宮本武蔵・美術篇
Art Works of Musashi

Home Page

●美術篇目次
102 武蔵美術論 2  Back   Next 



 ●芸術的バックグラウンド

 武蔵の生歿年からすれば、武蔵が生きたのは、16世紀末の織豊期から17世紀半ばの徳川3代家光の時代までである。とくに安土桃山時代という面白いエポックの最中に生まれた世代で、しかも慶長年間に青年期を送り、元和・寛永という経済高度成長期に生きている。
 この時期は一般的な言い方をすれば、中世から近世への移行期である。一口に安土桃山時代といっても、織田信長の時代と豊臣秀吉の時代ではもう違いがある。秀吉の時代になると、かなり中世的なものは後退し、新しいものが出てくる。しかし秀吉死後も慶長年間を通じて、なお過渡期の渾沌としたなかで、続々新しいものが出てくる。これがはっきり近世的なものになるのは、元和寛永期であろう。
 この時期にどういう作品が生まれたか、ジャンルを問わずに、ほぼ年代順に列記してみれば以下のようなことである。美術史の復習みたいなぐあいだが、何のコメントも入れないので、できるだけ先入観なしに通覧していただきたい。


復元模型
安土城 天主
神戸市立美術館蔵
泰西王侯騎馬図
名古屋市立博物館蔵
花鳥蒔絵螺鈿聖龕



一重切枝付竹花入 徳川黎明会蔵 一重切竹花入銘園城寺 東京国立博物館蔵 備前耳付水指銘竜田川 東京国立博物館蔵 茶杓銘泪 徳川黎明会蔵
唐物肩衝茶入銘利休円座 五島美術館蔵
千利休茶道具諸物


奈良国立博物館中庭
古田織部 八窓庵

京都市東山区高台寺町
高台寺傘亭
サンリツ服部美術館蔵
長次郎 黒茶碗銘雁取

樂美術館蔵
長次郎 黒茶碗銘面影




宮内庁蔵
狩野永徳 唐獅子図

大徳寺聚光院蔵
狩野永徳 聚光院方丈障壁画




京都国立博物館蔵
海北友松 飲中八仙図



宮内庁蔵
海北友松 浜松図




京都国立博物館蔵
雲谷等顔 梅に鴉図




智積院蔵
長谷川等伯 楓 図



東京国立博物館蔵
長谷川等伯 松林図




東京国立博物館蔵
狩野秀頼 観楓図



東京国立博物館蔵
狩野長信 花下遊楽図




犬山市 有楽苑内
織田有楽斎 如庵

姫路市本町
池田輝政 姫路城天守閣




東京国立博物館蔵
本阿弥光悦 舟橋蒔絵硯箱

サンリツ服部美術館蔵
本阿弥光悦 白楽茶碗銘不二山




京都国立博物館蔵
俵屋宗達絵・本阿弥光悦書 鶴図下絵和歌巻



建仁寺蔵
俵屋宗達 風神雷神図




サントリー美術館蔵
狩野山楽 南蛮屏風

大覚寺蔵
狩野山楽 紅梅図



大和文華館蔵
松浦屏風

彦根城博物館蔵
彦根屏風



徳川美術館蔵
伝岩佐又兵衛 豊国祭礼図

MOA美術館蔵
岩佐又兵衛 人麿貫之図





桂離宮古書院

京都市西京区桂御園町
桂離宮松琴亭




京都市北区大徳寺町
小堀遠州 孤篷庵

瀬戸市歴史民俗資料館蔵
小堀遠州中興名物伯庵茶碗




メトロポリタン美術館蔵
狩野山雪 老梅図




二条城二の丸御殿
狩野探幽 松鷹図



京都市中京区
二条城二の丸御殿

日光市山内
日光東照宮


 ――いかかがであろうか。煩をいとわず一通りじっくりと観ていただいたとしたら、わかると思うのだが、これが武蔵の時代の、いわば芸術的環境である。
 画人武蔵が登場する背景は中世的なものと近世的なものが共に存在した時代である。これは慶長期の桃山美術から、近世的センスが発生しはじめた元和、そして寛永美術といわれる独特な文化様式が発生してきた時代である。
 一般に言われるのは、中世は神秘的で宗教的な性格の強い文化であり、近世は世俗的な性格が強い文化であり、このふたつの文化の過渡期では多面的な様相が現れ、文化の両義性が露出する。すなわち豪放でゴージャスな作品もあれば、それとはまったく逆に思い切って清貧を装う侘び寂びもある。それらが共存したのが、この時期の特徴である。
 もっと言えば、懐古と求新が、御殿と草庵が、南蛮物と和物が、キリシタンと禅が、豪壮と優美が、華麗と冷枯が、金碧と水墨が、同一人の中にさえ共存しえたのである。
 絵画に限っていえば、狩野永徳、狩野山楽に対し、長谷川等伯があり、また海北友松、雲谷等顔がある。そういう先行者に対して、武蔵と同世代では、岩佐又兵衛や俵屋宗達があれば、一方では狩野山雪や狩野探幽が出てくるのである。
 ここで、念のため、武蔵と同時代のアーティストら(とその主要作品)を、恣意的にリストアップすれば、以下のような面々である。むろん武将・大名ばかりか上皇・親王までも含むが、それはここでは特に言うべきことではない。

 千利休  (1522〜1591)  法諱宗易。茶道千家始祖
 海北友松  (1533〜1615)  画家。建仁寺本坊方丈障壁画・花卉図・浜松図・網干図
 細川幽斎  (1534〜1610)  藤孝。細川家中興祖。古今伝授歌人、茶人。
 長谷川等伯  (1539〜1610)  画家。楓図・松林図・枯木猿猴図・波濤図
 狩野永徳  (1543〜1590)  画家。南禅寺大方丈障壁画・許由巣父図・仙人高士図
 古田織部  (1544〜1615)  茶人。黒瀬戸沓形茶碗
 織田有楽斎  (1547〜1621)  茶人。茶室如庵
 雲谷等顔  (1547〜1618)  画家。梅に鴉図・大徳寺黄梅院方丈障壁画・春夏山水図
 本阿弥光悦  (1558〜1637)  蒔絵舟橋蒔絵硯箱・宗達絵書筆・楽茶碗不二昆・沙門堂
 狩野山楽  (1559〜1635)  画家。鷙鳥図襖絵・大覚寺宸殿牡丹図紅梅図・西湖図
 細川三斎  (1563〜1645)  忠興。幽斎嫡子。茶人・利休七哲。高桐院松向軒
 俵屋宗達  (生没年不詳)  画家。風神雷神図・蓮池水禽図・舞楽図・蘆雁図
 岩佐又兵衛  (1578〜1650)  画家。山中常盤絵巻・堀江物語絵巻・旧金谷屏風
 千宗旦  (1578〜1658)  千家三世。侘茶。茶室又隠・今日庵
 八条宮智仁親王  (1579〜1629)  陽光太上天皇(誠仁親王)王子。桂離宮造営
 烏丸光広  (1579〜1638)  権大納言。歌人・書家。耳底記・黄葉和歌集
 小堀遠州  (1579〜1647)  茶人。孤篷庵。建築作庭等作事奉行
 石川丈山  (1583〜1672)  文人。詩仙堂。藤原惺窩門人
 松花堂昭乗  (1584〜1639)  号猩々。石清水八幡宮社僧。寛永三筆、十六羅漢図
 宮本武蔵  (1584〜1645)  号二天。兵法者。五輪書。鵜図・蘆雁図・枯木鳴鵙図
 狩野山雪  (1590〜1651)  画家。梅に山鳥図・老梅図・雪汀水禽図
 後水尾院  (1596〜1680)  第108代天皇。修学院離宮造営
 酒井田柿右衛門  (1596〜1666)  作陶家。色絵花鳥文深鉢
 狩野探幽  (1602〜1674)  大徳寺方丈襖絵・二条城二ノ丸御殿障壁画・探幽縮図

 なるほど、これらは多くが独創的で、あたかも時代状況がドラスティックに動いたのに連れて、アートの観念もかなり新しいものがどっと出た時代である。しかもそれらは、いわば極めて「モダン」なものである。それは、光悦と(おそらく)ほぼ同世代の俵屋宗達や、もっと若い狩野探幽などの諸作品に結果する一連の過程と運動である。
 公家の烏丸光広が俵屋宗達の画(雪中鷺図ほか)に賛を書しているが、同じく宮本武蔵の画(游鴨図)にも賛を遺している。こうしてみると、烏丸光広という存在をブリッジとすれば、宗達と武蔵は同時代の画家として結びつくのである。
 ところが、桃山から寛永にいたるアートシーンの前衛的な流れに対して、上記リストに挿入された画人武蔵のスタンスはまったく違っているようにみえる。武蔵のそれは、あきらかに旧派のスタイルであり、むしろ新しい近世スタイルに背を向けた、反時代的なものではあるまいか。
 というのも、武蔵の絵画は、大胆な構図の極彩色の豪勢なバロック的絵画が席捲した時代に、水墨画という質素なものに限られるばかりか、むしろ中世への明らかな参照を示す。こういう点では、新しいモダンなセンスに対し、あえて一種のリアクションを示すのである。
 とすれば、それは反時代的な脱俗のポジションであると同時に、『五輪書』にみえる武蔵のスタンスを考え合わせれば、一種の時代批判を含んでいるとみなければならない。

宮本武蔵 布袋観闘鶏図





 PageTop   Back   Next