A Theological Experiment

カントは神学者

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カントの家庭環境


 インマヌエル・カントといえばドイツ人哲学者ですが、批判哲学の創始者として有名です。その彼が、キリスト教を倫理的に解釈した神学が、『Religion within the Limits of Reason alone』(もちろん原文はドイツ語で書かれていますが)。訳すと『理性の限界内における宗教』というふうになりますか。この題名だけでも、保守的な神学者を怒らせるに十分ですが、カントが提起した問題は、現代においても神学的に十分解決されたといえないでしょう。18世紀に世に出た著作ですが、今でも通用する神学である点が、この本のすごいところ。私たちが宗教的諸問題を考えるとき、無自覚にカントの神学を応用している点もあると言えば意外でしょうか。

 カントは1724年に馬具職人の子として生まれました。両親は敬虔主義の教会の信仰篤い会員。父親は真面目で清廉潔白な人柄。母親は熱心なキリスト者で、息子を聖書に基づいて立派に養育しました。敬虔主義のリバイバルの炎がドイツを席巻したこの時代の雰囲気をカントの母親は見事に反映しています。カントは母親を絶賛していますが、「暖かく、清廉で、愛情深く、しかも敬虔な優しい母」だったそうです。母はしばしばカントを「町の郊外に連れ出し、大自然を通して神の全能、知恵、善性を教えていた」そうです。彼女の宗教教育は、カントの心に終生変わらない神への深い敬虔を刻みつけたと本人自身が回想しています。

 カントの家庭は貧しかったのですが、暖かい家族の交流と両親の愛、そして何よりその道徳的水準の高さが特色でした。カントの生涯変わることのなかった生活の質素さと簡素さは、幼年時代の影響でしょう。両親に加えて、幼いカントに重要な影響を与えたのが、牧師シュルツでした。かれはカントの家庭を愛し、しばしば牧会的訪問をしました。とくにカントを可愛がり、かれの優れた才能に最初に気づいたのもシュルツでした。シュルツは敬虔主義の牧師であり学者、彼の信仰と愛の深さをカントは生涯敬愛しました。

 シュルツは両親を説得して8歳のカントを敬虔主義の小学校に送ります。家庭では最良のキリスト教的敬虔の下で養育されたカントは、全寮制の学校では偽善的敬虔を見せつけられ急速に宗教への関心を失いました。この時代を振り返るとき、カントは鳥肌が立つほど嫌悪感をあらわにしたといわれていますから、よっぽど嫌だったのでしょう。想像するに、仲間の生徒たちが教師や牧師の前では敬虔な姿を見せ、陰では正反対であったという欺瞞的な姿が、感受性の敏感な少年カントには耐えられなかったのでしょう。

 16歳で大学入学したカントは、大学で神学を教えていた敬愛するシュルツの教義学の授業を受けます。カントは神学の授業を大いに楽しみ、シュルツはカントを呼んで牧師になる道を勧めたといいいます。カントにとってのキリスト教徒は、敬虔主義的キリスト教でした。カントが『Religion within the Limits of Reason alone』においてキリスト教を何よりも、その道徳的実践において解釈しようとしたのも、敬虔主義の宗教的実践が深く心に刻まれていたからだと思います。敬虔主義において信仰とは、敬虔な心情と生活における実践にその真髄があるわけで、カントが道徳を文字に従う義務としてではなく、心情の義務として、また生活における実践の謂いとして考えたのも、彼の敬虔主義的背景から理解できます。

 そうはいっても、後年のカントは生涯教会の礼拝に出席することはありませんでした。カントが教授職に就いた大学では、新学長が就任すると、教授団は大学チャペルに行進する慣例でしたが、カントはいつも行進が会堂前に来ると礼拝に出席せず家に帰ったそうです。

 そんなカントが晩年著したキリスト教神学とはどういうものか。私たちに突きつける課題とは。暇を見て書き加えていきます。

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