フランス革命

←シェイエス:フランス革命初期の指導者。「第三身分とは何か」の著者。革命の初期に論理的指導者として活躍。国民議会の成立と91年憲法の制定に努力した。第三身分の生まれ、聖職者となり、アベ=シェイエスとも呼ばれる。
財政問題:ルイ14世の晩年以降、戦争と飢饉による財政の窮迫は、アメリカ独立への援助でルイ16世時代に決定的となった、
マリー=アントワネット:1755〜93、ルイ16世の妃。オーストリアのマリア=テレジアの娘。派手好きな浪費家と見られ、国民の反感を買った。反革命派の中心人物とみなされ、恐怖政治下で処刑された。                       図はマリー=アントワネットとヴェルサイユ宮殿。
←「屋根瓦の日」:1788年6月7日、グルノーブルで市民が国王軍を撃退して、高等法院を支援。
高等法院:13世紀以降整備された仏の最高司法機関で王令審査権を持つ。
←1788年8月8日、ルイ16世、明年5月の全国三部会召集を布告。
三部会:1302〜1615 フランスの身分制議会。身分別選挙によって議員を選出し、新規課税の審議権を持つ。ルイ13世の1613〜14年を最後に召集されなかったが、免税特権の廃止を求めるネッケルに対し、貴族・聖職者が三部会での承認を求めたため、1789年5月5日ヴェルサイユで開会した。
国民議会:1789年6月17日〜91年9月。三部会の第三身分代表が、三部会より分離して結成した議会。6月19日には第一身分の多くと第二身分の一部が合流を決定し、フランス革命初期の議会として、91年憲法の制定まで続いた。
球戯場(テニスコート)の誓い:1789年6月20日 非承認の国民議会に対して王が議場の使用を禁じたので、議員は球戯場に集まり、憲法の制定までは解散しないことを誓い合った。
バスティーユ牢獄襲撃:1789年7月14日、王側のネッケル罷免と武力弾圧の気配に激高したパリ市民は、国事犯の牢獄で多量の武器があると信じられていた市内のバスティーユに殺到、占領し、囚人を釈放した。“革命”の開始で、フランス共和国の建国記念日となった。
人権宣言(人間および市民の権利の宣言):1789年8月26日 国民議会で宣言。17条からなり、人間の普遍的な自由・平等、圧政への抵抗権を自然権とし、政治の目的をその維持に求め、国民主権・法の支配・権力分立・私有財産の不可侵などを規定した。アメリカ独立宣言とルーの啓蒙思想の影響が見られる。
ラファイエット:自由主義貴族。アメリカ独立戦争に従軍。パリ国民軍司令官。ミラボーと立憲王政派の89年クラブを結成。人権宣言の起草者の一人。一貫して立憲君主主義者。革命の激化によって“保守化”し、1792年オーストリアに亡命した。
ミラボー:貴族出身の政治家。三部会に第三身分代表として選出されて以来、立憲君主主義の立場をとり、国民議会の中心として活躍したが、裏では王と取引し過度の民主化を阻止した。
←バルナーヴ:フランスの革命家。立憲君主派。第三身分代表として国民議会で活躍。ヴァレンヌ逃亡事件後、国王に接近、王との妥協を図って失敗し引退した。
←ヴァレンヌ逃亡事件:1791年6月20日、ミラボーが病死し国民議会とのパイプが切れると、王一家は王妃の実家のオーストリアと連絡して国外逃亡を企てたが、21日東北国境に近いヴァレンヌで捕らわれ、パリに事実上の軟禁となった。国民の王への信頼は消え、共和主義が急速に台頭した。
←「ラ=マルセイエーズ」を作詞・作曲したルージェ=ド=リール:1792年4月、ドイツ国境に近いストラスブールで、志願兵を激励する歌が作られた。この歌はフランス各地に蔦彫り、マルセイユの志願兵はこの歌を歌ってパリに入ったことから、「ラ=マルセイエーズ」と呼ばれ、革命の象徴的な歌となった。
←三色旗:バスティーユ襲撃の翌日の1788年7月15日、ラファイエットが国王とパリ市民の関係を修復するため、パリ市の色である赤と青に王家の色である白を加え、国民衛兵の帽章の色としたことに始まり、94年に国旗とされた。
  サンキュロット:当時の貴族・ブルジョワが着用していた短ズボンをはかない者という意味で、革命時の手工業者・職人・小店主・工場労働者などの都市民衆を指す。議会外の勢力として、しばしばデモなどの大衆行動をおこし、革命の急進化を促した。 
  8月10日事件:1792年、山岳派(ジャコバン派最左派)がサンキュロットと義勇兵に呼びかけて、テュイルリー宮殿を襲撃した事件。国王は捕らえられ国王一家がタンプル塔に幽閉された。立法議会は王権の停止を宣言して解散し、男性普通選挙が行われて国民公会が成立し、王政の廃止と共和政の宣言がなされた。 
第一共和政:1792年9月21日〜1804年 国民公会が王政の廃止と共和政の成立を宣言した、フランス最初の共和政。総裁政府・統領政府を経て、ナポレオンの第一帝政の成立まで続いた。
←カルノ:フランスの軍人、政治家。フランス革命・ナポレオン時代に活躍。立法議会議員・国民公会議員に指名され、軍事問題の専門家として手腕を発揮。
←オシュ:フランスの政治家、軍人。陸軍大将として、プロイセン・オーストリア軍と戦った。
←ロラン夫人:工業監督官で1792年以後内務大臣となったロランの妻。そのサロンにジロンド派議員を集め大きな政治的影響力を持った。93年6月2日ジロンド派とともに逮捕され、刑死。
←コンドルセ:啓蒙思想家の最後の一人。立法議会・国民公会議員。1793年憲法を批判し告発され逃亡、約9カ月後に隠れ家を出、自殺した。
ダントン:弁護士出身の革命政治家。革命開始とともにパリで活躍、国民公会議員となり、ジャコバン右派とされた。エベール派と対立、同派弾圧直後の3月末、ロベスピエール派に逮捕され、4月に処刑された。ダントン派の処刑でロベスピエール派の完全独裁となるが、恐怖政治も頂点に達した。
←ヴァルミーの戦い:1792年9月20日、フランス軍がパリに迫ろうとしたプロイセン軍を撃退。それは革命的な義勇軍の職業的王朝軍に対する勝利であり、以後戦況は一応安定した。ヴァルミーはパリ東方の寒村。
   Newピット:イギリス首相(在任1783〜1801、1804〜06)。ルイ16世の処刑を機にフランスと断交し、国民公会が1793年2月イギリス・オランダ、3月スペインに宣戦したのに対し、第1回〜第3回対仏大同盟を結成した。
ロベスピエール:弁護士出身の革命政治家。三部会・国民議会議員。ルソーの思想的影響を受け、立法議会では、院外から山岳派を指導し、民衆の立場に立つ主張を展開した。国民公会の議員に選出され、山岳派のリーダーとして、サンキュロットの要求を入れて恐怖政治を推進。94年に左のエベール派と右のダントン派を打倒し、革命の徹底化を図ったが、自らもテルミドール反動で倒された。