A Theological Experiment

ビックリ原罪論

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本質から実存へ


1. 生い立ち

 パウル・ティリッヒは1886年、ドイツのベルリン郊外の牧師館で生まれた。父はルター派の牧師。敬虔な少年に育ったティリッヒは、何よりも聖書を読むことを愛した。ギムナジウムを卒業した18歳の時、ティッリヒは父に倣い聖職者の道を志す。ベルリン大学、チュービンゲン大学、ハレ大学で神学を学ぶ。ハレ大学では、マルティン・ケーラーに師事し、絶大な影響を受ける。ティリッヒは、ブレスラウ大学から哲学博士の学位を、ハレ大学から当時神学の最高学位である神学士を取得する。それから26歳の時、牧師として叙任された。

 副牧師として奉仕している間に、彼はキリスト教の教義が、近代世俗主義に染まった知識階級にもはや何の意味も持たなくなっていることを発見した。この発見が、神学者として彼の立場を生涯決定したのである。ティリッヒの神学は、明確な聴衆・読者を対象にしている。彼が語りかけたのは、教会の中と外にあってキリスト教の教義に疑問を感じているインテリたちである。彼はキリスト教と近代的思考を橋渡しする護教的神学者を目指したのである。これは教会の中だけにしか語りかけなかったカール・バルトと大きく違う点であり、両者の神学的性格を際立たせている。

 ティリッヒは28歳で結婚。新婚にもかかわらず、彼は志願して従軍牧師として第一次世界大戦に参加した。砲弾の雨を駆け抜け、激戦地を転戦したティリッヒは終戦で帰ってきた時には、別人のように変わっていた。純情で晩熟な青年だった彼は、冒険的な野人になって帰ってきた。終戦後の混乱するベルリンを舞台に、ティリッヒは遅れてやってきた青春を取り戻すかのように、社交と教師生活に情熱を注いだ。この時代彼は、宗教社会主義者のグループに参加。彼なりの政治活動をしている。ティリッヒの妻は、戦争中にティリッヒの親友と不倫をし、1919年にティリッヒのもとを去った。その後ティリッヒは、1924年に違う女性と再婚している。

 1924年、ティリッヒはベルリン大学の私講師の職を辞して、マールブルグ大学の員外教授の職に就いた。当時のマールブルグ大学は、新約学の新鋭ルドルフ・ブルトマン、すでに著名だった神学者ルドルフ・オットー、哲学者のマルチン・ハイデッガーらが教えていた。1925年から、ティリッヒはドレスデン工科大学、1929年からはフランクフルト大学で哲学者マックス・シェーラーの後任として教鞭をとる。フランクフルト大学では、博士候補生テオドール・アドルノの博士論文指導教官となり、1932年にはアドルノを援助して社会科学研究所の設立に貢献した。後にフランクフルト学派の牙城となる研究所である。ホルクハイマーやアドルノは、後々までもティリッヒに尊敬と感謝の念を抱いた。

 フランクフルト学派の社会科学研究所を中心に、フランクフルト大学には多くのユダヤ人研究者が教鞭を取っていた。しかし、ナチスが権力を握ると、彼らは攻撃の対象にされた。彼らを守り、ナチスに反対する論文を書いたティリッヒ自身も粛清の対象になったが、1933年ラインホールド・ニーバーの尽力によりアメリカに亡命。ニューヨークのユニオン神学校の組織神学客員教授になる。

 47歳にして新天地で新しく生活を始めなければならなくなったティリッヒに対して、ニーバーは惜しみない助力を与えた。ティリッヒはその恩義を決して忘れなかった。ティリッヒは、1937年彼のために新設された哲学的神学という講座の准教授に任命され、以後1955年に退職するまでユニオン神学校の看板教授として活躍した。神学者として大成功を収めたティリッヒは、ユニオン神学校退職後、ユニバーシティー教授としてハーバード大学に招聘された。1963年にはシカゴ大学に招聘され、1965年5月に死去した。

2. 本質から実存への移行としての堕落

 1953・54年、ティリッヒはギフォード講演を行い、それが後に彼の組織神学第2巻になるのだが、そこで彼は原罪の教義を扱っている。ティリッヒによれば、原罪の教義とは、否定性の源泉はどこにあるかという問いに答えるものである。なぜ人間は否定性を意識するのだろうか? しかもただ意識するだけではなく、本来あるべきではないものとして否定性を意識すると同時に、それに対して責任を負うものとして意識するのはなぜだろうか?

 ティリッヒは、本質と実存を区別する。創造された世界は、その本質においては、良き世界である。しかし、現存する世界は、実存の世界である。実存する世界は堕落している。私たちが、この世界を本来あるべき状態であると感じないのは、世界の本質と比較した時、実存する世界が本質から堕落していると感じるからである。この点が、ティリッヒの神学の難解な部分である。ティリッヒの云う本質とはどういう意味だろうか? 実存とはどういう意味だろうか?

 本質とは潜在性のことである。実存とは現実性という意味である。つまり世界は、潜在的構造においては良き世界であるが、現実性においては堕落しているのだ。健康と病気を例に考えてみよう。なぜ私たちは、病気になった時、「本来あるべき状態ではない」と感じるのだろうか? 健康であるとは、人間の本来の機能が正常に働いているという意味である。人間の身体は、その潜在的構造においては、健康でありうる身体である。もし病気の状態が、身体の本来の状態なら、私たちは病気を病気として感知しないであろう。たしかに乳児から老人に至るまで、完璧に健康な人間など存在しない。常に人間は、ある部分常に病気なのである。しかし、私たちは健康とはどういう状態かを知っている。現実には、完璧な健康は存在しないが、健康とはどういうものかを知っているのである。私たちは、健康という潜在性を意識できるのである。健康が、身体の潜在的本質であると知覚しないならば、病気さえも意識できないだろう。痛みを感じることは正常な状態ではないが、しかし痛みを感じるだけの正常さを維持していると感じる。痛みを感じなければ、病気である。病気の状態でさえ、病気を感じるだけの正常さが残されている。つまり本質が残っているのである。これが、ティリッヒによる原罪の教義が表現する人間の実存である。

 ニーバーは原義を(ティリッヒの云う本質)、行為の前の無罪性に帰したが、ティリッヒは原義を人間の潜在的構造に帰している。ティリッヒによれば、人間は潜在的可能性によれば「良き被造物」なのである。この点で、近代的ユートピア主義者は正しい。人類は、その本質において潜在的可能性を秘めている。なぜなら、人間は本質的構造においては、善だからだ。もしそうでないならば、人間はいかなる社会的健康、人格的健康、身体的健康も意識することができないであろう。

 しかし同時に、人間は普遍的に病気であることも意識している。この点で仏教は正しい。現実には、人間は、健康といわれる人も含めて、どこか病気なのである。自分を完全に健康と断言できる人は、まさにその点において知的に病気である。キリスト教の原罪論が示唆するように、人間は健康と病気の混合であり、健康は病気において認知され、病気は健康の部分的欠如なのである。犬の「犬らしさ」は、犬の本質である。つまり犬という種の潜在的可能性である。犬の「4本足」や「嗅覚の良さ」は、犬という種の本質である。2本足の犬や、嗅覚の鈍い犬が存在したら、それは本来の状態から逸脱した犬とされるだろう。

 人間も同様である。人間には人間性という本質がある。人間性という本質的潜在性は善である。潜在的人間性は、可能性としてしか存在しない。人間は、人間性という本質を現実化しなければならない。ところが、実際に現実化した人間は、どういうわけか歪曲した人間性しか実現できない。歪曲して現実化した人間性でも、人間性は人間性である。それはサル性ではない。人間は人間である。罪とは、本質的人間性から疎外してしまう現実化した人間性の状態である。これがティリッヒの云う本質と実存の相違である。では、なぜ人間は、潜在的人間性を完全には現実化できないのであろうか? ティリッヒによれば、それは本質から実存に移行するときに飛躍が発生して、人類は普遍的に疎外の状態に陥ってしまうからである。次に、疎外の可能性、つまり堕落の可能性を考えてみよう。

3. 堕落の可能性

 人間が堕落する可能性はどこにあるのか? ティリッヒの答えは、人間が有限的自由を持つからである。人間は自由な存在である。しかし人間の自由は有限である。

人間の自由

 人間は言語を使用する存在である限り自由である。言語は、人間を環境の束縛から解放する。人間は、世界の対象を言語化することで、環境から距離を保つことができる。言語は、その対象が身近に存在しない場合でも、想像力を生み出し、それについて思考することを可能にする。言語は抽象的な思考を可能にして、具体的個物から人間を解放する。

 人間は、言語的思考により、問いを発することができる限り自由である。人間は問うことができる。問うことにより、条件的反射の束縛から解放される。そして人間は、事物の表面的刺激から解放され、さらに深く現実に接近することができる。この可能性が、自由を生む。

 人間は、論理的思考ができる限りにおいて自由である。論理は、環境から来る無数の刺激から人間を守り、環境の論理とは異なる可能性に人間を導く。7歳から11歳までの少年期に、人間は発達心理学が云う具体的操作期を迎える。この時期から、論理的理解が可能になる。例えば、目の前に同数のおはじきを2列並べて、手前の列は幅を広く、もう1つの列は幅を狭くした場合、5歳までの子どもは、「どちらの列がおはじきが多いか?」と質問されると、「幅の広い列」と答える。目の前の印象からだけしか思考できないからだ。7歳を過ぎると、幅の長さは異なっていても、「同数」と答えることができる。

 人間は、熟慮と決断ができる限りにおいて自由である。前頭葉の発達がそれを可能にした。とはいっても、前頭葉が発達していても熟慮できない人間もいるが・・・。発展途上国の人間の多くは、貯金をすることができない。貧しいからできないのではない。将来を展望して熟慮することができないからである。私の知人が発展途上国で雇用している現地人たちに、「今日スープを我慢したら、3日後にチョコレートを3箱あげよう(チョコレートはこの国では高価)」と申し出た。現地人スタッフは全員、「スープがいい!」と答えた(空腹だったのではない)。将来を展望して、待つことができないのだ。熟慮できる程度において、その人は自由である(子どもを考えてみよう。お年玉をもらってすぐ使わずに、貯めた後でパソコンゲームを買える子どもほど成熟している。つまり自由である)。

 人間は想像力を持つ限りにおいて自由である。想像力は、現実からの遊離であるが、同時に現実を超越する形成力である。未来を想像できる人が指導者になり、詩人になり、芸術家になり、生存者となる(アウシュビッツの体験記・『夜と霧』を参照せよ)。想像力の乏しい人間と、たぶんデートしても退屈なことだろう。

 人間は創造力を持つ限りにおいて自由である。人間は道具と創造力によって、与えられた環境を変革することができる。与えられた材料を変形して、道具を作り、家を作り、料理を作る。ある意味で、無限に進歩することができる。どんな所与の環境も、人間の創造力によって超越できないものはない。

 最後に、人間は自分の潜在的本質に矛盾することができるほど自由である。彼は自分の本質である「自由」を否定できるほど自由である。人間は自由を捨てることができるほど自由なのだ。この自由こそが、本質からの堕落の可能性である。人間は自己の本質に矛盾できるほどの自由が与えられている。この自由こそが、人間の人間たるゆえんである。神でさえ、この自由を奪おうとはされない。なぜなら、この自由を与えなければ、神は人間を創造することができないからだ。自己の潜在的本質に反する自由を与えられている点こそが、人間が「神の似姿」とまで称される点であり、神義論の第一歩である。とはいえ、人間の自由は有限である。人間は、人間を辞める自由までは与えられていない。人間はあくまで、人間として自己の人間性に反抗するのであり、サルとしては人間性に反抗できない。人間は自己の罪責から免れることは決してできない。なぜなら、人間は人間を辞めることができない有限性を持つからだ。「責任能力がないから、無罪」という判決は、最大・最高の人権の否定であって、人権の見地から無罪性を援護する「人道的裁判官」とは、笑えない皮肉以外の何であろうか?

 ずいぶん長くなってしまったので、今回はこのへんで終わり。次回もさらに、ティリッヒの原罪思想に迫ってみたい。

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