The Holy Spirit in the Bible



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預言と成就


 福音記者のヨハネは、当時、キリストの内には聖霊が働いておられ、人々の中にも聖霊のみ業が顕著であったにもかかわらず、「私を信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、いける水の川が流れ出るようになる」というキリストのお言葉に、わざわざ「これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである」と注釈を加えています(ヨハ7:38−39)。つまり、キリストにはすでに聖霊は注がれていたが、ここでキリストがおっしゃった出来事、すなわち「一般の人々」に聖霊が注がれるということに始まる出来事は、まだ未来に属することであり、その場では体験できない事であったのです。ヨハネは、このキリストのお言葉を記録した福音書を書いた当時、キリストがお話になったその出来事を、すでに自ら体験していて、このような「注がれる」という説明を加えたのです。

 キリスト御自身も、聖霊に関する一連の教えの中で、聖霊はご自分がこの世を去らなければこの世においでにならないと、非常に明確にお話になりました(ヨハ16:7)。また同時にキリストは、聖霊を遣わすのはご自分の役割だということも、はっきりとお告げになりましたが(16:7、15:26)、一方では、ご自分が父にお願いするならば、父は聖霊をお遣わしになるとも(ヨハ14:16)、父が私の名によって聖霊をお遣わしになるともおっしゃっています(ヨハ14:26)。さらにキリストは、甦った後でさえも、「父の約束してくださったもの」(ルカ21:49)、あるいは「私から聞いた父の約束」という表現でこれを語り、続けて「もう間もなく、あなた方は聖霊のバプテスマを受けるからです」と、失望している弟子たちを励ましておられます(使1:4−5)。これはまた、バプテスマのヨハネが、キリストを指して「聖霊と火によってバプテスマを授ける方である」と預言したことでもありました(マタ3:10、マル1:8、ルカ3:16、ヨハT:33)。

 こうして判ることは、つまり、五旬祭以前と以後の聖霊のお働きには基本的な違いがないにもかかわらず、何か大きな違いが隠されているということです。そしてその違いは、キリストご自身のお言葉によると、キリストが去って行くことは、私たちにとって益になることであると言えるほどのものでした(ヨハ16:7)そしてその違いを起こす出来事は、五旬祭の日に起こったのです。ペテロはこの出来事を説明して、「神の右に上げられたイエスが、御父から約束されていた聖霊を受けて、今あなた方が見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです」と語り(使2:33)、これこそ間違いなく父の約束の成就であり、キリストの約束の成就であり、バプテスマのヨハネの預言の成就であり、ヨハネが記した「まだ注がれていなかった」という、「まだ」の成就であることを宣言したのです。

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