浅野祥雲氏とその作品

愛知県日進市「五色園」

愛知県犬山市「犬山桃太郎神社」

岐阜県不破郡関ヶ原町
「関ヶ原ウォーランド」

愛知県知多郡南知多町「大慈山中之院」


浅野祥雲、本名・高次郎
(昭和53年没、享年87歳)

東海地方の所謂「珍名所」には、往々にして祥雲センセ作のコンクリート製人形が置かれています。
日進市の「五色園」「犬山桃太郎神社」「関ヶ原ウォーランド」、そして軍人像を祀った南知多の「大慈山中之院」
また熱海城の鯱も、祥雲センセの作品だそうで。
この他にもまだ作品は存在する様ですが(一説には朝鮮半島にも)、ご自身の生涯同様はっきりとした資料は残されていません。
ちょいとネット上で見付けた、祥雲センセに関する話を書出してみますわ。

生まれは明治24年、岐阜県の農家の三男。
お父上は農業を営む傍ら、土雛の職人でもあったとか。
戦前まで奥三河・東濃・西濃地方では、農閑期に土雛を作り都市部に行商に行く農家が多かったのですが、浅野家もそんな農家の1ツだった様です。
因に「土雛」は型で成型した粘土を素焼きにし、彩色した人形。
「のっぺりしたフォルム」に「極彩色のペンキで塗装」した祥雲作品の特徴は、正に土雛そのものですねえ。

やがて33歳で名古屋に出てきた祥雲センセは、映画館の看板描きをする一方、素焼きの人形やお面等を趣味で作っていましたが、コンクリートで人形を作る事を思い付いた、との事。
理由は「土では大きいものが出来ないし長持ちしないから」と、至って実利的(笑

この後数々のコンクリート人形を制作する祥雲センセですが、それらは格安の値段で、時には無料で神社仏閣に寄進されたそうです。


そして、今や東海地方の伝説と化してしまった人形作家「浅野祥雲」。
かつて一度、その詳細を記した本が出版されていたそうです。
「名古屋真相追Q局」(海超出版社、1997年)
名古屋のタウン誌「フリーペーパー」が祥雲センセのご遺族に取材した顛末が収録されてまして。
但し、生前本人が作品のリストを纏めていたノートも紛失し、遺族ですら全貌を把握していないとか。

伝説すら風化する前に、どうにかしてこの先人の記録を残したいものですわ。
(’06.07.09)



※本文を書くに当たり、以下のサイトを参考にさせて頂きました。
「日々の凧あげ通信」 2002年6月21日雑記
「月刊グリ」 緑区街角考現学 2002年4月号
「戦国魂」 アートde戦国魂



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