ルイ・フランセンさんの功績
  ベルギー人で来日40年になるルイ・
フランセンさんと知己を得て20年にな
る。
 初めて紹介を受けた時、ルイ十四
世の子孫ですといきなりジョークを言わ
れた。あるいは本当かもしれないが、そ
こまで尋ねるまでもないと思った。

あるいは本当かもしれないが、そこまで
尋ねるまでもないと思った。

既に日本語は保々完全に近く、当然のこ
とながら、初対面に下手な英語で挨拶を
したが、今思えば恥をかいた。

ベルギーは自国の言葉を有しない、ドイ
ツ語とフランス語、オランダ語の言葉を
話すことを知った。累さんはオランダ語
育ちである。


  何故日本へ来られる事になったのか、
先ずその質問から始めた。
東洋の国の中で
文化が進み、安定しており、経済大国であ
ることが、日本を選んだ理由であると先ず
言われたのが嬉しかった。

彼の輝かしい職歴、学歴は素晴らしいも
ので、インタビューに備えて履歴書風に
まとめてあり、順次その経歴に従ってお
話を聞くことが出来た

現在クレアール現代壁画研究所のメンバー
で、そのメンバーの中味は例えば、日本の
中でも錚々たるメンバーが名前を連ねてい
る。例えば、平山郁夫、向井潤吉三岸節子
杉山寧、池田万寿夫、片岡鶴太郎、などな
ど故人となった人の名前まで載っているが
要するに日本人の芸術家の重要メンバーが
名前を連ねて入る会である。

中のステンドグラスは『花』大和市民病院に飾られているもの

 この組織は大きく別けてステンドグラス、陶板レリーフ、彫刻・モニュメント・美術家、
建築家・デザイナーの方々の名前が出ている。

  フランセンさんの研究所は湯河原工房、信楽工房の二ケ所で、本社は東京にある。主に
湯河原工房と信楽工房の双方で従来活躍されていた。

  私も一度工房の見学をさせていただいたが、ステンドグラス工房としては、かなりの実
績を上げておられている。(クレアーレとは、ラテン語で『創造』を意味する)
信楽工房
は見学していないが、日本の伝統芸が最も盛んな信楽焼きの土は、あかね色に近い地肌に
小さな長珪石質の粒子を含む陶板レリーフに最適で特殊な土質であると解説してある。こ
の工房では陶板レリーフの数々の作品も製作されている。

3,000色以上の釉薬(ユウヤク)を管理できるノウハウから創りだされる美しい色と
立体造形ともいえる厚み、(3〜45
cm)のあるレリーフ造形をも作り出している。
ともあれ、かなりの作品を作成し、ステンドグラスでは有名な存在である。
  学歴はベルギー国ルーゥ“エン大学神学科卒業、昭和39年慶応大学文学部通信教育課
程日本美術、東洋美術専攻、42年東京芸術大学に聴講生として入学、43年に東京芸術
大学大学院美術研究科壁画専攻、46年3月壁画専攻を修了している。

39年に一旦本国へ帰国、アントワープ市にて制作活動を、42年に来日、純心短期大学
教授に赴任
7年東京芸術大学美術学部外国人講師(以後昭和58年まで毎年契約更新)そ
の間グアテマラ、ペルー、メキシコにてマヤ、インカ文化の研究(素晴らしいエトランン
ゼである)
52年に現代壁画研究所の所長となり、湯河原ステンドグラスと信楽陶板壁画
を制作を始め、58年に東京芸術大学美術部講師、59年まで勤め、61年沖縄県立大学
教授(平成9年3月)その間中国北京中央工芸学院客員教授などなど,数多の職歴を持た
れている。
現在は76歳になり、第一線からは引かれておられるが、制作には活動はされ
ている。
ともかく異邦人と言えば失礼になるかも知れないが、日本人として活躍されて、
今日まで日本の美術界で活躍されているのは、誠に尊敬に値する。

  奥さんのみちよさんは勉強家でご主人と各国を回られて、その間例えば、中国に行かれ
た場合など、英語の教師までされ、勿論中国語も勉強されたのではないだろうか。

国籍まで取得され、永住を希望されている異邦人は他にも例はあるだろうが、しかも日本
芸術に溶け込んで、自己のものまでされて例はあまり他に聞かれない。

たまたま知己を得て、色々な経歴を拝聴して、活動された人を紹介できる機会があったの
は私としても光栄だと思った。

  尚、今回はルイさんの素晴らしい写真を掲載した。
上の写真は陶板レリーフの横長のもので、『伸びゆく浜松』JR浜松駅北口広場下の写真
は『梅・初春』中銀シルバーマンション
セータ姿のルイさんと筆者・ルイさんとみちよ夫
人、後ろは友人(入沢洋子さん)

                         石 井 立 夫