Ethical Experiment

なぜ宗教は消滅しないの?

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        宗教は、超倫理的である限り肯定される@


 柄谷行人氏の『倫理21』を読んだ。カントの香りが立ち込めている著作である。特に刺激的なのは、「宗教は、倫理的である限りにおいて肯定される」という第六章のお題である。カントは、宗教と倫理の関係を考える上で、歴史的な分岐点である。カント以前は、倫理は宗教的である限り肯定された。カント以後の世俗社会では、宗教は倫理的である限りにおいて肯定される風潮だ。

 カントは、宗教の本質は、倫理性だという。『理性の限界内における宗教』という著作の中で、カントはキリスト教の再解釈を試みている。この書は、カントが神学者としても超一流であることを示す絶好の神学書である。カントは、宗教に倫理性を超える神秘があるかもしれないことは否定しないが、それは考えないことにしよう、と云っているわけで、「カントは宗教を倫理に格下げした」という批判は、半分だけ当たっている。

 柄谷氏は、イエスにとっては、他者に対する倫理だけが重要だったと断言している。キリスト教神学については素人である柄谷氏が、新約聖書をそのように理解するのを責めるわけにはいかないだろう。私としては、これをネタにして、宗教と倫理について一文書いてみようと思った。

 福音書の中には、イエス・キリストが道徳的な善人よりも、罪人の側に立つ驚愕の物語がいくつかある。代表的な一つが、ルカによる福音書7章36節にある物語である。あらすじはこうだ。イエスがファリサイ派シモンの家に食事に招かれた。すると、この町の罪深い女が、突然シモンの家に上がりこんで、香油をイエスの足に塗り、髪の毛と涙で拭った。シモンはそれを見て、心の中で思った。「イエスが、真の宗教者なら、正しい倫理的判断ができるはずだ・・」。当時、正しい人は、罪人に触られることも忌み嫌っていたからだ。

 するとイエスがシモンに尋ねる。「借金を多く帳消しにしてもらった債務者と、少なく帳消しにしてもらった債務者とでは、どちらが債権者を多く愛するか?」。続けてイエスは云う。「この女は、多く赦されたから、多く愛しているのだ。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。

 さて、「自分は正しいと信じているシモンは、高慢だから道徳的に悪であり、罪深い女は、罪を自覚していて謙虚だから、シモンより倫理的だ」などと、イエスは云っていない。「罪人を侮蔑するシモンは、道徳的に間違っている」とも、イエスは云っていない。「人間誰しも、罪人だから、おまえに女を批判する資格はない」ともイエスは、云っていない。シモンの道徳性を非難していない。イエスは、この物語において、いかなる倫理的判断もしていない。イエスは、宗教的判断をしているのだ ファリサイ派は、当時、社会の中で最も倫理的に高貴な集団だった。イエスの非難は、彼らの道徳的努力に対して向けられてはいない。ただ一言、「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と指摘してるだけだ。

 なぜ、彼らは、「赦されることが少ないために、愛することも少ない」のだろうか? それは、彼らが、「なぜならば〜(Because)」という思考法でだけ、物事を判断するからだ。倫理的判断は、つねに「なぜならば〜(Because)」の判断である。「これは善である。なせならば〜」、「これは悪である。なぜならば〜」・・・。

 シモンだって、自分にも罪があり、赦しが必要だと感じているはずだ。しかし、少しだけ必要なのだ。「なぜならば」、自分は罪を自覚しているから。「なぜならば」、自分は後悔しているから。「なぜならば」、良心の呵責にすでに苦しんでいるから。罪を認めながらも、「なぜならば」で倫理的に挽回する。「少しだけ良い面もあるはずだ」、なぜならば、自分は罪を反省しているから。なぜならば、反省から多くのことを学んだから・・。ニーチェも、「おのれを蔑む者も、侮蔑者として、なおおのれを敬う」と云っている。

 しかし、罪深い女は、この「なぜならば」が使えない。だからこそ、多く赦されるのである。そして多く赦されたからこそ、多く愛する。私たちは、「なぜならば」を自覚して、正しいことを行う。当たり前のことだ。それ以外に方法はない。大人になるとは、「倫理的なぜならば」を知って、それを行うことである。しかし、私たちは、自分の卑しさ、自分の罪に対しても、「なぜならば」を使ってしまうのだ。

 注意! 私たちが、自分の卑しさ、自分の罪に対しても、「なぜならば」を使ってしまうことは、倫理的に悪だと、イエスは云っているのではない。繰り返すが、イエスは道徳的判断をしていない。ただ、「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と云っているのだ。そして、愛の少なさのゆえに、イエスはシモンの側に立たず、愛の多さのゆえに、罪深い女の側に立ったのだ。続きは次回。

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