英語の発音のテキスト等には、よく、日本人が英語の発音が

          苦手な理由として、日本語の発音が単純だからと書かれて

          いますが、本当にそうかどうか、もう一度考えてみましょう。

     

作者

研究分野:第二言語音声学・音韻論

 

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 日本人が英語の発音が苦手な理由は、日本語の発音が英語の発音よりもはるかに単純だからだとか、日本語の発音は世界の言語の中でも他に類を見ないくらい単純だとか、一部ではそんなビリーフがあるようです。

 

 一方で、音声学・音韻論の専門の人がそのように言うのは聞いたことがありませんし、特に海外の音声・音韻学者達が、彼らの母語ではない日本語を客観的に見た場合、日本語の発音が英語その他の言語と比べて圧倒的に単純だ等とは全く見えないようです。

 

 そこで、日本語の発音が本当にそこまで単純かどうか、もう一度一緒に考えてみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 ● 言語学者の考え方:全ての言語の難易度は同じ

 

 言語学では、「全ての言語は平等に難しい」と考えます。なぜなら、どの言語が難しいか簡単か、というのを測る基準が1つではないからです。言語によって、文法や発音や語彙等色々な要素を、どのようにしてどれが難しいか簡単かを比べる基準が難しいのです。

 

 発音に関しても、基本的に言語学者は、全ての言語の発音は同じくらい難しいと考えます。そして、日本語がその例外に入る、という報告は無いようです。又、難易度を測ろうという試みも今の所されていないようです。

 

 発音と言っても、母音や子音等の音素、音素配列、ストレスやピッチ、母音子音の長さ、さらにはリズムやイントネーション等等・・・と言った様々な要素があります。発音の難易度を比べると言っても、それらの複雑な要素をどのように比べて、又どのように基準で難易度の点数をつけるのか、というのがあまりに大変なので、なかなかそういう試みはされません。しかし、面白い試みではあるかもしれません。

 

 例えば、日本語も英語も母語としない、中国人の音声学者達の客観的な意見を聞いた所、日本語も英語もどちらの発音が難しいかわ判らないとのことです。もしかして厳密に測れば、本当に日本語の方が若干簡単かもしれないし、逆に日本語の方が若干難しいかもしれません。しかし、少なくとも専門家の目から客観的に見て、パっと見どちらが難しいかは判らない程度の差です。英語の発音の教材等に時々書かれている、「日本語の発音が他の言語に類を見ないくらい単純」などというウワサは、よく冷静に考え直してみる必要があるでしょう。

 

 

  ● なぜ全ての言語の難易度は同じなのか

 

 人間の言語は、全ての言語が複雑な構成を持っているといいます。世界には5000以上の言語があると言いますが(言語か方言かの定義の仕方によって、数は異なる)、原始的な言語は一つも報告されていません

 

 例えば、ピジン語というのがあります。これは、2つ(以上)のグループがあり、それぞれのグループが異なる言語を話しているが、商売等のやりとりをするために、コミュニケーションを取る必要があります。その時、お互いの言語をカタコトで話し合ってコミュニケーションを取ります。そのカタコトの言語が、やがてその2つ(以上)のグループの間でも共通語となります。これがピジン語です。ピジン語は、あくまでカタコトなので、語彙も文法も発音もシンプルなものです。使用目的も主に商売等の取り引きに限られます。

 

 このピジン語をしゃべっている人達にとって、ピジン語は彼らの母国語ではありません。それぞれの母国語があり、それぞれの母国語同士ではコミュニケーションがとれないので、このピジン語を習得し、共通語として話します。

 

 ところが、このピジン語をしゃべっている人達の子供達が、このピジン語を母語として話し始めるケースがたまにあります。ピジン語はあくまでカタコト的なシンプルな言語です。しかしこれを母語として話す人達は、取り引きの時に使う言語だけでなく、日常生活の中で、複雑な表現をしなければいけません。それによってピジン語がいつしか複雑な言語になっていきます。これをクレオール語と呼びます。人間の子供には、言語獲得装置language acquisition deviceを脳に持っていると言われています。そのため、言語は複雑になるようにできています。

 

 面白いのは、たった2世代か3世代でできたクレオール語と、千年から数千年の歴史を持つ他の言語と比べた場合、どちらがクレオール語でどちらが数千年の歴史を持つ言語か判らないほど、クレオール語は複雑な構成を持っているということです。クレオール語の過去さえ見ず現在の姿だけ見た限りでは、クレオール語は数千年の歴史を持つ言語に勝るとも劣らぬ立派な言語で、2世代3世代でできたような言語だとは思えないほどだそうです。

 

 つまり、仮に日本語が、発音に関して非常に単純で原始的な言語だったとしても、次の世代には、他の言語と同じくらい複雑になってしまうのではないだろうかということです。

 

 仮に本当に日本語の発音が、他に類をみないくらい単純だとしたら、そうなった原因というのは何だろう?と考えると、このウワサが本当かどうかは怪しくなってきます。

 

 

 ● 発音が単純なメリットとデメリット

 

 例えば「あ」と「か」という2つの音(拍)を使って単語を10個作って下さいと言われた場合と、「あ」「か」「さ」「た」「な」「は」「ま」「や」「ら」「わ」という10個の音(拍)を使って単語を10個作って下さいと言われた場合、どっちが簡単に単語を10個作れるでしょう?

 

 「あ」と「か」の2つしかない場合は、「あ」「か」「あか」「かあ」「ああ」「かか」「あかか」「かああ」「あかあ」「かあか」等とでもなりましょうか。なかなか大変です。

 

 10個使える場合は、「あ」「か」「さ」「た」「な」「は」「ま」「や」「ら」「わ」という具合に、1文字の単語を10個簡単に作れます。

 

 このように、音の種類の持ち駒が多ければ多いほど、単語を作ることが楽になります。あまり持ち駒が少ないと、単語を作るのが大変になるというデメリットがあります。

 

 一方、人間が違いを聞き取れる音の数というのは限られています。あまりに音の種類の持ち駒が多いと、似たような音も多くなり、聞き取るのも難しくなったり紛らわしくなり、コミュニケーションが逆に円滑に進まなかったりすることもあります。聞き取りの難しい似たような音は、だんだんと消えていきます。

 

 もっと色々複雑な要素がありますが、単純にまとめれば、人間の言語は、コミュニケーションを円滑にするために、新しい単語を作るのに便利なだけの音の種類の持ち駒があり、聞き取りが紛らわしくならない程度の数におさえる、という感じで、バランスがとれています。

 

 仮に、日本語の発音が類稀なるシンプルな発音を持つ言語だとしたら、聞き取りの面では紛らわしいことはない反面、語彙を増やすという面で非常に不利になります。果たして日本語は語彙を作るのにそこまで不利なのでしょうか?

 

 

 ● 日本語は同音異義語が多いというのは本当か?

 

 同音異義語というのは、例えば日本語の「猿」と「去る」、英語のtwoとtooのように、発音は同じだが意味は違う単語のことです。

 

 正直、日本語が他の言語と比べて同音異義語が多いのかどうか私は知りません。特に言語学のバックグラウンドがない一般の英語ネイティブに言わせれば、「英語の難しさは同音異義語の多さにある。」とよく言います。ひょっとしてどの言語話者も、「自分の言語は同音異義語が多くて難しい」という印象を持っていないとも限りません。(これは調査が必要なので、何とも言えません)。

 

 よく、「日本語は発音が単純なため、新しい語彙を作るのが大変。そのため、同音異義語が多くなる。」というように、つじつまを合わせているものも見かけます。ですが、これは正直疑わしいです。

 

 まず第1に、全ての言語で、コミュニケーションをスムーズにするために、紛らわしい同音異義語を避ける傾向があることが報告されています。仮に日本語がそんなに同音異義語が多いのなら、なぜ日本人だけが紛らわしい同音異義語を避けようとしないのでしょう?

 

 又、「同音異義語」の定義が怪しい。怪しい例を一つ挙げます。

 

 ●「書こう」「下降」「囲う」「河口」は全て発音は同じだ。日本語は同音異義語が多いので、文脈から推測していかないといけない言語だ。

 

 と書かれているものを見たことがあります。果たしてこれら4単語は、本当に同音異義語でしょうか?

※共通語の場合

 

 たしかにひらがなにしたら、4つとも「かこう」になります。しかし、発音が同じなのは、このうちの「下降」と「河口」の2つだけだと言うのは、実際発音してみれば明らかです。

 

 「書こう」は、「カコー」で、「コ」にアクセントがあります(中高型アクセント)。

 「下降」と「河口」は、同じ「カコー」ですが、「書こう」とはアクセントが違います。「下降」「河口」は、「コー」が高い(平板型アクセント)。「囲う」は、アクセントは「河口」「下降」と同じ平板型で、「コウ」が高いです。しかし、最後の母音が違います。「コー」ではなく、「コウ」になります。

 

 「書こう」「下降」「囲う」「河口」は全て発音は同じだと書いた方の専門は言語学ではなく全く別分野のようでした。だから「かこう」という文字情報と、発音とをうっかり混同してしまったのでしょう。専門外の分野では、誰もがよくすることかもしれません。しかし、ちょっと冷静に考えてみれば、言語学のバックグラウンド等無くても、「下降」「河口」の発音は同じだが、「下降」、「囲う」、「書こう」の3つは違うということにはすぐに気づけるでしょう。

 

 第2の点は、同音異義語ではないものを並べて「同音異義語が多い」と言っていることもある、ということです。

 

 次に怪しいのは、「語彙」の定義についてです。実は語彙の定義というのは以外に難しく、どこまでを語彙と呼ぶのかというのが重要になります。

 

 例えば、一部の人しか知らないようなあらゆる分野の専門用語や社内用語的なもの(部品や物質等)まで考えると、大変な量になります。それらを日本語の語彙として扱うかどうかも、定義を決める上での大事な約束事になります。

 

 第3の点として、「日本語は同音異義語が多い」という人の中には、一部の人しか知らない専門用語等もたくさん並べて無理矢理同音異義語をたくさん集めている場合があるということです。それらは確かに同音異義語ですが、一部の人しか使わないので、日常生活のコミュニケーションで紛らわしくなるということもそうないでしょう。

 

 もし、日本語の同音異義語を数える場合、あらゆる専門用語等も含めるならば、他の言語でも同じ基準で同音異義語の数を数えなければいけないが、本当にそこまで徹底しているのでしょうか?

 

 まとめると、1)コミュニケーションの紛らわしさを避ける傾向について述べてない。2)同音異義語でないものまで同音異義語扱いしている。3)語彙の定義が甘い。という傾向が見られるので、疑わしいところです。

 

 

 

次回、さらに別の角度から、日本語の発音が本当に単純かをもう一度考えてみます。

母音の数、子音の数、その他について一般的なビリーフを考えてみましょう。

 


参考文献

Akamatsu, T. (2000). Japanese phonology. LINCOM Studies in Asian Linguistics 38.

Bauer, L. & Trudgill, P. (1998). Langahe myths. London: Penguin Group.

Wardhaugh, R. (2006). An introduction to sociolinguistics. MA: Blackwell.