ニルヴァーナ 

 

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                   ニルヴァーナの記憶。             2006.6.10 加筆

 

    

 1994年4月9日、その日は土曜出社だった。早々に仕事を済ませ、桜の下で花見を決めこむ日だった。

 「かったるいなぁ…」、眠い眼をこすりながらテレビをつけた時、そのニュース、忘れもしないNHKの朝のニュースはあまりに唐突に、そしてその後何年も克服できないほどの大きな衝撃として、寝起き直後の僕を襲ったのだった。

 カート・コバーン 自殺…。90年代前半、ロック界における最大のイコンにしてグランジ・ロックの象徴的存在、カート・コバーンは、一瞬にして星になってしまったのだった。

 

 カート・コバーンとは何だったのか。その答えは今も見つかっていない。20代前半の僕にとって、彼の存在がどれほど大きなものだったのか、簡単に口では語れない。時代の象徴であり、ロックの未来を創りあげていく唯一無二の存在と目されていた彼のことを、冷静に振り返ることは10年以上できないでいた。

 

 しかし、あれから12年。30代半ばに差し掛かった僕は、決意した。「ニルヴァーナ=カート・コバーンとは何だったのか」への答えを見つけようと。

 今までできなかった、というより避けてきたカートの存在の位置づけ。これをすることで、僕は本格的に青春時代の総括をすることになる。そしてそれは、青春時代との決別を意味するものである。

 

 カートの命日は4月5日だったが、遺体が発見されたのは8日。ブッダの誕生日とされる日だった。仏教徒であるコートニーにより遺体は荼毘に賦され、仏像と共に安置されているそうだ。

 

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 かつて井上靖が太宰治を評して、こう語ったことがある。

 「もし世界で文学のオリンピックが開かれ、各国ひとりずつ代表選手を選ぶことになったら、日本代表は夏目漱石でも谷崎純一郎でも三島由紀夫でもなく、ちょっと小さいかもしれないが、やはり太宰治だね」。

 

それをもじって、僕はこう言いたい。

「80年代以降のロック・シーンにおいて各国代表を選ぶとしたら、アメリカ代表はブルース・スプリングスティーンでもガンズ・アンド・ローゼスでもメタリカでもマリリン・マンソンでもなく、ちょっと小さいかもしれないが、やはりニルヴァーナだね」。  

 

 

 

 1991年、疾風の如くとシーンに登場し、「徐々に色あせるより、燃え尽きてしまった方がずっといい」といって消滅したニルヴァーナ。グランジ・ロックは、時代を象徴する存在として社会的影響を及ぼした最後のロック・ムーブメントであった。退屈で怒りに満ちた社会に対しシリアスな歌詞とハードなロック・サウンド、パンク的な思想が一体化した、まさにロックの本質が爆発したムーブメントの象徴が存在した意味を、いま改めて検証してみたい。 

 

 

カート・コバーンとは何だったのか。

 

 「パンクは音楽的な自由だ、つまり自分がやりたいことをやればいいってことさ。

  ニルヴァーナとは苦痛からの解放って意味なんだそうだ。苦悩と外界の世界からのね。

  それって、俺にとってのパンク・ロックの定義にかなり近いんだ」  (カート)

 

 ウィキペディア百科事典は、ニルヴァーナをこう説明している。

 

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ニルヴァーナ (Nirvana) グランジを代表するアメリカのバンド。ジェネレーションXと呼ばれる世代の圧倒的な支持を受けた。ニルヴァーナは仏教用語で涅槃という意味である。メンバーはカート・コバーン(ボーカル、ギター)、クリス・ノヴォセリック(ベース)、デイヴ・グロール(ドラム)の3人。1987にニルヴァーナと名乗りシアトルを拠点として活動していたが、19944月5日、カート・コバーンが自宅で自殺したことで事実上の解散となる。

 

 メンバーの中でドラムはなかなか固定されず、アーロン・バークハード(ドラム)は結成時のドラマーであった。デイル・クローバー(ドラム)は最初のデモテープ収録時のドラマーである。 デモの中の数曲(Floyd The Barber, Paper Cuts, そして後のリリースでは Downer)はニルヴァーナの最初のアルバムである‘ブリーチ(Bleach)’ に収録された。 インディーズ・レーベルであるサブ・ポップと契約を結んで作成されたこの最初のアルバム Bleach ではデイルとアーロンに代わりチャド・チャニング(ドラム)が演奏している。収録の際には606ドル17セントのスタジオ代をジェイソン・エバーマン(2nd ギター)に肩代わりしてもらっている。ツアー中のトラブルのためツアー後、バンドはジェイソン・エバーマンを解雇し、更に秘密裏にドラムの代わりを探し始めた。

 

 2枚目のアルバム、‘ネヴァーマインド(Nevermind)’ はゲフィン・レコードと契約し収録された。このアルバムはバンドと当時のロックシーン両方の流れに大きな影響を与えた。MTVではシングル "Smells Like Teen Spirit" が繰り返し流された。Nevermind はアルバム・チャート1位を記録した。

 

 1992バンドはカートのヘロイン中毒という問題を抱えていた。バンドは一時活動麻痺の状態となりコンピレーションアルバムである ‘インセスティサイド(Incesticide)’ を発表することとなった。続く1993にはニューアルバム‘イン・ユーテロ(In Utero)’ を発表している。予想された程の売れ行きではなかったがアメリカとイギリスのチャートのトップに輝くなど依然商業的な成功を収めた。

 

カート・コバーン双極性障害(躁鬱病)と診断されるなど様々な問題を抱えていたことが知られている。カートは治療薬である炭酸リチウムに関する歌リチウム (lithium) を書いた。1992にはバンド、ホールコートニー・ラヴと結婚した。妊娠していたコートニーのヘロイン使用の疑惑のためにマスコミに追い回されることとなった。1994頃より躁鬱状態は悪化し自殺未遂や奇行が目立つようになった。自殺のおそれがあるために入院していた病院を4月1日に脱走。カート・コバーンは19944月5日にシアトルの自宅にてライフルで頭を撃ち抜き、自殺した。

 

 カートの死後ライブ版を含む何枚かのアルバムがリリースされている。 ニルヴァーナの音楽の所有権に関しては多くの論争があった。2人の残ったメンバーであるグロールとノボセリックおよび妻のコートニーはレア音源やリリースされていない曲の発表に関する問題で激しく議論した。200210月29日に法廷で決着がつき、ヒット曲やカート生前最後のレコーディング音源である未発表曲 "You Know You're Right" を含むアルバム Nirvana が発表された。

  

 ニルヴァーナの解散後、デイヴ・グロールはフー・ファイターズを結成し、今なお第一線で活躍している。一方、クリス・ノヴォセリックはスウィート75、アイズ・アドリフトというバンドを結成したが、近年は政治・執筆活動に専念している。

 

2006年(日本公開)、カート・コバーンをモチーフとした映画「ラスト・デイズ」が公開される。

 

 

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 また、公的サイトとして、所属レーベルとヤフーも、無駄のない紹介を行っている。

   http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/nirvana/index.html  

  http://music.yahoo.co.jp/shop/p/12/120707/

    

 ヤフーやグーグルでネット検索して、まともな解説が出てきたのはこれら3つくらいなものだった。僕がこれら客観的な表記にしか納得感を得られないのは、僕にとってのニルヴァーナが他の誰とも共有したくないほど重要なバンドだったため、他人の「ニルヴァーナ論」を受け入れたくないだけなのかもしれないが、それほどにカートの叫びと、裏腹に展開する美しく繊細なメロディ、重厚なサウンドが生み出すリアルで根源的なグルーヴは、奇跡的な存在感を今も与え続けてくれている。そしてカートの存在は、僕より随分上の世代が「ビートルズ世代」と呼ばれ、ビートルズを年を重ねたことを誇りに思っているのと同様、僕たち「ジェネレーションX」、日本では「団塊ジュニア」に当たる世代の代表的な存在といえるのだろう。

 

 今となれば、カート・コバーンの不幸を冷静に考えることが出来る。9歳で両親が離婚、親戚をたらい回しにされて成長したカートは次第に内向的になってゆく。自らの境遇に対する怒りは、周りの世界で起こっている出来事に対しても、同様に向けられた。世間で容認される習慣や常識を、カートは否定し続けた。強くてタフな、マッチョな男性像を拒否し、弱者やマイノリティに深い共感を寄せたのである。これについてカートは、以下のように述べている。

 

  「マッチョな男や、頑強で粗野な労働階級タイプは俺は間違いなく苦手で脅威なんだ。

   学校でもそんな奴らに罵られ、ブチのめされ、人生の大方をつき合わされてきた。

   俺は明らかに、人間の男性的な面、というか、アメリカ的な男のあるべき姿より、女性的な面に親しみを覚える」

  「子供の頃からおれは、どっちかといえば女性的な人間だった。自分で気づかなかっただけさ。」

  「俺たちは、好きで落ちこぼれをやっているんだ。一般大衆の一員にはならないことにしたんだよ。」 

 

 幼少期における精神的な痛手は大きなトラウマとなる。どんなにバンドが成功しようとも、カートの心が晴れることはなかった。むしろ「売れすぎた」ことで、社会から向けられる目に対し全く無防備だったカートはまたも傷つき、躁鬱病と(おそらく精神疾患からくる)慢性的な胃痛から逃れるためにドラッグに手を染めることとなる。その苦しみは、我々には全く知る由もないが、ピザを腹一杯食べられただけで幸福だと語ったカートに、僕は深く同情する。人間、食事に幸せを見出せないことほど辛いことはないだろう。

 カート・コバーンは、純粋すぎたのである。

  

  「ガンズ・アンド・ローゼスのファンで、俺たちの音楽を気に入ってる連中が大勢いるという事実を、

   俺たちが誇りに思うことはないだろう。俺たちは、成長することや、より大きな開場で演奏することを誇りに思わない。」

  「プロフェッショナルなロック・ユニットを装うなんて無理だと思う。ショウがボロクソになりそうなら、ボロクソでいいじゃないか」

  「ロック・スター講座なんてのがあったら受けたかったよ。役に立ったかもしれない。」

  「自殺するんなら、しょうもない胃の痛み以外の理由で自殺するよ」

 

 

ファンにとってのナルヴァーナ

 

 ‘ネヴァーマインド’の想定外な商業的成功が、図らずも自分たちがかつていたインディー・シーンからの嫉妬と反発を買ってしまったうえ、マスコミにより勝手に巨大化させられていく自分に戸惑い、ドラッグにのめり込んで行くカートの姿を、僕は真摯に受け止めることはなかった。新宿にあったロック専門のビデオ店では94年ともなると、カートの奇行などから、最悪の事態を不安視する紹介文が各ビデオに添えられていたが、僕は全く心配していなかった。つまり、カートは現代に生きる僕たちの世代の代弁者たるカリスマとして、これからも素晴らしい作品を発表し続けてくれるだろうという、実に安易な、そしてカートが自分に対して最も持って欲しくなかったであろうイメージを、大ファンでありながら持ってしまっていたのである。

 

 世界中の多くのファンが共有していたこの思い、それはカートにとって不幸でしかない残酷な罪なことだったのだろうか。答えは否、である。彼には他の誰もが持ち得ない、そして自分でも気づかないほどの天賦の音楽的才能があった。それが自己満足ではない世界、つまり(カートがずっとこだわり続けた)アンダーグラウンドでないメジャーな存在たらしめた最大の理由だが、メジャーでは表現や言動上の制約が生じるということも理解したうえで、最高の作品を生み出す義務があるのだ。実はそれを熱望し実現させることまではできたが、精神的不安定さゆえ継続できなかったカートを責められるはずもないが、やはりカートには素晴らしい作品を与え続けて欲しかったと思う。

 

初めてアメリカに本格的に訪れたパンク・ムーブメント。それを体感しているという喜び、それはとてつもなくスリリングなものであり、快楽だった。そしてファンもマスコミも快楽の源泉を全てカートに求め、背負い込ませたのだった。かねてからそのつもりはない、歌詞に深い意味はないと公言していたにも関わらず、(自分たちは責任や役割を担う覚悟が全くないくせに他者の言動は批判し、求めてばかりいるという)無責任で残虐極まりない行動スタンスを、(ファン、マスコミ)双方が取っていたのである。当時の僕ももちろんそうだった。

 

 その残虐な好奇の目が蝕んだカートの行く末が、あの最悪の事態だった。その後、ライバルとして比較されたエディ・ヴェダー(パール・ジャム)がその負い目を一人で背負うことを果敢にも受け入れることでロックは細々と生き延びることとなったが、彼の歌詞はどこまでも文学的でロマンチックなものであり、名曲‘ギヴン・トゥ・フライ’に代表されるように、遂に三人称による歌詞まで登場した。それに比べ「自分」=一人称の歌詞が殆どを占めたカートの歌詞は、重たくてしかもナイーブだった。それは、自分に対する問いかけを、常に心の奥底まで届かせていた者だけが表現できた、本当にピュアな叫びだったのだと僕は考えている。

そして僕はカートの歌詞に通底する「孤独」と「疎外感」は強く感じても、「絶望」を感じたことは一度もないのである。

 

 

 ニルヴァーナと90年代社会

 

冒頭にもあるように、ニルヴァーナを支持したのは「ジェネレーションX」と呼ばれた、70年代後半から80年代にティーンエイジャーだった世代である。彼らが物心ついたとき、アメリカはベトナム戦争の後遺症により経済もガタガタとなり、仕事にも就けない有様であった。努力すれば大きな成功が得られるというアメリカ的価値観の崩壊は、若者たちに社会に対する無気力で批判的、シニカルな思考を蔓延させ、さらにドラッグの広がりが混乱に拍車を加えていった。これによりそれまで当たり前だった「強くてマッチョ」という男性があるべきとされた姿も否定されることとなった。このような世代を、大人たちは「何を考えているのか分からない(=X)世代」と呼んだのだった。

 

 彼らの親たちもまた、よりよい社会の建設を目指して、古い価値観を持つひとつ上の世代と闘ってきた世代(ベビーブーマー)だった。60年代、反戦活動や公民権運動などを通して理想の社会の建設を目指していた世代であり、そこには「連帯」と「社会変革」という幻想があった。しかし幻想というように、彼らの大多数は結局体制に飲み込まれ、社会システムに組み込まれていくこととなり、ヒッピーならぬイッピーと揶揄されることもあったが、彼らが歳を重ねることで直面せざるを得なくなった(70年代後半から80年代の)アメリカは、荒廃した廃墟の街だったのである。

 

そんな時代の中で、社会の荒廃・不況に希望を失い、鬱積したエネルギーをマグマのように噴き出させるロック・ミュージシャンは皆無だった。ロンドンではあれだけ騒がれたパンク・ロックもアメリカでは粛清の憂き目に遭い、本格的なムーブメントになる前に終焉を迎えたのだった。そして1982年、MTVが放送をスタートさせる。ここから飛び出したのはマイケル・ジャクソン、マドンナ、シンディ・ローパー、そしてプリンスなど。ロック冬の時代を感じさせる名前が並ぶが、そんな時期に、来るべき90年代に花開くバンドの数々が、アンダーグラウンド・シーンでその腕に磨きをかけていたのである。

  

 1987年の「ブラック・マンデー」の影響で、アメリカ経済が未曾有の混乱の中にあった頃、パンク・スピリット(注:アメリカにおけるパンクとはイギリスのそれとは異なり、地道な活動を続けてきたインディ・バンドや、それに影響を受けた面々を指す)を持ったリアルなバンドが徐々にメジャー・レーベルから世に送り出された。R.E.M.やソニック・ユース、サウンドガーデンに続いてメジャー・デビューした後のニルヴァーナの顛末、つまりグランジ・ロックの盛衰は誰もが知ることとなる。

 

 

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  カート・コバーンの死、そしてその影響

 

 グランジが頂点を極めていったのと同時に、その重要な火付け役となったが自己破壊し始めた。ニルヴァーナは、自分たちの男子学生ファンの多くが、ハイスクール時代に自分たちを殴ったのと同じ種類のキッズであると責め、口頭でファンを攻撃し始めた。コバーンは望みもしないのに混乱と不平を抱く若者世代の代表としての責任を渡されたが、そのようなプレッシャーに立ち向かうには、彼自身が余りに混乱し不平を抱き過ぎていた。彼は「ジョン・レノンの名声とリンゴ・スターの無名さ」が欲しいと語っていたが、それは無理な注文であり、彼の生活はメディアの見世物となっていった。彼はそれに立ち向かうことが出来ず、シアトル社会の他のメンバーと同じくヘロインに避難場所を見出そうとしたのだ。

 

 ニルヴァーナの上昇がメイン・ストリームレベルでのグランジの誕生を象徴したように、コバーンの死は終焉の始まりを示唆した。コバーンは何度もヘロインのオーヴァードースを経験したが、常に元気よく回復して、目を見張るようなパッションと鋭さをもってパフォーマンスを行っていたが、‘イン・ユーテロ’リリースの数ヶ月前には、彼の状態は手に負えないものであることが明らかになってきた。1993年5月、自宅で意識不明となったのをはじめ、7月にはホテルでも再び意識を失う。9月の作品リリース後、アルバムは順調にチャートのトップに輝くが、翌年3月のヨーロッパ・ツアーでは、ラヴがホテルで鎮痛剤のオーヴァードースで意識不明となっているコバーンを発見する。当初は事故だと発表されたが、現場からは遺書が発見された。

 その時から、事態は下降線の一途を辿る。ヨーロッパから戻ると、妻やバンド・メイト、友人からの激しい干渉を経て、コバーンはロサンゼルスにあるエクソダス回復センターに入院したがすぐに脱走、7日後に自殺しているのが発見された。

 

 コバーンの死は世界をショックに陥れ、シアトルのミュージック・コミュニティを崩壊させてしまった。グランジがブレイクしたとき、シアトル・ロックンロールはは祝うべき夢であり、終わることのないパーティであるはずだったのが、それは悪夢へと変貌し、そこまでの価値があるものではないという現実に彼らを引き戻したのである。コバーンの死の数週間後にはホールのベーシスト、クリスティン・プファーフが同じくヘロイン禍で死亡、バンドは自分たちが生み出した化け物から遠のき始めたのである。パール・ジャムはプレスと関わるのをやめ、もっとポリティカルになり、チケット・マスターとの全面戦争を始めた。アリス・イン・チェインズはもう1枚のアルバムを出したが、ツアーを行わないままシーンから消えて行き、サウンドガーデンもよりメロディックで別世界な方向に向かっていったが97年に解散するなど、シーンの崩壊へと直結していったのである。

     (THE DIG No.44 : 2006 SPRING / シンコー・ミュージック・エンターテインメント社刊より要約して転記)

 

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 カートの死後、ロックは思考停止となった。サンプリングや打ち込み、過去のスタイルの効果的な引用やネガティブな部分だけを排除した陽性ロックによって、極めて健康的になってしまった。しかしその代わり「ロック」でなくなってしまった。例えば思想性皆無にして、淡々・飄々とギターを奏でる天才ベック、例えば通称バカパンクこと、グリーン・デイに代表されるメロコア勢、例えばこれまた思想性ゼロにして「デカい声で歌やいいじゃん」というオアシス…。ロックが本当に息を吹き返すまでにはカートの死後3年が必要だった。「自問」に留まらず、社会への怒りや不満を徹底的に糾弾する戦闘態勢を持ったマリリン・マンソンやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンによって、直接的でパワフルなロックは息を吹き返すこととなったが、それは圧倒的に少数派であった。

 

それは何故か。バブル期の日本でもそうだったが、アメリカにおける空前の好景気が悲観論を受け付けなかったからである。クリントン政権下、インターネットなどの新たな産業の隆盛によりITバブルとなったアメリカ、この時代(90年代後半)にティーンエイジだった世代の若者は、新たな世代像を作り上げた。「ジェネレーションY」である。

 それは「ジェネレーションX」の次(=Y)を意味し、前の世代とは明らかに違う特性を見せた。それは、@自信・楽観・自尊心 A学校や教育への関心の高さ Bより開放的で寛容 Cボランティア精神旺盛 … 具体的にいえば、X世代に比べ犯罪率やドラッグ禍や妊娠中絶、高校中退が減少するなど、モラルを尊び社会に適合し、勤勉で親との関係も良好な関係を望むという世代であり、このポスト・オルタナ世代は、恐い顔をしたグランジの記憶を笑うのである。

 

 このような世代に受け入れられるロックに、僕は何も期待しない。

 

こうして考えるとニルヴァーナは、まさに現れるべくして現れた存在だった。ビートルズが60年代にのみ存在したのと同じように、90年代初頭という短期間にニルヴァーナが存在し消滅したことは、歴史の必然だった。圧倒的なリアリティと、他の追随を許さない音楽的才能は、わずか3枚のオリジナル・アルバムと1枚のコンピレーション・アルバムしか残さなかった。ニルヴァーナに続く二番手であったパール・ジャムは、正統派アメリカン・ハードロック・バンドに形を変え今もメッセージを発し続けているが、そこには当時感じたような、背筋がゾクゾクするようなスリルはない。重要なバンドがそこにいるという信頼感、つまりブランド化してしまった安心感のみが存在する。それはとても貴重なことなのだが、22歳から3年間、ニルヴァーナ(カート・コバーン)と時代を共有できた「幸福感」という上位概念を、僕は忘れることはないだろう。

 

 

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 カートとコートニーが語ったビートルズ

 

  「カートが‘アバウト・ア・ガール’を引っさげて入ってきて、こう言ったんだ。

  『俺は何度も何度もビートルズを聴いてたんだ。それでこの曲ができたのさ』

  それから演奏し始めてね。それで俺は

  『あぁ、かっこいいな。じゃあ俺は軽快に歩くようにポップなベースラインを弾くよ』って言ったんだ。

  それはグランジとポップの中間みたいなブリッジだったね」 (クリス)

 

  「ビートルズで一番好きだったのは、間違いなくジョン・レノン。決まりだよ。

   ビートルズのどの曲のその部分を誰が書いたかは知らないけど、ポール・マッカートニーが俺を包み込んでくれるのに対して

   ジョンは明らかに心乱れていた。そこに共感できたんだ」 (カート)

 

  「ポールの話になるとあたし、ムキになっちゃうのよ。ポールの有り難さを何時間でも議論してられるわ。

   例えばポールがいなかったら、‘ヘルター・スケルター’はなかったんじゃないか、とかね。

   そしたらソニック・ユースもいなかったんじゃないか、ってね。あたしたちの間ではお馴染みの議論なの。

   カートはいつも『そう?でもコードを弾いてたのは誰だ?』って言うけど、

   『そんなのどうだっていいわよ。あの曲を書いたのはポール。

   なのにだれもポールの味方になってあげないんだから。』」 (コート二―)

 

   「みんなヨーコが本気で嫌いなの。アメリカじゃ『ヨーコする』っていうのが動詞になるって知ってた?

   『お前は俺をヨーコする。お前は俺をダメにする』って男の子が言うのよ。一時は女性を抑圧することでもあったわ。

   だけどあの人は、イギリスのマスコミからの人種差別に耐え、世界最高のバンドを解散させたという非難に耐え、

   その男を骨抜きにしたという人々の概念に耐え、しかも最悪なことに、一番の親友にして夫であり、

   生き甲斐であった人に、自分の腕の中で死なれてるのよ。

   世界中のマスコミは彼女に謝るべきだと思う。

   彼女は大いなる威厳をもって事に当たってきたんだから。

   彼女は一度も守りに出ていないはずよ。

   あたしみたいにインタビューで『あんたに迷惑かけちゃいないでしょ!!!』なんて言ったこともないし、

   ずっと口を閉ざしているじゃない」 (コート二―)

 

  ◆ おまけ ◆

   「少年ナイフを観に行ったんだ。実にクールだった。

   俺はビートルズのコンサートに行った子ように、泣いたり飛んだり跳ねたり、髪をかきむしったりした。

   すごいコンサートだった。あんなにゾクゾクしたのは生まれて初めてだ。

   彼女たちはポップ・ミュージックを演奏してた。ポップな、ポップな、ポップ・ミュージックをね。

 

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  ニルヴァーナ作品の歌詞

 

  「俺の歌詞は矛盾の塊なんだ。

  すごく誠実なオピニオンやフィーリングと、

  皮肉っぽいオピニオンとフィーリングのど真ん中で

  引き裂かれてる感じさ。

  だから俺は、皮肉的だが希望に満ちているユーモラスな反駁を、

  決まりごとやうわべだけの理想論にぶつけていくんだ。

  つまり俺は情熱的かつ誠実になりたいのさ。

  でも同時に楽しみたいし、

  バカと変人が一緒になったような感じでいたいんだ」 (カ−ト)

 

 

 アバウト・ア・ガール

   手ごろな友達が必要なんだ

   寝床を貸してくれる人さ

   マジで思うよ 君ならちょうどいいってね

   そうさ わけが分からないかい?

 

   利用するんだ できるうちに 聞いてるかい?

   やってみるしかない 

   君と毎晩会えないなら 俺は夢を見るよ そうさ

 

   俺は君に照らされて立っている

   マジで思うよ 

   君に時間があればいいのにって

   そうさ 俺も日時を選ぶよ

   そして 君との約束は守るから…

 

 

 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット

   拳銃に弾をつめて 仲間を連れて来い

   ハメをはずして遊ぶのは面白いぜ

   彼女はひどく退屈して独りよがり

   ああ ひどい言葉知ってるだろ

 

   ハロー ハロー どのくらいひどい?

   ハロー ハロー どのくらいひどい?

  

   明かりを消したほうが危険は少ないぜ

   俺たちはここだ 楽しませてくれ

 

   白黒混血児  白子  蚊  性的衝動

   そして否定…

 

  

  カム・アズ・ユー・アー

   お前らしくなれよ

   かつてのように 俺が望むように

   友達のように 旧敵のように

   時間をかけろ 急げ お前が決めるんだ

   のろのろするな 一休みしろ

   友達のように 古い記念のように

   

   銃は持ってないと誓うよ 

   本当さ 銃は持ってないんだ

  

  

  ハート・シェイプド・ボックス

   意気地をなくした俺を見つめる彼女は 魚座のような目つき

   おまえのハート型の箱の中に 一週間も閉じ込められていたんだ

 

   お前が黒く変色する時 

   この俺がお前の癌を食い尽くすことができたら

   ヘイ 待てよ

   またひとつ文句をつけたいことができたんだ

   金じゃ換算できないお前の貴重な忠告に 

   俺はいつまでも 負い目を負いっぱなし

 

   ヘイ 待てよ

   またひとつ文句をつけたいことができたんだ

   金じゃ換算できないお前の貴重な忠告に 

   俺は死ぬまで 負い目を負いっぱなし

 

   俺は罪を着せられたまま

   お前のへその緒を投げ下ろしてくれ

   そうすりゃ俺はまた這い上がっていける

   

   

  ダ ム

   俺は 奴らとは違う

   だけど俺は いろんなふりができる

   太陽が沈んでも 俺には光がある

   全盛期が終わっても 俺は楽しんでいる

   俺って大馬鹿なんだろう 

   それとも ただおめでたいだけのなか

   きっとぉめでた野郎なんだろう

 

   太陽に膜をかけて一眠り

   とっとと消えてくれ 魂なんて安っぽいものさ

   いろいろ体験して分かったよ

   俺の幸運を祈ってくれ

   ほてりを鎮めてくれ 俺を起こしてくれ

  

   俺は 奴らとは違う

   だけど俺は いろんなふりができる

   太陽が沈んでも 俺には光がある

   全盛期が終わっても 俺は楽しんでいる

   俺って大馬鹿なんだろうな

 

  

  ラジオ・フレンドリー・ユニット・シフター

   たった一度だけ使ってぶち壊す

     俺たちの海賊行為への侵害

   国民の後産 お前の合鍵なしで餓死

    

   俺にないもののために お前を愛する

   俺にあるものは もう欲しくない

   煙草の焦げ跡が ひどいにきびのように見せる毛布

   交替しながら喋れ 二流の拷問が責めたてる

 

   俺のどこがまずいんだ

   俺に足りないものは何なんだ

   俺はいったい何を考えているんだろう

 

   お前が何を考えていようが関係なかったぜ

   お前が考えたりするとしての話だけど

   全く正反対の二つのものが引きつけあう

   突如として 俺の分泌液が流れ出した

 

   憎め お前の敵を憎め

   救え お前の友を救え

   見つけろ お前の居場所を見つけろ

   話せ 真実を話せ

 

   俺のどこがまずいんだ

   俺に足りないものは何なんだ

   俺はいったい何を考えているんだろう

 

 

  オール・アポロジーズ

   こんな人間じゃなくて どんな人間になればいいのか

   悪かったね

   他に何を言えばいいんだ みんなケイだ

   他に何が書けるっていうんだ そんな権利は俺にはないよ

   こんな人間じゃなくて どんな人間になればいいのか

   ごめんね

  

   太陽の下 陽の光の下で 俺はひとつになった気分

   太陽の下 陽の光の下で 俺は結婚し 埋葬される

 

   俺も お前のようだったらいいのに

   どんなことでも すぐに面白がる

   俺の塩の隠し場所を見つけだすんだ

 

   何もかも俺の過ち

   俺が全ての咎めを受けよう

   恥辱にまみれて 海に浮かぶ水の泡

   冷蔵庫での凍傷に日焼け

   彼女の敵のなきがらの灰で窒息

 

   太陽の下 陽の光の下で 俺はひとつになった気分

   太陽の下 陽の光の下で 俺は結婚し 埋葬される

 

   俺たちはみな 

   何ものにも勝る かけがえのない存在

 

 

2006.6.11 H.KANDA  

    

 

 

 

 

 
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