Ethical Experiment

まさかの悪霊論

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なぜ天使は減ったのか?A

 

 イスラエルの宗教史には、いくつかの段階がある。まず、族長・民族の神としての神さま。この時代のイスラエル人は、自分たちの神を、他の数ある神々の1つだと考えていた。次の段階では、それが階層的一神教に移行した。階層的一神教とは、一神教と多神教の中間型だ。イスラエルの神は、神々の序列の最高神であると信じられた。ギリシャ神話もこのタイプだ。ゼウス以外にも神はいるが、ゼウスは主神として、神々の組織の頂点にいた。ようするに、神々の株式会社の社長である。それが南北イスラエル王国滅亡と共に、絶対的一神教に移行する。

 興味深いのは、絶対的一神教の誕生が、イスラエル人の王国の滅亡によって始まったことだ。北イスラエル王国は、紀元前721年にアッシリア帝国によって、南イスラエル王国は、紀元前587年にバビロニア帝国によって滅ぼされた。当時、戦争に負けるということは、自分の民族の神が敗れるという意味であった。イスラエルの神は、敗残の将として歴史から消え去る危機にあった。ところが、イスラエルの預言者たちは、この危機を革命的な解釈で理解した。曰く、「イスラエル王国が滅亡したのは、イスラエルが不正義を行ったので、神は他国を使って、イスラエルを罰したのだ・・」。曰く、「神は、正義に反した行いをすると、自分の民族でさえ滅ぼすのだ」と考えたのだ。

 この解釈がなぜ革命的かというと、当時、神々は、過保護な親バカのように、どんなことがあっても自分の民族だけを守ることが役目だと信じられていた。わが民族が不良だろうが、バカ息子であろうが、犯罪者であろうが、神の仕事は、自分の民族を守ることだと思われていたのだ。ところがイスラエル人預言者は、神は、正義のみを基準に裁く、たとえ自分の民族であっても、不正義を行えば滅ぼしてしまうのだと考えたのだ。ここで、宗教史上はじめて、神と普遍的正義が同一視されるようになった。神の観念が、宗教史上初めて、民族主義を克服したのである。余談だが、この神観は、パレスチナを占拠して恥じるどころか、神の名によって正当化する現代イスラエル人の神観から、なんと遠いことか・・・。
先祖を見習え!

 さて、後期イスラエルの預言者によって、神は普遍的正義の究極原理とされたので、神はいかなる具体的神々とも同一視されなくなった。絶対的一神教の神は、神々をさえ裁く。神々が不正義を行う限り、正義の原理によって、神々を裁くのだ。このタイプの一神教が、階層的一神教と異なる点は、不正義を行う神々は、偶像として、神の権利を剥奪される点にある。

 しかし、この絶対的一神教にも短所があった。絶対的一神教の神は、普遍性があったが、あまりにも普遍的過ぎて、具体性を欠いていた。あまりにも絶対的・普遍的なので、
顔が見えない!

 絶対的になるほど、抽象的になる。普遍的になるほど、具体性がない。したがって、イスラエルの神は、偉くなったが、そのぶん遠くなった。安倍さんが官房長官の頃は、具体的な強気の発言をしていたが、首相になった途端、発言が曖昧になったようなものだ。サヨク新聞が、安部批判で使う常套句、「顔が見えない・・」である。

 さて、人間は、抽象的なものには、具体的関心を示すことができない。「人類は一家、みな兄弟!」と言われても、何の具体的行動も起こせない。「母ちゃんが借金に困っている!」となれば、話しは別だ。具体的な関心によってだけ、具体的な行動を起こせる。ますます偉くなったがゆえに、ますます遠くなるイスラエルの神さま。この空白が、埋められなければならない。この距離を、埋めなければならない。
誰が埋めるのか? 
続きは次回。

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