辺野古日記

我が第二の人生百日

             辺野古生活メー銃剣と手錠の中非暴力の闘い

    教師38年沖縄総合学習―腰掛一つに刻む』のあとがき原稿

『腰掛ひとつに刻む』

終章 平和の文化と地球環境保全の21世紀

○わが第二の人生に向かってーその始まりの日

 定年退職で自由人の生活に入りました。現職のころ、子供たちに、21世紀は平和の文化を築き地球環境保全の時代と説いてきました。

 現在、普天間代替施設の移転先辺野古の漁港前テントでボーリング調査を許さない座り込みの責任者として100日余の生活が続いています。テントの中でほぼ毎日、闘いの基本的方針を説き、防衛施設庁職員と対峙、議論、マスコミや各地に出かけ話をする機会は少なくなく、ここでは、これらの話を総合してまとめてみました。

3月23日定年退職の挨拶、その一部は琉球新報コラム「ハイサイ」(3月31)に紹介されましたが、私は生徒たちに「私の第二の人生は生きながらえことではなく太く生きること、国民の税金で38年生活し多くのことを学んできました、社会という学校で国民に還元すること、名護市に基地を移設する稲嶺知事、岸本名護市長に勝つ人生に向います、皆さんは、街角で、新聞やテレビで私に会う機会があるでしょう。私はこの木の腰掛に38年座って来ました。4月1日からは腰掛に座る必要はありませんから平和の文化を築く一筋の道を歩み続けます」であったのですが、4月19日以降、テントに座り、新聞やテレビにでる機会が増え始めました。

地下マグマの核

定年に入って、体がおかしくなるのですが、4月19日、那覇防衛施設局がボーリング調査に入る頃になると体に緊張が走り、辺野古への出勤が始まり、6月26日座り込み69日目頃などから東京など呼ばれ講演することになります。

私たちが那覇防衛施設局の環境影響評価法(環境アセス法)逸脱、潜水調査、ボーリング調査などの違法行為に反対し座り込み闘争に入って69日をむかえます。私どもはこの座り込みを2639日+69日と表現します、この表現は闘いの大切な視点ですと話しています。

名護市民投票は海上基地ノーの民意を確立しましたが、政府は市民の意思を無視、命を守る会は「杭一本打たせない」と事務所で監視を続け、8年余にわたって事務所に座り続ける日常があったのです。私どもヘリ基地反対協議会はオジー・オバーたちの日々に励まされて来ました。政府は北部振興費、基地維持予算を水の如くつぎ込み、その中で市内などで、ものがいえない状況が広がり、組織と事務所を守る苦しい日々でした。