ネームレスクラックねーむれすくらっく

「すると、そのクラックの名前は「ネームレスクラック」とでもしておきますか。」
クライミングジムのそばの喫茶室で、内藤さんは私の顔を覗き込んで訊いた。私は、ルーフにスッパリと走ったそのクラックを思い出しながら心で言った。
(いいえ、名前はちゃんとあります。)
そう思いながらも、私はあいまいに
「ええ、そうですね、ネームレス、そんな感じですかね、ハイ」
などと答えていた。

内藤さんは、瑞垣山のクライミングガイドを作るため、多くのクライマーにルートの情報を聞いて回っており、その日、私はそのルーフクラックについて訊かれていた。
古参のクライマーにありがちな、一癖二癖ありそうな感じとは無縁の、屈託ないという言葉がぴったりの内藤さんは、明るく質問を続けた。
「上部は『ナチュラル』につなげるような感じですか?」
またも、違います、と思いながらも、内藤さんのあっさりとしたスマイルに、私はこれも
「ええ、まあ。へへへ。」
などと誤魔化してしまった。
(上部は、『ポパイ』を登ります。ボルトは使わず、ナチュプロで。)そのように、私がはっきりと言わなかったばかりに、そのルートの名前は「ネームレスクラック」で、上部は「ナチュラルにつなげる」ということになってしまった。

「ネームレス」、名前ですらない。

クラック全景. 左上のフレークに抜ける

それは、今、割れたばかりと言っていいくらいシャープなルーフクラックだった。クラックを辿ってルーフを越えると、既成のボルトルート『ポパイ』のラインに合流する。内藤さんがドリリングし、ボルトを埋めて作ったルートだ。しかし、合流してみると、そこここにカムやナッツがガッチリ極まったので、そのままボルトは使わずに登り、そこで名前を「ドリルいらず」とつけ、妻子と少数の友人だけに話したのだった。何とも失礼な話である。
 しかし、小市民の上に極がつく、マイクロ、いや、ナノ市民の私には、そんな失礼なことを、内藤さんに面と向かって言うことができなかったのだ。

 これだけを言うと、内藤さんが悪者になってしまうかもしれないので、解説しておこう。

 2015年現在、クライミングの最高のスタイルというのは、岩の節理を生かし、岩を削ることなく、もちろんドリルで穴を開けてボルトを埋めたりすることもなく、カムやナッツや岩角をプロテクションにして登り、登ったあとは全ての人工物を回収する登りかたである、というのが常識だと言っていいだろう。
 その常識だけをもって表面的に見れば、現在ナチュプロで十分に登れるラインをボルトルートにした内藤さんは、尻尾の先がドリルになった悪魔かもしれない。しかし、そんな考え方がメジャーになったのは、日本ではここ十年程度のものなのだ(その思想自体は昔から脈々とあるものではあったのだが)。
 瑞垣山のふもと、カサメリ沢の「モツランド」と名づけられた岩場にある「ポパイ」が登られたのは1980年代の終わり、スポートルート全盛期の始まりだった。その頃から10数年間、クラックは日本のクライミングの表舞台から急速に消えていき、一部の好事家にしか登られない、主流から完全に取り残された、時代遅れのジャンルになった。(取り残された側は「俺たちこそ主流だ」と叫んだかもしれないが。)
 そんな中で、私はクラックを登り始めた。たとえ低グレードでも、残置に頼らず、自分で道を見つけるクライミングに惹かれた。そして、プロテクションのセット技術は、山の壁で役立った。
 もちろん、そういったクライマーは他にもいた。私よりもずっと優れた技術を持って熱心に取り組んでいる人も、私から見れば大勢おり、伝説の雑誌「ランナウト」など一部のメディアではその熱さが伝わってきた。それにあこがれ、クラックに通った。
 しかし、クラックはどこもガラ空きで、カムやナッツは一部のアルパイン系のクライマーを除いては、古代遺跡から出てきた呪術具のように見られていた。クラックはその頃、歴史の中の出来事になっていたとさえ言えるかもしれない。
 でも、私にはそんなことは関係なく、自分でプロテクションを考えながら登るゲームは面白かった。既成のボルトルートを残置支点を使わずにトライしたりもした。今、イキなスタイル「残置無視」だろうか。でも、当時は完全に奇人変人の域だった。
 そのうち、結婚して子供ができたが、クラックルート、クラックのエリアはどこへ行ってもガラ空きだったので、赤ん坊を連れ行くには好都合。誰もいないアストロドームや十一面末端壁で子供を遊ばせ、夫婦で登った。

 その後、数年でクラックブームが爆発した。現在、クラックの有名ルートはどこも順番待ちだ。いったい、黒船か何かが上陸して「ワレメこそ文明開化デース。」とか言ったのだろうか、それともAKBが「恋の最高クラック〜はさんで胸キュン!」とか歌ったのか、信じられない思いだ。
 たしかに今でも全体から見れば小数派かもしれず、最近クラックを始めた人は「クラックはマイナーだ」と思っているかもしれない。しかし、休日のスコーピオンや不動沢愛好会ルートなど、ここはディズニーランドかと思うくらいの順番待ちだ。そして、山岳雑誌では、自然なラインに自分でプロテクションをセットしながら登ることこそ王道、と頻繁にうたわれている。
 もちろん私はそれを否定はしない。というか、もともとそういう考えなので、当然のことを言っていると思う。しかし、今のクライミングの時流で過去を批評するものではない、とも思う(もちろん、昔からそういった考えを貫いてきた人には強い発言権があるだろう。というかそんな御大は私が何かゴチャゴチャ言っても気にも留めないだろう)。
 そう、あくまで『当時』で言うならば、あの時代の始まりに、しかも当時まだ表面が脆く、信頼できるナチュプロセットが難しかったであろうポパイにボルトを打って登るのは、普通のことだったのかもしれない。
 だから、私は自分がつけたその名前、「ドリルいらず」に後ろめたさを感じたのである。しかし、そのために私は結局内藤さんにウソを言うことになってしまったばかりか、ガイドブックを読む日本中の人たちにいい加減なことを伝える結果を招いてしまった。


 ここで、ささやかながらも訂正させてもらおう。
 それは、瑞垣山、カサメリ沢の、モツランドと呼ばれるエリアにある。モツランドの中心は、花崗岩には珍しいドッ被りになっており、ポパイはその真中を一番上まで登るルートだ。

 もう、何年前になるか、私はある日、ポパイのすぐ脇にあるルーフクラックに気づいた。なぜ、それまで気がつかなかったのか不思議なくらい顕著なクラックが、150度程度に張り出したルーフに走っていた。張り出しはおよそ2mくらいか。トライしないわけがなかった。
 基本、スポートのエリアであるモツランドでいきなりカムを揃えはじめた私に、妻は不審そうな視線を送る。拝んでビレイを頼む。比較的足場は良いので、連れてきた子供は遊ばせておいて大丈夫だろう。
 ルーフまではブロックの詰まった凹角が続いている。堅いとはお世辞にも言えないが、谷川岳一ノ倉沢の中央稜くらいか。脆さも、難易度も。
 ルーフへは、右隣にあるピカピカのスポートルート「プラチナム」からも行けるが、下から通してナチュラルプロテクションで登るには、この凹角が自然だろう。
 ルーフ下は大きなテラスになっていた。ビバークできそうな大きさだ。雨も当たらず、大きな岩壁の途中でこんなテラスがあったら最高だろう。平らなので、石や砂が多少乗っている。ここあたりまでが、後に出版された瑞垣のガイドブックにある、「多少脆い」という部分だろう。
 この先、若干ムーブや岩の形状に触れるので、オンサイト狙いの方はご注意いただきたい。

真横から見たルーフクラック

 いよいよ目当てのルーフだ。テーブルのように平らなルーフが、クラックの角も鮮やかにパックリと割れている。まさに、地質学的にはつい先ほど割れたばかりなのだろう。ハンド、いや、シンハンドか。テラスから少し上がり、手を差し入れた。
 その内面に触れ、逆毛が立った。ものすごいフリクションだ。全く浸食を受けていない割れ目の内は、結晶が突き立つようで、吸い付くような、というより、食いつくと言うべき表面だ。
 両手で天井にぶら下がっても全く落ちる気がせず、足を右壁に這わせながら、手を進める。ハンドからシンハンド、苦手のシンハンド部分でも、手が抜ける気が全くしない。この無重力をもっと味わいたいのに、残念なくらいすぐにリップ手前に到着してしまった。
 足を側壁から離し、少々空を泳ぐ贅沢を楽しむ。リップもしっかりと保持でき、足を頭より高く上げてのヒールフックが心地よい。
 リップから先も、下が狭くなったフィンガー、水平ハンドクラック、とあまりに贅沢なジャミングが連続している。しかも、ホールドも豊富、使い切れない。ホールドを離してはまた掴む、古代ローマ王の贅沢、満腹になるまで食べては吐いて、また食べたといわれる宴会のようなクライミングだ。片足はヒールフック、片足は空中をずっと漂っている。まるで城が崎のような空中感だ。もちろんプロテクションのセットにも全く問題が無い。

 次の小ハングを越える際、ありがちなミスを犯した。ジャミングするべき位置にナッツを決めてしまったのである。ガッチリと効いたナッツはなかなか取れず、いくらホールドが良くても、ハングの中で体力が消耗してゆく。あきらめて悪いジャムで乗り越える。どうせ落ちてもルーフの海を空中遊泳するだけだ。
 手が半分しか埋まらないハンドジャムはフリクション頼りだ。足を空中に泳がせるが、荒い表面のおかげで持ちこたえた。その間にガバを探りだし、何とかリップに這い上がる。傾斜の落ちた部分で、ビレイしてくれる妻に手を振る。余裕と見せかけて実はこれ、シェイクだ。
 複雑な形の凹角をゆっくりとナッツを決めながら進む。こういう場所ではナッツ類とスリングの組み合わせを考えるのが楽しい。またまた小ハングを越えると、再びハイライトが現われた。

 ツルリとした凹角に走ったフィンガークラック。地上20mで、何とも美しいコーナーが現われた。ポパイを登る人しか見ることのないこのコーナーが、もし地上すぐにあったなら、人気のフィンガークラックになっていたことだろう。  ストッパー7番前後をかませながらずり上がる。きれいなクラックではカムがもちろん便利だが、下で使ってしまったので、限られた場所にナッツを極める。私の太目の指では所々しかクラックに入らないので、凹角に胴体をこすりつけ、肩や尻の摩擦を利用しながら登る。
 次第に空が広がってくる。すぐ上は傾斜が緩んでいるのだろう。コーナーが終わり、垂壁をフレンドリーなホールドで登ると、終了点の残置カラビナが現われた。
 ここで下からクリップしてそのまま下降することもできるだろう。だが、その上は明らかに立てるレッジになっている。ここで終了しては、終了点の設置者に失礼というものだ。
 マントリングし、足で立って終了とした。樹林を越えた終了点からは、不動沢の岩塔たちが見える。スポートのエリアと呼ばれるカサメリ沢の岩場だが、岩は不動とつながっている。そして、クライミングも、か。

 妻にコールし、降ろしてもらうと、次第に壁から離れてゆく。いくつもの小ハングを越え、若干のトラバースも交えて、いつの間にか大きく張り出していたようだ。降り立つと、取り付きから6mほども離れていた。

トライするクライマー

 さて、査定である。出だしの凹角はアプローチとして、ルーフを最高のフリクションで越えてゆくのは実に気持ちが良い。それにも増して、ポパイに合流してからの、逆階段状の前傾壁は、ホールド、クラックをフルに使いながらの豪快なクライミング、プロテクションも一筋のクラックにはない多様なセットを考えるゲームが味わえる。しかも、多少セット箇所を考えれば、しっかりと十分にセットでき、ランナウトを強制されることもなく、自然にナチュプロを使うラインだという点が嬉しい。クラック、というよりまさにトラッドと言うにふさわしいクライミングである。
 過去、ボルトルートを無理にナチュプロでトライし、時折、不条理とも感じられる恐怖を感じて、「これは人間にとって自然なクライミングではない」と感じていた私には、求めていたラインですらあった。
 決して時代の先端でも、高難度でもないが、クラックからスポートに移り変わる時代に見出され、今、再びトラッドの面白さを示してくれたラインであった。


 名が無いはずのネームレス、しかしてその名はドリルいらず。


 後日、意を決して内藤さんにその名を打ち明けた。内藤さんは相変わらず屈託なく、全く気にしない様子で明るく笑い、「第2版の時には修正しますよ。」とあっさり言っただけだった。


2016年10月掲載

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