On the Contemporary Prophecy

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ペンテコステ神学と預言


T. 現存する預言

 ペンテコステの日にペテロが預言の成就として引用し、ルカがそれを自分の神学としてその歴史文書の中に取り入れたヨエルの預言は、現在の私たちの時代にもまったく有効です。すべての者に聖霊が注がれ、聖霊を注がれたすべての者は預言者となり得るのです。それが新約の神の民なのです。この預言の成就が今や効力を失ったと言う聖書的根拠はありません。しかし一方では、聖書正典が成立していると言う事実が、現在の預言の必要性と必然性に大きく関わっています。  

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの歴史を見ると、現在における預言の存在は常に信じられて来ましたが、その性質と内容において、あるいは実践においてはずいぶん異なった見解がありました。ただ、預言の権威を聖書の権威と同等のものとしないという共通理解があったことが、様々な混乱の中でも福音的立場を堅持できた一つの大きな理由であったと言えます。ただ、預言が聖書と同等の権威とされないために、あえて、預言が書き留められることがないようにされて来たなどの努力はありましたが、神学的な努力はあまりされた形跡がありません。[1]

U. 預言の定義

 ふつう預言と言われているものには異なった性質のものが含まれます。

 1. 神の啓示(聖霊による)を直接受けて語る言葉。

 2. 神の言葉を託された者として、聖書知識、信仰経験と人生経験による知識、さらにまた、直接の啓示による知識などを、聖霊の励ましと感動を受けて、実情や必要に応じて語る言葉。聖霊の感動を受けた説教、あるいは臨機応変でアドリブ的な勧め、励まし、警告。「説教が預言である」という言い方は一般的ですが、そこに聖霊の感動がなければ、預言と呼ばれるにふさわしいかは疑問です。

 3. 異言の解き明かし。アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの一般的な教えの一つではありますが、正式な教理として取り入れられたことはありません。かなり初期の頃から、この問題には異論も多く、著名な人々が聖書的に疑問な行為として、注意を促しています。私たちが良く知っているドナルド・ジーもその一人ですが、現在はより多くの神学者がそのような見解をとっているように思われます。(アメリカ・アッセンブリーズ・オブ・ゴッドが超教派的な奉仕として行っている、ふたつの聖書通信教育の大学レベルのコースのうち、日本でもなじみのあるICAはこのような見解に立っていますが、もうひとつの、ベレアは伝統的見解をとっています)。

V. 個人預言

 霊感を受けて書かれた聖書は、私たちの信仰と行いのために、神が充分と判断された啓示です。したがって、私たちは聖書に加えるべき性質の預言の存在を信じません。また、聖書の教えに矛盾する預言も受け入れません。そこで、私たちの信じる現在の直接啓示としての預言の多くは、神が特定の個人あるいは特定の人々の、特殊な事情に対して必要であると判断された、極めて限定された預言であると言えます。そしてその中に個人預言も含まれるものです。

W. 個人預言の問題点

 現代において考えられる直接啓示の預言として、最も可能性の高いものは、理論的な結論として個人預言であると言えるでしょう。しかし、そこには様々な問題が考えられます。

1. 問題の少ない個人預言

 たとえ個人預言であっても、その預言の内容が聖書の啓示の範囲内でそれに矛盾しない、しかも一般的な励まし、勇気付け、警告、注意などの場合は、あまり問題にはなりません。たとえそれが直接啓示ではなく、また、聖霊の励ましによるのでもなく、たんに預言する者の感情の高まりのなせる業であっても・・・・。

2. 判別の困難な個人預言の源

 語られた個人預言が、本当に神からの直接啓示であるかどうか、どのように判断するのかが問題です。旧約時代の預言にも同じ困難がありました。偽預言者、あるいは神がお送りになった偽りの預言者さえあったのです。予言が当たらないと言うのも一つの基準でしたが、絶対のものではありませんでした。エレミヤの予言は当たりませんでしたし、新約においても、パウロが自分の未来についての確信を語った・・・・・ある意味での予言、エペソには再び戻ることがないであろうと言う予測も外れています。

3. 独善的権威主義に陥る預言者

 自分が神の直接啓示を語っていると思い込んでいる人々の中には、次第に独善的になり、権威主義になる傾向があります。聖書の教えを無視し、教会の教え、兄弟姉妹の教えを無視することが多いのです。すなわち、もう一つの種類の預言を無視する傾向が強いわけです。

4. 牧会配慮との軋轢

 牧師は聖書の教えを出来るだけ正確に理解し、それを現在の私たちの生活に、あるいは個々の信徒の特殊な状況に、祈りと経験と常識を持って最善と思われる適応を選択します。しかし個人預言は、しばしばそのような牧会配慮と相反するものとなるのです。

5. 個人預言に関する教えと例の不在

 新約聖書には個人預言に従えという教えはありません。また、個人預言を与えられた本人に対する神の直接の働きかけがないまま、第三者によって個人預言が語られたと言う例は、アナニアとサッピラ、バルイエスなどの裁きの例以外にはありません。

V. 個人預言に対する私たちの態度

 私たちは、正真正銘の個人預言が、現在でもあり得ることを、真摯な態度で認め、それに対して準備をしていなければなりません。それらは次の数点に要約できるでしょう。

 1. 聖書知識を身につける。聖書は、霊感を受けた神のみ言葉の権威を教え、これに従うことを命じています。聖書知識を身につける事が大切です。しかし啓示としての預言については、同じ命令が与えられていません。すなわち、聖書と同じ権威を認めていないのです。ただし、預言を軽んじてはならないと教えられている中には、啓示による預言も含まれていると考えられます。 

 2. 聖霊と親しみ、霊を見分ける能力を与えてもらい、それを育てる。羊は羊飼いの声を聞き分けます。

 3. キリストのみ体に聞く。独善的にならず、聖書を読み、健全な著書を読み、多くの兄弟姉妹の意見を聞き、客観的判断が出来るようになることです。

 4. 牧会者としての判断を大切にする。その個人預言が正真正銘、神を源とするものであるという確信が得られなければ、牧会者としての自分の判断に従うことです。

E. (付録)現在の個人予言の強調の歴史的背景 

 ペンテコステ教会は当初から現在における預言の存在を認めてきたために、さまざまな形の預言がさまざまな人々によって実践されて来ましたが、現在の個人預言の強調にはひとつの歴史的流れを認めることができます。それは、いわゆるレストレーション、あるいは後の雨という運動につながりがあります。参考として、アメリカ・アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が出版していた教職者向け論文集であるパラクレート誌、1990年夏季、第24巻3号に 「Kingdom Now Theology」という題で掲載された、ゴードン・アンダーソン先生の論文の一部を訳出しておきました。(茶色の部分)当時先生はノースセントラル・聖書大学の教授を勤めながら、アメリカ・アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の教理を正しく保つための委員会に所属して働いておられました。

レストレーション

 レストレーション運動は、1948年2月12日、カナダ・ノース・バトルフオードのシャロン聖書学校において、アーン・ハウティン(という教職者が預言をしたことに端を発する、「按手のリバイバル」にさかのぼることができます。この預言は、教会における御霊の賜物の回復という、この運動の鍵となる考え方と共に、それらの賜物は、預言と長老たちの按手によって与えられるものであるという主張も提供しました。(Tテモテ4:14)

 ノース・バトルフオードに始まったリバイバルはカナダ全土に広まり、アメリカのいろいろな指導者たちによっても受け入れられて行きました。そしてこのリバイバルは、ヨエル書2:23に預言されている事柄であるという主張を基に、後の雨運動として知られるようになりました。

 後の雨運動は、極端な主張の運動です。その指導者たちは、素晴らしい成功と共に屈辱的な失敗も体験しました。癒しを主体にした天幕伝道、リバイバルの説教をはじめとしてトラクトやタブロイドの出版は、さまざまな神学を生み出して行きました。リバイバルが熱く燃え盛っているときは、いつものことですが、良い教理と共に、明らかに間違った悪い教理も出現してきます。1953年に至るころにはこの運動はすでに盛りを過ぎ、触発された多くの教会も元の状態に戻りましたが、中には悪い教理と実践に破裂してしまったものもありますが、他のものはリバイバルの教えの要素を残しながら、現在レストレーション運動と呼ばれるものにゆっくりと凝結して行きました。

 このリバイバルの行き過ぎに対して、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドは1949年に行われた第23回総会において、後の雨の教えを正式に否認する決議を採択しました。決議は特に以下の点を否認しています。@按手と預言によって聖霊の賜物を分与したり、賜物が何であるかを明確に語ったり、賜物を授けたり、賜物が間違いなく与えられていると確認したりすることが強調されすぎている点。A教会が、現在の使徒と預言者という土台の上に築かれていると教えられている点。B罪の告白は人間に向かって行われるべきであり、それによって赦しと開放が確実にされると教えられている点。C異言の賜物は、宣教の働きのために実在する言語を語ることができるようになる、特別な能力の付与であると教えられている点。D個人預言を用いて神の導きといわれるものを強要する点。E聖書を曲解させる神学的解釈法が実践されている点。

 レストレーション運動は1950年ころにはすっかり下火になってしまいましたが、まったく死んでしまったのではなく、1960年代にカリスマ運動が起こり、1980年代に第三の波運動が起こると、それらの中に混入して行きました。現在はオレゴン州のポートランドにあるバイブル・テンプル教会が、レストレーション運動の盛んな教会として知られています。この運動では現在でも、長老たちによる按手や個人預言、そして使徒、預言者、伝道者、牧師、教師という5つ働き、ダビデの幕屋の礼拝の回復、地域教会の独自性、複数の長老、さらに終末論では千年期前大艱難後再臨説を教えています。


[1] これに対して最近の預言運動の中には、預言を書きとめ印刷して配布したりするものがあります。


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