<レポート>

   天理教の歴史と現実
  
=信仰の自立にめざめよう=         植 田 義 弘
                   
<目 次> 枯れかけている枝葉 / 悲劇的な天理教史の空白/「応法の
      道」でさえない戦後の天理教/棚に飾られたままの「おさ      しづ」/一体意識と信仰の自立にめざめよう/筆者略歴
             
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<枯れかけている枝葉>

 教祖百年祭以後、天理教という大樹の凋落は誰の目にも明らかになっています。枝先の葉は落ち、ほとんど花は咲かず実も結ばない樹木に比べられる現状といえるでしょう。
 天理教を少しでも客観的に観ることができる人は誰でも、今のままでは、将来発展するどころかジリ貧になっていくことは自明の理と実感しています。
 
 仮に部内教会が何カ所・何十カ所あっても、枝先の末端教会が枯れていけば、幹も枯れてしまいます。幹や根にあたる直属教会や教会本部は、社会の土壌から養分を吸収して枝葉に送り込む力を失っています、もちろん肥えとは金銭だけではなく、現実に対処するためのあらゆる情報が含まれています。
 今や枝葉が落ちて枯れ木寸前の状態があちこちで見られます。世の中の人々も天理教に無関心で、振り向いて見ようともしなくなっています。
 もちろん1万7千カ所の教会の中には、特別に環境や肥料に恵まれた樹木に例えられるような教会もあって、今でも珍しく花を咲かせています。教内の報道機関は、そうした珍しい花や果実ばかり探して紹介しているのが現状です。
 
 それでは天理教という教団を活性化する方法はあるかと言えば、殆ど再生のエネルギーは残っていないと断定せざるを得ないのです。
 何故ならば、先々の教会の後継者の多くは、上級教会を支えるために自分の一生を費やしたいとは思わないで、教団の改革を望むより教会を離れて社会に出て働くことを選択するほうがよいという空気になっているからです。まして高齢化したようぼくの次の世代は教会に近づこうとはしません。教会数からいえば、こうした末端教会が全体の3分の2を占めているのです。
 
 すでに10年20年前から私は、今のような状況に陥ることを事あるごとに予測し発言してきましたが、現実はその通りに進んでいます。
 親神様・教祖は、真実の教えを知らないまま道から離れていくようぼくを、何より残念と思われるに違いありません。私の目的は、教会で通用している教理と、原典に基づく神一条の理という二重構造が原因となっている矛盾を知らせることにありました。その原因は、天理教の歴史と現実を直視しなければ自覚することはできないのです。
 
 突然にこの文書をお届けしますのは。天理教の歴史と現実を知った上で、各々で何が本当かを判断して頂きたいと願うからに他なりません。
 天理教全体の構造改革のエネルギーは教内に蓄積されていないとしても、各々のようぼく個人の意識革命は可能である筈です。
 現実の天理教に一切を託して生きていくにしても、失望して離れていくにしても、天理教の本当の歴史と現実を知り、親神様・教祖の思いと教えを元に自立して頂きたいのです。教団や教会がどうあろうと、一人ひとりが自立した信仰、元の神・実の神に向き合う信仰を確立しようではありませんか。
 
 <悲劇的な天理教史の空白>

『稿本教祖伝』は明治20年、教祖が現身を隠された年の記述で終わっています。
 それまでの数年の間に「講を結べ」との教祖のお言葉に従って各地に「講」が誕生していきました。小著『教祖ひながたと現代』68〜69頁には次の一節があります。
<これらの「講」に関する史実には、明らかに二つの大きな特徴が見られる。それは「講」が地域的な信者の集まりであり、しかも並列的な組織であったことである。これは「講」内部の人間関係が並列的であったということではなく、当然「講元」「周旋方」などの役目の分担があり、導く者と導かれる者の立場の違いはあった。どんな組織でも上下の役割は必要である。人体にも頭脳があり手足があって、各々の役目を果たしている。企業でも社長・重役・部長・課長・係長などの立場がなければ事業を経営することはできない。ただ、それらの立場に選ばれる人は流動的であり、身分として定められたものではない。・・・>
 実際、回り持ちで講元をつとめた場合もあったという記録も残っています。「講」が教会へ発展したーーという一言で、その後の歴史を説明することはできません。
 明治20年以後の10年〜20年間に、天理300万〜500万にのぼる信者数に飛躍したのは事実です。初代の頃の天理教史は高野友治氏の筆で取材記録されていますが、飯降本席亡き後の大正・昭和の時代、すなわち二代・三代以来の歴史の変遷、とくに戦時中の改革については空白のまま教えられていないのです。
 修養科の授業でも、教祖が現身をお隠しになった明治20年で終わり、修了後はとつぜん現在の教会系統に組み込まれるのです。しかも修養科のテキストとなっている教典には、教会に関連して1頁分の記述も見当たりません。
 
 とくに戦時中の昭和16年、当時の軍部独裁政権による宗教統制に応じて「革新」の名のもとに実施されたいびつな改革は、今もそのまま受け継がれています。というのは、教会と名づけなければ宗教団体とは認められなくなったため、それまで5段階に分かれていた名称を大教会・分教会の2段階に統合し、布教所・宣教所などを無条件に分教会に組み入れたため、それまで全教で232カ所しかなかった分教会が僅か半年程の間に1万1千カ所以上に増加したのです。
 その結果、現在のように同じ分教会という呼称でありながら、複雑な上下関係が固定化されるに至りました。
 
 63年前の昭和20年8月15日、終戦とともに日本の政治・法律・経済は大変革されました。それは紛れもなく見えん先から説き聞かされていた「一れつろくぢに踏みならす」刻限であったという自覚は未だにありません。
「刻限」とは天保9年立教の日だけではなく、神意が実現する予定の「一日の日」として「刻限さしづ」の中で繰り返し預言されているのです。
 しかも次の刻限が迫ってきていることは、最近の世界的な激動と混乱の情勢を見ても明らかです。「見えん先から」の刻限に備えて通ってこそ「この世治める真実の道」と言うことができるのです。

 <「応法の道」でさえない戦後の天理教>

 要するに、明治以来から昭和20年まで60年にわたって原典を手にすることを禁じられた天理教の歴史を悲劇と呼ぶ他はありません。
 明治20年以後の天理教は「応法の道」と呼ばれてきましたが、戦後は「復元」の名のもとに公刊された原典に基づく教義が説かれるようになりました。しかし一方、上記のように組織制度はそのまま温存され現在に至っています。本当に「復元」を徹底するためには、明治20年の時点に戻って「講」の再生を図らなければ、神一条の道とは言えません。
 
 それでは天理教は今も「応法の道」かといえば、じつは応法でさえないのです。何故ならば、戦後に法律は「一れつろくぢに踏み均す」神意に添う自由平等の方向へ大変革され、民主主義の名のもとに差別や身分を撤廃し「たすけ合い」の福祉を拡充してきましたが、一方天理教には民主主義的な法律と一致する組織制度は全く見られないからです。つまり「法律に応じる」ことさえしていないのです。
 
 教義学の権威であった故・上田嘉成氏(本部員)著の小冊子「元初まりの話」に次の一節があります。
「親神様は、うをやみや、うなぎやらかれいやら、そういうものを寄せてでも、ちゃんと談じ合いをしてくださる。これがお道の心です。これは世間の言葉で言うと、民主主義という言葉になるのでしょう。民主主義というのは、この思召にかのうて(適って)いる」(同書60頁)
 ところが天理教の現状はどうでしょうか。民主的な手続きによらない上級・部下の系統教会制度があり、下は上を支えるために動くばかりで、末端教会にすべての負担が掛かってくるのです。
 所属教会の違いによって初席を運ぶ手続きにも差別があり、初めて入信する人には理解できないシステムが戦前のまま続いています。どれほど遠くに移転しても、所属教会はそのまま孫子の代まで変更することはできないのです。
 
 いわば、戦後に復元された教理と本部組織が中心にある一方、戦前から教会を支えてきた教理と系統組織があり、ソフト(教理)もハード(制度)も、明らかに二重構造になっているのです。
 例えば本部が運営する修養科は、系統や教会と関係なく編成されたクラスの中で、全員が一体となって3ヵ月の共同生活をするのですが、修了後は全く別のタテ組織の中に組み込まれ、同期生や地域とのつながりを失い、やがて殆どの修了生は孤立し脱落していくのです。
 
<棚に飾られたままのおさしづ>

 戦前・戦後を通して最も内容が知られていない原典は「おさしづ」です。「おさしづ」は昭和40年になって教祖80年祭の旬に全教会に配布されました。しかし、それまでの80年間、原典を棚上げした状況で発展してきた教会にとって、今さら膨大で難解といわれる「おさしづ」を拝読する必要を感じないのは当然でした。
 
 全7巻6331頁から成る「おさしづ」の啓示録は「伺い」と「刻限」に大別されます。
「伺いさしづ」は初代真柱はじめ本部内の側近者とその家族、各地の教会長と役員の身上・事情の伺いに対して神意を諭された記録であり、一方「刻限さしづ」は個人のレベルを超えて道と世界の事情に対する神意を伝えるために、夜中に本席の神がかりを通して啓示された筆録であります。
 
 今までのところ教義学者や教会長によって研究され引用されてきた「おさしづ」は、主として「伺いさしづ」の一部であって、「刻限さしづ」の歴史的・体系的な研究は殆どなおざりにされてきたと言わねばなりません。
 したがって、現在に至っても「刻限さしづ」の内容は、その九牛の一毛しか知られていないと申しても過言ではないのです。
 
 かく申す私は、35年前の昭和48年に事情教会をお預かりするに当たり、自分の出発点として「おさしづに啓示された理の研究」と題する全6部の手書き資料を作成しました。
 ここでその体系的構成を説明することはできませんが、天理教の過去・現在・未来を見通されている「刻限さしづ」の一端を紹介したいと思います。(カッコ内は筆者の補足文字)
 
「ぢば証拠人間始めた一つの事情、かんろうだい一つの証拠雛形を拵え。今一時影だけのものと言うて居るだけではならんから、万分の一を以て、世界ほんの一寸細道を付け掛けた。……(中略)……天理教会と言うて、国々所々印を下ろしたる。年限経つばかりでは楽しみ無いから、一時道を初め掛けたる。神一条の道からは、万分の一の道を付けたのやで」(明治30.7.14)
 ここで「万分の一」と言われている神意は何かと思案しますと、
1)「理」という言葉を「万分の一」の狭い意味にしか受け取っていない こと。  
2)元はじまりの過去から世界一れつまでの長く広い時間・空間に比べる と「万分の一」ほどの偏狭な意識しかないこと。
3)教祖ひながたや教理の「万分の一」しか現代に生かせず広めていない こと。「世界たすけ」とか「この世治める」という立派なスローガンと、
  教会の最終目標があまりにも小さく、かけ離れていること。
「さあ/\遠からず(往還の)道見える。遠からず(神一条の)理が分かる。遠からず分かる事知らずして、応法世界の理に押され/\、だん/\根気尽くし罪重ね、心一ぱい働き(をしても)、働き損になってはならんで。これをよう聞き分け。一日の日を以て尋ねた理のさしづ(を棚上げして)、(道が)栄えると思うか/\、栄えると思うか。さあ/\栄えるか。栄えると思えば、大いに取損ない」
                        (明治34.2.4)
 この神示については説明するまでもなく神意は明らかでありましょう。まさに天理教の現状を預言されたものと受け取ることができます。
 事実、明治の末から大正にかけて、最盛期の教勢と比べると、信者数は多く見積もっても10分の1になっています。それどころか「ようぼく講習会」が全国各地で開催されても参加者は30万人前後に止まり、「天理時報」の発行部数が12万部前後というのが実質的な数字のようです。
 現在、教会につながっているようぼくは、いわば生き残りだからこそ貴重な価値と役目をもつ存在であり、親神様・教祖から期待されていると再認識し、使命を自覚することが必要ではないでしょうか。

 <一体意識と信仰の自立に目覚めよう>
 

 それもこれもハードが古くて欠陥があり、ソフトが適合しないために機能しない状態に陥っているからです。あるいはソフトとハードが二重になってトラブっているからでしょう。
 それでは、一教会、一ようぼくとしてはどうすればいいのでしょうか。
1) 上からの指示(打ち出し・通達)を鵜呑みにせず、教祖の教えと矛盾していないかどうか自分で思案し判断する。
2)納得のいかない指示は所属のようぼく・信者に伝えない。
3)自分のにをいがけ・おたすけ活動に必要な布教費まで上へ運ばない。
4)上から下へ、教会からようぼくへ尽し運び、修理丹精してこそ成人できる。
5)目上によく思われたいという人間一条の心を捨てる。
6)原典を常に拝読して親心と教理を体得し、神様ひとすじに心を向ける。
 このように信仰の自立ができない場合、人間関係のストレス・板挟み・不足不満が積み重なって、必ず身上に知らされる結果となるでしょう。

 親神様・教祖が一番残念に思われることは、本当のソフトとハードを知らないままに教会を離れ信仰まで失ってしまうことに違いありません。
 じつは理想となるソフトとハードは自分の体と心にあるのです。
 ハードとは形あるもの(構造)、ソフトとは目に見えない理のはたらき(機能)と定義しますと、生きている身体は最も完全なハードであり、体内を守護されている理はソフト・システムに違いありません。
 したがって、健康な身体と合致したハード・システムを構築すれば、最も理想的な組織体制をつくることができるのです。世の中の森羅万象の形をもつハードはすべて、元となる理のソフト・システムで成り立っているのです。
 
 しかし組織全体が理想のハードになっていないからといって、自分自身のハード(体)やソフト(心)を無視してよいわけではありません。
 神様は身体を生かすために一刻の休みもなく掃除して下さっています。ゴミやホコリにあたる老廃物を仕分けして排泄する「飲み食い出入り」のご守護がなければ直ちに命はなくなるからです。それと同じように心のホコリを常に掃除しなければ、心身ともに健康が保てないのは当然です。体を守護されている理に心の理を合わせれば、心身ともに一体になることができるのです。これを仮に「一体意識の自覚」と呼びたいと思います。
 それ故に、全体のハードはどうであれ、まず個々の心遣いというソフトを理に合わせて、陽気づくめの境地に参入する努力を積み重ねることが、親神様・教祖に受け取って頂ける生き方となるでしょう。

 この文書を作成し送呈します趣旨は、単に教会制度を批判するためではなく、1人でも多くの方々に、天理教の歴史と現実を知って頂き、1人ひとりが親神様・教祖と向き合って如何に通るべきかを思案して頂きたい一心からであります。
 そのために参考となる資料として、筆者が50年にわたって思案してきた結論をまとめた小著を最後の頁に紹介させて頂きますので、参考に一読して下さることを期待しております。これらの著作はいずれも、教内出版機関による内容の検閲や削除を避けるため自費出版の形をとっています。
 最後までお読み下さいまして心より御礼申し上げます。
                        (2008.10.26)

(筆者略歴)

昭和7年(1932)奈良県生まれ。教会青年、単独布教、青年会本部勤務を経て 立命館大学哲学科(心理学専攻)卒業。 図書館司書。その間 住所の移転は9回に及ぶ。41歳で天理市内へ移転した事情教会を継ぐ。文書伝道を志し、みさと編集室を設置。IT普及に伴い情報発信の道具としてホームページを開設、現在に至る。

(主な著作)
『おさしづに啓示された理の研究・全6部』
『教祖ひながたと現代』
『元の神・実の神』  (いずれもみさと編集室刊)



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