5.日和待ち(〜山川)




靄かすむなか錦江湾へ
 8月27日(木)、天候は小康状態の様子なので出港に決める。ニュースは九州北部の大雨をしきりに報じている。1ヶ月前と同じような気圧配置と降雨。幸いここは南に下っているのでその影響は軽い様子だ。
 早め6:40に港を離れる。風はあまりないが、昨日の残りのうねりが西から押している。湾口で灰色に煙る坊浦湾口を振り返って、昔の帆船がこの入り江に近づく様子を思い描いてみる。
 坊岬を過ぎると一路、錦江湾口(鹿児島湾)をめざすが、うねりはあるけれど今日は風が弱く、東寄りになったり西に振れたりで安定せず、その都度セールがバタバタと暴れ回る。9時前、とうとう無風になってしまった。おそらく海風に変わる前だろうと諦めて、機走に切り替えた。
 開聞岳はまだ見えないかとなんども行く手左を見つめてみるがガスが多くて見えてこない。海図上ではもうすぐ近くのはずであるが。
 9:30、ようやく左手に開聞岳の山裾ラインだけが、かすかに浮かんできた。岳まではほんの2マイル強のはずである。やがて開聞岳の1マイルほど南を通り過ぎるが、海岸まで一気に落ち込む山肌を見せるだけで山容を見せようとしない。湾口の長崎鼻を過ぎて、東には大隅半島先端の佐多岬があるはずだがこれも見えない。せっかくの九州南端を回り込もうというのに、なんとも張り合いのない天気である。↑:朝の坊浦をあとに。
 水蒸気ばかりでせっかく期待の錦江湾へのアプローチが退屈な時間になってしまった。
 これからの航海ルートは付録として南の島をまわるか、そのまま豊後水道をめざすか、山川で整備や点検をしながら天気とも相談してから決めようと思う。ともかくは、呼子をでてからの東シナ海沿いの九州西岸を辿る旅も山川で一段落するので、一人静かにお祝い膳を何にしよう。 
 さすがに山川港は良港で名が知られているだけあって、周到に自然が作り上げてくれた港である。朝顔の蔓のように南から近づくと左に左に巻き込んで港の奥まで辿り着く。まず港口でほぼ直角に左に湾を入ると、さらに左にまわりこみ、港の奥でもういちど左に向いて船首をほぼ東に向けて巡視船用の桟橋裏側に横付けした。ぐるりと巻き込んでどちらからの風、波も直接には入ってこない仕組みができあがっている。12:45係船を終える。
←:錦江湾に入ってようやく姿を現した開聞岳。





灯の消えた港がここにも
 山川は静かだった。鰹漁船でにぎわう・・・など案内の常套文句だが大きな魚市場岸壁に一隻の漁船も泊まっていなかった。大隅半島と結ぶフェリー岸壁もガランとしたままだ。最奥の小さな漁船溜まりに地元小型漁船がいるだけである。フェリーは昨年5月で廃されて、いまは桟橋そのものが閉鎖されてしまった。翌朝、散歩がてら行ってみた魚市場は早朝というのにシーンと静まりかえって休日かと間違えるほどだった。
 係船を終えてほっとひといき、昼のお祝いはいまの私にとっての一番の贅沢を奢ることにした。
 そうめんをきちんと作って、なすも焼いてゆっくり味わう。入港前にそう決めた。
 そうめんは本場、小豆島手延べの最後のもの。ヨットの長期航海でないとなぜこれが最高の贅沢かと思われるかもしれない。港で給水できるとはいえそれなりに手間のかかる作業なのである。水は最高にケチケチ使ってきた。そうめんを茹でるには水をつかう、茹でると水で洗わねばならない。それをさらに氷水にさらしたい。水をこれほど浪費するものはないのだ。
 出汁を用意してこれも冷やしたい。そして刻みネギをたっぷり用意して生姜をちゃんと摺りおろそう。氷は一昨日朝、野間池出航前に求めていたのがまだある。これをヨットの中で全部用意するのはかなり厄介な条件なのである。やはり贅沢だと思う。
 用意は面倒だが、食べるのはあっという間だった。それでいい。ついでにロックで焼酎もグラスに少し添えて気分を高めた。
 港の前になかなかいい割烹があって、その夕べ、もう一度そこでささやかな祝杯をあげた。注文した鰹はとても良かったが、客はほかに一人もいない。山川はもう夕方5時をまわると灯が消えたようになってしまう。ここにもまた、昔を懐かしむばかりの港がある。


いい朝だ
 祝杯をあげて船に戻ると桟橋の向かい側に保安庁の中型船が来ていた。
尋ねると巡視船でなく、灯台の保守維持をする船だとのこと。鹿児島を拠点に南の離島から薩摩、大隅半島のすべての灯台の維持を任務にしているとか。地味だが一番困難な作業のチームである。
 なぜ困難か。灯台があるのは暗礁であり、半島の突端で潮がぶつかり合って波が荒れ、風が狂う、そういう場所にしか灯台はない。その灯台に海から近づいて(陸から近づけない灯台の方がはるかに多い)短艇を降ろして灯台に乗り付けるのだそうだ。地味な任務を志願するチームの人はどこか穏やかで、地理学や天文好きの青年がそのまま年輪を重ねたような表情を持っていた。そして船のお風呂に招いてくださった。
 翌朝、きびきびした声を聞き、出港かと覗いてみると離岸作業にかかるところだった。私はTシャツに短パンだが、狭い左舷デッキ(もちろんTiaraShoreのである)に立ち、両手をピンと伸ばして脇に、直立して見送った。そして、離岸作業の一部始終を参考に見学する。寸分のスキもなく見事な出港だった。→:公用桟橋を分け合う?、Tiarashoreとずいうん。
 すべての舫いロープがはずされ若い甲板員が船に戻り、微速後進で私の目の前を『ずいうん』が動き始めた。ブリッジで離岸を見守っていた船長がこちらを向いて挙手の礼を取ってくれた。私は民間人だから挙手はしない。背中をスッと伸ばしたまま30°前傾の答礼で応えた。船長と代わって航海士がブリッジにでてきてまた挙手の礼、私も繰り返す。
 船首には甲板長が直立して離岸完了を見届け、私の前を過ぎるとき、キチッとした挙手の礼をとってから、
「ご安航を!」と叫んだ。
「ありがとうございます」
 私も叫ぶ。
 去りゆく『ずいうん』に向かって、もう一度、前傾の礼をして見送らせていただいた。
 近代ヨットを確立させたのは、他の多くのスポーツと同様に英国である。その英国では、ちゃんとしたヨットは艇の大小にかかわらず英国海軍旗の掲揚を認められていると何かで読んだ。つまり、軍艦に準ずる船舶の扱いを受けているのである。かつて歴史上で英国ヨット協会はヨットを動員して国難に立ち向かった、それへの英海軍の答礼がそれである・・と記憶している。
 翻って日本ではヨットはプレジャーボートで、不要不急の遊び船だから港に入るな、などの差別が全国でまかり通っている。しかし、英国の例ほどの扱いでなくとも世界の海上ルールでは、10万トンのタンカーであっても、10.3mのTiaraShoreであっても、おなじ外洋船舶として対等の関係にある。ことの大小では区別しないのである。ここまでの航海で、折りに触れて紹介したように、日本の本船は実にマナーのいい航海士が揃っていることを知った。ちっぽけな“不要不急”のヨットを見ると1マイル以上も手前で微妙にコースを変えて避けてくれることが何度もあった。
 今朝、保安庁灯台部所属の『ずいうん』は、出港を見送るTiaraShore船長に最高の挨拶で応えてくれたのだった。→:強風下出港する『ずいうん』。
 天気予報は、薩摩・大隅地方は大雨、雷・洪水注意報を繰り返している。29日(金)本日も桟橋に釘付け、日和待ちである。
(2003.8.29)


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