Ethical Experiment

Centered Person

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意志の弱さとは?

 

「意志の弱さ。これは、ひとを誤らせがちな一つの比喩である。なぜなら、意志なるものはなく、したがって、強い意志も弱い意志もないからである。衝動の多様性や分散、それらの間の体系の欠如が、結果的に『弱い意志』となり、ある単一の衝動の優勢のもとで、それらが共存していることが、結果的に『強い意志』となる。前者の場合には気迷いや重心の欠如があり、後者の場合には方向の精密さや明瞭さがある(ニーチェ)」

 ニーチェは、意志の存在を否定している。ここで否定されている「意志」とは、人間の独立した能力としての意志である。常識的には、一方に意志があり、他方に欲望がある。意志が欲望に勝ったときは、意志が強いといわれ、欲望が勝ったときには、意志が弱いとされる。欧米の道徳哲学では、さらに「理性」が加わる。理性は、意志に命令する。意志は、欲望を抑える。ここに道徳性が成立する。

 ニーチェは、この伝統的図式を否定している。心理学的実体としては、『意志』なるものは存在しないのである。同様に、心理学的実体としては、『欲望』なるものは存在しない。私たちの生命の組織力が強い場合、「意志が強い」と呼ばれ、組織力が弱い場合、「意志が弱い」とされる。つまり、私たちの生命の中心化の度合い、統合力の度合いが強いと「意志が強い」とされ、弱いと「意志が弱い」とされるいう意味である。

 ニーチェによれば、意志の強さとは、「ある単一の衝動の優勢のもとで、他の諸衝動が共存している状態」のことである。つまり、ある単一の目標、使命、関心に心が支配され、生命全体が、それに向けて組織化されている状態を、「意志が強い」状態と呼ぶわけだ。宝くじの発売日にあわせて、3日前から銀座の発売所に並んでいる人たちがいたが、この人たちの状態も、ニーチェのいう「意志の強い」状態である。親が止めても、同僚が諌めても、世間が笑っても、七難八苦が障害となっても、一等の宝くじを輩出したその発売所に並ぼうとする彼らの意志を挫くことはできない。なぜなら、彼らの生命の全要素は、「あそこで、宝くじを買うんだ!」という目標のために中心化されており、知性と身体は、この目的に向かって組織化されているからである。

 私たちは、誰でも、生涯に一度は、こういう経験をしているはずだ。熱中している状態、夢中になった状態・・・。どんな障害も、自分を止めることはできないと確信している。自分が一個の火の玉になったような一体感を感じる・・。火事場の馬鹿力というが、こういう状態の人を止めるのは、容易ではない。なぜなら、「意志が強い」から。

 私たちは、通常、「意志の強さ」とは、「やりたくないことを、やり通す力」だと考えている。「お酒を止めたくないけれど、止める力」、「寝坊したいけれど、早起きする力」・・・・。ニーチェによれば、「○○したいけど、●●しなければならない」と感じている状態とは、「衝動の多様性や分散、それらの間の体系の欠如」の状態、つまり「意志の弱い」状態なのだ。生命が分裂している。一方で○○したいと感じ、他方で●●しなければいけないと感じている。熱中している人、夢中になっている人には、こういう分裂は存在しない。こういう人には、「○○したい!」だけがあるのみである。

 伝統的には、「○○したいけれど、あえて逆に●●できる」人たちが、道徳的な人たちだと誤認されてきた。ところが、ニーチェによれば、「○○したいけど、●●しなければならない」と感じている分裂状態を、不道徳状態と呼ぶのだ。! この状態の人間は、何1つ首尾一貫した行為をできない。心底、納得できない。見せかけ上できても、行為と心情が分裂している。社会的評価を求める自分と、自分自身に忠実でいたい自分に分裂している。

 こういう自己は、常に妥協の産物である。熱中している人間、夢中になっている人間は、社会的評価を求める自分と、やりたいことをしたい自分の分裂がない。これは、犯罪者や異常者にも当てはまるが、この問題については、既に論じたので、ここでは繰り返さない。そもそも、熱中している人間、夢中になっている人間は、「○○したいけど、●●しなければならない」とは、微塵も感じない。なぜなら、彼らは、「○○したい」と「●●しなければならない」が完全に一致しているからである。中心化された人間、つまりCentered Personにおいては、したいことは、しなければならないことなのである。欲望と使命が一致している

 私たちが「欲望と使命が矛盾している」という場合、社会的評価を求める衝動と、自分が本当にやりたい衝動の分裂を経験している。社会的評価を求める欲望が、完全支配している状態においても、自分が真に欲する衝動が支配している状態においても、単一の衝動が支配している間は、私たちは意志が強く、それに比例して、充実感を感じる。そして、なにより、私たちは、「強い」のである。

 単一の衝動が支配する人間は、先天的には生まれない。文化的環境が、大きな影響を与えるのである。優れた人間は、優れた文化においてしか生まれない。その辺の、文化論はまた次回。

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