Ethical Experiment

問題の背景

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19世紀まで



 古代・中世を通して「道徳」が独立した問題として扱われることはなかったようだ。欧米を例にとると、道徳は神の命令として理解されていたため、特別な根拠を必要としなかった。道徳の根拠は神の啓示にあるので、神の律法として、神への従順の表現として理解され、信仰生活の一部に過ぎなかった。中世ヨーロッパは、神を頂点とした階層的な体系であり、道徳だけではなく、芸術も学問も法もすべて神との関係の中で機能していたといえる。ところが宗教改革によって、信仰が神と個人の人格的関係として限定されて以来、中世の体系的な総合が崩れ始め分解していった。信仰は、個人の内面的なものとして扱われ、社会を統合する機能を失っていったのだった。

 17世紀後半から18世紀にかけて、道徳は、宗教や法から独立して、独自の文化的領域を獲得するようになる。道徳は神の啓示に属するものではなく、理性に属するものと考えられ、宗教と道徳の立場が逆転した。以前は宗教が道徳の基盤でしたが、これからは道徳が宗教の基盤となり、宗教を正当化するようになったのだ。私たちはこの逆転をカントの中に典型的に見ることができる。以前は道徳の本質は宗教でしたが、カントにおいては道徳が宗教の本質とされた。道徳が宗教的だから是認されるのではなく、宗教が道徳的である限りにおいて是認されるようになったわけだ。

 この背景には、近世の「個人の台頭」を見ることもできるだろう。技術の進歩によって人口が急激に増加し、産業が発展して富の分配の裾野が広がると中産階級が勃興し、既成の支配階級である王や貴族や教会と対立するようになっていく。中産階級の「力の増大」の自意識は、神の啓示の威光を錦の御旗に権力を維持しようとする旧来の社会体系を「抑圧」と感じるようになったとしても不思議ではない。理性は万人に宿る普遍的なものと理解されていたため、「理性の事実」を基盤にして行為のルールを確立しようする流れが生まれた。教会によって行為の規範を「上から」押し付けられるのではなく、個人に内在する理性によって自律的に行為の規範を確立しようとしたわけだ。

 カントは市民としての純粋な義務としての道徳哲学を構築しようとした。ルター派敬虔主義の申し子らしく、カントは宗教的な敬虔ともいえるような徹底的に純粋な道徳原理を追求した。義務の遂行自体のみを動機とする純粋な善意志に基づく道徳だけが道徳の名に値するとカントは言う。利得を求める動機によって道徳的に行為しても、カントにとっては道徳的な行為ではないわけだ。これはほとんど、「神のために神を愛するべきであり、利益のために神を愛するな」という宗教的命令の世俗的言い換えともいえるかも。カントの道徳哲学が含む宗教的親和性は、19世紀のドイツ神学の哲学的基礎として神学の中に生きていった。

 中庸と実証性を重んじる折衷的なイギリス国教会を背景とするイギリスでは、ベンサムとミルによって功利主義的自由主義が主流になる。ベンサムによれば、「功利性の原理とは幸福を促進するように見えるか、幸福に対立するように見えるかによって、すべての行為を是認し、また否認する原理を意味する」とされている。では幸福とは何か? ミルによれば、「幸福とは、快楽と、苦痛の欠如とを意味し、不幸とは、苦痛と快楽の喪失を意味する」だそうだ。「最大多数の最大幸福」と呼ばれる功利主義の原理は、幸福は計量可能であるという、当時の市場経済にピッタリの道徳観であり、道徳の世俗化の大きな節目になった。カントにおいては、神はそれでも道徳原理に不可欠な前提でしたが、功利主義的自由主義は、神がいなくても、快楽と苦痛という感覚によって人間は道徳的になれるという世俗的性格が特徴である。

 功利主義的自由主義の古典といわれるミルの『自由論』を要約すると、「分別のある大人なら、他人に迷惑をかけない限り、自分に不利益になるとしても、<自分のもの>に関して自己決定できる」となる。要するに、他人に迷惑さえかけなければ、何をしても自由だという倫理なのかな・・

 カントの道徳哲学が「最高線」の道徳、つまり「何を為さねばならないか」の道徳だとすれば、功利主義的自由主義は「最低線」の道徳、つまり「最低限何だけ為せばよいか」を設定する道徳哲学と云える。カントの道徳哲学は「聖人」を目指しますが、功利主義的自由主義は、人間はある程度みんなエゴイストだという前提で、許容範囲の「エゴ」を目指す。功利主義的自由主義は、いろいろ批判されますが、その普遍性と現実性によって現在でも英米道徳哲学の主流である。

 さてここで、少し整理しよう。重要なのは;

@神を社会体系の頂点にすえる中世的システムが、人口の増大、産業の発展、神学的変化、宗教戦争などによって崩壊し、近代社会が成立すると共に道徳の「位置」が変化した。

A17世紀後半から18世紀に、道徳は宗教の従属から離れ、独自の場所を得た。道徳は万人に普遍的に内在するとされた理性に基盤を置くようになった(カント)。

B19世紀のイギリスで、道徳は、神の存在を前提しない世俗的な性格を帯びてきた(功利主義的自由主義)。

 ここまでが17世紀から19世紀までの欧米の流れです。次回は20世紀の欧米の道徳哲学を概観してみよう。

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