天才クイズ 〜今週も天才賞目指して頑張るぞ!

放送期間:1967. 7.26〜2004. 9.25(土・17:30〜18:00)        制作放送局:中部日本放送

司会:久里 千春→高松 しげお→斉藤 祐子(ゆう子)→林家 こぶ平
    →林家 こぶ平・大橋 真美子(中部日本放送アナウンサー)→林家 こぶ平・丸山 蘭那(中部日本放送アナウンサー)

出題兼司会:「コンピューター博士」→「天才博士」(声・鎌田 吉三郎)

形式:YES−NO2者択一クイズ→YES−NO2者択一クイズ、早押しクイズ→
     YES−NO2者択一クイズ、早押しクイズ、筆記クイズ

優勝賞品:「天才賞」(各種賞品より1種選択)→「勝利学校賞」(トロフィー、文具セット他)&「天才賞」(各種賞品より1種選択)

放送地域:中京地区(一時長野にもネット)

 
 小学生がYESかNOかの2択クイズに挑戦、全問正解して「天才賞」獲得を目指す。昭和42年のスタート以来放送期間約37年2ヶ月、総放送回数1930回を数え、総出場者数は約10万人。東海3県では知らない人はいないとまで言われたCBCテレビの名物番組であり、ローカル番組ながら我が国最長寿のクイズ番組であった。

番組ルール


(スタート〜2001年春まで)


(2001年春〜2004.1)

(2004.2〜)

 

 問題は一般常識やクイズチックな知識ものからVTRによる理科の実験もの、スタジオでの実演ものなど幅広く出題された(末期は知識ものが比較的多かったようだが)。後に来れば来るほど問題は難しくなるというパターンではあるが、確かに1問目あたりは笑って済ませる問題、最後の問題は大人でもちょっと頭をひねる問題ではあるものの、あとはそう違いはなく、前半でいきなり数人くらいに減ってしまうこともあった(早い段階でゼロになることもあった)。時期によってはVTRものに凝ったり、スタジオに毎回ゲストを呼んだり、あるいは交通法規の問題のたびに解説に愛知県警の婦警さんを呼んだりといろいろ変化した。末期の早押しクイズや筆記問題は直感やひらめきで答えを出すいわゆる”アナグラム”「モジバラクイズ」やモザイク映像の問題など今までになかった問題も出題された。

 問題を出すのはまんまるい顔にひげの「天才博士」。「諸君、」という出だしで話し始め、問題を読んだり、解説したり、そして「こたぇ〜はっ!ィエーッス!!」と独特なイントネーションで正解を発表したりと司会者よりも目立つ番組の顔であった(敷島製パンの「天才クイズ」内CMに登場したほどである)。番組末期には局アナが司会陣に加わったことで末期はやや影が薄くなってしまい、時には某ガチャピンのように外に飛び出して挑戦ネタをこなしたりもしていた。なお、番組開始当時の博士はいかにも昭和40年初頭をおもわせるカクカクしたいでたちのロボットで、問題を読んだ後に必ずロボットらしく「ピー、プー!」と発する「ロボット博士」。次に登場したのが「天才博士」であったが、はじめは濃い外国のおじいさん顔で「顔が怖い」と評判だった。かわいいぬいぐるみになって動くようになったのは司会が斉藤ゆう子に変わってからである。なお、博士は代替わりしても名古屋を基盤として活動する俳優の鎌田吉三郎が37年間一貫して声を演じ続けていた。

 昔のクイズ番組はたいていオリジナルのテーマ曲があり、テーマ曲を聴けば番組のタイトルが浮かんでくるものであった。「天才クイズ」も御多分に漏れずテーマ曲があり、かつてのオープニングは出場者全員でこのテーマ曲を合唱していた。番組をよくご覧になっていれば、今でも歌える方が案外いるかも…。なお、林家こぶ平が司会に就いた頃で合唱はなくなり合唱団によるBGMで流れるだけになったが、それでも番組終了まで一貫して2番までちゃんと流れていた。最後の頃は相当にアレンジを加えて現代っぽくしていたが…。なお、歌詞を下に残すが初期の頃は違う曲だったそうである。

「天才クイズ」 テーマ曲
1 天才クイズだ どんとこい
  帽子の下から 友達見たら
  みんな赤い帽子 かぶってた
  安心 安心 ひと安心
  2 天才クイズだ どんとこい
    帽子の下から 友達見たら
    ぼくだけ白い帽子 かぶってた
    どっきん どっきん どっちかな

 

 総出場者数は37年あまりでのべ11万2,704人。あと1年あまりで2,000回の大台に乗るところであったが、かつては夕方の放送にもかかわらず10%を超える視聴率をマークしていたのが、近年は5%をも切る状況が続いていた。 「良心的で質の高い番組」との評価も得ていたようだが、週休二日制や塾通いといったメイン層である子供を取り巻く環境の変化が結果として番組にも影響を与えたといえる。小規模なルール変更程度で30年以上続いていた「ボーイズチームVSガールズチーム」の「YES−NOクイズ勝ち残り形式」を2001年に学校対抗のチーム戦へ変え、早押しクイズを組み込むなど大幅なテコ入れをはかり、またスタート時から1社スポンサーを続けてきた敷島製パン(Pasco)の意向もあって番組が存続していたが、2004年秋で「番組の使命を終えた」との判断から終了となった。今後は特別番組として「天才クイズ」の名を残したいとしている。

 

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(河童海老仙さん、くまきちさんから多大な情報を提供していただきました。ありがとうございました。)

(留数さん、東海人さん、HALLEさんから情報をいただきました。)

(2001年リニューアルは羊さん、河童海老仙さんより情報をいただきました。)

(2004年リニューアルはケメ子さんより情報をいただきました。)