Ecclesiology

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教会の装備・賜物


 教会が与えられた使命を遂行し、働きを立派にやり遂げるために、神は、教会を装備してくださいました。教会に対して、「徒手空拳で仕事をせよ」とおっしゃったのではありません。教会が神の贖いの御計画の一端を担う大切な働きである宣教を成し遂げ、遣わされたこの世界でしっかりと生きて成長して行けるように、神は聖霊の賜物という装備を与えてくださいました。教会は神に与えられる能力、聖霊の賜物によって神に託された使命を遂行し、働きを成し遂げて行くように定められているのです。

 教会の歴史の中で、聖霊の賜物という主題について論じられ始めたのは、聖霊の働きを強調したペンテコステの信仰を標榜する人たちによってであり、せいぜいここ100年のことです。最近は伝統的なペンテコステ派に属する人々より、むしろカリスマ運動や第三の波運動の人々が、この分野に関心をもって活動しているようです。しかし、なにぶん、教会論がしっかりしていないものですから、賜物に対する興味だけが先走りしている傾向もあり、いろいろな混乱も起こっているようです。

A.賜物の理解

 そこで聖書が教える賜物について学ぶ前に、伝統的なペンテコステ派の人々が、一般的にどのように賜物を理解し、それに対してカリスマ運動や第三の波運動の人たちがどのような理解をしてきたか、簡単に見ておきましょう。

1.伝統的ペンテコステ派の人々の一般的理解

 伝統的ペンテコステ信仰を持つ人々にとっては、何と言っても聖霊のバプテスマの経験こそが、自分たちの特筆すべき経験であり、ペンテコステ信仰の基本でした。その中から同じく聖霊の働きに関わり、また、聖霊のバプテスマの目的とされている宣教の力にも関わる、聖霊の賜物が理解されてきました。そのためか、幾つかの特徴的な考え方が生まれました。その第一は、聖霊のバプテスマが超自然的であるように、超自然的な賜物が強調され、自然の能力や後天的な習得による能力、あるいは技能などというものにあまり関心が払われなかったことです。その結果、教会に与えられる賜物の範囲を狭め、行使の場も狭めてきたきらいがあります。第二に、そのような超自然の賜物の強調から、Iコリント12章4−11節に列挙されている賜物をすべて超自然の賜物と考えて、さらに、これらの賜物は聖霊のバプテスマを受けた者にだけ、与えられるものであると理解し、これらの賜物に対する不必要な思索を加えたことです。21  そのために、聖霊のバプテスマを経験していない人たち、また聖霊のバプテスマを否定する教会には、聖霊の賜物が与えられていないかのように言う独善的態度に陥り、他の教会との間に不必要な隔たりを設けてしまいました。ただし時代が進むにつれて、ペンテコステ信仰を持つ人々もかなり公平に聖書を読む態度を身につけ、最近では伝統的な理解の立場を取る人はまれになってきました。


21  たとえば賜物の配列に重要性を探ったり、また、これらの賜物を三区分してそこに深い意味を読み取ろうとしたり。


2.カリスマ・第三の波運動の人々の一般的理解 

 伝統的なペンテコステ運動に啓発されて興りながら、神学的にはそれに反発するようなところを多分に持つこの運動は、賜物の理解においてもペンテコステ派の人々の考え方から発生しながら、それに捕らわれず、聖書的発展をさせたところがある一方、反発しながらも捕らわれている所もあります。 

 この人々は、賜物というものをペンテコステ派の人々よりも広い意味で捕らえ、超自然的な賜物だけではなく、生来の能力、資質といったものから、後天的に習得した能力や社会的立場、さらにはそれに付随する権力などまで含めて考える傾向を見せています。これは、より広範囲に聖書を読み、たとえばローマ書12章3−8節やエペソ書4章4−16、あるいはIコリ7章なども取り入れた考え方です。

 またこの人々の特徴には、ペンテコステ派の人々と同じように、Iコリ12章に列挙されている九つの賜物は、すべて聖霊のバプテスマを受けた者だけに与えられると、判断しているように見られる点が挙げられます。というよりも、彼らは一般に、聖霊のバプテスマに対する見解が、伝統的ペンテコステの信仰を持つ人々と異なり、異言を語らなくても聖霊のバプテスマを受けている事があり得ると主張し、聖霊のバプテスマの証拠はむしろ、超自然的賜物にあると言おうとしているように見受けられます。彼らはしばしば、癒しの賜物を持っている事が、あるいは預言の賜物を持っている事が、聖霊のバプテスマを受けている「しるし」であると主張しているからです。「私は異言を語らない。しかし癒しの賜物を持っている。聖霊のバプテスマにどうして『低い賜物である』異言が必要であろう」というような、言い方を聞くのです。彼らは異言を否定するのではなく、異言が聖霊のバプテスマの「唯一の確かな証拠」であることを否定するのです。

 彼らの見解の良い点は、より広範囲の賜物を認めた事で、多くの信徒たちがその賜物を行使する勇気と、機会を与えられるようになったという事です。教会の働きのさまざまな分野で、積極的に自分たちの能力を用いて奉仕をするものが増えて来たという事が言えるのではないかと考えます。

3.聖書に見る聖霊の賜物

 伝統的なペンテコステ派の人々の賜物の理解は、初期の極めて素人的な聖書の読み方ではありましたが、自分たちの体験のモデルを聖書の中に見つけ出そうとした、あるいは、自分たちの特異な体験を聖書によって説明しようとした、素直な態度から生まれたものと言えるでしょう。細部においては様々な誤解を含みながら、歴史に揉まれ続ける事によって、正しいものになりつつあると考えられます。それに対し、カリスマ・第三の波運動の人々は、自分たちが伝統的に持っていた神学の枠の中で聖霊の賜物を理解しようと試み、結局、聖霊の自由闊達で複雑な働きである賜物を、聖霊のことをあまり知らない時代に、聖霊抜きで構築した、「神学の枠という牢獄」に閉じ込めてしまったと言えそうです。このような運動がどのくらい継続するかは非常に興味深いことです。  

a.賜物の教会論的見方

 聖書に記されている聖霊の賜物は、個人主義的なキリスト教には理解できないものです。なぜなら、聖霊の賜物は徹底して教会論的な理解を必要とするからです。賜物に「聖霊の」という修飾がついているため、聖霊論で取り扱われるものと考えがちですが、むしろこれは教会論で取り扱われる主題です。たとえば、Iコリント12章から14章に至るいわゆる賜物の章は、賜物に焦点をあてて読むと正しく理解することができません。これらの章は教会について語っているものであり、とくに教会の中での多様性の一致を強調し、それを賜物という具体的な事柄を取り上げて説明する中で、賜物についてもある程度の説明が加えられているのです。

 この章全体を「聖霊の賜物の章」と考え、それに続く章までも賜物についての言及と見るようになってしまったのは、多分、翻訳の影響によるところが大きいと思います。1節において「御霊の賜物について」と翻訳されている部分は、英語においても日本語においても、大部分の聖書がそのように訳していますが、原語では「霊的な事柄」というほどの意味であって、聖霊の賜物という意味はありません。このように訳したのは、4節以降に聖霊の賜物についての言及が続いているため、それに調和させるためなのでしょう。

 しかしもともとの意味が「霊的な事柄」だとすると、聖霊の賜物と理解する必要はなく、むしろ3節までを見ると、救いと聖霊の関係、あるいは聖霊による新しい生き方について述べているのであり、教会論の範疇に入ります。そして、その教会論の中で、4節から聖霊の賜物の多様性、あるいは働きの多様性を述べると共に、「同じ御霊」、「同じ神」、「ひとつの体」、「ひとつの御霊を飲む」などの言葉をもって、一致ということを語っています。すなわちパウロは、ここにおいて多様性の一致という、教会の最も大切な局面を教えたのだということが明らかです。そして話を自然に体のたとえに移行させ、キリストのみ体もまた普通の体と同じように、各々の肢体に与えられた能力である賜物が有機的に機能し、互いの助け合いとなり、全体の調和となって成長して行くのだと語っているのです。ですから、パウロの筆の運びから見ると、パウロが1節で言おうとしたのは「聖霊の賜物についてぜひ知っていて欲しい」ということではなく、「霊的な事柄である『教会について』、なんとしても知らないでいて欲しくない」という事だったと、考えるほうが正しいのです。

 パウロは確かに聖霊の賜物について語っています。ただし、それは教会というものが多くの異なった人々、さまざまな能力や資質を持った人々によって構成されながら、おなじ聖霊によって一致調和して存在すべきものであるという事を、賜物と働きという側面から説明したのです。そして結論的に、教会のすべての構成員は自分を喜ばせるためではなく、全体の益になること、すなわち『教会の徳を高める』ために、自分に託されているあらゆる能力と資質を用いて、生きるべきであるということを教えたのです。

 このように読んで見て初めて、教会の中における、またひとりひとりの信徒の中における賜物の位置、重要性というものが解って来るのです。伝統的ペンテコステ派の人々の理解にしても、カリスマ・第三の波の人々の理解にしても、決定的に足りなかったのはこの教会論的な理解です。確かに賜物は教会全体の益のために用いるのだというような、表層的な教えはありましたが、それは有機体としての教会を理解しないままでの教えですので、表層的でしかあり得ないのです。

 まず、賜物の出所は、それがどのような賜物であろうと、同じ主、同じ聖霊であるという事です。そこに基本的な有機性を見なければなりません。主が御心のままに、賜物を分配なさるのです。その種々の賜物の中に、主の御心による有機的繋がりを認めなければなりません。ばらばらの、互いに関連性のない、個々の賜物などはあり得ないのです。そして賜物は具体的に繋がりを持って活用させるべきものだという事です。

 次に、賜物は教会に与えられた物であって、個々のクリスチャンの所有として与えられたのではないという事です。キリストのみ体という共同体に与えられ、キリストのみ体の個々の肢体の管理と活用に任せられていながら、あくまでもみ体全体の益のために与えられているという事なのです。個人主義的クリスチャンは、このようなことにまったく関心を示しません。自分に託されている賜物を自分に与えられたものと勘違いし、すべて自分の益のために用いているのが普通であるだけでなく、自分の能力を神から託された賜物である事さえ理解していないのです。本来教会に与えられた賜物を、託された個人が、教会とはなんら関わりのない自分の家庭、仕事、儲け、趣味などのために用いているのです。また、主の栄光のためと言いながら、教会の事など少しも考えずに自分の好き勝手な事ばかりして、迷惑を掛けている人もいます。本来成長したクリスチャンの仲間に入れられるべき宣教師たちの間にも、地域教会や有機的教会の事を爪の垢ほども考えないで、自分の功績ばかり追及しているとしか思えないような、活動をしている者が数多くいます。

 賜物は教会の中で、教会の調和と一致の理念の中で用いられるべきものです。ですから、体のすべての肢体が、常に全力で機能する事が良い事ではないように、個々のクリスチャンに託された賜物も、常に用いられる事が良いとも限りません。他の体の部分と調整するために、半分の力だけを用いたり、まったく休んだりする事さえ大切な場合があります。教会の中の強い者が、弱い者のために歩調を緩める思いやり、痛んでいる者のために荷物を軽くして共に担ぐいたわり、失敗して落伍しそうになっている者を裁かず、手を伸ばしてあげる寛容が必要なのです、御霊の賜物は御霊の実によって覆われて用いられなければ、誇り高ぶりとなり、痛め傷つけるものとなってしまうのです。賜物は教会全体の益のために与えられています。教会に益を及ぼさないような賜物の用いられ方は間違っています。

 このようにして、賜物が教会という共同体の中で共同体全体の益のために用いられて行くことによって、共同体全体として、主に与えられた使命を遂行して行けるようになるのです。賜物には宣教の働きに直結した物もあれば、直接には何の関わりもないように思える物もあります。しかし、教会は機械的組織ではなく有機的共同体です。すべての部分の働き、すべての肢体の機能が、体全体の益のために活動し、体全体として与えられた働きを成し遂げて行くのです。

b.賜物の種類

 ところで、先に、ペンテコステ派の人々とカリスマ第三の波の人々に、賜物の理解に違いがある事について触れましたが、この点についてもう少し説明を加えながら、話を進めましょう。初期のペンテコステ運動の人々には、賜物を超自然の能力に限る傾向がありました。現在ではそこまでは行かなくても、超自然の賜物をより重要視する傾向があります。超自然の賜物を強調するのは、何もペンテコステ派の人間に限った事ではなく、カリスマ・第三の波運動の人たちの間にでも普通の現象のようですが、ペンテコステ派の間にその傾向がより強いと感じられます。一般的に、ペンテコステ派の人々は生まれながらの能力や、学習や訓練によって習得した能力を、単なる能力とみなして賜物とは認めないのに比べ、カリスマ・第三の波に属する人たちは、より広く理解して、天性の能力、後になって習得した能力、さらには生まれつきの性格や資質、さらに資産や財産までも賜物と見るようです。

 ペンテコステ派の人々は「聖霊の」という修飾語を大切にし、聖霊に直結しない能力は聖霊の賜物とは看做したくないように感じられますが、「聖霊の」という言葉をそのように狭く理解する必要はないと考えます。パウロの記述によれば、聖霊が、召されたひとりひとりをキリストのみ体にバプタイズしてくださったのですが、また、「神は御心に従って、体の中にそれぞれの器官を備えてくださった」と語り(Iコリ12:18)、バプタイズされたひとり人ひとりは、賜物として教会に与えられているのだとも、言っているように読み取れます。これはエペソ書4章3−16で語っている事柄と、基本的に同じです。信徒たちの能力や資質が賜物であるだけではなく、信徒たちそのものが賜物なのです。神は、悪魔の子として自分の父に仕えていた者たちを、キリストの血潮で買い取ってご自分の所有とされ、その買い取られた者を賜物として、教会にお与えになったのです。ですから、聖霊によってバプタイズされた者は、所有するすべての資質すなわち、力、能力、性格、身分、学力、資産、地位などと共に、あるいは弱さ、不完全さ、失敗もあり成功もあった過去の様々な経験などをも含めて、キリストによって、ご自身の血潮をもって聖められ教会に与えられたのです。ロマ12章に列挙されている賜物の中には「分け与える人」や「慈善を行う人」が含まれていますが、これは賜物が単なる能力だけに限られたものではなく、資産とか家柄というものまで含んだ、広い概念であることを示しています。

 ペンテコステ派の人々は生まれながらの資質や、天性の資質などは聖霊の賜物ではないと考えたり、超自然の聖霊の賜物との間に区別を設けたりする傾向がありますが、それを正当化できる聖書の言及はありません。ロマ12章に挙げられている賜物はすべて「自然の」賜物です。「預言」でさえ超自然と考える必然性はありません。パウロがルカ文書と同じような意味で、「預言」という言葉を用いたということは大いにあり得ますが、そうだとすると、ここで言われている預言は必ずしも超自然の預言と理解する必要はなく、神のみ言葉を預かって語る預言、すなわち現代の説教に近いものと考える事ができるからです。そうすると、Iコリント12章の9つの賜物も、すべて超自然の賜物と理解しなければならない理由は無くなります。それはまた、この9つの賜物が、聖霊のバプテスマを受けた者だけに与えられるものであるという理解も、根拠が無くなります。

 とは言え賜物の中には、確かにペンテコステ派の人々が強調する、直接聖霊が関わる超自然的な能力もあり、また、聖霊のバプテスマを受けた者だけが持つ事ができると、考えられる賜物もあります。たとえば、使徒の働きの記述によりますと、異言は常に聖霊のバプテスマと関連付けられています。著者のルカはパウロの教えを受けた人物であり、使徒の働きがパウロの目に触れた可能性さえある事を考え合わせると、そこにパウロの神学との協調性が充分に考えられます。そうすると、パウロが語る異言の賜物は、聖霊のバプテスマを受けた者だけが持つことの出来る賜物であると、仮定することが可能です。少なくても、聖書からも実際の体験からも、この仮定を否定することは出来ません。

 ペンテコステ派の人々が、Iコリ12章の9つの賜物を持つことが出来るのは、聖霊のバプテスマを体験した者だけであると主張したのは、その体験があまりにも素晴らしく、有頂天になってしまったからとも言えますが、もうひとつの理由は、その体験をした者たちが、より積極的に、より大胆に、より頻繁に、そしてより効果的にそれらの賜物を用いていたという事実があったからです。

B.賜物の活用

 聖霊の賜物は非常に幅の広い概念であり、無理に聖霊との関連を強調する必要はないと考えられます。「聖霊の」という修飾は、教会というものが一から十まで、すべて聖霊との関係によって存在し、成り立ち、機能しているという事実から用いられたとのだと判断されます。キリストがお語りになった譬えの中に、主人が遠くに旅立ってまた帰ってくるまでの間、僕たちが仕事を続けることが出来るように、タラントが預けられる物語があります。これは、キリストの昇天から再臨までの間、弟子たちに託される仕事とその仕事のために預けられる賜物を物語っているのですが、ここで、タラントをお預けになっているのはキリストご自身です。つまり聖霊の賜物は、キリストの賜物でもあるということなのです。

 キリストのタラントの譬えで大切なのは、託されたタラントを忠実に用いることです。預けられたタラントの多少に関わらず、また、儲けの多少にも関わらず、信頼され、預けられたものを、忠実に用いることが最も重要であると教えられています。用いられなかったタラントは取り上げられてしまったことに、注意を促すべきです。

1.賜物の自由な活用

 キリストのみ体にバプタイズされたすべての人々が、教会に対する賜物であり、それらの人々が持っている、あらゆる能力や資質も賜物であるという事ですから、賜物をまったく持っていない信徒というものはありません。すべての信徒が何らかの形で互いに貢献しあい、教会全体としてキリストから託された使命を遂行して行くのです。

 従って非常に重要なことは、信徒たちの活動です。本来教会というものは、すべての信徒たちの自由闊達な、有機的活動で成り立つべきものです。しばらく前に、「信徒の動員」という意味の言葉が盛んに用いられたことがありました。すべての信徒が賜物を持っているのであるから、その賜物を充分に生かすために、できるだけ多くの信徒たちを動員するのが、教会の成長の秘訣であるという考え方です。これは、もっぱら教職だけが働いている現在の教会活動のあり方に警鐘を鳴らし、もっと信徒たちを生かし、賜物を用いて行くという意味で聞くに値する意見です。しかし、本来、信徒は動員されてはならないものです。動員されるとは、もともと活発ではなく、放って置かれたものを取り込んで用いて行くということですから、教会の本当の姿を現してはいないのです。教会とは、はじめから信徒の活発な活動、自発的な参与参画を前提として存在するものであり、信徒を動員しなければならなくしてはいけないのです。

 聖霊が召されたものを教会にバプタイズしてくださった時、その人間がキリストのみ体である教会の、活発に機能する肢体となるようにと、バプタイズしてくださったのです。体につながって栄養だけはもらいながら、何の機能も果たさず、少しも役に立たない「いぼ」のようになるために、バプタイズしてくださったのではありません。信徒たちは教会の寄生生物ではありません。信徒たちが教会なのです。現在の私たちの教会の最大の問題のひとつは、教会が教職者たちの商店となり、信徒たちはお客さんになっていることです。教職者たちが主役になって、信徒たちは脇役に回されてしまっていることです。 

2.賜物を活かす賜物

 信徒たちの中で、指導的役割を果たす賜物を持っている者が指導者になる事は当然であり、それはそれで良いことです。しかし、その指導者たちが他の信徒たちの役割としている働きを、取り上げてしまってはならないのです。エペソ書4章のパウロの教えを読むと、教会の中の使徒、預言者、伝道者、牧師または教師の役割は、自分たちだけですべての働きをやり遂げてしまう事ではなく、信徒たちを整えて、彼らが働く事が出来るようにしていくこと、すなわち教会に賦与された様々な賜物を活かす事です。言うならば、様々な賜物を活かす賜物を持つものが指導者です。ここで「整える」と訳されている言葉は、元々、外科医が骨折などを治療するという意味で用いられていたもので、修理をするとも準備をするとも訳される言葉です。キリストがガリラヤ湖のほとりで漁師たちをお召しになった時、漁師たちは網を繕っていたと言われていますが、この繕うと訳された言葉が、原語では整えると訳された言葉と同じであるという事です。

 従って、教会の指導者たち、現在で言うならば教職たちを含む働き人は、賜物を活かす賜物を与えられた信徒であり、他の信徒たちが、各々に任せられた賜物を最大限に活用し、教会として活動をして行く事が出来るように、予め修理をし、準備し、整えておく事こそが彼らの仕事です。たとえば、宣教師が宣教の働きを進めて行くのは当たり前ですが、その働きを自分ひとりの力で進め、自分の功績とするのではなく、あくまでも教会の業として宣教を進め、自分の周囲の信徒たちすべてと共に賜物を活かし合い、宣教の業に参画して働けるようにするのです。信徒たちが宣教の業に参画し、賜物を活用できる働き場を見つけ、働きをよりよく遂行できるように賜物を整え、教え、指導し、訓練し、励まし、また、修繕をして行くのです。牧師が牧会の働きをするのは当然ですが、これも牧師の専門の働きと考えて、一人で進めるのではなく、教会の信徒たち全員の参加を促し、全員の力で共同の業としてやって行くのです。信徒たちが自分たちに託された賜物を用いて、司会をし、奏楽をし、小さな集会の責任を持つ事は、普通に行われている事でしょう。また、役員として牧師を補佐する信徒たちもいる事しょう。牧師の右腕と言われるような、便利な信徒も出て来ることでしょう。しかし、あらゆる集まりで説教をし、聖書を教え、責任をもって教会の活動計画を作成し、伝道のプログラムを考案し、訪問伝道に歩き回り、家庭集会の開催を推し進めていく信徒がいて良いのです。と言うより、そのような信徒が出現すべきなのです。信徒は牧師の右腕ではなく、キリストのみ体の肢体なのです。

 牧師の働きは、現在の牧師たちが行っているような働きすべてを、信徒たちがそれぞれに任せられた賜物を用いて、協力しながらやり遂げて行けるように、整えて行くことです。ひとりの信徒には無理であるならば、多数の信徒で出来るようにするのです。現在の私たちの団体の教会は、公平に見てなかなか優れているものが多いと思います。しかし、牧師より説教が上手な信徒がいる教会は、滅多にあるものではありません。牧師より聖書を教えるのが上手な信徒がいる教会も、知りません。教会の中には、牧師より優れた説教の賜物を任されている信徒もいるはずであり、牧師より上手に教えることが出来る賜物を、委ねられている信徒もいるはずです。

 教会の中には、牧師には出来て信徒には出来ないという働きはありません。教職にだけ許されていて、信徒には許されていない働きがあるという考え方は、たとえ実際的な多くの理由があるにせよ、基本的に誤った教会論に基づいていると言わざるを得ません。たとえば私たちの教団では、原則的に、正教師でなければ洗礼式と聖餐式、ならびに結婚式と葬式を執り行うことができません。信徒の中に聖職者と平信徒という二重構造を持つことは誤った差別です。もちろん、たとえば結婚式や葬式といった、より社会的要因の大きな事柄については、社会的な信用などを重んじて、ある程度年齢の進んだ正教師が執り行うことには、それなりの意味がある事でしょう。また法律的に代表役員となっている牧師には、牧師にしかできない働きもあることでしょう。しかし、教会の働きとして、洗礼と聖餐は福音宣教の基本であり、宣教の一部です。それを信徒の集団である教会から取り上げ、教会の中の少数者に過ぎない者の独占にするのは、聖書の教えに反します。システム、制度、組織が、自由闊達な賜物の性格を殺してはならないのです。

 教職者制度は長いキリスト教の歴史の中で形成された習慣であり、誤った教会の誤った伝統です。プロテスタント教会は、カトリック教会に反対して形成され、神学も多くの分野で反カトリックではありましたが、聖職者を中心に発展させられた神学と制度は、多くの分野でそのまま引き継がれてしまいました。余計な分野でカトリック教会と戦いたくはなかったのか、真実な意味で聖書の教えに戻ることができなかったのです。

 プロテスタント諸教派の中でも、「信徒の活動」という様相が強かった、アナバプテストや分離派の中には、急進的な聖書主義をとる人々出現し、聖職者中心主義から信徒中心主義に移行して行きましたが、この人たちがプロテスタント教会の中心になる事も、神学の分野で指導的立場を取る事ありませんでした。神さまがそれをお許しにならなかった理由が、他にあるのでしょう。ただ、はっきりしている事は、現在の多くの教会が取り入れている教職制度は、多くの局面で聖書の原則に反し、本来の、信徒の集団としての教会のダイナミックなバイタリテイー、自由闊達な活力を失わせる傾向にあるということです。指導者の役割は、信徒全員が賜物を活かして主に仕え、教会の徳を高めて行けるようにすることです。

3. 正当化できる指導者制度

 指導者制度は、賜物を活かしたものでなければなりません。現在の教職制度の存在が正当化されるのは、教職制度そのものが賜物を生かした制度となり、また、賜物をより活発に活用させる役割分担となる場合だけです。すなわち、教職制度という制度があるから、その制度に法って教職を育てるのではなく、賜物を活発に用いて活動していることが教会全体に認められ、また受け入れられ、さらに指導者としての資質も品性も備わっていると判断されて、教職者として押し出され、立てられるのならば良いのです。ところが現実は、そのような賜物の行使が認められる前に、聖書学校に送られ、聖書学校を卒業すると教職者になる資格が与えられるという、道筋になっています。その結果、教職者として必要な賜物を与えられていない者が、教職者になってしまう悲劇が起きています。ない袖は振れぬと言いますが、ない賜物は行使できないのです。牧師になるに相応しい賜物を持っていない者が、牧師となってはいけないのです。一方、教職者と言われる立場とその働きで主に仕えるべき、指導者としての賜物を与えられている多くの信徒たちが、教職者になれないばかりに、賜物を活かすことが出来ないでいるという、悲しい事実も存在します。

 聖書学校が、教職者になるに相応しい賜物と資質を示している者に、さらに良い訓練の場を提供するためにあるのならば良いことです。しかし実情は、聖書学校を出ていない者は教職者とはなれないか、非常になりにくいのです。聖書学校という狭い門を通る事ができるのは、ごく僅かの者だけです。多くの者は賜物を与えられ、それを用いたいと願い、その場を求めていながら与えられないで、教会の椅子を暖めるだけの信徒になっています。少数の者だけが賜物を用いる場を与えられ、賜物を磨き、教職者となる資質を見せていますが、彼らの中の殆どが、聖書学校に入るだけの条件は整わず、結局、賜物の最善の行使が出来ないでいます。

4. 賜物の活用と謙遜の美徳

 教会は、ありとあらゆる賜物が自由闊達に行使され、賜物を行使する者同士が互いに認め、互いに尊敬し、互いに受け入れ合う事によって機能し、与えられた使命を果たしていくことができるのです。どのように小さく見える賜物でも、それが主の栄光と教会の益のために用いられる時は、大いにそれを喜び、感謝し、認め、受け入れて行く事が肝要です。時には、賜物が道筋を外れて、主の栄光にも教会の益にもなっていないことさえ出てくるでしょう。それをまた上手に修正し、正しい賜物の用いられ方に、直していく賜物を持っている人も出てくることでしょう。賜物の行使は大いに認められ勧められ、励まされ受け入れられるべきです。賜物は隠しておく謙遜の美徳のために与えられたのではなく、用いられるために与えられたのです。

 日本人は、自分の能力を隠しておくことに美徳を感じます。あるとき、お花を教えて生計を立てている姉妹に、講壇の横のお花を生けてくださるようにお願いしたところ、「私など、とてもそのようなことは・・・・」と断られてしまいました。「こんな貧乏教会の小さなお花を、何で私が生けなければならないの?」と言われたのかと、思わずひがみそうになりましたが、お断りするのが、美徳であると考えておられた様子です。それに比べると、私の愛するフィリピン人たちは、謙遜という言葉をあまり知りません。ちょっと教えると何でも出来ると思い込みます。お花のことなど常識程度しか知らない家内が、フィリピンの聖書大学の女子学生たちに、日本の文化という話の中でで、2時間ほどお花の実践をした事があります。すると、その女の子たちは早速、「私たちはお花を知っている」と言い出しました。フィリピン人は天真爛漫なでしゃばりです。フィリピンで育った私の娘に、「私は知っている」と言わさず、「わたしにできる」と語らせないために、随分苦労したものです。フィリピン人には申し訳ないのですが、フィリピン人と初めてお付き合いをする人は、彼らの「安請け合い」に注意しなければなりません。何でも気軽に「俺に任せておけ。大丈夫。」と言って安心させてくれるのですが、まず、殆どの場合は、何だかだで、結局できず仕舞いに終わってしまうのがオチです。

 ですから、フィリピン人クリスチャンは、教会で伝道の話をすると、すぐ、伝道について知っていると思い込みます。すぐ、自分にも出来ると考えます。そして、誰にも相談しないで、適当なところで伝道を開始します。多くの場合は、失敗に終わります。しかし、十にひとつくらいは成功します。何もしないよりはよほど良いのです。そして失敗した90パーセントの者も、まったく悪びれず、深刻にもならず、ちょっと励まし指導すると、また試みます。わたしが北部山岳地で14年間働いて、宣教師を辞めるときには、九つの教会と、およそ、50ほどの伝道所が建てられていましたが、そのほとんどが、このようなフィリピン人の性格から来る、信徒たちの自主的な伝道活動によるものでした。賜物を用いると言う事では、フィリピンの教会は日本の教会より、ずっと優れていると言わざるを得ません。宣教師として私がしたことは、彼らをおだててその気にさせ、その気にさせ続けて止めなかった事だけです。神は彼らにも、賜物を豊かに与えておられたのです。自分に任せられた賜物について誇ることは愚かですが、隠すことはさらに愚かです。賜物は主に委ねられた物であって、自分の物ではないのです。

 賜物は用いられなければ失われてしまいます。反対に用いられると増えていきます。それはキリストが、タラントの喩えをもって説明しておられる通りです。私たちの教会は実に多くの賜物を失って来たのではないでしょうか。また、失いつつあるのではないでしょうか。その理由のひとつが、日本人の美徳である謙遜であるとしたら、謙遜もほどほどにと言いたくなります。

5.賜物の活用と寛容

 日本人はまた、異常なほど間違いを恐れます。間違いや失敗を指摘されることを非常に恥ずかしい事として嫌います。また、間違いを犯した人や失敗をした人をなかなか許すことができず、あれこれと言い続けます。まさに一億総批評家です。寛容を持ち合わせず、寛容を期待出来ないのです。そのために、何事をするにも非常に慎重になり、間違いを犯さないように、準備に大変な時間と費用と労力を費やします。立派に物事をやり遂げるために、慎重な準備をするには越した事はありませんが、物事を最善にやり遂げるためというより、他人から後ろ指を指されたくないから、後で批判されたくないからと言って、慎重に慎重に物事を準備する事が、いかに多い事でしょう。

 日本のことをよく知っているイタリア人が、「日本人は100円のビジネスに1000円かけて準備をする」と笑っていましたが、笑えないところがあります。たしかに日本人は、石橋を叩いて渡らないどころか、叩きすぎて壊してしまい、結局、渡れなくしてしまう事があるからです。その点、アメリカ人などちょっと叩いただけですぐ渡り始めます。フィリピン人などは叩きもしないで先ず渡り始めます。ですから何でもすぐに始まります。始まってすぐ失敗しても、誰もあまり厳しい批判もしません。失敗した本人もたいして悪びれる様子もなく、懲りずにまた何かやり出します。フィリピン人にとって大切なのは、何か新しいことを始める事で、それを持続する事ではありません。ですから国家プロジェクトから始まって、町内会のプロジェクトまで、毎年新しい事が始められ、2、3ヶ月後にはそれが放棄されて建物は廃墟となり、施設はみな放棄されて泥棒の盗むままにされます。そして次の年にはまた新たなプロジェクトが作られ、盛大に完工式が行われ、開催式が挙行されます。人々は食べて歌って楽しみます。そしてまた来年が来るのです。

 このような外国人たちと協力して仕事を進めると、歩調が合わずに大変苦労します。私たち日本人があれやこれやと考え、将来のことを予測し、想定し、資源を調査し、持ち駒を評価し、可能性を考えている間に、彼らはさっさと始めてしまうのです。そして、日本人がやっと「よし、やれそうだ。やってみよう」といって重い腰を上げ、話しに加わろうとする時には、もう彼らは他の事を始めているのです。「あれ、あの話はどうなったの」というと、「何をいまさら。あれは上手くいかなかったから、もう止めにして、次の方法を試しているところじゃないか」となるのです。それぞれ長所短所がありますが、賜物を活用すると言う意味では、フィリピン人のやり方に軍配が上がります。賜物は用いられてみて初めてその有無が判るものであり、用いられなければ有無も判らず、改善する事も磨きをかける事もできないからです。

 本来、教会の働きはビジネスの働きと違い、専門家集団の仕事ではなく、基本的に素人の仕事です。賜物を用いようとして失敗する人がいても、それを受け入れ、許し、励まし、慰める人がたくさんいなければなりません。寛容のないところに、本来の自由闊達な賜物の活用はありえません。賜物の活用には必ず失敗が付いて回るからです。さらにまた、喜んで他人の失敗の後始末をする賜物を持っている人が、現れなければなりません。「聖徒たちを整える」という言葉には「修理をする」という意味もあるのです。整えるとは修理をし、後始末をし、次に備えることです。そのような寛容な精神を持たずには、賜物の力は発揮されないのです。

 日本では、あまり洗練された能力を持っていない人が何かしようとすると、善意を持ってそれを止める人がたくさん現れます。フィリピンでは善意を持って励ます人がたくさん出現します。日本では始める前にたくさんの警告をもらうのが普通です。フィリピンでは、大概は無責任な言葉ですが、それでも励ましと支援をもらえます。繰り返しますが、フィリピン人が「俺に任せておけ」と言うときは、絶対に信頼して任せてはなりません。裏切られて、フィリピン人が嫌いにならないためにです。せいぜい信頼しないで任せることです。そんなわけで、日本では信徒が何か始めると、牧師が「だめ」と止めがちです。フィピンでは勝手にさせてもらえる事が多いようです。私たちは教会の中で賜物を用いようとしている人に対して、フィリピン人ほどにはならなくても、せめてイエス様ほどにはなりたいと思います。失敗ばかりしている弟子たちを信頼して、仕事をお任せになっているのです。イエス様は、弟子たちの失敗の後始末をする覚悟でおられたに違いありません。失敗から学ぶことの大切さを、イエス様はご存知だったのでしょう。

 日本の教会で、教会を飛び出す熱心な信徒の多くが、自分がしようとしている事を牧師に止められたために、いやになった者たちです。走り始めてスピードに乗りだしたころ、「だめ」と止められると、ガツンとぶつかって転んでしまうのです。しかし、スピードに乗っている者を褒め、励まし、さらにスピードに乗らせ、ちょっとだけ横からサジェッションをして、ほんの少しだけ方向を変えるのは、あまり難しくありません。2回か3回、ちょっとだけ方向を変えさせると、最初とは随分ちがう正しい方向へ向かうものです。賜物は、第一に自由に溌剌と用いられるべきです。賜物を用いようとして失敗したものを責めてはなりません。悪いのは賜物を用いようとしないことです。用いようとしている者を止めてはなりません。方向が誤っているならば、励ましてあげながら、ちょっと横から力を貸すと、方向は変わります。「やー、それはいいね。ぜひやったらいいよ。特にこの辺はいいなあ。そして、ここはもうちょっとこうしたらどうかな」と一緒に考え、祈って上げるのです。

C.賜物のシステム化

 賜物と言う物は神からの物であり、自由闊達に用いられるべきだと述べましたが、自由闊達に用いられておればそれで良いと言う物はありません。賜物は、教会として、キリストのみ体としてより効果的に用いて行けるように、上手にシステム化されなければなりません。体全体が調和を保つためには、それぞれの肢体が自分をわきまえ、自分の機能を知り、自分の出幕を心得ていなければならないのと同じです。このシステム化、あるいは組織化は人為の働きです。

1.賜物とシステムを取り違えない

 賜物を整備してより良く使われるようにし、より良く機能するようにするのがシステム化です。システムは賜物ではありません。賜物とシステムを取り違えてはならないのです。またシステムは、賜物を使いにくくしたり、機能を弱めたりするために存在するのではありません。賜物は先ず、自由闊達に用いられるべきであり、何よりもそれが優先されるべきです。そし次に、それが上手に機能し、互いに補い合い、助け合うように、システムが作られ組織が建てられるのです。システムや制度、あるいは組織と言ったものを先行させて、賜物をそこに押し付けるのは前後が逆です。賜物があってシステムが必要なのです。

 また多くの場合、システムあるいは組織というものは、いったん作り上げられると、自由闊達な働きを効果的にするという本来の目的を失い、それ自体の存続のために働きだすという性質を持っています。つまり、日がたつにつれて、賜物がシステムに取り違えられてしまうのです。たとえば教会の長老とか監督と言われる立場は、教会全体の賜物がより円滑にまた効果的に用いられ、機能するために設けられました。しかし間もなくこれは、多くの信徒の賜物を用いさせないで、選ばれた小数の特殊な人々が、働きを独占するために存続するようになりました。聖書学校は本来、賜物にさらに磨きをかけるために創立されました。しかし間もなく聖書学校は、そこで学ばない人は教職にはなれないようにする、狭い門となり、多くの人々の賜物を用いさせないようにする、効果的手段となりました。

 システムや組織は存在しなければなりません。それは有機体である教会の骨格のようなものであり、それぞれの部分を体として調和の取れた存在にさせるものです。手が手首に繋がり、腕に繋がり、肩に繋がり、足がすねに繋がり、膝に繋がり、腰に繋がるように、それぞれの持ち場で最善に機能させるのがシステムや組織の役割です。教会とは個々のクリスチャンが自由に集まり、それぞれの賜物を活発に用いて自由に活動するだけでは足りないのです。それぞれが有機体として繋がっていることを理解し、さらによりよく機能するように、それぞれの賜物に応じて持場立場が与えられ、体を形成するのです。クリスチャンたちがそれぞれ自分の能力や技術などの特性を生かして、主のためにまた教会のために活動するのは素晴らしい事です。しかしただ、てんでばらばらに活動し、脈略もないまま勝手に動き回っていたのでは、効果的な働きは出来ないばかりか、互いに相反する力となったり無駄な重複となったりしてしまいます。

 しかしその一方で、システムや組織を先に立てて、実際の賜物の有無を確かめず、ただシステムや組織があるからといって、それに人間を当てはめるような事をし出すと、賜物は生かされません。まず、自由な賜物の行使が生かされ、用いられるようになり、それがよりよく形を整え機能するように、システムとされ組織とされて行かなければなりません。賜物がなければシステムも組織も機能しないのです。キリストは使徒という役職を制定し、その職のために12人を選んで任命されたのではありません。むしろ多くの弟子たちの日ごろの生活態度や能力を、じっくりと時間をかけて観察し、深い祈りをもってそれらを吟味し、ご自分のお働きを託すに相応しい12人を選び出し、その上で、彼らに使徒という名前をお与えになったのです。役職や立場が先ではなく、賜物の行使が先なのです。

 もうひとつ大切なのは、システムや組織はあくまでも暫定的なものであり、地域や状況によっても異なるものであると知ることです。たとえば、家族や親族、あるいは地域社会の人間関係を非常に重要視する文化の中の小さな開拓教会が、欧米流の個人主義に根ざした青年会、婦人会、壮年部などという組織を模倣するのは、はたして効果的でしょうか。人々の賜物もまた、文化や社会状況によって異なった行使の仕方になって現れます。ですから、作り上げるシステムや組織は常に柔軟でなければなりません。それは有機的命を生かすための無機的な殻であり、骨格なのです。

 ずいぶん前のことですが、海岸の岩の上を歩いていると、脱皮をしている最中の蟹に出くわしました。しっかりと岩をつかみ、体をふるわせながら、なんとも頼りなげなあめ色の柔らかい蟹が姿を現しました。それが意外に早く殻を脱ぎ捨て、静かにたたずんでいたかと思う間に体が茶色くなり始め、やがて、脱ぎ捨てたからを置き去りにして岩間に消えて行きました。息をひそめて見つめながら、自然の神秘に触れた気がしました。あのような複雑な形をした殻を、よくも上手に脱ぎ捨てるものだと、驚嘆する思いでした。まだしっかりと岩を抱いている殻をそっと取り上げてみると、殻はカサコソと以外に軽く、波を呼ぶ風に吹き飛ばされそうになりました。私はこの殻を長いこと自分の机の上に置き、自戒としていました。蟹の殻は命である蟹を守る無機質な組織です。これは命を維持するために絶対に必要です。しかし、殻は常に脱ぎ捨てられなければなりません。脱ぎ捨てられるようにできているのです。これをいつまでも持ち続けようとすると、蟹は死んでしまうのです。

 教会がシステムや組織をいつまでも大切に保存し続けようとすると、それが守り生かそうとしてきた命である賜物が死んでしまいます。異なった環境に入ったり異なった賜物が与えられたりしたときに、それまでと同じシステムと組織を、同じように継続し、同じように運営しようとしていてはだめなのです。成長している命に対応した新たな殻が必要だからです。

2.賜物の自由闊達さ

 賜物は本来自由闊達なもの、いわゆるダイナミックなものです。想定不能、予測不可能、臨機応変で、様々な相乗効果を生み出すものです。システムや組織は、本来、この賜物を行使しやすくし、あるいは委ねられている賜物を発見しやすくするものです。ですから賜物の活用を促し、励ますようなシステムが望ましいと言えます。命は賜物にあるのです。その命を充分に躍動させ、効果的に働かせるのが組織です。組織に命があるのではなく、システムに活動の力があるのではありません。命がその性質を現し、「ダイナミック」に活動し出すと、しばしば予想だにしない動きをし、想定できなかった働きを始め、思いも及ばぬ相乗効果を発揮します。すると、「以前の状況」に対応して立てあげられたシステムは機能しなくなり、組織は働かなくなります。

 人間がしばしば陥る誤りは、命がダイナミックに活動しだし、システムが古くなり機能しなくなった時、悪いのは「命」の方であると考えて、命の活動をシステムの中に押し止めようとし、組織の中に治めようとすることです。すると命は萎縮し、やがて死んでしまいます。蟹が自ら殻を捨てなければ生きていけないように、変えられなければならないのはシステムであり組織なのです。教会の歴史を見ると、伝統化した組織やシステムに対抗して、多くの賜物がさまざまな運動を起こし始めました。しかし、殆どの場合、運動は伝統の中に幽閉され、やがては死を向かえることになりました。ほんのわずかな例だけが、枷を打ち壊し、扉を打ち破って新しい運動を起こすことができました。宗教改革しかり、メソジスト運動しかり、そして私たちの母体となったペンテコステ運動も、そのわずかな例のひとつです。

 ペンテコステ運動は、伝統的教会の神学とシステムに対する挑戦であったのです。多くの特徴を持っていましたが、ペンテコステ運動の顕著な特徴のひとつは信徒の運動であり、賜物の活用の運動であり、当時の伝統的な教会の形式や枠の中に収まりきれない、いわば異端児的な運動でした。事実多くの伝統的な教会は、ペンテコステ運動を異端と決め付けていたのです。ペンテコステ運動が今日まで継続し発展拡大してきた理由は、伝統的な教会の組織とシステムに上手に乗って、問題を起こさず歓迎されたからではありません。命である運動が、ダイナミックな賜物の活用を起こし、既存の組織やシステムの枷を打ち壊したからです。しかし、命はシステムを必要とし、運動は組織を必要とします。ペンテコステ運動がやがて組織をつくり上げ、落ち着きを見せ始めると、組織が力を発揮し出しました。そして、ペンテコステ的伝統を作り上げ、新しいものを拒絶し始めただけではなく、かつて戦った当の相手である、教職中心主義をさえ味方に付け始めました。ペンテコステ運動初期の信徒の運動としての形態は、すでに聖書学校運動などで先鞭を付けられていたものですが、これが、聖霊のバプテスマと言うユニークな体験に後押しされて、強烈に発展したものです。ところが、教職中心主義の牙城となっていた神学校に対抗して設立された、その聖書学校自体が、新しい教職中心主義の牙城と変転してしまったのです。

 このようになると、すでに述べたように、大部分の信徒は教会の意義深い活動からは締め出されてしまい、日曜日ごとに席を暖め、献金袋にお金を入れるだけの「忠実な」信徒に成り果ててしまうのです。自分たちで伝道を始め、会衆を立て上げ、教会に発展させ、さらに娘教会を設立して行くような、賜物を自由に駆使する活気にあふれた信徒を、見出す事が出来なくなってしまうのです。

 私たちの教会の賜物に対する閉塞性、異なる人間に対する閉鎖性は、国際協力などを例に採ると良くわかります。現在の世界は一昔前とはまったく様相を変えています。交通機関の発達と情報システムの発展が、世界を小さくしてしまいました。いまや国際化、グローバル化の時代であり、多くの国々の教会は、たとえば東南アジアの発展途上国でも、教会は国際化を進め、国際的な感覚でものを考え、協力体制を築き、働きを始めています。しかし、昔から四方を海で取り囲まれ、島国根性を発展させ、遭遇する殆どすべての事に、日本語と言う特殊な言葉で対応することが出来た、私たち日本の教団は、まったく後進国の感覚しか持ち合わせなくなってしまったようです。いまだに排他主義が当然と思い込み、鎖国政策で上手く行くと考えているかのようです。

 たとえば、国際結婚を考えてみますと、これからの日本でもこれは避けて通れない問題です。多くの国の教会は、何世紀も前にこのような問題を通過して来ました。アメリカの教団には、アメリカ人以外の人々がたくさん入っています。オーストラリアの教団には多くの国の人々が加わっています。フィリピンにもフィリピン人ではない人々が数多くいます。それがすでに、ごく当たり前になっているのです。ところが私たちの国では、それが通常のことではありません。すでに触れたように、これはまさに日本人の罪の原点のような感覚であるにも拘わらず、私たちの教団の感覚として生きているのです。そして、日本人のための教団として作成されたシステムが、今も生きているのです。

 著者は現在も海外伝道部に関わり、小さいながら国際的な働きに携わっています。するとこのような日本の閉鎖的感覚に遭遇し、まさに窒息するような気分に襲われるのです。日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、日本人の血を持った人間の教団でしょうか。それとも日本と言う国をベースとして活動するあらゆる人種の有機体でしょうか。「外国人と結婚した女性は、日本国籍を失って外国人になったのだから」という牧師たちがいるかと思うと、「外国人が私たちの教団に加入するためには、まず日本の国籍を取得するべきだ」とか、「せめて永住許可を取るべきだ」と主張する牧師たちもいるのです。「日本人男性と結婚した外国人女性は、日本人になったのだ」と思い込んでいる牧師も少なくありません。それでも彼らは、自分は外国人を差別していないと、無邪気に思い込んでいるのです。

 トム・クランシーという作家が書いた文章を、そっくり真似てパロデイー化してみました。「日本人は人種である。われわれは人種的にはあらゆる人々と異なっている。要するに純血種なんだ。日本人の血管の中にはただ大和民族の血が流れている。日本と他の国々との違い、日本人を日本人たらしめているのはただひとつ、日本人の血をもって生まれそだったということだけなんだ。単なる血。それだけだ・・・・・。だが、それは実に良く機能している。」もともとの文は、先に脚注で示したように、「アメリカ人は人種ではない。われわれは人種的には世界に生きるあらゆる人々とちがわない。要するに雑種なんだ。アメリカ人の血管の中にはあらゆる国々の人々の血が流れている。アメリカと他の国々のちがい、アメリカ人をアメリカ人たらしめているのはただひとつ、アメリカ合衆国憲法なんだ。単なる規則集。それだけだ・・・・・。だが、それは実に良く機能している」22  と言うものです。


22   トム・クランシー 「大戦勃発」


 私は日本人として、アメリカの文化にはなじめないところがたくさんあります。しかし、この人種と言う感覚においては、絶対に日本人ではありたくないと思っています。アメリカに人種差別がないと言っているのではありません。アメリカの人種差別を非難している日本の中にこそ、アメリカよりよほど根深い人種差別があると言っているのです。私たちの教団は日本の教団として、日本人的感覚を持っています。それを誇りにさえしているところがあるかもしれません。しかし、この日本人の血という感覚は、絶対に教会の中にまた教団の中に持ち込まれてはならないものです。教会は和解の福音によって和解させたれた共同体、人種と文化と言う隔ての壁を打ち破った共同体である筈です。人種問題で悩みぬいてきた社会であるアメリカに育ったクリスチャンたちに、確かに今でも差別意識は残っているでしょう。しかしそれでも彼ら差別は、差別している事に時々気付き、自ら痛みながら行っている差別です。日本人は、自分が差別をしている事にさえ気付かないで差別を行っています。私たちの教団を作り上げたのは命であり、聖霊に与えられた賜物の自由闊達な行使です。しかしこの命は、いまや、グローバラアイゼーションと名づけられた急激な国際化という環境の変化の中で、島国根性の日本人意識という硬い殻に閉じ込められ、身動きが取れなくなりつつあります。この殻を自ら脱ぎ捨てる努力をしない限り、やがて、命は失われてしまうことになるのです。

D.賜物と指導者たち

 新約聖書は、聖霊の賜物と指導者たちを、教会の不可欠な要因として取り上げて語っています。ここでは賜物と指導者たちの関係についてみ言葉を探り、考察して行きましょう。

1. 普遍性と暫定性

 教会には聖霊の賜物が与えられるとい事は、いつでもどこでも、またいつまでも変わらない事実であり、普遍的なものです。しかしひとつひとつの賜物は場所と時代の要求に応じて、かなり異なるものであり、聖霊がお望みになる通りにお与えになるものです。また、教会には指導者が存在し、組織がありシステムがあるというのは普遍的な事実ですが、どのような指導者でありいかなる組織とシステムを持つかという事は、状況の変化によって異なる暫定的なものです。揺籃期のエルサレム教会で必要とされまた発揮された賜物がすべて、他の教会でも必要とされたものとは考えられません。たとえば、バルナバと呼ばれたヨセフは慈善の賜物とでも言うべきものを与えられていました。またそのような活動のために、エルサレム教会では7人の世話役とも言える者たちが選出され、システム化が行われました。しかしこのような賜物が、他のすべての教会にも与えられ、他のすべての教会でも世話役が選出されシステム化されたのではないようです。賜物の種類と組織化は、個々の実情によって異なっているのです。

 したがって、現在の私たちの教会が、新約聖書に記されている賜物と同じ賜物を、すべて所有しなければならないと考える理由はありません。また、新約聖書に記されているシステムや組織、あるいは指導者の種類と言うものを、すべて同じように持っていなければならないと言うのも、誤っています。「初代に帰れ」という叫びは、普遍的原則においては正しく、その適応においては誤っているのです。初代の教会では、広い地域を旅して歩きながら福音を語り、教会を建て、信徒たちを指導して回る、使徒的な働きは非常に重要でした。現在のように印刷物がなく、通信機器もなく、情報のやり取りも実際に会って話をすることが基本だったからです。それと共に、そのような働きをする人々を補佐する賜物も非常に重要でした。旅人をもてなす人。上手に料理をし、一時的に住む場所、眠る場所を提供できる賜物は、なくてはならないものでした。一方現代の、少なくても私たちの日本の教会では、そのような役割をあまり必要としていません。使徒的役割を担う人の重要性は、決してなくなってはいませんが、小さくはなっています。もてなす人も大切ですが、たくさんのホテルがあり交通機関も発達しているために、必要性が軽くなっています。

 何事でもすべて初代に帰るべきであると主張する人たちの中には、レストレーション運動と呼ばれる運動に参加している人々もいます。彼らは、新約聖書に記されているさまざまな賜物と「役職」を、現代にも回復しようと意気込んでいます。彼らの間違いは、暫定的なそれぞれの賜物の種類や資質を普遍的なものと考え、それぞれの状況によって異なる役職やシステムを、いつでもどこでも同じように押し付けようとする事です。また新約聖書には、それぞれの賜物が実際にはどのようなものであったのか、それぞれの役職やシステムがはたしてどのようなものであり、いかなる権威と責任が賦与されていたのかと言う事についての、細かい説明は殆どありません。したがって、レストレーション運動に携わっている人々が言う使徒職にしても預言者職にしても、それが新約聖書の言う使徒職や預言者職と、同じであると言う保証はどこにもありません。彼らは自分たちの考えを聖書の中に読み込むことによって、自分たちの主張を聖書的であると強弁し、一般的に、独りよがりな権威主義に陥ってしまう傾向を持っています。たとえば自分は使徒であると公言し、使徒的権威をもてあそ弄びます。預言者であると公言して勝手な事を言い歩き、多くの教会を混乱に陥れています。按手を取り上げ、自分たちの使徒の役や預言者の役は、この按手によって回復したのだと強調します。これは、何が普遍的であり、何が暫定的なものであるかということの混乱から生じた誤りです。賜物が与えられると言う事、また、さまざま指導者があり、組織がありシステムがあるということは普遍的ですが、どのような賜物であるか、どのような指導者であるか、また組織でありシステムであるかは、まったく時代と場所によって、すなわち状況によって異なるのです。また、かれらは使徒職や預言者職などと言うものに大変固執しますが、果たしてそれらが新約聖書の時代には「職」であったか、はなはだ疑わしいのです。

 先にも触れたように、新約聖書の指導者の働きは、職制による権威の行使ではなく、与えられた聖霊の賜物の行使による指導者だったからです。一般的に、新約聖書時代にあった職制は、使徒職だけだったと言われています。預言者というのは、旧約では職かそれに近いものであったが、新約では職ではなく賜物の行使であったと考えられています。しかし、新約聖書を素直に読むならば、使徒という働きさえも職とは考えられないものです。初期の教会は、自殺したユダの代わりにマッテヤを選出するなど、12使徒を重要視していた様子が伺えます(使徒1:20−26)。しかし間もなくヤコブが殺されましたが、ヤコブの後継者は選ばれませんでした(使徒12:2)。新約聖書の中には、使徒たちが使徒職を担う者として重要な役割を果たしたということが、殆ど出てこないのです。ペテロの働きの重要性は疑いの余地がありませんが、使徒職を担うものとして重要だったのだとすると、かえって矛盾が出てきます。コルネリオの件についての弁明やエルサレム会議において、ペテロは使徒職の権威には訴えていないからです(使徒10:1〜12:18、15:7〜11)。ペテロは自分を使徒として紹介してはいますが、また長老であるとも語っています。(Iペテロ5:1)。ヨハネは自分を使徒と呼ぶより長老と呼ぶことを好んだようです(IIヨハネ1:1、IIIヨハネ1:1)。パウロは自分の使徒性を強く主張しましたが、それは自分の使徒職という職制、立場に固執したのではなく、彼の語る福音の権威に使徒性があり、それは他のどの使徒に比べても劣るものではないと訴えているのです。さらに、もし当時、使徒と言う役職が重要なものとして認識さえていたならば、聖書記者たちをはじめ、教会全体が、もっと注意深く「使徒」と言う言葉を用いた事でしょう。後述しますが、使徒と言う名称はかなり曖昧に、単なる大切な使いと言う意味でも使われるほどだったのです。使徒職に多大の権威を認めていたならば考えられない事です。

 そういうわけで、新約聖書の時代の教会は、強固な永続的な職制と言うものを持っていなかったと考えられます。むしろ彼らが認めていたのは、賜物の行使による指導者としての立場と働きだったと言えます。それぞれに託された賜物を自由闊達に行使し、その賜物と働きが認められ、誰が任命し誰が承認すると言う事ではなく、自然に認められて行ったものでしょう。その自然に認められる過程に、使徒たちの賞賛や推薦があったり、預言者たちの言葉があったりした可能性は、認める事ができるでしょう。ですから、キリストが12人を使徒としてお選びになった場合でも、使徒という永続的な役職を創設した上で12人をそこに入れたのではなく、12人の弟子を内弟子として選び、使徒と言う名前をお与えになったのでしょう。パウロは自分もキリストに出会い、キリストによって特別な働きに任じられ、新たな奥義の啓示を与えられた事をもって、他の使徒たちと同じ権威を持つ事を主張したのであり、同じ役職と、その役職による権威を主張したのではありません。

2.地域教会の指導者

 新約聖書を見ると、明確ではありませんが、地域教会に限定された指導者と、地域教会を越えた有機的教会の指導者、そして普遍的教会の指導者とも言える働きがあったと考えられます。

 地域教会の指導者としてはまず、長老とばれている働きがあります。長老という名は、もともとユダヤ教の会堂の指導者に与えられていた役割で、年を重ね、豊かな人間性を身につけて尊敬を集めている者で、旧約聖書を教え、会堂の構成人員を指導し、責任者として管理を行っていた人物です。揺籃期の教会はこのユダヤ教の会堂をモデルとして建て上げられ、そこからいろいろな要素を取り入れていますが、長老と言う名と働きもそのひとつです。ひとつの地方教会には、必要に応じて一人ないし複数の長老がいて、互いに協力して活動していたと思われます。当時の多くの地方教会は複数の会衆から成り立っていたということを考えると、長老たちはそれぞれの会衆の責任を持っていたのではないかと考えられます。

 この長老はまた、監督とも呼ばれていますが(Iテモテ2:1)、この名前にはギリシャ的な響きが強く、組織の管理者としての働きが強調されていると考えられます。新約聖書の用語としては、長老も監督も同じ働きであると理解されますが(使徒20:17,28、テトス1:5〜7)、2世紀の中頃までには、ひとつの教会の中に複数の長老がいて、その長老たちの上に監督がいるという形ができ上がり、それがやがて複数の教会を監督する権威を得、さらに3世紀になると、より広い地域全体の教会を管理監督する権威を持つようになっていきました。 

 しかし、新約聖書に記されている頃の教会では、長老あるいは監督と言う働きは、一地方教会に限定されていた働きであり、多分、現在の牧師に最も近い役割を持っていたと考えられます。新約聖書には、「牧師」という言葉は一度だけしか使われておらず、まだ一般的な働きとして定着していなかったようですし、その働きの内容は不明です(エペソ4:11)。ただ、このエペソ書の記述をギリシャ語文法にしたがって「牧師すなわち教師」と読むと、牧師の主な働きは教えることであったと理解されます。あるいはこの頃の牧師と言うのは、長老のような管理的な働きには関わらず、もっぱらみ言葉を教える働きに専念していた人たちと考えられなくもありません。また、Iテモテ5:17の記述から考察して、長老にも教えの働きをする長老と、管理をする長老がいたと考えられなくもありません。これらの長老たちの働きはかなりの量であり、ボランテイアでできる範囲を超える場合も多かったようで、会衆が彼らの経済の支援をすることも普通であったようです(Iテモテ5:17−19)

 地方教会に限定されていた指導者には、もうひとつ、「世話係り」とでも言うべき役割の執事と言われるものがあります。エルサレム教会が日々の配給のことで紛糾した時(使徒6:1〜6)、その解決のために選ばれた7人は、執事とは呼ばれてこそいませんが、この役割を果たしたものと考えられ、このような働きをする者が、少し後になって執事と呼ばれるようになったのでしょう。長老は主に霊的な指導と教会全体にわたる管理の働きに関係していましたが、執事は長老の指導のもとで福祉関係の働きをしていたと考えられます。また、執事の中には女性もいたと言うことが記されています。(Iテモテ3:8〜13)。

3.有機的教会の指導者

 一方、ひとつの地域教会を越えて、有機的教会に関わる働きの役割を持った指導者には、まず、使徒があります。使徒という名前は、ギリシャ語では「アポストロス」で、「メッセージ運ぶもの」、「役割を与えられて遣わされる者」という意味で、現在の「宣教師」と同じ語源によるものです。「宣教師」は英語で「ミショナリー」といいますが、これはもともと「派遣」を意味するラテン語の「ミッシオ」から来たものですが、この「ミッシオ」は新約聖書の「アポストロス」の訳として用いられたものだからです。福音書を読むと、使徒の働きの特徴は、行く先々で福音を語り、キリストに与えられた権威を持って、奇跡的業を行っていくことでしたので、まさに言葉の意味の通りです。使徒の働きの記述には、ペテロとパウロと言う二人の使徒の活躍が残されているだけで、使徒の働きについての充分な検証は不可能です。とくに、ペテロの働きはきわめて初期の部分に限られていて、指導者としての使徒の役割はあまり明白に現れていません。ただ、エルサレム教会の揺籃期においては、使徒たちは共同牧会のような働きをして、執事たちの協力を得ていた事が想像できます。また初期のペテロの働きは、キリスト在世当時からの弟子たちの中心人物として、重んじられ、福音宣教を主な働きをしていた事が明らかです。ただしこれらは、教会の揺籃期のきわめて一時的な形であって、いつまでもそのような形が継承されたとは思われません。特に、カトリック教会が主張するような権威の継承があったとは考えられません。

 使徒としてのパウロの働きはもう少し明確であり、ある程度の期間継続した形、少なくてもパウロの生きている間は続けられた形です。パウロの活動を見ると、広い範囲を回り、福音を語り、多くの教会を建て上げ、長老を育てて任命し、あるいは若い牧会者を任命し、必要に応じて数年にわたってひとつの場所に留まり、信徒訓練を行い、常に複数の同伴者を引き連れて歩き、行動によって模範を示し弟子を作っています。もしパウロの働きが、使徒たちの働きの代表的なモデルであると仮定すると、これが使徒の働きと言うことが出来そうです。ただし、使徒の働きと言うものには、これといった明確な規定があったのではなく、むしろそれぞれが自分に与えられた賜物を最大限に活かして、福音宣教に関わる働きに当たったのでしょう。ですから、パウロの働きをもって、これが使徒の働きであると言うのではなく、使徒の働きの好例が示されたに過ぎないと理解すべきです。ただ、パウロの活動を使徒的働きの好例としてその特徴を挙げると、活動の地理的範囲においては、ひとつの地域教会に制限されることなく、広い視野をもって福音宣教に当たることであり、活動の範囲においても、幾つかの狭い活動に制限されるのではなく、「福音のために私はどのようなことでもする」という精神をもって、まさに出来る事は何でもするという働きであると言えます。現代で言う「一般活動宣教師」に近いものです。パウロは福音宣教に命を賭け、教会の設立に情熱を燃やしただけではなく、ひとつの教会に留まってはその教会の成長のために心血を注ぐ長老の働きをし、さらにはマケドニヤやアカヤの複数の教会から義捐金を集め、エルサレムの教会に届ける「有機的教会の執事」ともいえる働きにも命を張っています。

 新約聖書が使徒と呼ぶのは、まず、キリストに選ばれた12弟子と、ユダの穴埋めとして選ばれたマッテヤです。これらの弟子の資格は、@キリストと共に行動し事と、A復活のキリストの目撃者である事(使徒1:22)でした。しかしこのほかにも、キリストから異邦人のための使徒として任命なさったパウロ(ロマ11:13、Iコリ9:1)がおり、彼は自分が使徒である事を12回にわたって弁明しています。彼が主張した使徒の資格は、@主キリストを見たこと(Iコリ9:1)、A奇跡と不思議と力ある業を行った事(IIコリ12:12)でした。さらにそのほかにも、キリストの弟のヤコブ(Iコリ15:7)、バルナバ(使徒14:14)、パウロの親戚(ロマ16:7)、さらに名前を挙げられていない者たち(I、コリ15:7)が使徒と呼ばれています。これらの事実からも判るように、新約聖書の時代は使徒という名前もかなり鷹揚に、あるいは曖昧に用いられていました。使徒としての権威を本当に主張し、それを行使したのはパウロだけのようです。ペテロも当然使徒としての権威を自覚していたと考えられますが、彼はむしろ人々の「尊敬」を力にしていたように読み取れます。

 次に、特定の地域教会に制限されない活動に、伝道者という働きがあったように理解できます。伝道者と訳されているギリシャ語は「福音を宣べ伝える」という意味の動詞が名詞化したもので、そこから、その働きの内容がうかがい知れます。ただし、この働きも、そのような名前の確定した働き、あるいは職性に近いような役割があったとは考えられず、むしろ、そのように呼ぶのが相応しい働きをしている者がいたから、そのように呼んでいたのに過ぎないと思われます。たとえば、新約聖書で唯一明らかに伝道者と呼ばれているピリポは、エルサレム教会で執事として選出されましたが、伝道者としてもエルサレム教会の管理の枠を超えて、文字通り、任せられた賜物を活かし、伝道の働きをしていた事が伺えます。テモテは青年ではありましたが、パウロによってエペソとその周辺の教会の責任を任せられました。彼は長老と呼ばれるには若すぎた事でしょう。ですからパウロは、彼を「伝道者」と認識していたようです(IIテモテ3:5)。とはいえ、彼の働きは、ピリポのようなものではなく、むしろ複数の地域教会の上に立つ管理者のような役割であり、地方教会の監督(長老)を任命する事も任されていたようです。多分、使徒パウロのアシスタントとして、小使徒のような権威を持って働いたのでしょう。同じような働きは、クレテ島の働きに派遣されたテトスにも与えられています(テトス1:5)。

 もうひとつ、預言者という役割が記されていますが、これも公式にそのような名前の付いた役割が認められていたのか、あるいは、単に預言の賜物を活かして活動していることが皆に認められて、預言者と呼ばれていたのか、明らかではありません。しかし、新約時代の時代の教会で、預言者と呼ばれているのは、アガポとその同行者たち(使徒11:27〜28)、それからユダとシラスだけであったという事実(使徒15:32)、また、使徒の働きの記述からは、彼らが地域教会の中でことさら重要な役割を担っていたとは思えないことから、預言者という役割も、すべての地域教会に定められた役職ではなく、むしろ賜物の活用によって認められた働きと理解するのが適当であると考えられます。先に述べた伝道者ピリポの4人の娘たちも預言をすることで知られてはいましたが、預言者と呼ばれるにはまだ不充分であったのかもしれません。この理解は、エペソ書4章11節の記述とも調和します。使徒の働きでアガポやピリポの娘たちに与えられた預言者という名前の意味と、エペソ書4章で言及されている預言者が、同じ意味であると言う保証はありません。新約聖書の形成期においては、そのような働きや役割についての名前、呼称はかなり、柔軟で、流動性があったということを思い起こさなければなりません。

 アガポやその同行者たち、あるいはピリポの娘たちも預言をしていましたが、使徒の働きの著者であるルカの言う預言は、そのような種類の預言に限られるものではなく、むしろ一般的には福音宣教に関わる言葉を語ること、すなわち福音宣教を預言と捕らえていると考えるべきであるという論議には、強い説得力があります。エペソ書4章11節に言及されている預言者というのは、アガポのような人物も含まれていたと考えても矛盾は起こりませんが、むしろ強調点は、福音宣教を主体に、巡回している人々を指したのではないかと考えられます。多分ユダとシラスもそのような意味において預言者であったと考えるのが、もっとも穏当ではないかと思われます。教師は聖書を忠実に教える働きであったとすると、預言者は聖書の教えを基にして、時代と状況、聞いている人間に適応して語る、説教者であったのではないかと想定されます。現代で言うと、巡回伝道者というところでしょうか。パウロは自分のことを宣伝者(Iテモテ2:7)あるいは宣教者(IIテモテ1:11)と呼んでいますが、もともとのギリシャ語では同じ言葉で、「最初にニュースを伝えるもの」あるいは「先覚者」という意味であり、この預言者の働きと、あるいは伝道者の働きとも重複するものであり、使徒の働きはそれらを含んでいるものだったのでしょう。そしてこれらの働きの中に、いわゆる聖霊に感じてその場で語る預言や、予言が含まれていても、矛盾はありません。

 それからさらに、もともとのギリシャ語では「執事」と同じ言葉であるにも拘わらず、どう考えても「執事」とは訳せない働きがあります。日本語では、新改訳においては「しもべ」(Iコリ3:5、IIコリ6:4)、「福音に仕えるもの」(エペ3:7)などと訳され、動詞形では「奉仕の働き」(エペ4:12)と訳され、口語訳では「信仰に導いた人」(Iコリ3:5)、「神の僕」(IIコリ6:4)、「福音の僕」(エペ3:7)、「奉仕の業」(エペ4:12)、となっています。要するに「仕える者」という意味ですが、人々に仕える事を強調している執事ではなく、神に仕える者という事です。パウロ5回にわたって自分をこの名前で呼び、また若い働き人たちを同じ呼び名で幾度も呼んでいます。すべての信徒の働きを意味しているエペソ4:12の場合を除いては、すべて、教会の指導的働きに関して用いられている言葉です。ここにおいても、この呼び名が確定したひとつの役職のような働きを、意味していたものではない事が明らかです。

 このように見てくるとはっきり判って来るのは、使徒時代の教会においては、まだまだ組織自体が固まっておらず、臨機応変な、多様な働きがあったと言う事です。たとえば、伝道者への召しとか、牧師職への召しとか言うような、固定化した考え方はまだ出現していないと言うことです。それぞれの信徒が、自分に任せられた賜物を活かして働き、その働きが多くの人々の認めるところとなり、受け入れられ、その人の働きとして定着して行ったと言う事です。たとえば、管理上の権威と言うことを取り上げても、教会全体として見ると、使徒の権威も必ずしも最も強いものではありません。エルサレム会議において、管理的な意味で重要な役割を果たしたのは、エルサレム教会の長老であった主の兄弟ヤコブです。しかし神学的意見をまとめることに関しては、ペテロが指導力を発揮しています。またパウロは、自分が設立に関わった教会に対しては、神学的な権威と管理上の権威を存分に主張し、行使しています。それは彼が絶え間ない論争に巻き込まれ、彼の身分や資格に対し疑問が投げかけられたためです。そこでパウロは、「しかたなしに」使徒的権威の主張をしているのですが、すでに述べたように、その使徒の働きには、福音の先覚者あるいは宣告者、または宣教者とも言うべき働きが含まれている事、さらには教師としての働きが含まれている事を理解していました(IIテモテ1:11)。自分を使徒と呼ばず長老と呼んだ使徒ヨハネは、その年齢から長老と呼ばれるに相応しかったからだけではなく、多分、当時唯一残っていた使徒、唯一主を見た事がある使徒という「権威」を嫌い、同じ人間として、多くの痛みと苦しみ、喜びと感動を味わってきた自分を強調したかったからではないでしょうか。またヨハネは、使徒という役割が彼をもって終わりを告げる事を、このような方法で示したかったのかも知れません。ペテロもまた自分を長老と意識していた事がうかがわれます(Iペテロ5:1)。いずれにせよ、固定化した役職、あるいは聖職というものは、まだ出現していなかったという事が明らかです。

4.普遍的教会の指導者

 新約聖書の時代には、教会全体、普遍的教会に対する責任を自覚していた指導者として考えられるのは、まず使徒たちですが、果たしてすべての使徒たちがそのような自覚を持っていたかは、さだかではありません。ペテロを初めとする使徒たちや主の兄弟たちが、より広範囲な働きの自覚を持って、巡回もしていたことが明らかですが(Iコリント9:5)、どの程度の責任を自覚していたか知るよしもありません。主の兄弟の一人ヤコブも、最初の教会であり多くの教会の母教会となったエルサレム教会の長老として、重い責任は自覚していた事でしょうが、自分の責任がエルサレム外、あるいはユダヤ人以外に及ぶことを明確に自覚していたかどうかは不明です。普遍的教会に対する責任を自覚していたのは、福音の奥義を啓示されたパウロです。ペテロと主の兄弟ヤコブの普遍的教会に対する貢献は、主に、パウロの受けた啓示に関わる理解の問題において発揮されたものです。

 パウロは異邦人への使徒として、福音と教会の普遍性についての啓示、奥義の啓示を受け、それを書き記しています。彼の残した著書の大部分は、彼が設立に関わった教会に対する、牧会配慮の手紙ですが、ローマ人への手紙だけは、パウロが設立しなかった教会、また、訪ねた事もない教会に対するもので、特定の牧会的問題に対する対処の手紙ではなく、むしろ、当時の教会全体に関わる、また後世の教会全体に関わる神学的命題について記したものです。結果論的に言うならば、パウロの聖書記者としての働きは、ローマ人への手紙だけではなくほかのすべての書簡も、まさに普遍的教会に関わるものでした。また、パウロほどの規模を持った働きには至りませんでしたが、他の聖書記者たちも、同じように普遍的教会に対する貢献をした指導者でした。

 聖書の重要性は、もちろんその霊感にありますが、ものを書くという能力、賜物がなければなりません。現代のようにふんだんに紙があったわけではなく、ワープロなどと言う便利なものもなかった時代です。書き損じは許されず、校正作業もままならない中で、文章を残すと言うことは大変な能力です。神は、教会に対して、必要なときに必要な賜物をお与えになり、必要な働きをさせてくださるのです。霊感を受けると言う問題は別にして、現在においても、ものを書くという賜物を活用して、一地方教会に留まらず、より広範囲の有機的教会に関わる働きをしている者はたくさんいます。

5.指導者と召し

 新約聖書に記されている指導者たちは、自分たちの働き、あるいは役割を、神からの個人的召しによる任命と理解していたのでしょうか。新約聖書が召しという言葉を用いるとき、その90パーセントは救いを意味していると言うことは、すでに述べました。指導者の中には、パウロのように召しと呼ぶのが相応しいような体験をして、主に仕えるようになった者もいる一方、そのような経験を知らない者もたくさんいます。多くの人が、パウロは自分が使徒として召されていると主張していると考えていますが、それは誤っている可能性が高いことはすでに説明いたしました。パウロは自分が使徒となった体験を「召された」と言わずに「任命された」と表現しています(I:テモテ2:7、IIテモテ1:11)。特にIIテモテの記述では、パウロは先ず、自分たちが聖なる招きをもって「召されて」いること、すなわち救われていることを語り、それから改めて、使徒として任命されたと説明しています。ですから、現在の私たちの教会の一般用語として用いられる「召し」という言葉と観念は、新約聖書時代の教会の言葉でも観念でもなかったと言えます。教会の指導者として、強い使命感と献身をもって、まさに、「召命感」と呼ぶにふさわしいような情熱を燃やしながら働いていた者たちは、たくさんいたことには疑いの余地はありませんが、現在の私たちの教会のように、伝道者の召しだとか、宣教師の召しなどと呼ばれる、固定観念は存在しなかったと言えます。初代の教会にあったのは、現代の教会のような賜物を無視し、資質を無視した「召し」の観念ではなく、賜物の行使によってその人物の奉仕が認められ、働きと立場とタイトルが与えられるという形です。

 現在の私たちの教会の中では、賜物も資質もないにも拘らず、一時の情熱や迷いや誤った自己判断、あるいは牧師や伝道者の暗示に乗ってしまって、伝道者の道を歩み出してしまう人たちが現われてきます。「何のとりえもない者を神はあえて選んでくださった」とか、「この世の賢い者を辱めるために、あえて愚かな者を召してくださった」と言うような証が、賜物を持っていないことの自己弁護として用いられますが、神様のお取り扱いの基本は、賜物の行使であって、賜物を持っていない者をお召しになることは、まず、あり得ないのです。この事をパウロは、ロマ書12章1〜9において異なった角度から語っています。それによると、私たちの信仰の歩み方、身の振り方に対する神の御心は、まず、自分の体を生きた聖なる捧げものとして捧げきって、すなわち、自己中心の信仰態度から、神中心の信仰態度に完全な思考の転換をすることによって、初めて知ることが可能になるのです。そしてそのような信仰態度を明確にして、あらためて、自分の賜物を教会という概念の枠の中で吟味し、それを神の栄光と教会の徳のために、最善にまた謙遜に用いようとするところに、おのずと自分の歩むべき道が明らかになって来ると言う事です。祈りと瞑想をもって神の召しのみ声を期待すると言うような、神秘的方法は、新約聖書の勧めるところではありません。教会の指導者として立つと言うことは、本人の主観的感覚と決意によるのではなく、賜物の行使が教会全体に認められるという、事実と、客観的判断によるのです。

 南太平洋の小島からなるある国の、私たちの姉妹教団では、信徒が伝道者として認められるためには、ふたつ以上の教会を開拓し、それを指導していなければならないという、厳しい基準があると聞いたことがあります。伝道者としての賜物が、実際の働きにおいて客観的に示されていなければ、伝道者として認定されないのです。そのような方法のすべてが正しいというつもりも、それが必ずうまく行くというつもりもありませんが、賜物の行使による指導者と言う新約聖書的基準を、現代に生かそうとしている良い例であることは確かです。この人たちも「召し」と言う言葉を用いていましたが、彼らにとっての召しは、賜物の行使によって客観的に認められる召しであって、個人の主観的思い込みによる召しではありません。

E.賜物と教職者制度

 本来、新約聖書の時代の教会の指導者と言うものは、聖霊の賜物の行使が教会全体に認められ、指導者として受け入れられ、それが定着して行ったものです。しかし、時代が移ると共に、その定着したものが固定化して行きました。ひとりひとりの賜物の活用としての指導的役割が、特定の名前を持って呼ばれるようになると、その名前に課せられた働きを持つようになり、多くの時間を費やすことなく、その名前が特定の機能を意味するようになり、名前と働きが固定化され、さらに、その名前がひとつの立場あるいは役職と考えられるようになり、その役割を埋めるために人を探すようになって行きました。このような経過はごく普通のことであり、それ自体悪いことではありません。ただ、一度定着して固定化したものを変えていくことは非常に困難なために、そこに膠着が起こってしまい、賜物が与えられていないのに、そこに定着して残された立場に立たされ、役職に着かされる人たちが出て来るようになり、やがて、教会の指導者と賜物の間に大きな隔離が起こる事が問題なのです。

1.教会史の中の教職者制度と信徒の活動

 現在の多くの教会は、かなり厳格な教職者制度、あるいは聖職者制度と言うものを持っています。それぞれ、自分たちの制度について「聖書的な」説明を試みていますが、その殆どは、それぞれ「聖書的な」理由と説明を与えられながら、実際には、あまり聖書とは関係のないところで作り上げられて来たものです。

a.教父時代

 すでに僅かながら触れたことではありますが、使徒時代の後、教会はいわゆる教父時代に入りますが、この頃になると、一地方教会の長老たちの上に立つ監督という枠を超えて、複数の地方教会の管轄権を持つ、力の強い監督たちがそこここに登場し始めます。それが文化や理解の違い、神学を始めとする意見の違いなどを契機に、互いに反目しあったり、寄り集まったりして行くうちに、影響力が強い大都会の教会の監督が中心になり、次第に階級制度に発展して行きました。この頃の指導者たちは、まだ本物のクリスチャンであり、それぞれ立派な人物ではありましたが、福音の情報量が絶対的に少ないと言う欠点を抱えていました。現在私たちが手にしている新約聖書がまだ自然編纂の過程にあり、さまざまなクリスチャン文書が出回っていたとは言え、現代の私たちに比べると、一般の信徒はおろか指導者たちですら、文書による福音の記録に触れることは極めて希でした。それでも当時はたくさんの教父と呼ばれた監督たちが現れ、非常に多くの優れた神学的貢献をしているのは驚くばかりですが、ただ、教会の管理、指導者の働きと言うような面に関しては、現実の必要性から生まれ、発展させられて来たものであり、真に聖書的な考察が加えられた形跡はありません。そのような事から、教会の制度や指導者の役割、あるいはそれらに対する理解が、新約聖書の基本理念から離れたものとなって行ったのもまた、当然と言えば当然の成り行きでした。

 これらの大都会の教会の監督たちを中心にした、階級制度的な指導者たちはやがてさらに大きな統合を見せて、エルサレム、アンテオケ、アレキサンドリア、コンスタンチノープルの5つが大監督の教区と認められるようになりますが、やがて、エルサレムは陥落し、アンテオケとアレキサンドリアも重要性を失い、遂にローマとコンスタンチノープルのふたつだけが残るようになります。このふたつの中ではあらゆる意味で、早くから、ローマの優位が認められていましたが、318年のコンスタンチノープル会議において、正式にローマの優位が認められ、コンスタンチノープルは第二の立場を認められました。こうしてローマ教会の監督の権威は殆ど絶対的なものとなって行くことになったのです。

 この過程においての管理や指導者の選択決定において、すべてが間違っていたのではないばかりか、実際はきわめて信仰的に考えられ、良心的に行われていたものです。しかし、ローマの優位を証明するためにマタイ16章18〜19節の、キリストの言葉が誤って解釈されて引用された以外は、聖書的考察が加えられた様子はあまりありません。彼らは、ローマ教会がキリストの権威の継承者であるペテロによって建てられたのであるから、ローマ教会の歴代の監督は、ペテロの後継者としてキリストの権威を継承していると論じ、他の監督たちに対する優位を主張することができたのです。また、当時の教会内のさまざまな事情も、さらには世俗の事情も、聖書とはまったく関わりのないところで、ローマの監督を最高権威者とするのに有利に働いたという事実もあります。このローマの監督の地位がますます高められ、やがて世俗の政治の世界でも大きな権力を掌握するようになり、キリストの権威の後継者として絶対の権威を行使して、教皇と呼ばれるようになったのはレオ一世のときからです(440〜461年)。やがて、最も優秀な教皇であった言われるグレゴリウスが教皇となり(590年)、その能力をあらゆる方面に発揮したことにより、教皇の座は揺るがないものになって行きました。

 そしてまさにこの教父の時代に、実に多くの誤りが教会の中に導入されて来たのです。まず、キリスト教がローマの公認宗教となり、続いて国教となった事により、改心を経験していない多くの人々が教会に流入して来ました。教会はこれに対応することが出来ず、結果として教会の規律が失われ、国家権力によって規律が保たれなければならなくなり、世俗との癒着が強められて行きました。さらにまた、天使礼拝、聖人礼拝、遺物礼拝、絵画や彫刻の礼拝などの異教的習慣が教会内に持ち込まれ、素朴な使徒時代の教会の礼拝がけばけばしい儀式に取り替えられて行くに伴い、聖職者と一般信徒の間の溝がますます深められて行き、ついには聖職者の任命が礼典と看做されるようになります。さらに堅信礼や塗油礼が定められ、原罪の教理から幼児の洗礼も絶対の必要な物とされ、聖餐は犠牲であると理解されて行くと、それらを執行する聖職者の地位と権威はいやがうえにも高められて行きました。ローマ・カトリック教会が秘蹟と看做している7つの礼典は、すべてこの頃に確定したものです。そしてこれらの既成事実の上に、その権威をさらに確定させる祭司制度が取り入れられてしまいました。いったん祭司制の概念が取り入れられると、あたかもローマの監督が旧約時代の大祭司であるかの様な、階級的祭司制度が出来上がるまで、多くの時間を費やすことはありませんでした。時代遅れとなったローマの服装が、一般信徒と祭司の差別を歴然とさせるための祭司の正装と定められ、たちまちのうちに、教会のあらゆる機能が祭司の占有となり、恵みは祭司のとりなしを通してのみ与えられるものとされ、一般信徒は直接神に出て祈ることさえままならぬ事態に陥ってしまいました。ここにおいて、教会の働きはほぼ完全に信徒の手から略奪されて、聖職者と言う一握りの者に委ねられ、賜物の機能としての指導者の概念もまったく消滅してしまいました。

 また、日曜日が礼拝の日と定められ、異教の祝日がクリスマスとされたのを始め、さまざまな非聖書的な教会暦が取り入れられて行ったのもこの期間の事です。また、異教世界の女性崇拝に根を持つマリヤ礼拝も、4世紀後半にはかなり広範囲に行われていたらしく、5世紀にはあらゆる聖人たちの上に置かれ、マリヤに関するさまざまな非聖書的な教え、たとえば無原罪懐胎、昇天、とりなしの祈りなどが一般民衆の間に広がって行きました。祭司の仲介なしには神のみ前に出る事が出来なくなった一般大衆は、ますます天使や聖徒、遺物、絵画、彫刻などの礼拝に傾き、そのような神ではない礼拝の対象の頂点として、「神の母マリヤ」を置くようになったのです。

b.中世から宗教改革まで

 中世とは一体いつから始まり、いつまで続いたのかと言う事については、歴史家の見解によって多少の差はありますが、一般的に、教父時代の古代教会が教皇による徹底した中央集権的古代カトリック教会に移行した頃をもって、中世に入ったと考えられています。中世においては教皇の権威がますます強まる一方、さまざまな民族の移動があり、社会的要因の勢力の拡大も宣教による勢力の拡大もありました。また回教徒の興隆が教会を脅かしたことも大事件でした。また、教皇とローマ帝国との関係にもいくつもの変遷があり、勢力争いの闘争も平和の締結もありました。東方教会の分離も大きな事件でした。しかし今問題にしている、賜物の行使による信徒の活動という命題から見るならば、一貫してまったく絶望的な状態が継続したと言えるでしょう。実際、中世には聖職者と信徒の間の差別が絶対化され、教会の命である聖霊の賜物は、僅かに残された優秀な修道院の中での限られた活動などを除いては、完全に失われたかのようでした。

 このような状態は、中世の終わりである宗教改革の時代を経ても、まだ教会の大勢として変わらずに継続されて行きました。ルターは贖罪論においては万人祭司説を唱え、祭司の不要を主張しましたが、聖職者制度には殆ど触れずじまいでカトリックの制度を継承しています。また、カトリックと対抗するためにドイツ諸侯と手を結ばざるを得なかった事から、国家と教会という面においても、教会と世俗の権力の癒着を断ち切る事ができませんでした。カルビンにしても、多くの点においてルターの改革より徹底していたとは言え、聖職者の制度については、多くの概念をカトリックから受け継いで、自ら、あたかもカルビン主義教会における教皇のような権威を行使しています。ツイングリの改革は、ルターやカルビンの改革より聖書に近くなる可能性がありましたが、彼の早期の死はその機会を与えませんでした。イギリス国教会は、制度的にはイギリスのカトリックになっただけであり、後代の貢献は別として、当初においては殆ど見るべきものがありません。ただ、アナバプテストだけは「素人」のように聖書を読んだ結果、最も過激な改革者となり、聖職者に対する考え方も、最も聖書に近いものになりましたが、カトリック側からもプロテスタント側からも激しい迫害を受け、勢力においても思想においても、アメリカの福音的教会が起こるまで、その後のプロテスタント教会に大きな影響を与えることはありませんでした。

c.宗教改革後からアメリカの福音主義教会へ

 とは言え、宗教改革を経験した教会は、散発的ではありましたが、そこここで信徒による活動を取り戻す運動を起こすようになりました。ルター派が冷たい教条主義に陥った反動として興った、敬虔派の運動もそのひとつです。アナバプテストの流れを汲んだメノ・シモンズの運動もそうですし、フレンド派(クエーカー)の人々にも、強い信徒運動の傾向がありました。この流れは、やがてイギリス国教会やオランダの改革派教会などを中心とした清教徒運動を推進して行く力となり、迫害を逃れ、新しい宗教的自由を求めて新大陸アメリカに移住して行った人々の、精神土壌ともなったのです。

 新大陸アメリカでまず大きな力を持った教会は、歴史上初めて国家と教会の分離を明確に宣言したことで知られる、ロジャー・ウイリアムズに導かれたバプテスト教会でした。バプテスト教会は、それまで小規模にしか存在しなかった会衆政治を教会の中に持ち込み、信徒の活動の範囲を飛躍的に広げました。また、イギリス国教会内部の運動でありながら、敬虔派の影響を強く受けたメソジスト運動が、やはりより広範囲な信徒の参加を認めた運動として、開拓時代のアメリカの教会を特徴付けながら、イギリス国教会から分離して行きました。アメリカの教会は、このバプテストとメソジストというふたつの異なった教会の働きによって、その大部分が形成されて来ましたが、片方は会衆政治形を強調し、もう一方は監督政治を引き継ぎながら清い信仰生活と信徒の活動の場を広げたという、共通点を持っていたのです。

 これらの清教徒の精神は、やがて例に漏れず形骸化し始めたアメリカの教会の中で、さまざまな形での信仰復興を起こしていきました。また聖書学校運動23  や学生宣教運動などを初めとする、信徒の参加を促す教会運動が広がって行き、聖職者と信徒の壁を打ち破る試みが繰り返されました。その結果、アメリカではかつてないほどの勢いで、信徒と聖職者との間の壁が壊されることになりました。また、清教徒運動はアメリカの精神土壌となっただけではなく、各国の福音的教会を奮い立たせ、世界宣教へ駆り立てていきました。このようにして、近代プロテスタントの世界宣教は、教会活動への信徒の参加という新しい風を送る事になったのです。とはいえそれは、それまで長い間続いて来た聖職者中心主義の教会歴史に比べて、信徒の参加が増えたと言うだけであって、聖書が教える本来の教会のあり方、「賜物の行使による信徒活動の教会」にはまだまだ程遠いものでした。


23   聖書学校運動は、当時の聖職者を生み出す神学校があまりにも専門的になりすぎ、一般大衆の必要からかけ離れてしまっていると言う判断から、伝道を始めとする教会の働きを信徒の手に取り戻そうという目的で、信徒の働き人の訓練のために聖書学校を建てようということで始まった運動です。


d.20世紀とペンテコステ運動

 清教徒の精神は、このように、19世紀の世界宣教の土台ともなったものであり、特に清教徒の精神が最も強く根付いたアメリカからの世界宣教は、20世紀の世界の教会に大きな影響を与えました。アメリカからの宣教には当然功罪が伴いますが、福音宣教という教会の至上命令という観点から見るならば、教会歴史の中でも最も素晴らしい出来事と考えるべきでしょう。

 20世紀のアメリカの教会、またアメリカなどの清教徒の精神を受け継いだ各国の教会は、世界各地に信徒の活動を受け入れ、促進させる素地を作り上げました。そのような中に、ペンテコステ運動が起こったのです。当初ペンテコステ運動は、まったくアメリカ的な運動であるかのように、考えられていたふしもありましたが、必ずしもそうではないことが、最近の学びで明らかになっていますが、このペンテコステ運動のさまざまな特徴の中で、決して小さくない特徴が、聖職者の枠を超えた活動を促す運動であったことです。実際、非常に多くの信徒たちが聖霊のバプテスマを体験し、世界宣教をはじめ、多くの働きに献身して行きました。そしてまた、ペンテコステ運動は聖霊の働きに注目し、聖霊の働きを強調する運動でしたので、当然のように聖霊の賜物に対する関心と渇望を呼び起こしました。聖霊のバプテスマを受けた者たちの多くは、自分に委託された聖霊の賜物に目覚め、それらを積極的に用いて活動し出したのです。ペンテコステ運動が世界中に紹介されると、すでに清教徒の精神によって信徒の活動の素地を作られていた世界各地の教会は、信徒活動としてのペンテコステ運動を、抵抗なく受け入れ、強化し、拡大して行く事が出来たのです。

 このようにペンテコステ運動は、教会の働きを信徒の手に取り戻す運動でもありました。聖霊の賜物を高揚し、信徒の積極的な活動を促し、聖職中心の教会から、信徒たちの交わりの教会へと移行させる運動でした。とはいえ、ペンテコステ運動も時を経て定着しだすと、たちまち保守主義となり、ペンテコステ的伝統を守るだけの形骸化を起こし始めます。また、古い聖職者中心主義への回帰現象も、いたるところに見る事が出来ます。特に、広い意味ではペンテコステ運動に属するとは言え、伝統的な教会の組織形態の枠と神学の枠の中で、ペンテコステ運動を受容したカリスマ運動や第三の波運動は、賜物の行使による信徒の活動の教会とはなり得ないまま、終わってしまう可能性があります。とは言え、全体として見るならば、ペンテコステ運動は、やはり教会を信徒の教会にし直す運動と言えるのです。

F.運動と制度

 教会にしても賜物の活用にしても本来運動であって制度ではありません。制度は運動を入れておく器のようなものです。あるいは運動は車のエンジンや車輪と言った部分、車の車たる部分のようなものです。車輪のない車は車ではありませんし、エンジンのない車も車ではありません。しかし車には車輪を制御するブレーキが必要であり、エンジンの力を正しい方向へ向けるハンドルが必要です。制度とはハンドルやブレーキのようなものです。

 ハンドルの利かない自動車に乗るのは危険です。しかしエンジンのない自動車に乗っても始まりません。ブレーキの利かない自動車には乗らないのが賢明です。しかしブレーキが利きすぎて走れない車に乗っても意味がありません。私たちの教会は命を持っています。命が命の本性を発揮し、自由に生きる事が出来るようにするのが教会の制度です。命は動き回り、走り出します。これを上手に制御し方向を定めるのが制度です。制度は時々取り替えられたり、移し替えられたりしなければ、命に合わなくなってしまいます。制度が命を止めてしまう事さえあるのです。

 昔、日本がまだ貧しかったころ、私たち北海道の農家では山葡萄を収穫しては、自家製のぶどう酒を造ったものです。酒造法に違反していたかどうかは知りませんが、私たちがまだ子どもの頃のことです。竹かごにいっぱい取った山葡萄を4斗瓶に入れてしばらく置くと、自然に醗酵してぶどう酒になるのです。ところがある時、葡萄液が瓶から溢れ出して床いっぱいに流れているのに、びっくりしてしまいました。醗酵した葡萄液は体積を増やして、後から後から流れ出てくるのです。あわてて他の瓶を持ち出して葡萄液を移し、なんとかその場をしのぎました。葡萄液は生きていたのです。命があったために命のない瓶に閉じ込めておくと、あふれ出す以外はなかったのです。何でも興味を持っていた私は、それではと言うわけで、二本の一升瓶にいっぱい葡萄液を入れて、一本にはコルクで硬く栓をして、もう一本にはさらにそのコルクを針金できつく留めて置いてみました。数日後、夜中にパンと言う音を立ててコルクが飛び出しました。もう一本のビンはそのままでしたがしばらくしてあけてみると、おかしな味に変化していました。よくはわかりませんが、通常に醗酵できなかったのでしょう。

 長い教会の歴史を見ると、聖職者制度と言う硬い器は命を閉じ込め、閉塞させてしまいました。しかし、神は、教会の命を完全に死に追いやるような事はなさいませんでした。教父時代の教会でも、聖霊の賜物を用いて教会の働きをした人々がいました。中世の教会においてさえ、僅かながらとは言え、聖霊の賜物は発揮されていました。宗教改革を経た教会は、徐々に信徒の活動の場を広げ、聖霊の賜物の行使を可能にしてきました。そしてペンテコステの体験は多くの信徒を解き放ち、ペンテコステ運動を信徒の運動と見る事さえできるほどに、信徒の賜物の行使を強調しました。その結果、この運動はかつて例を見ないほど、いたるところで柔軟で多様な適応をしながら、急速な成長を遂げてきたのです。そのようなペンテコステ運動の特徴を継承する私たちは、いま、過度の組織化や制度化には疑いの目を向け、システムの固定化と組織の形骸化に警鐘を鳴らし、賜物の行使による信徒の活動を、聖書が教えている通りに教え、実行して、信徒運動としてのペンテコステ運動を継続していかねばなりません。
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