているのが現状です。下手をすると、いまだにウエストミンスター信仰告白を振りかざして満足している改革派の教会のように、[8] あるいは、きよめの神学を金科玉条のように奉るだけで満足して、時代の変化に取り残されている、多くのホーリネス教会以下になってしまう恐れさえあるのです。ウエストミンスター信仰告白もきよめの神学も、それぞれの時代にあっての素晴らしい成果であり、教会の大切な遺産です。しかし、それらはあくまでも歴史の中の産物であり、現代の必要には応えられない場合が多いのです。およそ90年前に作成されたアメリカ・アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信仰綱要も(16 fundamental truth)、しばらく前に改定されたとは言え、改定は最小限度に抑えられ、とても現代の信仰生活を取り巻く状況に適切に応えているとは言い難いものです。このようなものがひとたび制定されると、伝統というものが生じ、それを改定することは至難の業となるのです。

 かつて教会は、啓蒙主義や合理主義に動かされていた社会に対して、それらの思想を神学の中に取り入れることによって対応しました。その対応があまりにも聖書の教えから離れ、対応ではなく迎合になり妥協となったことに対する反動が、新正統主義の神学でしたが、まだ、聖書の教えを基本にして世界を見るのではなく、世界の動き聖書の中に取り込もうという傾向がありました。いま私たちに必要なのは、断固として聖書の教えに立ちながら、現在のポストモダンの世界に対応する神学を確立していくことです。そして世界は、これまでの世界の動きの何倍もの早さで変化して行くのですから、ポストモダンの後の世界までもみつめていなければなりません。どのような変化に対しても常に新しいものとは絶対に変わらないものです。幸い伝統的ペンテコステ運動は、頑固なまでに福音主義、正統主義の神学を維持しています。それを維持しながら、変化して行く世界に対して、常に新しい対応を模索しなければなりません。


[1]   この当時の異言の理解は、実際にこの地上の人間によって用いられている言葉を語る、「ゼノラリア」という現象だと考えられていましたが、まもなく、語っている者にも聞いている人間にもわからない超自然の言葉、「グロッソラリア」と理解されるようになりました。

[2]   大坂の生駒にある聖書学校は、クートという宣教師の働きによってはじめられ、かなりの卒業生が伝道の働きをしているようですが、ユナイテドペンテコステ教団のように、あからさまに三位一体を否定することはないとは言え、ジーザスオンリーの立場です。

[3]   アメリカにおいては現在黒人系のチャーチ・オブ・ゴッド教団が信徒数500万人で最も大きなペンテコステ系の教団です。海外ではおよそ30カ国以上で活動を始めていますが、まだ、おおきな伸びは見せていません。アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団はアメリカではおよそ250万人で、2番目に大きな教団ですが、世界の200ヶ国以上で宣教し、現時点(2005年)で、5,000万人以上の信徒がいます。

[4]   「失われた兄弟たち」あるいは「迷い出た兄弟たち」という表現ではありましたが、兄弟と呼んだ事は事実です。

[5]   レストレーション運動は、1948年、カナダのノース・バトルフオードにあった聖書学校の出来事に端を発し、後の雨運動とも呼ばれるようになりました。預言や按手に強調を置き、賜物や初代教会の形態の回復を主張して、瞬く間に北米全体に広がりましたが、アメリカ・アッセンブリー教団は、1949年の第23回総会でその誤りを指摘すると共に、正式に否認する決議をしています。その後この運動は急速に衰えましたが、その考え方や流れは今もさまざまなペンテコステ教会の中に混じりこみ、時として表面化し、教会の中に混乱をひき起こしています。

[6]    かなり自由な会衆制に近い長老形態を取り、信徒の活動を重んじたアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と、むしろ厳格な監督制度を貫き信徒の活動の枠を狭くして、柔軟性と適応性を犠牲にしてしまった国際フオースクエア教団は、教理的には殆ど違いがありませんが、国際的成長には大きな違いがあります。

[7]   ブラジルの「神の教会」は、人数の上で世界一のペンテコステ団体ですが、その発端が西洋の宣教師によるものではあっても、土着の要素が非常に強い団体です。神学的にはアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と大差はありません。

[8]   著者は、神戸改革派神学校の校長をしておられる方の、「改革派信仰とは何か」という著書を読み、著者のお勧めにしたがって公開質問状を差し上げたことがあります。なぜ時代を超えた真理である聖書ではなく、時代産物に過ぎないウエストミンスター信仰告白を振りかざして、これも時代に取り残されたルター神学を攻撃するだけで、満足しているのかとお尋ねしました。それに対して、必ずお答を下さるというメールを頂きましたが、数年過ぎた現在もまだ約束は果たされていません。神学は一方では不変の聖書的主張を明らかにするものですが、他方では時代を反映するものでなければなりません。


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