A Theological Experiment

カントは神学者

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カントの方法論


 カントは、@理性の限界を示して、神を理論的理性の対象から実践的理性(倫理的理性)の対象に移しました(純粋理性批判)。A実践的理性の観点からは、神・自由・魂の不死は証明はできないが、不可欠の前提として是認するべきだとしました(実践理性批判)。ここまでは一般的な宗教について論じたわけですが、カントはここから一歩踏み出し、具体的宗教としてのキリスト教について論じます。それが『理性の限界内における宗教』の主題です。

 カントのキリスト教神学の方法は、福音の基準となる原理を抽出して、その原理で一元的に聖書を解釈するという方法です。カントにとっての原理は道徳性でした。カントの方法自体は全然新しくありません。この方法は、イエス・キリストが律法学者やパリサイ人と対決したとき、パウロがユダヤ的キリスト教と対決したとき、ルターがローマ・カトリックと対決したとき使った方法です。ちなみに宣教師なら日常的に使う方法でもあります。

 ルターは「信仰による義認」を神学の原理にしました。この原理に従って、ルターはカトリックの迷信や伝統を断罪し、ヤコブの手紙を「藁の書」と呼びました。ルターのような偉人を引用しなくても、この方法はキリスト者に日常的に使われています。たとえば:

@旧来の伝統に対抗して教会を刷新しようとするとき。改革派でも、ルター派でも、ペンテコステ派でも何でもいいのですが、現状の閉塞感を打破しようとして改革しようとすると、必ず守旧派の抵抗に出会います。「あなたの改革は、私たちの伝統に反する」。こう言われた時、歴代の改革者たちはどう答えたかというと、「伝統の古い形には反していますが、伝統の本質には反していません。むしろ現状は伝統の形には忠実ですが、本質から逸れています」。何かを変革するとき大切なのは、変えてよいものと変えてはいけないものを峻別することです。すると私たちは「本質」は何かと問わなければいけません。これが基準となる原理を抽出して、それで一元的に判断するという方法です。

A福音を異なる文化に伝えるとき。宣教師が伝道するとき重要な点は、キリスト教の普遍的な面と文化的な面を区別することです。何が不変的で、何が可変的かを区別しようとすれば、「何がキリスト教の本質か」と問わなければいけません。これが基準となる本質を抽出して、それで判断するという方法です。

B聖書の多様な内容を相互に矛盾なく調和させる場合。表面的には矛盾するような聖書の章句を調和させようとすれば、神の啓示の本質は何かを聖書から取り出して、その原理で解釈しなければいけません。

C生活スタイルの違う信仰者と上手く交際する場合。「祈りの仕方も礼拝の仕方も○○さんとは全然違うけど、神を敬うという本質では同じだね」などと口にするとき、私たちはカントと同じ方法で解釈しています。「本質」という尺度で測ると、一見異なるあり方も統合されます。

 まぁ、そういうわけでカントの方法は斬新ではありませんが、内容は斬新でした。カントは道徳性をキリスト教の本質としたのです。カントによれば、キリスト教の本質とは、道徳的向上によって神を喜ばせることである。神の創造と救いの目的とは、人類の道徳的完成である。カントの据えたこの神学的原理にはいくつかの長所がありました。それはまた次回。

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