愛は許す心

 

愛は許す心。

そして、許す心の中には、さらに「赦す、受け入れる、認める」という意味が含まれています。

そこでまず「赦す」と「許す」の違いについて説明します。

人から何か理不尽なことをされた時、不愉快なことをされた時、それでも勘弁してあげる、これが「赦す」です。

世界の戦争も互いに理不尽なことをされて、赦せないという思いから報復の連鎖が起こり、終わりなき戦争を繰り返しています。

次に「許す」という言葉の意味についてですが、この中には「赦す」の他に、さらに「受け入れる」「認める」という意味が含まれているのです。

たとえば「許可」という言葉があります。
通行許可証と言った場合の「許」は、別に人から何か理不尽なことをされた、不愉快なことをされた、それでも勘弁してあげる、という意味で使われているのではなくて、「どうぞお通り下さい」という、相手を受け入れ、認める意味で「許」という字が用いられているのです。

それでは「愛は許す心」という場合の「受け入れる、認める」とは、具体的にはどのようなことでしょうか。

たとえばここに10人の人がいたとします。
その場合、皆、考え方や価値観、個性が違って当たり前です。またその中には自分とは、考え方や価値観の相容れない人がいたとしても当たり前です。

しかし、多くの場合、自分とは相容れない人に対して、私たちはつい「あの人とは合わない」、あるいは「あの人は生理的に受け入れられない」と、切り捨ててしまいます。

しかし、そういう人も「受け入れます、認めます」というのが、「愛は許す心」なのです。
つまり、愛は許す心というのは、どのように自分とは考え方や価値観の違う人であっても、受け入れる、認める、という意味なのです。

ただ、このように人を許すためには、その前提になさなければならないことがあります。

それは「知る」ということです。

相手のことを深く知り、理解するからこそ、その人のことを赦し、受け入れ、認めることが出来るのです。

たとえば強盗殺人犯がTVのニュースで報道されたときに、私たちはその犯人は悪い奴だと非難し、許すことが出来ません。
しかし、何かの機会にその犯人の生い立ちや家庭環境、事件に至るまでの人生を知るにしたがって、ただ「許せない」と思っていたのとは、また違った感情が芽生えることがあります。
つまり、そこから許しが始まるのです。

反対にいくら人を許そうと思っても、「知る」ことを怠っていたのでは、許したくても許せるものではありません。

私たちがよく犯してしまう過ちは、「どうして自分は人に厳しくなってしまうのだろう」「どうして人をすぐに責めてしまうのだろう」と、人を許せない自分を責めて、自己嫌悪に陥ることです。

しかし、それは「知る」ということを飛ばして、いきなり許そうとするからなのです。
だから、私たちが本当に許すためには、まず知るということをなさなければならないのです。

それが「愛は許す心」の意味です。

Tatsu


戻る