A Theological Experiment

役立つ書評

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死の家の記録



 今回のご紹介はドストエフスキーの『死の家の記録(新潮文庫)』。ドストエフスキーについては詳しく述べるまでもなく、19世紀ロシアの大文豪。ペトラシェフスキー事件に関与したとして思想犯として逮捕されたドストエフスキーは死刑を宣告され、刑の執行直前に恩赦で命拾い。29歳から4年間オムスク要塞監獄で服役した経験を記録したのが、『死の家の記録』。出獄後、39歳のとき、文芸誌に発表。ツルゲーネフやトルストイという同時代の文豪から絶賛され、ドストエフスキーは一躍名声を博すことになります。

 ニーチェほどの思想家をして、「ドストエフスキーこそ、私が何ものかを学びえた唯一の心理学者である。私の生涯の最も美しい幸運に属する」と言わしめたのですから、ただごとではありません。ニーチェがドストエフスキーを絶賛した時、念頭にあったのが、この「死の家の記録」でした。

 分厚い本なので詳論はしませんが、犯罪者の心理、刑罰が服役者に及ぼす影響などが、深い心理的洞察によって描かれています。私たちは刑罰の目的を、犯罪者を矯正し、罪を悔い改めさせ、社会復帰させることだと信じていますが、「死の家の記録」を読むと、それがおおかた的外れであると思わざるを得ません。『獄中記』のオスカー・ワイルドも自身の服役体験から、「刑罰は犯罪者を矯正しない」と断言していますが、ドストエフスキーも同じような洞察に達しています。

 そもそも犯罪者とは何ものなのか? そういう疑問をお持ちの方は、この一冊を手にすることをお勧めします。犯罪者に対する繊細な観察と深い心理的理解が、単に客観的なだけの冷たい視点からではなく、暖かい知性と深い人間愛から記録されているのですから、まさに稀有な一冊です。こういう書物が世に出たということは、確率からすれば極めて稀な偶然が二重に重なったからであり、私たち読者は幸運であるといわざるを得ません。この監獄の記録がドストエフスキーという稀代の文豪によって書かれたという偶然と、稀代の文豪が監獄で服役したという偶然。

 オスカー・ワイルドとドストエフスキーを見ると、偉大な才能というのは、服役という地獄さながらの境遇からも人類の宝になるような作品を生み出すのですから、感嘆してしまいます。そういえばパウロの書簡のうち、4つは獄中から生まれた書簡でした。

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