A Theological Experiment

ビックリ原罪論

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罪は遺伝しない


 原罪の教義は、世俗化社会では評判が悪い。「あなたは、生まれながらの罪人です」と、勝手に宣言しているようなものだから。とはいえ、納得できる理由の説明があれば、認めるのにやぶさかではないが、教会の説明のしかたが、どうも説得力がない。「アダムが罪を犯しました」、教会はこう言う。なるほど・・。「では、なぜアダムの罪が、私の罪になるのですか?」と尋ねると、保守的な教会は、「アダムの罪が遺伝したからです」と答える。リベラルな教会は、この教義を無視しているので、説明すらもない。アダムから遺伝によって罪を受け継いだなら、罪の責任は子孫にはないだろう。子どもが親から遺伝病を受け継いだなら、病気の責任は、子どもにはないはずだ。教会はそれに答える、「確かにそうです」。しかし続けて、「病気を受け継いだ人は、正常な動作ができない。病気の遺伝は、あなたの責任ではないが、病気の状態によって犯す行為の責任は、あなたにあります」。

 しかし、そもそも、罪は遺伝するのだろうか? 罪を遺伝させるDNAが存在するのだろうか? 将来、遺伝子工学が発達すれば、『罪DNA』は治癒されて、罪のない社会が誕生するのだろうか? 罪の遺伝を、科学の発達した今日、信じる人は少数派だろう。常識的に考えて、罪は遺伝しない。罪が遺伝するなら、罪は医学的問題であって、宗教的な問題ではない。

 原罪の教義は、一見バカげた教義だが、一流の神学者たちは決してそれを捨てなかった。宗教的な直観のようなものが、捨てさせなかったのだろう。西欧では、近代以降、第一級の知性たちが、原罪の教義の再解釈に挑んできた。カント、ヘーゲル、シェリング、キルケゴールなどの哲学者、ニーバー、ティリッヒなどの神学者たちが、代表例である。もし私が、原罪の教義を捨てるか、再解釈するかの、二者択一を迫られたら、文句なく再解釈の方を選ぶだろう。

 原罪の教義は、「楽園追放」というモチーフによって理解されるべきである。原罪の教義の典拠とされるのが創世記三章であることからも、そうであるべきなのだ。原罪が、「楽園追放」の教義であるならば、世俗化社会は決して異を唱えないだろう。現代の思想界で、「人間であることは、自然界という楽園からの追放の結果である」と考えない論者は、極めて稀である。「人類は、動物にはない何か過剰なものを背負い込んだので、自然界の異端児となってしまった」という楽園追放のモチーフこそ、現代世俗社会のドグマなのだ。しかも、そのドグマは、原罪の教理の本来のメッセージと完全に一致するのである。

 原罪の教義とは、人間が、人間自身について感じる違和感の解釈なのだ。自然界は調和しているのに、なぜ人間社会は調和していないのだろう? 動物は苦しむけれど悩まない。しかし、人間だけは、なぜ悩むのだろう? 動物は死に直面したら恐れる。しかし動物は死を予期して悩むことはない。なぜ人間は、健康な時でさえ、死を予期して不安になるのか? 動物は、現実原則によってだけ行動する。なぜ人間は、プライドを守るために現実を無視してバカな行動に走るのだろう? 動物には発情期がある。なぜ人間には発情期がないどころか、いつもスケベなのだろう? 動物は捕食のために殺すが、なぜ人間は快楽のために殺すのか? なぜ動物はああなのに、人間はこうなのだろう? なぜ人間は、自然界の異邦人なのだろう? この違和感の意識こそ、キリスト教が原罪という象徴で伝えたかった本来の意味なのだ。動物は、罪の意識を持たない。人間だけが、罪の意識を持つ。人間だけが、今ある自分の状態に違和感を感じるのだ。この違和感こそ、世界中の神話や思想が、説明しようとした疑問であり、人間本来の謎なのである。

 人間は、自分自身に違和感を感じる。A氏曰く、「人間だけが、理想を持つからだ」。では、なぜ人間は理想を持つのか? B氏曰く、「人間だけが、本能ではなく文化的ルールに従って行動するからだ」。では、なぜ人間だけが、本能から解離しているのか? 創世記三章の楽園追放の神話が答えようとした謎は、まさにこの謎なのである。そして、原罪の教義とは、これらの謎に答える教義であるべきなのだ(本来は・・)。

 そう考えるならば、原罪の教義の課題がいかに大きいものかをご理解いただけると思う。原罪の教義とは、人間の謎に対する答えなのだ(本来は・・)。科学技術が進歩すれば、いつか人類は自分自身に違和感を感じなくなるだろうか? 教育が進歩すれば、いつか人類は自分自身に違和感を感じなくなるだろうか? 「ハイ」と信じるバカは、現代にはいない(・・ハズだ)。

 そういうわけで、今回は、原罪の教義の再解釈に挑んだ二人の神学的巨人にご登場願おう。20世紀のアメリカ神学界をリードした二人の神学者、ラインホールド・ニーバーとパウル・ティリッヒである。

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