On the Doctrine of the Initial Evidence

Welcome to our homepage


聖霊の洗礼


 受霊のしるしの教理について内容のある文章を書くには、かなり専門的な釈義や解釈が要求されます。しかし、もっぱら未開地宣教と開拓伝道という実践の場で働いてきた私には、それだけの力量はありません。しかし曲がりなりにもペンテコステ派の伝道者ですから、せめて、エッセイ的なものをまとめることによって、同労者諸氏のお許しをいただきたいと願っています。

 「受霊のしるし」についての教理は、ペンテコステ運動の初期から現在に至るまで、ずっと論争の火種となり、交わりの要とも、分裂のもとともなってきたものです。初期の段階でこそ、揶揄と嘲笑の種となり、あるいは嫌悪と排斥の的とされ、時には異端扱いをされていたペンテコステ諸教団とその教理は、第二次世界大戦を境に、広くキリスト教界に認知され始めました。それからおよそ20年、ペンテコステ運動は、初期のペンテコステ運動の母体となった教会の系列とは非常に遠い、カトリック、アングリカンといった、サクラメンタルな神学を持つ教会を中心に、広がりを見せ始めます。しかもこの頃になると、既成教会の拒絶反応が少なくなり、運動はそれぞれの教会の中に留まることができるようになると共に、その教えについても、ペンテコステ教会の伝統的理解を離れ、それぞれの教会の神学の枠内で受け容れられ、理解されるようになります。これが普通、カリスマ運動と呼ばれているものです。それからまた20年ほど経過すると、ペンテコステ運動はさらに新たな広がりを見せ、改革派、バプテスト派といった福音主義諸教会の中でも受け容れられるようになります。彼らもまた、自らの教会と神学を変えることなく、自分たちの教会の伝統と神学の中で、ペンテコステ的な聖霊の働きの理解を持つようになります。これを普通、第三の波運動と呼びます。[1]

 カリスマ運動も第三の波の運動も、ともに、伝統的ペンテコステ教団と同様に、信じる者たちを通してお働きになる聖霊の働きを強調し、癒し、奇跡、悪霊追い出し、預言、異言などの賜物、あるいはクリスチャン品性に関わる御霊の実を強調し、共通に近い強烈な聖霊体験を持つことから、人為によらない強いエキュメニカルな傾向を見せている反面、その基本的神学の違いから、なかなか枠を越えた交わりには進むことができないでいるのも事実です。

 また伝統的ペンテコステ教団と、この二つの新たなペンテコステ運動(ある人たちはネオペンテコステ運動と呼びます)は、その基本的神学の違いとは別なところで、交わりを躊躇する理由があります。それは、受霊の「しるし」の問題です。伝統的ペンテコステの信仰では、異言が聖霊のバプテスマを受けたしるしであると考え、しるしとしての特別な価値を認めていますが、カリスマ運動と第三の波の運動に関わる人々の大多数は、異言が聖霊のバプテスマに伴う場合があること、賜物のひとつであることは認めますが、受霊のしるしであるとは認めないからです。彼らは、異言を伴わない聖霊のバプテスマがあり得ることを信じ、その多くは、自分は異言を語った事はないが、聖霊のバプテスマを受けていると主張しているのです。

 私たちとしては、これらの兄弟姉妹が聖霊の働きに注目し、聖霊に対し心を開き、その力を経験していることを喜ぶものですが、彼らとの実際的交流は、牧会上の混乱を予想して、正直なところ、積極的になれないでいます。しかし私たちは、同じキリストのみ体に属する者として、正しい交わりを持つ努力をして行かねばなりません。そのためには、自分たちの信仰の立場を改めて確認し、理解を持ってお付き合いすることが大切であると考えます。ですからこの文章は、違いを明らかにして分離するためではなく、違いを超えて、より高度なところで交わりを持つことができるようにと願って書くものです。厳密な意味では、たとえアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中でも、いろいろと見解の相違はあるのですから、大切なのは、相異を超えた交わりです。交わりさえ保てるならば、真実は力を持つからです。今、世界中に5億とも6億とも言われる、ペンテコステ系のクリスチャンがいるのは、新しいペンテコステ運動が起こったためです。それは、ペンテコステ諸教会が、多くの兄弟姉妹の誤解を超えて、交わりの手を広めてきた結果なのです。

I.近代教会史の中の異言問題

 異言は教会の歴史を通して散発的に見られる現象で、プロテスタントの歴史の中でも、敬虔派、クエーカー派、モラビア派、メソジスト運動その他に見出すことができますが、これが大切な信仰現象として捕えられ、神学的な考察がされ、教理の中に取り込まれるようになるためには、19世紀まで待たねばなりませんでした。

エドワード・イルビン(Edward Irving 1792-1834)

 エドワード・イルビンはスコットランド教会(カルビン主義長老教会)の教職でしたが、資格のないものに講壇を与えたかどで職を追われて後、カトリック・アポストリック教会を創設しました。彼はキリスト論に興味を持って学んでいましたが、やがて、人となって下さったキリストは、受洗のときに聖霊を受けて力を得、救い主としての働きを始められたということを理解し、そこから、わたしたちも同じように聖霊の力をいただかなければならないと考えました。そして、このキリストが、信じる者に聖霊によってバプテスマを施し、力を与えてくださるという約束に注目するようになりました。彼はまた、この聖霊のバプテスマが回心と聖化の後に訪れる、それらとは別の出来事であることを認め、すべての信徒がこのバプテスマに預かることができると教えています。多分、彼は、教会史上始めて、異言が聖霊のバプテスマの「しるし(sign)」であると主張した人物でした。

 彼が創立したカトリック・アポストリック教会では、異言の伴う聖霊のバプテスマがあり、聖霊の賜物も良く見られましたが、残念なことに、非常に短い期間で消滅してしまいました。[2] またこれは、20世紀初頭にアメリカで起こったペンテコステ運動とは、およそ1世紀の開きがあり、直接には何の関わりもありませんが、明らかに非常に類似した運動であり、20世紀の前半のイギリスにおけるペンテコステ運動には、何らかの影響を与えたものと考えられます。

チャールス・フオックッス・パーハム(Charles Fox Parham 1873~1929)

 チャールズ・フオックス・パーハムは、メソジスト−ウエスレアンの中で起こった、ホーリネス運動というリバイバルが一段と盛んになり、聖霊の働きに対する関心が非常な高まりを見せ、聖めの体験としての「聖霊のバプテスマ」という主題が、講壇やパンフレットを賑わすようになる、19世紀後半のアメリカに生まれました。その頃のホーリネス運動は、すでに第二の恵を主張するメソジスト−ウエスレアン系の人々の枠を越え、「フイニシュド・ワーク」を主張する改革派、あるいはバプテスト派の人々までも巻き込み、さらには、レストレーションやデスペンセーションの要素も加わって、再臨信仰が高揚され、終末へ向けての世界宣教の情熱も、いやが上にも高まっていました。彼が物心つく頃は、聖霊のバプテスマの理解も、すでに、ホーリネスの背景を色濃く持つ「聖めのためのバプテスマ」から、「宣教の力のためのバプテスマ」へ移行し始めていました。

 パーハムは、メソジスト−ホーリネスの背景を持つ癒しの伝道者となりましたが、クエーカー教徒やプレマスブレズレンの伝道者との交流の中で、「単なる儀式に過ぎない水のバプテスマ」ではなく、聖霊によるバプテスマに強く心を引かれると共に、異言に非常な関心を寄せるようになります。20世紀直前には、聖霊の助けによって奇跡的に、習ったことのない外国語を話すことができるようになったという、いわゆる「ゼノラリア」あるいは「ゼノグロッソ」といわれる現象の報告が、複数の宣教師からあったためです。彼はこの異言を、使徒の働き2章に見られたものであり、終末における世界宣教の働きを、速やかに進めるための神の賜物であると理解し、聖霊のバプテスマと共に熱心に求めるようになって行きます。そして、当時彼が開いたばかりの小さな聖書学校の学生に、自分と同じように、聖霊のバプテスマと異言を求めて行くように教えました。学生たちはそれを真剣に受け止め、使徒の働きの学びを通して、異言こそが聖霊のバプテスマの証拠(evidence)であると言う結論に達し、熱心に祈り始め、ついに1901年の元旦、アグネス・オズマンという女子学生が、実際に異言を語る聖霊のバプテスマを体験するに至ります。彼女は、初めは中国語、後には東欧の国の言葉を語ったと報告されています。それに続いてまもなく、パーハム自身と学生たちのおよそ半分も、異言を伴う聖霊のバプテスマを体験しました。[3] とはいえ、この出来事をきちがい沙汰と考えて聖書学校を去った学生も、少なくても2人はいたと言うことです。

 このときから、パーハムは異言の伴う聖霊のバプテスマの教えを、非常な情熱を傾けて広め始め、異言が聖霊のバプテスマの証拠であると主張して行きました。彼は「the Bible evidence(聖書の証拠)」という用語を好んで用いています。伝統的ペンテコステ教会の主張する、「証拠としての異言」の理解はここに端を発するものです。ただし、このころの異言は宣教のための外国の言葉、つまり「ゼノラリア」あるいは「ゼノグロッソ」という理解であったために、これを信じて、原語の学びをしないまま外国に出て行って失敗した報告が、次々と入って来るようになりました。それで1907年頃には、異言とは語る本人が知らない言葉を、聖霊によって語らされるものであり、地球上のどこかの民族の原語である可能性もあるが、大部分は人間にはわからない言葉、すなわち、「グロッソラリア」であると考えられように変化して行きました。[4] はたしてパーハムが、ペンテコステ運動の父と呼ばれるに値する人物であったかどうかは、その道徳的難点と教理的誤りの多さの故に、大いに疑問がありますが、先覚者であったことには間違いがありません。

ウイリアム・セイモアー (William Seymour 1870−1922)

 このペンテコステ運動の初期に、異言の理解という意味で特に大切な役割を果たしたもうひとりの人物に、ウイリアム・セイモアーというホーリネス系の黒人伝道者がいます。彼は、1905年にパーハムの聖書学校で学ぶ機会を得ますが、(先の聖書学校とは別)パーハムの人種差別のため教室には入れてもらえず、廊下で(カーテンの陰という説もある)講義を聞かねばならない困難を越えて、また当初は、彼自身がまだ体験していなかったにも拘わらず、異言の伴う聖霊のバプテスマの熱心な提唱者となります。しかし2年後には、早くも、異言は聖霊のバプテスマの証拠ではないと主張し出します。彼の変節の背後には、白人であるパーハムの激しい人種差別と、多分セイモアーとその働きに対する嫉妬からくる執拗なまでの個人攻撃、さらには、様々な誤った教えと逮捕にまで及んだ女性問題などがあったと考えられます。メソジスト−ホーリネスの背景を持つセイモアーには、そのように聖霊に反する行動を取っている人間が、聖霊のバプテスマを受けているとは認めることができませんでした。従って、彼が語る異言を、聖霊のバプテスマの証拠と認めることもできなくなったわけです。

 そこからセイモアーは、当然、聖霊によらない異言の可能性を主張し、キリスト教以外の、たとえば特殊な精神状態で起こる異言現象などにも考えを進めています。彼は異言を、聖霊のバプテスマの証拠はではなく、聖霊のバプテスマに「伴うしるしのひとつ」と考え、愛や清潔な行いなどのクリスチャン品性、すなわち、いま私たちが御霊の実と考えるものこそ、より高度な、本当のしるしであると理解するようになって行きました。これに対し、当時彼と協力していたフイッシャーという女性牧師は、彼がパーハムの行動を毛嫌いするあまり、聖書の教えから離れないようにと忠告していますが、彼は、働きにおいても異言に関する考え方についても、決定的にパーハムと袖を分かつことになって行きます。セイモアーの考え方は、当時、黒人たちの間に広く受け容れられて行きましたが、基本的には、現在のカリスマ運動や第三の波運動の人々とも共通するものです。一方、パーハムの考え方は、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団をはじめとする、伝統的ペンテコステの主流教会に受け容れられて、今日に至ります。

異言に関わる論争と用語

 パーハムとセイモアーとの確執と論戦は、ペンテコステ運動全体にたいする信頼性を失わせることになった反面、聖霊のバプテスマと異言に対する関心と理解を深める役を果たしたとも言えます。彼らに続いて有名無名の様々な人々が多くの見解を出し、現在、私たちの周囲で異言に関して問題とされているようなことがらの大部分は、たとえ取り扱いが未熟であったとしても、すでにこの頃、すなわち1900年からの10年間に論じられていたとさえ言えます。その中で、異言に対する用語も「the evidence(証拠)」、「the Bible evidence (聖書の証拠)」、「the evidential tongues (証拠としての異言)」、「the sign of tongues (異言のそるし)」、「the full Bible evidence (全聖書の証拠)」、「only evidence (唯一の証拠)」、「inevitable evidence (必然の証拠)」、「outward evidence (外的証拠)」などが現れてきますが、この最後の用語が後に「the physical evidence (肉体的証拠)」と発展したと考えられます。しかしこの当時は「the initial evidence (最初の証拠)」という表現はまだ用いられていません。概念的な理解の進展としては、当時ペンテコステ経験をした人々は、ほとんど、Iコリント12章の9つの賜物は、聖霊のバプテスマを体験して初めて得ることができると判断し、その賜物の行使を強調した様子がうかがえます。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団創立当時

 「initial evidence」(最初の証拠)という言葉が、いつ誰によって用いられ始めたのかは定かではありませんが、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団創立2年後の、1916年に採択された「基本的真理(Statement of Fundamental Truth)」の第6項に、「initial sign of speaking in tongues(異言を語るという最初のしるし)」なる表現が用いられています。しかし、当時はまだ教団の中に明確な統一見解があったわけではありません。事実この異言の理解の問題は、フレッド・ボスワースとダニエル・カーという、教団創立当時のふたりの指導者の論争に発展し、誕生間もない教団を揺るがします。ボスワースは、使徒の働きの異言とIコリント14章の異言は同じ賜物としての異言であると理解し、異言の賜物は一部の者にしか与えられないのだから、聖霊のバプテスマはすべての信じる者に与えられるものではないと考えます。また、異言が証拠であるという説は、聖書に明らかに教えられていることではなく、使徒の働きという歴史の記述の中に、わずか3回書き残されている事例からの推測に過ぎず、推測に立って教理をたてるべきではないと、「基本的真理」に反対します。これに対しカーは、使徒の働きは歴史の記述ではあるが、著者のルカは、数ある資料の中から自分の著作の目的に沿った資料を集め、目的に沿って編纂した、すなわち神学的意図を持って書いたのであると主張し、歴史記述からの教理の確立を擁護しました。さらにまた、物語形式の記述の中に、異言が現れた事実が3回も繰り返されているのは、そこから異言に関する教えを導き出すには充分であると、ルカが考えていたと判断します。ふたりの論争は、1918年に「基本的真理」の改訂版が出され、その中で、「the initial physical sign of speaking with other tongues(他の言葉《異言》で語るという最初の肉体的しるし)」という、カーの立場に沿った見解が確認され、それが「our distinctive testimony(私たち《教団》の特異なあかし)」であると説明されるに至って終結し、教団の公式な見解が確立します。そしてボスワースは、間もなく教団を去ることになります。その後しばらくすると、「the initial evidence」とか「the initial physical evidence」という言い方が、一般的になって行きます。

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団創立当時の「基本的真理」の役割は、これを厳しく適用して、これに合わない人間を排除することではなく、共通の理解へ向けての道標のようなものであったと考えられます。ボスワースのように、激しい議論の後に教団を去る者がいた一方、たとえば、後に教団の最も優れた指導者となった、ラズウエル・フラワーのように、自分は聖霊のバプテスマを受けたと信仰によって宣言してから、実際に異言を語るまで数ヶ月の開きがあったという事実を、神学的論争に発展させないでおおらかに受け入れる事もできたのです。あるいは聖霊のバプテスマそのものを「信仰の領域」と理解し、完璧な神学的な理論付けは不可能であると、喝破していたのかも知れません・

II.現代の異言問題

 現代も論じられている異言問題は、ペンテコステ運動の初期にあったような、ウエスレアン−ホーリエス系の人々からの反対論や、ペンテコステ経験をした人たちの間で行われた、聖書的神学的見解の形成のための「すり合わせ」の議論とは異なり、カリスマ運動や第三の波系の人々との、共通理解へ向けての論争ですが、学問的により深くなったとはいえ、内容的には初期の論争とあまり変わりはありません。

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と伝統的ペンテコステ教団

 ちなみに、2001年に出版されたアメリカ・アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の「基本的真理」(Sixteen fundamental truth)第8項のタイトルでは、異言は聖霊のバプテスマの「the initial physical evidence(最初の肉体的証拠)」と表現され、その説明文では、「the initial physical sign(最初の肉体的しるし)」となっていますので、「evidence」と「sign」 が同じ意味で用いられていることがわかります。この、異言が聖霊のバプテスマの「証拠」、または「しるし」であるという見解は、多くの伝統的ペンテコステ教団の共通の見解とも言えるものです。これに対する、最も一般的な反対意見は、異言は聖霊のバプテスマの多くの証拠の一つに過ぎないというものです。

 これは、日本においては一般に、「the sign (これこそがしるし)」か、「a sign(これもしるしのひとつ)」かという議論で知られているものに近い議論です。英語ではこのような言葉で議論されたと言うことは聞いたことがありませんが、多分、聖書学校で教えた宣教師あたりが、「the physical sign」か「a physical sign」かという議論を、「the sign」か「a sign」かという易しい英語にして教えたのが、広がったのではないかと想像するものです。私たちも、「使徒の働きに記されている聖霊のバプテスマには、幾つかの現象が伴っていました。しかし、3つの場合すべてに伴ったのは異言であるという事実から、異言こそしるしであると考えるのが、『the sign』の立場であり、風の音や火の用にわかれた舌、あるいはその他の色々な現象をもしるしと認め、たとえ異言を語らなくても聖霊のバプテスマを受けることができると考えるのが、『a sign』の立場です」と、教わって来たように記憶しています。

 しかしこの議論は歴史的に正確さを欠くようです。ペンテコステの教理の発展過程を見ると、問題になっていたのは、風の音や火のようにわかれた舌などの「伴う」現象ではなく、愛や優しさや聖い生活、あるいは9つの賜物と力ある働きなど、「後に続く」ものこそが、本物の証拠であるという議論でした。そのような見解に対する反論として構築されたのが、「the initial physical evidence」であり、「the initial physical sign」だったわけです。ですから、ここで「the initial(最初の)」と言っているのは、風の音や火のようにわかれた舌に対して最初なのではなく、御霊の賜物や、御霊の実に対する「最初」であったわけです。使徒の働き2章の例では、風の音や火のようにわかれた舌の方が先に現れているのです。したがって、「>physical」というのも、風の音や火のようにわかれた舌といった「物理的現象」としての physical ではなく、肉体に現れる、あるいは肉体を伴った人間の内に現れると言う意味の、physical であったわけです。日本語で「肉体的な」と翻訳されていた通りです。[5] とはいえ、品性や働く能力を、たとえ人間の内に現れるものであったとしても、「physical」という言葉で表現するのには、やはり無理があります、これは基本的真理の宣言が、厳格な聖書の学びに立った、神学的な宣言ではなく、論争にたいする答えとしての宣言で、当時隆盛を極めた自然科学主義的用語を借用したため、神学的には曖昧さが残ったものと考えられます。

聖めと聖霊のバプテスマ

 ともあれ、聖められたクリスチャン品性こそが、聖霊のバプテスマの証拠であるという議論も、あるいは、少なくても聖霊のバプテスマの証拠のひとつであるという主張も、聖書によって証明されるものではありません。メソジスト−ホーリネスの考え方を聖書に読み込んだものに過ぎません。もし、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が「initial」と言うとき、それがこれらのものに対して「initial」だというならば、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団もこれらを証拠であると認めていることになり、メソジスト−ホーリネスの影響を強く受けているという事実を示すことになります。確かに、クリスチャン品性は聖霊の働きに関わり、聖霊のバプテスマとも無関係ではないということは、パウロの聖霊論によって言うことができますが、聖霊のバプテスマの直接の目的、あるいは結果であると言う教えは、聖書のどこにも見出せないからです。

 聖霊のバプテスマが聖めと結び付けられたのは、聖霊がもともと聖い霊であり、クリスチャン生活の聖さに関わる上、バプテスマのヨハネがキリストについて、「聖霊と火によってバプテスマをお授けになる」と語ったこと、ペンテコステの日の出来事に、「火」という表現が用いられる現象が付随したことなどからの連想のようです。「聖霊のバプテスマすなわち火のバプテスマ」、「火はきよめるものであるから聖めのバプテスマ」と、類推されたためだと考えられます。また、ヨハネが「聖霊と火」と言ったときの火は、私たちホーリネスの伝統を持つ教会の一般的理解である、「聖めの火」ではなく、「裁きの火」であることは、前後関係に注意して読むとすぐ明らかになります。確かに聖霊は聖い霊ですが、聖霊という「お方」の聖める働きと、力を与える働きは、二つの異なった働きです。ですから私たちは、聖められたという体験を持っている人たちの体験を大切にすべきですが、彼らがその体験をもって、聖霊のバプテスマであるというならば、そのように言う根拠を聖書から求めなければなりません。

賜物と聖霊のバプテスマ

 また、御霊の賜物、特にIコリント12章に挙げられている9つの賜物を持つことが、聖霊のバプテスマの証拠であると考えるのも誤っています。初期のペンテコステ派の人々のほとんどが、9つの御霊の賜物は聖霊のバプテスマを受けて後、初めて与えられると主張していたため、9つの賜物のひとつでも用いている者は、たとえ異言を語らなくても、聖霊のバプテスマを受けていると考えられるようになってしまったのでしょう。聖書には、聖霊のバプテスマを受けていなければ、9つの賜物は与えられないという教えはありませんし、そのように推測できる出来事もありません。基本的に、御霊の賜物は聖霊のバプテスマとは、別々に与えられるものです。聖霊のバプテスマは、ルカの記述によりと力に関わるものであることが明らかで、パウロの記述と整合させて考えると、賜物をより効果的に力強く用いるための力であると、組織神学的に推測することができます。聖霊のバプテスマを与えられて初めて、九つの賜物をいただくことができるのではなく、聖霊のバプテスマによって、9つの賜物を力強く効果的に用いることができるようになるのです。また、9つの賜物だけを特別に扱うのにも疑問があります。9つの賜物は、そのときパウロの心に思い浮かんだ、より顕著な賜物だったのでしょう。しかし、パウロ自身が他の個所で列挙している様々な賜物とは異なる、特殊なのもであったと考える理由はありません。聖霊のバプテスマも、賜物を与えるのも聖霊の働きです。しかし、聖霊のバプテスマはキリストが与えてくださるものであり、能力としての賜物は聖霊が与えてくださるものです。

 そういうわけで、現在、「異言を話したことはないけれども、聖霊のバプテスマを受けている」と主張する方は、その人の霊的な体験が、聖霊のバプテスマであると主張できる、聖書的な根拠が必要です。奇跡や癒しを行うことができる力を持っている、あるいはその他の感動的な霊的体験をしているというのは、みな素晴らしい体験です。私たちはそれを尊重します。しかし、それが聖霊のバプテスマであるという主張には、聖書的な根拠がない限り、「否」といわざるを得ません。

 こうして見ますと、先に触れた「the sign」と「a sign」という言い方は、たとえそれがアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の正式な見解ではなく、また、このような議論が英語でされたとういう記録がなくても、案外、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の立場をより正確に表現しているように思います。「the sign」という言い方で、物理的に聖霊のバプテスマに「伴った」様々な出来事も、肉体的に、あるいはクリスチャン生活の中に「後に続いて起こった」現象も、しるしである可能性は否定しないまでも、「これこそしるしである」と言えるのは、異言だけであると断言できるからです。

ルカの福音書から神学を立て、教理を作ることは可能か

 ところで、いま聖霊のバプテスマに関する教理の問題で、最も熱く論じられているのは、この教理が使徒の働きという歴史書だけに立っているという点です。現在、おもに福音派の人々が、ペンテコステ運動に反対する立場から、歴史書のような叙述文から教理を立てることは誤りであると論じ、もっぱらルカの歴史的叙述に立つペンテコステ信仰を、基盤のないものと断じています。ペンテコステ陣営の著名な学者の中にも、これに組する者が現れ、もともと学問には不慣れな私たちを不安に陥れています。とはいえ、このような見解にたいして強力な反論がされているのも事実です。それによると、たとえ、教育を目的とした直接の記述ではなく、歴史的叙述であったとしても、著者は明らかに神学的背景と教育的意図を持って、資料を集め編纂したものなのだから、そこから神学を構築し、教理を打ち立てることは可能であり、また正しいことであるということになります。これは、先に触れたダニエル・カーの考え方と基本的に同じですが、現在は学問的にさらに深められて、「redaction criticism」と呼ばれています。

 実際、すべての教会の神学が、モーセ5書をはじめ、旧約聖書の叙述文を用い、それを基盤としています。当然、4福音書も用いています。叙述文からは神学を構築することができないとすると、すべての神学を一度崩壊させなければなりません。ですから、私たちがルカの文書を神学の基盤として用いたとしても、他の神学的伝統を持つ人々に比べ、特別に非常識なことをやっているのではありません。私たちは、ルカという優れた人物が、テオピロと呼ばれる読者に伝えたい事柄を、正確にそしてより効果的に伝えるために、広範囲に資料を集め、目的に沿って編纂し記述して行った前後2巻の書物が、充分に神学の基盤となり得ると判断します。とはいえ、「叙述文では3回もくりかえして語られれば、そこに充分な意図をくみ取ることができる」という、ペンテコステ陣営の議論には素直に賛成できません。lang=EN-US>4回ある聖霊のバプテスマの記述の内、3回に限ってだけ異言に言及しているのは、かえって、著者ルカは、この記述の中では、異言が証拠であると言おうとはしていなかった、意図していなかったためだと考えられるからです。 

 むしろルカの記述で大切なのは、コルネリオの救いと受霊についてです。この物語においては、異邦人伝道に対するユダヤ人信徒の好ましくない反応を予測した、聖霊の周到な準備が強調され、出来事全体が聖霊の導きと支配の中に起こったことが明確に述べられています。その中で、コルネリオをはじめ、ペテロの話を聞いていた者すべてに聖霊が注がれました。この場合、聖霊が注がれたという事実が、神は異邦人をも差別なしに救いに入れてくださるという「証拠」となり、その聖霊が注がれたという出来事は、最初の時と同じような現象が起きたという事実によって確認され、最初の時と同じという判断は、異言が話されたという事実によって確定されました。それが、ペテロの判断であり、彼と同伴した者たちの判断であり、また、その報告を聞いたエルサレムの兄弟たち全員の一致した判断でした。そしてそれはまた、著者ルカの判断でもあったはずです。このルカの記述の中には、異言が聖霊のバプテスマの証拠となり得るという、ルカの神学が示されていると考えることは、充分に可能であると考えます。

 しかし、「redaction criticism」に立ってルカの記述を解釈し、異言は聖霊のバプテスマの証拠であると言い切るには、躊躇するところがあります。なぜなら、ルカはそのように断言していないからです。また、たとえルカと初代教会のすべての者が、異言を聖霊のバプテスマの証拠とみなしたとしても、それは、異言が聖霊のバプテスマの証拠となり得たということで、証拠として与えられたということにはなりません。異言の目的は他にある可能性もあるからです。パウロの書簡のように、直接教える文体となっている書物を解釈して断定するのは「比較的」容易です。しかし、ルカの文書のように歴史の記録の形で残されているものは、たとえそこに神学的意図があったとしても、それを解釈し断定するのは非常に困難です。解釈の余地というか、想像、想定、推測、憶測の余地が多いため、様々な理解が可能になるからです。読み取り、判断するのはあくまでも私たちであり、そこには間違いの可能性があるのです。

 とはいえ、ルカの記述を通して、異言を語る聖霊のバプテスマは、初代教会のすべての信徒が体験するように期待されていたと、判断する事はできます。極めて「norm」(基準)に近い、「normal」(一般的)な体験と言えるでしょう。ルカは、キリストの「・・・・天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」というお言葉を記して、聖霊は積極的に求められるべきものであると主張しているのです。すなわち、まだ体験していないものは体験すべきものとして、ルカは勧めているからです。

パウロの神学でルカの文書を理解しようとする誤り

 ルカの叙述文から聖霊の神学を構築することに反対する人たちの多くは、教えることを目的とした記述であるパウロ書簡のほうが、叙述文のルカ文書より重要であると考え、パウロの聖霊論とその用語を通して、ルカの聖霊論を理解すべきだと考えています。彼らは、パウロが強調したのは救いに関わる聖霊の働き、救われた者の内に住み、成長を促す聖霊の働きであり、聖霊のバプテスマやそれに伴うしるしや証拠などについては何も語っていないのだから、それらをあまり重要視すべきではないと、片付けてしまいます。

 しかし、ルカ文書もパウロ書簡も、共に霊感を受けたものです。書き方は異なっていても、共に読む者に情報を提供し、教え導く目的を持って、「神学的」に書かれたものです。したがって、共に現在の私たちにとって重要な内容を持つものです。さらに、これらは互いに矛盾するものではなく、補い合うものです。ルカの神学の大部分、また情報のある部分は、彼の師匠であったパウロから与えられたものであることは、容易に推測できます。またルカは、まだパウロが存命中に彼の著作を完了したという可能性が非常に高く、そうであったとするならば、パウロの神学に矛盾することを書くはずはありませんでした。パウロは、ルカが書いたこれらの文書を読んだ可能性さえあるのです。ふたりの文書が、表面的には、神学において異なっているように読めるのは、パウロはパウロの視点から書き、ルカはルカの視点から書いたからです。パウロは救済論と教会論的視点から広範囲に聖霊の働きを記し、ルカはほとんど宣教論的観点に絞って聖霊の働きを記しているのです。ですからパウロは、聖霊とは、信徒が自覚していようがいまいが、救いの瞬間、彼の中にお住みくださるお方であり、信徒をキリストのみ体にバプタイズしてくださるお方であり、聖め、強め、賜物を与え、実を結ばせてくださるお方として語っています。しかしルカは、聖霊とは積極的に求められるべきお方であり、キリストによってバプタイズの体験として与えられるべきお方であり、弱いものに力を与え、導き、助け、しるしと不思議をもって宣教を推進して下さるお方として書いているのです。そういうわけで、パウロの神学を持ってルカの文書を理解しようとする試みは誤っています。

ルカの神学でパウロの文書を理解しようとする誤り

 一方、ルカの神学と用語を持って、パウロの文書を理解しようとするのもまた誤りです。この点で、ペンテコステ派の人々にも、間違いがあったと考えられます。たとえば、聖霊のバプテスマに伴う証拠としての異言という、ルカ文書による神学を持って、パウロの異言に関する教えを解釈しようとする試みも、そのひとつです。元来ペンテコステの人々は、Iコリント12〜14章においてパウロが教える異言は、聖霊のバプテスマに伴う異言とは異なる目的を持つものであると考えてきました。聖霊のバプテスマに伴う異言は、あくまでも「しるし」に過ぎないというわけです。さらに、パウロは14章の中で2種類の異言、すなわち、祈りとしての異言と預言としての異言について語っていると解釈してきました。しかし、パウロの教えを素直に読む限り、すなわち、ルカの神学をそこに読み込まない限り、パウロが、ルカの記録した異言とは異なる目的を持った異言について、語っているとは考えられませんし、祈りの異言と預言の異言という区別もつけることはできません。パウロはひとつの異言について語っているだけです。異言は人にたいして語られるものではなく、すなわち、預言ではなく、神にたいして語られるもの、すなわち祈りです。(Iコリント14:2)

 ある人たちは、聖霊のバプテスマに伴うしるしとしての異言には、ある種の混乱が伴った、すなわち語る者はコントロールを失ったが、パウロが取り上げている異言は、語る者のコントロールのもとに置くことができることを前提としているのだから、二つは異なる種類の異言であると主張します。このように主張する人たちのルカ文書の観察は正しいと思いますが、結論は違うように思われます。バプテスマに伴う異言は、物事のはじまり、入り口、すなわちイニシエーションの異言であり、その場では、コントロールを失うことも大いにあり得ますが、パウロが語るのは通常の集会での異言です。パウロはイニシエーションを過ぎた後の公の場には、イニシエーションの場で往々にして見られ、またそれゆえに正当化されていた混乱を、持ち込んではならないと戒めたと考えるのが自然です。パウロは異言を高く評価して、自分が誰よりも多く異言を語っていると言っていますし、すべてのクリスチャンが、彼のように異言を語ることを望んでいます。ただしそれは、基本的に個々の信徒の信仰にとって益になることで、教会全体の益になるものではないために、公の場ではつつしみ、節度を持ってやるようにと教えているのです。パウロは異なる言葉を評価していない、あるいは低く見積もっているという、多くの福音派の人々の主張は、まったく間違っています。

 また、先に述べた9つの賜物が、聖霊のバプテスマを与えられた後に初めて与えられるものであると考えるのも、ルカの神学をパウロの文章に読み込んでいる例です。パウロは救済論的・教会論的視野から聖霊について語っています。ですから、聖霊は新生のときに内住してくださったのです。あるいは、内住してくださったから新生できたのです。その聖霊は新生した者をさらに育て上げ、賜物を与え、教会の一員として、あるいはキリストのみ体の一部として機能させ、教会の徳を立てさせてくださるのです。パウロは、教会の全体的姿の中で宣教を取り扱い、その中で、聖霊の関わりについても触れてはいますが、ルカがやったほどには、宣教論的視野から聖霊を取り扱ってはいないのです。ですから、聖霊のバプテスマという体験についても、ルカとは異なった取り扱いをしているのです。パウロの著作は、パウロの用語と神学の中で理解されるべきであり、同様に、ルカはまたルカの用語と神学の中で、独自に理解されなければなりません。その上で、両者の理解の調和を求めるのが正しい解釈法です。多くの組織神学者がやるように、聖書全体から好きなように節や句や用語を引きずり出し、自分の論を構成してはならないのです。

 では、9つの賜物のひとつである異言を語る賜物、あるいは異言を解き明かす賜物は、聖霊のバプテスマを受けなくても戴くことができるのでしょうか。パウロとルカの文書をそれぞれの用語と神学の中で学ぶ限り、この問に対して完全に答えることはできません。とは言え、ルカが異言を聖霊のバプテスマの証拠と考えていた可能性が非常に高いことから、ルカの神学を押し進め、推測して行くと、聖霊のバプテスマを受けていないまま異言の賜物を戴くことは、まずあり得ないと考えられます。もし行使している賜物が「正真正銘」の異言であるならば、語る本人が自覚していなくても、聖霊のバプテスマを受けていたと考えるのが、より真実に近いことでしょう。ただし、神に不可能はなく、またご自分の権威をもってまったく自由に振舞うことができる方であることも、理解しておかなければなりません。神は、私たちの神学に捕らわれず、私たちの教理を超えてお働きになります。

 またある人たちは、聖霊のバプテスマに伴う異言は、すべてのクリスチャンに与えられるべきものであるのに比べ、異言の賜物は限られた者だけに与えられるのであるから、これらは別々の、異なった機能と目的を持つ異言であると主張します。しかし異言の賜物が、限られた者にしか与えられないように計画されているとは、教えられていません。むしろ、異言の賜物は、すべての者が受けるように期待されているものではないでしょうか。ただ、現実には、まだまだ与えられていない者がたくさんいたようですから、ルカは、聖霊を(すなわち聖霊のバプテスマを)求めるように勧めているのです。すべての者が異言を語っているのではないという、現実を記しているのです。同じような例は他にもあります。救いはすべての者を対象にしていると、少なくても、私たちは信じています。しかし、現実に救われるものはわずかです。ルカは、すべての新約時代の信徒たちは「預言者」であることを教えています。しかしパウロは、現実にはわずかの人たちしか預言をしていないことを記しています。癒しは贖いの中に含まれているものであり、すべての者に与えられている主の権威によって実行できるものです。しかし、現実には多くの者がそれを実行しているのではありません。ですから、異言の賜物を、聖霊のバプテスマに伴う異言と、別のものであると考える必要はないと思います。

正真正銘の異言

 さて、先ほど「正真正銘」という言葉を用いましたが、これは当然、偽物の異言があるという前提に立った言葉です。ある種の精神状態で語る異言があると言うことは、すでにセイモアーの議論の中にも出てきましたが、現在では、かなり突っ込んだ心理学的な観察と学びがされています。私たちはいま、いわゆる異言現象というものが、世界各地の宗教の中にもあることを知っています。キリスト教関係では、「マリヤ様」を礼拝して止まない謙遜なカトリック信徒が異言を語ります。モルモン教会では、教義の上でも実践の上でも異言が大切なものとされています。日本では景教の影響を受けた真言宗が、異言を語ることを奥義として大切にしています。私たちの周りにも模倣による異言、あるいは誰かに教唆されて「ラララ」と語り出す異言があることも知っています。ですから、単に異言を語ったという事実だけでは、聖霊のバプテスマを受けたという証拠にはなり得ないのです。コルネリオの場合は、そのような偽物の存在がまだ知られていなかったために、異言が証拠の役割を果たしました。また、ペテロには霊を見分ける、あるいは聞き分ける力もあったことでしょう。しかし現在の私たちは、はたして正真正銘の異言であるかどうか、注意深く見極めなければなりません。とはいえ、偽物があると言うことが、本物を無効にするものではないことを、付け加えておかなければなりません。

 では一体、何が、証拠である異言が本物であると言う証拠になるのでしょう。もちろんルカはそのようなことに頓着していません。当時の教会では、異言を証拠と見ても良かった状態にあったのであり、私たちの環境とは違うからです。一方、聖霊のバプテスマのもたらす結果は、宣教における力、大胆さと言えるでしょう。ルカの記録では、聖霊のバプテスマを受けた者は、みな大胆に福音を語るようになっているからです。そして皮肉なことに、現代においては、「証拠としての異言」は、聖霊のバプテスマが本物であったかどうかということによって、その真実性が試されるのです。

聖霊のバプテスマの目的

 ルカは明らかに、聖霊のバプテスマと力を結び付けています。しかし私たちの教団を含めて、伝統的ペンテコステ教会が、聖霊のバプテスマの目的を宣教の力、証の力と考えるのは、少しばかり行きすぎのように思います。それは、あくまでもルカ文書だけからの判断であり、ルカの神学としてはそのように言えなくはないとしても、教団の教理とするには疑問が残ります。ルカは、宣教論的視野から論じているために、そのように語っていますが、もっと広範囲な視野で聖霊の働きについて語っているパウロの聖霊論との調和を試みると、聖霊のバプテスマの目的を力とするのは適当ではなく、聖霊のバプテスマの結果も、力の分野に限ることではないと思います。

 ルカは聖霊のバプテスマという、クリスチャン人生における1回きりの出来事を強調した上で、その聖霊にくりかえして満たされることにも触れています。パウロは1回きりの聖霊のバプテスマには触れず、クリスチャンが聖霊に満たされ、満たされ続けることを強調しています。[6] 牧会上の具体的問題を主に取り扱っていたパウロにとっては、聖霊のバプテスマはノーマルな、つまり通常のクリスチャン経験であり、ことさら取り上げて論じる主題ではなかったと考えられます。彼の関心はむしろ、聖霊のバプテスマというイニシエーションの経験の後に続く、日常の信仰生活あるいは教会生活だったのです。先に述べたように、異言に関しても、パウロの関心は日常生活、あるいは教会の集会の中における、継続の問題にあったのです。

 ルカの文書を読むと、聖霊のバプテスマが力や大胆さに関わっていることは明白ですが、それが、聖霊のバプテスマの目的であると言う結論は出てきません。むしろ、力や大胆さは、聖霊のバプテスマのひとつの結果、あるいは顕著な結果と考えた方が、パウロの神学と調和が取れますし、私たちのクリスチャン経験の上からも納得できると思います。聖霊のバプテスマを受けても、力や大胆さにあまり影響を受けない例も少なくありません。では、聖霊のバプテスマとは一体何を目的とした現象なのでしょう。ここで私は大胆な提唱をしたいと思います。最初に述べましたように、私には深い神学的学びは荷が重過ぎますので、どなたかに突っ込んだ研究をして戴ければ幸いです。

 私には、聖霊のバプテスマの目的は、神との交わりであるように考えられます。より高く、より深く、より純粋で、より濃厚で、より親密な、神との交わりのためにあるのが聖霊のバプテスマです。というより、聖霊のバプテスマとは、そのような交わり自体であり、そのような交わりの入り口であり、そのような交わりが継続するための始まり、イニシエーションです。聖霊のバプテスマを交わりと捕らえることによって、聖書全体の主題とより良く調和し、パウロの聖霊論とも美しく調和するのです。

 聖書全体のテーマは失われた神と人との交わりの回復です。交わりがあってこそ、人間は生きていたのですが、交わりを失った人間は命の源である神から離れ、たとえ生物学的には生きていても、神のみ前の本来の人間としては、死んでしまい、命をなくしてしまったのです。この、命の回復、交わりの回復が、全聖書を通しての主題です。その交わりの回復は、キリストの贖いによる、神の側からの一方的な和解によってもたらされました。交わりの回復のために、神は神の位を捨て人となることによって、罪人との交わりをある程度可能とし、人と共に住んでくださいました。交わりの回復のために神は十字架に贖いを完成し、隔てを象徴していた神殿の幕を二つに裂き、私たちが恐れなく御許に近づけるようにしてくださいました。そしてさらに勝った交わりのために、神の聖霊は臨んでくださり、人の内に住んでくださいました。しかし、神はもっと高度な、あるいは親しい交わりを望んでおられます。私たちはやがて、キリストのみ姿に似せられて、永遠に、神との隔てなき交わりの中に入れられるのですが、今この世の中においても、来るべき真実なものの前味として、また証印として、聖霊なる神との交わりを楽しむことができるのです。

 交わりには色々な種類と様々な段階があります。友人のような交わり、仕事上の交わり、兄弟の交わり、親子の交わりそして夫婦の交わりがあります。それぞれの交わりの性質があり、交わりの深さも異なります。聖霊のバプテスマにおける神との交わりは、およそ考えられる神との交わりの中で最も深く親密で、しかも純粋な交わりのひとつです。「バプテスマ」という用語が選択されているように、それはまさに全霊、全人格が、聖霊なる神の中にまったく浸され、溶かされてしまうような交わりです。そして、異言はそのような交わりに用いられるように、神が特別に備えてくださる言葉です。

 言葉というものは、交わりの手段ではありますが、かえって交わりの妨げとなることがあります。言葉がたりなすぎる、薄すぎる、充分に思いを、感動を、愛を、情熱を、伝えることができなくなることがあります。特に交わりの段階が深くなるごとに、普通の言葉は意味をなさなくなり、用を足さなくなります。恋人同士の言葉は言葉の意味を超え、夫婦の言葉も言葉を無用にする言葉になることがあります。聖霊のバプテスマという、感動的な神との交わりの高嶺では、通常の人間の言葉が言葉としての用を足さなくなり、もっと、言葉を越えたところの、人間の理性的部分をつき抜けた、心の交わりとなります。しばらく前のことですが、中国残留孤児を捜し求めていた父親が、とうとう自分の息子を見付け出し、対面する場面を、テレビで見たことがあります。抱きしめあいながら、涙を流して、互いに「おーおーぐわーぐわー」と言葉にならない言葉で語り合っていました。「意味のない言葉にも意味が有るのだなぁ」と思ったものです。

 神は、人間がその存在の最も深いところで、あるいは最も本質的な部分で、ご自分との交わりを持つために、言葉をお与え下さいました。それが、意味の有る言葉であろうと、意味をなさない言葉であろうと、人間が理性を超えた深いところで神との交わりをするために、神が与えてくださった言葉、それが異言ではないでしょうか。これは、あるいは、パウロがロマ書8章26−27節で述べている、「御霊ご自身が言いようもない深いうめきを持ってとりなしてくださる祈り」なのかも知れません。実のところこれは、ペンテコステ教会の伝統的な理解ですが、現代の厳密な聖書の解釈によっても、この伝統的な理解のし方が正しいと考えられるのだそうです。

 このように考えると、異言というものには、はっきりとした目的と意義があると言うことになります。実のところ、伝統的ペンテコステ教会の教えでは、聖霊のバプテスマに伴う異言には、証拠あるいはしるしとしての価値しか与えていないために、非常に異言を強調しているようでありながら、本当のところでは異言を軽視しています。しばしば、「異言を求めるのではなく、聖霊のバプテスマを求めなさい」と教えられる通りです。それは、大切なのはあくまでも力の付与としての聖霊のバプテスマであり、異言は単なるしるしであって、それ以上のものではないという認識があるからです。しかし、聖霊のバプテスマを交わりの極みのひとつであり、さらに勝った交わりへの入り口と考えると、その交わりの手段として与えられている異言というものは、大変大切であるということになります。言い方を変えると聖霊のバプテスマは、異言という手段を通して、始めて可能になる交わりです。異言は単なる「付随する」証拠やしるしではなく、聖霊のバプテスマを「構成する」大切な要因であるということです。異言はどうでも良いですから、聖霊のバプテスマを与えてくださいと祈るのは、あんこの付いていないぼた餅をねだるようなものです。異言は人間の頭脳の限界をえた、知性を超えた、心のコミュニケーションの手段です。聖霊のバプテスマとはそのような種類の、またそのような段階の交わりであると言うことです。

 もちろん、これ以外にも、パウロが第三の天と表現したような深い交わり、親しい交わりもあるはずです。しかし、聖霊のバプテスマは、神の強烈な臨在を感じ、愛を感じ、聖さに打たれ、ともかく神の神格(人格にたいし)すべてに触れることであると考えます。そのような状態では、人間は自分を制御できなくなることもあるでしょう。使徒の働き2章のように、酔っ払いに間違われることも有るでしょう。また、その交わりの素晴らしさに酔いしれて、忘我の状態になることもあるかもしれません。パウロは「酒に酔ってはならない。むしろ御霊に満たされなさい」と勧めていますが、これは御霊に満たされた状態と酒に酔った状態に、類似点があることを推測させます。それはただ、自己制御ができなくなる場合があるということではなく、気持ちが良く、酔いしれたような状態になるということでしょう。このような神との交わりを体験をした者は、当然大胆になります。力強くなります。神の臨在と愛に打たれて、恐れもなく、孤独をも感ずることなく、より聖く、より愛に溢れて行くようになります。それは当然の結果です。ただ、宣教論的な取り扱いをしたルカは、それらの様々な結果の中から、宣教の力、証人となる力を強調したのです。

結び

 ルカの文書を読む限り、聖霊のバプテスマには異言が伴っていたと理解すべきです。また、彼の記録したコルネリオの物語から、彼が、異言を聖霊のバプテスマの証拠、あるいはしるしとみなしていたこと、また、聖霊のバプテスマが神に受け容れられたことの証拠と考えていたことがわかります。また、ペテロも、ペテロに同行した兄弟たちも、エルサレムの兄弟たちも、さらには、パウロがルカの著書を読んでいたとすると、パウロも同じように理解していたと考えられます。さらにルカの著作を読む限り、聖霊のバプテスマの目的は、証人となる大胆さ、宣教の力であると考えられそうです。しかし、それはあくまでも、ルカ文書だけからの判断にすぎません。ルカ文書から神学を構築することは間違っていません。しかし、ルカ文書だけから、ひとつの教団の教理を立てるのは、適切ではありません。もっと広く、パウロ文書をはじめ、聖書全体の教えとの調和を求め、もっと大きな神学的主題と枠の中で立てられてこそ、教理と言えるのではないでしょうか。

 そこで、異言に関して書き残しているルカとパウロの文書を、個別に解釈した上で、両者の調和を求めると、聖霊のバプテスマは力や大胆さのために与えられる体験ではなく、神との交わりそのものであり、その交わりは、神が備えられた異言と言う超自然的な手段、あるいは媒体を通して行われるものであると言えないでしょうか。したがって異言は、聖霊のバプテスマに付随する証拠でもしるしでもなく、聖霊のバプテスマを聖霊のバプテスマとしている重要な、絶対に欠く事のできない要因です。すべての聖霊のバプテスマに必ず伴うものです。そういうわけですから、「異言を伴った神との交わりの最初の体験」を、聖霊のバプテスマと呼ぶと、定義することができるでしょう。

 また聖霊のバプテスマは、神との交わりの最も高く、深く、親密なもののひとつであるために、それを体験した者は、その場では自己を制御できなくなったり、恍惚となったりする事もあり得ます。また、当然、いよいよ神を愛するようになり、聖い生活をしようと願うようになり、罪と悪と戦うようになり、喜びに溢れるようになり、さらには力強くなり、大胆になり、与えられた賜物をより効果的に用いて、仕えて行くようになります。

 異言は、聖霊のバプテスマの証拠以上のものです。それは聖霊のバプテスマの重要な要因です。これがなければ聖霊のバプテスマはあり得ないのです。異言を通して、はじめて可能になる、神との交わりのレベルがあります。それが聖霊のバプテスマと、それに続く異言による祈りを通しての交わりです。これを単なる証拠と考えて、その価値を見失ってはならなりません。しかし、現在異言を観察したならば、それがただちに聖霊のバプテスマの証拠、あるいはそのような深い神との交わりが行われている証拠になるのではありません。聖霊のバプテスマとは関わりのない異言があるからです。また、異言も、習慣化すると、単なるくり返しになり、心が伴わなくなる事もあるからです。とはいえ、私たちは、もっと積極的に異言の価値を認め、それを語る事を求め、語るように勧めて行きたいものです。



[1]    実際には、カリスマ運動も第三の波運動も、もっと様々な流れの人々が複雑に絡んでいますが、非常に大まかな捕え方をすると、このように言えると考えます。

[2]   イルビンは夭折し、彼がそのレストレーション的傾向によって任命した12人の使徒も、後継者を残さず死去してしまったためです。しかしドイツで誕生した、この教会の娘教会とも言える、新アポストリック教会は現在まで継続し、世界に5〜600万人の信徒を持つ働きになっています。

[3]   この有名な物語は、どうやらパーハムが「脚色」したものだったと考えられるようになっています。当時の資料を調べた最近の学びによりと、真実は少しばかり異なっていたと思われます。アグネス・オズマンは、1900年の末にすでに「異言」を語り出していたようですし、彼女の異言はグロッソラリアであったのに、グロッソラリアの価値を認めていなかったパーハムが、無理に「中国語」あるいはその他の言葉に仕立て上げたというのが、どうやら、真相に近いと思われます。また、彼女が中国語で語るだけでなく、中国語で書いたという出来事も、脚色の臭いがします。

[4]   その当時のアメリカには、英語を話すことができない人々が20%以上いたといわれ、人々は様々な外国語を耳にしていました。ある人たちは「ゼノラリア」を、そのような外国語が意識下に蓄えられ、ある心理状態になると現れてくる現象と考えています。また、当時は異言で書くという現象も報告されましたが、広くは受け入れられませんでした。日本では、ゼノラリアもグロッソラリアもまとめて、異言と呼ばれています。

[5]   聖霊のバプテスマに「伴うしるし」という観点から、著者は以前「physical evidence」を「肉体的証拠」と翻訳すのは不適当であり、「物理的証拠」とすべきであると、どこかに書いた記憶がありますが、initialという英語は、「時間的に、あるいは配列上で最初」という意味で、「大切さで第一」という意味はありませんので、やはり「肉体的」と訳すのがよいかも知れません。ただし、「肉体的」という訳にも問題があるのは本文のとおりです。

[6]   Iコリ12:13は、いま論じている聖霊のバプテスマではなく、聖霊がクリスチャンになった者を、キリストの体にバプタイズすることについて語っているものです。


Copyright © 2007 Masaaki Sasaki All right reserved.