■芦原英幸先代館長のプロフィール 昭和19年12月4日 広島県佐伯郡能美町に生ま れる 昭和35年4月 上京して就職 昭和36年9月 大山道場に入門 昭和39年3月 黒帯取得 本部指導員となる 昭和42年3月 大山倍達氏の「広めて来い」の 命により支部設立のために単身 四国に旅立つ 昭和45年6月 四国に来てから3年目にして 八幡浜道場が完成 昭和50年頃 漫画「空手バカ一代」や映画 「地上最強のカラテ」等で空前 の空手ブーム。大阪、広島、京 都と関西一円に芦原道場進出 |
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昭和53年12月 松山道場が完成 昭和55年9月 新国際空手道連盟芦原会館 発足 昭和56年頃 本、ビデオ等を発売。芦原空 手のサバキが注目される 平成4年8月 左手に異常を感じる 平成4年11月 病院で精密検査 平成5年1月 病名をALSという難病と診断 平成7年4月24日 午前2時48分永眠 (享年50歳) 芦原空手の創始者である芦原英幸氏は大山倍達氏(故人)に師事し、空手の普及に尽力。その修行時代における数多くのストリートファイトの経験から「喧嘩十段」との異名をもつようになり、そのエピソードは、昭和50年頃に少年誌で連載されていた漫画「空手バカ一代」に、大山氏とならぶ主人公として紹介されて空手界を代表するヒーローとなる。 昭和55年に芦原会館を発足させてからは、その代名詞でもある「サバキ」と呼ばれる力だけに頼らず最小限の力で最大限の効果を発揮するより実戦的な戦い方を追求し、国内に約160の支部と海外で約120の支部をひろげる。 平成7年にALSという難病により他界されたが、その遺志と「サバキ」は、世界各国の門下生に引き継がれている。 |