厳冬期単独黒部横断

澤田 実


プロローグ

 「日本の冬山の核心は黒部だと思う…。」ここ数年、そう言い続けてきた。冬の黒部は常に、気持ち悪くなるほどの緊張感と、生きていることを実感できる充実感を僕に与えてくれる。

 山の奥深さ、険しさにおいて、黒部は国内でも有数と言えるだろう。分け入るには3000m級の山脈を越えねばならず、黒部川の穿つ岩壁や尾根、ルンゼは急峻で険しい。そしてそこに多量の雪が降る。冬の天気の悪さは他に比肩するものはない。冬型の決まった時には何日間も吹雪きつづけ、多量の湿雪が急激に積もる気候は、国内に限らず世界的にも珍しいもののようだ。

 一昨年の春、ある山行の帰りの車中で僕は気が付いた。厳冬期の黒部横断と言う課題が、実は未解決なのではないかと。正月は長期休みが取れる都合で誰もが山に入る。そして3月にもなれば、学生などは春休みとなって山に入る。しかし1月半ばから2月はほとんど入山者がいない。8000mのどのピークの登頂者数よりも、2月の剱岳の登頂者の方がはるかに少ない。天候が悪いから入らないのも事実だろうが、休みが取れないことをうまい口実に敢えて避けてはいなかっただろうか。誰もやらなかったのならば、山のためにフリーター生活をしている僕が行かなくてどうするのか。

 厳冬期の黒部横断となれば、冬型の一度や二度はやり過ごせる日数が欲しい。その結果10日分をデポし12日分を持ち込むという、総日数22日の計画を立てた。そしてルートは単独でも行動できるラインを選んだ。それは多量の降雪後でも、稜上の積雪が不安定でロープを出さなければ進めないという状況が起きないだろうというラインだ。そして僕のこだわりとして剱岳は外せない。

 実は去年も、この計画を立てていた。しかし単独で2月の山行であることもあり、富山県から中止勧告が来た。それは予想されることだったので、僕はできる限りの準備と下調べをして説得するつもりでいた。この計画のために夏にアマチュア無線の免許を取り、開局もした。そして県や県警の方と何度も電話で話をさせてもらった。話すうちに結局分かったことは、技術的な問題ではなく、何度も黒部に来ていて顔なじみになっているような人ならともかく、初対面に近い僕に対して行っていいですよとは言えない、というものだった。もっともな意見だと思う。それで去年は僕が引き下がった。横断を諦らめた分、冬の黒部をより知るために、猫又山と毛勝山の山行を2月に行なった。

 今年の正月山行は早月尾根から北方稜線へ抜ける計画を立てた。早月尾根偵察のためだったが、計画が途中敗退となり、結果的に早月尾根の往復をした。そのおかげで技術的核心といえる早月尾根をじっくりと頭に叩き込むことができた。そして再度の計画提出。やはり今年も富山県からは中止勧告が来た。しかし僕も譲れず、何度もお話する。どうにか上申書を出させてもらえるまでになったが、その後どういう訳か情報の混乱があり、富山県では僕が入山しないらしいとの噂で計画の審議がされなかったらしい。そして県からの連絡が全く来なくなったことを、それまでの話の推移から、黙認するという態度表明だと僕は勘違いしてしまった。こうした経緯から、僕は2月の黒部に単独で入ることとなった。

 好天の周期に入った2月5日、いよいよ東京を発った。





記録

[日程] 2003年2月6日〜17日

[行動概要] 扇沢〜新越尾根〜鳴沢岳〜赤沢岳〜赤沢岳北西尾根〜赤沢出合い〜丸山南峰東稜〜丸山〜丸山中央山稜最低コル〜中央山稜〜立山稜線〜別山乗越〜剱岳〜早月尾根〜馬場島下山

新越尾根より望む鳴沢岳と赤沢岳

 2月6日(曇り後晴れ)日向山ゲート―扇沢―新越尾根

 タクシーの運ちゃんを見送り、犬の散歩に来た青年に「頑張って下さい」と声をかけられて別れ、いよいよ一人になる。天気は悪くない。
 扇沢から新雪に踏み込むが、ラッセルは脛程度。去年もそうだったが、最近の2月は春のようだ。新越尾根を順調に登り、樹林限界あたりでテント泊。

 7日(晴れ)後立稜線―鳴沢岳―赤沢岳―赤沢岳北西尾根―赤沢出合い

 雪と風で造形された歩きにくい後立稜線から赤沢岳へ。アイゼンを履いた上にワカンを併用すると調子良く進めた。二回目の気の緩みもあって、北西尾根の下降では二度の登り返し。最後の赤沢出合いへの下降はワンポイントの懸垂下降。10時間以上の行動で疲れた。

丸山南峰東面(右に出ている尾根が東稜)

 8日(晴れのち曇りのち雪)丸山南峰東稜―丸山―丸山中央山稜最低コル

 丸山南峰東面のルート選択は前日まで悩んでいた。はじめは赤沢出合い対岸のルンゼの右岸尾根を登ろうと考えていたが、昨日の観察で右のスカイライン(南峰東稜・仮称)が一番確実そうに見えた。取り付いてしまえは傾斜も落ちるし、テン場を求めることもできそうだ。

 赤沢出合い対岸のルンゼを詰めて途中から右にトラバース、リッジとルンゼをいくつか跨ぐと南峰東稜上1600mあたりに飛び出す。一見すると丸い雪の尾根だが、登ってみるとさすがに黒部のリッジ、痩せた雪稜から垂直木登り、キレット、キノコ雪のトラバースと多彩。緊張した。
 崩れてくる天気に追われながら丸山中央山稜最低コル着。ここで11月に設置した10日分のデポにありつく。ここまで予想外の順調さ。雪洞を掘る。


黒部別山結氷した黒部湖

 9日(ガスのち快晴)停滞 

 夜中に何度か雪崩の音を聞く。午前中には天候も回復しはじめるが、20cm程の積雪はすべてアラレ状。トイレのために雪洞脇を歩いたら亀裂が走った。積雪の安定待ちに食料消費と休息も兼ねて停滞とする。


丸山中央山稜

 10日(晴れのちガスと風)内蔵助峰―丸山中央山稜―立山稜線―剣御前小屋

 結局食料は12日分持ち、6日分は再度デポ缶と共に残した。中央山稜は自身未登だったので不安もあったが、問題はなかった。立山稜線に出るころよりガスが強風で流れてくるようになる。別山乗越へは風上から顔を背けながらの行動。視界がなく別山頂上からの下りで迷う。どうにか剣御前小屋にたどり着くが、小屋陰の吹き溜まりには正月のものらしいテント場跡があり、雪洞を掘る深さがなかった。テント場跡を再整備してテントに入る。

 11日(風雪)停滞

 冬型が続く予報が出ている。これ以上風にたたかれながら寒い夜を過ごすのは嫌なので、僅かに利いた視界を頼りに剱沢源頭に雪洞を掘って移った。しかし入り口が雪に埋まった後もとにかく寒かった。足先は冷え、雪洞内に置いたアックス類には白く霜が着いた。まるでフリーザーの中のようだ。夕方除雪に出たが、外に出るまでに身長分の雪を泳いだ。

 12日(風雪のち夕方快晴)停滞

 停滞を満喫する。夕方の除雪に出ると、なんと快晴に変わっていた。目に痛いほどにくっきりと澄んだ空気の中で、夕日に照らされた剱岳が輝いていた。その神々しい景色に、悔しさとも感動とも分からぬ気持ちで吠える。小さな気圧の尾根らしい。

 13日(風雪)停滞

 前進できる期待を持って外に出るが、今日も吹雪き。これまでで一番わるい天気。変形してきた雪洞を増改築する。低温のために雪洞の天井も融解凍結せず、安定しない。

 14日(風雪)停滞

 天候回復を期待し、少しでも前進すべく雪洞を出る。が、結局断念して小屋陰のテント場跡へ。もはや雪洞は見つけられない。テント泊。

眠りから覚める室堂平

 15日(快晴のち晴れ)別山尾根―剱岳―早月尾根―早月小屋

 ようやく晴れの朝。剱岳が穂先から目覚めていくのを見ながら黙々とラッセルする。4日間の停滞で体が重い。雪崩の不安のあった前剱の登りは風のためか積雪は少なかった。痩せてきた稜線を慎重に辿り岩場を越すと、早月尾根との分岐を示す見慣れた道標が見えてくる。
 11時ちょうど、剱岳の頂上に立つ。記念写真を数枚。二年越しの計画もどうにかここまで来た。そしてこれからが核心だと、自分に言い聞かせる。

黎明の剱岳

 早月尾根は複雑に入り組んだ痩せ尾根に雪をたっぷりと纏っている。最初に出てくる岩のクーロワールは風が強いためか、ほとんど正月と同じ状態だった。クラストした雪に正月の足跡がいっぱい残っている事に驚く。そのすぐ下の稜線は、今度は非常に深い雪に悩まされる。どうも稜線自体がここ数日の悪天でできた雪庇のようだ。シシ頭から下の尾根はそれほど様子が違うことはなかった。途中1Pの懸垂あり。2600mの一つ目のピークへの登りは急。頂稜にあがると雪庇を覗き込むようなかたちで下り口を探さねばならない。ここでも1P懸垂。二つ目のピークの下りでも同様の雪庇跨ぎの下降があった。

 陽が傾いてくる頃、早月小屋に到着。今山行の核心を抜けた。ずっと多くの不安を抱えながらの行動であったが、それもいまは心地よい達成感へと変わりつつあった。人工物に頼る気がしないので小屋のそばにテントを張る。

剱岳頂上にて

 16日(雪のちみぞれ)―馬場島

 悪天の中慎重に早月尾根を下り、昼には馬場島に着く。全身びしょ濡れのため建物の陰でテントを張り、豊富にある燃料と食料でささやかな贅沢。

 17日(晴れ)―伊折

 馬場島から伊折まで、なんのトレースもなかった。5時間を要する。伊折の少し下で、山を見に来た元山ヤのおじさんに乗せてもらい富山駅まで。10日振りの人との会話であった。

剱岳