A Theological Experiment

役立つ書評

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先生はえらい


 今日の紹介は、『先生はえらい(内田樹 ちくまプリマー新書)』です。著者はキリスト教系お嬢さん大学・神戸女学院大学教授の内田樹先生。私は内田氏のファンなので、2005年巡回のために帰国したとき、ジュンク堂池袋店で内田氏の対談会があると聞いて、早速応募しようとしたのですが、さすが人気作家、満員締め切りでした。

 この本のテーマは「人生の師とは何か」です。クリスチャンは、キリストの弟子と自称するぐらいですから、師はイエス・キリストです。それでは弟子の定義は何か。内田氏によれば、「誰も知らないこの先生のすばらしいところを、私だけは知っている」と宣言できる人だけに弟子の資格があるそうです。「私だけが恩師イエス・キリストのすばらしいところを知っている」と自惚れている者だけが、キリストの弟子といえるとわけです。内田氏によれば、師弟関係は、恋愛関係に似ているそうです。そう言われる確かにそうです。恋する人は、「誰も知らない彼女のすばらしさを、自分だけは知っている」という確信を持っているものです。はたから見れば、「あばたもえくぼ」、「恋は盲目」、「蓼食う虫も好き好き」と笑いたいところですが、本人は真面目に「彼女の魅力に気づかないおまえこそ、盲目だ」と信じきっているのですから、恋は不思議です。

 ここでただの生徒と弟子の違いが明らかです。生徒とは、他の生徒も同様に知っていることを先生について知っているだけの存在です。聖書学校で、あるいは教会で、「イエス・キリストは救い主」、「イエス・キリストは神の第二位格」などという自分以外の誰でも知っている知識があっても、それはただの生徒です。弟子とは、「私は他の誰も知らないイエスさまの『この点』を知っている」と内心うぬぼれている人のことです。「ヨハネの子シモン、この人たち以上に私を愛しているか」と問うイエスさまに、ペテロは何の躊躇もなく「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えます。まるで二人の間には、第三者が知らない秘密の関係があるかのようです。内田氏が言うように、師弟関係とは、第三者が入り込めない秘密の関係があってだけ成り立つのです。「あなたは私を愛しているか」、「あなたがご存知なはずです」。他の誰も知らないキリストの魅力を自分だけが知っていて、キリストも私だけがそれを知っているということを見抜いているという秘密の関係・・・。これが師弟関係です。

 教会では、「証しの時間」がありますが、証しの時間とは本来、「のろけ大会」のことです。自分だけが知っている恩師の魅力を語る時間のことです。キリストが「私に」、こうしてくださった、つまり自分とキリストの間の関係だけに起こった一回きりの特別な愛の恵みをのろけるわけです。こういう生きた特別な個人的関係がある場合だけ、「私はあなたたちが知らない恩師の魅力を知っている」と弟子は誇れるわけです。嫉妬した他の弟子が、「証拠を見せろ」と要求したときに、「主は、○月○日に○○○を私にしてくださった」と言えるのが証しです。恋愛で、恋敵が「彼女がおまえを愛している証拠を見せろ」と要求したとき、「昨日彼女は手作りのケーキをプレゼントしてくれた」といえるのが、恋人の特権と同じです。

 内田氏は先生と恩師の違いを次のように説明します。先生は、「これができれば大丈夫」と教え、恩師は「学ぶことに終わりはない」を教える者であると。つまり先生は、「君は他の人と同程度に達した」ということで評価しますが、恩師は「君は他の人とどう違うか」を持ってだけ評価するということです。

 内田氏は「この先生のこのすばらしさを知っているのは、あまたある弟子のなかで私一人だ」という思い込みが絶対必要だと強調します。「あなたのこの真価を理解しているのは、私しかいない」という確信は、「だから私は生きなければならない」、つまり自分のかけがいのない単独性を意識させるというのです。弟子とは単独者です。弟子だという意識があって、初めて個人であるという意識が生まれるのです。ペテロは、主の愛した弟子を指差して尋ねます。「主よ、この人はどうなるのでしょうか(ヨハネ21章21節)」。イエスさまは答えます。「あなたに何の関係があるのか。あなたは私に従いなさい」。

 他の誰に証ししても、自分と同じようには他人に実感してもらえない恩師との秘密のエピソード。自分だけが知っている恩師の魅力。まさに先生はえらい!

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