A Theological Experiment

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生きる勇気



 今日の紹介は、『生きる勇気 パウル・ティリッヒ(平凡社ライブラリー)』です。原題は"The Courage to Be"ですから『存在への勇気』と訳してもいいと思いますが、一般の読者向けに「生きる」という訳語にしたのかもしれません。

 著者のパウル・ティリッヒは、1886年ドイツ・ルター派の牧師の長男として誕生。自身も聖職者を志し、神学部に入学。第一次世界大戦では従軍牧師として各地を転戦。戦後、神学教授として大学の教壇に立つ。1933年、ナチスに祖国を追われ、アメリカへ亡命。ニューヨークのユニオン神学校の哲学的神学の教授として、ラインホールド・ニーバーと共にユニオン神学校の全盛期を築く。1955年ユニーバーシティ・プロフェッサー(最高の教授職)としてハーバード大学に招聘される。1962年、シカゴ大学神学部に移り、1965年死去。カール・バルトが20世紀神学界の東の横綱なら、西の横綱はティリッヒといわれるほどの名声を得る。1960年に来日して9週間滞在したこともあります。

 ティリッヒは「インテリの使徒」、「神学者たちの神学者」と呼ばれ、どちらかというと学会という限られたサークルの間でだけ知られていましたが、1952年、『生きる勇気』を出版してからは、一般にも名が知られるようになり、1959年にはタイム誌の表紙を飾るほど有名になりました。

 1952年『生きる勇気』はたちまちベストセラーになり、不安の時代を生きる人々への癒しのメッセージとして熱狂的に受け入れられました。ある女性芸術家は、薬と酒に溺れて自殺未遂にまで至りましたが、彼女のカウンセラーに『生きる勇気』を勧められ読んで見たところ、一夜にして生まれ変わった経験をしたというエピソードまで残っています。

 仲間内では「治療神学者」と呼ばれていたティリッヒは、福音のメッセージを一貫して「癒しのメッセージ」として解釈していましたので、「癒し系」が人気を呼ぶ現代を半世紀も先取りしていたのですから驚きです。実際、癒しの視点から神学を構築した神学者は、私が知るかぎりティリッヒだけです。ただ、ティリッヒの主著『組織神学』は難解で敷居が高すぎるので、一般向けの『生きる勇気』が出版されたことは、私たちにとって喜ばしいことです。ティリッヒは『生きる勇気』を「小説のように読みやすい」と自評したそうですが、実際にはそうでもなく、読者は知的集中力を必要とします。

 この本の主題を一言で要約すれば、「自己肯定(自己受容)」です。ティリッヒによれば、「自分を肯定する力」、それが「勇気」です。書店では、「ありのままの自分を愛しましょう」という類の自己啓発本が所狭しと並んでいますが、「生きる勇気」はそういう通俗的な自己受容と一線を画します。通俗的な自己受容がいう「ありのままの自分」は、誰でも受容できる程度に限定された「自己イメージ」が多く、「人間関係が下手な自分」、「騙されやすい自分」、「傷つきやすい自分」、「内気な自分」、「Noと言えない自分」などですが、ティリッヒはそういう表面的な「自分」を突き抜けて、さらに深層に進んでいきます。

 ティリッヒによれば、古代は「死の不安」の時代、中世は「罪責の不安」の時代、そして近代は「無意味の不安」の時代だそうです。つまり現代社会の私たちが感じる不安は、「生きがいのなさ」、「虚無感」、「疑い」の不安だということです。そうすると現代に必要な勇気とは、「生きがいを感じなくても自分を肯定する勇気」、「虚無感にとらわれても自分を肯定する勇気」、「まったく確信がなくても自分を肯定する勇気」ということになります。無意味さの真っ只中で、虚無感の真っ只中で現れる勇気とは何か。ティリッヒによれば、その勇気とは「神を超える神」に根ざす勇気だそうです。

 "The God above the God"というのは、今まで信じてきた神が、無意味さの疑いの中で消え去ったとき、それでも自己を肯定する力となる神のことです。ここにティリッヒの神観がよく表現されているのですが、すなわち「神とは自己肯定の力そのものだ」ということです。神とは究極の肯定そのものなのです。パウロの聖句、「神の子イエス・キリストは、然りと同時に否となったような方ではありません。この方においては然りだけが実現したのです(第2コリント1:19)」の神学的翻訳です。癒しのメッセージ、『生きる勇気』。憂鬱な気分の日にお勧めです。

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