「マイケル・ジャクソンの永遠の功績とは、ビールを『単なる飲みもの』だとする思い込みから、世界の偉大なアルコール飲料のひとつであるという真の地位へと高めたことだ。」

8月30日、マイケル・ジャクソンが亡くなった(享年65)。彼は不屈の著述家であり講演家であった。彼は著作,講演,テレビ出演を通じて大衆に示した。ビールには多彩なスタイルがあり、麦芽とホップ以外に果物やハーブ、スパイスを加えたものさえあるということを。
彼はビールをエールとラガーという狭い見方から解き放ち、無数のバラエティがあることを明らかにした。中にはランビックのように彼の熱心な支持がなければ消え去ってしまったかもしれないものもある。

マイケル・ジャクソンはヨークシャーに生まれ、そのことをずっと誇りにしていた(元はリトアニア系ユダヤ人の家系)。祖父の代に移民し、父の代に名前を英語風に改名。その息子はマイケル・ジャクソンと名付けられたが、後年アメリカで同名の歌手が出てきて面白いことになる。
彼はそのことを利用したのだ。彼はテレビ番組『The Beer Hunter』の始めにカメラに向かって語りかけた「私はマイケル・ジャクソンです。歌ったりペプシを飲んだりはしません。ビールについて書いています。」
彼の家族は終戦後にリーズへ移住。しばらくフィッシュ&チップス屋の二階に住んだ後、公営住宅に移り、父ジャック・ジャクソンがトラックの運転手として働いて、やがて家を手に入れた。
若い頃のマイケルは、ユダヤや東欧の伝統に影響された家庭料理で、味覚を急速に発達させた。この食への愛が、後に彼が著作の中でビールと食事を組み合わせたり、料理の下ごしらえにビールを使うことを提案したときに効き目を現すことになる。

彼はアーモンドベリのグラマースクールに進み、そこからハッダースフィールド・エグザミナーの見習い記者になった。彼の執筆スタイルは彼の当時のジャーナリズム−−短い文で虚飾を排す−−の影響を色濃く残している。
新聞の仕事は激務と暴飲の連続で、彼のビールへの傾倒はこの頃から始まる。しかし彼は旅には出掛けず、いつもTaylor's Landlordや他のヨークシャーのビールへの賛辞ばかりだった。
その後ロンドンへと移る。1976年、他の記者が紙面に穴をあけたときにパブについての記事を書いて、これが当たった。一年後には彼の名声を築くことになる『World Guide to Beer』を出版。英国はエール、アイルランドはスタウトを造り、その他の世界はラガーを造っているという無知に基づく考えは再考を迫られることになった。

私たちはドイツ人はバイエルンで小麦のビール、デュッセルドルフでアルト、ケルンでケルシュを造っていて、それらはすべてエールの親戚であることを発見した。
彼は北フランス・フランドル地方のビールの伝統を発掘し、国境を越えてベルギーの宝箱を開ける。トラピスト、酸っぱいレッドビール、スパイスを入れた小麦ビール、自然発酵のランビック、グーズがベルギーを一躍有名にした。
ベルギービールは彼がずっと採り上げ続けたテーマだった。『The Great Beers of Belgium』は5版まで版を重ね、最新版は2006年版である。『World Guide to Beer』の成功で彼はビアライターとして独り立ちした。彼は『Pocket Beer Book』を出版し、その中で世界をビール醸造国ごとに分け、それぞれの国の中で最良のビールについて詳しいテイスティングノートを載せた。
ビールを「平凡さ」から引き上げ、麦芽はビスケット、ジューシー、ロースト、少しトフィーキャンディーやバタースコッチのような……ホップは柑橘、香水、スパイス、胡椒のような……と特徴づける描写で読者を大いに楽しませた。

マイケル・ジャクソンの名声は、アメリカから幾つもの招待が舞い込む結果となり、そこで彼は新しいビールの世界を発見した。小規模なクラフトブルワリーが発生して、バドワイザーやクアーズやミラーのような大手に挑戦していたのだ。
彼はアメリカのニューウェーブの擁護者となり、テイスティングを指導するために全米を回る。ワシントンにあるスミソニアン協会と米国地理学協会で講演し、コロラドのデンバーで開かれるGreat American Beer Festivalの常任審判となった。
1990年にテレビシリーズ「The Beer Hunter」で新たな視聴者を得、世界の素晴らしいビール醸造国のビールを解説した。英国ではチャンネル4、米国ではディスカバリー・チャンネルで放送され、その後世界各地で何度も再放送されている。

ビールを征服してしまうと彼はモルトウィスキーに転向した。それはウィスキーがホップなしのビールを蒸留したものだという事実に触発されたものだった。彼はたちまち素晴らしいウィスキーライターとして名声を博する。『Malt Whisky Companion』はこの分野でのベストセラーとなり、『Guide to Single Malt Scotch』『Scotland and its Whiskies』も同時期に出した。彼の最後の本『Whisky』は2005年に出版され、5つの国際的な賞を受賞している。
マイケル・ジャクソンはいくつもの賞を受賞している。グレンフィディック・トロフィーや5つのグレンフィディック賞、アンドレ・サイモン賞、ドイツ美食協会出版賞、そして1994年にはベルギーのフィリップ皇太子からベルギービールに対する貢献をたたえてベルギー・メルクリウス賞を贈られた。
彼は多作のジャーナリストであり続けた。彼の記事はあらゆる種類の雑誌や新聞−−プレイボーイ、CAMRA機関紙、ワシントン・ポスト、All About Beer、Whisky Magazine、Slow Food and Zymurgy……−−に掲載された。

ビアライターとしての彼の目指したものは、ワインに払うような注意をビールにも向けるよう人々に促すことだった。おそらく彼の最高傑作である『Beer Companion』の中で彼はこう言っている「レストランに入って『食事を一皿ください』という人はいないだろう。『ワインをください』とだけ言う人もいないはずだ。少なくとも赤か白か、辛口か甘口か、スパークリングかぐらいのことは……。ブドウから麦に場面が変わると、この同じ人々がしばしば単に『ビールをください』と頼むのだ。あるいはこの場に合うかどうかなど考えずに銘柄を言ったり……。ビールは非常に広範に消費されているが、十分尊重されているとは言いがたい。私はこの不当な扱いを正すのを微力ながら手助けしたい。」そして彼はそれに成功した。「微力」どころではなく。

マイケル・ジャクソンはこの10年間というものパーキンソン病を患っていた。彼はロンドン西部のハマースミスの自宅で亡くなった。彼の最初の妻マギー・オコナーは結婚から13年後の1980年に亡くなっている。彼の遺族は26年間連れ添ったパディー・カニンガムとその連れ子のサム、サムの子のベンとエミリー、そして彼の兄妹のヘザーであった。
【文:ロジャー・プロッツ、抄訳:石井源太】
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What's Brewing Oct,2007
By Roger Protz

(CAMRA会報より)