水泳の歴史 (世界大百科事典より)

日本泳法 にほんえいほう
日本で古くから武芸の一つとして伝えられてきた泳法。 古流泳法古式泳法ともいう。水泳のほか潜水,飛込みや水馬術までも含む。また武芸として,技術とともに精神的なものも合わせた指導方法を持ち,今日まで伝承されてきた。武術としての泳法は,戦場で当然要求されるものであり,水練や水馬に関する功名話は,鎌倉時代の軍記物語に多く出てくる。しかし,泳法が武芸の一つとして研究され, 水術という教習体系を整えた流派として確立されるのは,江戸時代初期からである。名称は水術のほか水芸,游泳術,泅水 (しゆうすい) 術などともいわれた。水術の流派も他の諸武芸同様,家元の継承,技法,心法の伝授,流の尊厳などが伝承された。また水術が武術として成立するためには,水を支配するだけでなく,水中でさまざまな武器や用具を操作したり,馬を御すことも要求された。幕末,海防問題の関心から水術が広く錬磨され,講武所でも取り上げられ,各種武術とともに習練された。明治以降,各学校や大日本武徳会でも指導普及され隆盛した。現在,伝承が認められている流派は十数流あるが,これらはいずれも江戸時代に藩の庇護を受けていた流派である。流名,発祥地は次のとおり。水府流 (水戸藩),向井流 (幕府,江戸),観海流 (津藩),小池流,岩倉流,能島流 (以上紀州藩),神伝流 (松山藩,大洲藩,津山藩),水任流 (高松藩),山内流 (臼杵藩),小堀流 (細川藩),神統流 (摩藩)。 ⇒水泳

中林 信二

水泳 すいえい
水面または水中を泳ぐ運動をさす。 游泳ともいい,江戸時代末までは水練 (すいれん)と呼ばれていた。競技としては現在は競泳のほか,シンクロナイズドスイミング水球飛込競技も水泳競技に含めている。

【沿革】

 人類は太古から,水中の食料を採集したり,川を横切ったり,水難からのがれるために泳いだと想像され,また,宗教的な沐浴 (もくよく),衛生のための洗身も水泳を生んだと思われる。記録としては,古代エジプトのパピルス文書 (前 2000 年),アッシリアのニムルド出土の兵士の図 (前 9 世紀),中国古代の《荘子》《列子》《淮南子 (えなんじ) などがある。古代ギリシアでは,オリンピック種目には入っていなかったが,水泳は軍事的・教育的に重視されていたし,ローマで盛んだったいわゆるローマ風呂の中心はフリギダリウム (冷水浴場) だった。しかし中世ヨーロッパでは水泳は衰退し,近世になってその体育的価値が評価されるようになり, 19 世紀にはイギリスを中心にスポーツとして広まっていった。

 日本では,《古事記》に伊邪那岐 (いざなき) 命 (伊弉諾尊) がみそぎをしたとあり, 《日本書紀》には海部(あまべ) が諸国に置かれたと記されている。海人 (あま) は船員として水軍の船にも乗り,中世には水泳が軍事技術として発達し,武芸十八般の一つにかぞえられるようになった。しかし江戸時代の鎖国策で統制が厳しくなり,水泳は藩校の武術の科目として残ったが,地方に分化したためかえって技法が特殊化され,多くの流派となって伝えられた。これらの流派の泳法はバラエティに富み,技術的にはヨーロッパよりも格段に進んでいた。明治時代に入って各流派は東京の隅田川に道場を開き,また,東京大学などの水泳場も開設された。 1900 年には各派統一のための日本游泳術研究会が創立された。これより先 1898 年,水府流太田派道場と横浜在住の外国人たちが横浜西波止場で競泳大会を開いて太田派が勝ち,水泳の関心が高まったことも見のがせない。

【日本の古式泳法】

 日本泳法は大別すると,平体=水面に伏した姿勢あるいは背泳,立体=立泳ぎ,横体=片方の肩を下にした横向きの姿勢,の 3 種があり,各派技巧をこらしている。 古式泳法のおもな流派を次にあげる。

  (1)能島流  野島流とも書く。紀州藩の能島水軍の伝統をひくといわれ,南北朝時代に村上義弘が海賊流として創設,のち能島流となり,名井家,多田家に伝わった。平体と巻足 (まきあし) の立体を主とする簡素厳格な泳ぎである。 (2)河井流  寛永年間 (1624‐44),熊本に河井 (河合) 半兵衛が始めたもの。のち三田尻 (山口県) に〈武田流〉として伝わる。 (3)岩倉流  熊本の人,岩倉重昌が宝永年間 (1704‐11) に紀州において開創したといわれ,のち川上家に移り,川上流となる。立体を主とする。 (4)向井流  江戸時代初頭の御船手奉行 (おふなてぶぎよう) 向井正綱を始祖とし,権威があった。明治に入って笹沼良助が笹沼流を開いた。平体,横体を主とする。 (5)水府流   1700 年ころから水戸藩に行われたもので,小松軍蔵による下市系と,島村正広による上市系があったが, 1842 年 (天保 13) 藩主の命で合併した。横体の伸 (のし) (熨斗) を特徴とする。 (6)水任流   17 世紀中ごろ高松藩主松平頼重が今泉八太夫に命じ,水戸の技法を讃岐に合わせて改良したもので,特殊なさかさあおり足を用いる。 (7)小堀流   1714 年 (正徳 4) 熊本の村岡伊太夫の創始といわれ,その養子小堀長順によって大成された。立体の巻足を基礎とし,踏水術とも呼ばれる。 (8)神伝流  伊予 (愛媛県) 大洲藩で江戸初期に始められた。のち伊予松山藩,作州津山藩にも受けつがれたため,創始者加藤主馬光尚らの系統は神伝主馬 (しゆめ) と呼んで区別する。横体のあおり足の泳法を用いる。 (9)観海流  比較的新しく,1853 年 (嘉永 6) 武州浪人の宮発太郎が津藩に招かれて創始したもので,明治期に軍隊,学校で盛んになった。蛙足平泳 (かえるあしひらおよぎ) の系統。 (10)山内 (やまのうち)  松山の浪士,山内勝重が神伝流をもとに 1822 年に九州臼杵 (うすき) 藩で開いたもの。 (11)神統 (しんとう)  摩 (鹿児島県) で武術として発生したもので, 1500 年ころ黒田頼定が確立した。

巻足  : 踏足 です。

【競泳】

 スピードを競うレースを競泳というが,これは主催団体ができて規定が確立するとともに盛んになった。 1869 年ロンドンに首都水泳クラブ協会が創立され,同年にテムズ川で 1 マイルレースが行われた。 96 年第 1 回オリンピック大会から水泳が採用され, 1908 年の第 4 回ロンドン大会がきっかけとなって,同年,国際水泳連盟Fdration internationale de Natation amateur (FINA) が生まれた。日本では 14 年に日本体育協会主催の全国大会が開かれ, 20 年の第 7 回オリンピック (アントワープ) に初参加, 24 年には日本水上競技連盟が結成され,その後現在の日本水泳連盟Japan Amateur Swimming Federation (JASF) となった。競泳については国際水泳連盟が世界記録の公認と諸規定を統制し, 69 年まではヤード制もあったが,以後は 50mプールでの記録のみが公認される。なお,オリンピックとは別に国際水泳連盟主催の世界選手権大会が 73 年以降開かれている。競泳の泳法としては,クロール,背泳,平泳,バタフライの 4 種がある。

クロールcrawl stroke

 水面に伏せて浮き,バタ足 (キック) しながら左右の手を交互にかいて泳ぐ。平泳から発展したもので,1863 年にイギリスのトラジァン J.Trudgen がアルゼンチンで見た泳ぎをとり入れて抜手,はさみ足のトラジァンストロークを開発したといわれ,日本でも 1915 年に紹介された。また,南太平洋諸島の原住民の泳ぎをもとにオーストラリアのキャビル Cavill 兄弟がバタ足を用いたオーストラリアンクロールをあみ出し, 1902 年にヨーロッパで披露された。そのころは 1 ストローク (左右の腕を 1 回ずつかく) について足を 2 回打つ 2 ビート泳法であったが,のちにアメリカで 4 ビートに改良され,現在は 6 ビートを主流にさまざまな技法が用いられている。クロールは自由形 (フリースタイルfreestyle) ともいわれる。泳法を限定しない自由形では,クロールで泳ぐのがいちばん速いからであるが,メドレーの際の自由形はクロールを用いなければならない。

 第 1 回オリンピック大会の水泳は 100mの自由形のみで,レースは海上で行われたが,第 2 回パリ大会には 200m (220 ヤード) となり,これに背泳が加わった。第 3 回セント・ルイス大会では自由形 4 種目のうち 200m, 400mでアメリカの C.ダニエルズが優勝,第 5 回,第 7 回大会ではハワイ出身のカワナモクが金メダルを獲得したが,クロール泳法を完成させたのはJ.ワイズミュラーで,彼は 1922 年には 100mに 57 秒 4 の世界記録をつくり, 24 年第 8 回パリ大会,28 年第 9 回アムステルダム大会を通じリレーを含む 5 個の金メダルをオリンピックで獲得した。第 8 回大会には,日本の高石勝男が 100mと 1500mで 5 位,第 9 回大会には 100mで 3 位に入賞している。ワイズミュラーがパリ大会で 1 分を切る 59 秒 0 を出したが, 52 年後の 76 年第 21 回モントリオール大会の優勝者,アメリカの J.モンゴメリーの記録は 49 秒 99 であった。

 現在オリンピック大会では男子は 50m, 100m,200m,400m,1500m,400mリレー, 800mリレー,女子は 50m,100m,200m, 400m,800m,400mリレー,800mリレーの合計 14 種目の自由形レースがある。 1500mは日本選手に縁が深く 1932 年の第 10 回ロサンゼルス大会で 14 歳の北村久寿雄が金メダルを獲得したのをはじめ,第 2 次大戦直後には古橋広之進橋爪四郎が泳ぐたびに世界記録を書き換えた。その後も山中毅がオリンピックで名勝負を演じている。 1500mで 15 分の壁を破ったのは 80 年のモスクワ・オリンピック大会における V.サルニコフ (旧ソ連) で, 14 分 58 秒 27 の世界新記録を出した。彼の泳ぎは 4 ビートの力強い泳法であった。現在,男子 100mの世界記録は A.ポポフ (ロシア) が 94 年モナコでマークした 48 秒 21 で, 200mは G.ランベルティ (イタリア) の 1 分 46 秒 69。 400mから 1500mはいずれも K.パーキンス (オーストラリア) が樹立しており, 400mが 3 分 43 秒 80,800mが 7 分 46 秒 00, 1500mが 14 分 41 秒 66 である。

背泳backstroke

 背中を下にしたクロール。水中でスタートし,競技中はつねにあお向けの姿勢を保つ。第 2 回パリ大会からオリンピック種目として実施され,ホッペンベルグ (ドイツ) が 200mで 2 分 47 秒 0 の好タイムで優勝したが,セーヌ川の流水で行われたため世界記録として公認されなかった。当時の背泳はダブルバックと呼ばれ,平泳をあお向けにしたような泳ぎであった。足はカエル足で,手 (ストローク) は両腕を同時に水面から抜き前方に運ぶ,バタフライの逆動作に似ていた。現在のような背泳に変えたのはH.ヘブナー (アメリカ) である。彼は練習中,クロールを裏返しにして泳いだところスピードが出ることに気づき, 1912 年のストックホルム大会の 100m背泳に 1 分 21 秒 2 のオリンピック新記録で優勝した。このヘブナーのバッククロールは泳法違反ではないかと協議されたが,この大会を契機に新泳法が世界中に広まった。アメリカには W.ケーロハ,W.ラウファー, G.コジャックら若手選手が輩出したが, 28 年東京・玉川プールで開かれた国際競技会の 200mで世界記録保持者のラウファーと対戦した入江稔夫はラウファーに 3mの大差をつけ 2 分 37 秒 8 の世界新記録で優勝, 4 年後のロサンゼルス・オリンピック大会の 100m背泳では清川正二,入江,河津憲太郎が金,銀,銅メダルを独占した。しかし第 11 回ベルリン大会ではアメリカのA.キーファーが金メダルを取り,また,トンボ返りターン (キーファーターン) をあみ出し世界記録を次々と塗り替えた。

 第 2 次大戦後もアメリカはロンドン,ヘルシンキ両オリンピック大会で圧倒的な強さを見せたが,メルボルン,ローマ大会では新興オーストラリアの D.タイル, J.モンクトンが活躍した。しかしアメリカは 64 年の東京大会で金,銀,銅メダルを獲得,この大会を機に背泳は力から技の時代に転換していった。クロールの 6 ビートのような美しいフォームを完成させたのは R.マッテス (旧東ドイツ) で,メキシコ,ミュンヘンの 100m,200m両種目にオリンピック 2 連勝を成し遂げた。モントリオール大会では J.ネーバー (アメリカ) が 100m・200m背泳, 400mメドレーリレー,800mリレーで金メダル, 200m自由形で銀メダルを獲得した。 88 年のソウル大会では鈴木大地が優勝している。オリンピック種目としては男子 200m,女子 100mでスタートしたこの背泳も,メキシコ大会 (1968) から男女とも 100m, 200mが実施されている。男子 100m背泳の世界記録は 92 年バルセロナ大会で J.ラウス (アメリカ) が樹立した 53 秒 86 で, 200mは 91 年に M.ロペススベロ (スペイン) が出した 1 分 56 秒 57。女子 100mは賀慈紅 (中国) が 94 年ローマでの世界選手権大会でマークした 1 分 00 秒 16, 200mは K.エゲルセギ (ハンガリー) が 91 年アテネで出した 2 分 6 秒 62 である。

平泳breaststroke

 うつぶせになり,手を前方から左右に開いて円を描きながら水をかき,足をけって泳ぐ方法。オリンピック種目として登場したのは 1908 年。しかしこの平泳ほど変わった種目はなく, 48 年のロンドン,52 年のヘルシンキ両大会は入賞者のすべてがカエル足をもちいたバタフライ泳法であった。 56 年メルボルン大会ではバタフライは分離独立し,平泳は潜水泳法全盛であった。幾多の改正を経て,手足の動作はすべて水中で左右同時に対称的に行い,つねに頭の一部が水面上に出ていなければならないという現行ルールが誕生した。日本では 1928 年のアムステルダム大会の 200m鶴田義行が 2 分 48 秒 8 で日本水泳選手として初めて優勝して以来, 小池礼三葉室鉄夫ら名選手が続き,女子選手でも前畑秀子がベルリン大会で日本女子選手の金メダル第 1 号になった。 56 年のメルボルン大会では潜水泳法を駆使した古川勝吉村昌弘が金,銀メダルを獲得したが,大会後,潜水泳法は禁止された。その後はアメリカの C.ジャストレムスキーがハイピッチ泳法をあみ出し, G.プロコペンコを中心とした旧ソ連の選手がストロークの大きい豪快な平泳を完成させたが, 田口信教がこの両者の泳ぎをうまくとり入れて水中深くけり込む田口式キックをあみ出し, 72 年のミュンヘン大会では 100mに優勝, 200mに 3 位入賞した。 〈平泳〉〈立体泳ぎ〉に転換したこの泳法は泳法違反に問われたこともあったが,現在は欧米選手もみな呼吸点の高いこの立体泳法を採用している。オリンピック種目としては男女とも 200mでスタートしたが, 68 年のメキシコ大会から 100m,200mの 2 種目となった。 92 年のバルセロナ大会では女子 200mで 14 歳の岩崎恭子が金メダルを獲得した。世界記録は男子 100mが F.ドブルググレーブ (ベルギー) の 1 分 00 秒 62 で, 200mが M.バローマン (アメリカ) の 2 分 10 秒 16。女子 100mは P.ヘインズ (南アフリカ) がアトランタ大会で出した 1 分 07 秒 02, 200mは R.ブラウン (オーストラリア) のもつ 2 分 24 秒 76 である。

バタフライbutterfly

 チョウが飛ぶような動きの泳法。平泳の変化したもので,空中高く前方に運んだ両腕を一気に下ろして水をかき切る。初期には,足は平泳と同じカエル足だったが,両足をそろえて足の甲で水をけるドルフィンキックも行われ, 1954 年に国際水泳連盟は両足キックを用いたバタフライを独立種目とした。現在は 1 ストローク,2 キックが一般的である。ドルフィンキックを完成させたのは長沢二郎であった。彼はヘルシンキ・オリンピック大会当時ひざを痛めて,カエル足のバタフライができなくなり,ドルフィンキックを考え出したという。この技術を石本隆が受けついで,技術を向上させた。しかし 56 年のメルボルン・オリンピック大会では,大接戦の末,W.ヨージク (アメリカ) に敗れて銀メダルに終わった。メキシコ大会から 100m,200mの 2 種目になり, 72 年ミュンヘン大会で M.スピッツ (アメリカ) が両種目に優勝,リレーを含め 7 個の金メダルを獲得した。日本もこの大会で青木まゆみが女子 100mで 1 分 3 秒 34 の世界新記録を出し,金メダルを獲得した。メダルが期待された 96 年のアトランタ大会には青山綾里,鹿島瞳の若手コンビが出場したが,惜しくも鹿島の 4 位入賞にとどまった。現在の世界記録は,男子 100mがアトランタ大会で D.パンクラトフ (ロシア) が出した 52 秒 27, 200mも同選手の 1 分 56 秒 57。女子 100mは M.ミーガー (アメリカ) が 81 年にマークした 57 秒 93, 200mも同選手が同年に樹立した 2 分 5 秒 96 である。

メドレーmedley

 メドレーは,混合の意。上記の 4 種の泳法を順に泳ぐもので,個人メドレーとメドレーリレーがある。 個人メドレーは,バタフライ,背泳,平泳,自由型の順に 1 人で続けて泳ぎ,各 50mの 200mメドレーと各 100mの 400mメドレーがある。個人メドレーは競泳のなかでいちばん新しく, 1964 年のオリンピック東京大会から 400mメドレーがオリンピック種目として採用された。男子は R.ロス,女子は D.デバロナ (ともにアメリカ) が金メダルを獲得した。メキシコ,ミュンヘン両大会では 200mが加わったが,モントリオール,モスクワ大会では男女とも 400mの 1 種目となり, 84 年のロサンゼルス大会から再び 200mが復活した。 メドレーリレーは,4 人の泳者が 1 人 100mずつを,背泳,平泳,バタフライ,自由形の順でリレーして合計 400m泳ぐレースで, 4 × 100mメドレーリレーと表記され,オリンピックでは 1960 年のローマ大会から採用されている。

石井 宏