間山峠 主要県道54号須坂中野線未通区間



あの凄まじい廃道、 偽小池 との闘いの直後のお話である。
道を間違えるという、一応地理を専門に学んでいる学生に有るまじき失態をした私は失意のまま坂を下っていた。
松川の谷を吹き抜ける風は心地よく、敗戦の傷を優しく癒してくれた。

さて、今回の撤退について札幌にいたちるどれんとメールで語っていると、彼がこんなメッセージをよこした。
擦り傷の数だけ立派な山チャリストになれる。
この一言で下がっていたモチベーションが一気に上がった。
まだまだ日暮れまではたっぷり時間が残されている。
もう一箇所どこか攻めてみよう。
というわけで白羽の矢がたったのが、小池峠から僅か3キロしか離れていない間山峠。
こちらも高山村から北上し、目の前の山塊に挑んでいる。
標高は小池峠より一回り低い750mであるが、起点の標高が違うので、険しさはどちらも似たり寄ったりだろう。
不安材料としては、間山峠は今回急遽行程に加わったので、事前調査が全くないこと。
完全に小池がダメなら間山というノリである。





小池がだめなら間山フォ―――――!!!!


数々の不安と先走りする気合が交じり合ったまま間山への挑戦が始まった。


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 |羯浬戸


高山村中山。
こんな田舎でも主要県道同士の交差点に相応しく、青看と信号が完備された交差点である。
私は県道66号豊野南志賀公園線を下ってきて右折、お目当ての間山峠へと向かう。
写真の奥へと進む生活道路っぽいのがそれだ。
やる気満々で突入する。

一つ断っておくが、今回は県道54号須坂中野線のレポートではない。
その未通区間のレポートだ。
未通区間以外の部分は、ごくごくありふれた生活道路である(高山村内はオゾマシイ勾配区間の生活道路だが)。


未通区間までほんの僅かであるが、県道であることの証明。
須坂と中野は北信濃では長野市に次ぐ都市であるゆえ、その都市間を結ぶ県道が未通とは夢にも思わなかった。
というよりも、この県道がわざわざこんなルートを選んでいたことなど初耳であった。

道はおばちゃんが井戸端会議でもするような雰囲気になっており、県道としての威厳は失っている。


もはやおばちゃんが腰を下ろしておにぎりでも食べてそうな、田園地帯と化す。
いや、でも走っていて気持ちよい。
揺れる稲穂とそれらが擦れあう音。
様々な面から風を感じることができる。
越後平野の大稲作地帯では何故か味わうことができなかった感覚だ。

ところで目の前の山々の一番低くなっている部分が峠だろう。
これから私はあそこまで上り詰める訳である。
燃えてくるぜ〜!!



 
◆〔雕衫啼

真っ直ぐ進む前に、やはり心配だったので休憩中の農家のおじさんに道順を確認してみた。
「あのー、間山峠ってこの道を真っ直ぐ行けば良いんですよね。」
しかしこの問におじさんは思いもよらぬ答えを返してきた。
「間山峠?そんなの知らねえな。」
もしかして地元の方々にも忘れられたような峠なのだろうか。
「あ、もしかして中野へ抜ける山道のことか?」
「それですそれです。ご存知ですか?」
「それなら真っ直ぐ行けば看板あるから。」
「ありがとうございます!!」

やはりこのまま真っ直ぐで良かったのだ。
ただ疑惑が確信に変わったということの意味は非常に大きい。
さらにはおじさんは「中野へ抜ける山道」と言っていた。
ということは現在でも利用されているのかもしれない。
ペダルに乗せた足に力がこもった。


農道風の道を行くと林道に入る。
林道矢崎線、狭いが完全に舗装されており、走りやすそうである。
林道に踏み込むと、木々に視界を塞がれ、勾配がきつくなるが、走っていて面白い。


木漏れ日の中、心地良い道がダラダラと続く。
峠との直線距離は近づいてはいるが、一向に高度が上がらないことが気になった 。
とりあえず今はこの林道での走りが楽しかった。
等高線に沿ってカーブし続けるこの道・・・・・・。

が!!!!しかしっ!!!!



 
 間山への道


そいつは前触れもなく私の眼前に現れた。
おじさんの言っていた間山峠の看板である。
その赤い矢印が指す道は、林道から斜めに、森の中へ伸びている。
私は目を疑った。


ただの登山道!!!!

この道で峠を越えろってかあ?
いや、一応ちゃんとした道なのだから突破は楽だろう。
チャリがなければの話だが・・・・・・・・・。
私はサドルに跨ったまま、強引に落ち葉積もる道へと乗り込んだ。
しかしすぐに勾配が急になり、乗ったまま進むのは不可能となってしまった。
漕ごうと踏ん張るたびにヒョコヒョコと前輪が浮いてしまうのだ。
私が目指しているのは曲乗り山チャリストではないので、素直に押して進むことにした。
峠までの距離は分からないが、13キロという重い荷物が増えてしまった。


困難はそれだけではなかった。
所々に分岐点が現われて私の頭を悩ませた。
こんな場合はチャリを分岐点に置き、両方の道の先の様子を見に行った。
その後踏み跡や植物の生え方を見て、人通りの多そうなほうを慎重に選び進んだ。
判別困難な物が多く、ほとんどが勘だったのだが・・・・・。


登山道は幾度となく高圧電線をくぐる。
写真は携帯で撮影したため、逆光で写らなかったが、急斜面を高圧電線が直登している。
高圧電線の周りの木は悉く切られており、スキー場と並び、山の傷である。
今の私にとっては山越えし、中野へ向かっている高圧電線こそが何よりの道標であったのだが・・・・・。

この辺りから九十九折りで高度を稼いでゆく。
木々の間から見えていた高山の集落も、遥か眼下にまで離れてしまった。
いよいよ孤独の山越えが始まるのだなと実感してきた。



 
ぁゞ瓩鼎峠


九十九折りは何重にも連なっていた。
ヘアピンの部分以外は総じて長く緩い傾斜で、チャリを引き上げては押し引き上げては押しという作業が続いた。
落ち葉に加えて小枝までもが路面を彩りだして、進むのがまた辛くなってきた。
小枝は車輪に絡むだけでなく、休もうとする私の尻に刺さり非常に不快であった。


再び分岐が現れた。
茶を口に含んだのち、例によって様子を見に行くことにした。


今回はいとも容易く判断することができた。
片方は高圧電線の鉄塔の管理用の獣道であったようだ。
今回の道は判断しがたい分岐が多かったので、これは助かった。


この先、道はさらに荒れだし、厄介な大枝が横たわっていたりもした。
幹と違って枝は広がりを持つため、さらには刺さると痛いため、より高くチャリを持ち上げねばならない。
こう荒れだすとこの先の廃道化が予想される。
引き返さざるをえない状況に陥るならば、できるだけ手前がいいのだが・・・・・・。


ひたすら続く九十九折りに変化が見られた。
上部斜面の木の葉がシャワシャワと鳴っているのだ。
風が吹いているのだろうか。
今まではほとんど無風に近かったのだが・・・・・・。
遂に風の通り道、すなわち稜線に出るというのか!?
私はチャリを押す足を速めた。
葉の擦れる音と共に風の音まで聴こえてくる。
峠は近いぞ!!!!



 
ァ,修靴篤

間山峠――――。
高山村中山と中野市間山を繋ぐ小さな峠。
別に山を越えなくとも、すぐ平地を迂回できる所にその峠はある。
そんな足跡も僅かな道の頂に、私は今立っている。
それはそれはささやかな切り通しであった。
















次回、峠道は表情を一変させる!!!!
地獄のような下り坂。
天空開発が後に「俺とチャリの寿命が縮んだ。」という一言を残した道の正体は?
そして思いがけぬ出会い。
乞うご期待!!!!
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