それは幽霊だったのか?

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 中学生の頃に幽霊が見えると口走ってから、あだ名は鬼太郎だった。
 髪もぼさぼさで、本名が太朗だったこともあり、男子どころか女子にもあだ名が定着し、知らない下級生にまで声をかけられた。
 卒業式では教師も俺を鬼太郎と呼んだが、その頃にはあだ名に嫌悪感も違和感も何もなかった。
 高校ではあだ名が続いたが、大学生になると昔からの友人が一気に減り、あだ名で呼ばれることは少なくなった。
 俺は仲良くなれそうな人には、決まってあだ名の由来を話している。
 面白がったり、興味がなさそうだったり反応は様々だが、必ずされる質問は。
「本当に幽霊が見えるの?」
 多分、勘違いだった。と、俺は答える。
 しかし、これは本当に見えるから誤魔化しているとか、見えないから誤魔化しているとかじゃない。
 俺が幽霊を見た、と思ったことは何度もあるが、そのすべてが恐ろしい形相で逃げてゆく幽霊なのだ。
 ふわっとした半透明の人影が、人も壁も無視して離れていく光景。これが俺の心霊体験。

 + + +

「鬼太郎なら妖怪も見ろよ」
 俺の話に新鮮なツッコミを入れたのが、大学で仲良くなった今の親友、優太である。
 最近、沈静化していた俺のあだ名だったが、彼が「おい、鬼太郎」と甲高い声で呼ぶネタが広まりつつある。
 交友関係も広くて、性格も明るい爽やかイケメン野郎だ。しかし、彼女ができたことは一度もないらしい。
 嫌味にしか聞こえなかったが、格好いいので何だか許せる。流石、イケメン。
 その優太が深刻な顔で相談しに来たのは、午後の講義が終わった頃だった。
「おい、鬼太郎……」
「何だその声、そんな声の目玉の親父はいないだろ」
「お前、幽霊が見えるんだろ」
「多分、勘違いだったんだろうけどなぁ」
「どういう勘違いだよ?」
 俺は正直に話しても変だと思われそうで言いたくなかった。
 しかし、優太がやけに真剣な顔で待っているので、根負けして口を開いた。
 俺が見えるのは幽霊かどうか微妙だと説明すると、優太は期待外れといったように溜息をついた。
「それがさぁ、俺のアパート幽霊が出るんだよ」
「気のせいだって」
「本当だって。というか、お前が否定するなよ」
「だから、俺は自分が霊感あるのか未だにわかんなくて」
「あるよ! それで俺の部屋を見て、お祓いしてくれよ!」
 何事かと思えば、そういうことを期待して話しかけてきたらしい。
 俺は幽霊が見えるかどうかも定かでないし、当然だが、お祓いも退治もできない。鬼太郎じゃないし。
「諦めて帰るか、引っ越すしかないよ」
「近所の人に聞いたら地縛霊がいるって噂でさー、安かったのもそれが原因っぽくてさー」
「地縛霊なら引越せばいいんじゃない? 知らないけど」
「知ってろよー、鬼太郎だろー」
「鬼太郎じゃねぇよ」
「じゃあ、様子見! それで幽霊がいたら、お前は正真正銘の鬼太郎だぜ?」
「意味わかんないし……」
 しかし、俺は優太の言葉に興味を持った。
 本当に幽霊が見えたら、俺の霊感は本物だ。
 これまで理不尽に鬼太郎と呼ばれていたが、霊感があるなら、俺も少しは報われる。
 それに困っている友人を見捨てるのも寝覚めが悪い。
「じゃあ、明日。午前で講義終わるし、家の鍵貸してくれたら行ってみるよ」
「えっ……嬉しいけど、今夜は?」
「嫌だよ。幽霊がいるかもしれない部屋に夜に行くなんて」
「お前……鬼太郎じゃないわ」
「だろ?」

 + + +

 翌日、俺は借りた鍵で優太の部屋に入った。
 部屋はがらんとしていた。大学で鍵を渡されたときのことを思い出す。
『見せたくないものは押し入れに詰め込んだから、開けないでくれ。というか、押し入れに一円玉が四枚並んで落ちてたんだけど、怖くね?』
 確かに不可解ではあるが、神経質になりすぎのような気もする。
 優太から、今日は帰らないから泊まってもいいと言われており、布団も敷いたままだった。
 友人とはいえ他人の部屋に一人で泊まるのは気が引けたが、安心させてやるためにも泊まろうと思っていた。
 しかし、敷かれたままの布団に寝そべっている女性を見て、その気が失せた。
 シャツにジーンズのラフな格好で、茶色く染めた短髪。優太には似合いそうな彼女だ。
「……部屋に女連れ込んでるとは」
 彼女いないなんて嘘だったんだ。あのイケメン野郎。むしろ、安心した。
 とにかく、寝ている女性と部屋に二人というのは気まずいので声をかける。
「すいませーん、彼女さーん? 優太の友達ですけどー」
 自分から友達とか言うの恥ずかしいな、とか思いながら声をかけていたが、一向に目を覚ます気配がない。
 徐々に声のボリュームが上がり、そろそろ近所迷惑になりそうだったので、肩を揺すろうとした。
 すかっ。
 俺の手が布団に沈む。女性の身体に触れた感触はなかったが、女性がいきなり目を開けた。
「うわっ、誰!?」
「……えっ、これ、もしかして幽霊?」
 これまでの人生、何度も思った。
 霊感もないのに鬼太郎って呼ばれてるかもしれない。
 そう思うと、中学時代に口走った余計な一言が後悔の塊となって俺にのしかかった。
 鬼太郎と呼ばれてなければ、妖怪や都市伝説といったサブカルに興味を持たずに爽やかな青春を送れたかもしれない。
 鬼太郎と呼ばれてなければ、文化祭はお化け屋敷ではなく、オシャレな喫茶店だったかもしれない。
 恐怖感はなかった。人生で積み重なってきた悩みが解放された感動の前に、女の子の幽霊など怖くも何もない。
「幽霊ですよね?」
「え、誰なの、えっと、はい、幽霊ですけど」
「やったー!」
「何でっ!?」
 俺は思わず握手を求めて彼女の手を握ろうとした。
 しかし、彼女に触れそうになった途端、彼女の身体がびくんと跳ねた。
「ちょ、やめて。貴方が触ると成仏しそう」
「え……」
「てゆーか、怖い。存在が怖い。逃げ出したいけど、地縛霊だから詰んだ。私、おしまいだ」
 幽霊は布団から飛ぶように離れて、部屋の片隅で天に祈り始めた。
 もしかして、これまで見てきた幽霊たちは俺を恐れていて、そのせいでまともに姿を見ることもなかったのか。
「そんなに怖いの、俺?」
「怖いっ! 鬼のようだわ!」
「鬼だなんて……太朗って名前なんだけど」
「それなら鬼太朗(おにたろう)よ!」
「あ、何か新鮮」
 お互いに興奮してしまったが、しばらくすると落ち着いて話すことができるようになった。
 部屋の真ん中に布団を敷き、俺は入口側、幽霊は押し入れ側に座った。
「俺の感動はさておき、ここの部屋の主が幽霊を怖がってるんだ」
「いや、出てけっつっても出られないし。慣れていただくしか」
 問題は平行線を辿るかに見えた。しかし、幽霊は予想もしないことを言い出した。
「そもそも、あの人に霊感ないっぽいし、見えなければ怖くないでしょ?」
「気配がするんだとさ、押し入れにお金が落ちてたとか言ってたよ」
「幽霊がお金落とすわけないでしょ、それは押し入れの中の人のせいだし」
「中の人?」
 そこで気付いた。
 俺が座る位置は幽霊の奥にある押し入れと向かい合う形になる。
 押し入れは隙間が開いていた。最初から開いていただろうか、否、部屋が入ったとき、ちらっと見たけど閉まっていた気がする。
 嫌な予感がしたが、立ち上がって押し入れの前まで歩く。幽霊が俺が近づくのを嫌って離れる。
 俺は押し入れの扉に手をかけた。開けようとしたが、反対の力で邪魔される。俺は遠慮せずに無理やりこじ開けた。
「きゃっ」
 女がいた。煤けた黒髪を長く伸ばし、黒のワンピースは押し入れにいたせいか埃っぽい。
「幽霊かっ!?」
 見つかったので逃げようとしたのか、凄まじい形相で押し入れから出てきた。
 あまりにも恐ろしいシチュエーションで迫ってくる女性に恐怖を感じ、思わず手で払いのける。
 女性は不自然な体勢で部屋をよたよたと歩き、真ん中の布団に倒れ込んだ。
「えっ」
「……あ、貴方、優太君の友達って、その、私は」
「人間かよっ!」
「何でっ!?」
「逆だよ、絶対に逆だよ。いや、押し入れにストーカーって話もあるけどさぁ」
「ス、ストーカーじゃないです、私は優太の留守を守ってるだけです」
「幽霊も幽霊だよ。敷きっぱなしの布団で寝てんじゃないよ、押し入れにいろよ」
 幽霊が離れたところから、不満の声をあげる。
「だって、そこの彼女がいたから。気まずくない?」
「ゆ、幽霊って何ですか……いるわけないでしょ! 帰らないと、警察を呼びますよ!」
「それは俺の台詞だ!」

 + + +

 同じ部屋に幽霊とストーカーと鬼太郎がいる。否、鬼太郎はいない。
 未だかつてない三つ巴に緊迫感は高まったが、解決の糸口は見えない。
「幽霊も祓えないのに、人間なんて追い払えるわけがないよな……」
「さっきから、幽霊幽霊って何ですか。そんな怖いものいるわけないですよ」
「いるよ。というか、何でいないって言えるの」
「優太君の留守中はずっと部屋にいますけど、おかしなことなんて一つもありませんから」
 おかしなことの元凶がしれっとした顔で言った。
 幽霊より人間の方が怖いというのは本当だった。優太に彼女ができなかったのは、こいつのせいかもしれない。
 当の幽霊は俺が怖いらしく、離れたところから、ちらちらと見てくる。可愛い。
「いるんだけどなぁ、幽霊」
「見ないでよ。視線で死にそう」
「死んでるし。それより、幽霊なのに怪奇現象とか起こせないの?」
「起こす必要がないもん」
「この人が信じてくれないから、ちょっと起こしてみてよ」
「嫌」
「……どうせ触れないし、いやらしい触り方してもいいかな」
「わかったわよ!」
 幽霊がそう言った瞬間、部屋の電気がついたり消えたりを繰り返す。
 廊下のキッチンでは流し台がべこんとへこむ音が鳴り、開いたままの押し入れが勢いよく閉まる。
 そして、窓も開いてないのに部屋を風が吹き抜けた。
 俺は感心し、ストーカーは信じられないものを見たように唖然としている。
「ほら、これポルターガイストって言うんだぞ」
 得意気にそう言ったが、ストーカーは泣きそうな顔で部屋を飛び出していった。
 部屋には俺と幽霊だけが残されて、彼女が「帰って」というので素直に従った。

 + + +

 翌日。
「なぁ、俺の部屋、幽霊いたのか?」
「……うん」
「うわぁ、やっぱり引っ越した方がいいかな……」
「いや、あそこに住んでた方が安全だと思う!」
「……何で」


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