Ethical Experiment

なぜ宗教は消滅しないの?

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無神論者に教えてあげる秘密

 

 神は存在するのか? それとも存在しないのか? ノックアウト理論が、宗教哲学の分野で数十年以上も昔に提出されているので、分かりやすくご紹介。

 あるモノが存在するか、存在しないかを、問うことができるのは、そのモノが、時間、空間、因果律というカテゴリーで記述できる場合だけ。時間と空間の座標軸で、位置を特定できないモノは、その存在を証明することも否定することもできない。つまり、存在を議論できるのは、時間と空間の中に「存在するもの」だけである。

 ところで、一神教系世界宗教、つまりユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信者が最初に学ぶ教理問答は、「神は、絶対、無限、永遠である」という信条である。神の観念は、時間、空間、因果律というカテゴリーが当てはまらない。神は永遠だから、時間のカテゴリーを超えている。神は無限だから、空間のカテゴリーを超えている。神は絶対だから、因果律のカテゴリーを超えている。

 さて、この基本中の基本である信条から、有神論者を攻撃できる。「神は存在する」と、有神論者は云う。しかし、「存在する」という言葉は、時間・空間・因果律のカテゴリーが当てはまるモノだけに通用する。素粒子や雪男やネッシーは、その存在が検証可能である。モノだから。したがって、神は「存在しない」。なぜなら:
神の観念は、「存在」のカテゴリーを超えているから。

 もう一度云うが、「存在する」、「存在しない」は、時間・空間・因果律のカテゴリーが当てはまるモノ(存在者)だけに通用する。神の観念には、「存在する」、「存在しない」が当てはまらない。なぜなら、神の観念は、「存在する」、「存在しない」を超えているから。したがって、無神論は正しい。神は、「存在しない」から。

 しかし、無神論は半分だけ正しい。なぜなら、「神は存在しない」という主張は、まったく無意味だから。なぜなら: 神の観念は、「存在」というカテゴリーを超えているから。 したがって、「存在」というカテゴリーを超えている観念を、「存在しない」というのは、
まったく無意味である。

 したがって、有神論者も無神論者も、まったく無意味な議論を繰り返していることになる。有神論者は、「幽霊」を証明しようとしているし、無神論者は、「幽霊」を否定しようとしている。しかし、どちらの場合も、証明したり否定しようとしている対象が、まったく無意味なのだ。両者に共通するのは、誤った前提である。その前提とは、
「神とは、時間と空間の中で活動している存在者」 という迷信なのだ。

 神とは、時間と空間を超えた観念なんですよ。タルムードでも、聖書でも、コーランでも、神を「時間と空間の中で活動している存在者」としている経典は、1つも存在しない。この事実にもかかわらず、神を「時間と空間の中で活動している存在者」として迷信してしまうのには、理由がある。それは、多くの人が、宗教的言語のルールを知らないからだ。

 神の観念は、時間・空間・因果律を超えているので、日常の言語では表現できない。それでは、宗教が成り立たないので、神について言語で語る場合、1つのお約束事が生まれた。そのお約束事とは:
神についての言語は、象徴・隠喩として理解する。

 「神が怒った」という場合、「怒った」が「怒った」を意味しないというお約束事があるのが、宗教言語である。こういうルールは、日常生活にも見られる。「あいつの脳は、石だ」という場合、「石」という言葉が、実在の「石」を意味しない場合だけ意味を持つ。

 ようするに、神の観念とは、証明の対象ではないのだ。「神が存在する」、「神は存在しない」という議論が、誤った迷信に基づいていることを指摘したのは、ティリッヒである。数十年以上たった今日でも、この見解を打ち破った反論は、1つも提出されていない・・・。

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