起宿

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1 起宿

起宿は、木曽川を船で往来する渡船場(とせんば)川湊(かわみなと)もある重要な宿場町で、水陸交通の拠点として賑わい美濃路で一番大きな宿場でした。
起湊は上の定渡船場、中の宮河戸(みやこうど)、下の船橋河戸(ふなはしこうど)の3つの渡船場あり、昭和30年頃までポンポン船が運行しました。
交通:起宿本陣跡・脇本陣跡へJR尾張一宮駅・名鉄一宮駅から名鉄バス起行き「起」下車徒歩5分 船橋跡へ同3分 起渡船場跡へ同10分

 「起宿略図」 このページは、萩原宿から半里の冨田村⇒起宿を掲載

「起宿脇本陣跡」 寛永18年(1641)設置、享保5年(1720)以降世襲した林家の建物は、明治24年(1891)濃尾地震で倒壊、大正の初め再建され、現在の一宮市尾西歴史民俗資料館別館として内部と日本庭園を公開しています。

「一宮市尾西歴史民俗資料館」 昭和61年(1986)開館し、 常設展や特別展などで美濃路の歴史等を紹介しています。

「起宿本陣と問屋場跡」 慶長7年(1602)設置、本陣職11代加藤右衛門七(えもしち)(号磯足)は、国学者本居宣長の高弟として、木曽川堤防普請を行うなどこの地方に寄与した。
慶応元年(1865)(うるう)5月12日14代将軍徳川家茂(いえもち)が起宿に宿泊しました。長州征討の幕府軍家茂一行は先発隊を含め18000人で美濃路史上最大の通行でした。
「問屋場跡2か所」本陣の加藤家と永田家(本陣から少し北)

披本陣(ひらきほんじん)跡」 文化18年(1811)創始、起宿の本陣や脇本陣に異変が生じた際に待避所として、隣の小信中島村の吉田家を披本陣とした。以後、紀州候一行等の宿泊がありました。門右側「いぶき」の木は天然記念物です。(三岸節子記念美術館の西)

「勤皇志士鵜飼吉左衛門父子発祥地」 尾張国中島村(現一宮市小信中島)の生家跡(起工高の道路北側)に昭和14年(1939)石碑建立・「父子之碑」は水戸藩主末裔徳川圀順(くにゆき)公爵揮毫により同年顕彰碑建立

「勤王志士鵜飼吉左衛門父子之碑」 吉左衛門(1798〜1859)は水戸藩京都留守居役を勤め、条約勅許・将軍継嗣問題と孝明天皇が幕政を批判した戊午(ぼご)の密勅」にかかわる。安政6年(1859)大老井伊直弼(いいなおすけ)(彦根藩主)は反対勢力を徹底的に大弾圧(安政の大獄)を下し、吉左衛門父子(長男幸吉)を刑死す。明治24年宮内省から鵜飼父子に「従四位」贈呈、安政7年井伊大老は桜田門外の変で水戸浪士らの一団に暗殺される。 

萬松山頓聴寺(ばんしょうざんとんちょうじ)」 建武年間(1334)中島郡西之川村(現一宮市萩原町)で真言の寺を立てる。文正年間蓮如の下向の折真宗大谷派に転じた。鵜飼吉左衛門家の本家です。山門に掲げてある木彫の扁額「萬松山」は、尾張国守護職斯波義重(しばよししげ)(清洲城創建者)の自筆である。(当寺は起宿披本陣の北)

「一宮市三岸節子記念美術館」 平成10年(1998)三岸節子画伯の生家跡に建設、かっては敷地内は織物工場の鋸屋根、現存する土蔵を活したアトリエを復元した展示室、ヴェネチアをイメージした水路などユニークで特色のある美術館(作品71点所蔵)

「三岸節子画伯銅像」 明治38年(1905〜1999)中島郡起町(旧尾西市・旧性吉田)の富裕な地主に生れる。上京して洋画家岡田三郎助の指導を受け、大正13年洋画家三岸好太郎と結婚、後半期は渡仏し20年余海外で風景作品に焦点を当てた。昭和63年(1988)尾西市名誉市民に推挙される。平成6年89歳で女性洋画家として初めて文化功労者表彰を受けました。

「墨会館」 世界的建築家・丹下健三氏(1913〜2005)の設計による墨会館は、艶金興業の社屋として1957年竣工した。2010年一宮市は貴重な国登録有形文化財として買収し永く保存されます。
丹下氏の作品、広島平和記念館、旧東京都庁舎、香川県庁舎等

江戸時代を偲ばせる起宿の美濃路街道

「船橋跡・高札場跡」 慶長12年(1607)〜明和元年(1764)の間18回架設され、将軍や朝鮮通信使等は木曽川850mに船数270艘以上の日本最大の船橋を架ける。対岸は美濃三ツ柳村(羽島市)石碑は昭和42年(1967)愛知県建立

宮河戸(みやこうど)跡」 起の商屋が商う物資(瓦・練炭・石材・材木・味噌・醤油・酢・酒など)を運ぶ船が発着する湊。石碑後ろの大銀杏・やまがき(大明神社境内)は、天然記念物です。

「起の渡し起渡船場跡」 尾張藩船手奉行の管轄下で、起宿の船庄屋(脇本陣の林家)が支配しました。

「起の渡しの常夜燈」 天保14年(1843)金刀比羅社境内に建立、渡しの安全を祈願し両岸に立てられました。

「人柱観音」 慶長年中(1596〜1615)木曽川の分流、小信川の築止の難工事に人柱として濁流に身を投じたと伝えられる与三兵衛(よそべえ)と、濃尾大橋の架橋工事で亡くなった3名をまつる人柱観音が昭和32年(1957)に開眼しました。

「旧湊屋主屋」 定渡船場に向う往還の角に、幕末に建てられた船問屋の旧湊屋文右衛門邸は、明治24年(1891)濃尾地震で、起宿の殆んどが全壊したが、この家は数少ない江戸時代の建物で国の登録文化財です。平成23年5月改装して茶店「湊屋」オープン飲物や甘味を提供し、一般開放される。

「濃尾大橋」 昭和31年(1956)開通により、美濃路の木曽川の渡し「起の渡し」は廃船となる。昭和44年通行料金無料開放、昭和46年(1971)自転車道・歩道が完成しました。

起宿の明治維新

 明治3年(1870)本陣・脇本陣が廃止され、ここに江戸時代250年にわたり、日本の交通を支えた起宿は、終わりを迎えました。近代交通の基幹である鉄道は起ではなく、清須から一宮・岐阜間に線路が敷かれた。名鉄電車起線は、大正13年(1924)開業、昭和28年廃線しバス路線化した。