Ethical Experiment

Demonic

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社会的憑依ってなに?


 ティリッヒの悪霊論(Demonic)によれば、憑依現象が発生するのは、「外側」からではなく、「内側」からである。外側からフワフワ浮かぶ幽体が憑依するのではなく、人間というシステムの内側から生じるという意味である。すべての生命力は、「形態-創造的-活力」である。生命は、形態としてしか生存できない。しかし、生命はたんなる形態でもない。生命とは、形態を自己創造する力である。この観点から、憑依現象を考えると、憑依とは生命の、「形態-破壊的-活力」現象ということができる。つまり、形態を破壊する「形態」を増産する生命力の逸脱である。ここに矛盾がある。悪魔的なものは、形態である。しかし、形態を破壊する形態力なのだ。

 譬えとして、癌を考えてみよう。癌は、癌という形態として発生しなければ存在できない。しかし、癌という形態を発生させる生命力は、癌が破壊しようとしているその生命自身から提供されている。ガン細胞に生命力を提供しているのは、攻撃の対象とされている生命自身である。この生命の活力がない限り、癌は存在できない。ガン細胞は、生命の源を破壊した瞬間に、自分も消滅する。これがいわゆる、「否定は、肯定に依存する」、つまり否定は、それが否定しようとしているものを破壊したら、否定自身も消滅するという真理である。ガン細胞の急増は、生命自身の「形態-創造的-活力」のおかげであるが、同時に癌は、「形態-破壊的-活力」現象でもあるわけだ。

 つまり、悪魔的なものとは、精神における「癌」である。たんに否定的なものは、悪魔的なものではない。たんに否定的なものは、身体的にも精神的にも存在することができない。悪魔的なものとは、「形態-創造的-活力」でありながら同時に、「形態-破壊的-活力」でもあるもの、つまり形態を破壊する形態力である。動物の場合、生命の活力(バイタリティー)は、それが創造する形態とバランスが維持されている。もちろん、病気になることもあるし、死ぬこともあるが、それはたんに生物の有限性に属することである。しかし、人間の場合は、事情が異なる。言語の次元、つまり文化的次元を発達させた人類には、意味の次元において、形態を破壊する形態力が発生する。つまり、「意味-破壊的-意味」、つまり悪魔的なものが発生する。意味を破壊する意味・・。

 意味を破壊する意味とは、「ナンセンス」のことではない。無意味とは、破壊する対象を持たないたんなる無意味である。無意味は、生命の活力の産物ではなく、衰弱の産物だ。悪魔的なものとは、意味を最高に歪曲して破壊する最高度の意味なのである。前回、悪魔的なものとは、通常の人格統合を超える超人格統合力であるという意のことを書いたが、その統合力の源泉は、「意味-破壊的」な最高度の「意味力」にあるのだ。しかし、その意味力は、自分を食い尽くす炎であり、頂点の境界線を越えると、癌が自分の活力の源を食い尽くすまで増殖するように、意味の生命力の源泉を破壊するまで増殖し、最後に生命もろとも消滅してしまう。

 こんなことを書いても、抽象的過ぎて、読者にはチンプンカンプンかもしれないので、第二の譬え。憑依には、個人的憑依と、社会的憑依があると、ティリッヒは云っている。福音書における古典的事例は、前回と同じマルコによる福音書5章。ドストエフスキーにとって、名作『悪霊』のインスピレーションになった箇所。

 汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々におぼれ死んだ(マルコ5:12〜13)。

 さて、社会的憑依の典型的な例は、近代においては、フランス革命、ナチスドイツ、ソ連の共産主義、中国の文化大革命、太平洋戦争時の大日本帝国陸軍、ポルポト政権、現代のイスラム過激派であろう(個人的には、捕鯨反対やジェンダーフリー、日教組などの過激な市民団体も、小物として加えたいが・・)。これらの悲劇に共通する点は、最高度に「形態-創造的-活力」でありながら同時に、最高度に「形態-破壊的-活力」でもあるもの・・・、人格と社会に最高度の統合力を創造しながら、同時に「二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々におぼれ死なす」ような破壊的統合・・、つまり悪魔的なものである。

 これらの悲劇は、通常の社会統合を支える以上のパワーが、社会成員全体を占領し、自己破壊に突き進んでいる点において共通している。癌のように、自己に活力を与える生命システム全体を破壊してだけ、やっと消滅するのだ。憑依と同じで、社会の成員たちは、「やばい、やばい・・」と気づきながら、崖に向かう豚のように、突進の流れを止められない。自由意志を超えた力が、働いている。しかし、その悪魔的力は、自分たちの社会の深淵から、個々の成員の深淵から湧き上がる生命力なのである。なぜ自分たちを生かすはずの「形態-創造的-活力」が、同時に「形態-破壊的-活力」になってしまうのか? その辺については、また次回。

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