Ethical Experiment

問題の背景

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近代的人間観の変化



 道徳体系を支えるのは責任という観念だと云われている。私たちは責任がないことについて、道徳的非難を受ける謂われはないと考えている。したがって、道徳と責任は密接に関連している。ちなみに道徳を目の敵にして攻撃したニーチェは、因果律と論理学に対しても詳細な批判を加えているが、それは道徳が成り立つためには、責任という観念が成立しなければならず、責任が成り立つためには、物事の因果関係が理解されねばならず、因果関係を理解するためには論理が必要だからとも云える。

 それはともかく、欧米の哲学者たちにとって、「責任とは何か」は現在でも熱く論議されているテーマである。責任という考え方は古代からあったが、欧米の哲学の理解の仕方は特殊だった。近代の欧米人は、責任を主に「責任能力」として理解したようである。つまり責任の程度と範囲は、当事者の「責任能力」に応じて決められるわけだ。神が道徳体系・法体系の中心から削除されたので、責任の基準は神の命令ではなく、「人間」の能力へと移ったのだろうか? 古代イスラエルの法に、「牛が男あるいは女をついて死なせた場合、その牛は必ず石で打ち殺さなければならない(出エジプト 21:28)」とあるが、近代の法哲学からすれば、牛には「責任能力」がないので無罪放免となるだろう。

 明治40年に公布された現行刑法39条には、「心神喪失者の行為はこれを罰せず、心神耗弱者の行為はその刑を減軽す」とあるが、心神喪失とは、事物の理非善悪を判断する能力がないか、あるいはこの判断にしたがって行動する能力のない状態を指す。するとある行為の是非は、判断する能力(理性)と、判断に従って実行する能力(意志)によるわけで、責任能力のある道徳的主体とは、理性と意志が正常に機能している主体であるということになろう。

 そこで、ある行為が為された時、道徳的主体の理性と意志はどのような関係にあるのか、理性と動機の関係はどうなっているのか、意志と欲求の関係はいかなるものかを考える、「道徳心理学(Moral Psychology)」なるものが道徳哲学の一分野として登場することになった。この道徳心理学は、一般的心理学のような実験は何1つ行わず、かといって精神分析学のように臨床から知見を得るわけでもない、抽象的な純粋に哲学的心理学である。実証性も臨床性もない心理学なんて変な冗談のような気がするが、ここは大目に見よう。

 もちろん一口に道徳心理学といっても、合理主義的道徳心理学や、それに対抗するヒューム的反合理主義など、学派が多数ある。ここでそれら1つ1つを紹介して解説することはできないので、欧米の道徳的主体観を代表するような主流派の考え方を大雑把に取り上げて、概説してみよう。理由は、最近の認知心理学や神経生理学が、欧米人が考える道徳的主体の典型的イメージをぶち壊すような実証的知見を提出しているためである。多くの哲学者たちは、これらの知見を無視していますが、遅かれ早かれ真剣に検討せざるを得なくなるだろう。そしてそうなった時は、道徳哲学全体のパラダイムシフトが起こる可能性さえあるかもしれない。

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