Ethical Experiment

Morality of Life

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意識の存在価値


 私たちには、なぜ意識があるのだろうか? 認知哲学では、この問題は、「哲学的ゾンビ」の問題と呼ばれている。哲学的ゾンビとは、外見は人間と区別がつかないが、一切の意識を持たない仮想的存在である。哲学的ゾンビは、表情も、身振りも、会話も、人間そっくりだ。しかし、彼は意識を持たないのである。なぜ私たちの脳は、意識など生み出さない純粋な物質的過程として、すなわち哲学的ゾンビとして存在していないのだろうか? 茂木健一郎氏によれば、これが現代脳科学最大の謎だそうだ。

 百年以上前に、この問題について考えた哲学者がいる。ニーチェである。ニーチェの答えを要約してみよう。意識は、何のために存在するのか? 答えは、コミュニケーションのためである。ある生物におけるコミュニケーションの必要性と能力の発達は、その生物の意識の発達に比例する。なぜなら、意識とは鏡であって、意識という鏡に映ったものだけが、会話の内容になるからである。意識のない存在には、会話すべき内容がない。意識という鏡に、何も映っていないのだから。人間は、意識という鏡に映ったものだけを言語化することができる。より多く言語化する人間とは、より多く意識化する人間である。逆もまた真なりで、より多く意識化する人間は、より多く言語化する人間である。

 したがって、ある生物の言語能力の増大と意識の拡大は比例する。

 哲学的ゾンビの問題に戻ろう。哲学的ゾンビに、「今の気分はどうですか?」と尋ねてみても、答えは返ってこないだろう。「今の気分」が映るはずの意識という鏡が存在しないからだ。彼は、人間的な意味でのコミュニケーション能力がないだろう。人間的な意味での会話能力もないだろう。文法を知っていて、語彙が豊かでも、それでもって表現すべき主観的経験が存在しないからだ。彼は社会的に完全に孤立するだろう。したがって、人間社会においては、生存不可能だろう。

 さて、意識に対する評価は、コミュニケーションに対する評価に比例するだろう。友人と喜怒哀楽を分かち合いたいですか? 恋人に自分の感情を伝えたいですか? 心の機敏を交換する会話を楽しみたいですか? ブログを書きたいですか? こういうコミュニケーションが、人間生活の豊かさに不可欠だと思いますか? もし、答えが「ハイ!」なら、私たちにとって意識は不可欠なのだ。

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