[天理大学宗教学科への公開質問]
 天理教学の展開を求めて (連載第5回)

 各 論

[凡例]
@論議の対象として取り上げた文献の著者は、「先生」として筆者が師事した経験はありませんので、「氏」と記すことにします。
A文献の引用文はグリーンの文字色にして、本文と区別することにします。

1)諸井慶徳『天理教神学序章』
 
「その輪郭と課題について」と副題された「序章」は10頁余りの短文ですが、天理教学の先駆者としての諸井氏の教学研究にかける並々ならぬ意欲が窺えます。
 諸井慶徳氏の履歴を略述しますと、氏は大正4年〜昭和36年、46歳の若さで出直されました。東京大学宗教学科・天理教校本科を卒業し、のち天理大学教授、天理教校長となり、日本宗教学会理事、本部准員など教内外の役職を歴任。出直しの前年には二代真柱に随行して海外巡教に出発、その途中フランスで身上のため単身帰国し、翌年出直しの直前に文学博士を授与されたとのことです。

 諸井氏が最初に「原典学」および「教祖伝」の確立を課題として挙げているのは当然といえます。その問題設定の細目は、
 原典学=原典批判(テキスト・クリティーク)、原典構成要素、原典決定に続いて、表現内容の語学的・解釈的・歴史的・理念的研究が挙げられ、さらに原典辞書、原典索引を大切な課題としています。
 教祖伝=背景史、史実蒐集・編纂、天啓史、救済史、教祖論など。
 これらの研究課題は、教義及史料集成部その他の研究機関の努力によって成果が蓄積されてきたといえますが、埋もれている文献史料の発掘や原典の語句についての意味の掘り下げなど、広く在野の研究成果や意見を取り入れていく必要があると思われます。昨今のインターネット掲示板への書き込みの中にも大いに参考とすべきものがあります。
 しかしながら、諸井氏が次に提出されている歴史神学の課題について、どれほど研究が進められてきたかは疑問です。原文をそのまま引用します。
<しかるに、以上のごとき根源的な教の範囲とは異なって、教の内容の漸次的実現として、信仰者の生活共同体たる、この教団ないし教会を通して、親神が具象的に開示せられた幾多の歴史的事実は、これまた広い意味における親神の教示とも言い得るがゆえに、かかる意味においては、間接的教示としての領域において、これらの歴史的事実の考察は、きわめて重要な課題ともなって来るのであり、現象的に如何に親神の思わくが実現せられて行ったか、また行くべきであるかが反省せられる。これは「天理教史」及び「教会史」の問題であり、ここに幾多の研究課題が包含せられている。すなわち、この外面的方面として、起源、発展、展開についての各具体的研究、たとえば一般民衆との関係、社会との関係、国家との関係、あるいは他宗教・他思想との関係等の事柄があり、また内面的には、たとえば教説、儀礼、制度、宗教生活の実態、その原則、文化的役割及びその活動等々についての研究課題があるということが出来るであろう。(後略)>
 つづいて、この序章には「伝承学」の必要性にも触れられています。原典に対しては第二義的であるとしても、初代信仰者の実践を通して残された伝承や手記が補助的テキストとなり得るからです。但し、その蒐集に当たっては、偽文書の混入を防ぐために厳密な処置を施すべきことに注意を促されています。
 
 次に、組織的神学としての「教義学」が重要な課題として挙げられていますが、この領域に関して諸井氏は後に「天理教教義学試論」の著作を世に問うています。この「試論」については別に章を改めて取り上げたいと思います。
 何よりも現在の重要な課題となる「教会学」「伝道学」については次のように述べられています。原文をそのまま引用させて頂きます。
<これらに対して、実践的なる神学の領域として、まず「教会学」がある。これは信仰的社会集団としての教会の本質問題及び各種の具体問題であり、更に後者を細分すれば、教会運営論、社会問題・社会思想に対する教会及び教人の立場の問題、教会規則、教会法規の問題、儀礼、儀式の問題、説教学、カテキズム(問答法)の問題、宗教教育の問題、教会建築、宗教美術、宗教文学等の問題、また教会の社会施設ないし宗教社会事業の問題等々、きわめて多種多様の課題が包含せられる。
 次にまた積極的なる実践の部面として、伝道に関する研究が十分に行われねばならない。これ、すなわち「伝道学」と言うべきである。これは換言すれば、宗教的信仰内容を伝達宣布するに当たっての総合的考察、積極的企画、成果の促進等についての問題であり、細目に分って言えば、伝道の本質学、伝道史、伝道方法論、伝道における社会国家との関係の問題等があり、更に、その補助学として民族学、民俗学、言語学も包含せられねばならない。>

 以上の原文を一読すれば、諸井氏がいかに広範囲に、余すところなく問題を提起されているかが分かります。そして何よりも問題なのは、その後40年を経た現在、教学の研究がどれだけ展開され、どれだけの成果を挙げたかにあります。

「伝道史」「伝承学」の領域では、高野友治氏の多数の著作があります。明治年代に設立された教会に関する史実や伝記など、貴重な文献であることは間違いありません。ただ高野氏の業績は、道の初期に活躍した初代の頃に限られています。その後、二代三代以後の伝道史・教会史について、高野氏の後を継ぐ研究者がいるのでしょうか。
 明治29年に教祖10年祭が執り行われた時、参拝者が20余万を数え、その直後の別席者4.5千人、おさづけ拝戴者は4.5百人に達し、全国の信者数は300万人を超えていたことが記録されています。その後、明治の終わりまでに教勢は倍増し、本部直属教会の殆どがその間に設立されています。
 ところが、二代・三代になるにつれて、おたすけに奔走した遠心力が、名実ともに教会を中心とする求心力に逆転していきます。その結果、世間の非難攻撃から身を守るためか、あるいは信心の力を誇示するためか、あたかも城塞を築くごとき大層な神殿ふしんが目的となり、金銭的な無理が祟って、例外なく借金を背負い込む苦難の道を通ることになるのです。さらに戦時中の統制に応じた「革新」など、昭和20年を刻限の到来と受け取る自覚さえあれば、戦後の天理教は一度出直して、新たな神一条の本道に出ることができたはずです。
 歴史を顧みる作業は、いたずらに過去を美化したり否定するためではなく、歴史の動きの中に「世界一れつろくぢに踏みならす」「陽気づくめにしてかかる」親神の働きを悟りとり、二度と同じ轍を踏まないよう未来に生かすことでなければなりません。しかし、教内では殆ど大正年代以後の教会史は空白のまま、修養科生に対しても明治20年以後の教史は殆ど教えられていないのです。
「伝道学」の領域において、タテ系統だけでなく、ようぼくレベルのヨコ組織の必要については「総論」で述べた通りです。

 諸井慶徳氏の業績は、幅広い学問的視野に立って、天理教学の課題を提起し、自らも教義学の研究成果を遺されたことにあります。その課題の多くが、今も課題のまま残されているとすれば、教学研究者の怠慢と指摘されても致し方ないでありましょう。
 諸井氏が40代の若さで逝去された直後、氏が身上に障りを受けた原因の一つは、本部准員として二代真柱に仕える立場と、宗教学者の立場を両立できない悩みにあったとの風評を耳にしたことがあります。
 その後、教学の展開が見られない理由の一つを推測すれば、とくに現実に密着した教史・伝道史および教会学・伝道学の分野を研究テーマに選ぶことは、本部や直属教会など教内中枢部の過去に触れることになり、時には現状の批判を避けられない故に、遠慮気兼ねする傾向がみられるように感じます。これが杞憂に過ぎないことを願うものですが、もしそうした傾向があるとすれば、学者としては自殺行為に等しいでしょう。いわゆる護教学者の言動は、教えを護るのが目的ではなく、自分の立場が保障されている体制を擁護しようとする「わが身かわい」ほこりに過ぎないのです。
 旧ソ連や北朝鮮などでは、唯物論や金正日の政治理念に抵触する思想や学説を絶対に認めないのが独裁国家の通例であり、学者の良心をマヒさせなければ生きていけないのです。現代の日本において、それらの独裁国家と同じ状態が許されるはずはないのです。
 
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