Ethical Experiment

まさかの悪霊論

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なぜ天使は減ったのか?@

 

 天使の存在を信じる人は、欧米にはまだ多い。キリスト教文化圏ほど多い。でも、実生活に、天使が重要な役割を占めていると考える人は少ない。西洋の中世期は、天使はまだ活躍していたが、近代に入ってトンと出番がなくなった。なぜ、天使の出番は減ったのか? その謎に迫ろう。

 天使は、ユダヤ・キリスト教の産物である。したがって、ユダヤ・キリスト教の神の観念の歴史を辿ればいい。旧約聖書の古い時代に属する伝承によれば、イスラエル人の神は、族長の神、ないしは祖国の神であった。したがって、多数の神々のうちの1つの神であった。

 多神教とは、多くの神々を認める信仰であり、一神教とは1つの神しか認めないという通俗的理解は、あくまでシロウトの思い込みであり、実際はもっと微妙である。神の観念とは、人間の絶対性に対する直覚である。多神教は、絶対性を具体的なものに投影し、一神教は、絶対性を普遍的なものに投影する。たとえばギリシャ神話では、ゼウスは天空の神で、ヘラは家庭の神、ポセイドンは海の神、アポロンは芸術の神、日本では受験は菅原道真、商売は弁天様というように、多神教においては、神々は具体的な分野の究極性を代表する。その利点は、「顔」が見えるという点にある。多神教の長所は、「具体的である」という点にあるのだ。人間は、具体的でないと究極的関心を向けることができない。自分の切実な神頼みは具体的であり、それに答える神が具体的であるほど、人間は拝みやすくなる。ちなみに、どんな神々でも擬人的であるのは、地球上でもっとも具体的なものは、人格だからである。「顔」が見える神々、これが多神教だ。

 多神教の欠点は、衝突・争いが多い点にある。ギリシャ神話や日本神話が典型。ネオコンの神とフセインの神は、どちらも具体的に究極性を主張するので、衝突する。保守の神とサヨクの神は、具体的なので対立する。具体的な神は、その具体性のせいで、他の具体的な神と衝突する。識者たちが、現代はイスラム教の神とキリスト教の神が宗教戦争していると解説するのは、多神教的状態であって、一神教的状態ではない。梅原某氏が、多神教的世界は平和で、一神教的世界は衝突が多いと云うのは、たんなる誤解である。一神教的状態とは、他に誰も対抗しようとする競争相手のない状態である。国際政治的に云えば、パックス・ロマーナ、つまり一極支配状態のみが一神教的であって、現代はそんな時代ではないし、そんな時代は稀にしかなかった。ある集団の、ある具体的利益を代表する神の観念は、多神教的であって、一神教的ではない。 しかし、一神教にも致命的な欠陥がある。その続きは、また次回。

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