大阪市の中心部を南北に走る上町台地。天王寺区内には、

上町台地の西縁に沿って「天王寺七坂」と呼ばれる坂があります。

北から順に「真言坂(しんごんざか)」・「源聖寺坂(げんしょうじざか)」

・「口縄坂(くちなわざか)」・「愛染坂(あいぜんざか)」・「清水坂(きよみずざか)」

・「天神坂(てんじんざか)」・「逢坂(おうさか)」の7つです。(2008.1.26 めぐってきました)

天王寺区生玉町生國魂神社北側にある南北の短い坂です。生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていました。そのうち、神社の北側には医王院・観音院(坂の西側)・ 桜本院・新蔵院(坂の東側)・遍照院・曼陀羅院(坂の下り口東側)の六坊がありました。すべて真言宗であったので、この坂は真言坂とよばれました。『攝津名所圖曾』(せっつめいしょずえ)巻之三には「生玉眞言坂」として階段の坂が描かれています。

現在の真言坂は石畳の道で、静かな雰囲気をかもしだしています。生國魂神社の北門前にある二基の常夜灯は、天満八軒家船着場にあったもので、万延元年(1860)の銘があります。


中央大通り(千日前通り)に面して生国魂さん 生国魂神社石畳の参道 ホテル街で異彩を放つ生国魂神社

天王寺区下寺町一丁目源聖寺の南側から生玉寺町に至る狭く曲がった石畳の坂です。この坂は登り口に源聖寺があるので、その名を取っています。源聖寺坂および口縄坂は上町台地の代表的な坂で、遊歩道としても知られています。最初は石畳道ですが、やがて階段状になって、いっきに台地に登ります。その付近一帯は、寺町として長い歴史をもっています。

齢延寺には、幕末に泊園書院を興して活躍した儒者である藤澤東がい・藤澤南岳父子の墓があり、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」に出てくる<お千代・半兵衛>の比翼塚が建てられています。


坂のてっぺんあたりが石段となる 石畳だった部分は工事中だった 生玉寺町あたりも工事中

天王寺区下寺町・松屋町筋から谷町筋六万体へ通ずる坂は上町台の中央を南北に分断するような大きな坂です。かって小さな道を切り開いて自動車道路として造られたものです。

そののち、道沿いに大阪女子学園(現在大阪夕陽丘学園)ができて学園坂とよばれるようになりました。他の七坂に較べて歴史も浅く、天王寺七坂から外れています。


下寺町の学園坂交差点・上へ向って坂となる 谷町筋まで坂が続く 上町台地のほぼ中央に位置する坂

天王寺区下寺町二丁目、稱名寺の北側から東へのぼるところです。「十三まいり」の太平寺から松屋町筋に至る縁濃く静かな石畳の坂です。源聖寺坂とならび、上町台地の坂を代表しています。口縄とは蛇のことであり、坂の下から眺めると、道の起伏が「蛇(くちなわ)」に似ているところから、この名が付けられたといいます。また、大阪城築城のとき、縄打ちを始めた地であるためという説もあります。

坂をのぼると織田作之助の文学碑が右手にあり、「口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた…」以下数行『木の都』の一節が刻まれています。


石段を下って下寺町・手前が夕陽丘町 名のとおりクネクネと長い坂 坂の始まり・下り一方で松屋町筋に至る

天王寺区下寺町二丁目4番街区からあがりはじめ、大江神社石段下る勝鬘院でいったん曲がって急坂をのぼります。大阪星光学園北側から松屋町筋に通じる急な坂道です。その名のとおり、坂の下り口にある勝鬘院(愛染堂)から名付けられたといいます。境内の多宝塔は、豊臣秀吉が文禄三年(1594)に寄進した市内最古の建造物で、重要文化財指定されています。

また、愛染さんの夏祭り(6月30日〜7月2日)は大阪夏祭りの先駆けとして知られています。

大江神社には「夕陽岡」の碑があり、この辺りからの夕焼けは今も美しいものです。


大江神社に沿って愛染さんまで続く坂 坂を登りきると大江神社と愛染さん 大江神社の境内に「夕陽岡」の石碑

天王寺区伶人町の有栖山清水寺の北側に位置しています。大阪星光学院と清水寺(清光院)との間の坂道で、愛染坂と交わるまでの広いゆったりとした石畳の坂道です。清水寺(きよみずでら)の北側にあるためこの名で呼ばれています。

高台にある新清水寺境内からの眺望は格別で、 さらに境内南側の崖から流れ出る滝は、京都清水寺の「音羽の滝」を模した「玉出の滝」で大阪唯一の滝として知られています。

また、この付近一帯は昔から名泉所として知られ、増井・逢坂・玉手・安井(安居)・有栖(土佐)・金龍・亀井の清水は七名水と呼ばれています。


坂のてっぺんが清水寺の墓地にあたる 清水寺の墓地はかなりの高台 墓地の中の納骨堂・本堂などは一段下にある

天王寺区伶人町と逢阪一丁目との境界をなす坂です。安居神社へ通じる坂道なのでこのように呼ばれています。ここは、菅原道真をまつっています。

この神社境内は大阪夏の陣で真田幸村が戦死したところで、本殿の脇に「真田幸村戦死跡之碑」があります。

また、境内西側を少しさがると、天王寺七名水の一つ安居の清水があり、「かんしづめの井」(癇静め)とも呼ばれ、よく知られています。


石畳のきれいな緩い坂がまっすぐ延びる 坂の入口の石段の上に安居の天神さん 安居神社の境内を抜けると逢坂に出る

天王寺区松屋町筋終点、いわゆる合法ヶ辻 から東へ上がって四天王寺西門に至る坂道です。

逢坂(おうさか)は、逢坂の関になぞらえてよんだものとも、他説では聖徳太子と物部守屋の二人が信じる方法を比べ合わせたと言われた「合法四会」(がっぽうがつじ)に近いことにより合坂(おうさか)と名付けられたなどの諸説があります。


逢坂の交差点・真直ぐ下るとナンバ 交差点陸橋から見渡す通天閣 上へ向って逢坂・坂の突当りが四天王寺