Ecclesiology

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教会の働き


 

 教会の使命は宣教です。教会はこの使命のためにこの世に遣わされています。他に使命はありません。教会はこれを目的として生き、これを目指して歩みます。教会の使命は、キリストがこの世に送られた目的を、自分の目的として生きる事です。それはキリストの贖いの愛のみ業を、宣教という働きで継続して行くことです。しかし、教会の働きは宣教だけではありません。他にもたくさん働きがあるのです。

 伝統的なプロテスタント神学では、教会の働きを、王としての働きと預言者としての働きと祭司としての働きという、三つに分けるのが一般的でした。これはキリストの働きと言われる三つの働きを、そのまま教会に適応したもので、それなりに説得力があり、教会の働きの多くの分野を説明することが出来ますが、いささか思弁に過ぎ聖書の素直な読み方を離れる傾向がありますし、教会の働きを充分に説明する事が出来ません。また、この思弁的傾向と理解の仕方を進めると、王、預言者、祭司のどの働きの分野においても、社会的活動を強力に推進して行く理論的基盤が出来上がります。特に、千年紀後再臨説を採る多くの伝統的プロテスタント神学では、王としてのキリストがおいでになるにふさわしい世界を作り上げるために、この社会活動が大切な要因となって来ます。

 福音派の人たちの間では、教会の働きを上、すなわち神に対する礼拝と、内、すなわち教会内部に対する交わりと、外、すなわちこの世に対する伝道に分けて考えるのが一般的です。これは王、預言者、祭司という理解の仕方に比べると、思弁を避け、より聖書の直接的教えに根ざしていると考えられますが、不充分なところもあるように思われます。それは例えば、内、すなわち教会内に対する働きとして「交わり」しか挙げられていないところです。上、内、外、という三つの分け方に捕らわれ過ぎて、教会内におけるもうひとつの大切な働きである、教育という点が軽く取り扱われています。教育と交わりをひとつにするのには、少々無理があると考えられます。また、先の王・預言者・祭司の考え方が、社会活動に流れていく傾向を持つのに対し、外に対しては「伝道」と定義し、社会活動の入る余地をなくしています。

 このように物事を幾つかの分野に分類して考えるのは、考えを整理するのには役立ちますが、ともすると、その分類に沿った考え方をしてしまい、大切な側面を見落としてしまう傾向があります。神は教会の働きを、そのような分類に合わせてお定めになったわけではないからです。上=礼拝、内=交わり、外=伝道では、あまりにも単純化されていると言えます。むしろ、上=礼拝・奉仕・交わり・伝道であり、内=交わり・教育・訓練・礼拝・伝道であり、外=伝道・一般愛の行使・礼拝・奉仕というように、複雑に絡み合い、影響しあっているものです。

 そのような、分類の欠点というものを理解した上で、敢えて分類の利点を考慮して取り入れると、むしろ、私たちの仲間内で用いられている分類の方が、聖書の教えをより良く表現しているように思います。それは普通、WIFEという言葉で表現します。これは、礼拝=WorshipのWと、教え=InstructionのIと、交わり=FellowshipのFと、伝道=EvangelismのEを綴り合わせて、WIFE(妻)としたものです。この分類でも、しばらく前の福音派の分類らしく、社会活動という一面はまったく無視されています。だからと言って、社会活動すなわちSocial serviceのSを入れるとWIFESという存在しない単語になってしまい、しっくりしません。ではと言って、社会活動を伝道の中に加えてしまうと、先に述べたように、愛の行いが伝道のための道具あるいは手段とされ、釣り針の隠された餌となってしまいます。

 そこで、この学びでは福音派の上・内・外という言い方を止め、単純に神に対する働き、教会自身に対する働き、世界に対する働きと分けて考えて見ましょう。

A. 神に対する働き

 教会の究極の存在目的は、すでに学んだように、神の栄光をほめ称える事、すなわち礼拝をする事です。自分たちの全存在を賭けて、あらゆる方法をもって、神を礼拝することです。教会はこの目的のために、天地創造以前から、神のご計画の中に組み込まれていたのです(エペ1:4−6)。

 現在教会に与えられている多くの働きは、やがて完全なものが現れる時、必要のない働きになるでしょう。しかし、神をほめ称える礼拝の働きは永遠に途絶えることのない働き、究極の働きとなるのです。

 教会は、神の贖いの愛を自分自身で体験したものとして、誰かに聞いて知った事でも、横で見ていた事でもなく、自分の人生の中で体験した愛、受けた愛として、感謝と喜びを持って、神を礼拝します。このような礼拝が出来るのは、すべての創造物の中で教会だけです。天使たちでさえ、そのような礼拝はできないのです。教会は、神の愛の大きさと深さと広さを、知的に理解するだけではなく、自らの体験として理解し、とこしえに神を称え、礼拝をし続けるのです。

1.礼拝の内容

 礼拝とは、万物の創造者である神を、神として認め、神として崇める行為です。神は神であられるゆえに、崇められるべきなのです。神は万物の創造以前から、三位が互いに愛し合う永遠の方として、何にもよらず自在し、すべての存在するものの源であり、たとえ万物が消滅したとしてもなお存在し続けるお方です。万物が存在し続ける限り、万物の賞賛を受けるべきお方です。万物は神の栄光の発露として造られたのです。人間の礼拝とは、造られた者としての自覚を持って創造者を崇め称えることです。自分が存在し生きていることを、存在させられ、生かされているという事を神への賛美とする事です。

 しかしクリスチャンは、単に創造者としての神を、畏敬をもって崇めるだけではありません。自分たちは神の愛の対象として造られている事を知っています。罪によって神の敵となってしまった後も、なおも愛され続け、贖罪の愛によって贖い出され、再び愛の交わりの中に入れられた事も理解しています。その愛の経験を背後に、大きな感動をもって神を愛し、感謝の心に満ち溢れてほめ称えるのです。

 しかし礼拝というものは、単に神をほめ称える事、賛美する事だけではありません。ほめ称える事は礼拝の中でも最も高い部分であり、中心であり、永遠に続く部分でもあります。その中には、言葉をもってほめ称える事、歌をもってほめ称える事、音楽や創造的な芸術をもってほめ称える事、祭りをもってほめ称える事などが含まれるでしょう。教会は地上の一切の戦いから開放されて永遠の安らぎに入った後も、その全存在を、神を称える事に費やすのです。

 とはいえ、教会がこの地上に存在している間は、まだまだ戦いの中にあり、悪魔と戦い、自らと戦い、痛みや困難と戦わなければなりません。ここで大切なのは、教会はただ自分の勝利のために戦うのではなく、神への礼拝の行為として戦い、神への礼拝の行為として勝利するのだという事です。ダビデが詩篇23篇で、「み名のゆえに」と歌った時、そのような礼拝を思い浮かべていたのでしょう。またゴリアテと戦った時も、神に対する礼拝の気持ちが伺えます。さらに教会は、この世に存在する限りは委ねられた福音を宣べ伝えます。しかしそれもまた、ただ単に滅び行く同胞に対する愛のためにするものではなく、究極的には神への礼拝の行為として行うのです。ましてや、自分たちの教会を大きくしたり、有名にしたり、賞賛を受けたりという自己目的のために行うのではありません。教会が、小さな者、弱い者、虐げられている者のために働くのもまた、ただ彼らを愛し、痛みを共有して行うのではなく、神への礼拝の行為として行うのです。

 さらに、教会の内部で互いに愛し合い、助け合い、教え合い、励まし合い、あるいは厳しく躾け合い、互いに成長しようと励むのも、すべてそれ自体を目的として行うのではなく、神への礼拝として行うのです。まさに、生きるのも死ぬのも主のため、飲むのも食べるのも、結婚をするのも子をもうけるのも主の栄光のためなのです。人間の生の営みそれ自体が、神への礼拝なのです。またそのような意識があり、神の臨在の感覚があり、臨在したもう神への怖れがあってこそ、自己顕示欲を押しのけた伝道ができ、自己賛美から開放された愛の奉仕ができるのです。あらゆるところに満ち溢れていらっしゃる神を想い、太陽が昇るのを見て感動し、七色にきらめく野の花の朝露にはっとして息を潜め、虫の音に耳を傾け、満天の星を感嘆して仰ぐ中に、礼拝があるのです。

2.礼拝と献身

 従って、礼拝とは、神の栄光のために自分が存在していると知り、神に自分を捧げることです。それこそ、パウロが霊的な、本来あるべき礼拝の姿であると教えているものです(ロマ12:1)。かつて、私たちが死んでいた時には、自分の幸福のために、自分の利益のために、自己の獲得のために生きていました。そして、天地をお造りになった神を知り、神を信じて生きるようになった後も、あくまでも自分の幸福のために、神をさえ利用しようとしたに過ぎないものです。幸せになりたい、救われたい、平安な暮らしがしたい、問題を解決してもらいたいと、言うならば自分を獲得するために神を信じたのです。あくまでも自分が中心で、神は、自分の幸せに奉仕をするため、あるいは利用出来る多くの要因のひとつとして、自分の周りにあるものに過ぎなかったのです。その信仰哲学は、悪魔と同じでした(ヨブ1:9−10)。「私たちはいたずらに神を信じない。神が私たちの手の業を祝福してくださるから、神を信じているのだ」と考え、「神が祝福を取り除かれたら、私たちも直ちに神を信じるのをやめよう」と考えていました。 

 しかし、そのような低い信仰の状態にあっても、神は忍耐を持って私たちを教え導き、正しい信仰のあり方へと入れてくださいます。その正しい信仰のあり方が、自分自身を捧げる事であり、それこそがまた、本来あるべき姿の、正しい礼拝であるという事です。この自分を捧げることこそ、人生の方向転換です。クリスチャンになるということも、その人間の世界観、人間観、価値観、宗教観の大きな変化ではありますが、自分を世界の中心に据え、神さえも周辺に置き、すべてを自分中心に考え、判断し、行動してきた生き方から、神中心の考え方と行動に変えるのは、さらに大きな人生観の変化です。自分が中心ではなく、神が中心になるのです。これをパウロは、「心を新たにすることによって造り変えられ」と、表現しています。多くの聖書翻訳者の理解が正しいとすると、心を新たにするのは人間の側の行為で、それを受け止めて作り変えてくださるのは神の行為です。17  そしてこれは、救いの経験の後、クリスチャン人生の成長段階で起こる出来事です。


17   ギリシャ語原典では能動態と受動態がはっきりしません。大抵は心を新たにするのは人間の行為で、造りかえるのは神のみ業と理解していますが、両方とも人間の行為とする、新改訳のような解釈も可能です。

 ですから本物の礼拝、真に霊的な礼拝、あるべき姿の礼拝は、礼拝する側の自己放棄から始まります。ちょうど、24人の長老が自分たちの冠を投げ捨てたように(黙4:10)、礼拝者たちは己の冠を投げ捨てて、始めて真の礼拝者になるのです。伝道の功績も、牧会の功績も、神学の分野の功績も、聖書学の分野の功績も、あるいは音楽の分野の功績も、その他どのような功績も、その冠を頭に頂いたままでは真の礼拝者にはなり得ないのです。その冠を投げ捨てられない心でする奉仕は、しばしば大きな争いと軋轢の原因となって来ました。たとえ、牧師になり宣教師になっても、この心の一新によって作り変えられる体験、己の冠を投げ捨てる経験をしていない者は、いつまでも、神の栄光を現す事よりも自分の功績を評価してもらうことに熱心になり、競い合いと、争いと、やっかみと、中傷の火種を作り、主の働きを傷つけ、ご栄光を損ねます。しかもこの真の自己放棄、本物の謙遜というものは、一度だけの出来事で終わるのではなく、毎日まいにち、しかも一日に何度も繰り返さなければならないものなのです。

 正しい自己放棄を経験して、自分中心の人生観から神中心の人生観に転換してこそ、本当の意味で、神に仕える事が出来るのです。このことが徹底しないままで奉仕を続けていくと、教会の中に虚栄心による妬みといがみ合いが起こり、分裂と分派に進んで行くのです。個人主義に根ざしたアメリカなどの文化では、独立あるいは、単立という言葉がもてはやされ、多くの独立教会、単立教会が存在します。その影響で、日本でも、あたかもそのような教会が、麗しいものであるように勘違いしている人々がいますが、多くの独立教会・単立教会は、正しい自己放棄と献身の出来ていない働き人が作り出したものです。多くの場合、彼らは大変謙遜で、神さまのみ声には聞き従いますが、キリストのみ体である教会の声に従うことは出来ないのです。もっと端的に言うと、「鶏頭となるも龍尾になるな」という精神に満ちているのです。本当にキリストの精神を持つならば、鶏尾になっても良いはずですが、それが出来ないのです。共同体としての教会の理解が出来ていないのです。

3.共同体としての礼拝

 教会は礼拝をする民です。個々人が礼拝することは当然ですが、教会とはひとつの民として礼拝をするものです。民としてと言った場合、礼拝する個人がたくさん集まるという事ではありません。西欧的な個人主義の中では、個々の人格を持った個人の集合、自由意志によって集まるの個人の集団が「民」ですが、共同体文化の中では、個人がその中に生まれ育つ人々が「民」なのです。その民の中に生まれたものは、民の一部になるのです。個人は民を選ぶ事が出来ず、その中に生まれるのです。従って、共同体文化の中で形成された教会は、礼拝をする人々が自由意志で集まって、礼拝する集団となった民ではありません。神によって生まれた者は、神の民、神の家族の中に生まれたのです。つまり、個々のクリスチャンは礼拝をする民の中に生まれ、礼拝をする民の一部となったのです。

 個人主義の国アメリカは、憲法によって成り立つ国です。アメリカという国を成り立たせているのは、人種でも、原語でも、文化でもなく、合衆国憲法です。18  それにも拘らず、アメリカという国土と領空に生まれた者は、その背景と理由を問わず、アメリカの国籍を持つことができます。アメリカに生まれればアメリカ人なのです。これは、3代も4代も前から日本の国土に住んでいても、日本国籍を取る事の出来ない人がいる日本と大きな違いです。日本では日本人の血が国籍感覚を決めるところがあります。ですから、祖父母の代からブラジル住んでいて、ブラジルの国籍を持ち、ポルトガル語を話していても、血が日本人の血であるため日本人であると勘違いされて、「日本人のくせに日本語がわからないとは」と非難されるわけです。どちらにしても、子供は自分の所属を選択する事が出来ません。


18  「アメリカは人種ではない。われわれは人種的にはあらゆる人々とちがわない。要するに雑種なんだ。アメリカ人の血管の中にはあらゆる国々の人々の血が流れている。アメリカと他の国々とのちがい、アメリカ人をアメリカ人たらしめているのはただひとつ、アメリカ合衆国憲法なんだ。たんなる規則集。それだけだ・・・・・・。だが、それは実に良く機能している。」トム・クランシー著「大戦勃発」より。


 クリスチャンは礼拝する民、神の民の中に生まれたのです。ですから、神を礼拝する民の中で、神を礼拝する民の一部として、神を礼拝するのが当然なのです。それはアメリカの国土と領空に生まれた者はすべて、アメリカ国民して認められ、アメリカ国民としての権利を有するのと同じように、そしてそれ以上に、神の国に生まれた者は、神の国の国民としての国籍と権利を持って礼拝するのです。これが公同の礼拝と言われるものです。単に、礼拝する個々人が任意で集まった礼拝会が、公同の礼拝なのではありません。ひとりひとりが、自分は礼拝をする神の民のという共同体の中に生まれた者であり、この共同体から切り離されることはあり得ないという強い自覚と意識をもって、共に礼拝するのです。神の家族として、キリストのみ体として、不可分の者として共に礼拝をするのです。同じ神を信じ、同じキリストの血の贖いを受け、同じ聖霊によって生かされ、同じ愛と同じ目的を共有し、同じ永遠のみ国を受け継ぐ者として、そのような自覚を持って、ひとつにしてくださった一人の神を崇めるのです。

 ですから、クリスチャンが礼拝会に集まるのは、個々人の礼拝として集まるのではなく、礼拝会に集まるのです。共に礼拝するために集まるのです。自分たちが主にあってひとつであることを確認するために集まり、ひとつの民として礼拝するのです。そこで大切なのは、主にあってひとつであるという、強烈な思いです。互いに憎み合い、いがみ合っていては、この公同の礼拝は不可能なのです。たとえ個人的にはどのように素晴らしいささげ物を携えて来ていても、もし、兄弟と仲たがいしているのを思い出したら、そのささげ物をそこに残して、まず、兄弟と和解しに行くことが大切なのです。兄弟をさげすみ、嫌い、憎み、ないがしろにし、あしざまに言いながら、真実の礼拝会はあり得ないのです。自分のために命を捨ててくださった主を愛しているならば、主が命をお捨てになるほど愛しておられる人間をさげすみ、嫌い、憎み、ないがしろにし、あしざまに言うことは出来ないのです。

 それはまた、クリスチャンたちが協力して神に奉仕をする時、そこに共同の礼拝が形成されるという事です。クリスチャンがキリストの名によって集まり、キリストの名によって協力して働く時、たとえそれがひとつの地域教会であろうと、あるいは管理上のひとつの教会であろうとも、あるいは有機的教会としてであろうと、そこに奉仕という公同の礼拝が成立するという事です。キリストが「2,3人私の名によって集うところには、わたしもその中にいる」とおっしゃったとき、ひとりだけの時にはそこにおられないとおっしゃったのではなく、特別な意味において、臨在してくださるとおっしゃったわけですが、その特別な意味とは公同性ではないかと考えます。たとえわずかな数のクリスチャンであっても、主にある信仰に一致を具体的に表現するとき、たとえまだまだ未成熟であり胚芽の状態ではあっても、そこには公同性が形成されるからです。ですから公同の礼拝には、質においても価値においても、個人の礼拝とは異なるところがあるとのです。それは私たちが判断する価値ではなく、礼拝をお受けになる神がそのように判断されているのです。

B. 教会自身に対する働き

 教会の働きの第二の分野は、教会自身に対する働きです。教会は、すでに学んだように有機体ですから、すべての部分が有機的に繋がって、それぞれの働きが互いに影響し合い、補佐し合っていますので、ひとつひとつの働きを別個に取り上げて語ることは困難ですが、一応、ここではふたつの分野に大別する事が出来るでしょう。それは、交わりに関する働きと教育に関する働きです。

1.交わり

 交わりは、教会が愛の共同体である事を最も明確に示す活動です。愛の共同体としての具体的な存在表現です。交わりなくしては愛の表現が出来なかったのです。事実、教会はその揺籃期から、交わりを中心として活動していました。特に現代のような教育機器も通信機器も、交通手段も印刷技術もない時代ですから、教えるという基本的な活動をするにしても、共に集まるという「交わり」の要素を無視しては、教えることも出来ませんでした。ですから、交わりを基本としてまた前提として、すべての活動が行われていました。集まることなしには活動は成り立たず、互いに顔を合わせることなしに、愛を具体的に表現して行くことは、基本的に不可能でした。ですから、愛の共同体としての教会は、ごく自然に愛の行為としての集まりを持ち、集まりを愛の表現の場として行く事が出来ました。個々の信徒が何かの集まりに出席する事が出来なかったとしても、全体の交わりの中に包み込まれ、どこかで主にある交わりを保っていたのです。主もまた、数人の者がみ名によって集まる所には、特別な意味で臨在を現し、共同体としての教会の基本的要素を満たして下さるのです。

 これは、現在の個人主義化した信仰のあり方に、大きな警鐘となるものです。いま私たちの周囲では、愛の共同体としての教会、コイノニアとしてのあり方を否定するような、あるいは無視するような、個人主義の感覚に基づく教会観が広められています。たとえば、たくさんのテレビ福音番組があることは良いことですが、その中のあるものは「テレビ教会」なるものを宣伝しています。どこかの地域教会にわざわざ出かけて行かなくても、自宅でテレビを見ていながら「教会出席と同じ」とされる番組です。自宅のワイン棚からぶどう酒を取り出させ、テレビの音頭に合わせてぶどう酒を飲ませ、テレビ番組の会衆と共にパンを食べさせて、聖餐をしたかのような錯覚に陥らせ、番組提供者に献金を送らせて、義務を果たしたかのような気持ちにさせているのです。実際、彼らが提供する説教は一般の教会の牧師の「へたな説教」よりよほど良く、多くの場合りっぱな通信講座も準備されているのですから、並の地域教会は太刀打ち出来ないところがあるのです。他にも、地域教会に出席する大切さを無視し、地域教会を破壊するような活動がたくさんあります。

 ある信徒たちは、「教会に行くと嫌いな人間にも会わなければならないし、人付き合いが面倒くさくて」と言います。しかし現代においてさえ、実際に顔を合わせることなしには、具体的に愛するのは容易ではありません。愛が観念に終わってしまうのです。愛し合うことの出発点は、やはり具体的に交わりを持つことです。すでに述べたように、礼拝会がこの交わりの基本です。キリストに贖いだされてひとつとされた者として、神の愛を自ら体験した者として共に礼拝を奉げることが、愛の交わりの基であり、中心であり、出発点なのです。そしてその愛の交わりを象徴するのが聖餐です。聖餐は単に贖罪の象徴だけに止まらず、他にも多くの意味を持ちますが、交わりとしての教会の象徴でもあるのです。同じ杯から飲むぶどう酒は、同じキリストの血潮によって贖われた者である事を象徴し、同じひとつのパンから食べることは、同じキリストの身体に属する者である事を表現しています。それらを飲みまた食べる事は、キリストを信じる信仰を意味し、同じキリストの命によって生かされている事実を表しています。

 初代の教会では、クリスチャンたちの愛と交わりを表現するために、「アガペー」と呼ばれる愛餐会がしばしば行われていましたが、その愛餐会は当初、単なる愛参会ではなく、「聖餐」として行われていたと考えられます(Iコリ11:17−34)。聖餐が愛餐会から切り離されて「聖餐式」として発展したのは、少し後になってからの事です。愛餐会において共に食事をする、しかも分け合って食べるという行為が、キリストによってひとつとされた者が互いに愛し合うこと、互いに助け合うことを象徴していたのです。その愛餐会の意義を無視したような行為が、コリントの教会の中に見られたために、パウロは非常に厳しい言葉を用いて警告をしました(Iコリ11:27−34)。ここで言われている、「ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む」という言葉を、私たちの間では普通、救われていない者が主の聖餐を受けるという意味に解釈して、聖餐式には救われた者だけが与るように、注意深く信者と未信者とを識別し、さらにはオープンだとかクローズドだとかうるさいことを言っていますが、それは完全にパウロの言うことを誤解しています。19


19  オープンとは、自分の教会の会員だけではなく、キリストを救い主と信じて救われていると、自覚を持って洗礼を受けているものには、誰にでも聖餐に与らせる立場であり、クローズドとは、自分たちの教会員以外には聖餐に与らせないという立場です。


 パウロはここで、聖餐に与る人が救われているかどうか、などという事を問題にしているのではありません。それは完全に間違った聖書の読み方です。このパウロの教えの文脈を読むと、つまり、前後関係をしっかりと読み取ると、それはすぐにはっきりとわかるはずです。パウロは、教会の中で貧しい者がないがしろにされていた、のけ者にされていた、無視されていた、差別されていたという事実を糾弾し(V20−22)、そのような態度で聖餐を続けていたために、「あなた方の中に、弱いものや病人が多くなり、死んだ者が大勢いるのです」と、恐ろしい言葉を語っているのです。本来キリストにある一致と愛の交わりを象徴する聖餐が、こともあろうに、差別と無関心と冷遇の場となっていたのです。これに対して、パウロは激しく怒ったのです。ですから、聖餐に与るものはそれぞれ、自分の中にそのような「神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめる」思いや行動がないか、深く反省するように、強く勧められているのです(V22)。

 キリストの血とみ体を象徴する神聖なぶどう酒とパンを、未信者が「自分をわきまえることをせず」飲み食いすると、神の罰が下るとでも言うような感覚はここにはありません。それは、カトリックの化体説の呪縛から、逃れられないままでいる教会の言うことです。カトリック教会では、一般信徒はぶどう酒に与ることは出来ません。司祭が代表してみな飲んでしまいます。そして聖餐を、「くり返して奉げられる罪のための犠牲」と定義していますので、パンだけを食べる聖餐を「血の伴わない犠牲」であると教えています。もちろん聖書は、血が流されることなしに罪の赦しはありえないと教えていますので、カトリックの聖餐観が大きく誤っているのは明白ですが、信徒がぶどう酒を与えられないのは、もしこぼしてしまうと、その神聖なキリストの血を、文字通り、「覆水盆に返らず」で、取り返すことができなくなり、冒涜になってしまうからです。聖餐を未信者に与えることを非常に恐れるのは、このようなカトリック的感覚の残滓が、プロテスタント教会の中にもあるからです。

 ですから、クローズドの原則を持っている「しっかりした教会」などは、自分たちの教会が差別の教会に成り下がっていることを、現実の問題として厳しく問い詰めなければなりません。自分の教会の会員以外の人物が、果たして確実に救われているかどうか判別できないために、聖餐を自分の教会の洗礼を受けた会員だけに制限するというのです。また、キリストの交わりを非常に小さく、地域教会だけに制限しての処置でもあるようです。確かに、その注意深さには敬意を払いますが、厳密な意味で、誰が救われているか救われていないかという問題は、神の判断に任せる以外にはありません。問題はそのようにして自分たちの社会的身分を守り、差別を正当化している事が多い点なのです。また、キリストにある交わりは有機的なものであり、普遍的なものです。ひとつの地域教会に制限されるべきものではありません。

 そういうわけで、教会の中には、たとえどのような形でも、差別があってはならないのです。絶対にあってはならないのです。人権や民主主義、あるいはヒューマニズムが当然の前提として語られている、「現代に生きる私たち」がこのような教えに接すると、「なるほどなかなか良いことを言うな」という程度の反応しか示しませんが、この教えは、今から二千年近くも前に、ごく一般のいわゆる「市井の人間」に過ぎなかったクリスチャンに与えられたものであることは、まさに驚き以外のなにものでもありません。当時の世界には現代のような人権感覚はありませんでした。民主主義やヒューマニズムの観念が、ごく一部の人々の中には芽生えていたかも知れませんが、一般には、まったく理解されていませんでした。このころのローマ帝国では、競技場が盛んで、次第に残虐さを増していました。繁栄に慣れ飽食におぼれ倦怠にさいなまれた人々は、はじめの内は動物たちを戦わせ、悲鳴を聞き、流れる血をみては楽しんでいましたが、だんだん見境がなくなり、やがて囚人や捕虜たちを動物と戦わせる興奮を求めるようなりました。このころ、多くのクリスチャンたちも動物の餌食となって死んで行ったのは、良く知られている事実です。血を見れば見るほど血に飢え乾いた人々は、ついには、剣闘士を育てて、観客の前で死にいたるまで戦わせることに陶酔するようになって行ったのです。そのような非人道的時代の、そのように人権を無視していた社会背景の中で、パウロはこの教えを記したのです。

 また、教会の交わりの深さ、あるいは親密さというものが見事に表現されたのが、互いに分け合うという行為です。教会はその誕生直後から、共に集い、分け合う共同体でした。それは心の中に湧き上がる愛の、ごく自然な発露だったといえます。彼らは、ナザレのイエスをメシヤと信じる新鮮な共通体験から、毎日神殿や家々に集まっていました。非常に多くのものがイエスをメシヤとして受け入れましたので、彼ら全員が一度に集まる事ができるような場所はありませんでした。それは物理上不可能であり、また政治情勢上でも不可能でした。反ローマ感情が非常に強い「不穏な土地エルサレム」で、一度に何千、あるいは何万もの人々が一箇所に集まったとなると、たちまちローマの軍隊が出動したことでしょう。ですから、彼らは比較的小さなグループに分散して、家々で活動していたわけです。その中では12人の使徒たちが中心となり、かつて70人に選ばれたことのある弟子たちや、復活の主を見た500人の中にいた人々が、何らかの指導的役割を果たしていたに違いありません。エルサレムという、現代の都市に比べると非常に小さな町で、多くの地域教会が、「家々」という形で出現し、それが町全体で、あるいは近隣の集落を含めて組織され、ひとつの管理上の教会となっていたのでしょう。

 多分この頃の教会は、まだ自分たちをユダヤ教徒の集まりとして理解していたと考えられます。ですから、直ちに自分たちが所属していた会堂から分離して、独自の活動をするという事はなかったのでしょう。そのような事をすれば、社会的にもっと大きな混乱を起こし、人々から尊敬を受ける事もなかったはずだからです(使徒5:13)。そうすると、「ユダヤ教徒イエス派」とでも言うべき当時のクリスチャンたちは、各々が属していた会堂の活動を守りながら、クリスチャンとして活動していたということになります。したがってその活動は、安息日をはじめ、会堂の活動のある日を避けて行われていたことでしょう。そしてまた彼らの活動の多くは、当然ながら会堂の活動を模倣するものとなって行ったはずです。あるいは、リベルテンという会堂があったように(使徒6:9)、イエス派という会堂が新たに形成された可能性さえあります。リベルテンとは自由を意味しますので、自由主義的ユダヤ教徒、あるいは解放奴隷、さらにはローマからの自由を目指す、愛国的ユダヤ教徒の集まる会堂であったのかもしれません。どちらにしても、当時の会堂には、それぞれの主義主張を持つものがあったことは事実のようですから、ナザレのイエスをメシヤと認める会堂ができる可能性はあったわけです。ともあれ教会の揺籃期ですから、まだ呼称も定まっておらず、「この道の人々」というのが通称だったのかも知れません(使徒9:2)。

 初期の教会が、ユダヤ教の会堂を模倣していたというのは紛れもない事実で、パウロの建てた諸教会も例外ではありませんでした。当時の会堂の活動には教会が模倣するだけの内容があったという事です。少なくても週二回は共に集まり、礼拝と旧約聖書の教えと説教が続けられ、子どもの教育、寡婦や貧しい者に対する支援、律法や規定に違反した者への懲罰などが、きちっと行われていました。このような会堂で長老の役割を果たしていた者が、新しいイエス派の信徒になった場合、最初から、長老となる資格の多くを備えていたわけです。パウロがいとも簡単に長老を任命できた理由です。誕生したばかりの教会は、長い歴史を持つこの会堂の活動の多くを取り入れ、独自の意味と解釈を加え発展させて行きました。長老という言葉さえも、会堂の用語でした。主の兄弟ヤコブは、一度だけではありますが、教会を会堂と呼んでいるほどです(ヤコ2:2)。

 このように初期の教会は、会堂の要素や活動に新たな意味を加えたり、解釈を施したりしながら、自分たちのものとして取り入れていましたが、中でも非常に特徴的なのが、交わりの具体的表現としての分かち合いでした。ある人たちは、教会の誕生のあと間もなく始まったこの持ち物の共有や分かち合いは、当時の信徒たちが、主は直ちに帰っておいでになるという切迫した終末観を持っていて、世俗的なものは不要であると考えたためであると推測しますが、それは間違っているように思えます。なぜなら当時の信徒たちは、確かにキリストの再臨を間近のことと信じてはいましたが、彼らが信じていた再臨は、現在の私たちが信じているような再臨ではなかったと考えられるからです。キリストが昇天された日、弟子たちが待ち望んでいたのはイスラエルの再興でした。その昇天からまだ間もないこの当時、この点における彼らの神学的理解が飛躍的に増して、後になってパウロが書き記したような再臨を、待ち望むようになっていたとは考えられません。彼らの待ち望んでいた再臨は、まだまだ、「イスラエルを再興させるための再臨」だったはずです。したがって、世俗の富の重要さは、増大はしても無くなることはあり得なかったのです。ですから、初代教会の所有物の分かち合いは、むしろ純粋な愛の発露、また仲間意識の現われと考えたほうが良いと思います。

 特に、ペンテコステの日からしばらくの期間は、諸国から集合していた多くのデイアスポラがいました。彼らが新たな信仰を受け入れ、予定より長期間滞在することになったために、彼らの食料や宿泊の場所、その他日常の必要を満たし、支援する必要があったのです。これは、旅人をもてなすユダヤ人の律法と習慣から見ても、当然の事ではありましたが、キリストにあっての新しい共同体意識に目覚めた人々は、特別な情熱を傾けてそれを行ったのでしょう。どのような真理であっても、それを受け入れる素地となる文化がなければ、なかなか受け入れられないものですし、発展させられて行くことは、なおさらあり得ないのです。教会に分かち合いの習慣が栄えたのは、当時のユダヤ人たちの中に、そのような文化があったからです。

 なぜエルサレムの教会の中に、それほど多くのデイアスポラが常駐していたのかなど、当時のエルサレムの事情については不明なところが多いのですが、このような分かち合いが、やがて教会を組織化し、継続して行かねばならなくなるほどに発展して行ったのは明らかです。また神さまは、その働きを大切なものと見そなわしたからこそ、敢えて、アナニヤとサッピラの事件を起こして、教会に警告をお与えになったと考えられます。イスラエル人たちの分かち合い、助け合いの習慣は、諸国に離散したユダヤ人たちの間でも、会堂と律法の教えを通して強調され実行されていましたから、ユダヤ人の会堂を拠点として福音が語られ教会が設立された地域においては、分かち合いの教えを浸透させるには、あまり苦労はなかったと考えられます。しかしユダヤ人が比較的少なく、異邦人の習慣が強い土地の教会では、これを実行するにはかなりの努力が必要だったと想像されます。飢饉に悩まされていたエルサレムの教会の信徒たちを助けるために、パウロが、異邦人中心のコリントの教会に献金の支援を訴えている文書を読むと、その苦労が偲ばれます(IIコリ8:1−9:15)。とはいえ、現代の日本などに比べ、もっともっと強い共同体感覚を持っていた当時の人々は、パウロの訴えに呼応して、「その極度の貧しさにもかかわらず」たくさんの支援金を準備したことでしょう。パウロはその支援金を持参して、エルサレムに赴くことに命を賭けました。エルサレムに行くならば必ず捕らえられて、死をさえも覚悟しなければならないことを、預言を通してあるいは聖霊の証を通して、熟知していたにも拘わらず、パウロは多くの人々の反対を「激情的」に押し切ってまでも、エルサレムに向かいました。パウロにとって、教会の内部における助け合い、分かち合いは、福音の伝達と同じくらい、充分に命をかける価値のある働きだったのです。

 パウロの、前後二回にわたるエルサレム教会への支援金募金の働きは、教会の交わりが地域教会だけ、あるいはひとつの管理上の教会だけに止まるものではなく、あるいはひとつの地域や国家や民族の内部に制限されるものではなく、真実に有機的教会、普遍的共同体としての教会全体に及ぶものであることを示しています。この場合、アカヤやマケドニヤの信徒の多くはエルサレムの教会のことは知らず、そこにいる困窮しきった信徒一人ひとりとは何の面識もなかったはずです。しかしこれは、現在の個人主義世界のクリスチャンたちが、互いに見も知らずの間柄のままで、何か共通の目的のために募金をし、助け合うというのとはかなり異なっています。なぜなら、パウロの時代のクリスチャンは、すべて自分たちの土地で地域教会に所属していたからです。地域教会に所属していたものが、地域教会に所属していたものを支援していたのです。現代の、どこの地域教会にも属さない信徒が、これまたどこの地域教会にも属さない信徒を助けるというのとは、異質なものなのです。

2.教育

 教会の、教会内部に対する働きの第二の分野は教育です。神のみ言葉を教えることなくして、真の教会は存在しません。日本語の教会という言葉は、先に述べたように、いささか「教える」という言う意味が強すぎるとは感じますが、教会は確かに教える会なのです。教会は神の言葉を教え、神の言葉の正しい解釈を教え、神の言葉の正しい適応を教えます。そこには個々のクリスチャンとしての生き方、教会のあり方、共同体としての生き方が含まれ、一人のクリスチャンとして成長することと同時に、共同体としての教会全体が成長することも含まれます。

 またこの教育は単なる知識の教育を超えた、全人格に及ぶ教育が含まれます。教会の教育は、決して、ひとつの頭からもうひとつの頭に、知識を移す作業ではありません。そうではなく、神に造られた人間として、またキリストの贖いを受けた人間として、「いかに生きるべきか」という事について、聖書を基にして自ら考え、判断し、決定し、行動することを教えるのです。この教えるという働きを考えるとき、私たちは、キリストが弟子たちをはじめ多くの人々をお教えになった方法について、考える必要があります。

 教育というと、普通、私たちはすぐ学校教育などの正式な教育、いわゆるフオーマル・エジュケーションを思い浮かべますが、キリストが採用された教育の方法は、まったく異なっていました。キリストが取られた方法は、一般にインフオーマル・エジュケーションと呼ばれるもので、日本で言うと徒弟制度に近い教育方法であり、むしろ、訓練法と考えた方がわかり易いものでした。紙と鉛筆、黒板とチョーク、現代ならば、コンピューターにパワーポイントという教育ではなく、四六時中共に生活して、身をもって模範を示す教え方でした。キリストは、いわゆる当時の正式な教育方法を取ることも出来きました。それに必要な一切の力と能力を持っておられました。また、キリスト在世当時のエルサレムにしても、グレコローマン文化全体にしても、何々学派といわれるのが流行る、フオーマル・エジュケーションの盛んな時代でした。しかし、キリストは敢えてインフオーマルな教育方法に止まりました。この、敢えてインフオーマルに止まる教育法を、アンフオーマル・エジュケーションと呼びましょう。

 ちょっと注意して見るとわかることですが、パウロが取った教育方法もまた、大部分はアンフオーマルでした。パウロも、当時のパリサイ派の二大学派であったガマリエルやヒレルに倣って、あるいはギリシャの哲学者たちを参考にして、フオーマルな教育を与えるだけの力を持っていました。しかし彼は、敢えてインフオーマルに止まったのです。インフオーマルに止まったというより、インフオーマルに乗り出したというべきでしょうか。彼の教育方法も、机と椅子を並べて講義することよりも、生活を共にし、働きを共にすることによって、理解させるやり方でした。日本で言う徒弟制度に近いものです。見て学ぶ、真似して学ぶ、実践して学ぶ、失敗して学ぶという事だったのです。

 この教育方法は、ただ知識を授けるという事よりも、知識に加えて生き方を示す教育法と言えます。教育の機器や道具が横にあるのではなく、人間、血が流れ、痛み、悲しみ、喜び、笑いを感じる人間が横にいるのです。キリストが教えようとされた事、パウロが教えようとした事は単なる知識ではなく、その知識に根ざした生き方でした。それこそが道であり真理であったのです。知識は生き方のためであり、生き方が具体的に示されない知識は、キリストにとってもパウロにとっても、用のない物でした。ですからキリストは謙遜を教えるのに、謙遜の定義第一、謙遜の定義第二と語られたのではなく、タオルと水を持って来させて、ご自分で弟子たちの足を洗い始められたのです。愛について、寛容について、忍耐について、自制について、小さな者の取り扱いについて、弱い者に対する思いやりについて、痛んでいる者に対する同情について、人々の反感に耐える事について、差別をしない事について、説教について、権威を持って悪霊を追い出す働きについて、ありとあらゆる事について、キリストはご自分で手本を示し模範を与えて、お教えになったのです。パウロもまた、「私に倣うものになって欲しい」と語ったように、自分を手本として示していたのです。

 すでにお分かりになったこととは思いますが、このような教育法は、共にいるということを前提とするものです。教える者と教えられる者が、共に時間をすごす。寝食を共にし、一緒に苦労して働き、ともに痛み、共に喜び、共に悲しみ、共に笑う事があって、はじめて可能なのです。キリストが12弟子をお選びになったのも、まず、彼らを共におらせるためでした(マル3:14、ルカ8:1)。そしてそのような教育は、教会という共同体の中でこそ、つまり愛の交わりが実践されている中でこそ、より良く行われるのです。信徒の交わりが一週間に一回の礼拝会だけという教会活動では、このような教育の場は確保できません。牧師の姿が一週間に一度、礼拝会の講壇の後ろに見られるだけでは、牧師の姿から学ぶことは「牧師牧師した」パフォーマンスだけで、その真実な姿、生きた信仰の姿に触れることはできません。

 信徒のために何もかも犠牲にして、心を砕き身を粉にして、涙を流し、彼らのためにならば命を捨てても良いと祈り、それでも上手く指導できず、誤解を受けて落ち込み、行き詰まってはいくたびも眠られない夜をすごし、それでも礼拝会を迎えると一生懸命に明るく振舞い、信徒たちを励まそうとしている牧師の姿など、元気のいい礼拝会の説教からは、うかがい知ることが出来ないのです。貧しさにも不平を言わず、自分ではしばしば食べる物にさえ事欠きながら、なお分け与え、感謝の祈りを絶やさない牧師の姿など、礼拝会の堂々としたイメージからは想像も出来ないものです。信徒たちの中傷を耐え忍びながら彼らのために祈り、悪口を言われては親切で返そうと努め、悪者にされることにも甘んじて言い訳をせず、病める者を慰め痛んでいる者を励ますために、自分の家族のことさえ後回しにし、ひたすらに信徒の成長を願って生きる牧師の姿は、厳しい火を吐くような説教の中には現れてこないのです。

 牧師になるために神学校に入学してくる青年たちを見ていると、気が付くことですが、大きな立派な教会から献身してきた青年は、頭が良くて理屈っぽく、説教だとか教育に情熱を燃やしていますが、しばしば、忍耐だとか、謙遜だとか、自己犠牲などということには無頓着です。講壇の後ろの立派な牧師のパフォーマンスを見て、憧れて入って来たからです。ところが、小さな教会で苦労を重ねている牧師の姿を、目の当たりに見てきた献身者は、一般的に、素晴らしい説教や高い教育にあまり興味を示さず、むしろ、謙遜、献身、忍耐という生活態度を大切にします。大きな教会から来た献身者は、すぐにあれが足りない、これが不充分だと不平を言い出します。彼らが見てきた牧師の素晴らしさは、そのような「物」の後ろ盾があって、初めて可能だったからです。しかし小さな教会から来た献身者は、むしろ、こんな物もある、あんな物もあると驚き感謝をします。これは私が国外で宣教師として働いていたときの一般的印象ですが、日本では異なっていると期待したいものです。

 キリストがご自分に従う者をお選びになった基準は、「知識」や「学業」や「学歴」ではありませんでした。むしろ、枕する所のないキリストに、不平も言わずに同行できる人間であり、たとえ父の死に目に会えなくなろうとも、泣き言を言わずに同行できる人間であり、一度決意したならばきっぱりと態度を決め、後ろを振り向かずに同行できる人間でした。現在の献身者に、このような基準を当てはめる教団はあるでしょうか。このような資質を形成するために、プログラムを作成し、教育を施す神学校があるでしょうか。キリストの教育は間違いなく、このような資質を形成するための教育であり、ただ知識を蓄えさせるための教育ではなかった事が明らかです。ただしキリストは、基本的知識さえまともに習得できないほどの者を、指導者として育てようとはなさいませんでした。献身態度さえあれば知識は不要なのではなく、知識の上に献身態度がなければ、正しい意味の指導者にはなれないという事です。

 このように考えると、教会のすべての活動に教育的意味があるという事がわかります。教会のあらゆる活動を通して、信徒全員が、常に人間全体として成長し続けるのが、理想です。そして教会全体としてキリストの身丈まで成長するのです。この場合、教会の全員が立派なクリスチャン、非の打ち所がない素敵なクリスチャンになるという意味ではなく、弱い者も、足りない者も、まだまだ世俗の臭気を紛々と漂わせている信徒もたくさんいる中で、それらの者たちを喜んで助け、足りないところを埋め、嬉々として世俗の臭気を取り払う働きをし続ける信徒がいるという意味で、キリストの身丈まで成長するのです。「まだこんな弱い信徒がいる。まだこんな欠点だらけのものが出入りしている。世俗っぽい人がいてもらうと迷惑する」と、不平をこぼしながら働いていてはだめなのです。自分の強さ、自分の豊かさ、自分の能力が、キリストのみ体の足りない部分を補う事が出来ることに喜んで、奉仕するようにならなければだめなのです。完全な家庭とは、手のかかる、世話の焼ける者がひとりもなく、全員が立派な大人として、責任をもって生きているという家庭ではありません。世話が焼ける赤ちゃんがいて、手のかかる幼稚園児がいて、そのような子供たちがいることをこよなく喜び、世話をすることに幸せを感じる親がいる家庭が、完全に近い家庭です。

C.世界に対する働き 

 教会の働きの第三の分野は、教会の外の世界に対する働きです。これについてはすでに「VI.教会の使命」において取り扱いましたが、触れずじまいになっていた幾つかの点について、述べておきましょう。

 教会の働きの他のふたつの分野、すなわち神に対する礼拝と教会自体に対する交わりの働きは、永遠に続くものです。教会の働きの中でも教育の分野は、すべての物事が明らかにされる時が来て、私たちにはもう学ぶ必要が無くなるのかも知れません。古い黒人霊歌の中に、「私にはもうみ言葉を学ぶ必要もなくなるのだ」と歌う、天のみ国に対する期待の歌がありますが、たしかに、私たちの知識においても、生活の仕方においても、愛においても、聖さにおいても完全にされた後は、もうこれ以上学ぶ必要があるのかと思います。しかしその一方で、神の高さ、大きさ、深さ、豊かさは決して計り知れず、永遠を費やしながら神を知るようになるのかも知れません。

 これらのふたつの分野に比べると、世界に対する教会の働きははっきりしています。私たちが世界に対して責任を持っているのは、私たちがこの世界に留まっている間だけのことです。私たちが神のもとに召されてこの世を離れて行く時、あるいは教会がこの世から携え上げられる時、現在の私たちのこの世に対する使命は終わりを告げるのです。私たちが再びキリストと共にこの世に戻ってくる時は、この世を裁き、支配するようになるのかも知れませんが、それが果たして具体的にどういうことなのか、正確には不明なところが多く、また、現在の私たち教会に課せられた使命ではありません。

 ともあれ、現在の教会にだけできる働きは明らかです。それは教会の外部に対する働き、宣教の働きです。すでに述べたように、教会はこの働きを使命として、目的としてこの世に遣わされ、存在させられているのです。教会は大きく分けてふたつの方法で宣教を推し進めていきます。第一は、教会の存在そのものがすでに宣教であるという意味の宣教です。教会に属するすべての信徒は、すなわち弱い者も小さな者も、強い者も大きい者も、皆、互いに愛し合い助け合って生きる者です。そしてその生き方自体が、キリストの弟子である事の証明となり、この世界に対する宣教の大きな力になっているのです。教会は教会として存在するだけで「地の塩、世の光」としての役割をはたし、無意識のうちに、いわゆる「プレゼンス」の働きをしているのです。20  これは旧約時代のイスラエルの果たした役割に似ています。イスラエルには神がいると、周辺の人々が認める事によって、イスラエルが祝福の器となり得たように、教会の愛の共同体としてのあり方に、周囲の人々は神の祝福と臨在を認めるようになり、自分もまたその共同体の一員となりたいと願う事さえあり得るのです。


19   プレゼンスとは「存在する」「そこにいる」といったほどの意味で、教会はたとえ何も語らなくても、存在するだけで証になり、宣教をしているのだという考え方。社会派の人々の掲げた主張のひとつで、福音宣教はせずに病院を建て、学校を建て、社会福祉に力を入れ、平和運動に命をかける姿が宣教であるという。この場合、見られるための良い行いになりがちであり、注意を要する。

 しかしこのようなプレゼンスの働きだけでは、教会は宣教の働きを充分に果たすことはできません。聞く事がなければ信じる事もなく、宣べ伝える者がいなければ聞く者もいないからです。教会の使命はあくまでも宣べ伝える事であって、単に存在するだけではありません。教会が宣べ伝えるといった場合、私たちはすぐに説教を思い浮かべますが、説教はあくまでも宣べ伝えるひとつの方法でしかありません。他にもたくさんの方法があるはずです。

 また私たちが説教というとき、その殆どは教会堂という四方が壁で囲まれた、建物の中での説教を思い浮かべます。教会堂の中にも未信者がいることでしょう。いわゆるEゼロの伝道、すなわちクリスチャン家族に育っていながら、まだ明白な救いの経験を持っていないというような、クリスチャン文化の中の未信者もいるはずです。そのような人々に対する伝道は、確かに四つの壁の中でも可能です。しかしそれでは真の意味での宣教の行為にはなり得ません。教会は教会堂の外で福音を語ってこそ、初めて宣教の第一歩を踏み出すのです。ある教会堂の出口の鴨居の上に、「あなたはいまや、宣教地に入ろうとしている」と、大きく書かれていたそうですが、教会堂の外に出るとき、まさに私たちは宣教地に入るのです。

 そして宣教地に入るのは「説教者」だけではありません。実際、教会堂の外で「説教」する機会など滅多にあるものではないのです。宣教が説教とすり変えられてしまうと、「説教者」だけが宣教するものとなり、説教者は宣教地では宣教する機会を持てないという事になってしまいます。宣教地での宣教者は「説教者」であってはならないという事です。むしろあらゆる機会にキリストを証する「おしゃべり」でなければなりません。説教のことをギリシャ語ではホミリーというのだそうですが、この言葉はもともと会話を意味していたという事です。会話こそ宣教の基本です。初代の教会がそうであったように、宣教を会話にする事によって、殆どすべての信徒が宣教者になり得、教会が宣教の共同体となるのです。そういう意味では、宣教の働きは信徒全体を動員するものであり包括的なものです。

 一方宣教には、賜物を持っている一部の者だけがこの働きに当たるという、排除的な部分があります。先に述べたように、パウロの伝道旅行に同行する者は、それだけの資質を要求されました。同じように、宣教師の働きをするのには、宣教師になって働く事ができるだけの資質を備えていなければなりません。能力を持っていない者、賜物を与えられていない者、資質を備えていない者は、それらの働きからは排除されることになるのです。

 とはいえ、排除されてしまった者は、これらの働きにまったく参画出来なくなるのではありません。それらの働きに直接関わることは出来ないという事ですが、間接的には、やはり、すべての信徒が参画出来るものであり、またすべきなのです。宣教師にはなれなくても、祈る事も献金する事も出来ますし、さらにさまざまな支援をする事が可能です。またそのような参画がなくては、宣教師は働く事ができなくなるのです。

 私が宣教師として任命されて、はじめて全国の教会を巡回した時の説教は、「私の宣教の働きのために祈る事は、私を助けるための祈りではありません。私の働きのために献金する事も、私の働きを助けるためにするのでもありません。そうではなく、祈るのは、祈りによって宣教に参画する事であり、献金するのは、献金という働きによって宣教に参加する事なのです。あなたも私と一緒に宣教のために働く事なのです」というものでした。当時、多く牧師も信徒も「宣教師を助ける」という意識で祈りまた献金していたものですが、私は「自分は乞食ではないから助けは要りません。私が欲しいのはキリストのみ体としての協力です。宣教は宣教師という個人の働きではなく、教会の使命であり、ここにいる信徒全員の働きなのです」と訴え続けました。その結果、多くの牧師からは、「頼んだわけでもないのに、勝手に教会を巡回して来たかと思うと、生意気な事を言って、感謝の気持ちが足りない」と、随分ひんしゅくを買ったものです。しかし、これは極めて重要な宣教の原則であり、教会のあり方に関わる大切な事なのですから、海外伝道部の先生たちのご忠告も無視して「意地」を張り通し、巡回の最後の教会まで同じ説教で貫いたものです。

 宣教とは共同体である教会の働きであり、教会がこの世に存在している間だけ、可能な働きです。ですから、これこそが教会がこの世に派遣され、この世に留まり、この世の悪と戦い、痛みに耐え、人々と悲しみを共にしなければならない理由なのです。パウロも、早くこの世を後にして栄光のみ国に入りたいと望みながら、まだこの世で果たすべき使命があると自覚して、その使命の遂行のために邁進しました。私たちもまた同じように、私たちの国籍がある天に帰ることを望みながら、この世にある間、与えられた宣教の働きに全力を尽くすのです。

 さて、先に、宣教地での宣教者は「説教者」であってはならないと述べた事につき、もう少し、議論を深めましょう。改革派の人たちの中には、教会とは、肉体を持った人間が実際に物理的に集まらなければ存在しないと主張する方がいます。教会とはその中で説教があり、聖餐があってはじめて成り立つのだとおっしゃるのですが、教会とは肉体が持った人間が文字通り集まることを前提とし、要因として存在しますが、それが教会の存在の絶対必要条件ではありません。かえって、実際には集まっていない時にこそ、教会は社会の中で宣教者としての役割を果たすのです。教会が四つの壁の中に閉じ込められている時には、そこでどのように素晴らしい福音が語られていようと、宣教者としての役割を充分に果たしているとは言えないのです。このあたりに、キリスト教を国教とするかそれに近いほどの、「キリスト教文化」を持った国の中で生まれた教会論と、国民の1パーセントの何分の一のクリスチャンしかしない宣教地国の人間の理解の違いがあります。

 教会は必然的に「集まる」人々です。しかし集まった時に教会が教会として存在するようになるのではなく、集まったときに、教会としての必然的な表現をしているのです。しかし、集まっていない時でも教会は教会として、地域の中に、個々のクリスチャンの生活の場に存在しているのです。言い換えると、一般の人々の生活の場にまで、宣教者としての教会が入り込んでいる事であり、まさに「地の果て」まで、教会が出て行っている事なのです。そこが「説教の場」になることは、まずほとんどあり得ないでしょう。しかし、いつでも証の場となり、宣教の場とはなり得ますし、そのようにして行くのが、ひとりひとりのクリスチャンの役目なのです。

 個々のクリスチャンは、あたかも大きな機械から取り外された部品のように、教会から切り離され、教会とは関係のない教会の一部分としてではなく、み体である教会につながったままの肢体として存在しているのです。クリスチャンすべてが、「教会は、自分という存在を通してここに実在しているのだ、ここで自分が生き活動している事は、取りも直さず、教会がここに生き活動しているのだ」と理解すべきなのです。そのように自覚して生きるべきなのです。そうすると、個々のクリスチャンの職場での仕事も教会の活動の一部になります。教会のプログラムのひとつとしての伝道会だけ伝道となるのではなく、講壇から語られる牧師の説教が宣教になるのでもなく、買い物をしている時も、文化サークルに出ている時も、電車の中でおしゃべりをしている時も、その時その所が宣教の場となるのです。

 信仰の場と生活の場、礼拝の場と仕事の場、教会の場とプライベートな場を分けるのは間違いです。クリスチャンは常に礼拝をしているのです。生きることが礼拝です。そしてまた、クリスチャンはいつでも教会の一部として、キリストのみ体の一部として生きているのです。ですから教会の活動は、教会のプログラムが進められている時だけに限られているのではないのです。教会堂のドアの鍵が掛けられている時も、牧師が不在の時も、教会は宣教地において活動をしているのです。

 このように考えると教会の活動には、教会の総意に基づいて進められる計画あるいはプログラムと、個々のクリスチャンの自由な意思と選択による、自発的な活動があることに気付きます。一般的には普通、前者だけが教会の活動と見られるのですが、決してそうではありません。宣教としての教会という観点から見るならば、かえって後者のほうに重要性があるのです。すでに触れたように、宣教の基本は個々のクリスチャンの自発的な、自由な証によるのです。

 もちろん、それぞれのクリスチャンの生活と活動、たとえば結婚、仕事、社会活動、政治活動、あるいは学術研究などは、あくまでも個人の自由と責任において行われます。それによって教会全体の責任が問われることはありません。しかしながら、それはやはり教会の働きの一部なのです。個々のクリスチャンの生き方、考え方、行動には、キリストの命が流れ、キリストの精神が浸透しているはずだからです。しかし、教会が教会としての正当な決議に基づいて行う活動は、教会全体の責任が問われます。

 ここでもう一度、教会とは和解の共同体であるという、基本的な理解を思い起こす必要があります。教会とは、ありとあらゆる種類の人々が、キリストの和解によって和解させられた共同体です。その種々雑多な人々が、種々雑多な思想と主義と、考え方と、やり方を持ったままで、ただ、キリストを救い主として信じたという一事によって、その一事を唯一の共通要因として集められた集団なのです。ですから、教会は「多様性の一致」による共同体なのです。同じ思想、同じ考え方を持っている者は一人としていないのです。信仰による一致に達し、キリストの満ち満ちた身丈にまで成長するという事は、全員がまったく同じになる、画一的になるというわけではなく、ただ、信仰により、愛によって繋がり、同じキリストの命によって生かされるという事なのです。

 しかも、それぞれのクリスチャンによって信仰の度合い、信仰の成長の段階が異なります。信仰の成長が進めばおのずと一致できる事柄でさえ、現実には、なかなか一致できないのです。教会とはそのように、まさにばらばらな考え方の者たちが同じ命を共有して生きる、運命共同体なのです。ですから、同じひとつの地方教会の中に左翼的な傾向を持つ人がいても良いし、右翼的な言動をする人がいても良いのです。もっと社会活動に参加すべきであると考える人たちがいても良いし、社会活動より直接伝道に力を入れるべきだという人たちがいても良いのです。クリスチャンは小説なんぞ読むべきではないという方がいても良いし、いや、週刊誌だって読んでおくべきだという方がいても良いのです。またある意味で、いるべきなのです。そのような人たちが、それぞれ不完全ではありながら、キリストの命によって生かされ、キリストの教えによって新たな方向付けをされ、聖霊の力によって新たな方向に歩ませられている事実をもって、それぞれの生き方と方法で、社会の中で証をして行くのです。教会は、それらひとりひとりのクリスチャンの、右翼的傾向や左翼的言動に責任を持つ必要はありません。それは彼らが教会とは別のところで別の要因で持っている考え方なのです。しかし、それら個々のクリスチャンの考え方の中にもキリストの教えが反映し、生き方の中にもキリストの命が顕であり、聖霊のお働きが事実として存在していることが大切なのです。そして、それこそが証の要因なのです。

 その一方で、ひとつの地域教会全体としては、あるいは有機的教会としても、ある特定の政治的信条や社会的見解など、キリストへの信仰以外の要因を掲げてはならないのです。もしそれをすると、その教会はたちまち排除の教会になってしまうからです。教会は和解の共同体であり、排除の共同体となってはならないのです。たとえば、平和を愛し、平和を作り出すことにはすべてのクリスチャンが賛成すべきであり、教会の宣言となっても良いのです。それはキリストへの信仰、キリストの教えへの従順に直接つながることだからであり、たとえそのように謳っても、信仰以外の要因を持って排除する事にはならないからです。しかしその平和実現のために祈るだけにするか、平和運動に参加すべきか、特定の平和団体に所属すべきか、政治運動に身を置くべきか、武器を持って平和のために戦うべきかなどは、それぞれの文化背景や受けた教育、あるいは体験や考え方、さらにはクリスチャン信仰の度合いによっても異なるのです。それをひとつに限定することは排除になるのです。

 したがって教会は、個々のクリスチャンがキリストに従う者としての信仰と良心をもって、社会のあらゆる分野において活発に生き発言するのを推奨していくべきです。たとえあるものたちは、クリスチャンとしての成長が未発達なために、さまざまな間違いを犯すこともあり得たとしても、それを恐れる必要はありませんし、それに対して教会として社会的責任を負う必要もありません。しかし、教会が共同体として何かを計画し実行して行くならば、それは、あくまでも聖書が直接教える信仰の分野に止めるべきなのです。それを超えると、排除の共同体になり、また、教会として社会的責任をも負わなければならなくなります。
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