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梅棹忠夫著作集(中央公論社、1989-1994年)

第1巻『探検の時代』(1990年)

目次

探検隊の見習士官
山と旅
探検の時代
探検記をよむ

要点

探検は、梅棹の仕事の原点であり、その本質はパイオニアワークである。

コメント

学術探検の方法として、本多勝一のルポルタージュの方法を推薦している。

第2巻『モンゴル研究』(1990年)

目次

回想のモンゴル
モンゴルの自然
モンゴル牧畜の研究
モンゴル遊牧図譜
モンゴル再訪

要点

モンゴルは、梅棹の最初の研究フィールドであり、梅棹の人文科学的研究の原点である。

第3巻『生態学研究』(1991年)

目次

フィールドの生態学
動物の社会的干渉
生物学の思想
自然と人間

要点

 生態学とは、主体である生物と環境である住みかからなる「主体・環境系」の運動を研究する学問である。
主体・環境系には「自然の一体性」の原理があり、主体と環境はおなじ一つの現象の二つの側面である。主体と環境との間にはアクションとリアクションがたえずはたらいており、主体・環境系は矛盾をはらみつつたえず進化していく。
 生態学者は、このような主体・環境系のモデルのもとで、自然観察にくわえて実験によるアナリシスをおこない研究をすすめる。
 アメリカから日本に近年入ってきた「エコロジー」という用語は「生態学」とは意味がかなりことなり、環境問題の用語としてつかわれ自然保護に重点がおかれている。また日本では、環境問題は公害問題に重点がおかれていたという経緯がある。

コメント

 「主体=環境系」という生態学のモデルは「場」をとらえるモデルとして非常に有用である。このモデルをもって、自然観察と実験をくりかえしながら「場」を探求していく。生態学は「場の科学」を構築するうえでの基礎になる。近年表面化してきた「環境問題」も、このような方法によって基礎的な研究をまずおこなわなければならない。
 生態学とエコロジーとは意味やつかわれ方にちがいがあるので注意しなければならない。
 自然保護や公害問題をふくむもっと大きな「環境問題」にとりくむためには、短絡的な実践にすぐに はしるのではなく、生態学のモデルと方法をよく認識した本質的なとりくみが必要である。(040619)

第4巻『中洋の国ぐに』(1990年)

目次

モゴール探検記
アフガニスタンの旅
中洋の発見
地中海の文明
中東研究を目ざして

要点

中洋は、東洋と西洋とのあいだにひろがった広大な地域であり、文明発祥の地である。

第5巻『比較文明学研究』(1989年)

目次

文明の生態史観
比較文明論の展開
文明学の課題と展望

要点

 生態学では、主体と環境の相互作用により変化が生じるとかんがえる。つまり、「主体=環境系」のサクセッションにより生活形が変化する。主体=環境系の自己運動の解明こそ重要である。このような生態学のモデルからみた生態学的な歴史観が「生態史観」である。
 文明の生態史観では、歴史の幾何学として「ユーラシアモデル」が提案される。ユーラシア大陸の東西の端は第一地域であり、それらは日本と西ヨーロッパである。ともに封建制と革命をへて近代社会をつくっており、ブルジョアの成長が特徴的である。主として内部からのうごきによりみずから変化してきている。
 一方、第一地域にはさまれる第二地域は中央に砂漠地帯をもち、外部から破壊されるという歴史をもつ。その東西には、東南アジアと東ヨーロッパがあり対応関係にある。このモデルでは平行進化がみられる。宗教では、ユダヤ教→キリスト教→イスラム教、バラモン教→仏教→ヒンズー教というみごとな段階対応がみられる。
 そしてこのような文明とは「人間=装置系」としてとらえることができ、それは「人間=自然系」という生態系から進化したものである。

コメント

 文明や歴史の研究に生態学の明確なモデルを採用したところに発想の出発点がある。
 『文明の生態史観』は、『文明の海洋史観』「文明の交流史観」『文明の環境史観』といった一連の「史観シリーズ」をその後うみだし、人類史研究のあたらしい潮流をまきおこした。
 研究方法としてはモデルをもつことが第一に重要であり、ここではアナロジーが重視される。そして、フィールドワークによる実証科学的研究を中核にして、生態学的方法と層序学的方法をつかう。生態学的方法が空間的(地理的)側面を、層序学的方法が時間的(歴史的)側面を主としてあきらかにする。層序学的方法には比較(対比)という方法がふくまれる。
 また、文明をシステムとしてとらえるシステム思考が必要である。
 人間=自然系から人間=装置系への進化により、人間と自然との不調和としての地球環境問題もまた発生してきた。(040617)

第6巻『アジアをみる目』(1989年)

目次

アジアをみる目
東南アジア紀行
東南アジア 歴史と旅
東南アジア点描

要点

日本はアジアではない、これは別物だ。

第7巻『日本研究』(1990年)

要点

日本の近代化は江戸時代にすでにはじまっており、江戸時代が近代日本の基礎になっている。

コメント

江戸時代に技術革命があり、明治時代に産業革命があり、今日制度革命がおこっている。しばらくすると人間革命がおこる。

第8巻『アフリカ研究』(1990年)

目次

サバンナの記録
アフリカ研究の回顧と展望
ダトーガ族の研究
狩猟と遊牧の世界

要点

 京都大学のアフリカ研究は、類人猿の研究からはじまり人類学へと発展した。梅棹の研究領域は拡大し、国立民族学博物館創設に役だった。

第9巻『女性と文明』(1991年)

目次

女と文明
家庭の文明史
情報の家政学

要点

家庭においても情報化はすすんでいる。家庭は「ミクロ文明学」の現場である。

第10巻『民族学の世界』(1991年)

目次

人類学周辺
民族学周辺
回想の民族学

要点

民族や文化から地球をみる地球科学としての民族学が発展している。

第11巻『知の技術』(1992年)

目次

知的生産の技術
『知的生産の技術』の前後
知的生産の展開
フィールドでの知の技術

要点

 現代は、情報文明の時代であり、人類史におけるもっとも知的な時代である。このような時代にあって、フィールドや毎日の実体験からどのようにして情報をくみたてていくか、そのために一般化・公共化され、万人が身につけてゆかなければならない技術が「知的生産の技術」である。
 発見やインスピレーションはあるとき突然やってくる。それを「発見の手帳」にメモする。これはフィールドワークを日常化したものである。えられた情報はひとまとまりごとに「京大型カード」に記載し、「こざね法」をつかって文章化する。知的生産の訓練としては、探検や旅行を、計画からそのまとめまで首尾一貫しておこなう「プロジェクト法」がもっともすぐれている。
 「京大型カード」をつかえば、情報のひとまとまりをつくることができ、あらたな情報の挿入、情報のくみかえ、情報と情報の関連の発見、共同研究などをたくみにおこなうことができる。情報のくみあわせを自由につくることができるカードは創造の装置として大変有用である。

コメント

 コンピューターの出現により、「京大型カード」の歴史的役割はもはやおわった。しかし「知的生産」の原理はコンピューター時代になった今日でも生きつづけており、この原理をよく理解して、コンピューター上で応用していくことが重要である。
 本書をよむと、コンピューター以前の人々が知的生産のためにいかに苦労し、いかに工夫をかさねてきたかがよくわかる。コンピューターが普及し情報化が本格化するまえに、すでに水面下で情報化は着実にすすんでいたのである。今後の情報化技術の発展のために、このような「情報化の歴史」をしることは大いに参考になる。(040325)

第12巻『人生と学問』(1991年)

目次

わたしの生きがい論
世相と体験
学問三昧

要点

梅棹の人生観は、目的体系からの離脱であり、無目的の自己放出である。

第13巻『地球時代に生きる』(1991年)

目次

地球時代の日本人
地球時代の文明論
二一世紀の人類像
国際交流の理論

要点

地球時代が到来し地球化がすすむと同時に民族の分離・独立をもとめる民族主義が台頭してきた。

第14巻『情報と文明』(1991年)

目次

情報の文明学
情報論ノート
メディアとしての博物館

要点

言語の発明、文字の発明、印刷術の発明、コンピュータの発明と情報革命が進行し、今や地球全体が「情報場」になった。

第15巻『民族学と博物館』(1990年)

目次

民族学博物館
博物館長の十年

要点

国立民族学博物館は、民族学の研究と展示、市民サービスをおこなう情報産業の現場である。

第16巻『山と旅』(1992年)

目次

山の回想録
海外の山と旅
山の交友録

要点

登山の体験、今西グループの人々との交友は梅棹の人間形成におおきな役割をはたした。

第17巻『京都文化論』(1992年)

目次

梅棹忠夫の京都案内
京都の精神
日本三都論

要点

文化産業都市「新京都」を京都南部に建設し、市民精神作興運動をおこすことが京都新生の道である。

第18巻『日本語と文明』(1992年)

目次

あすの日本語のために
日本語と日本文明
日本語と事務革命

要点

 漢字を廃し、ひらがな・カタカナによるカナわかちがき方式の日本語文字システムを確立することにより、高度に情報化がすすむ日本文明を運転し発展させていくことが可能になる。

第19巻『日本文化研究』(1992年)

目次

美意識と神さま
日本学周遊
日本学周遊補遺

要点

 日本文化と外来文化との相関という空間的な見方、伝統をまもりつつも変容していくという歴史的な見方により、日本文化のダイナミックスをとらえることができる。

第20巻『世界体験』(1993年)

目次

アジア体験
ヨーロッパ体験
アメリカ体験
オセアニア体験
エスペラント体験
実践・世界言語紀行

要点

発想の原点はすべて世界各地での体験にあり、その現地体験こそすべての出発点になっている。

第21巻 『都市と文化開発』(1993年)

目次

都市と文化開発の三〇年
都市神殿論
田園都市国家構想
文化開発と文化行政
湖国の文化と開発

要点

 筆者は、1970年に大阪府千里でひらかれた日本万国博覧会をきっかけにして、さまざまな文化開発のプロジェクトを手がけることになり、国立民族学博物館はその結果としてうまれた。
 この30年間、世の中はハードウェアからソフトウェアへ、物質から情報へ、経済から文化へとおおきく転換しはじめた。本巻はその時代の証言である。

コメント

 国立民族学博物館がうまれるまでの文化行政的側面をみることができる。同博物館は、京都の学者と東京の行政官との協力があったからこそ実現できたのであり、この意味でこの博物館は京都と東京との合作ということができる。
 日本という国は、京都と東京、あるいは関西と関東との対立と協調とによってなりたっている国であり、この微妙なバランスにこの国のおもしろさがある。両者の協調が実現したときには大変すぐれた成果がうまれるということと、そのことをよく理解しながら行動した人々がいるということを本書を通してしることができる。また、京都と東京あるいは関西と関東とがつくりだす構造を仮に「二極モデル」とよぶならば、ミニ「二極モデル」ともよぶべきことが日本各地でおこっていることもわかる。(040411)

第22巻 『研究と経営』(1993年)

目次

研究経営論
情報管理論
著作と編集

要点

 学術研究とは、基本的には情報をとりあつかう業務であり、情報をとりあつかうためには研究組織と情報管理が必要である。そのためには、研究の過程を経営という観点からとらえなおすとともに、コンピューターを利用した「知的生産の技術」の開発をすすめなければならない。
 国立民族学博物館は、このようなことを具体的に実現したシステムであり、従来の大学アカデミズムとは根本的にことなる方式を採用し、学術研究のあたらしいスタイルをきりひらいた。

コメント

 京都大学人文科学研究所から国立民族学博物館へと展開されていく様子と、個人の「知的生産の技術」から、コンピューター・テクノロジーを利用した国立民族学博物館の情報システムが開発されていく過程を通して、研究経営と情報管理の実態をつかむことができる。
 これらの過程では、専門性か総合性か、個人研究かチームワークかというよく問題になる二つの観点を矛盾対立させるのではなく、両者の相互作用をひきだして研究の成果にむすびつけていく方法が開発されている。
 現代社会がかかえる複雑かつ総合的な問題に対処するためには、このような「民博方式」が今後まずます重要になってくる。(040418)

別巻 『年譜 総索引』(1994年)

目次

梅棹忠夫年譜
全巻目次一覧
収録論文項目索引
総索引

要点

 1941年、京都探検地理学会ポナペ島調査隊(隊長 今西錦司)に参加。1942年、北部大興安嶺探検隊(隊長 今西錦司)に参加。1944年、今西錦司氏とともに中国大陸にわたり、財団法人蒙古善隣協会 西北研究所の嘱託になる。

コメント

 著者は、はじめは生物学・生態学を専攻し、その後、『文明の生態史観』をへて「文明学」をきりひらき、一方で、『知的生産の技術』をへて「情報論」を展開し、それらの具体的な実践として国立民族学博物館を創設した。
 「文明学」は世界を空間的(地理的)にとらえ、「情報論」は世界を時間的(歴史的)に主としてとらえている。このような問題意識をもって国立民族学博物館を見学すれば、世界に対する認識を飛躍的に向上させることができる。(040418)


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2005年6月14日発行 Copyright (C) 田野倉達弘