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熱闘甲子園HISTORY

歴史編

「熱闘甲子園」その番組の起源から現在まで(データ編はこちら

1975〜1978 新ネットワーク結成
 まずは「熱闘甲子園」(以下「熱闘」)が始まる前の話から。1975年3月31日、テレビ朝日(当時NET)−ABCのテレビネットワークが組まれたが、この年の夏から「高校野球ハイライト」という番組が夏の甲子園期間中、深夜枠で連日放送されていた。言わば「熱闘」の前身的な番組である。内容は当日行なわれた試合を、そのまま短く編集して流すという極めてシンプルなものだった。
 また、「熱闘」とは直接関係ないが、「あゝ甲子園」という番組も参考として紹介しておく。これは77年の第59回大会の前後に、高校野球にまつわるさまざまな人間模様をドキュメントにして放送されたシリーズ。注目すべきは、あの『君よ八月に熱くなれ』がこの番組で初めて使われたことである。この年から94年までの足かけ18年に渡って使用され、その後も随時現在に至るまで流れている、ABC夏の甲子園テーマソングの定番となったのは言うまでもない。

1979〜1980 熱闘甲子園の誕生
 上記の番組はABC制作で、テレビ朝日系で全国ネットされていた番組である。当時、高校野球は今以上の国民的イベントで、甲子園は連日超満員。テレビの高校野球中継も高視聴率続きで、ついには、1978年夏の決勝・PL学園×高知商戦が50.8%(ビデオリサーチ調べ。NHK総合・関東地区)にも達した。
 これに目をつけたのが、キー局のテレビ朝日だった。ABCにゴールデンタイムで夏の甲子園のダイジェスト番組を共同制作で放送することを持ちかけ、ABCもこれを了承。その番組は79年の第61回大会決勝の翌日、8月22日の夜7時半から「水曜スペシャル」の枠で放送された。この番組のタイトルが「熱闘!甲子園・第61回全国高校野球選手権大会」。タイトルからもわかる通り、これが「熱闘」のルーツとも言える番組である。この番組は関西地区で24.1%という高視聴率を稼ぎ、翌年も同様の番組を放送した。
 この頃のテレビ朝日は高校野球に力を入れていて、80年まではABCの高校野球中継を関東勢の試合を中心に、かなりの時間を割いてネットしていた。また、76・77年には神奈川のUHF局・テレビ神奈川(TVK)とのリレー中継も実施し(ABCの関西独立UHF局との高校野球リレー中継は85年スタート。つまりこちらが先)、朝から夕方まで関東の地上波でABCの高校野球中継が楽しめたという時期もあった。また、ここから派生して、全国高等学校定時制通信制軟式野球大会を“もう一つの甲子園”として取り上げ、萩本欽一氏や同局の人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」の出演者らを起用した特別番組なども制作している。

1981〜1986 未だに記憶に残るオープニング
 そうして1981年8月8日夜11時、「熱闘甲子園」がついにスタート。キャスターは「パワプロ」実況でおなじみの、“アベロク”こと安部憲幸アナウンサーが担当した。スポンターは松下電器(現パナソニック)で、「熱闘」用に制作した高校野球をイメージしたCMを流していた。
 オープニング映像は、『君よ八月に熱くなれ』のイントロにのせて試合のハイライトのさわりが流れ、『君よ−』のテーマに乗って甲子園のモザイク映像に切り替わり、「熱闘」のタイトルロゴが浮かび上がる…というものである。もう相当前になるが、このオープニングを未だに覚えてる方も多いだろう。このオープニングは、88年の松下電器撤退まで続いた。
 2年目からは、“ミスター熱闘甲子園”中村哲夫アナウンサーが登場。82〜86年の5年間キャスターを務め、名調子で荒木(早稲田実)、水野(池田)、桑田・清原(PL学園)など、当時のスターの甲子園での活躍を伝えていった。また、82年8月20日(決勝・池田×広島商戦)には関西地区で34.9%の視聴率を記録。これが現在までの最高視聴率記録になっている。

1987〜1988 ハプニング相次ぐ熱闘甲子園
 1987年、「熱闘」で初めてアナウンサー以外からキャスターが起用された。キャスターは、当時テレビ朝日系「モーニングショー」の司会を務めていた江森陽弘氏。江森氏は番組の中で渡辺(一関商工)の力投に感動して、ハーモニカで『ふるさと』を演奏したのが印象的だった。実はこの年のみ、スポンサーが従来の松下電器に加えて、後にスポンサーとなるコカ・コーラボトラーズ(現コカ・コーラ)が参加している。江森氏の起用はこの辺りが関係しているかもしれない。
 翌88年は、スポーツ・芸能の分野などから日替わりでゲストを招き、キャスターとトークをしながら番組を進めたが、大会第6日となるはずの8月13日に珍事が起こった。この日は雨で全試合が中止になったのである。しかし、予定通りに「熱闘」はオンエア。試合がなかったため、前日までのハイライトやゲストの永島敏行氏の思い出の試合(74年決勝・銚子商×防府商戦など)などをオンエアしてしのいだ。90年から「全試合中止の場合は放送休止」となったために、最初で最後の全試合中止の日の「熱闘」という、レアものの放送になった。
 また、番組最終日のラストでキャスターの太田元治アナウンサーが、涙を流しながら「最後に浜松商の岡本君…君のピッチング…忘れません」と言った。オンエアされていないが最後は嗚咽したそうで、太田アナ自身、この年の「熱闘」が一番印象に残っている仕事だという。なお、松下電器はこの年をもって「熱闘甲子園」のスポンサーから撤退した。

1989〜1990 熱闘甲子園大リニューアル
 平成に入った1989年、「熱闘」のスポンサーがコカ・コーラボトラーズ(現日本コカ・コーラ)に代わった。それと同時に、開始以来ほとんど番組の形を変えなかった「熱闘」が、大幅にその形を変えていく。
 89年はテレビマンユニオンが番組製作に参加。基本構成は同じだったが、オープニングはクラシックの『タンホイザー行進曲』に変わった(エンディングは引き続き『君よ八月に熱くなれ』を使用)。初日の「熱闘」オープニングを見て、驚いた方も多かったのではないだろうか。また、タイトルバックに初めてCGが使われた。
 10年目となる翌90年、ついに大リニューアルが敢行される。まずテーマ曲が一新。「熱闘」から、『君よ八月に熱くなれ』がついに姿を消した。さらにタイトルロゴも筆文字風から、カクカクとした文字のものに変更。放送時間も、平日・土日とも夜11時からに統一。そして、日替わりの“特集コーナー”も本格的にスタートした。この特集を主に担当したのは、映画監督・林海象氏率いる「映像探偵社」。はっきり言って“やりすぎ”なほど凝った映像で特集を演出していた。映像探偵社は、92年まで「熱闘」の製作に携わる。
 また、この年に初めて女性キャスターが登場した。田中雅子さん、安陪利美さん(九州朝日放送アナウンサー)の二人だが、田中さんがほとんど毎日感動して、泣いていた印象しかない…。最後に、CM前にアルプスで応援する女の子を映すその名も「アルプスの少女」というコーナーが始まったこと(92年まで)も付け加えておく。

1991〜1995 超シンプル・全編ナレーション
 1991年から、キャスターと試合のダイジェストを伝えるアナウンサーが分離された。この形式は現在も続いている。また、91年はタレントの諸江みなこさんがキャスターを務めている。スポーツ番組の(若い)タレントの起用は今では当たり前だが、当時としてはかなり珍しかった。翌92年は、「ニュースステーション」で当時天気キャスターだった勝恵子さんがキャスターを務めた。
 そして93年から95年の3年間、「熱闘」はスタジオとキャスターを設けず、全編ナレーションのみという極めてシンプルな進行となる。1993年は中里雅子さん(元テレビ朝日アナウンサー)、94・95年は声優の皆口裕子さんが「声」だけで選手の熱い夏を伝えた。
 また、企画モノには「熱闘「夏」物語」というタイトルが付けられた。甲子園を舞台にしたリアルタイムのドキュメントという感じで、よく作り込んであった。

1996〜1997 日替わりで芸能人キャスターが甲子園へ
 1996年、キャスター制が復活。しかも6人の芸能人による日替わりキャスター制である。ただ正直、高校時代に甲子園出場経験があり、甲子園に思い入れの深い美木良介氏以外は印象が薄かったかもしれない。
 翌97年は佐藤藍子さんなど、もっと多い10人の若手女性タレントが日替わりで出演している。「甲子園日記」というノートを作って毎日リレーしていったが、番組の統一感がいまいちなかったのは否めない。しかし、それを引き締めたのが、オープニングの黒田征太郎氏の絵と伊集院静氏の詩である。ここからテーマソング『Dear...』に入っていくのは歴代でも屈指の出来だろう。また、番組終盤の20日には『Dear...』を歌うTSUNAMIさんがスタジオに来て、アコースティックで熱唱したのも印象深い。

1998〜2000 長島三奈さん登場!
 1998年、テレビ朝日記者として「ニュースステーション」のスポーツを担当、そしてプロ野球巨人終身名誉監督・長嶋茂雄氏の娘である、長島三奈さんがキャスターで登場した。2000年を除いて現在まで「熱闘」のキャスターを務め、いつしか“高校球児の母”というキャッチフレーズまでつくほど、「熱闘」のイメージが強い人になった。
 長島さんがキャスターになった年から、特定のキーワードを前面に押し出すようになった。98年は「怪物」。実際、この大会は松坂(横浜)、新垣(沖縄水産)、古木(豊田大谷)など、今でもプロで活躍する「怪物」と言えるような選手が多く、特に松坂はぴったりはまっていた。プロ入りした今でも松坂投手が「(平成の)怪物」と呼ばれるのは、この番組の影響である。大会の盛り上がりに比例して視聴率も好調で、準決勝が行われた8月21日には、関東地方で16.4%と高視聴率を記録した。また、従来番組のスパイスとして取り上げてきた「球児のサイドストーリー」的なものが各試合ごとに散りばめられ、番組の主軸を担うようになった。ある意味、「熱闘」の大きな転換点となった年といってもいい。
 99年はゲンを担いだか、キャスターはもちろんアナウンサーが続投。この年は「伝説」をキーワードにしたが、役者が揃いすぎた前年と比較するとスケールダウンは否めず、あまり定着しなかった。
 2000年は長島さんのテレビ朝日退社に伴うリフレッシュのため、元フィギュアスケート選手の八木沼純子さんがキャスターを務めた。キーワードは前面に出さず、試合のポイントを検証する「勝負の瞬間・熱闘を検証する」や、各スポーツのアスリートが高校野球への想いや勝負へのこだわりを語る「夏・夢・未来〜たたかう君へ」というコーナーを設けた。なお、この年から番組タイトルロゴが現在のものになっている。

2001〜2002 20周年、そして熱闘21世紀
 21世紀に入り、長島さんが2年ぶりに復活。番組20周年となる2001年は、甲子園高校野球最速(当時)の154km/hを投げた寺原(日南学園)を「超怪物」と名付け、試合があろうがなかろうが毎日登場していた。この年は「球児たちの手紙」というコーナーがあり、その日敗れた高校の選手(もしくは監督やマネージャー)がその日にいろいろな人に宛てて書いた手紙を長島さんが朗読していた(本人が読んだ日もあった)。これは現在でも続き、準決勝放送日の恒例となっている。
 02年はテーマソングを我那覇美奈さんが担当。弟の悟志さんは当時、樟南(鹿児島)野球部のレギュラーで、この年甲子園出場。「熱闘」を通じた姉弟の競演が話題になった。また、構成は「球児のサイドストーリー」がより強調されたものになった。この年から始まった「夏詩(なつうた)」というコーナーは、アカペラコーラスグループ・AJIの歌う『farewell』などをBGMに、映像とテロップのみで構成。「初めての…」「絆」など日替わりのテーマで「熱闘」を彩った。

2003〜2005 帰ってきた『君よ八月に熱くなれ』
 2003年は前年好評だった「夏詩」のコーナーをはじめ、構成はほぼ前年を継承。その「夏詩」の挿入歌でなんと、『君よ八月に熱くなれ』が復活した。「熱闘」で流れるのは実に14年ぶり。今回は夏川りみさんが担当し、心地よい歌声でこの夏の物語を演出した。なお、この年はコカ・コーラの一社提供ではなく(同社は筆頭スポンサーとして提供を継続)、数社の日替わりスポンサーとなった。
 04年、ついに長島三奈さんが歴代最長のキャスター6年目に突入。構成は前年を踏襲して、アナウンサーも前年と同じ。この年は主にダルビッシュ(東北)や、千葉経大付の松本吉啓監督(1976年夏に桜美林のエースで全国制覇)と4番でエース・啓二朗の「父子鷹」、異なる高校で甲子園出場を果たした、天理の祐規・明豊の昌平の「藤田兄弟」が良く取り上げられていたが、アテネオリンピックの柔道の生中継と重なったこともあって、視聴率は伸びなかった。また、スポーツ中継で開始時間も安定せず、17日には深夜4:30(実際の放送開始は5:05)に回されてしまった。
 そして05年。この年もキャスター・アナウンサーは続投。この年は番組25年目の区切りで、アイキャッチでも「25th」とアピール。大会前半には、過去の映像を紹介するミニコーナー「熱闘ストーリー」も放送された。また、大阪勢として14年ぶりに4強に導いた大阪桐蔭の辻内、平田、中田の3選手が重視して取り上げられた。

2006〜2009 “ヒーロー”重視の番組へ
 2006年は番組構成が大きく変化。近年の傾向だったサイドストーリーや感動路線が薄れ、“ヒーロー重視”路線になった。「夏の主役はオレだ」をキーワードに、前評判の高かった田中(駒大苫小牧)、中田(大阪桐蔭)、斎藤(早稲田実)、堂上(愛工大名電)などを中心に据え、試合日と関係なく連日取り上げた。その一方で「夏詩」がなくなり(08年に実質復活)、エンディングは明日の注目試合の予告に充てられ、テーマソングは最終日のみ設定。試合順に放送しなくなったのもこの年からである。
 07年もこのヒーロー重視路線を継続。佐藤由(仙台育英)、熊代(今治西)、中村(帝京)、本田(京都外大西)などが取り上げられた(当初は中田(大阪桐蔭)を中心に据える予定だったが、大阪大会で敗れた)。また、昨夏の大会を沸かせた斎藤(早実→早大)、田中(駒大苫小牧→楽天)のインタビューも挿入、準決勝の日は好評だった「手紙」が放送された。この年から、その年の放送をまとめたDVDが発売されている。
 08年、長島さんがキャスターになって丸10年に到達。この年は「熱闘!高校野球ナビゲーター」として、ABCの高校野球関連番組に出演してきた小泉孝太郎氏も連日登場し、「孝太郎夏物語」というコーナー(事実上の「夏詩」復活)のナレーションやリポーター役を務めた。内容・構成は06年からのものを踏襲。伊波(浦添商)、近田(報徳学園)、坂口(智弁和歌山)などが取り上げられた。放送時間は北京オリンピック中継の影響で一定せず、12日は深夜1時45分、決勝の18日は深夜1時など遅い時間から放送される日もあった。
 09年は長島さんと、この年「熱闘!高校野球ナビゲーター」を担当した野球解説者の栗山英樹氏が、Wキャスターという形で番組を進行。栗山氏は「今日の熱闘」と題したプレーの解説を行った。ミニコーナー「なつあと」は、試合ダイジェストから漏れた内容をフォローする、「夏詩」「孝太郎夏物語」とほぼ同じ内容。構成はやはりヒーロー重視で(スポンサーのキャッチフレーズより「ヒーローズスペシャル」と冠された)、菊池雄(花巻東)、堂林(中京大中京)、伊藤(帝京)らが主に取り上げられていた。

2010〜2013 30年目突入、長島三奈さん卒業
 2010年は、熱闘甲子園レギュラー放送開始30年目の節目の年ということで、タイトルも「熱闘甲子園30th」として30年目をアピール。CM前には30年の中なら名勝負をピックアップして、当時の映像で振り返るコーナーが設けられた。キャスター、ナレーション陣は全員続投で、構成はほぼ前年を踏襲。「なつあと」は番組最後のコーナーとして据えられ、応援ソングの『あとひとつ』も必ず流れて、エンディングパートが事実上復活している。また、準決勝放送時恒例の「手紙」は、なつあとのスペシャルという位置づけで放送された。
 11年も基本的には前年を踏襲しているものの、無闇にヒーローを作らないという方針に変わり、注目選手の紹介は最小限にとどめて、番組の原点に近いスタイルに戻した。CM前に過去の名勝負を振り返るコーナーは、「あの夏の僕ら」として放送。現在プロで活躍している選手だけでなく、駒大苫小牧・佐々木孝介(現同校監督)などアマチュアの方も紹介された。「なつあと」「手紙」は従来通り。
 12年は栗山氏の日本ハム監督就任に伴い、「熱闘!高校野球ナビゲーター」は工藤公康氏に交代。選手として出場した1981年以来、実に31年ぶりの熱闘甲子園「出演」で話題となった。番組構成は前年のものを踏襲しているが、過去の名勝負を振り返るコーナーがなくなり、「なつあと」が中盤に移動。主に前日の試合から紹介しきれなかった部分を放送。エンディングパートで「夏詩(なつうた)」が復活して、こちらは当日敗れたチームの宿舎の様子を中心に放送した。
 13年はテレビ朝日の竹内由恵アナがキャスターに加わり(9日のみ森葉子アナが担当)、工藤氏と番組を進行するスタイルに変更。長島さんはこの大会前に「番組を今年限りで卒業」という報道があり、番組でも取材やナレーションが主体になり、スタジオでの顔出しは5日間にとどまった。この年は中盤に「あの夏を胸に」というタイトルで、阪神・藤浪晋太郎投手、花巻東・大谷翔平投手、松井秀喜氏などが高校当時の思い出を語るコーナーが設けられ、試合ダイジェストでフォローできなかった部分は、3試合日や準決勝など試合の少ない日に集中的に放送された。

2014〜 新体制スタート
 2014年、前年の報道通り長島三奈さんが番組を離れ、替わって三上アナと、4月に入社したばかりの山本アナがキャスターに着任。この年は生放送で行われ、進行は三上アナと工藤氏が務め、山本アナは番組に寄せられたツイートの紹介と取材やナレーションを担当した。番組構成も一部変わり、当日の試合順に関係なく放送し、ダイジェストも試合によって割く時間が変わっていた。また、「なつあと」の他に、ベンチ入りした選手以外にスポットを当てる「背番号19」というコーナーが新たに設けられたが、準決勝時恒例の「手紙」の放送はなかった。
 2015年は、工藤氏が福岡ソフトバンクホークスの監督に就任したのに伴い、新たに元ヤクルトの古田敦也氏がキャスターに就任。2年連続の山本アナとともに番組を進行した(8月12〜19日は生放送)。「なつあと」は昨年に引き続き連日放送。「高校野球100年・ことだま」というコーナーでは、甲子園を沸かせた選手・指導者が未来の球児たちへのメッセージを寄せ、松井秀喜氏、斎藤佑樹投手、渡辺元智氏(前横浜監督)が出演した。
 2016年は、2年目の古田氏に加えて、ABCのヒロド歩美アナを起用。ABCの女性アナウンサーが熱闘に出演するのは、番組史上初のことだった。一方で、今年はナレーションを含めて、テレビ朝日のアナウンサーが一切出演しなかった。今大会は、リオデジャネイロオリンピックと日程が重なったため、テレビ朝日系のオリンピック中継の煽りを食う形で、第1日にあたる7日の放送がなく(試合があった日に、地上波の放送がなかったのは初)、代替でインターネットサイト「バーチャル高校野球」で「熱闘甲子園スペシャル」として、第1日のダイジェストを配信した。「なつあと」は昨年に引き続き連日放送。準決勝日の「手紙」も復活した。
 2017年も前年とほぼ同じ布陣で、テレビ朝日からも三上アナがナレーションで参加。4年ぶりに、特別番組による時間変更が全くなかった。「夏跡(なつあと)」「手紙」も、例年通り放送した。
 第100回記念大会となった2018年も古田氏、ヒロドアナが続投。「熱闘!高校野球100回スペシャルナビゲーター」として嵐の相葉雅紀氏が出演して、自らの取材で感じたことを綴る「相言葉(あいことば)」を随時放送。さらに13日は特別企画として、元キャスターの日本ハムの栗山英樹監督と長島三奈さんが出演。7年ぶりのコンビ復活で、全編に渡って進行を担当した(現役NPB関係者の同番組出演は初めて)。「夏跡(なつあと)」と「手紙」も放送した。
 そして、来年の夏も熱闘甲子園は選手を追い続けていく…